2001/7/25
どしゃぶりの雨の中を僕らは


 午前五時。激しく降る雨音で目覚める。長距離を走る予定にしていたので早起きをしようと決めたのだったが、この雨でいきなり挫ける。なので、寝袋にもぐり込んで二度寝を決め込む。ふて寝とも言うが。とはいえ短期間の今回の旅での連泊は、あまりにも勿体ない。そう思い直し、七時にはテントを出てぶんちゃんをたたき起こす。
 屋根付きの炊事場で、パンとソーセージとコーヒーの朝食を摂り、雨が小降りになったのを見計らって撤収を始める。しかし、小降りになったとはいえ雨は降り続いており、濡れたままのテントや湿ってしまった装備品を乾かす術もない。憂鬱な気分のまま荷物をパッキングし、レインウェアを着込んでバイクにくくりつける。
 ところが、荷物を積み終え、出発前に炊事場で一服している間に雨が激しくなっていき、それまでに無いほどの土砂降りとなってしまった。ツイてねぇ。恨めしく空を見上げると雲は空一杯に広がっており、雨が止む気配はない。まったくツイてねぇ。仕方なく、多少小降りになったかなと感じた時点で意を決し、走り出す。

 レイングロウブを忘れたために素手でハンドルを握っていたのだが、糠平から上士幌へ向かう途中で雨がまた激しくなり、雨が手に痛いほど突き刺さり、ブーツの中に浸み入った雨水が靴下を濡らす。吐く息がシールドの内側を曇らせ、飽和した水滴が伝い流れる。トンネルに入る度にシールドを全開にし、出る直前に再び閉じるという作業を繰り返す。コーナーの途中でいくつも川が流れ、ペースは一向に上がらない。体が冷えてくる。カウルが付いているぶんちゃんのバイクはまだマシかも知れないが、ノンカウルの俺のバイクでは、ただひたすらに辛い。
 水墨画のように滲んで見える山間の悠然とした景色が晴れた日とはまた違った趣であることを意識することにより、辛さの中に活路を見いだそうとするが、辛いものは辛い。置かれた状況を常に良い方に解釈するという俺の得意技も、ブーツの中の不愉快なぬるさと雨が突き刺す手の痛みによって、雲散霧消していった。

 上士幌から足寄へ抜け阿寒まで来ると、雲は未だに空を覆ったままではあったが、雨は上がった。ただ、コンビニで暖かいコーヒーを買って飲むが、冷え切った体はなかなか暖まってこない。メイルをチェックしようと手にした携帯電話の液晶が結露している。
 阿寒横断道路の山越えをトラックの後ろについて走り、寒さを凌ぐ。道路に残った水たまりを、前を行くトラックが跳ね飛ばしてそれを頭から被ることになるが、それでも寒さから逃れる方を選んだ。
 弟子屈の町に入り、摩周から国道三九一号線で南下、標茶駅近辺から道道に乗り入れる辺りで少しだけ陽が射してくる。しかも、厚岸へ向かうその道が素晴らしかった。なだらかな丘陵がいくつも折り重なるようにして地平線まで続き、そこへ麦やジャガイモやキャベツ畑が色分けされたテクスチャを張り付けたように広がっている。その遠大で広大な風景の中を縫うように道はうねり、落ちくぼんだ谷間から一気に稜線へと、ジッパを開くようにバイクが駆け上がっていく。興奮を抑えきれずにバイクを停め、陶然となって立ちつくす。最高の気分だ。

 空は雲に覆われたままだったが、雨は完全にあがっていた。レインウェアを脱ぎ、グロウブを着け、厚岸を目指して走り出す。厚岸で国道四四号線を横切り、霧多布大橋を渡り、目的の牡蠣を食わせる店に到着する。
 前回も前々回も、牡蠣や巨大に育ったアサリを食うために立ち寄っており、今や定番となったこの店で牡蠣フライ定食を食う。サックリとした歯ごたえの衣に閉じこめられていた熱々の牡蠣の汁が口の中に飛び出す。アサリ汁の旨味と熱さとが、じんわりと体の隅々にまで染み渡る。美味い。厚岸まできてこれらを食わないのは、犯罪に等しいとさえ思う。それほどまでに、厚岸の牡蠣とアサリには思い入れが深い。

 国道四四号線まで引き返し、今度は根室を目指す。実際には、根室というよりは花咲蟹を目指していた。根室まできて花咲蟹を食わないヤツは大馬鹿野郎だ、と言ってしまう。花咲蟹こそがキング・オブ・カニである、とまで言い切ってしまう。花咲蟹を食うただそれだけのために、根室まで来てしまう。それほどまでに、根室の花咲蟹には思い入れが深い。
 厚床から根室へと続く長く退屈な道を走り続けているうちに、着衣がいくらか乾いてくる。このまま天気が持ってくれることを願うが、なんとなく空が暗さを増したように感じる。雨は嫌いだ。どうかひとつ、なんとか頼まれてはくれまいか。道東の空よ。
 考えていた時間通りに根室駅前に到着するが、菊池のバアちゃんの店が閉まっていて、がっくりとうなだれる。バアちゃん、生きてるか?
 結局、路地を入ったところの蟹屋で友人達のために花咲蟹を買い、発送をお願いする。もちろん、今夜自分達が食うための蟹も忘れずに買い込み、それから蟹屋の向かいのスーパーで夕食の食材を買い、それらをバイクに積んでいるところで雨が落ちてきた。だぁっ。やっぱり雨なのね。チキショゥ。
 再びレインウェアに身を包み、来た道を厚床まで引き返す。辛い。頭の中では何故だかビートルズの曲が鳴り響いている。歌う。辛さを誤魔化すために歌うが、それも虚しい。ただ、辛い。
 厚床から別海方面に、風連湖畔を北上する。覆面パトカーに捕らえられている車を何台か見かけ、ビビリミッターが効いてスピードを上げられない。雨は強くなったり弱くなったりを繰り返すばかりで、決して止みはしなかった。右手に海が見え始め、目的地の尾岱沼が近づいたことを知る。あと少しだ。

 ずぶぬれになったまま、尾岱沼青少年旅行村の受付で、バンガローへの宿泊申込書にペンを走らせる。受付を済ませ、バンガローに濡れたままの荷物を放り込み、来た道を少し引き返したところにある銭湯までバイクを走らせる。雨はまだ降り続いている。
 雨の中、露天風呂でゆったりと湯に浸かった後、漁港のそばの海産物屋で茹でたホッカイシマエビを買う。すると店のおばちゃんが、閉店間際だからと言いながら生のホッカイシマエビと干した氷下魚(こまい)をおまけに付けてくれた。ツイてるぜ。
 旅行村まで引き返し、洗濯物を管理棟のコインランドリーに放り込み、座敷に上がり込んでアイスクリームを舐める。開け放した隣の座敷では他のキャンパー達によって宴会が始まっており、一緒に飲ろうと誘われる。とそこで受付の女性に声をかけられ、手違いで予約の入っているバンガローを貸してしまったので、料金は同じで構わないから大きな別のバンガローへ移動して貰えないか、とお願いされる。そちらの人達に空いているバンガローに入って貰えば良いのにと思いつつ、連泊するのかも知れないと一人で勝手に納得し、軽トラックで荷物の移動を手伝って貰い、引っ越しを完了する。
 このバンガローは前回車で来た時に泊まったところで、俺達が最初に入ったバンガローの三倍の値段だった。広さは四倍。ラッキー。
 ところがこのバンガローのテラスに、他のキャンパーが乾かすために広げたと思われるテントが一張り置いてあり、ほどなくしてそれらを片づけにおっちゃんと女性がやってきた。良く見ると彼等は、隣の座敷で宴会をしていた人達だった。
 ここにそれが置いてあっても無くても俺達にはなんの影響も無いと説明し、そのままで構わないとおっちゃんと女性に告げ、座敷に戻って乾燥機に入れた洗濯物が乾くのを待った。すると今度は是非一緒に飲み食いしようと隣の座敷に連行され、地元の漁師が味付けしたという茹でたものと、焼いたホッカイシマエビをご馳走になる。これがなかなか美味であった。
 それから暫く話し込み、洗濯物が乾いたのをきっかけに、おっちゃんらに別れを告げてバンガローへ戻る。俺達の夕飯はこれからなのだ。

 飯ごうで飯を炊き、レトルトの角煮を湯で温め、茹でたキャベツを添えて一気に食う。明らかに買い過ぎだと思われる茹でホッカイシマエビにも手を出すが、その量の購入を強烈に主張したぶんちゃんに責任を取って貰うことにして、ほどほどで止めておく。なんせまだ花咲蟹が残っているのだ。そう言えば生のホッカイシマエビもまだ残っている。氷下魚も。
 花咲蟹をしゃぶるように食べ尽くし、だだ広い部屋で大の字になって寝転がる。部屋中に荷物が散乱していたが片付ける気にもならず、明日の走行ルートを相談しているうちに眠りに落ちた。手が蟹臭い。雨がまた激しくなったようだった。


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