1999/3/3
のんびり行こう


 夕食の片づけを終えた頃には、空は分厚く暗い灰色に染まっていた。風はますますその強さを増して行き、キャンプ場内の木々を激しく揺り動かすまでになっていた。テント内に引きこもり、携帯ラジオのスイッチを入れると、堅い男性の声がニュースを読み終え、天気予報が始まるところだった。
「まずは概況です。大型の台風×号は、現在、北海道南部を通過中です。中心付近の気圧は……」
 台風直撃だった。よりによって北海道上陸初日に、なんということだろう。実はこの年は、台風の当たり年というやつで、その後の俺の旅において何度となくその行く手を阻むことになる。

 やがて大粒の雨がフライシートを叩く音が聞こえはじめ、吹き荒れる風が、俺と俺のテントを襲った。さっきの二人組のことがちらと頭をかすめたが、一瞬であった。それよりも、フライシートの隙間から侵入してくる雨水に浸かりながら、テントのフレームがいびつに歪むのを、両手両足で支えるのに必死だった。
 小一時間もそうしていただろうか。風が緩やかになり、雨音もだいぶ細かくなってきた。なんとか持ちこたえることができたのだが、テント内は燦々たる有様だった。火器類だけはなんとかビニール袋に退避したのだが、シュラフが濡れてしまっていた。こまごました装備も、テントの隅にできた水たまりの中に水没してしまっている。雨が止んだのを確認してから装備を一旦外に出して、タオルで一つ一つ丁寧に拭いていく。幸運なことに、シュラフは丸めたままだったため、どうやら濡れたのは外側だけだったようだ。
 全ての装備品を拭き終わり、テントを固定していたペグを引き抜いてテントを逆さまにし、テント内の水を外に出した。再びテントを固定し、テント内の水分を拭き取る。ようやく全ての作業を終えて煙草に火を着けて空を見上げると、さっきまでの重苦しい空が嘘のように晴れ渡り、綺麗な星空が見えた。

 暫くしてさっきの二人組が帰ってきて、水没したテントを見て愕然としていた。「凄かったですねぇ」と、他人事のように無邪気に言う彼等が、かえって哀れに思えた。
 彼等は食堂で夕食を摂っていたらしいのだが、あまりの風と雨に身動きできず、食堂で雨宿りさせて貰っていたらしい。水没した彼等のテントをさっきと同じ手順で復旧させるのを手伝い、それを終えた頃にはもう午後九時を過ぎていた。ユースの風呂は午後九時までとの話だったのだが、駄目元で行ってみようということになり、バイクを連ねてユースへ向かった。が、無情にも風呂は終了したと告げられ、結局風呂を諦めてキャンプ場に戻った。
 憂さ晴らしに一杯呑ろうということになり、一番大きな俺のテントが宴会場と決まり、彼等が持参した酒と肴が持ち込まれた。

 二人は大学の同級生で、今回が初めての北海道だと言う。一週間の予定で走れるだけ走り、帰りは苫小牧からフェリーで帰る予定だと言った。一週間ではとても全部は回りきれないだろうと言ったのだが、取り敢えず宗谷岬と納沙布岬のそれぞれ日本最北端、最東端には行くことにしているのだそうだ。
 これ以上進めない、という所まで走らないと気が済まないのだろうか。バイク乗りは一様に、岬めぐりが大好きである。その後もバイクやツーリングについて熱く語り、結局彼等が持ち込んだウィスキーを一瓶と、ヨウラの社長に餞別に貰ったバーボンを半分ほど空けたところでお開きとなった。

 翌朝午前七時にはもう、出発の準備を整えていた。バイクのエンジンを暖気していると、眠たそうな目を擦りながら彼等がテントから這い出してきて、お互いの旅の無事を祈る言葉を交わし合い、地元に来る際にはぜひ立ち寄って欲しいと、彼等の住所と電話番号を手帳に書き記してくれた。
 同じバイク乗りであるというだけで、見方によっては妙に馴れ馴れしい態度を、不快に思う人もいるかもしれない。それでもやはり、見知らぬ人達との出会いと別れは、旅先での一番の醍醐味だと思う。
 彼等に見送られながら走り出したところで、ふと、一期一会という言葉が頭に浮かんだ。偶然と必然とを繰り返しながら、旅は続く。たとえ今は見知らぬ他人でも、明日は共に酒を酌み交わす仲間かも知れない。でも明後日にはまた、見ず知らずの他人のふりで旅立ち、また誰かと出会う。出会いは財産だ。時には励まされ、感心し、喜び、悲しみ、怒り、笑う。人生の殆どの時間を、何かに縛られて生きなければならないのならば、せめて今だけは、束の間の自由な時間を共に笑いあえる誰かと過ごしていたい。

 やがて、長万部から室蘭に至る海岸沿いの国道に出た。片側一・八車線ほどの広さの道路をのんびりとバイクを走らせていると、地元ナンバーの車に次々と追い抜かれていく。のんびりとは言っても、一般道の法定速度+αは出ている。主婦らしき女性が運転する軽自動車も、はちまきを締めた厳つい顔のオヤジが運転する大型トラックも、皆、時速百キロ近い速度で走っていく。特に大型トラックに追い抜かれるのが恐怖だった。道幅は二車線近くあるのだが、トラックが横を追い抜く度に負圧で吸い寄せられ、後続の車に追突されそうになる。景色を眺めながらゆっくり走りたかったのだが、さすがに命の危険を感じてやむなく、ハイペースな車の流れに乗って走ることにした。

 ホクレンのガソリンスタンドで、『北海道'91夏』と印字された、青と黄のツートーンのホクレン旗を貰う。バイク雑誌などで読んで知ってはいたが、お目にかかるのは、これが初めてだった。妙に照れくさかったがそれでも、荷物にくくりつけて走り出すと、やっと一人前の北海道ツアラーになれたようで、ほんの少しだけ誇らしかった。
 北海道を走っていて一番驚いたのは、車中からもピースサインが出されることだった。バイク同士であれば、すれ違いざまにピースサインを交わすことは珍しくないのだが、本州を走っているときに車中からピースサインを出されたことはなかった。
 最初は驚いてすぐにはピースサインを返せなかったのだが、やがてそれにも慣れてゆき、一様に明るい車中の人達の笑みに応えることができた。しかし、季節はずれとは言えバイクの姿もまだまだ多い。左手は殆どV字を保ったままで、右手だけでバイクを走らせなければならないのには少し辟易した。これが夏真っ盛りのハイシーズンだとどうなってしまうのだろう、とくだらないことを考えているうちに、長万部に到着した。

 毛蟹を、実家と宮城の叔母の家とに送る手続きをして、おまけに貰った蟹と売店で買ったおにぎりとで早めの昼食を摂り、再び走り出す。
 室蘭の少し手前辺りから、右手に海が見えるようになる。緑色の海だ。初めて見る、不思議な色をした海だった。シールドを開けてみても、思っていたほど潮の香りはしなかった。穏やかな水面は、まるで湖のそれのようにも見えた。
 苫小牧を過ぎると、車の数もまばらになっていった。そこから門別へと向かう道の両側では何かの造成工事を行っているようで、酷く殺風景で退屈な景色が延々と続いた。その工事区間を抜けると今度は、柵の中で草を噛む馬や牛ののんびりした姿を見ることができるようになる。その姿を見て、いつの間にか先を急ごうとしている自分に気が付いた。慌てることはない、のんびり行こう。日没までにはまだだいぶ時間があったが、国道を少し入ったところにキャンプ場を見つけ、荷物を紐解いた。

 テントを立てるのも買い出しも後回しにして、草むらに寝ころんで空を見上げた。
 遮る物の何もない真っ青な空を、雲がゆっくりと流れていく。目を瞑ると、瞼の裏側が暖かかった。


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