1999/2/17
地図はいらない


 想像していたよりもずっと、海上は寒かった。陽射しはまだ夏のそれだが、風が冷たい。左舷には津軽半島が、右舷には下北半島が見える。時折、太陽が雲に隠れ、遙か彼方から海面に無数の宝石を散りばめながら、ゆっくりとまた顔を出す。船首に近い甲板でずっと、海とその向こうにある未だ見ぬ大地を凝視していた。
 一時間ほどもそうしてから船室に戻る。ガイドブックの類は一切持って来ていなかった。そんなものに頼る必要はなかった。自分の五感で感じ取れるものが全てだと思っていた。地図と呼べるものは、二十万分の一の全日本地図一冊だけだった。だがそれさえも、これから走るルートを確認するためには使っていなかった。ルートはその時の気分で決めていたし、地図は専ら今現在自分がどこにいるのかを確認するためと、寝泊まりする場所を探すためだけに使っていた。だが、この時ばかりは少し違っていた。北海道の頁を広げて、何と読んだらいいのかさっぱりわからない地名とにらめっこしながら、やがてそこを走るであろう自分とバイクの姿を想像するのに夢中だった。

 実は、二十万分の一という縮尺の地図を選んだのには、訳があった。まず、十万分の一の縮尺の地図では、日本全国を網羅するために、単純に考えて二十万分の一の縮尺の地図四冊分以上の厚さが必要だということ。俺の使った地図の厚さが約一・五センチ。その四倍ということは、約六センチもの厚さの地図が必要な計算になる。もっとも、日本全国を網羅した十万分の一の縮尺地図自体、お目に掛かったことはないのだが。
 その縮尺では大抵、日本をいくつかのブロックに分割して出版されるのが普通だ。ただでさえ、衣食住の全てを賄う装備を少ないスペースに押し込んでいるのに、たかが地図ごときにその貴重なスペースを割くことはできなかった。地図などは、あったら便利だが、無くても案外困らないものだ。特に日本では道路標識の整備が進んでいるせいで、表示されている地名がどこに向かっているのかさえ把握できれば、地図はいらない。ましてや、宛のない旅を続ける者にとって、効率を求めるためのそれには、さらにその必要性を感じ得ない。進めなくなったら、引き返せばいいだけの話だ。どうしても地図が必要ならば、ガソリンスタンドで貰うか買うかすれば良いのだ。
 その地図を選んだもう一つの理由は、北海道を走るのに備えてのことだった。十万分の一程度の縮尺では、都市部を除いて、北海道ではあまり役に立たない。一頁中に、道路が一本と等高線だけ、というような場合が多いのだ。特に道北では、次の給油ポイントをしっかり押さえておかないと命に関わることもあり得る。ただでさえ航続距離の短いバイクで走るのだから、ガス欠には、慎重すぎるほど気を使った。ガソリンが半分を切ったところでガソリンスタンドを発見したら、躊躇無く給油するようにしていた。それでも、日曜祭日は休みのスタンドが多いので、そういう日はなるべくそうした場所を走らないようにしていた。

 幾度と無く頁を繰りながら地図を眺めているうちに、あっと言う間に函館港に着いてしまった。実際には五時間ほどもかかったのだが、本当にあっと言う間という感じだった。
 やがて、鈍い揺れとともに船が接岸し、下船の準備を指示するアナウンスが流れる。広げていた地図をタンクバックに収め、ヘルメットを手にとって、またあの鉄製の階段を、今度は船倉へと降りていく。
 すでに、バイクを固定していたロープと輪止めは外されており、気の早い何台かのバイクには、エンジンに火が入っていた。俺は荷物を括り直し、ヘルメットとグローブを着け、エンジンは掛けずにその時を待った。
 やがて、ゆっくりと幕が開くように船倉のゲートが開いていき、青い空と眩しい夏の陽射しが、オイルの臭いが充満した暗闇を照らし始めた。無数の塵がキラキラと漂う中を、一台また一台とゲートを下っていき、遂に俺と俺のバイクは、待ち焦がれていた北海道の地を踏んだ。
 フェリーターミナルの駐車場でバイクを止め、エンジンを暖気する間に煙草に火を着け、フェリーの方を振り返ると、巨大なコンテナを連結したトラックが次から次へと船倉から吐き出されてくるところだった。海風が目に滲みて、少しだけ涙がこぼれた。

 港内のだだっ広い道路を、国道へ向けてバイクを走らせる。船の中で散々考えた挙げ句、その日の宿泊場所を大沼公園にすることを決めてあった。時間はある。まずは風呂に入ってビールでも呑んで、北海道に乾杯しよう。
 ほんの三十分程で大沼公園キャンプ場に到着する。荷物を降ろし、テントを張って、道路を挟んだ向かい側にあるバラック小屋のような売店へ買い出しに行く。
 薄暗くカビ臭いその小さな店では、老人が一人きりで店番をしていた。こちらの言うことがよく聞き取れないらしいうえに、何を喋っているのかもよく聞き取れない。食料とビールとの引き替えに代金を支払うことでのみ、その老人とのコミュニケーションが成立した。
 店を出るときに、「ありがとうございました」と老人が言ったように聞こえた。実際には、そうは聞こえなかったのだが、確かにそう聞こえたような気がした。

 テントに戻り、魚肉ソーセージをビールで流し込みながら、改めて辺りを見回してみる。九月も中旬になると、バイクの姿もまばらだ。と、俺のテントから少し離れた場所に、見覚えのあるバイクが停まっているのが見えた。フェリーで一緒になったバイクだ。俺の視線に気づいたその二人組が、満面に笑みを浮かべながら近づいてきて、言った。

「フェリーで一緒だった方ですよね」
「ええ」
「どちらからですか」
「千葉です」
「そうですか。僕等は群馬なんですよ」
「へえ」
「今から買いだしに行くんですけど、夕飯食べたら、一緒に風呂に行きませんか。近くにユースがあって、そこの風呂が使えるらしいんですよ」
「ぜひ」
「それじゃ、また後で」
「それじゃ」

 そう言い残して、彼等はバイクに跨り、夕食の買い出しに行ってしまった。
 俺は炊事場へ行き、米を研いで、夕食の支度を始めた。飯盒で米を炊く間にコンビーフとキャベツを炒めて、飯が炊きあがる前にビールをもう一本空けた。さっきの二人組は、俺が夕飯を終える頃になってもまだ戻らなかった。そのうちに急激に辺りが暗くなり初め、風が出てきた。文字通り、怪しい雲行きだった。


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