1999/10/15
走り続けて


 体が言うことを聞かない。変わりばえのしない景色の中を、ただ淡々とバイクを走らせていると、そんな風になることがある。ライダースハイとは違って、意識ははっきりしている。自分がどんな状況に置かれているのか、行く先に危険はないか、目の前に迫るコーナーをクリアするために何をすべきか。そういった事柄については知覚している。流れ行く景色を愉しむために視線を巡らせることだって出来る。もちろん、ブレーキレバーを握ったりクラッチを操作したりといった、バイクを走らせるための基本的な動作を行うのに支障がある訳でもない。
 それでも、頭で考えた通りに体が動かないことがある。それは往々にして、身体的な苦痛を緩和するための動作であることが多い。例えば、空腹であるとか、トイレに行きたいとか、雨に濡れて不快であるとか、頭が痒い、背中が痒い、尻が痒い、女が欲しい金が欲しい名誉が欲しい、といった、ごく日常的な不快感を伴う状況に於いてである。
 バイクを停めればいいのだ。バイクから降りて、少しの間だけ、それらを解消するために時間を使えば良いのだ。なのに、それが出来ない。頭の中では、向こうに見えるラーメン屋に入ろう、あの茂みでちょいと用を足そう、合羽を着よう、荷物からテントのフレームを取り出して背中を掻こう、女だ金だ名誉だ、と考えてはいるのだ。でも、やっぱり駄目なのだ。バイクを停めようと思っていても、体が言うことを聞かない。ブレーキを握って、シフトダウンしてクラッチを切り、バイクを路肩に寄せて足を出して止まれば良いだけのことが出来ない。
 風連湖畔の道を、根室から釧路へ向けて走っている時がそうだった。信号もなく、前後を走る車も対向車線を走る車もなかった。空は晴れ渡り、雲がゆっくりと浮かんでは千切れていく。乾いた風が、ヘルメットやジャケットの中を巡り、道はどこまでも果てしなく続く。
 とても幸せな時間だった。数を数えるように呼吸するたびに、体中のあらゆる血管を通して酸素、それもとびきり若くて青々しいそれらが行き渡るのを感じる。そしてその時間は、永遠に続くものだと思っていた。アクセルを握る右手が、エンジンや路面から伝わる細かな振動で痺れかけている以外には。
 腹が減ったりトイレへ行きたいという欲求よりも、このままバイクで走り続けていたいと思う気持ちの方が強く、バイクを停めることによって、この至福の時がスポイルされてしまうのを恐れているのかも知れない。しかし、いつかはバイクを停めなければいけない訳で、なんとか意志通りに体を動かそうとするのだが、そんな時にはなるべく、飲み物の自動販売機のある場所にバイクを停めることにしている。
 ところが、走っても走ってもいくら走っても自動販売機が見当たらない。ついでに言えば、民家も、つまりは人工的な建造物すら見当たらない。道路脇の電柱と電線を除いては。いつまで経っても停まれない、止まらない。でも、だからと言って慌てたりはしない。別にどうでも良い。むしろ、出来れば止まりたくはないのだから。

 厚岸から弟子屈へ向かう道に入り、摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖を巡るが、どこも観光客で一杯で、煙草一本を灰にしただけで立ち去った。
 阿寒湖から二四一号線に入り、オンネトー近くの雌阿寒温泉に寄る。阿寒湖畔の温泉街とは、その賑やかさを較べるべくもないが、遙かに居心地が良いのは確かだった。
 旅=温泉という風潮には些かの異を唱えたいのだが、北海道をふらふらと巡っていて風呂に入りたいと思うと、どうしてもそれは温泉となってしまう。まぁ、温泉でない公共浴場を探すのは、北海道でなくとも難しい昨今の状況ではあるが。
 温泉で汗を流し、再びバイクで走り出す。そこからすぐ側のオンネトー湖でバイクを停め、そのどこまでも深く緑色の湖と、そこから望む雌阿寒岳の美しさに心を奪われていた。
 その場から動けなかった。立ち去ることが出来なかった。さっきまで、あれほどバイクを停めることに抵抗を感じていたのに、今はバイクに跨ることにすら罪悪感を感じていた。それほどに美しい景色だった。
 オンネトーを後にし、国道と平行に走る山道を進む。陽はまだ高いのに、道の両側の木々が陽射しを遮り、風呂上がりの体を乾いた冷気が撫でていく度に身震いした。暫く走って漸く国道へ出ると、ふと尿意を覚え、バイクを停めて草むらへと歩く。
 こうして何度もバイクに乗ったり降りたりを繰り返すと、気持ちが良くて体が動かない症候群の呪縛から解き放たれて、ほんの些細なことでバイクを停めるようになる。というか、バイクを停めることに抵抗がなくなる。
 こうなるともう距離は伸びない。バイクに乗っている時間よりも休憩している時間の方が長くなり、これ以上走るのを諦めて、早々と今夜のねぐらを探すことにした。
 足寄から帯広へ向かう道の途中にキャンプ場があるのを地図で確認し、そこへと向かう。足寄で夕食と朝食の食材を買い込み、ついでにバイクに給油してやる。
 髪が長い頃の松山千春の大きな看板に苦笑しながら、二四二号線を南下するために、バイクを左へと傾けた。目の前の道は、どこまでも真っ直ぐ続いているように見えた。


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