第91 実証なき歴史研究

 

表に出てきた「正しい歴史」への批判的見解

拙論第16題 「歴史」を学ぶことの疑問では、「正しい歴史」なるものを呼号する在日活動家たちの歴史観が実証を軽視するものであって、従って歴史学から程遠いと批判した。

 

 歴史学は歴史資料の詳細な検討の上でその歴史像を明らかにしていくものであるが、「正しい歴史」なるものが、歴史資料の十分な発掘・収集・検討のないまま一人歩きしている。従って、概説書でなくちょっとした専門書や資料集を読めば、「正しい歴史」に相反する資料が数多く見当たることになる。しかし「正しい歴史」に疑問を呈すると、「おまえは朝鮮を差別する意識があるから真実が見えないのだ」「そんなことでは歴史をやっている意味はない。何のための、誰のための歴史か」と言われたことがある。「正しい歴史」は主観的情緒的な歴史観に基づくもので、実証を軽視したものと言わざるを得ない。この歴史観を有すると、最初から結論のある「歴史」があるのみで、その「歴史」に合わせて資料を恣意的にピックアップしていくことになる。それは歴史学とは程遠いものである。

 

 この体験は1970年代後半のことで、これをミニコミ誌に書いたのが1990年代前半、さらに本HPで公表したのが6年前の2000年のことである。

 これと同様の体験と感想は、韓国・朝鮮に係わる多くの人が昔も今も持つもので、従ってまた同様に厳しい批判的見解を有する方が多い。けれどもそういった意見が表に出ることはなかなかなかった。そして近年ようやく出てくるようになったという印象を持っている。最近では次のような対談が発表されている。

 

関川: ‥‥先方(韓国人)が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないことは認識しておかないといけない。

古田: 日韓歴史共同研究委員会も似てますよ。‥‥日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴る。‥‥さらに、「資料をみせてくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。

関川: 歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。‥‥

古田: 民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。

櫻井: それは韓国の大学の歴史研究者ですか。

古田: イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。要するに「自分が正しい」というところからすべてが始まる。実はこの「自分が正しい」という命題が実証不可能なんです。この思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想にほかなりません。

櫻井よしこ・関川夏央・古田博司「韓流“自己絶対正義”の心理構造」

(文藝春秋『諸君!』20064月号 6970頁)

 

 韓国における歴史研究の現状については、日本ではかつて陰でコソコソ言うことが多かったのだが、近頃ではこのように批判を公言するようになってきたといえるだろう。

 

実証なき歴史研究―かけ離れる「実証」の意味

韓国や北朝鮮、そして在日活動家に至るまでが、実証のない「正しい歴史」に終始している。これを韓国では「民族史学」と言い、歴史研究の主流となっている。これについて当事者自身から論じているものはないかと探してみたら、姜萬吉「光復30年国史学の反省と方向―“民族史学”論を中心として」という論考があった。そのなかで主なところを紹介する。

 

解放後30年間の国史学の‥実証的な面の業績は量的にも質的にも相当な水準に達したものと言える。‥‥

解放直後には、いわゆる日帝「植民史学」と「実証史学」的学風の影響のために、「民族史学」が大きくうきぼりにされえなかった。しかし国史学会がおちつくに従って、「植民史学」の毒素をとりのぞく問題、民族主体史観を樹立する問題などと関連して、「民族史学」が国史学界の主流となって行ったのである。‥‥「実証史学」的学風からの脱皮と「植民史学」の排撃を課題とした解放後の国史学界で、「民族史学」の伝統が強調されてその史観が継承されたのは当然だと思う。‥‥

「民族史学」は、解放前に「実証史学」からは非科学的という批判を受け、「社会経済史学」からは神秘主義、国粋主義的という批判を受けた。‥‥しかし解放後の国史学界では民族史学を肯定的に受容しようとする傾向が高まった。それは独立運動の一環としての史学、異民族の侵略のもとで民族精神を鼓吹した史学、植民史学の影響を拒否した主体史学、などと評価されたのである。このような評価は不当なことではない‥‥

歴史学は、どの分野の学問よりも、正しい時代精神をまず把握して、そのための理論を定立することができる時に、その本来の価値が現れるのである。

‥‥近代ナショナリズムがもつこのような意味の変化は、民族の意味にも、また「民族史学」の意味にも適用されて、国民主義的「民族史学」でなく民族主義的「民族史学」へ転換されなければならず、このことこそわが国史学界が当面した最も重要な課題のひとつであり、また方向のひとつだと言えよう。またそのなかから、民族統一のための真正な指導原理が抽出されうるであろう。

(学習院大学東洋文化研究所『調査研究報告bP』1977年3月 1〜7頁)

 

 韓国の「民族史学」は実証主義から離れ、「正しい時代精神」というイデオロギーを主張するものである。彼らにとって「実証」とはイデオロギーを証明するための作業にしか過ぎず、これに反する歴史事実はあってはならないこととなる。彼らの「実証」の意味は、われわれが思うところと余りにもかけ離れている。

日本人がこの「民族史学」に実際に接すると違和感の大きさに驚き、さらに韓国人側の自信に満ちた態度に逡巡するだろう。民族主義を追求する韓国の歴史学と、歴史事実を追求する日本の歴史学との違いはあまりにも大きい。これまで多くの日本人は日韓に波風を立ててはならないと敬して遠ざかり、一部の日本人が日韓の友好のために土下座しつつすり寄った。しかし最近は前節のように真っ向からぶつかろうとする人が出てきている。この方向性はさらに促進・拡大してほしいと願う。

ところで韓国の「民族史学」はこれからどこに向かうのか。実証なき「正しい歴史」研究をいつまでも続けていくのだろうか、実証主義的研究が主流になることはないのだろうか、ひょっとしたら実証のないことでは更に抜きん出た北朝鮮の「革命伝統」という歴史に融合していくのだろうか、‥‥‥興味をもつところである。

 

 

(参考)

朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」に、北朝鮮の歴史研究水準を示す記事がありました。

 

朝鮮史をわい曲する「新しい歴史教科書」

日本の中学校で2006年から使用することにした「新しい歴史教科書」に過去、自国の御用史家が甚だしくわい曲した朝鮮史を記述して人々を驚がくさせている。

 周知のように20世紀初、朝鮮を不法に占領した日帝は植民地支配を正当化し、朝鮮人民の民族精神を抹殺するため朝鮮歴史わい曲行為に狂奔した。

 その代表的な一例が、朝鮮は歴史的に他国に従属していたということを「根拠」づける反動的な「漢四郡」説と「任那日本府」説である。

 その骨子は、漢の武帝が紀元前108年に古朝鮮を滅ぼしたあと、平壌を中心とする北西朝鮮一帯に植民地「漢四郡」の一つである楽浪郡を設置し、漢江以南の地域は日本「大和朝廷」の統治機構である「任那日本府」が数百年間も統治したということである。

 しかし、御用史家のこのようなき弁は解放後、朝鮮の歴史学界によって余すところなく論ばくされた。

 「漢四郡」は朝鮮半島ではなく、遼東一帯にあった。              

 日本が厳然たる史実によって久しい前にその荒唐無けいさが露になった「漢四郡」説と「任那日本府」説を再び持ち出したのは、自国の朝鮮侵略と再侵略野望の実現に合法的なベールを被せようとする反動的行為である。(朝鮮通信)

[朝鮮新報 2006.3.25

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/-2006/04/0604j0325-00005.htm

 

漢四郡のところは全くの間違いです。漢四郡は紀元前108年に漢の武帝が衛氏朝鮮を平定して設置した四つの郡(楽浪・真番・臨屯・玄莵)です。これを否定すると、ピョンヤンで発掘調査されてきた楽浪漢墓は漢人の墓でないことになってしまいます。また女王卑弥呼の使節が往来した帯方郡(3世紀初めに楽浪郡から分立)は朝鮮半島ではなく遼東地方にあったことになります。

「朝鮮は歴史的に他国に従属したはずがない」という民族主義的イデオロギーから、中国側資料や考古学的資料等に基づく歴史事実を否定するものです。このため、「楽浪国」という朝鮮民族の国があったという荒唐無稽の説まで唱えられています。韓国でも漢四郡については、そこまで言わない。やはり実証のないことでは北朝鮮はさらに抜きん出ています。

「任那日本府」については、いずれ論じたいと思います。

 

(参考)

北朝鮮にすり寄る日本人研究者 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/07/05/433161

 

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