第16題「歴史」を学ぶことの疑問

正しい「歴史」を学べ

 8月15日は日本の敗戦の日であり、同時に朝鮮の独立の日でもある。この日は日本の各地でいろんな行事が行なわれる。

 92年8月20日付けの毎日新聞によると、兵庫県に住む兪英子さんという在日二世が、その日の講演で次のような内容を語っている。

 

「(日本の)大臣が植民地を正当化するような暴言を吐く度に、それを正すのはいつもアジアからの声。日本人にも心を痛めている人がいるでしょう。しかし声にはならないし、行動にならない。国家が日本人をしばるクサリになっていませんか。「違う」と言っていく。そういうことがなければ、この国をだれが解放していくのですか。‥‥日本を問い続けていく‥‥国を問い続けることなく、私たちは豊かな関係を回復できないのではないか。歴史がそのことを教えている。」

 

これに類する発言は、私自身、在日朝鮮人の口からよく聞かされてきたし、朝鮮問題についての本にも書かれてある。ミニコミ誌『同和はこわい考通信』17号の崔文子さんの文章のなかでも

 

「これから(日本と韓国の良い関係)を作るために、過去の正しい認識が必要だと云いたいのです。そうでないと、在日韓国人、朝鮮人が、日本人には見えないと思うのです。」

 

というのがある。これに同調する意見も『同通信』21号に載っている。こういう所で語られる「歴史」とか「過去の正しい認識」というのは一体何だろうか。日本と朝鮮との「豊かな関係」「良い関係」をつくるために学ぶべき過去の歴史とは何なのか。

私は朝鮮に関する本をわりとたくさん読み、それについての講演もよく聞いた方だと思うが、朝鮮問題で「正しい歴史認識を!」という主張がある場合、朝鮮人が言うにしろ日本人が言うにしろ、それはごく簡単にまとめると、次のような「歴史」をいう。

 

古代では朝鮮は遅れた日本に文字や仏教、学問を教えてきた。また大土木技術をもって日本各地を開発し、さまざまな優れた美術工芸や文化財を持ってきた。日本文化というのはすべて朝鮮から渡来したものだ。文明先進国であった朝鮮人が野蛮な日本人に文化を教えてやったものだ。日本人が尊敬してやまぬ天皇家や古代貴族はもともと朝鮮からの渡来人なのだ。朝鮮は日本に文化をもたらせた大恩人なのだ。

ところが明治以後の日本は西洋文明の摂取に狂奔し、それまでの恩を忘れて朝鮮を侵略した。忘恩背徳の日本はついには朝鮮を植民地化して、36年間にわたり朝鮮民族を搾取・収奪し、弾圧し、民族性を奪うなど、武力による朝鮮の抹殺を図った。日本は第二次大戦で敗れ、朝鮮は解放されたが、日本人は一貫して朝鮮民族を蔑視し、差別し続けてきた。また日本は、朝鮮戦争に便乗して経済復興をなしとげ、日韓条約締結によって韓国に進出し、再び搾取・収奪を始めた。日本は朝鮮を踏み台にして経済発展し、現在に至っているのだ。

 

私なりにまとめてみたのだが、概ね間違いないと思う。こういう「歴史」を聞かされたら、数年前までの私なら、呉善花著『スカートの風』(三交社)のなかに出てくる「日本の識者」と同じように、

 

「韓国人は戦前に日本がやったことをいまだに忘れてはいない。そうした日本人に対するうらみがひとつの国民感情のようになっている。確かに、日本は韓国人に対してひどいことをやったのだから、うらまれても非難されても当然のことである。私たち日本人はそうした韓国人の気持ちを素直に受けとめ、深く反省し心から謝罪する必要がある。」

 

と、物分りのいいところを言って見せただろう。しかし、いつまでもこんなことでいいのか、と疑問をもつようになってきた。

 

「歴史」を学ぶことの疑問

疑問1

 「歴史」というのは、加害者(=悪人)が日本、被害者(=善人)が朝鮮という単純な図式を強調するものである。日本人がこのような「歴史」を知り、殊勝な心掛けを持ったとしても、それが「この国の解放」であるとか「在日朝鮮人が見えてくる」ことにつながるとは、どうしても思えない。それは、朝鮮人が日本人より優位に立つことを確認しているに過ぎないように私には感じられ、とても「良い関係」「豊かな関係」とは思えないからだ。

疑問2

 こんなことも知らないのか、「正しい歴史を学べ」と訴える在日朝鮮人の多くが、ちゃんと歴史を勉強していないこと。ちゃんと歴史を勉強している人がおれば、その人には失礼で申し訳ないと思うが、これは私の経験的事実である。歴史を勉強しろというからには、そう言われる私よりは歴史を勉強し、よく知っているはずと思うのだが、ちょっと詳細な質問をすればわかってしまうことで、彼らは歴史の概説の粗読みしかしていないことが多かったし、全くの初歩的な歴史事実誤認もあった。彼らがこれからより一層歴史の勉強をしようとする気配は、私自身の経験ではなかったと言わざるをえない。

 「日帝の植民地支配は不当だ」という歴史評価を例にとってみよう。「不当」というからにはいろんな内容が考えられる。

 ヨーロッパ諸国はアジア・アフリカ等に多くの植民地をもっていたが、この植民地化の動機より日本の植民地化の動機の方が国際法的に不法だから不当というのか、

ヨーロッパの植民地支配より日本の植民地支配の方が苛酷だから不当だというのか、

植民地化の動機は合法だが植民地支配が苛酷だから不当だというのか、

同じ日本の植民地でも台湾より朝鮮の方が不法性が高い、あるいは苛酷だから不当だというのか、

それともヨーロッパであれ日本であれ植民地化の行為そのものがすべて不当だというのか、

ヨーロッパの国ならともかく、よりによって日本の植民地になってしまったことが不当だというのか‥‥

等々「不当」には様々な内容が想定される。一体どのような「不当」を考えているのか。

日帝の植民地支配の不当性を訴える朝鮮人と少なからず付き合ってきたが、「不当」の中身をつきつめて考える人はいなかった。私の疑問に対し、そういことも考えなあかんねえ、と少しでも賛同してくれる人はわずかであった。むしろ、それは君たち日本人が究明せねばならないことだ、と突き放して言う在日朝鮮人の方が印象に残っている。

疑問3

 日本人にとって朝鮮人との関係というのは、具体的には同級生・近所・同僚・友人等といった日常生活のなかでのものであるが、そこに加害・被害の「歴史」を思いながら付き合おうとすると、人間関係がしんどくてかなわない。私自身の経験でも、何かあったら「私を朝鮮や思うてバカにしてるのや」とわめくように言う人を見たことがある。また、ある職場に在日朝鮮人が本名で就職してきたら、その人はしょっちゅう「歴史」や「民族差別」の話をして日本を糾弾する、自分が都合の悪い時に特にそうだ、というような話を聞いたことがある。「歴史」を知る日本人は、こういう朝鮮人に「そうではない、あなた自身にこういう悪い点があるからだ」とはなかなか言いにくいものだ。またこういう人でなくても、「歴史」を教えられた日本人にとって朝鮮人とは、腫れ物にさわるかのごとき付き合いになってしまうものだ。ふだんの人間関係に「歴史」を持ち込むことは、かえって人間関係をややこしくする。

疑問4

 この「歴史」の故に日本人は我慢せよ、という考えになることがある。何年前であったか、金賢姫らの大韓航空機爆破事件に関連して、北朝鮮工作員が日本の海岸などで日本人アベックらを拉致し、北朝鮮に連行したらしい、という報道があった時、『朝日ジャーナル』の投書欄にある在日朝鮮人が、たとえそれが事実だとしてもたかが十数人ではないか、かつて何十万・何百万も強制連行された朝鮮人のことを考えれば、日本人がとやかく言うことではない、という趣旨のものがあった。また、前述の『スカートの風』のなかにも、韓国で日本人旅行者相手に、あなたたち日本人は昔悪いことをしたのだからといって高値をふっかける話が出ている。私自身の経験では、「歴史」を持ち出して高飛車に出る朝鮮人を実際に見たことがある。かつての日本のとてつもない悪業を思えば、朝鮮人のちょっとしたことぐらいは、どうってことはないと考える人は結構多いようだ。「歴史」を学んだ日本人は、こういうことに我慢せねばならないものだろうか。

疑問5

 歴史学は歴史資料の詳細な検討の上でその歴史像を明らかにしていくものであるが、「正しい歴史」なるものが、歴史資料の十分な発掘・収集・検討のないまま一人歩きしている。従って、概説書でなくちょっとした専門書や資料集を読めば、「正しい歴史」に相反する資料が数多く見当たることになる。しかし「正しい歴史」に疑問を呈すると、「おまえは朝鮮を差別する意識があるから真実が見えないのだ」「そんなことでは歴史をやっている意味はない。何のための、誰のための歴史か」と言われたことがある。「正しい歴史」は主観的情緒的な歴史観に基づくもので、実証を軽視したものと言わざるを得ない。この歴史観を有すると、最初から結論のある「歴史」があるのみで、その「歴史」に合わせて資料を恣意的にピックアップしていくことになる。それは歴史学とは程遠いものである。

 

(追記)

 これは199312月に自費出版で出した『「民族差別と闘う」には疑問がある』のなかの一節の再録です。読み返すと、内容の趣旨はおおむね今も通用するものと思います。

以前に「初歩的な歴史事実誤認」とは具体的にどんなことかと問われたことがあります。例えば植民地時代の朝鮮の学校では朝鮮語が全く禁止されていたと言う人がいました。実際は日本人ではなく朝鮮人が通う学校の方なのですが、朝鮮語の授業が1938年(第三次教育令)までは必修でありました。その年以降は随意科目となりましたが、多くの学校では朝鮮語の授業をやっていました。知り合いの在日一世のおばあさんが「うちのお父さんは朝鮮語と日本語の通訳して、学校でも朝鮮語を教えていたんよ。だからうちの家はハイカラだったんよ。」というお話をしてくださったことを思い出します。

また在日朝鮮人は植民地時代に日本によって強制連行された人々、およびその子孫だと言う人も多くいました。これをアピールする在日の活動家の方の親御さんにお会いしてお話を聞かせてもらったことがありますが、日本で働きたい、日本はいい所だと思ってやってきた、という話で、自らの意に反して連れて来られたということではありませんでした。活動家の方にそのことを言うと、それでも強制連行と言わなければならないのだ、という答えでした。また在日一世の著作家の尹学準氏がかつて、戦後密入国した在日が自分は強制連行されてきましたと講演会で言うのを聞いてビックリした、という話をどこかでお書きになっています。

あるいはまた、創氏改名で日本風の名前を強制されることに抗議して、多くの朝鮮人が自殺した、と言う人もいました。こんな「歴史」を思い込んでしまった人は、20%の朝鮮人は先祖から受け継いだ朝鮮名をそのまま創氏した、という歴史事実を直視しようとしないものです。

ところで植民地史や在日朝鮮人史の研究者では今でも鼻息の荒い人が多く、専門書などをたまに読んでみますが、「正しい歴史」なるものの視点が主流のようです。しかしそういったところから距離をおいて冷静に研究する方は増えているようで、こういった人たちの活躍を期待したいところです。

 

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