2025.12.19
最近、何故かこの曲が頻繁に浮かんできて、どの曲だっけ?と調べた。素晴らしい。ジンと来る。調べたらこのアルバム全体のテーマは「私小説」ということで、ユーミンの個人的回顧録みたいなもので、この曲はそのラストナンバーであった。
1984年頃から、長い通勤の車の中で、気になっていたユーミンの曲を片っ端から借りてカセットテープにコピーして聴いていた。何回も聴くと歌詞が気になってきて、面白くなってきた。
どうしてユーミンだったんだろうと、反省すると、今は何となく理解できるのだが、やや稚拙さの伴うユーミンの声質とその歌の内容の「お嬢様」風の素直な、ある意味では通俗的な、願望の発露とが相伴って、僕の「恋心」をくすぐっていたのだろうと思う。若い女の子と付き合っているかのような、その可愛らしい心の中を覗き込んでいるような気分、とでも言えばよいだろう。しかも、これは不思議な感じなのだが、その心に僕の心を重ね合わせてもいた。当世風の女の子の心の動きにいろいろな「発見」をすることが多かった。このアルバムの中でも有名なのが「デスティニー」であるが、振られた男を見返す為にお洒落をしたのに、安いサンダルを履いていた、という話。ああ、そんな気持ちなんだ、と教わって、新鮮であった。ある意味では研究対象でもあった。
しかしまあ、想像した女性と現実の女性は全く別である。ユーミンは新しい素材を求めて、世の中の流行を先取りして、どんどんと変化していって、やがて僕も聴かなくなった。それに代わって、昔「時代」を歌っていた中島みゆきはどうなんだろうと思って、一枚だけ「大吟醸」というアルバムを借りて聴いたのだが、ドギツイ歌詞の内容とド迫力の歌唱に怖くなって、引いてしまった。こんなことを歌う必要があるのだろうか?と思った。
思うに、当時の僕は社会の出来事や世の中の動きについてあまりにも無関心であった。目の前の仕事があまりにも忙しすぎたから、殆どテレビを観る時間もなかった。退職後、2011年の東日本大震災で、僕は日本が原発大国になっていたことを知って驚愕した。2016年に中島みゆきの夜会「橋の下のアルカディア」を映画館で観て、心が一気に学生時代に戻り、浅川マキや加藤登紀子を思い出し、中島みゆきについて調べ始めたのである。その後のことはこの読書記録に多数記録しておいた。
荒井由実は八王子の呉服屋の娘として産まれ、幼い頃から江戸文化にも触れ、学校では教会音楽に触れ、東京に遊びに行ってポップカルチャーに触れ、音楽的才能を完璧なまでに開花させたのだが、中島みゆきは北海道の片田舎で赤ひげ診療譚に出てきそうなほどの倫理観の産婦人科医の娘として産まれ、その父を理想として生きてきた。男に捨てられ、堕胎を選ぶ妊婦達にも接してきたはずである。大学時代には既に北海道では歌い手として有名だったらしいが、谷川俊太郎の詩「わたしが歌う理由」に出会って、一年かけて自らの職業意識を固めた。お父さんに倣って、人々の心を救うために歌う、ということである。この辺があくまでも自己実現を目指す荒井由実との相違である。
今頃になって、再びこの松任谷由実の詞が浮かんできたのは、多分、最近僕が身体の衰えを感じ始めて、自己実現がどうだったのか、が気になったからだろう。以前のユーミンへの興味とはまた別であるが、言葉だけは無意識の内に僕の心に残っていたということだろう。ユーミン恐るべし! <目次へ> <一つ前へ> <次へ>