2025.11.19

TV録画で、「映像の世紀 バタフライイフェクト 昭和の文豪たち」を観た。

    昭和の戦争に積極的に関わった作家たち、火野葦平は戦後、苦悩の末自殺し、林芙美子は戦後、戦時下で傷ついた人々を描き、他大勢。。。積極的に反戦活動をした小林多喜二は獄死、引きこもった作家、永井荷風は遊郭を描いた、個人主義を貫いた作家、夏目漱石。彼は徴兵されないように本籍を北海道に移した。漱石の言葉が面白い。「国家というのにはおよそ倫理というものがない。だから私は個人主義に徹する。」これは僕の感覚に近い。けれども、個人は必然的に社会に繋がっていて、国家から逃れる術は無く、そのことを抜きに倫理を追求すれば神経衰弱ともなる。

    三島由紀夫は肺浸潤で徴兵を免除された時に絶望して遺書を書いた。川端康成に師事して日本の美学を貫こうとしたが、ノーベル賞を逃してから、戦後政治に対抗して、肉体改造し、「楯の会」を作り、「豊穣の海」を書き終えると、自衛隊員に激を飛ばして自殺した。僕は高校時代、友人に影響されて三島由紀夫の小説をよく読んでいた。文章が凝っていて面白かった。けれども「豊穣の海」は何か空疎な感じがして、最後まで読み通せなかった。定型化され、理想化されて、まるでプラトンのイデアのような男女。それはそれでよいのだが、だとすれば、こんなに長々と書く必要はないと思った。

    満州で従軍した司馬遼太郎は日本の軍隊の無責任さに絶望し、もっぱら理想型としての明治時代を描いた。危機意識と武士の倫理観。昭和についてはノモンハン事件を書こうとしたが、あまりにも酷くて書く気になれなかったということである。

    TV「関口宏の一番新しい近現代史」では、ちょうど日中戦争の始まりである。関東軍の暴走を許したのは何故か、陸軍が起こしたクーデター未遂が許されたのは何故か。遠因を辿れば明治憲法の欠陥(軍隊が天皇に直属する)?天皇が直接統治すれば、失敗が許されず、結局の処責任を取るべき機関が無かったから、明治の元勲が蔭で(元老院)調整していたのだが、元勲が居なくなってしまったからか?

    放送大学TV「日本の近代化を知る7章」では、第1章が明治時代である。簡潔にまとめていて見事だと思った。JICA 理事長の北岡氏は語る。「どんな体制にだって欠陥はあるが、それを国民の知恵と工夫で克服すべきなのではないか?明治憲法に責任を負わせるべきではない。江戸から明治に至る日本の近代化は西欧以外での稀な成功例であったことは間違いない。江戸城無血開城は利害意識よりも「国民意識」の共有が勝った結果であった。考えるに、昭和に入っての大衆の排外主義を促進したメディアの責任はあるだろうが、最終的に太平洋戦争に至る民衆の戦意高揚(これも同じ「国民意識」)というものには何か必然性があったような気がする。近代化成功の代償というべきか?他の国で起きたような(国民意識の欠如による)内戦よりはましだったかもしれないが、周辺の国々には大変な苦痛を強いていて、その報いが来ている。僕にはあまりうまく言えないが、「国民意識」が成熟して衝動的な段階から理性的な段階へと進化すべきなのだろう。人文系学問の役割は大きい。

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