2025.02.08
『バッハ無伴奏ヴァイロリンの為のソナタとパルティータ第3回』
今朝は今年一番の寒さで、雪が薄く積もって凍っていた。滑って転びそうになりながらJRの駅まで歩いた。広島駅からの新幹線は10分遅れで、来たのに乗って、福山駅には10時半位には着いた。
ぽちぽちと歩いてお城の西側のふくやま美術館に行って、『神坂雪佳ーつながる琳派スピリット』を観た。なかなか良い美術館だった。お城がよく見える。展示もよかった。神坂雪佳は最後の琳派と言われる。ヨーロッパに留学して改めて日本の美術に目覚めたというのが面白い。デザイン性があって、楽しい。
美術館の喫茶店でお城を眺めながらお昼をゆっくり食べて、福山東教会まで歩いた。20分くらいかかった。寒い。鳥尾真理絵という人のバッハ無伴奏ヴァイオリンシリーズの3回目である。一年かけて、ソナタとパルティータを1番、2番、3番と2曲づつ演奏してきた、その最後である。2曲に関連した同時代の曲も演奏する。教会はこじんまりとしていて、明るい。綺麗な円筒形の天井で、響きは良さそうな感じ。客は25人位。この後夕方は尾道、明日は岡山で演奏するらしい。
今回は3番にいろいろな幻想曲(形式に拘らない曲)を組み合わせた。最初は Micolla Mateis のファンタジアハ短調。細かい装飾的な音型で全体的に短調の気分。なかなか面白い。そのあと、バッハのソナタ3番ハ長調(BWV1005)。これは、2曲目のフーガが長大である。キリスト教の復活祭の話があった。神の存在とかキリストの受難とかいうことは当時の人々にとって疑う余地のない常識であった。長い冬の間受難曲ばかりを聴かされて、すっかり暗くなっていたところに、春の復活祭というのは突然の高揚感をもたらす。バッハのパルティータ2番とこのソナタ3番の関係もそうだという。つまり、これは復活の曲なのである。フーガのテーマ(ソーラーソファミファソー)が、途中(全体の3/5位)で反転されて(レーシードレミレドー)、その後は同じテーマに戻っても明るい感じになるという。そういわれていみるとそうかなあ、という感じだが、あまりよくは判らない。
後半は前半とはうって変わって世俗的な曲で統一している。(主音も E(ホ) で統一。)宗教性は無くて楽しい曲。テレマンのファンタジア第6番ホ短調TMV 40:19。Hohan Helmich Roman のアッサンジョ ホ短調 BeR1 305。最後がバッハのパルティータ3番 ホ長調 BWV1006。これはケーテン時代の管弦楽組曲みたいなものだそうで、軽い。有名なプレリュードは指の練習に適していて、ヴァイオリニストは嫌になるほど弾かされる曲らしい。ちょっと眠くなった。
鳥尾さんは寺神戸亨の演奏を聴いて古楽をやろうと思い、ヨーロッパに留学して帰ってきて、ソロと室内楽をやっているらしい。古楽に夢中という感じだが、やはり技術が安定していない感じがした。でもまあ気迫は伝わってきた。見ていて気づいたのだが、バイオリンを肩の上に載せるだけで、顎で挟んでいない。あまり強くは弓で弾かないのかなあ、と思う。「バッハの無伴奏はヴァイオリニストのバイブルのように言われているけれども、今まではそれよりもコレルリの方が相応しいと思っていた、今回通して演奏してみて、その奥深さがよく判った」ということである。バイブルというのは技術的な意味ではなくて、音楽的な意味だ、ということなんだろう。
帰りもまた寒い。新幹線は2時間遅れの「のぞみ」に乗れた。夕食はお好み焼き。 <目次へ> <一つ前へ> <次へ>