----宮崎県篇・第3回----
---- MIYAZAKI(3)----
■延岡の昇り猿■
この「昇り猿」の創始は、延岡藩内藤家の下級武士たちの手内職からと伝えられています。明治・大正の頃には数人の製作者がいて、5月が近くなるとどの家からも「昇り猿」が見られといいます。 「昇り猿」は張り子製で、顔のまわりの羽毛は猿田彦の髭、背中の鼓は祝詞、幣はお祓のためと、神具にちなんだものです。 昇り猿は張り子製で菖蒲の描かれた細長い幟旗(布または紙製)の下にこの猿が吊り下げられています。猿の両手にはU字型の割竹が付いていて、これに竿を通し、竿の先に幟旗をつけます。風で幟旗がふくらむと、猿が竿を伝ってするすると上り下りします。屋外用に猿の全長31センチと17センチの2種、室内飾り用に猿が12センチと9センチのもの、ミニサイズの猿5センチ位のものもあります。 製作者の松本節子さんの家は延岡駅から西へ5キロ余り、西階町です。購入するだけなら、延岡城跡公園の横、中小企業センターの2階「延岡地場産業即売場」で売っています。 製作者:松本節子:延岡市西階町1-3717-13..TEL: 0982-32-5235 |
(画像)上段左の3点:故・松浦正義の作。 まんじゆう喰い:手前が岩切和子、後ろが小玉清勝の作。 下段、菅原伝授手習鑑は小玉清勝の作。 |
■佐土原人形(さどわらにんぎょう)■
宮崎県を代表する郷土玩具に「佐土原人形」があります。現在は岩切和子さんと「陶月」の小玉清勝さんの2人が活躍しています。 佐土原人形といえば「饅頭(まんじゅう)喰い」が有名で、この地方では「羊羹(ようかん)喰い」ともいいます。子供が二つに割った饅頭を両手に持った立姿で、伏見人形をもとにつくられた土人形です。 一説によると、この土人形は明治の頃までは男の子に作られていましたが、岩切兵三郎(岩切和子さんの父)が昭和初期に女の子に彩色したのが、いまもそのままの作風で伝えられているそうです。 「菅原伝授手習鑑」は、小玉さんの作で、歌舞伎の名場面をモチーフにした古い佐土原人形の形を残した佳作です。 現在製作されている土人形は、両家とも同じような型の人形が多く、饅頭喰い・内裏雛:武者人形などの節供物・歌舞伎もの、など100種余りが作られています。 佐土原で土人形が作り始められた詳しい年代はまだ不明ですが、佐土原焼の焼物の技術は、寛保年間(1741〜4)に朝鮮より伝えられたといわれ、その後54年間のいずれかの時に土人形が作られるようになったと考えられています。 明治末頃には、土人形の製作者が15軒もあったのですが、大正期になると奇麗な博多人形が入ってきて、売れ行きも悪くなり、転廃業する人も多くなりました。昭和12、3年頃には、岩切兵三郎と松浦正義の2軒となります。 現在の製作者の二人は、昭和40年前後から佐土原人形の製作を始めた方です。 戦後、岩切兵三郎の方は上田モリに継がれ、上田モリ亡き後、岩切和子さんが窯元「ます屋」五代目としてそれを継がれました。 小玉清勝さんの方は、佐土原人形の伝統的な色調を研究して、松浦正義(作品画像掲載)に似た作風の人形を製作しています。 製作者:小玉清勝「陶月」:宮崎郡佐土原町東町 TEL: 0985-73-2395 製作者:岩切和子「佐土原人形製作所」:宮崎郡佐土原町上田島1396..TEL: 0985-74-0178 |
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