「維摩経/十牛図」創作ノート4

2003年1月〜

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01/01
新年。浜名湖の仕事場で迎える。曇り。毎年、元旦は書斎から見える浜名湖の対岸の舘山寺温泉のあたりから昇ってくる初日を見るのだが、今年は見えそうもないので寝ていた。スペインからの電話で起こされる。長男夫妻と孫は、奥さんの実家で新年を迎えたところ。向こうはまだ真夜中だ。奥さんの兄姉たちが集まってダンスをしているという。こちらは次男が風邪気味。静かな正月。

01/02
次男を浜松駅まで送っていく。今年は犬もいないので寂しい。「十牛図」ようやく動き始めた。昨年の年末に「維摩経」を仕上げたので、「十牛図」に集中できる。作品のテーマは、自分とは何か、ということ。自分なりの存在論を書きたい。

01/07
三宿に戻る。昨年の暮れ、大掃除をして書斎の居心地をよくしてあるので気持ちがいい。書斎というのはリビングルームに隣接した応接スペースにさらに隣接した和室のこと。これまでは物置状態だったが、ここを書斎にした。いままでは犬がいたので、書斎にこもるということができなかった。広いリビングルームの中心にいて、妻、子供たち、犬に囲まれて仕事をするというのを理想としていた。子供がいなくなり、犬もいなくなった。人生の転機だ。

01/10
7日に三宿に戻ったが、8日は図書館協会、9日はコミック作家の会との協議があって、仕事に集中できない。両方とも著作権についての問題。著作権には「貸与権」というものが制定されているのだが、公共図書館におけるパプリックレンディングについては「権利制限」の規定で権利が剥奪されている。またレンタルについては付則の中に、当面施行しないというようなことが書いてある。ところが、全国のレンタルビデオ屋で、マンガの貸本を始める傾向が見え始めた。それで付則をとって、レンタルから著作権使用料をとる、というのがコミック作家の構想である。賛成。パブリックレンディングについては、文芸家協会では国家基金による補償金という提案をしている。ヨーロッパ各国がすでに実施しているシステムである。先進国なら当然、こういうシステムが確立されていなければならない。アメリカは例外。アメリカは図書館の数が多いので、図書館による購入だけで、著作者は保護されている。ベストセラー作家は逆に、図書館での貸し出しを拒否することも可能である。そういうわけで、複本問題なども起こっていない。日本の図書館は、良書をおかずに、ベストセラー本だけを揃える傾向がある。文化の貧困としか言いようがない。というようなことを考えていると、自分の仕事に集中できない。いまは、釈迦の悟りとは何かということを考えている。すでに考え尽くしたことなので、深く考えているわけではない。どうやって読者にわかりやすく語るかということで、ある程度の時間をかければ、本は完成する。
長男からメールで孫の写真を送ってきた。もうすぐ一歳の誕生日だ。何か言葉をしゃべっているらしい。もちろん、スペイン語だが。

01/13
「十牛図」3章まで完了。2章と3章は仏教の説明だけやっているので、自分のオリジナルな文章がほとんどない。「般若心経の謎を解く」でも「法華経入門」でも同じことを書いた気がする。その部分をコピーして貼り付ければいいような気もするが、それでは読者に失礼なので、以前の文章は見ずに書いているので、どこかで矛盾があるかもしれない。わたしは仏教の専門家ではないので、時々、間違えることがある。というか、細かい用語の解釈を忘れてしまうことがあって、文献を参照するのだが、そのつど参照する文献が異なっていると、わたしの解釈も異なってしまう場合がある。

01/14
本日、400円ミステリーの広告が朝日新聞に出た。誰が買うんだろうと心配である。西友三軒茶屋店の本屋には、岳、笹倉とともに、1冊ずつあった。これを定期的に観測したいと思う。高校時代の友人からメールで指摘があった。「近況」のページのタイトルが「2002年」のままだった。どうしてこうなったかというと、去年の「近況」のページを呼び出してから、名前を変えてhi−hoのフォルダに保存し、それからタイトルやページのレイアウトを残して、文字情報を削除して、今年の近況を書き始めた。というわけで、タイトルが2002年のままになっていたのである。その過程で気づいたこと。この近況ページの一番上に、過去の近況ページへ移動する押しボタンがあるのだが、過去のページからさらに過去のページへ移動しようとすると、ボタンが機能しない状態になっていた。今年の「近況」と過去の「近況」は、フォルダが違うので、押しボタンの機能を書き換えないといけないのだが、うっかりしていたのだ。いまだにホームページの作り方がよくわかっていないので、あまり難しいことはできない。ホームページ作成のソフトも進化しているようだが、いまだにそういうものは使わずに、自分で打ち込んでいるので、時々、間違いが起こる。何か機能しない部分があったら、メールで知らせてください。

01/15
妻が風邪でダウン。こういう時、子供がいた頃は大変だったが、いまは何の障害もない。犬もいないから、メシを食うのは自分だけで、何とでもなる。しばらく雑用がなかったが、明日は文化庁とNHKの掛け持ち。

01/16
衛星第二の「ブックレビュー」の収録。大学の先生を長年やっていたので、一人でしゃべるのならいくらでもしゃべることができるが、テレビのように短時間でしゃべるのは難しい。さらにこの番組では、座談会みたいな部分もあるので、自分一人だけがしゃべらないようにという配慮も必要である。文化庁の会議で、一人で1時間近くしゃべって顰蹙をかったこともあるので、気をつかう。わたしは本来は寡黙な人間である。おしゃべりはきらいである。しかし必要なことはしゃべらないといけないし、しゃべっているうちに、独善的になってしまう傾向がある。小説を書いていると、頭の中で複数の人間がしゃべっている。一人で漫才をやっているようなものだ。一日の大半がそういう感じだから、現実に人間を相手に話すのが苦手なのだ。今日は午前中は文化庁の会議だったが、本日は一言もしゃべらなかった。声を温存しないといけない。妻が風邪でダウンしたので、感染しているかもしれない。

01/17
文芸家協会にて保護同盟との話し合い。保護同盟というのは著作権の管理業務を担当する社団法人だが、独立採算で業務を維持することが難しくなったため解散する。あとの業務を文芸家協会で引き受けないといけないが、維持することが難しくなった仕事を引き受けるわけだから、もともと困難な仕事を担わなければならない。まあ、困難なことに挑むというのは、楽しみでもある。
昨日、今日と、いくつか本屋を回った。岳、笹倉と三人で出した400円ミステリーが気にかかる。紀伊国屋渋谷店では、岳の本が6冊、笹倉が5冊、わたしのが4冊あった。わたしの本が一番売れているのではないか。
「小説維摩経」は編集者に宅急便で送ったままだったが、昨日メールが入って入稿するとのこと。正直のところ、読んでわかるものになっているか不安だった。わたしはいちおう、仏教について理解している。用語や概念が頭に入っている。そうでない読者にとっては、何が何やらわからぬものになっているのではと懸念していた。そうならないように、わかりやすく書いたつもりだが。一昨年、「宇宙の始まりの小さな卵」を書いた時、自分ではわかりやすく書いたつもりだったのに、全然わからないと編集者に言われて、入稿が半年ほど遅れたことがあった。今回はまあ、入稿できてほっとしている。しかし今回の編集者は、ヘーゲルの本なども出しているレベルの高い人なので、一般大衆よりは知的レベルが高い。ゲラの校正では、難解な用語をチェックしなければならない。

01/19
出張で東京駅を通り過ぎる次男に薬を渡すために東京駅に行く。正月に咳き込んでいたので、子供の頃から診てもらっている世田谷の医者に行くように妻が勧めて、先週の土曜に診療してもらった。数日分の薬しかくれないので、たまたま火曜日にも同じ方法で薬を渡した。今回は二回目。いずれも妻が新幹線のホームで息子をつかまえた。わたしは路上駐車の車に乗って番をしていただけ。次男は土浦の社員寮にいて、筑波の研究所に通っている。微妙な距離だ。ふだんは忘れているのだが、こういうことがあると、自分に息子がいたことを思い起こす。

01/20
「ニュースウィーク」の記者のインタビュー。公共図書館問題について。図書館の問題だけでなく、知的所有権というものの現況について話す。インターネットの時代に、文芸家というものの活動がどうなっていくのかという、重要なテーマである。こういうことをちゃんと考えている作家はわたし一人しかいない。「知的所有権委員長」なのだから仕方がないが。

01/22
スペインの長男からメール。孫がようやく立って数歩、歩いたとのこと。そういえばもうすぐ一歳の誕生日だ。

01/23
現在、「十牛図」の4章を終わったところ。ここまで、仏教の歴史を書いているだけだが、うまくまとまっていると思う。この作品は「【本当の自分】を求めて」というような副題にしようと思っている。自分とは何か、というのがテーマだ。そのテーマに沿って、「仏教」と「わたし」とが絡まりながら展開できていると思う。仏教の歴史が終わると、生活に根ざした人生論みたいなものを少しやって、最後に現代物理学や生物学の話をする。これを、「十牛図」の流れに沿って語るというのが、すこし厄介だが、挿し絵が入ることで、読みやすくするというのが狙いだから、多少の紆余曲折は仕方がない。むしろこういう冗長度があった方が、読みやすいものになるだろうと思う。問題は、いつ完成するかということだ。「維摩経」の校正が届くまでに、半分以上は仕上げておきたい。
昨日、長男と電話で少し話をした。長男は、驚くべき荒野の中に住んでいる。きれいな住宅地なのだが、その住宅地の周囲には何もない。何もないということが、日本の人には想像できないだろうが、本当に何もないのだ。昔、八王子めじろ台というところに引っ越した時は、わたしの家の10メートル先には、何もない領域があった。そのあたりも区画整理の対象になっていたので、農民が農業を放棄したため、広大な荒れ地ができていたのだ(いまそこは大通りに沿った大繁華街になっている)。しかし何もないといっても、雑草ははえていた。長男が住んでいるところは、本当に何もないのだ。地図にすればただの空白で表現するしかないような場所だ。そういう景色を毎日見ているのは、いかがなものかという気もするが、まあ、住宅地の中には緑があるので、住んでいる人々には何の支障もないのだろう。

01/24
著作権分科会。今期の最終回。決まったこと。教育については、生徒のコピーを認めたが、実施に際しては、こちらでガイドラインを作ることにした。実際に教育現場で行われているコピーの大半は違法なので、ガイドラインを配布することによって、現場の先生がたに違法性を認識してもらうことになる。その上で、補償金の交渉に入る。図書館の方は、国家基金の設立を求めるということで、図書館との話し合いはほぼ終了なのだが、図書館予算の増額などを図書館と著作者の連名で国に求める、といったことを実現したいと思う。その上で、図書館側にも、国家基金の設立を要請していただけたらと思っている。ただ、推理作家協会の申し入れがあって、図書館とはなかなか協調できない面がある。この先どうなるか、予断は許せない。とりあえず今期のシリーズが終わってほっとしている。今日の会議はシャンシャンと手を打って終わりだと思っていたら、1時間ほど言いたいことを言っていいということだったので、10分ほどしゃべらせてもらった。わたしの発言は長いので有名なのだが、自分としては比較的コンパクトにしゃべったつもり。
おなじみ中村くんと三宿で飲む。三宿にタイめし屋ができた。そのことを妻に言うと「鯛めし」だと勘違いして、行きたいと言っていたのだが、アジア料理だというと、胃の調子がよくないという。で、中村くんと行くことにした。中村くんは、「天気の好い日は小説を書こう」の名編集者で、一年間、わたしの授業に出てテープを起こしてくれた。その時は、朝日ソノラマにいたのだが、その後、角川、幻冬社、角川春樹事務所と転職した。幻冬社は角川春樹のフトコロ刀だった見城が創った会社だから、角川関係ばかり渡り歩いて珍しい編集者である。しばらくフリーだったのだが、今度、バジリコ出版というへんな名前の会社に入ったらしい。バジリコ出版からわたしの本が出ることになるのか。が、とりあえず就職祝いの祝杯を上げただけで、仕事の話はしなかった。

01/27
文化庁で打ち合わせ。著作権保護同盟の解散に伴う管理事業の継承についての「根回し」と「ご指導を仰ぐ」ためのご挨拶。いわゆる「お役所仕事」で対応されては困るので、こちらの実情を詳細に説明すると、ありがたいことに充分なご理解をいただき、早急に対応していただけることになった。こういう仕事は書記局だけだとうまくいかない。事務手続きを越えた「誠意」をもって陳情すれば、お役所の方からも誠意が返ってくる。
仕事は5章の終わり。ここはついこのあいだまで書いていた「維摩経」の説明なので、手慣れた作業だ。というか、パソコンに入っている自分の原稿をそのまま一部引用したりして、ページを稼げる。禅と「維摩経」の関係など、新しい見解が入っているので、書いていても楽しい。
本来この日は、朝8時からテレビを見るつもりだったが、文化庁との打ち合わせが午前中になったので、ビデオをセットして出かけた。帰ってビデオを再生。うっかりニュースなどで結果を聞いてしまわないように用心して、リアルタイムのつもりで見る。ボブ・サップの従兄弟のウォーレン・サップがかわいいので、バッカニアーズを応援している。圧倒的なディフェンスの勝利。攻撃は最大の防御であるということはよく言われるが、今日の試合は、防御が最大の攻撃であるということを如実に示すものだった。ディフェンスが攻撃するということの恐ろしさをまのあたりにした。アメリカン・カンファレンスのMVPのギャノンが、めろめろになっていた。それでも40歳のジェリー・ライスがタッチダウンを決めた時は、涙がこぼれそうになった。それで13点差に詰め寄った時は、逆転もあるかと思ったが、そこからインターセプト・タッチダウンが2回もあるのだから、レイダーズ・ファンにとっては悪夢のような光景だったろう。野球にもサッカーにも、こういう面白さはない。文化庁の打ち合わせがうまくいって、よかったと思ってはいるのだが、やっぱりビデオでなくリアルタイムで見たかった。
上の文章、何のことかわからない読者もいると思うので、念のために説明。合衆国のアメリカンフットボールの話です。これからまた、日本テレビの夜中のビデオ中継で、もう一回見るつもり。

01/28
井上靖文化賞の授賞式。日本点字図書館が受賞したので出席した。わたしは去年から評議員を務めている。会場で文芸家協会の書記局担当者と会う。早めに帰って仕事。昨日の文化庁との交渉。文化庁側の指示に従って、保護同盟と連絡をとり、引継の準備が順調に進みつつあるとのこと。よかった。

01/29
著作権白書の会。いつも初台のオペラシティーの11階にある著作権情報センターというところへ行くのだが、超高層ビルなので、エレベーターが4種類あり、11階へ行くためには「低層階」と表示されたエレベーターに乗る。それで「低層」というイメージが強かったので、窓から外を眺めたことがなかった。今日、帰りにエレベーターを待っている時、何気なく窓の外を見たら、けっこう高かった。11階だから当たり前なのだが。わたしは少しだけ高所恐怖症だ。他にもトロロイモと魚の眼の恐怖症だが。昨日、「十牛図」の5章が終わった。これで半分。今年になってから書き始めた。もう200枚を突破している。難しいことを書いている割には、ピッチが早い。もっとも「アインシュタインの謎を解く」は20日で一冊書いた。あれは夏休みで仕事場にこもって一気に書いた。いまは著作権関係の雑用が多く、ワープロを抱く時間が限られている。そういう条件の中ではいいペースで書いていると思う。

01/31
妻を新宿駅まで送る。成田エキスプレス。深夜の最終便でパリ経由でバルセロナに向かう。一人旅は大変だが、こちらは仕事があって、今回は同伴できない。孫は一歳になって、何やら言葉もしゃべっているらしい。その孫をこの目で見られないのはまことに残念。この期間、著作権分科会などの公用はないので、行こうと思えば行けるのだが、仕事を優先しなければならない。出版不況にもかかわらず、本を出してくれる出版社、編集者があって、期待をもってもらえることはありがたい。実は、旅行はあまり好きではない。旅行の期間だけでなく、その前後も仕事ができなくなるし、やりかけの仕事を中断するともとに戻るまでの精神集中が厄介である。というわけで、一人で仕事を続けることにする。成田エキスプレスに乗り込んだ妻に、窓の外から手を振って別れた。
その足で高田馬場の岳真也氏の事務所へ。同氏主宰の同人誌「21世紀文学」の合評会。この時代に、同人誌に書き続けている人々の意欲に感動する。深夜になりタクシーで帰宅する。家に帰っても誰もいない。犬もいないことが致命的につらい。一人で留守番するのは、3年前、妻がシドニーへ行って以来だ。あの時は、犬がいたので、世話が大変だったし、長時間、家をあけられないということはあったが、外出から帰っても室内で犬が待っていたので寂しくなかった。
さて、2003年も最初の一ヶ月が終わった。このノートはまだ続くことになる。


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