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12/02
浜名湖より三宿に戻る。途中、静岡インターで下りて日本平へ行った。日本平の頂上まで運転したので疲れた。本日より夜型に切り替えるので、このまま明け方まで仕事をする。
12/04
「十牛図」少し書いてみたいが、いくらでも書けそうな感じはするが、もう少しハードでもいいかなと、少し迷いが出た。「維摩経」に関して、書いている時から気にかかっていたのだが、仏教についてまったく知識のない人に対しては、釈迦の生い立ちから布教活動について、イメージで見えるように語っておくべきではないかという気がしていた。冒頭の部分に回想シーンを入れることは可能か。本日はそういう作業をやっている。このまま最終的な見直しに入った方がいいかもしれない。一人で考えているよりも、編集者に見てもらった方がいいかもしれない。が、いまのままでは渡せないので、最低限のチェックをしてから渡してしまうというのも一つの方法だろう。とにかく、「十牛図」と並行させながら作業を続けたい。「団塊世代論」と「図書館問題」についても編集者から資料が届いている。いちおう目を通している。4冊を同時に書くことはできないので、一つ一つ片づけていきたい。
12/05
文芸家協会理事評議員会。年二回、評議員を呼んで会議をする。本当は先月のはずだったのだが、評議員が一人も来なかったため、今回にずれこんだ。書記局が動員をかけたのか、本日は評議員がたくさん出席した。いつもはウナギを食べるのだが、あまりに人数が多いので、会の後、文春西館の一階にあるラウンジで立食パーティーみたいなことになった。これはありがたかった。実はわたしはウナギは嫌いである。食べられないというほどではないが、好きではない。先週、浜名湖にいたので、妻、および妻の両親と一回、ウナギ屋に行き、また義父の懇意のレストランの店主が天然ウナギを取り寄せてくれたので、それを三宿に帰ってから食べた。ウナギ好きの人には申し訳ないが、一週間に3回ウナギを食べることになるのかと絶望していたところ、本日はウナギをの顔を見ずにすんだ。よかった。
12/08
妻が突然、うちにはパラサイトの子供がいなくてよかった、とつぶやいた。また確かに、長男はスペイン、次男は茨城県にいて、わが家は老夫婦のみの生活である。犬もいなくなって、寂しいけれども、楽であることは確かだ。次男は会社の独身寮にいる。勤め口があって、しかも寮があるというのは、ありがたいことである。子供が自宅にいて、フリーターだったり、仕事もせずにぶらぶらしていたりしたら、さぞ親は心配だろうと思う。心配というより、落ち着かないのではないか。ともあれ、わたしは仕事に集中できる環境にあることを、天に感謝したい。
12/09
お台場で「ハリーポッター2」を見る。面白くなかった。
12/11
本日は文化庁の会議。文化庁の会議といっても、文化庁でやるわけではなく、いろいろな会議室を転々とする。本日は経済産業省別館。午前中の会議だと昼食の弁当が出る。これが場所によって違う。たいていは和風の弁当であり、サシミが入っていたりする。はっきり言って、サシミは苦手である。ウナギよりももっと困る。子供の頃、魚が嫌いだった。大人になって酒を飲むようになると、たいていのものは食べるようになった。が、子供の頃に食べなかったので、いまだに酒がないとサシミは食べられない。ビールでも出してくれるといいのだが。で、何が言いたかったかというと、本日は中華弁当であった。ささやかな幸福感を覚えた。
今週はスケジュールがつまっていて毎日、何か用がある。本日は午前と午後と、会議のハシゴをした。明日も、推理作家協会へ寄ってから早稲田文学の忘年会に行く。仕事はなかなか進まない
12/15
長い一週間が終わった。会議のハシゴがあり、宴会が続いたりもして、一週間、フルに仕事に取り組める日がなかった。年末だから仕方がない。
長男に久しぶりにメールを書いた。長い手書きの手紙が届いたからだ。フェロールという街のコンクールで1位なしの2位に入賞した。その帰りの列車の中で手紙を書いたようだ。今年はバレンシアでも3位になったのだが、その時は1位も2位もあっての3位だった。今回は1位がないので、実質的な優勝。2位になったのは、主催者側に賞金の準備がなかったのでは、と思われる。なぜかというと、1位がないだけでなく、3位も4位もなくて、入賞者はわが長男だけなのだ。それでも、観客が投票で選ぶ賞も受賞したので(本選のコンチェルトを弾いたのが一人だけだから信任投票みたいなものだが)、温かい正月を迎えられそうだ。
12/17
本日も文芸家協会に寄ってから野間賞の宴会へ。一日、2件の用があると、頭がパニック状態になる。しかし12月の宴会シーズンもこれで終わり。あとは2件宴会があるだけで、仕事に集中できる。さあ、「維摩経」を仕上げるぞ。先週の月曜日から9日間連続で用があった。妻とボロ市に行ったり予定外の行事もあったのだが、その間も、ひまを見つけて仕事はしていた。導入部のオリジナルの部分のチェックは終わり、いよいよ維摩が登場した。十代弟子とのやりとりはほとんど直さなくてよかった。もはや原典をそのまま使える部分に入っているので、見直しのピッチも上がっている。ただ導入部を書き換えたので、そこで説明がすんでいる部分もあるし、論理の流れが変わっているところもあるので要注意。弥勒菩薩が出てくるところ、兜率天(とそつてん)の説明をしようかと思ったが、作品の後半に出でくる不動仏の仏国土と似ているので簡略化した。ここですごい描写をしてしまうと後半が盛り上がらない。今日は菩薩編を終了できるだろう。全体の三分の一くらいのところまで来た。
12/20
昨日は横浜へ行った。まあ、メシを食いに行っただけ。火曜日で今年の雑用はすべて終わり。あとは忘年会2回だけなので、仕事に集中できる。「維摩経」半分は超えている。細かい直しだけで前進できているけれども、かなり難しい哲学議論が続いているので、神経を集中していないといけない。疲れるけれども、楽しいといえば楽しい。哲学は面白い。面白いことをして、それが仕事であるという状況を喜びたい。
12/21
「21世紀文学」の忘年会。400円ミステリーの競作をする岳真也、笹倉明氏とわたしの3人が揃った。この企画が入ったのは今年になってからで、話を聞いた当初は、冗談だろうと思っていたのだが、本当に本が出ることになった。1月上旬発売。祥伝社400円文庫。
12/22
最近PHSを買った。これまで使っていたのが電池がなくなったためだ。この種のものは電池が高いから、新しいものを買った方が安いし、いままでのは8年くらい前のもので、時計もついていない。次男が上智に入った時に、緊急連絡用に買い与えたものだが、上智のキャンパスには電波が届いていないということが買ってからわかったので、ケータイを買い与え、PHSの方は長男にやった。その長男も留学したので、そのPHSがわたしのところに来た。はっきり言って、電話はキライである。実は、電話恐怖症である。自分で電話をかけることはほとんどない。ありがたいことに電子メールやファクスがあるので、電話はほとんど必要ない。PHSをもつのは、妻との連絡用である。妻からしかかかってこない。
ちょうど自宅の電話のシステムを買い換えたばっかりだった。それまでは8コの電話が配置された有線のシステムを、自宅を新築した時に入れていた。8コも電話があるというのは大邸宅みたいだが、昔は景気がよかったので、将来は子供が結婚して同居したりもするだろう、などと考えて大きめの家を建てた。何のことはない、息子二人は自立して、老夫婦だけの生活になったから、電話など、ワイヤレスのものが2コあれば充分である。その8コの電話が一つまた一つと壊れていって、最後は一つしか使えなくなった。それで、ワイヤレスの子機が2つついたものを買った。一人が1コ、携帯していればいいと考えたのだが、家の中でたえず電話を持ち歩くというのも不便なので、PHSを買い換えることにした。PHSはワイヤレスの子機を兼用できるのである。
ということで、わたしの書斎にある電話はPHS兼子機であるが、まだ慣れていないので、使い方がよくわからない。この説明書を読む作業が大変である。1ページ読むだけで疲れてしまう。PHSでもインターネットにつなけげるらしいが、使うことはないだろうと思う。
12/23
全体の2/3くらいのところ。最大の山場の「不二法門」の章は終わった。仏典の中でも最も奥深い真理が描かれた部分が終わったので、ほっとしている。こういうすごいものを書くと一瞬、自分が偉くなったような気がするが、偉いのは原典を書いた人だ。こちらはただそれを読んで、何とか理解して、よりわかりやすく人に伝えたいと思っているだけだ。しかしこれは貴重な作業だと思う。仏典はとても面白く魅力的な作品が多い。もっと多くの人々に親しんでもらいたい。
12/24
有楽町のミレナリオをくぐる。国際フォーラムのカフェでビール一杯飲んで帰ってきた。人ごみを見に行ったので、目的は果たしたが、銀座のあたりは空いていた。「維摩経」エンディング直前。いい感じで来ている。ものすごく深くして、楽しい作品になっている。と感じるのは自分だけかもしれないが。ヘーゲルが好きな人には楽しめると思うが、そういう人がたくさんいるとは思えない。
12/25
最後の章に入ったが、ここで阿弥陀如来の姿を出すべきだと気づいた。草稿では姿は出ていなかった。しかしどういうふうに描写するかが難しい。ゴール直前に大きなハードルが横たわっている。話は変わるが、この前、お台場に行った時に入った超からい麻婆豆腐をまた食べてしまった。前に食べた時は二度と食べないと思ったのに、また食べてしまったのはなぜだろうか。
12/27
昨日は大掃除。息子二人がいなくなってから、わたしは家じゅうを書斎としていたが、それでは家じゅうがゴミの山のような状態になるので、妻と話し合った結果、家の中で最も狭い部屋に閉じこもることにした。それで、リビングルームなどに散在していた資料などを、きれいに片づけた。気持ちがいい。その新しい書斎は先月から使っているのだが、そこも少し片づけたので快適になった。古びたレーザーディスクもリビングから移動させた。世の中はDVDに移行しているけれども、わたしはまだこれを愛用している。
本日は年賀状のプリント。ただプリントするだけだが、疲れた。古びたパソコンが時々怪しい動きをするので見張っていなければならない。「維摩経」は最後の章で行き詰まっていたが、プリントを見守っている間に、アイデアがひらめいた。阿弥陀如来の極楽浄土を描いた直後なので、エンディングのイメージが浮かばなかったのだが、突然、すごいアイデアを思いついた。極楽浄土よりもすごいイメージだ。どんなイメージを思いついたからは、作品を見てほしい。
「蓼科高原の殺人」の見本、届く。初めて書いたミステリーだが、わたしは純文学だと考えている。ゲームのような謎解きではないが、犯人は誰かという興味だけでストーリーをひっぱっていく点では、ごくふつうのミステリーだといっていい。たまにはこういうものもいいのではないか。
12/31
年末である。昨日、「空の秘奥/小説維摩経」が完成した。11月末に草稿はできていたが、最初から読み返して、かなりいじった。草稿では、説明を極力省いたので、仏教に不慣れな読者には、用語などが難解であった。説明のかわりに、会話を増やし、イメージなども追加して、わかりやすいものになったと思う。舎利弗と迦葉を漫才コンビのようにして、狂言回しの役割を強化した。エンディング近くに釈迦と維摩が静寂の中で対決するシーンを加えた。というような作業を一カ月続けたので、かなりレベルアップしたように思う。小説としてふくらんだはずだ。
いまは三ヶ日の仕事場に来ている。本日は、「十牛図」を少し書いたあと、庭のキウィの棚の補修工事。この仕事場を建ててくれた大工さんの指示に従って作業をする。このキウィは毎年、大量の実を実らせる。が、棚の鉄パイプが錆びて弱っていた。慣れぬ肉体労働で疲れた。さて、大晦日。今年の反省をしなければならぬ。
今年出した本。「宇宙の始まりの小さな卵」(文春ネスコ)、「夢将軍頼朝」(集英社)、「角王/ツヌノオオキミ」「活目王/イクメノオオキミ」「倭建/ヤマトタケル」(学研歴史新書)。このうち、最初の3冊は去年の段階で草稿が完成していた。で、今年書いた作品は、「活目王」と「倭建」だけだが、まだ本が出ていないものとして、「蓼科高原の殺人」(祥伝社文庫)と「空の秘奥/小説維摩経」(作品社)がある。つまり小説を4冊書いたことになる。この量は、適当であるし、内容も充実していたと思う。しかし増刷された本が一つもなかったので、売れ行きとしては期待どおりにはいかなかった。出版不況のせいか、わたしの人気がなくなっているのか。
来年の予定は、「蓼科高原」と「維摩経」が出る他、「十牛図」「図書館論」「団塊世代論」「小説論」を用意している。年の後半の大きな仕事としては、「小説親鸞」を考えているが、まだスケジュールは決めていない。今年の後半のミステリーと維摩経は、正月の段階ではまったくプランしていなかったもの。つまり緊急の仕事であった。そういうものが入る余地を残しておかなければならない。前半は評論、エッセーばかりなので、後半は小説を書きたいと考えてはいるが、浮き世の義理のようなものがあるので、オファーがあれば引き受けないといけない。まあ、いろんな可能性を残しておいた方がいいだろう。
ということで、今年も終わる。2002年はどういう年であったか。小説を4冊書いた、充実した年であった。スペインに初孫が生まれ、3月に会いに行ったし、8月には孫が来日した。これでかなり時間をとられたので、その中で小説を4冊書けたのは、よく集中して仕事をしたと思う。文芸家協会、文化庁の仕事も、充分に責任を果たせたと思う。来年も同じペースで仕事を続けたい。
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