創作ノート1に戻る
創作ノート3
創作ノート4
創作ノート5
11/03
高校の同級生が主宰するアマチュアバンドの演奏会。本人は大阪にいる。東京の同級生の同窓会を兼ねて十人ほどが集まる。どういうわけかこのバンドに大阪の雑誌の編集者がいて、隔月に原稿を書いている。べつにコネで仕事を依頼されたわけではない。まあ、巡り巡って何か関係があったのだろう。
同窓会は夏にもあった。わたしは妻と同窓であったから、同窓会には夫婦で出かける。夏に同窓会に出かけた時は、寝たきりであったがまだ犬が生きていた。今日、妻と自宅に戻ってくると、誰もいない。どうもいけない。まだペットロス症候群から抜け出せない。
11/05
『ゆうゆう』(主婦の友社)の取材を受ける。以前書いた「夫婦の掟」(講談社)の内容を受けて、老後の夫婦のあり方について。わたしは作家だから、自宅で仕事をする。多くの家庭では、夫は会社に行く。そこでおおくの主婦は、夫が家の中にいるということに慣れていない。夫はお客さんであったり、異物であったり、粗大ゴミであったりする。しかし定年になると夫はつねに家にいることになる。そのことが更年期を迎えた主婦にとってはストレスとなる。そこで、在宅の夫の先駆者として、妻に嫌われない夫としてのノウハウを、わたしなりに伝授する、というのがこの取材のコンセプトだが、問題はこの雑誌が主婦向けのものだということだ。夫が読まないと話にならない。
11/06
本日は文化庁の法制問題小委員会。弱視者のための拡大教科書作成に関する権利制限に賛意を表明しておいた。不必要な権利制限は撤廃しなければならないが、こういうものは積極的に賛成すべきだ。今週は明日は法務省、明後日は文芸家協会の仕事があり、一日フルに創作に集中できる日がないので、毎日コツコツと少しずつ前進するしかない。
弥勒菩薩が出てくるところ、完了。弥勒菩薩は未来仏であり人気スターである。これを主人公の維摩が徹底的にやりこめる。すごしシーンだ。だんだん内容が難しくなってきて、疲れる。次に出てくる光厳童子に関するやりとりは、三十二項目の菩提の宝座というのが出てくる。これを全部並べるのは煩雑だが省略するわけにもいかない。どうすればいいのか。
昨日、ややショッキングなことがあった。プライベートな領域だが。このことも心のすみに引っかかっている。愛犬の供養のためという気持ちもあって始めた仕事だが、いま「維摩経」を読み込む作業をしていることが、ありがたいめぐりあわせだという気がしている。
11/07
矯正協会の対談。今年で2回目。矯正中の人々の応募原稿を審査する。自分を深く見つめた作品が多い。自分を見つめるしかないということもいえるが。児童文学者の中島その子さんが予選をして、あとはわたし一人で順位を決めるという方式。最後に二人で感想を述べ合う。意見がほぼ一致するのでありがたい。
11/08
文芸家協会理事会。協議員会を兼ねるはずだったが、評議員の出席がゼロ。みんな忙しいのだろうが、文芸家が団結しないといけない時期なのに、危機感をもっている人がいないということか。
忙しい一週間がようやく終わった。毎日、少しずつだが自分の仕事もできた。維摩が菩薩と対決する重要なシーンだ。光厳童子との対決は、箇条書きのような言葉の羅列で圧倒した。原典をそのまま引き写しただけだが、すべての語句が理解できるように書き換える必要があったので大変な作業になった。次の持世菩薩のシーンは、原典に頼らずに、フィクションを加える。半裸の天女たちが菩薩を誘惑しようとしているところに維摩が現れて菩薩を救うといった段取りになる。ブィジュアルな華麗なシーンにしたい。理屈だけでなく映像的なもので哲学を深めるというのが仏教の方法論だから、理屈を越える部分を場面展開で示していく必要がある。
11/09
長者スダッタの場面が終わり、菩薩編が終了。原典ではここで章の終わりになっているのだが、次の章の冒頭の、文殊菩薩が病気見舞いに出かけると宣言するシーンを章の終わりに加える。次の章は、維摩の邸宅のシーンから始める。この病気見舞いのシーンが、作品の最大の山となる。維摩の沈黙と呼ばれる名場面だ。従って、ここまでがいわば前座とでもいうべき場面だ。弟子十人と、菩薩四人が前座を務めて、いよいよ文殊と維摩の対決ということになる。ここまでで約百枚を費やした。まあ、いい感じだろう。対決のシーンだけで百枚くらい。結びでまた百枚。長くても三百五十枚くらいにまとまるのではないかと思う。活字はなるべき大きくしたいので、これくらいが限度だろう。
本当は今日から浜名湖の仕事場に移動する予定だったが、思わぬ不幸があって、葬儀に参列することになったので、三宿で仕事を続ける。来週は雑用などがないので浜名湖に行けると思っていたのだが。浜名湖では電話がかかってこないので集中できる。衛星放送が映らないのでテレビを見ないということもあるが。三宿でも、仕事場をテレビのない部屋に移した。いや、テレビはあるが、衛星放送が映らないのでほとんど見ない。「維摩経」は集中力が必要なので、テレビのスイッチに触れないということもある。とにかく、来週は集中したい。
11/11
友人のご子息の葬儀に参列。ご子息の葬儀というのは、何ともつらいものだ。突然の訃報を聞いて以来、数日、気持ちが落ち込んでいた。子供が幼い間は、いろいろと心配するものだが、子供が成人してしまうと、一安心するのがふつうだろう。死は突然にやってくる。運命というのは何とも残酷なものだ。だが、運命を呪うことはできない。そういうものだと諦めるしかないのだ。天寿をまっとうした老犬の死で落ち込んでいた自分が恥ずかしい。
11/14
勁草書房の編集者来訪。図書館問題で本を一冊出すことにした。資料なども盛り込みたいので、自分で書く原稿は200枚くらいになるだろう。緊急なので「維摩経」の次の仕事とする予定。
「すばる」の新人賞の宴会。本来、この期間は浜名湖に行っているはずであったが、予定が変わったので出席する。「すばる」の新人賞は教え子が4人、受賞している。そのうち2人、大久くんと小泉さんに会えた。広い会場に人間がたくさんいるので、教え子を捜すのに苦労した。編集者になった教え子もいる。光文社のYくんと仕事の話をした。作家というのはフリーターであるから、来年の仕事の予定を確立するために、営業活動をしないといけないが、幸いなことに、仕事の注文は次々に入ってくる。ただ、エッセー、評論の類が多く、小説を書けという依頼がないのがつらい。わたしの小説はどうも売れないようだ。
11/15
いよいよこの作品の最大の山場、不二の法門の場面に突入。これを書くためにこの作品を書いてきたという気がするのだが、この場面そのものは、原典がほぼ完璧なので、単に右のものを左に移し替えるような作業だ。最後の維摩の沈黙とところも、アクションは何もない。ただ黙っているということなので、描きようがない。まあ、この場面に至るまでの過程で、それなりの工夫ができたので、この山場はさらりと展開したい。
11/16
昨日は散歩にも出ず、一日中ワープロを叩いていた。原稿用紙にして24枚書いた。哲学小説であるからこの枚数は驚異的だ。まあ、作品の最大の山場だから集中したのだろう。不二の法門のシーン、昨日のうちに完了。達成感あり。まだ全部が完成したわけではないが。
点字図書館の講演。客席の最前列に盲導犬数頭。愛犬を失ったばかりなので犬が気になる。犬を相手に講演したのは初めてだ。
11/17
『21世紀文学』の座談会の修正。「維摩経」は原典にはない創作の部分を少し挿入することにしたので、ペースが落ちた。ということは、原典をそのまま使っているところは、楽な作業をしているかな。しかし誰にでもできる作業ではない。ところでいまテキストとして使っている本は、17歳の時に読んでいたもの。45年のちに、それを使って本を書いているのだから、これは何か、すごいことではないか。400円ミステリーのゲラも届いているのだが、岳真也氏はようやく入稿したという段階だから、こちらは急ぐことはないだろう。しばらくは「維摩経」を優先させる。
11/19
400円ミステリーの校正終了。何か遠い昔に書いた気がする。仏典にとりくんでいるせいか。自分が書いたものという気もしないので、ただ読むだけ。パソコンで何度も読み返したので、文字の間違いはないはずだし、編集者からの直しの要請もないので、ただ読んだだけで完了。ミステリーとしてはやや暗く、テンポが遅い。純文学ふうミステリーという感じ。これは編集者からの要請でもあるので、これでいいだろう。タイトルは「蓼科高原殺人事件」になるようだ。
メンデルスゾーン協会の例会。わたしは理事をしている。メンデルスゾーンがとくに好きなわけでもないが、今回の宗教曲ばかりのプログラムは、なかなか好かった。宗教好きである。隣にいた妻は疲れていたようだ。宗教嫌いである。ということはまあ、ごくふつうということなのだが。
11/20
有楽町の国際フォーラムの図書館総合展でシンポジウム。図書館関係者向けの見本市のようなもので、出版社や図書館用機材の業者が展示し、図書館職員が見る。そのため出版社側と図書館側の双方が参加するため、図書館問題のシンポジウムを開催するにはまたとない場だ。図書館関係者2名とわたしの3名でのパネルディスカッションだが、相手の2名はかなりの見識をもった図書館職員(二人とも館長)であったため、実りのある議論ができた。図書館と作家は敵対するのではなく、協調して図書館と文芸文化の発展を目指さなければならないというこちらの主張に同意していただいた。会場からもとくに異議は出なかったので、ちゃんと話をすればわかっていただけるという手応えを得た。
11/21
光文社の編集者来訪。来年の仕事の打ち合わせ。この編集者はわが教え子。さらにわが次男の高校の先輩であることも判明。これで来年半ばまでの仕事のスケジュールが決まった。
11/22
東大図書館にて公共図書館についての協議会。今年の1月から9月まで、文化庁の主催でやっていた協議会を今後は、自主的にやることになった。当面はFAXとコピーの問題が主要なテーマとなる。公共貸与権については、来年2月にこちらのシステムが立ち上がるので、そこから攻めていきたい。それにしても朝10時からの会議は疲れる。寝るのが明け方の6時なのに、8時に起きないといけない。睡眠2時間だ。
睡眠不足だから早く寝ようと思っていたのに、突然、仕事に使っているノートパソコンのバッテリーが減り始め、あっという間にゼロになった。プラグをコンセントに常時差しているから、バッテリーなしでも支障はないが、停電などに備えて、バッテリーは必要である。このパソコンは買ってから2年以上になるから、そろそろ寿命か。この夏は車のバッテリーをかえた。バッテリーというのはけっこう高価なものだ。貧乏な作家には負担である。
11/23
武蔵小杉の生涯学習プラザで講演。当然、聴衆は老人多し。東横線で帰る時は田園調布からバスに乗るか、中目黒から散歩がてら歩くこともあるのだが、渋谷に出てバッテリーを買う。2万円以上する。帰って取り付けると、おなかを空かせた犬のように腹一杯電気を食べている。すぐに表示が100パーセントになった。何となく嬉しい。パソコンは生き物だから、これで元気になったという気がする。
11/24
三ヶ日の仕事場へ。浜名湖を一望できる仕事場の机に向かう。机の向こうに浜名湖がある。この景色を眺めながら、「維摩経」のエンディングを仕上げる。原典はよくできているのだが、最後の盛り上がりが不足している。ここで最大限に哲学的レベルを上げないといけない。釈迦よりも維摩よりも、三田誠広の方が高いレベルを展開する必要がある。釈迦よりも二千五百年、「維摩経」の作者よりも二千年のちの時代を生きているのだから、のちの時代の人間の方が賢くなっているはずだ。
11/28
毎日、浜名湖を眺めながらパソコンのキーを叩いている。普賢菩薩、阿弥陀如来などが出てきた。もちろん原典にはこのようなキャラクターは出てこない。「維摩経」は大乗仏典の中では比較的初期に書かれたものだから、観音、阿弥陀などは出てこない。しかしこの一冊で大乗思想のすべてを語ってしまいたい。わたしの小説だから勝手に書かせてもらう。「阿弥陀経」からの引用でかなりスケールが大きくなった。自分の思想は目立たぬようにコンパクトに封入しようと思う。多くの人はこの作品を原典の口語訳だと思うだろうから、近代的な解釈のようなものは入れない方がいい。
昨日、佐久目駅前のウナギ屋に行った。夏に、長男夫婦と孫といっしょに二階を借り切ってウナギを食べたことを想い出す。わたしはウナギは嫌いであるが、人々がウナギを食べる雰囲気というものは好きだ。夏の想い出が胸にしみる。この三ヶ日の仕事場にいると、愛犬リュウの想い出も各所にあって、つらい。孫とはまた会える時もあるだろうが、リュウとは二度と会えない。いまは一人で散歩する。リュウとの散歩コースを避けて、あまり行かなかった地域に踏み込むと、全然知らない道があったりする。ごく限られた別荘地なのだが、よく吠える犬がいて、リュウがいると大変な騒ぎになるので通らないようにしていたゾーンがある。
リュウと歩いたコースを歩くのはいまでも辛いが、先月ここに来た時には涙が流れたけれども、いまはそういうことはない。ただリュウが昔、毎日泳いでいた海岸にだけは近づけない。
11/30
「維摩経」草稿完成。これはあくまでも草稿である。ふつうの小説と違って、とりあえず書き終えてはみたものの、自分でもどの程度のものが出来たのかよくわからない。原典の小説化にあたって、まず導入部をつけた。マガダ国の首都、ラージャグリハにおけるやりとりがあり、アジャータシャトル王と、その母の皇太后ヴェーデヒー夫人が登場し、釈迦と対話する。その後、仏教教団は物語の舞台であるヴァイシャーリー市国に移動し、そこに、実在していないキャラクターが次々と登場する。釈迦の最晩年の旅行の時点では、先に死んでいるはずの二大弟子、およびさまざまな菩薩たち、神々と天竜八部衆、そういった架空のキャラクターが出揃ったところで、原典の世界に入っていく。
原典の世界に入ってからは、難解なところは自分なりに噛み砕きながら、原典を自分の文体に書き換えていくという、翻訳作業になる。原典がよくできているので、あまり直すところはなかった。ただし、この原典は大乗仏教の初期に創られてものなので、大乗仏教のその後の展開を知っているわれわれにとっては、少し物足りないところがある。その点で、「法華経」の主要概念である《法身の釈迦》を登場させたり、普賢菩薩や阿弥陀如来も出し、最後には禅宗につながる迦葉の捻華微笑のエピソードも加えた。こういう追加も大きな直しではない。ほぼ原典そのままという感じがする。
草稿を書き終えてもあまり達成感がないのは、プラスアルファーの部分が少なかったからだが、キリストを描いた『地に火を放つ者』はプラスアルファーの部分が多すぎて、キリスト教徒の人には評判がわるかったので、原典に忠実な方がいいかなとも思う。仏教徒とと喧嘩するつもりはない。「維摩経」の原典そのものがかなり過激で、当時の保守化した小乗仏教を批判しながら、儀式宗教となった現代の仏教の批判にもなっているので、原典に忠実であることでも充分に意味のあるものになっている。とにかくしばらく寝かせておいて、距離をとってから、読者の気持ちになって読み返してみたいと思う。
ということで、明日からは「十牛図」にとりかかる。とりあえず新しい文書を作り、タイトルだけ書き込んだ。「十牛図による自己発見の旅」。内容は、《本当の自分》とは何か、というもの。十牛図の簡単な説明はするけれども、解説書ではない。十牛図を挿し絵としながら、自分なりの存在論を展開したいと考えている。ただし、とにかく十牛図をテーマとするのだから、仏教について、おりにふれて語ることになる。「維摩経」と並行して作業を進めるので、ごく自然に仏教の発想が文章の中に出てくればいいと考えている。
創作ノート4に進む
創作ノート1に戻る
