「イクメノオオキミ/活目王/新アスカ伝説A」創作ノート3

2002年3月〜

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03/01
文春ネスコより電話。何と、「般若心経の謎を解く」を増刷するのだという。「聖書の謎を解く」も「アインシュタインの謎を解く」も増刷を重ねているが、このシリーズで唯一「般若心経」だけは増刷していなかった。文教の入門書として出したのだが、般若心経にしぼったことで、読者の範囲を狭くしたようだ。それとも仏教そのものが人気がないのか。いちおうシリーズなので、「宇宙の始まりの小さな卵」の発売にあわせて在庫を揃えておこうということだろうが、売り切れても増刷しない出版社が多い中で、文春ネスコの誠意に感謝したい。

03/02
小学館の百科事典が届いた。新版が出たので通信販売で申し込んでいたもの。メールで案内が来てそのままメールで申し込んだ。ワープロソフトなど、新版が出る度に案内がくる。ヴァージョンアップする度にお金がかかる。いい商売をしていると思う。しかし今回のヴァージュンアップは少々違う。わたしがもっていたのは「ジャポニカ2001」のライト版だ。これは百科事典のテキスト表示だけが入っているもので、挿し絵や写真が入っているものは3万円以上するが、ライト版は確か8000円くらいだったと思う。で、今回の新版は、4万円近いものを、旧版のユーザーに1万5000円で売るというものだが、ライト版のユーザーにも同じ価格で売っていいのかという疑問が生じる。わたしは合計2万3000円で、4万円のソフトを手に入れたことになるのだが。
というようなことはどうでもいい。とにかくソフトが届いたので、インストールしないといけない。わたしは老人なので、若い人のように、時代の流れにすぐに適応するということはできないので、パソコンというものに対しては、いまでも警戒心を抱いている。仕事に使っているものだけに、新たなソフトを入れてパソコンが不調になっては困ると思い、なるべくソフトは入れないようにしているのだが。
ソフトのインストールは昔と比べれば簡単になった。とにかく表示に従って対応すれば、それでいいのだ。めでたくインストールは完了した。いままでテキスト(要するに文章ということ)しかなかった百科事典に、絵が見えるようになった。早速、鳥とか虫などを、事典で引いてみる。絵が出てくるのが単純に嬉しい。必要に応じて音も出る。地図も出る。試しに自宅の近所や浜名湖の仕事場のあたりを出してみたいが、かなり詳細な地図が出た。終戦の玉音放送とか、音と動きのある表示が面白い。ウツボが歯の掃除を小さなエビにやってもらっている動画が面白い。何度見ても、ウツボの顔がとぼけていて、おかしい。この小学館の百科事典は、とにかく役に立つ。
しかし、これで時間をとられたので、仕事があんまり進まなかった。9章の終わりの直前まで来ているのだが、今日も終わらなかった。次の代の天皇の景行天皇は悪人にするつもりだったのだが、少年の景行天皇すなわちタラシヒコが、かなり説得力のある台詞をしゃべった。これでは話のコンセプトが変わってしまうのではないか。こういうハプニングによって作品は成長していく。この流れに乗りたいと思う。
スペインにいる長男から、時々、メールに添付されて写真が届く。今回は、われわれが送った雛人形の写真が届いた。三越本店で買った雛人形がちゃんと届いていることがわかって嬉しい。わが孫は、ものすごく可愛くなっている。もうこうなったら仕方がない。デスクトップのパソコンの壁紙にしてしまった。いままでは、ハスキー犬のリュウちゃんの写真(ホームページの中に同じ写真が見えるようになっている)を壁紙にしていたのだが。
ちなみに、仕事で使っているラップトップの方は、去年、長男の家を訪ねた時に、いっしょに行ったベルギー北部のオステンドという港町の写真を壁紙にしている。北海を背景に、わたしがたたずんでいる写真を壁紙にしている。わたしはナルシストではない。自分の顔を見ながら仕事をしたいわけではないが、海がきれいに映っている。
で、デスクトップの方だが、壁紙は孫の写真になったのだが、起動の時と、終了の時に、なぜが犬の顔を画面に出てくる。どういうことになっているのか。パソコンというものは、いまだによくわからないところがある。というか、わからないことの方が多いのだが、わからなくても何とか使えるところがまた不思議で、気持ちのわるいところだ。花粉症がひどい。何とかしてくれ。

03/03
雛祭り。ウェスカの長男のところでは、わが孫の初節句を祝うパーティーが開かれていることであろう。わが妻が電話で、チラシ寿司の作り方を教えていた。長男はピアニストらしく手先が器用で、料理もけっこううまい。こちらは雑用だが、著作権管理のための新しい組織の「設立趣意書」を書く。これがないと役所に申請が出せない。
第九章完了。というか、昨日書いた部分の最後で、章を改めることにした。タジマモリという少年がミカンをもってくるシーンを九章の最後に置くつもりだったが、これは十章のあたまに回した。引き続きミカンの話を書いた。あと十ページ、30枚ほどでゴールインだ。明日はテレビ出演がある。教育問題。これも雑用だが、たまにはこういう仕事もしないと、世の中から忘れられてしまう。

03/04
テレビ出演。「トーク3人の部屋」という番組。テーマは教育問題。日能研社長の高木氏と、教育評論家の尾木氏と、3人で議論する番組で、司会者がいないのでどうなることかと思ったが、面白いトークになった。放送は17日の日曜日。
帰って仕事。いよいよタラシヒコが邪悪な活躍を始める。タラシヒコが父に反抗する理由をちゃんと書き込めたので、単なる仇役ではなくなった。こういうふうに人物を設定できると作品が深くなる。当初はここまでは考えていなかったのだが、書いているうちにとっさにアイデアがひらめいた。良い人にしすぎてもつまらなくなるが、バランスをとりながら、この邪悪な人物の人間性をしっかり描いていきたい。

03/05
いよいよタラシヒコが活躍を始める。次の「ヤマトタケル」では悪役になる人物だが、百パーセントの悪人ではない。母にうとまれ、父からも嫌われて、仕方なくグレているようなところがある。しかし一方では、覇王としての側面をもっている。力による全国制覇を狙っている。ここで制覇するとは、地方国の王を凌駕して支配するということと同時に、地方のツチ神(土着の神)を制覇することをも意味する。このあたりがふつうの歴史小説と違うところだ。何しろ神話と歴史の境界のない時代である。
終章になったので、書き落としがないように、プロットを整理しておかなければならない。最後の方から考えていくと、垂仁天皇(イクメ王子)が死んだあとでタジマモリがミカンを届けるシーンがある。その前は当然、イクメ王子が病に倒れる。力関係が、皇子のタラシヒコの方が強くなっている。このタラシヒコがイナビ姫をレイプする話が必要だ。そのイナビ姫の父はキビツ王である。当然、タラシヒコがキビツ王を殺すシーンもある。このイナビ姫の産んだ子が、オオウスとオウスの双子の兄弟で、オウスはまたヤマトオグナと呼ばれ、ツクシのヒの国にて、クマソタケルからタケルの名を貰ってヤマトタケルと呼ばれることになる。
この終章では、次の「ヤマトタケル」の登場人物を揃えておかなければならない。イナビ姫が出てきたので、ヤマトタケルの準備は整った。するとヒロインも必要だ。オトタチバナ姫。父はタジマモリでまだ少年だから、オトタチバナ姫はまだ出てこない。ヤマトタケルを陰から助ける英雄としてカニメノオオキミという人物が出てくる。これはマワカ王子の子息として9章にすでに出ている。成務天皇も出しておきたい。ヤマトタケルより少し年下なだけだ。成務天皇と同年生まれのタケシウチという英雄。これは「神功皇后」の巻で活躍するカツラギのソツヒコの父である。突然だが、力士のノミノスクネの子息ということにしてしまおう。この部分はわたしの創作。時々、「古事記」「日本書紀」とは違うことを書く場合もある。「古事記」と「日本書紀」の記述がずれている場合は、どちらかを無視しなければならないので、両方無視したっていいのだ。
というようなことを考えながら終章を書かないといけないので、手間はかかるが、書くべき内容はたくさんあるので、テンポよく語らないといけない。1章は15ページ45枚と決まっているので、コンパクトにプロットをつめこむ必要がある。それでいて、小さな山場はイメージ豊かに書き込んでいかなければならない。立ち止まって考えてしまったら1行も書けなくなる。幸い、このところ調子よく書けているので、勢いでゴールに突入したい。

03/07
「イクメノオオキミ/活目王」草稿完了。このノートは昨年の12月から始まっているけれども、この月は去年の仕事のまとめとして、「宇宙の始まりの小さな卵」と「頼朝」の草稿チェックをしていたので、年末の段階で1章しかできていなかった。そこから、1週間で1章のペースで進んできたことになる。まあ、実質、2月半で草稿が完成したといっていいだろう。この草稿のチェックにあと1週間かかるだろうが、3カ月以内で450枚の小説を書いたのだからよしとしよう。いいペースだったと思う。とくに後半はピッチが上がってきた。
いつも思うことだが、作品のゴールに到達しても、嬉しい、という感じはしない。いまは何も感じていない。明日になれば、少し、ほっとした感じがするだろうと思う。担当編集者に原稿を渡す時に、たぶん三宿で飲むと思うが、その時に、ようやく、ささやかな喜びがわいてくるだろう。しかし、すぐに次の作品を書かなければならないのだから、喜びにひたっているわけにはいかないのだ。とくに、「角王」から「活目王」そして次の「倭猛(ヤマトタケル)」と、連続して一つのシリーズを書き続けているので、終わったという感じはしない。全体が一つの長大な物語だから、この作業には果てがないのだ。
本日、「炎の女帝/持統天皇」(学研M文庫)の見本が届いた。いい装丁だ。女帝シリーズの第二弾である。時代順にたどれば、「新アスカ伝説」の続編が、この女帝シリーズということになる。「推古天皇」は武烈天皇が死ぬところから始まっている。そこに到るまでに、いったい何人の英雄を書かなければならないのか。気が遠くなるような気もするが、楽しみでもある。今回は垂仁天皇の子息の景行天皇は、少年として出てくるだけだ。次の作品では、主人公ヤマトタケルの父として登場する。というふうに、主人公になれずに脇役や仇役として出番を終えてしまう天皇もある。だから、天皇の数よりも作品の数は少なくなるはずだ。
このシリーズは、とりあえず3冊書こうと思っている。1冊目が出てから、間があきすぎると本屋の店頭から本が消えてしまうので、第1弾がまだ店頭にあるうちに第2弾を出す、という戦略を立てている。そこで、「ツヌノオオキミ」は完成しているのだが、まだ入稿していない。いちおう、6月に本屋に出すことにしている。「イクメノオオキミ」が出るのは7月。完成しても、本ができるまでに間があるのがつらい。担当編集者以外の反応が見られないからだ。
その担当編集者は、「ツヌノオオキミ」を読んで、いままでの(三田の)作品が何だったのかと思われるくらいに面白い、と言ってくれた。もちろん誉めてくれているのだが、考えようによっては、いままでの作品がダメだったということにもなる。そのことが気がかりだったので、今日届いた「炎の女帝」の最初の1章を読んでみた。面白い。相当のレベルでうまく書けている。まあ、「ツヌノオオキミ」はそれよりもはるかに面白いことは間違いない。たぶん、今回の「イクメノオオキミ」も、前作と同じくらいのレベルには達していると思う。「ヤマトタケル」は、もともとの素材がいいので、全2作を上回るはずだ。ということは、この三部作は、三田誠広の作品の中では、ベスト3になることは間違いない。

03/13
完成した。草稿が完成したのが7日だから、予定どおり1週間でチェックが完了したことになる。どういうわけか10ページ、30枚ほど枚数が増えてしまった。説明不足のところ、展開がスムーズでないところ、描写が不足しているところなどがあったのだろう。だが、どこをどう書き直したかは、記憶にない。50歳をすぎた頃から、脳のキャパシティーが小さくなったような気がする。記憶がどんどん欠落する。一日の終わり頃になると、その日の始めの頃が思い出せなくなる。
450枚の草稿を書き上げた時には、もう前半部分に何を書いたか忘れていた。最初から読み返してチェックを進めているうちに、後半何を書いたか忘れていた。要するに、初めて読むような感じで読めるので、読者の気持ちがわかる。だから、ここは説明不足だとか、ここは盛り上がり不足だとかいったことが的確にわかる。で、直しを入れる。直しを入れた先から、どんどん忘れていく。どこに何を書いたか、どんなふうに直したか、きれいに忘れていく。それでも書き直しの作業ができるのは、ワープロの検索機能があるからだ。言葉を入れて、検索すると、その言葉を使った箇所がすべてわかる。その部分だけつまんで読んでいけば、何を書いたかわかるし、その周囲のことも思い出せる。
この1週間、自分が書いたばかりの作品を、初めて読む読者のような感じで読んでみたわけだが、かなり面白かった。次から次へとスペクタクルが登場して、息をつくひまもない。理屈は最小限に抑えてある。主人公となる二人のキャラクターが描き分けられているし、3人の女が絡まり合っていく展開も自然に流れている。三回出てくる白いイノシシ(タタリ神)もうまく効いている。毎回登場するキャラクター、ヤタガラス、ウカノミタマ、ヒトコトヌシの出番も適材適所で、パーフェクトといっていい。実に複雑な計算によって構成されたと思われる作品だが、読んでいくとすらすら読める。何か、すごい作品だなー、と思う。いったい誰がこんなすごいものを書いたのだろう、という気もする。
こういうふうに感じられるのは、幸福な瞬間である。しかし、どうしたらこんなにうまく書けるのだろうと考えても、ノウハウがわからない。だから、同じようなレベルのものを、もう一つ書けるかといわれると、自信はない。でも、たぶんいくらでも書ける、という気もする。どうやって書くかなどということを考えなくても、ひとりでにすらすら書けてしまうのだ。仙人みたいな心境である。だから、自分の将来には全然、不安をもっていないのだが、方法論がわからないので、作家志望の学生に、書き方を教えることはできない。
最初の作品、「Mの世界」を書いたのは、17歳の時だった。いま53歳だから、36年前ということになる。すごい昔だ。あんたたち、生まれてなかったでしょ、というような昔である。でもまあ、世田谷文学館でいっしょに選考をしている青山光二さんから見れば、わたしなどはガキだろう。50歳で仙人になった、などといったら、先輩の先生方から笑われるだろう。わたしが言いたいのは、まあ、気分良く仕事ができている、ということだ。
「ツヌノオオキミ」「イクメノオオキミ」と、2つの作品を連続して書いたことで、一つの流れができたように思う。3つめは、この流れに乗っていけば、楽に書ける。ただ、3つめは、前2作よりもさらに面白くしないといけないから、だんだんプレッシャーがかかってくる。しかし、「ヤマトタケル」というのはビッグネームだから、楽しみだ。主要登場人物は、今回の作品のラスト近くに、幼児や赤子として出しているので、すぐにでも書き始めることができる。
実際に「ヤマトタケル」を書き始めるのは4月半ばになる。雑用が少しある。旅行の予定もある。とりあえず、「まどみちお論」20枚を書かないといけない。作品論をせよということなので、「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「びわ」を論じることにした。テレビの「ブックレビュー」にも出る。課題の本は江國香織。最近、あんまり本を読んでいないので、たまにはこういう仕事もいい。
作品が完成したので、この創作ノートも終わりになるのだが、次の作品に取りかかるのは来月なので、今月いっぱいはこのノートに、雑文を書くことにする。

03/15
編集者3名と、三宿で呑む。そのうち1人は「活目王」の担当者なので、原稿を渡す。予定どおり「ツヌノオオキミ」を6月、「イクメノオオキミ」を7月に出す。女帝三部作の文庫本を1月、3月、5月と出して、その後を受けて、新しいシリーズをスタートする。当面、三部作ということで、「ヤマトタケル」を8月に出したい。しかし書いた手応えがいいし、担当者も面白いと言ってくれているので、もっと長いシリーズにしたい。売れている限りは続編を出し続けたい。ずっと書いていくと、女帝三部作の最初に出てくる武烈天皇に到達する。「碧玉の女帝」では狂った王として登場する武烈天皇が、なぜ狂ったのかを書くと、新アスカ伝説は完結する。
一年で3冊書けば、数年で完結するのではないかと思われる。まあ、他の小説も書きたいから、もう少し時間はかかるかもしれない。女帝三部作の次の時代、つまり桓武天皇から先も書きたいし、現代小説もたまには書きたい。
話はかわるが、わたしは三宿というところに住んでいる。宿が三軒あったということではない。たぶん水たまり、という意味の水宿が、三宿に転じたのだ。北沢川と烏山川が合流して目黒川になる地点で、近くには池ノ上という駅もあれば、池尻大橋という駅もある。池ノ上から池尻大橋までが一つの池だったとすると、巨大な池だ。
このあたりには、いい飲み屋がいろいろある。ここで暮らすようになってからは、新宿へ行かなくなった。原稿を書き終えて編集者の呑む酒は最高である。年に数度しか味わえない酒の第一回が本日であった。

03/25
すでに「ヤマトタケル」を書き始めている。現在、もう少しで1章の終わるというところまで来ているが、いまだ主人公のヤマトタケルが登場していない。この作品では悪役となる父の景行天皇の悪逆ぶりが描かれる。この天皇に反発したツチ神や、クマソや、その他の部族の反乱を鎮めるのがヤマトタケルだが、父の残虐な政治があまりにひどかったために、収拾がつかなくなる。そこで自らが死を求めるというのがこの作品のあらましで、はっきり言って、イエスキリストがいけにえの子羊になるのと同様の物語構造だろう。ヤマトタケルがキリストであるというのは、たぶん誰も言っていない見解だろうと思う。それは「古事記」にも「日本書紀」にもそういうことは書いていないからだが、しかし妻のオトタチバナ姫が犠牲となって海に沈む物語は記されているのだから、犠牲という概念があったことは確かだ。神話の作者はオトタチバナ姫の物語を置くことで、ヤマトタケルもまた犠牲の子羊になったのだということを暗示したのではないかとわたしは解釈している。
というふうに物語のあらましを述べてしまうと、本を読む気が失せてしまった読者もいるかもしれない。創作ノートとはそういうもので、タネ明かしをしながら小説を書いているのだ。しかし、書く前にもっている構想というのは、あくまでも基本の設計図にすぎない。その設計図どおりに作品を書いたのでは、書く面白味がない。書き手自身も、どうなっていくのだろう、と先が読めない、ある意味でいいかげんな書き方をした方が作品は面白くなる。主人公が絶体絶命のピンチになる。どうやって脱出できるのか、書いている本人もわからない。そういう書き方をすると、書き手は読者とスリルを共有することができる。推理小説の場合も、作者自身が、最後まで犯人がわからない、というところにスリルが出てくる。作者が脱出方法とか真犯人とか、手品のタネを知っていると、手つきで先を読まれてしまう。そういうわけだから、ここで示した設計図も、なりゆきによってはどんどん変更する。完成した作品は、全然違ったものになるだろう。もっとも、ヤマトタケルが主人公になることは間違いないが。

03/27
急に孫の顔を見に行くことになった。本当は、作品を書き終えてのんびりしたいところなのだが、この勢いを持続させるために、1章だけは書いておきたかった。ぎりきりで出発の前に1章が完了したので、プリントして旅にもっていく。帰りの飛行機の中で読み返せば、勢いが戻ってくるだろうと思う。孫については、別に項目を設けて書くつもりだが、しばらく待っていただきたい。引き続き新アスカ伝説の創作ノートは継続する。

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