「イクメノオオキミ/活目王/新アスカ伝説A」創作ノート2

2002年1月〜

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01/01
正月。三ヶ日の仕事場にいる。妻と妻の両親、次男、愛犬リュウノスケというメンバーで、新年を迎える。この仕事場の書斎からは、例年、見事な初日の出が見える。浜名湖の対岸に、舘山寺温泉がある。その背後の低い緑地の向こうは浜松市内で、その向こうは海だから、ほとんど地平線に近い低い丘があるだけで、その向こうから初日の出が昇る。その光が浜名湖の湖面に反射して、オレンジ色に輝く。毎年、初日の出を眺めている。
今年は残念ながら、うすい雲が出ていて、太陽の輪郭は見えなかった。おぼろ月のような太陽が雲の向こうに見えただけだ。べつに初日の出を見たからといってどうということはないし、大晦日も二日の朝も、日の出はくっきりと見えた。そもそもふだんは日の出を眺めるということはない。夜明け前に寝て午後起きるという生活だし、三宿では日の出を見ようという気にはならない。浜名湖では、目の前に広大な湖があり、そこから陽が昇ってくるので、何となく、じっと見てしまう。ここでは犬の散歩のために、日の出前に起きている。朝起きて夜寝るという生活をする。
さて、「頼朝」の草稿チェックを終えてからの一週間で、「活目王」の第一章ができた。十二月の初めに書き出しだけ書いていたので、そこからすぐに書き進めることができた。主人公イクメ王子のキャラクターも頭に入っている。というか、「角王」の最後に、イクメ王子とマワカ王子は少年として登場しているから、すでにキャラクターはできているのだ。少年は二人とも、ややわがままなキャラクターとして登場しているが、それは子供だからで、いろいろと苦労するうちに性格が円くなっていく。
イクメ王子は実はタケヌナカワ(オトヒコ)の子なので、ツヌノオオキミと血のつながりはないが、皇位を嗣いでいる。しかし額には角がない。霊力もない。そのことがイクメ王子の負い目となっている。逆にマワカ王子は角があり霊力を有している。力があるのに、皇位を嗣げなかった。そのことが負い目となっている。二人とも、自負と悔恨を抱いている。この二人が、恋の三角関係を作っていく。これだけの設定をしておけば、話はひとりでにふくらんでいく。
だが、単なる恋愛小説ではない。ファンタジーだから、怪物を登場させないといけない。すでに第一章には、手足も顔もない肉の塊のトヨ姫という奇怪な存在が登場している。トヨ姫の呪いを受けて、イクメ王子は遍歴の旅に出る。呪いを受けて遍歴の旅に出るというのは、物語の定型である。オーソドックスな冒険物語になるだろう。この第二作はそれでいいと思っている。第一作の「角王」は物語としては破格で、類例のないキャラクターだった。今回はふつうのファンタジーを目指したい。第三作の「ヤマトタケル」はまた類例のない話になるはずだから、この二作目は物語の楽しさを読者に伝えたいと思う。

01/02
正月二日。筑波の研究所にいる次男は年末に帰ってきて、われわれといっしょの車で浜名湖の仕事場に移動したのだが、本日、新幹線で東京に帰っていった。むろん会社はまだ休みなのだが、あとは自由にすごしたいということだ。まあ、休暇のすべてを親とともにすごす若者などといったものはいないだろう。こちらに来て、一度だけ、次男が夕方の犬の散歩につきあってくれた。犬の綱をもたせて湖岸を歩いていると、ポケットから自分のデジカメを出して、撮影するように命じた。わたしは犬や次男のためなら、何でもしてやろうという気持ちになる。妻もそうだが、わたしも時々、次男と犬の名前をとりちがえる。大差のないものと認識しているのかもしれない。下の子供というのは、いつまでもペットのようなものだ。
次男を浜松駅まで送った帰り、スーパーに寄った。妻がベビー用品売場に行くので、生まれてくる孫のために何か買うのかと思ったのだが、足腰の弱った犬のために、すべりどめのついた靴下を買ったのだった。帰って犬にはかせてみると、確かに少しは効果がある。仕事の床はフローリング(自宅はコルク材)なので、犬がつるつるすべってしまうのだ。14歳の犬は足腰が弱っていて、昔はすべらなかった場所で、よろよろとすべってしまう。オスワリをするのに30秒くらいかかる。ヨチヨチ歩きの幼児の靴下は、足の上にゴムのすべりどめがついている。
「活目」も少し進んだ。第一作では、八章にオオクニヌシを出した。この偉大な神が、すべての謎を解き明かすという設定になっている。いま気づいたが、コッポラの「地獄の黙示録」も、最後に悪の帝王のような存在が謎を解き明かすシーンがあった。まあ、そんなものだ。今回は、アマテラスの父のイザナギが、闇の帝王として謎を仕掛けている。これを7〜8章くらいで登場させようと考えていたのだが、それでは前回と同じパターンになってしまう。
そこで今回は思いきって、2章の冒頭に登場させることにした。ここですべての謎が解き明かされてしまうのだが、それは物語の土台となる状況設定が示されるということで、この状況設定を謎としてしまうと、読者としては何が何だかわからなくなるおそれがある。そこで謎を先に示しておいてから、その後の展開がどうなるかということで、読者の興味を引っぱっていきいた。第一章で、すでに仇役となるマワカ王子は登場しているのだが、このマワカ王子という人物がどういうキャラクターなのかは、まだ示していない。むろんマワカ王子の出自はわかっているので、謎の人物というわけではないのだが、このマワカ王子がどういうふうに関わってくるかということが、この作品の隠された設定ということになる。ここに謎に似たものがあるので、読者を充分に引っぱっていけるだろう。

01/05
2章の終わりの直前まで来た。まだ分量が少し足りないが、イクメ王子の遍歴の旅は終わった。最後にマキムクに戻って、サホ姫と結婚する場面を加えれば、ちょうどいい長さになるだろう。そこから少し時間を飛ばして、サホヒコの反乱に話を進めることになる。当初、このサホヒコの反乱のところから話を始めるべきかと考えたこともあるのだが、それでは450枚の長丁場をひっぱっていくストーリーの素材が尽きてしまう。そこで、導入部として、イクメ王子の遍歴という物語を置くことにした。これで2章ぶんの物語ができたので、全体のバランスがよくなった。
イクメ王子の晩年は、あまり大きな事績はない。というか、この人物は何もしなかった割に、長生きしているようなので、後半生は駆け足で進行していきたい。ということで、イクメ王子の青春時代をできるだけ長く描きたい。この2章までに、もう一人の重要人物マワカ王子も登場し、充分に魅力的なキャラクターとしてイメージできたと思う。二人の人物がヒバス姫をめぐって三角関係になりそうな状況設定も描けた。ただし、ヒバス姫はまだ幼少なので、物語が発展するのは少し先になる。
本日で、浜名湖の仕事場での作業を終える。明日、三宿に帰る。この浜名湖の仕事場は景色がいいので仕事がはかどるのだが、来週はラジオの録音があり、その先は文芸家協会関係の仕事がいつくかある。大学を辞めたので、もっと長く仕事場にいられるかと思っていたのだが、そうもいかない。とにかく、1章を1週間で書くというペースを守っていけば、2月末に作品は完成する。と思ったが、2月は短い月だから、少し3月にずれこんでしまうか。第3部の「ヤマトタケル」を含めて、5カ月で書くという計画を立てているので、多少の遅れはいいのだが、ヤマトタケルのプランも並行して練り込んでいかないといけない。
明日は6日、日曜日なので、道路が混んでいるのか、すいているのか。いずれにしても運転するのは妻なので、こちらは車の中で、作品の構想を練ることになる。去年の正月、三宿に帰る途中の車の中で、紀長谷雄、と心の中で叫んだのを覚えている。菅原道真という人物があまりに真面目すぎて、話が固いものになりがちだったので、ヒョーキンな脇役がほしい、と考えていて、紀長谷雄を使えばいい、と思いついたのだった。従って、わたしが描いた紀長谷雄は、コミカルな感じになっている。本来の紀長谷雄というのは、安倍晴明と並ぶ陰陽道の達人として、怪異な人物というイメージがあったと思う。もっとも、うっかりミスに近い失敗をした史実も残っているので、どこかとぼけた人物でもあったようだ。というように、今年も、何ごとか、ひらめくことを期待している。まあ、とにかく、道中の無事を祈るのが先だが。

01/08
三宿に帰ってきている。2章の終わりで少し考え込んでいる。三ヶ日からの移動もあったし、本日はラジオに出演した。わたしはラジオは聞かないのでそんな番組があることも知らなかったが、NHKの深夜特急便「こころの時代」という番組で、45分を2回、合計90分間、ひとりでしゃべり続けたので疲れた。90分といえば、大学の講義一回ぶんだから、しゃべりなれているはずだが、ラジオというのは聞いている人の反応がないので、原稿を書くのと同じ感じで、何を話すべきか気にかかった。結局、ぶっつけ本番でしゃべったが、何か気にかかることがあると集中力が失われるので、ここ2日間の停滞はそのことと無縁ではないだろう。まあ、終わったので、これで集中できる。

01/11
集中できると思っていたが、「ビッグバンの謎を解く」のゲラが出た。3日あればチェックできると思うが、編集者から10ページほど削れといわれたので、手間がかかるかもしれない。分厚くなると定価が高くなる。本は売れないといけないし、文学作品ではないから、削れないわけではない。少しずつ削っていくというのは、けっこう大変だから、どこかを塊でバッサリ削りたい。
タイトルについても、「宇宙」というのを入れてほしいという注文が出た。確かに「ビッグバン」というのは、色気がない。テーマはビッグバンなのだが、それではストレートすぎる。とっさに「宇宙の始まりの小さな卵」というのを考えた。童話みたいだが。校正をしながら、タイトルを考えるつもりだが、とりあえず営業部に提案してもらうように頼んだ。ゲラの段階でタイトルを変えるというのは、けっこうつらいものがあるのだが。「団塊老人の逆襲」が「中年って何」に変わってしまうこともある。そういえば「夫婦の掟」も、最初は「中年男が妻に嫌われない方法」だった。「地に火を放つ者」は「トマスの十字架」だった。「ペトロスの青い影」は「ドリーミング」だった。
タイトルが一発で決まらないのは、中身とタイトルがピタッと一致していないからで、あまりいいことではない。「僕って何」とか「いちご同盟」は最初からタイトルが決まっていた。そうでないといけない。
「活目」は3章に入っている。サホ姫がミワ山の神を招く。ここで突然だが、相撲が始まることになる。相撲の起源は垂仁天皇の前で、ノミノスクネとタイマノケハヤが闘った故事に始まる。これを無視するわけにはいかない。やや唐突だが、後半の山場のあたりで突然、相撲が出てくるのもヘンだから、先に書いておかないといけない。サホヒコの反乱の前に、しばらく間をとりたいので、ちょうどいいだろう。相撲は当然、盛り上がるはずだ。ストーリーの関係ないところで盛り上がっても仕方がないのだが、間をとるという意味では、相撲はいい。埴輪の起源も垂仁天皇の時代で、やはいノミノスクネが関わっている。ノミノスクネは前作「角王」にも登場させて布石を打っておいた。相撲だけでなく俳優も登場させたい。俳優や神楽の起源はアマテラスが天の岩戸に閉じこもった時に、アメノウズメが裸で踊ったのが起源だが、相撲も一種の芸能だから、神楽と合わせて、一大フェスティバルが盛り上がるということにしたい。その華やかな盛り上がりの直後に、サホヒコとサホ姫の哀しい反乱が起こる。ここは前半の山場となるだろう。

01/14
チェホフの「かもめ」を観る。「かもめ」を観るのは3回目だと思う。この前は20年ほど前で、その時は姉はマーシャの役だった。暗い役だけどギャグをとばして笑わせる技術に感心した覚えがある。この作品は「わたしはかもめ」という台詞が有名で、ニーナが主役であることは確かだが、主人公トレープレフと母親の対立を描いた家庭劇と見るべきだろう。で、今回の姉は母親役で、それだけ年月が経過したわけだが、見ているわたしの方も年をとったという感想をもった。
この作品でチェホフはストレートに文学論を展開している。主人公が文学青年で、母親の愛人の流行作家との対立が物語の核になっている。最初に観た時は、わたしはまさに文学青年だったから、文学論が出てくると、他人事とは思えず、冷静に芝居を見ることができなかった。前回は作家になったばかりだったから、やっぱり文学青年の立場で芝居を見ていたように思う。
今回は当然のごとく、親の立場から見た。自分の息子たちが文学青年にならなくて、本当によかったと思った。息子が文学青年であるというのは、家庭の最大の悲劇ではないかと思う。わたしの子育てとは究極的には、息子を文学青年にしないための努力だったと思う。「息子を文学青年にしない方法」という本を書いても需要はないだろうが。文学そのものが衰退しているので、いまは文学青年などというものもそれほどは存在しないだろうが、それでもわたしは去年まで早稲田の文学部で小説の書き方を教えていた。文学青年は少なくとも早稲田には生きた化石のごとく棲息している。時々、教え子の親から、責任をとってくれ、などという電話がかかってくる。はっきり言って、子供を文学部に入れた時点で、親はすでに過ちをおかしてしまっているのだ。
それにしても、「かもめ」で展開される文学論は、旧きよき時代のムードに包まれたものだ。いまはもう文学論そのものが成立しない状況になっている。文学はまだ生き残っているが、文学論はもはや不要だ。とにかく生き残るしかないということであって、よりよき文学とか、新しい文学などといったものを理屈で議論してもしようがない時代になっている。
突然、話は変わるが「宇宙の始まりの小さな卵」(ビッグバンの謎を解くを改題)のゲラを読み始めた。序章をそっくり書き換えたので、読みやすくはなっているが、格調がない気もする。しかし、宇宙のは始まりについて考えることの重要性は読者に伝わると思う。昨日の朝と今朝、先日収録したラジオ番組が放送された。驚くべきことに聞いている人がいて、電話がかかってきたり、メールが届いたりした。全然連絡しなかったのに、わたしの母まで偶然、聞いたと言っていた。老人は早起きなのだ。というか、眠りが浅いのでラジオをかけながらうとうとしている老人が多いのだろう。

01/17
昨日、集英社の担当者に「頼朝」の原稿を渡した。昨年の年末に完成していたものだが、正月にも少し書き足した。第一次草稿が完成したのは去年の七月だから、ずいぶん長く放っておいた。「角王」を書いていたのだから仕方がない。とにかく、渡してしまったので気持ちが軽くなった。本日、「ビッグバン」のゲラ完了。涙をのんで、パウリの排他律について述べた部分を8ページほどバッサリ削除した。定価抑制のためという担当者の提言に応じたし、この部分はどんなに説明しても難解という印象が残っていたので、あえて排他律については原理を解き明かさないことにした。ある程度は解き明かせたと思っていた部分だけに、残念な気もするが、本の流れはよくなった。
タイトルは「宇宙の始まりの小さな卵」に決定。昨日、担当者に連絡したら、いま会議で正式決定したとのこと。「謎を解く」シリーズもマンネリなので、このタイトルにしてよかったと思う。「宇宙の卵」というのはルメートルの用語。ビッグバンはホイルが批判的に用いた言葉なので、この「宇宙の卵」の方がイメージがうるわしい。
さて、また「活目」に戻る。タイマノケハヤの登場のシーン。大夫のタケヒがカツラギまで迎えに行くシーンを加えたいと思う。ここまで、主人公イクメ王子に沿って物語を展開してきたのだが、近代小説ではないので、イクメ王子から視点が離れることがあってもいいだろう。それで相撲をとることになるのだが、これで3章は終わってしまう。冒頭に置くことも考えたサホ姫の反乱は、4章にずれこむことになる。バランスとしてはちょうどいい場所に落ち着いたと思う。

01/26
やっと土曜日になったが、今週は忙しかった。ウィークデー5日間のうち、3日、文芸家協会に行った。残りの一日は著作権白書委員会だから、5日のうち4日、著作権関係の仕事をしていたことになる。頭が著作権中心になっているので、夜中にパソコンを抱いても、神話の世界が進まない。先週末、相撲の起源であるタイマノケハヤとノミノスクネの相撲の模様を書いていたのだが、一週間たったいまもまだタイマノケハヤとノミノスクネが闘い続けている。相撲の話を書いているわけではない。今回の作品はラブロマンスなのだ。少しりきみすぎている。ここは思いきって簡略化した方がいいだろう。

01/27
突然だが、孫が生まれた。前から生まれることはわかっていたが、何しろスペインだから、実感がなかった。昨日の夕方から、長男から電話で時々報告があった。妻が寝たあとは、電話はわたしがとった。で、明け方、生まれたと報告があった。子供は、長男夫婦の作品といえるが、遺伝子について考えてみると、エレーナ(長男の妻)の両親と、わたしたち夫婦が、四分の一ずつ、遺伝子を出し合った合作といえる。わたしがわたしの妻と出会ったのも、偶然であり、運命的な出来事だが、さらにスペイン人のホアンさん、エンカルニータさん(エレーナの両親)とは、本来なら縁もゆかりもない人々なのだが、こういう形で、合作の人間を生み出すことになった。これは何だか、すごいことだ。

01/30
相変わらず雑用で忙しい。月曜は文化庁、火曜は文芸家協会、木曜は著作権問題で某社の担当者と会い、金曜はまた文化庁。ということで、休みは水曜の本日だけ。しかし、仕事は進んでいる。先週、忙しかったため、タイマノケハヤとノミノスクネの相撲のシーンがまったく進まなかった。一週間たったのにまだ相撲をとっているという状態だったが、ようやく一昨日、相撲の決着がついた。その後は、いよいよこの作品の最大の山場、大后サホ姫の裏切りのシーンだ。
この作品は恋愛小説である。従って、愛する妻に裏切られるというのは、主人公にとっては最大の悲しみであるし、読者にとってもショッキングな展開と感じられるはずだ。裏切りが唐突であってはいけないので、充分に布石は打ってきた。タニワ王の娘との婚儀という政治的な結婚があって、サホ姫の心が揺らいでいく。このタニワ王の娘、ヒバス姫も魅力的に描かないといけない。全員が善意をもっているのに不幸になるというところに悲劇が生じるのだ。悪人は一人もいない。
さて、孫の話だが、生まれた日の翌日に、長男がメールで写真を送ってきた。うーん。どう見てもこれは東洋人だぞ。ヒデとロザンナの娘みたいな美人になると思っていたのだが。まあ、生まれたばかりだから仕方がない。孫を見にいきたいと思うが、スペインは遠い。来年までには一度行きたい。わたしには息子が二人いるだけなので、女の子というものがどういうものか、よくわからない。おヒナさまを買ってやりたい。運ぶのが大変だろうが。
それにしても、相撲のシーンに一週間もかかったのは、大幅な進行の遅れだ。苦労して書いた相撲のシーンだが、読者は2〜3分で読み飛ばしてしまうだろう。この創作ノートを読んだ読者は、心してこの相撲のシーンを読んでほしい。

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