崇神天皇02

2025年2月

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02/01/土
今年も最初の月が終わった。今年に入って、『崇神戦記』(ノートのタイトルは「崇神天皇」だが、タイトルに天皇を入れたくない気がしてきたので、いまこの仮のタイトルを考えている)リライトの打ち込み作業を続けて、すでに第1草稿は完成している。すべてをプリントして赤字を入れつつある。リライトの段階で修正したはずなのだが、かなり赤字が入っている。この作業をあと1回くらいやれば、元の原稿とはまったく違うものになっていくはずだ。いまは第2作の『活目戦記』(これも垂仁天皇ではなく、活目王でもなく、戦記という表記を入れたい気がしている。もっと違いタイトルになるかもしれない)の入力も初めている。今年中に、四部作を完成させたい。そのうち三部作は、20年以上前に出した作品のリライトだが、4つめは新作になる。この作品は何年もかけて少しずつ書き継いできたのだが、まだ半分くらいのところで止まっている。前3作を修正しているのは、この4つ目の作品を完成させるための前段階だと考えている。いちおう4部作と考えてはいるのだが、実はすべての作品がつながっている。神話というのはそういうものだ。4つ目は『卑弥呼紀』というようなタイトルになるだろう。本日は週末だが、歴史時代作家協会の新年会。盛会だった。現役の作家、新人、作家志望者などが集って意見交換をした。二次会までつきあって、いい気分で帰ってきた。久し振りに中央線に乗ろうとホームに立っていたら、グリーン車が目の前を通り過ぎた。グリーン車というものは、大宮や千葉に行く時に乗ったことはあるが、中央線というのは通勤で乗っていた路線なので違和感がある。いまは無料だということは知っているが、4月から有料になる。自分がこれを利用するかどうかはいまのところ微妙だ。1時間くらい乗っていないともとがとれない気がする。

02/02/日
日曜日。住んでいる共同住宅の別館にあるうどん屋で昼食。隣接した保育園の一階の投票所に行く。千代田区の区長選挙と区議の補欠選挙。本日の仕事はそれだけ。

02/03/月
月曜日だがFootballはお休み。オールスター戦にあたるプロボウルは去年あたりからフラッグになった。フラッグフットボールというのは、騎馬戦で馬を壊すのではなく、乗り手の帽子とりをするようなもので、タックルを禁止して、代わりに腰に吊したフラッグをとると、そこで動きが止まるというものらしい。怪我を防止するためのルールで、もともとオールスター戦では怪我を恐れて、本気のぶつかりあいがなかったから、まあ、フラッグでもいいのだろう。次のオリンピックで公式競技になるらしい。プロの選手は出られないらしいが、引退してオリンピックに出たいという声も出始めている。

02/04/火
近所の医院でいつもの薬を処方してもらう。本日の外出はそれだけ。寒波が日本全国をおおっている。四国や九州にも雪が降っているということだ。八潮の穴は進展なし。トランプは25%の関税を停止した。関税だと脅して相手を従わせるのは、みかじめ料を要求するヤクザと同じではないか。アメリカはついに暴力団が支配する国になったのか。ウクライナに対しては、援助してやるからレアメタルを寄越せと言っているらしい。そろそろ日本にも要求をつきつけてくるだろう。そんなアメリカだが、アメリカンFootballは素晴らしい。スーパーボウルが6日後に迫った。予想などは立てられない。ただ今シーズン全体を振り返って、感想を述べておきたい。まずは新人QB。手元にベースボール社発行の『ドラフト名鑑』があるが、QBの紹介ページの上位から見ていこう。1番目はケイレブ・ウィリアムス。ベアーズにトップで指名され、初戦から先発。出だしはよかったのだが、途中からまったく勝てなくなった。パスをする判断の遅さを狙われてサックされまくって調子を崩した。オフェンスラインの責任でもあるが、上位で指名されるQBは、弱いチームに入るわけだから、そこを克服しないと先に進めない。去年のトップ指名のパンサーズのヤングも、今年もダメだった。とはいえ、ここ数年まったくダメだったダーノルドが、突然に開花したように、大学で活躍した選手には潜在能力があるはずなので来年を期待したい。前評判の高かったドレーク・メイはペイトリオッツが指名。シーズン途中からの起用だったが、活躍は見られなかった。ここもどん底のチームなので、来年ドラフトでオフェンスラインを補強してほしい。コマンダーズに入ったジェイデン・ダニエルズはまさかの大活躍。プレーオフのトーナメントでシード1位のライオンズに勝つなど、期待を上回る能力を示した。ヘイルメアリーでの逆転勝ちなど、勝負運でも恵まれていた。来年はもっと期待できる。ブロンコスに入ったボー・ニックスも大活躍。プレーオフに進出。ここはチーム力があるので来年はもっと期待できる。ファルコンズに入ったマイケル・ペニックスは、トレードで入ったベテランQBカズンズの控えということで、出番がほとんどなかったが、最終盤でカズンズが調子を崩したので先発できた。才能の片鱗が示されたので、来年は先発できるのではないか。6人目のJJマッカーシーは、シーズン前の大怪我で出番なし。しかも控えのダーノルドがまさかの大活躍でプレーオフにも進出。来シーズンはダーノルドで行くのか、あるいはダーノルドをトレードで出してマッカーシー先発とするのか、首脳陣の判断がどうなるかいまのところわからない。ダーノルドは残すべきだろう。ということで、ダニエルズとニックスがプレーオフに進出。マッカーシー以外の3人は出番があって、少しは才能を示した。マッカーシーの未来はまだ見えない。すでに今年となっている来シーズンのドラフトでは、有力なQBは2人くらいしかいない(キャム・ワードとジュドア・サンダース)と予想されているので、今年の6人はまだまだ活躍の機会に恵まれるだろう。復活したダーノルドや、同期のメイフィールド、ベテランのラッセル・ウィルソンは来年も大丈夫。コマンダーズの控えだったマリオタと、ライオンズの控えでプレーオフに瞬間的に出場したブリッジウォーターを、どこかで先発として起用してくれないかと思っている。

02/05/水
年に一度の眼科検診。もうかなり以前のことだが、人間ドックで眼科で再検査を受けよと言われた。わが妻は住んでいる住居の目の前にある井上眼科に行っているのだが、ここは夏目漱石も通っていた名門で、ものすごく混んでいるとのこと。ちょうど近所の須田町に眼科クリニックがオープンしたのでそこで検査を受けた。が、場所がよくなかったようで、クリニックが閉鎖になり、そこの先生が飯田橋のクリニックに異動したので、そちらに行くことになった。眼科のチェーン店みたいなもので、そこは高層ビルの2階にあってそこそこ混んでいる。年に一回、そこに行くのだが、歩いていくと水道橋を通る。大学を卒業した直後、水道橋にある広告プロダクションで3年ほど働いていた。1年目は平社員、2年目にディレクターという役職になり、3年目は嘱託として月に半分ほどの出勤にしてもらった。3年目はギャラが3倍で勤務時間は半分という恵まれた状態になったので、学生時代に草稿ができていた『僕って何』を書き直して『文芸』に載せることができた。この作品で芥川賞が貰えたのでプロの作家になった。その懐かしい3年間の思い出が水道橋にはある。毎日の散歩で水道橋の手前までは行くのだが、水道橋駅前の混雑したところを通るのは年に一回だけで、本日はその懐かしさにひたっている。考えてみると、毎日水道橋で働いていたのは、いまから50年も前のことだ。街並は変わっていない。食堂や飲み屋の店は変わっているが、自分が働いていたビルはそのままで残っている。ああ、50年か、などと考える。しかし自分が小説というものは書き始めた高校生の時代は、さらにその10年前なのだから、大昔だ。今年は昭和になってから100年らしいが、昭和23年生まれの自分が老人になるのも当然だ。昭和100年で、明治から数えるとそれに60年をプラスするくらいだから、大きな違いはない。思えばぼくが芥川賞を貰ったのが昭和52年だから、あと2年で50年になる。プロの作家として50年働いてきたことになる。うーん、と考えこんでしまう。すでにほとんどリタイア状態ではあるのだが、ほかにすることもないので、いまも旧作をリライトするなど、作業を続けている。

02/06/木
本日は公用がないのでのんびりしている。またFootballの話。今シーズンを振り返って感じることは、Aカンファではチーフス、ビルズ、レイブンズが強かったということ。マホームズ、ラマ―・ジャクソン、ジョシュ・アレンの天下は当分続くだろう。チーフスはクリス・ジョーンズとケルシーの引退が予想されるのだが、他のメンバーも成長しているし、引退した選手のギャラは、トレードや移籍などに回せるので、それほど戦力は落ちないだろう。今年のビルズはレシーバーがいなくなったのだが、ちゃんと若手が育っている。Nカンファの方は、ライオンズ、バイキングス、コマンダーズの躍進が想定外だった。それでも結局、イーグルスが強かった。逆に、49ナーズの凋落は想定外だったが、ここは高額ギャラの選手が引退なり放出なりで、大幅な新陳代謝が必要だろう。パッカーズ、バッカニアーズもそこそこ頑張ったが、イーグルスとライオンズにコマンダーズが加わった3強の時代が続きそうだ。チーフスは、レギュラーシーズンは長く不振が続いていた。結果的に1敗(最終戦の捨てゲームは除く)しかしなかったのだが、辛勝が続いた。その原因は新加入のブラウンと去年の新人ライスの負傷で、レシーバーがいなくなり、ランニングバックのパチェコも負傷して長期間の欠場となった。しかしシーズン途中の補強と、新人レシーバーのワーシーの成長で、プレーオフ前には戦力が調った。不振の最大の原因はオフェンスラインの左タックルの弱点が解消されなかったことだ。新人のスアマタイア、2年目のモリスが交代で出たものの、マホームズを守りきれなかった。ベテランを移籍させて対応を図ったのだがすぐに負傷退場で、最後まで左タックルの穴が埋まらなかった。ラインの左端のタックルは、マホームズのブラインドサイドを守る砦なので、相手のディフェンスにここを憑かれて、マホームズはサックされまくっていた。ところがプレーオフに入ると、マホームズがサックされなくなった。自分で走るという決断をしたこともあるが、パスがきっちり決まるようになった。なぜかというと、左タックルの位置に、隣の左ガードをつとめていたトゥニーを横にずらしたのだ。ガードとしては実績のあるトゥニーだが、タックルの役目をしっかり果たしている。そして重要なのは、トゥニーに変わってガードに入った2年目のカリエンドという選手が、大活躍していることだ。トゥニーもベテランなので、負傷に備えて控えとして練習を積んできたのだろうが、きっちりと役目を果たしている。ガードはただラインとして城壁になるだけではなく、時にはラインから抜けだして、ランニングバックやQBの走路の先に立って走りながらブロックするという、走力を必要とする役目を果たさなければならないのだが、2年目の新人がしっかり役目を果たしている。この選手にMVPをあげたいくらいだ。ということで、チーフスは攻撃、守備とも、スーパーボウルを控えて陣容は調ったと思われる。ただイーグルスは2年前と違って、ランニングバックにバークリーという怪物が入っている。レイブンズのヘンリーのような重戦車ではらく、バークリーは重装備のスポーツカーといった感じで、体当たりもできるし、俊敏な変化もできる。これをチーフスのディフェンスが防ぎきれるか。プレーオフでは幸い、レイブンズと当たらなかったので、ヘンリーとぶつからずにすんた。ただレイブンズ対ビルズ戦はレイブンズの評価が高かったので、ヘンリー対策の作戦は立てているはずで、これがバークリーに通用するかどうかがポイントになる。そこは、やってみないとわからないとしか言いようがない。ただオフェンスラインが調ったので、マホームズは全開でパスを投げるだろうし、ハントとパチェコのランもがんばるだろう。レシーバーは新人ワーシーの成長に、ブラウンも加わり、ホプキンス、スミスシェスターも元気そうだ。ラムズ戦でケルシーがおとりになってディフェンス2人を引きつけていたので、レシーバーの誰かがフリーになり、いざとなればマホームズが走るということで、得点力が上がっていた。点の取り合いになれば勝機はあるとぼくは考えている。あとはQBハートのランを止められるかだが、ここまでもディフェンスで勝ってきたようなところがあるので、接戦にもちこむことはできるだろう。あとは勝負運だけで、これは勝利の女神に祈るしかない。3連覇という空前の偉業が達成できるかは、神のみぞ知るというところだろう。

02/07/金
朝の10時半と夕方の4時半に会議。いずれもネット会議なので楽。ネット会議だと発言しないくていい会議ではパソコンで内職ができる。会議はiPad。ぼくのパソコンは10年前のものなので、いまはワープロとメールだけに使っている。メールで届いた会議の資料をいちおうは用意するのだが、ZOOMの案内は転送してiPadで接続する。ということで、パソコンでは資料を見ながら、並行して自分の仕事をすることもできる。昔、文化庁の委員などもやっていたころは、午前中に文化庁、午後から文芸家協会、夕方に教育関係の会議、といったスケジュールになることもあった。虎ノ門の文化庁、紀尾井町の文藝家協会、それから飯田橋方面に行く。時間があったので飯田橋を目指して歩き始めたら、靖国神社があったので、茶店で生ビールを一杯。そんな記憶がある。昔は会議というものはすべてリアルだった。コロナのおかげで会議はほとんどがネットですませられるようになった。スーパーボウル3日前。ビルズ戦を何度も見ている。最初はディフェンスの動きに注目していたのだが、オフェンスの動きも見るようになった。トゥニーとカリエンド。ラインの左サイドががんばっている。逆にスミスとテイラーの右サイドが心配になってきた。ただこちらはマホームズの視界のなかに入っているので、右側からブリッツが入っても、すぐに対応できる。一つ前のテキサンズ戦も見ている。この試合から、ガードのトゥニーが左端に移行して、ガードにカリエンドが入った。最初は何だから動きが鈍かったのだが、慣れてくると機能するようになった。初戦のチャージャーズ戦でハーバートをめろめろにしたテキサンズの左右のエッジラッシャーを、オフェンスラインがしっかり防いでいる。この試合ではケルシーがフリーになることが多かった。ビルズはそのためにケルシーにディフェンスを2人つけたので、他のレシーバーがフリーになった。レシーバー不足から始まったシーズンだったが、新人ワーシーの急成長に、怪我をしていたブラウンの復帰で、ベテランのホプキンスが手持ちぶさたになっている。だがホプキンスはいるだけでいい。ディフェンスのナンバーワンをホプキンスにつけると、ブラウンやワーシーが楽になる。時々スミスシェスターにも球が回る。タイトエンドの体格のワトソンもいる。それに第三ランニングバックのピーラインは、パスキャッチがうまいのでいざという時の切り札になっている。三連覇。実現するのではと期待している。

02/08/土
スーパーボウル2日前。もうアメリカはスーパーモードに入っているだろう。トランプなど問題ではない。野球もバスケットも、意識から飛んでしまう。アメリカの国技といえるFootball。日本にも相撲、柔道、剣道など、国技というべきスポーツはあるし、日本将棋という知的な格闘技もある。いつも言っていることだが、Footballには日本将棋と共通する要素がある。オフェンスにもディフェンスにも、型があるのだ。角交換とか、横歩取りとか、矢倉、美濃囲い、穴熊……。Footballの場合、QBを起点として、前方のレシーバーにパスを投げるか、後ろのランニングバックに手渡すか、QBが自分でもって走るか。これに対してディフェンスは、ロングパスに備えてセーフティー2人を後方に配置するか、一人を前進させてショートパスやランニングに備えるか。ディフェンスラインが相手QBを攻めるだけでなく、バックスのなかからブリッツと呼ばれる刺客を送るか、マンツーマンで対応するか、ゾーンで守るか。攻撃と守備のパターンがいくつもあって、リアルの中継を見ているだけではわからないことも多い。そのため録画をスローモーションで再生する楽しみがある。将棋の棋譜を見るのと同じようなものだ。チーフスはスーパーボウルの舞台では、新奇なフォーメーションで観客を驚かせることがある。イーグルスは、バークレーというすごいランニングバックがいるので、とりあえずバークレーを走らせるだろう。相手の守備がランに備えて前がかりになったところで、QBハーツがパスを投げる。レシーバーも揃っている。ある程度、点を取られることは覚悟しないといけない。チーフスのディフェンスは鍛えられてはいるのだが、小柄で俊敏というタイプが多い。体力もあり機動力もあるバークレーを止めるためには、2人、3人がかりでアタックするしかない。手薄になった背後をパスで攻められたら、防ぎようがない。点の取り合いで勝つしかないだろう。考えているとドキドキしてきた。まあ、勝敗にこだわせずに、最高の試合を期待したい。

02/09/日
スーパーボウル前日。まだ前日だから、ふだんの日常を持続している。パソコンの前に座って、黙々と作業を続けている。来週は比較的にひまなので、根を詰めて仕事をする必要もないのだが。『文藝春秋』が届いていて、芥川賞受賞作の選評を読み、受賞作の二篇の冒頭部分だけを読んだ。両方ともいい文章だ。出だしの展開も見事で、読者の興味をひくコツがわかっている。本が売れないとか、そういう声が飛び交っているようだが、ぼくらが学生だったころと比べて見ても仕方がない。50年前には、文学全集だけでなく、哲学全集がとぶように売れていたのだ。そのころはすでに、『天才バカボン』も『火の鳥』も『カムイ伝』も『ネジ式』もあった。映画もドラマもあった。なかったのはネットやコンピュータゲームだが、音楽もヒット曲がたくさんあった。何も変わっていないとぼくは思っている。ではなぜ本が売れないのか。昔が異様だったのだ。団塊世代という異様に本好きの世代が老齢化しただけのことだ。やがて団塊世代は絶滅するだろう。本はもっと売れなくなる。それでも、いまガルシア・マルケスの『百年の孤独』が売れているように、読者は必ずいる。今回の芥川賞は、差別意識を逆手にとったエンターテインメントと、ゲーテにまつわる知的ゲームという、まったくタイプの違う作品で、さらに選評を読むと、落ちた作品のレベルも高そうだ。一方で、『文芸思潮』という同人誌の読者を対象とした文芸誌の最新号では、銀華賞という応募のコンクールの入選作が発表されているのだが、これもレベルが高い。文学のレベルはけっして落ちていない。ただ昔ほどは売れなくなったということで、編集者の給料とか、交際費が伸びていないのは気の毒ではあるが、文学そのものが楽しい、だから仕事が楽しい、と思ってがんばってもらうしかないだろう。確かに昔は、文壇バーというものがあって、盛況だった。作家を連れていけば経費で落とせるということで、ぼくも誘われて飲みに出かけた。いまはそんなこともないようだ。飲みながら文学談議をするというのが、昔の楽しみだった。それがなくなったのは残念ではあるが、まあ、やることがなければ、録画したFootballを何度も見ていればいいのだ。

02/10/月
うむむ。大惨敗。予想外の大差となった。思い起こせば4年前、ブレイディーが移籍したバッカニアーズと対戦した時も、大惨敗だった。チーフスは精緻な歯車によって構成された精密機械なので、一つ歯車が狂うと歯止めがきかなくなる。しかしビルズを相手に競り勝ったオフェンスラインが、両側から破られて、マホームズは再三、身動きできない状態になっていた。来シーズンに備えて、オフェンスラインの強化を図る必要がある。ディフェンスはバークレーを完全に押さえていたが、そのぶん、ロングパスを通されて、結果的に崩壊した。これはまあ、予想されたことで、仕方がない。点差が開いてから、マホームズはやけくそでロングパスを投げるようになって、ホプキンスが1つ、新人のゼイビア・ワーシーが2つ、見事なパスキャッチでタッチダウンを決めた。とくにワーシーの最後のパスキャッチは自陣からの超ロングパスをキャッチしたもので、ぶっちぎりの見事なタッチダウンだった。これは来シーズンにつながる成果だ。とはいえ、前半をゼロで抑えられたことで、勝敗はすでに決していた。クリス・ジョーンズはこれで引退だろう。ホプキンスも1年契約で今年限りだろう。ケルシーはどうか。年俸の高いプレーヤーが去って、若手中心で再建する。オフェンスラインだけは、多少のギャラを奮発すべきだが、今シーズンは怪我で出番のなかったライスも復活するし、ランニングバックのパチェコは最後まで調子が戻らなかったが、出戻りのハントに加えてピーラインも使える目途がたった。リターナーのレミヒオも大活躍した。来シーズンはゼロからスタートする気概でチームの再建に取り組んでほしい。勝っても、負けても、スーパーボウルが終わると、ぼくはしばらく廃人になる。昏倒しそうな気分だ。

02/11/火
建国記念日。何事もなし。

02/12/水
今週は明日にネット会議が入っているだけで、外出する用はない。毎日必ず、散歩に出る。そろそろ湯島天神の梅が咲いているかとも思うのだが、坂を上下する行程を思うと、気持が萎える。とりあえず御茶ノ水駅前の丸善に行ってみる。ブルーバックスの棚の前に立ってみたが、あるはずの本がない。それで坂を下りて靖国通りの三省堂に行く。三省堂は駿河台下の本店が工事中で、その間、小川町の方に寄ったところに臨時の店を構えている。ぼくのところからは少し近くなってありがたいのだが、狭い敷地に建っているビルを借りているので、一階で日記帳を買う以外に利用したことがなかった。新書売場は3階。エレベータで上がるとすぐに本が見つかった。さすがに三省堂だ。本日の散歩はそれだけ。

02/13/木
SARTRAS分配委員会。議題がわずかですぐに終わった。風が強い。湯島天神で梅を見る。絵馬がぎっしりれぶらさがっている。いつから菅原道真は受験の神さまになったのだろう。今年はスペインの三女が大学受験ではないかと思うのだが、高校の成績と統一テストの点数で自動的に大学に振り分けられるシステムなので、日本のような厳しい入試はない。従って神頼みをする必要もない。来年は名古屋の孫が大学受験だが、とくに勉強しているようすもないので、大丈夫か。ぼくは二人の息子に関しては、いろいろと心配もしたのだが、ちゃんと大学に入って、社会人になって、いまは人の親になっている。だがいまの若者たちは先に希望がもてないので、何だか夢を見ることもできないようだ。それでもぶらさがっている絵馬を見ると、みんな目標をもっている。具体的な志望校が書いてあったり、検定試験の合格を祈願している。目標をもつというのは大事なことだ。

02/14/金
SARTRAS役員会。ネット会議で、理事長に分配委員会と共通目的委員会の報告をすることになっている。報告は事務局がする。ぼくは両委員会の副委員長をつとめているが、一種のオブザーバーとして眺めているだけで、主体的に何かしているわけではない。こちらから報告すべきことは何もないので、ずっと黙っていようと思っていたのだが、事務局の報告でぼくが聞いていない話題が出てきたので、思わず発言してしまった。まあ、そういうこともある。会議とはそんなものだ。ネット会議というのは、会が終わったらスイッチを切るだけなので、リアルな会議のような余韻がない。実際のリアルな会議では、その余韻のなかから新たな提案が生まれたりもするのだが。さて今週も終わった。スーパーボウルのことは遠い過去のような気がする。

02/15/土
突然だが、宇宙の始まりについて考えている。昔、『宇宙の始まりの小さな卵』という本を書いたことがあった。同様のテーマでは、『数式のない宇宙論』というのも書いたし、『原子への不思議な旅』というのもある。最初に書いたのは『アインシュタインの謎を解く』だったか。この種のテーマは自分なりに考えてきたのだが、専門の物理学者でも数学者でも天文学者でもないので、自分で実証実験とか、観測とかをするわけではない。ただ考えているというだけだ。それでもこのテーマは死ぬまで考え続けるだろうと思っている。宇宙の始まりにビッグバンがあった。これは一般にも認められていることだが、その火の玉宇宙の始まりには何があったのか。宇宙のある一点にエネルギーが集中していた。でもその宇宙の一点には何があったのか。やはりそこには空間があったのだろうし、空間が特異点になっていたということもできるのかもしれない。空間とは何か。これは釈迦が考えた「空」というのが近い。「空」とは、からっぽということではない。何かがあるのだが、何ものでもない場所。それが「空」だ。たとえばいまぼくが見ているのは、パソコンの画面で、この文章は「メモ帳」で書いているのだが、メモ帳の画面の外側には、パソコンの壁紙がある。いまの壁紙は、去年の夏にスペインの家族が来た時の、成田へ送りに行った時、これから彼らがゲートに入る直前、ぼくと妻、四人の孫が並んでいるところを、長男に撮ってもらった写真だ。背景には空港の風景が映っている。そこには自分もいるし、妻もいて、四人の孫たちもいる。空港の風景が映っている。これが「空」だ。確かにそこには六人の人物と空港の風景が「ある」のだけれども、これはパソコンの画面に映し出された映像にすぎない。このノートパソコンは、画面を映し出している蓋を閉じるとスリープ状態になる。蓋を開けるとスリープが解除されるて、壁紙が映し出される。しかしその壁紙が映し出される直前に、何も映ってはいないけれども確かにパソコンの作動が始まってことを示す濃い灰色の画面が映し出される。この灰色の画面のようなものが「空」だと考えておけばいい。からっぽではなくて、灰色の画面の点滅のようなものがある。宇宙空間とはそういうもので、ニュートンからアインシュタインまでの時代の人々は、そこを「絶対空間」と呼び、われわれは絶対空間に包み込まれていると考えていた。電磁気力や電磁波というものが発見されると、空間には電界や磁界を発生させ、その内部に電磁波が波動として伝わっていく「何か」があると考えた。それをアリストテレスの時代の第五元素になぞらえて「エーテル」と呼ぶこともあった。からっぽではなく、エーテルがつまっている。それが空間だということだ。いまではエーテルという用語は使われないが、空間が何もないからっぽなのではなく、そこにはつねに無と有の間の振動のようなものがあり、そこにエネルギーを与えると、有の部分が飛び出して粒子となり、粒子が飛びだした空間には穴があいて、それが反粒子になる、と考えられている。空間の一点にエネルギーが充満していると、大量の粒子が飛びだして空間を拡大していく。その先にビッグバンがあるのだというようなことではないかと、ぼくは考えている。そこから一足飛びに、で、「ぼくはなぜここにいるのだろう」という問いが出てくるのだが、こうしたテーマを考える上で、ぼくにとっての重要なヒントとなっているのが、岩波新書か何かで読んだ『生命とは何か』という本だ。著者は粒子が並であることを示したシュレーディンガー波動方程式や、「シュレーディンガーの猫」という思考実験で有名なシュレーディンガーで、そこではニゲントロピー(聞き慣れない言葉なのでぼくは自分の頭のなかでは「ネガ=エントロピー」という用語にしている)という概念で、エントロピーが時間を追って増大していく乱雑さであるのに対して、乱雑なものが規則正しく何か作り出している「活力」のごときものを「ネガ=エントロピー」と呼んでいる。DNAの複製力といったものがそれにあたる。さらにいまぼくが書いているこの文章も「ネガ=エントロピー」だ。でたらめにキーを叩いているようで、画面には意味のある文章が表示され、これがネットを通じて読んだ人に伝わっていく。本を書く、本を出すというのも、ネガ=エントロピーの拡散という現象なのだ。雑然としたもののなかから、意味のあるものが生まれていく過程。生命現象というものがそれだし、情報というものがネガ=エントロピーの原動力になっている。情報によって、宇宙の混乱のなかから、生命が生まれ、知性が生まれ、その知性のなかから「主体」とでも呼ぶべき演算結果が生じた。それが「ぼく」というものだろう。ただ「ぼく」を支えているものはぼくの肉体であり、このDNAとタンパク質で構成された情報の塊である肉体には、しだいに「バグ」がたまっていって、ついには肉体として機能しなくなる。ただぼくのDNAは確実にぼくの孫たちに伝えられ、ぼくが発散した情報は、ぼくの本の読者や、大学で教えた(25年間にわたって大学の先生をしていた)教え子に伝わっているはずで、それらの情報の総体が「ぼく」という情報の集積なので、バグによって肉体が崩壊しても、ぼくが発信した情報は残っているはずだと、いまのところぼくはそのように考えている。もちろん遠い将来、地球は太陽の膨脹にのみこまれるので、一切の情報はあとかたもなく消え失せることになるのだが、とにかくぼくという現象は(宮沢賢治も「現象」という言葉を使っていた)は、連鎖反応によって情報が新たな情報に転化していく、その瞬間的な過程に生じた自然現象の一種と考えていいと思っている。こんなことを書き始めるとキリがないので、今日はこれくらいにしておく。

02/16/日
昨日の続きになってしまうが、宇宙の始まりというのは、いくら考えてもわからない深い謎だ。なぜ宇宙はあるのか。そんなこと、考えてもわからないということで、考えない人が多いのだろうと思うが、そういうことを考えるのが、ぼくは好きなのだろう。なぜデーヴァダッタはブッダの仇敵なのか、というようなことは、誰も考えないし、興味をもたない。そんな本を出しても売れないだろうと思うのだが、そんな本を書いてしまう。ただこの本は編集者のオファーで書いたものなので、編集者もよほどへんな人なのだろう。で、宇宙の始まりの話なのだが、いまでも宇宙の始まりについて研究している人はたくさんいる。宇宙からは実はさまざまな情報が地球の観測者にもたらされている。重力波などというのもそうだし、ニュートリノというのもそうだ。量子もつれの証拠みたいなものが宇宙からもたらされることもある。そんなことを研究している人々は、すべてがへんな人かというと、そういうわけでもない。よほどへんなことであっても、新発見があれば、研究者としては評価されるし、ノーベル賞をもらったりすれば英雄の扱いになる。ただ大学の研究者でもないし、観測装置なんかも何ももっていないぼくのような人間が、宇宙の始まりについて考えているというのは、確かにへんなことではあるのだけれども、それでも昨日伸べたようにぼくはただの作家にすぎないのだけれども、宇宙についての本を何冊も出せているので、へんなことをやっていても職業として成立してしまうところが、へんなことなのかもしれない。

02/17/月
女優の三田和代さんが来た。ぼくが住んでいる集合住宅の目の前がニコライ堂で、その隣に井上眼科がある。夏目漱石も通ってそこで初恋の人と出会ったという由緒正しい病院で、そこで半年に一度、検査をしている。で、検査のあと、近くに寄ったからということで、お昼ご飯を食べにくる。で、お昼ご飯を食べながら、初舞台が22歳で、だとすると60年間、役者をやってきた、という話になった。でも、姉が女優としてデビューした翌年に、ぼくは『Mの世界』が「文藝」に掲載されたので、ぼくも60年間、作家をやってきたことになる。まあ、姉の場合は初舞台からずっとプロの役者として働き続けてきたのに対し、ぼくは高校生だったから、プロの作家になるのはその10年後くらいだし、晩年は大学の先生としての収入の方が多かったから、プロの作家としての期間は短いのだが、それでも去年は本を出したし、今年も電子書籍が出るので、いちおうはプロの作家をやっていることになる。オファーがないと舞台に立てない役者と違って、オファーがなくてもデッドストックを生み続けることができるというところが、作家のいいところであり困ったところでもある。いまやっている作業も、とりあえずデッドストックとなる4部作を作るという目標を立ててやっているのだが、お金にならない仕事なので、妻に対して申し訳ないような気分でもあるのだが、大学の先生などをやっていたので、貯金もあるし年金も入ってくる。生活には困らないので、道楽として、死ぬまで書き続けるだろうと思っている。

02/18/火
知人の池田健さんからご紹介の『量子力学の多世界解釈』という本を読んで、少し視野が開けた気がした。「量子もつれ」という言葉を最初に用いたのはシュレーディンガーだということは、この本で教えられた。その概念の出発点はアインシュタインのボーア批判なのだが、そもそも量子力学の出発点となったのは、アインシュタインの光量子説だし、シュレーディンガーの波動方程式なのだが、そこからボーアを中心としたコペンハーゲン学派は、粒子は波動であり、それは確率としての存在なのだと主張するようになった。粒子の存在箇所は一箇所に限定されるものではなく、このあたりにあるという確率の雲でしか把握できないものであり、その確率の雲のなかに何か粒子のごときものが存在するのではなく、確率の雲そのものが存在の基本なのだということで、量子というぼやけた雲のようなものが存在の基本なのだというボーアたちに対抗して、アインシュタインが異義を唱え、一つの思考実験として提出したのが「量子もつれ」の出発点となる、同時に発生して反対方向に飛翔している一つの粒子の性質を確定すれば、何十万キロも離れたところを飛翔しているもう一方の粒子の性質が確定されるという、途方もない離れた空間の粒子の情報が一瞬で伝達されるという、そのことのありえなさをアインシュタインは指摘した(それが量子もつれ)なのに対し、ボーアたちは、それでいいのだ、量子はもつれているものなのだと主張し、そこから現在の、量子もつれは確かな現象であり、量子そのものの性質なのだということになっているのだが、その反証として考え出されたのが、有名な「シュレーディンガーの猫箱」という思考実験で、ある種の装置で(たとえぱガイガーカウンターでもいい)で、粒子の発生の確率が50%であるような状況を設定した上で、カウンターが1つの粒子を観測すれば毒ガスが発生して猫が死ぬという箱があるとして、確率が50%なら、箱のなかで猫が生きているか、死んでいるかは、半分半分の確率なのだが、箱を開けてみるまでは猫の生死は不明で、箱を開けるという観測によって猫の生死は確定されるというのは、おかしいだろうというのがシュレーディンガーの主張なのだが、この本の著者たちの世界観では、それでいいのだということになる。そこでぼくはこういうふうに考えた。その猫箱を蓋を開けるのだが、シュレーディンガー自身なのだとして、箱の蓋を開けて猫が生きていることを確認したシュレーディンガーと、猫の死体を発見するシュレーディンガーとは、ともに50%の確率で「共存」している。それだけでなく、猫の生を確認したシュレーディンガーの周囲の宇宙と、猫の死を確認したシュレーディンガーの周囲の宇宙もまた、共存しているというのが、「量子力学の多世界解釈」という世界観だということだ。それは正しい認識かもしれないが、それを否定するアインシュタインやシュレーディンガーがとりまく宇宙もまた、量子力学の宇宙と、共存しているのではないかと思われる。ぼくは高校生の時に、シュレーディンガーの『生命とは何か』を読んで感動した記憶がある。そこでシュレーディンガーは「ネガ=エントロピー」という概念を提出して、時間軸にそって拡散しているエントロピーとは反対に、無秩序から秩序を生み出す方向に世界を動かしていくネガ=エントロピーこそが生命のもととなっているバイタリティーを発生させるのだというようなことを言っている。そこには量子という、エネルギーは塊で伝達するという考え方や、分子が強い共有結合や結晶によって、エントロピーの増大の歯止めとなり、さらにDNAのような複製を可能とするシステムによって、ネガ=エントロピーが生じ、それが生命を発生させただけではなく、人間が「情報」によってさらに加速度的にネガ=エントロピーを増大させているということを、シュレーディンガーは指摘していて、それが「猫箱の蓋を開ける」という行為と密接につながっているのだということを、高校生のぼくは感じ取っていたのだという気がする。気がするだけで細かいことは忘れてしまったのだが、その後、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』という考え方で、「情報がネガ=エントロピーを生み出す」という考え方が揺るぎのないものと感じられるようになった。量子もつれは揺るぎのない実在なのだろうが、量子がもつれることで多世界解釈が広がっていくというのは、エントロピーを増大させることになるような気がする。で、「私」というものは、一回きりの人生を生きている。人生の分岐点で、右へ行くか左へ行くかの選択を迫られた時に、その分岐点の一つ一つでどちらかを選択した結果が、いまの「ぼく」として存在しているので、いわば「多世界解釈」とは正反対の一回きりの現象として自分はあるのだろうと思っている。「猫箱の蓋を開けるシュレーディンガー」の「一回性」みたいなものが、世界解釈の基本原理なのだとぼくは思っている。

02/19/水
後期高齢者になったせいか、昔のように安定した歩行ができなくなった。まっすぐに歩いているぶんにはいいのだが、狭いところを通ろうとしたり、角を曲がろうとした時に、足もとがふらつくことがある。そんな時は、重力というものを感じる。人は重力に逆らって2足歩行をしているので、長く生きると、無理がたたって、足腰が弱くなる。人間が重力に逆らって生きることができるのは、電磁気力のせいだ。電磁気力は重力の1兆倍の1兆倍のそのまた1兆倍よりも100倍くらい強い力だ。ただふだんのわれわれが感じる電子気力は、子どものオモチャの磁石とか、電気冷蔵庫にメモを貼り付ける時の磁石のついたタイルみたいなものだけだ。しかし新幹線は電気で動いているし、テレビは電気で映っている。電気自動車も走っているし、電子レンジのなかでは電磁気力で水の分子を振動させている。しかし人間には電池は入っていないし、電線につなぐプラグのようなものはない。それでもわれわれは電磁気力で動いている。まずは骨格。炭酸やリン酸にカルシウムがイオン結合した頑丈な骨格に支えられて、われわれは直立することができる。イオン結合はまさにプラスとマイナスが引き合った電気の力だ。この骨格を動かしているのは筋肉だが、筋肉は炭水化物を分解してできるATP(アデノシン三リン酸)が酸化する時のエネルギーで収縮する。この化学反応も電磁気力によってエネルギーを出している。その筋肉を随意に、時には自動的に動かしているのは神経のなかを走っている電気的なパルスで、これも電磁気力によって作動させている。そして動く自動機械としてのぼくは、大脳、小脳、延髄などの演算処理によって動く生体コンピューターの演算結果で意思をもっているかのように反応している。すべては電気が動かしている。電池が入っていないのは、炭水化物や脂肪を酸化させる効率のよい燃料電池の仕組みが体内にそなわっているからで、そのエネルギー源としては、おいしいものをしっかり食べればいいということになる。将棋のタイトル戦を見ればわかるように、頭を使う棋士は、おいしいものをしっかりと食べる。水もたくさん飲む。生体コンピュータは水に浸かった状態で作動しているので、大量の水が必要なのだ。その生体コンピュータは、年齢とともに衰える。とくに神経系が鈍くなって、感嘆にずっこけたり、物忘れをしたりする。困ったことだが、まだ動いているので、大丈夫だ。そういえばぼくが使っているパソコンも、10年以上使いこんだもので、いまはワープロとメールにしか使っていない。ネット会議やドロップボックスの資料は、iPadやiPhoneを使っている。こういう簡単な機械で何でもできるので、この古いパソコンは原稿を書くだけに使っている。スペースきーにぼくの指の跡がついている年代物で、ぼくの分身のようなものだ。

02/20/木
SARTRASの理事会と三年WG。この授業目的公衆送信補償金等管理協会(SARTRAS)という組織は、写真家の瀬尾太一さんがリーダーとなって文化庁と交渉し、コロナ禍の直前に立ち上げたもので、小中学校の生徒の全員に一人一台iPad(に相当する端末)が配布されて授業を実施するという文部科学省の構想をもとに、授業目的の著作権の権利制限に関する法律改正に対応して、補償金制度を確立させたものだ。制度の構想から実際の組織の設立までが、まさにドロナワの状態だったので、これで大丈夫かというヒヤヒヤのスタートだったが、何とか3年が経過するまでもちこたえた。3年経過を経て、このままでいいかという見直しのWGが進行中だ。理事長ともう一人の副理事長が事業を推進していて、ぼくはオブザーバーのような仕事を担当しているのだが、組織のオブザーバーなのであらゆることを監視していないといけないので、出席する会議が多く困惑している。幸いコロナのおかげで会議がすべてネットで済ませられるようになった。またコロナのおかげといってはいけないのかもしれないが、教育現場でもiPad等の端末を利用した授業が進み、補償金が順調に入るようになっている。そのため分配の公正性をめぐってつねに議論を続けているというのがこのところの紛糾の原因だが、議論を重ねても何も生み出さない組織と違って、補償金をいかに有効に分配するかという、うまくいけば誰もがハッピーになる仕事なので、何とか元気に乗り切っている。これに比べたら、20年ほど前の著作権保護期間延長の運動や、電子書籍推進のための議論などといったものは、会議を重ねた割には実のある成果はなく、ただ現実にじわじわと押し切られたというだけのことだった。まあ、こういう仕事をやりながら、大学の教員もやり、本も着実に出せてきたので、とくに問題とすべきことはない。老人ボケの予防になるし、多くの人々との出会いがあった。これからも健康の許す限り続けていきたいと思う。初期の組織のリーダーだった瀬尾太一さんが、出版点の段階で過労で亡くなられたことが残念でならない。しかしその成果として組織がいまも存続していることを喜びたい。

02/21/金
昨日の理事会で、今週の公用は終わった。週末から来週にかけて、何もすることがない。数日前に書いた、猫箱を開けて生きた猫と出会ったシュレーディンガーと、猫の死体を目撃したシュレーディンガーが「共存」しているというイメージのことを、ずっと考えている。誰にも、人生の分岐点というものがある。ぼくは大阪の私立学校に通っていた。三人の姉、兄、姉が通っていたので、選択の余地はなかった。小、中、高と連続している追手門学院という学校で、ぼくたちの学年が高校を卒業したときに、大学が開設された。たぶん無試験で入れたと思う。そのまま大学に入ったら、宮本輝と出会ったかもしれない。同級生の女の子は、実際に宮本輝さんと出会って夫人になっている。中学三年のときに、ぼくの親友が、公立の北野高校を受験すると言いだした。同級の何人かが、公立高校を受験することになった。付和雷同というのか、ぼくも公立を受けることにした。これがぼくにとっての、最初の猫箱だ。そのまま私立の高校に行ってもよかった。何となく、気分を変えてみたかった。私立の学校というのは、ぬるま湯のようなものだ。ちょっと外の風に当たってみたいというような、軽い気持だった。不文律のようなものがあって、公立を受けると、追手門学院の高校には行けないということになっていた。すべり止めに明星高校というのを受けた。当時は野球が強くて有名だったが、ぼくの自宅から歩いて行けるという、それだけの理由で受験した。大阪には学区というものがあって、ぼくの住居から行ける公立高校は、大手前高校だった。戦前、北野中学がナンバーワン男子校で、大手前高女がナンダーワン女子校で、戦後両校は教員と生徒を半分ずつ入れ換えたという歴史があった。それでぼくは大手前を受けたのだが、北野を受験した親友も、ぼくが明星を受けるというと、いっしょに受けることになった。彼の方がぼくに合わせてくれたのだ。一緒にドストエフスキーを読んでいた親友だった。彼は大学闘争のなかで組織に入り、内ゲバにまきこまれて命を落とした。その親友といっしょに明星高校を受験したのだが、昼休みには校庭のベンチでトランプをして遊んでいた。この親友がいなければ、ぼくは公立高校へ進まなかっただろう。『遠き春の日々』に書いた友人たちとの出会いもなかった。のちに代島監督が、羽田闘争で亡くなった山アくんの思い出を語る同級生のドキュメントを撮った時に、その友人たちが総出演したので、懐かしかった。彼らとの出会いがなかったら、ぼくは作家になっていなかったと思う。いや、もっと重要なことがある。妻と出会ったのも高校だった。公立高校を受けなかったら、いまのぼくはない。中学三年生のぼくの頭のなかに、「猫箱」があった。ぼくの頭のなかの神経回路に、親友が北野高校を受験するという情報が入力された。ぼくも公立を受験しようかという着想は生まれたはずだが、受験勉強などめんどうだという思いもあったはずだ。慣れ親しんだぬるま湯のような私立にいてもよかった。ぼくの頭のなかの神経回路が、猫箱状態になっていた。そこで、「公立を受けたぼく」と「私立に進学したぼく」とが、「共存」していた。で、猫箱の蓋が開かれ、ぼくは「公立の高校生になったぼく」と遭遇した。まあ、そんな「共存」はいろいろある。高校を休学して最初の小説を書いた。休学せずにちゃんと単位をとって卒業するという選択肢もあったはずだ。それでも早稲田には行ったと思う。一浪して早稲田に入ったぼくと、高校で一回落第してストレートで早稲田に入ったぼくとは、そこで重なる。量子もつれがそこで解消されたことになる。でも、高校で小説を書いて『文藝』でデビューするという経路は、もつれたまま残る。それでもいつかぼくは作家になっただろうか。もしかしたら、もっと売れる小説を書いていたかもしれない。「多世界解釈」というのは、そういうことだろう。ぼくの人生は一回きりのものだが、サルトルの実存という考え方によれば、人間というものは未来に向けて「身を投げ出す」存在だから、未来にはあらゆる可能性が広がっている。カミュの「異邦人」のような犯罪を犯す可能性もあるし、サルトルの「嘔吐」のようにマロニエの根っ子を見つめて吐き気を感じるだけの存在となったかもしれない。しかしぼくはすでに後期高齢者となっているので、未来には何もない。いつ癌になるか、脳梗塞になるか、老人というのも一種の猫箱だ。ぼくの内部で、すでに猫は死んでいるのかもしれない。蓋をあけてみるまではわからないのだが……。 02/22/土
先日、ぼくの『髭』という作品が、どの本に収録されているか、というお問い合わせがあった。『命』という短篇集に収められているとお答えした。本日は、『Mの世界』所収の『体操教師』についてのお問い合わせがあった。いずれもごく初期の作品で、ほぼ半世紀前に書いたものだ。自分でも読み返していないので、詳細な内容については記憶していないのだが、確かにその作品を自分が書いたということはわかっている。『Mの世界』を書いたのは17歳の時だから、60年前だ。作品が還暦を迎える。すごいことだなと思う。それでもぼくはまだ元気で生きている。それも不思議なことだと思っている。

02/23/日
昨日書いたことの続き。17歳のころというと、ちょうど高校を休学していた時だった。高校生が学校に行かなくなると、言ってみれば、何ものでもない状態になる。昼間、私服で外を歩いていると、この若者は何をしているのだろうと、白眼視されかねない。いまだと、高校中退でヤンキーと呼ばれる不良少年になる若者も少なくないのだが、60年前は世の中がまともだったので、中卒で働く少年も少なくなかったし、高校生はまじめに勉強していた。だから仕事もせず学校にも行かない17歳の人間は、居場所のないプータローみたいなもので、アイデンティティーが崩壊してしまう。いまのぼくは、後期高齢者だから、昼間に外を歩いていても、怪しまれることはない。定年退職した老人が散歩している。それだけのことだ。ぼくは大学の先生をしていたので、70歳まで通勤していた。リタイヤしてから数年しか経っていないので、どこにも出かけないということに、まだあまり慣れていない。それでもSARTRASという団体に関わっているので、忙しい時には連日の会議に出席している。だから完全にリタイアしているわけではないし、デッドストックになる作品ではあっても、毎日、少しずつ打ち込みの作業をしている。60年も、ひたすら書き続けている。17歳のぼくと、77歳のぼくと、あまり違いはないような気もしている。ただ作品は世に出ている。本屋さんに行っても、もうぼくの本はない。大きな書店だと、『いちご同盟』と、翻訳の『星の王子さま』があるくらいだ。もう誰も、ぼくが現役の作家だとは思っていないだろう。それでもまだ生きている。不思議だが、こうしてホームページにノートも書いている。

02/24/月
祝日。大学の教員をリタイアしてから7年近くになる。リタイアすれば毎日が日曜日ということなのだが、大学の教員にとっては、2月、3月は授業がないので、長い休暇に入ったようなものだ。だから、2月の祝日というものは、とくにありがたいものではなかった。それでもSARTRASというややこしい組織に関わっているので、日曜祝日はめんどうなメールから解放される。朝起きると、大阪マラソンをやっていた。今年からコースが少し変わったようだが、懐かしい大坂城が映った。ぼくの子どものころは、大阪の街のどこにいても大阪城が見えた。小学校と中学校の追手門学院、高校の大手前高校は、いずれも大阪城の外堀に隣接していた。大阪城を見ながら通学した。昔は高い建物がなかったので、かなり距離が離れても、いろいろなところから大阪城が見えたものだ。ぼくは大阪の市電(路面電車)の経路図を、いまでも頭のなかに思い浮かべることができる。だからマラソンランナーがどこを走っているかが、頭のなかの地図上に表示されている。いまは市電のかわりに、地下鉄が走っている。大阪は奈良や京都と同様、南北の道路と東西の道路が直交しているので、地下鉄の路線もタテヨコにきっちり走っている。それに比べれば東京は知恵の輪のような難解なパズルだ。今日も散歩に出ると、聖橋の上に大勢の人だかりができていた。中央線の快速が坂を下って右方向に回っていき、総武線がその上を走って昌平橋の上の大陸橋を渡り、御茶ノ水駅の下のトンネルから地下鉄丸ノ内線の赤い電車が出てきて神田川を超える。3系統の電車が同時に見える瞬間を狙って、大勢の人がカメラを構えている。御茶ノ水に住んでいるぼくにとっては、見慣れた光景ではあるのだが、それでも歩きながら神田川の方を見て、電車の動きを確認す。それにしても、丸ノ内線の経路は驚異的だ。池袋から新宿に向かうのに、こんなに遠回りするのかというくらいに迂回していく。そして地下鉄なのに突然、神田川の上に姿を見せる。まあ、そこがおもしろいのだろう。

02/25/火
今日は少し温かくなった。花粉が飛んでそうな感じ。鼻の穴にワセリンをぬり、サイドをカバーしたサングラスをかけ、帰宅すると目を洗浄液で洗う。それで何とかしのいでいる。寝る前に、医者に処方してもらっている鼻スプレー。これで何とか乗り切りたい。スペインにいる4人の孫の、末っ子の動画が届いた。バイオリンの演奏。すごく上達したので驚いた。つまがラインでそのことを伝えると、長男からの返事。「ときどき彼は覚醒する」のだそうだ。

02/26/水
2月は時のたつのが速い。もう月末近くになっている。大学の教員をしていたころは、月給をもらっていたので、月が短いのはありがたかったのだが。それでも年金などの月ぎめの収入があるので、まあ、ありがたいと思うべきか。ウクライナは結局のところ、ロシアの勝ちということになるのか。明らかに不当な侵略によって始まった戦争だ。これをロシアの勝ちと認めると、ロシア周辺の小国は何をされるかわからないという状態になる。中国も平気で領土を拡げ始めるだろう。アメリカもグリーンランドに進出するのではないか。日本も沖縄周辺の防備を真剣に検討すべきだろう。戦争に巻き込まれるのは避けるべきだが、日本は玩具産業が発達しているので、国家の予算で国防用のドローンを大量生産して、網の目のような防御網を準備する必要があるのではないか。

02/27/木
どういうわけか、午後6時からと、午後7時からの会議があって、どちらも2時間の会議なので、1時間は完全にカブってしまった。6時からの会議は最初に自己紹介があったので、少し長めにしゃべって、それでプレゼンスの証明として、あとは発言せずに聞くだけだったが、話の内容もちゃんと聞いていた。7時になったので、iPadの横にiPhoneを置いて接続して会議に参加。はちらはただ説明を聞いているだけでよかったのだが、iPadからのイヤホンを右耳、iPhoneからのイヤホンを左耳に入れて、両方の会議を聞いていたのだが、双方にもに議論が白熱して早口にまくしたてる人がいたので、頭のなかで言葉が交差して混乱した。こういうことができるのもネットで会議に参加できるようになったからで、学生が複数の講義を同時に聞くということが問題になったりもする。しかし耳穴は2つしかないので、2つの会議に参加というのが限度だろうとは思うのだが、ぼくはiPadを2つもっているので、両耳に加えてスピーカーから音を出せば、3箇所からの情報を同時に聞くことができる。会議が終わって、将棋の一番長い日といわれるA級の最終戦の中継を見た。勝てば名人挑戦が決まる佐藤天彦さんが佐々木勇気さんと対戦する試合はアベマが中継し、佐藤さんが負けた場合にプレーオフ出場の可能性がある増田対永瀬の試合がYouTubeで中継されていて、これもiPadが2台あれば見られる。永瀬が早々と勝ち、佐藤天彦はコンピュータ評価が30%以下となり、やがて1%の表示が出て、プレーオフが実現することになった。昔は、将棋の中継などということは考えられもしなかったが、コンピュータ表示のおかげで、点数表示でどちから優勢かわかる。といっても1%の表示が出ても、20手詰めとか、そんなものだと、勝っている側はその手が指せるとは限らない。実際に藤井くんが1%から逆転する試合を何度も見た気がする。

02/28/金
2月は短い。もう月末だ。本日は公用もなく、作業が進んだ。いま書いている『活目大王』(垂仁天皇)には三角関係の物語が展開される。そこに死反玉というマジックアイテムで死者の国から霊が戻ってきて生きた人間に憑依するので、三角関係が立体的に複雑化していく。書いている本人もこんがらかってくるのだが、そこがこの作品の魅力でもある。ということで、『活目大王』の入力作業のなかほどで、今月も月末を迎えた。来月中にはこの作業を終えたいと思っている。


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