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   笈の小文・・・芭蕉  
  
 
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 トップページHot SpotMenu最新のアップロード                          執筆: 星野 支折

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 2021年11月  

            上から・・・下 へ          
 11月  1日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 1 )

【プロローグ 】・・・( 1 )


星野支折が…

《軽井沢・基地》/2階の、開け放った窓辺に立っていた。

から入るが、冷え冷えとしている。ここからは浅間山(/長野県/軽井沢町及び御代田町と、群馬

県/吾妻郡嬬恋村との境にある、安山岩質の活発な活火山。標高2568 m 。山体は円錐形。カルデラが形成されている。)

は見えなかった。

眼下に芝生、向こうに雑木林白樺、遠くに、少し黄色く色づき始めたカラ松林が見えた。

彼女は、を回し、インターネット正面カメラを…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 2 )

【プロローグ 】・・・( 2 )


チラリと見上げた。ランプ緑色になっていて、カメラはすでに作動していた。

ポン助が、栗のイガを活けた花瓶を運んできた。を残した数個大きなイガは、がこ

ぼれ落ちそうだった。少し前に、里中響子が活けていたものだ。

ポン助が、その花瓶を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 3 )

【プロローグ 】・・・( 3 )


スクリーンボードの横の花台に載せた。

それを鑑賞していると、折原マチコが入って来て来た。その後から、タブレット片手に持

って、里中響子も入って来た。

全員作業テーブルに着いた。支折があらためて、インターネット正面カメラを見上げた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 4 )

【プロローグ 】・・・( 4 )


そして、前で両手を結び、丁寧一礼した。


お久しぶりです…」支折が言った。「星野支折です…

あわただしい、<・・・コロナ禍の日々・・・> で…

、そしては、何処かへ消えてしまった様ですね。でも、イガは、確かに今、ここに、

在るのを、眼前(がんぜん/明らかなこと。確かなこと。また、そのさま。)させています。


 11月  2日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 5 )

【プロローグ 】・・・( 5 )


今回笈の小文(おいの・こぶみ) は…

長野県/《軽井沢・基地》 からの発信になります。

そこで、笈の小文/第2部として、新ページを立ち上げました。

<コロナ禍> という事で、脱線をくり返し、だいぶ長くなりましたので、よい機会でした。

ええ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 6 )

【プロローグ 】・・・( 6 )


響子さんマチコさんポンちゃん…よろしくお願いします」

「はい…」響子が微笑し、を結んで、楽しさ(あふ)れる様にうなづいた。「軽井沢

し、スッカリ元気を取り戻しました。

<コロナ禍> でしたが…

座禅をするには、全く支障がなく、はむしろ、落ち着いた

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 7 )

【プロローグ 】・・・( 7 )


充実した時間を過ごしました、」

「はい…」支折も、微笑した。「も、少し御一緒にいたわけですが、よい修行になりました。

有難りがとうございます!

ええと、マチコさんも、一言、お願いします、」

「はい…」マチコが、コクリとうなづいた。「は、今朝、つい先ほど《軽井沢・基地》 の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
   台風19号で、水に漬かった新幹線車両基地 (2019年10月13日 午前8時6分/長野市赤沼) (ネットより画像借用)                                                         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 8 )

【プロローグ 】・・・( 8 )


ハイパーリンク・ゲートを通ったばかりです。<2021/衆議院選挙> 結果様子

も、ここ、《軽井沢・基地》 で、見るつもりで来ました。

出来るなら…笈の小文 は、最初から参加したいと思って…」

「はい…」支折が、ニッコリと、うなづいた。「マチコさんは、も、選挙モードというわけです

ね。それは、分かります。

うーん…

確かに、今後日本はどうなってしまうのか、非常に心配ですね。日本政治家に、一体

この国<日本の・・・舵取り・・・> を、任せて置けるのでしょうか?

そもそも…

<地球温暖化で・・・益々激烈化する、日本の気象災害対策が・・・//・・・ 総選挙=

政権選択選挙の・・・争点にも、ならなかった ・・・> というのは、どうしたコトでしょう

か?こんな事では、 <日本の・・・舵取り・・・> は、任せて置けませんわ!

軽井沢の、すぐ近くの…

善光寺平/長野盆地長野市でも…

1昨年/2019年に、台風19号で、豪雨土砂災害がありました。千曲川決壊して、新幹

7本も水没しました。これが、<国土交通省> のいう様な、<レジリエンス/・・・し

なやかな復元が・・・可能なレベルの災害・・・> と、言えるのでしょうか?

こうした大災害は…

毎年毎年全国何処でも、起こりうる、という事ですわ。

<政治、行政当局が・・・常に・・・見通しが非常に甘いというのは、国民にとって、

大きな悲劇ですわ。<東日本大震災の・・・復興事業> でも、レジリエンスではなく、

硬直性が、顕著でした。

私達は、あの大復興事業では…

〔人間の巣/未来型都市/千年都市〕 を、展開するようにと、強く提唱していた、経緯

あります。あの時に、東北地方被災地域に、これが導入されていたら、現在 <世界の

・・・地球温暖化対策・・・> も、相当に、違った風景になっていたと思われます。


長野・千曲川、堤防決壊70m 新幹線車両も水没。水深5mに達する可能性も…

                                          2019年10月13日 7:14   (ネットより画像借用)                                                         

 

 11月  3日

  分化の日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
    リアルタイム/2019年7月3日・・・九州南部 特別警報・避難指示を待たず、早めに避難を  (/ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 9 )

【プロローグ 】・・・( 9 )


政治家・政党は…

<2021/衆議院選挙> でも…

<国家の直下の大事・・・土砂災害で崩壊し始めた・・・日本列島の社会インフラの旧

式化・・・社会インフラのバージョンアップ・・・>

…については、全く、争点ともしませんでした。

でも…

<社会インフラの旧式化は・・・このまま放置すれば・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 10 )

【プロローグ 】・・・( 10 )


・・・毎年、複数個所で大災害が発生することは明白で・・・国民にとって苦難の道・・・

となりますわ。次に被災するのは、どの地域になるのでしょうか?

私達は…

<岸田・新内閣の・・・動向> を、シッカリと、見守って行きたいと思います」

「うーん…」マチコが、を当てた。「そして…

私自身もさあ、何度も、くり返すけど…

<公共放送/NHKの・・・本来使命を放棄している状況・・・

国民の一方的な負担・・・パラサイト(英語:parasite/共生の一種である寄生を意味する )化/・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                                   (/ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 11 )

【プロローグ 】・・・( 11)


・・・寄生虫化の問題・・・>

…は、今後も、継続して行くというコトよね。

<国家表面の・・・モヤモヤした開放系システム/・・・日本のモラルハザードのショウ

・ウインドウ・・・>

…も、継続というコトだし。

そして…

同根モラルハザード大元

★ 日本国家の・・・上流域・・・

<国家三権・・・司法・立法・行政・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
遂にイギリスのエコノミスト誌も、安倍首相の報道規制を批判! タイトル/『日本 のメディアは悪について話さない』 
                                                               (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 12 )

【プロローグ 】・・・( 12 )


・・・第4の権力/マスメディアから・・・流れ下っている・・・国家組織全体の、壮大なモ

ラルハザード・・・>

…についても、総選挙争点とならなかったわねえ。政治家は、自分の足元ばっかりだし、

政治評論家は、下らない政局の話ばっかりだし、さあ…」

「そうですね…」支折が、小さくうなづいた。「<政権選択・選挙・・・総選挙> で…

<国家の大局・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    index292.jpg (1590 バイト)   
                                           (ネットより画像借用)                                                         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 13 )

【プロローグ 】・・・( 13 )


・・・世界の大局・・・> が、争点化しないことが、そもそも大問題ですわ。これでは、選挙

投票率が下がって当然です、」

「そうですね…」響子も、真顔でうなづいた。「も、言いたいコトは、山ほどあります…

でも、今回はひかえましょう…」

「あ、はい…」支折が、微笑した。「さあ…

笈の小文(おいの・こぶみ)考察に、入りましょうか…」



 11月  4日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                            奈良県/川上村 「蜻蛉(トンボ)の滝」    (ネットより画像借用)                                                         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 14 )

原文・・・18/1 】・・・( 1 )


< 西 河 >


★ ほろゝと山吹ちるか滝の音


(蜻蛉/トンボ)【虫篇+鳥】が滝

布留の滝は布留の宮より二十五丁山の奥也 大和

津国 布引の滝 幾田の川上に有。

箕面の滝 勝尾寺へ越る道に有。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                                   (ネットより画像借用)                                                         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 15 )

【現代語訳・・・18/1 】・・・( 1 )


<虹河/虹川/吉野大滝>


★ ほろゝと 山吹ちるか 滝の音   (蜻蛉/トンボ【虫篇+鳥】が滝


      西河の滝が・・・

          岩間に激して・・・

              轟々と鳴りわたり・・・

            岸辺をいろどる・・・

                黄金色の山吹の花が・・・

                    風も持たず・・・

                         ほろほろと散っているなあ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                             兵庫県/神戸市・・・布引の滝    ネットより画像借用)                                                         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 16 )

【現代語訳・・・18/2 】・・・( 2 )


布留の滝(桃尾の滝(もものおの・たき)は奈良県/天理市滝本町にある滝)は布留の宮(/石神神宮)より二

十五丁(/1間(畳の縦の長さ)は約1.82m 、1丁=60間で、約109.2m。109.2×25=2730m)山の奥で

ある。 大和

津国(/摂津国の古名。摂津国は、大阪府北西部と、兵庫県南東部の旧国名。) 布引の滝は幾田(いくた/神戸

市中央部の地名。生田神社の所在地。)の川上にあり。

箕面
(みのお)の滝は 勝尾寺(/俗に 「かちおじ」 ともいう。)へ越る道にあり。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              奈良県/吉野郡川上村               (ネットより画像借用)                                                         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 17 )

支折の言葉・・・18/1 】・・・( 1 )


「ええ…」支折が言った。「芭蕉は…

吉野川上流にある西河の滝で休み、この句を詠んでいます。

この西河は…

虹河虹川ともいう様ですね。奈良県/吉野郡川上村にある様ですが、残念ながら、

行ったことはありません。



 11月  5日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                         
            (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 18)

支折の言葉・・・18/2 】・・・(


ええと…

まず、しばらく間が空いたので…

おさらいを兼ね、芭蕉略歴を述べて置きましょうか。

<俳聖/松尾芭蕉> 家系は…

<平氏(へいし/平安初期に皇族賜姓(しせい/天皇が皇族、貴族、武士などの功績に対して姓を賜うこと。古代からあ

ったと思われ、平安時代には盛んに行われた。)によって生まれた姓。桓武(かんむ)・仁明(にんみょう)・文徳(もんとく)・光孝

(こうこう)の4流がある。桓武天皇の皇子葛原(かずらはら)親王の子/高見王の子孫(/桓武平氏)が最も栄え、<清和源

氏> とともに、武家の棟梁(とうりょう)となった。)末裔(まつえい/末の血統)の様ですね。

でも…

伊賀農民でしたから、裕福と言うわけではありません。芭蕉も幼くして、<伊賀国上野

の武士/藤堂良忠(/伊賀国上野の城代付の侍大将、藤堂新七郎良清の三男) に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                伊賀/上野城・・・戦国武将/藤堂高虎は、弟の藤堂高清を城代とした。    ネットより画像借用)                                                         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 19)

支折の言葉・・・18/3 】・・・(


扈従(こしょう/貴人に付き従うこと。また、その人。)として出仕(しゅっし/民間から出て、官に仕えること。仕官。)

しています。芭蕉は、俳諧を好む2歳年上良忠影響を受け、彼自身俳諧熱中して

行ったものと思われます。

しかし1666年

芭蕉22歳の時に、主/良忠は若くして亡くなります。その時、芭蕉奉公先良忠から

藤堂藩(/伊勢国、津(現:三重県津市)を本拠地とした津藩の別称。藩主・藤堂氏の名にちなむ。戦国時代に、藤堂高虎

が出て発展し、江戸時代は津藩を領する外様大名になった。)変えた様ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 20)

支折の言葉・・・18/4 】・・・(


でも、良忠がいなくては、もう出世は望めませんでした。一方、奉公人を務めながらも、

に関しては知られた存在になって行きました。それで芭蕉は、俳諧師を目指すようになっ

た様です。

やがて、江戸に出て…

江戸/日本橋界隈で、俳諧師宗匠(はいかいし・そうしょう/俳諧の師匠)としての…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
      
    杉山 杉風(すぎやま・さんぷう・・・蕉門十哲、幕府御用の魚問屋/鯉屋・・・)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 21)

支折の言葉・・・18/5 】・・・(


地位を築き上げました。資料によると、水路工事監督などもしながら、身についていた

武士品格も持ち、人望もあった様ですね。

でも、芭蕉37歳の時に…

その俳諧宗匠地位を捨て、深川(/東京都江東区)に、<門人の・・・杉山杉風(すぎやま・さんぷ

う/江戸日本橋本小田原町に住んで、幕府に魚類を納める納屋を営む。<屋号を・・・鯉屋> といった。俳諧は、父仙風と共

に松尾芭蕉門。東下後の芭蕉に親しみ、延宝期には江戸蕉門の中心人物となる。) から譲り受けた番屋(/番人

・番士の詰所。猟師などが寝泊まりする山小屋。北海道では、ニシン漁師の宿泊する小屋。)改築して、<芭蕉庵

(ばしょうあん/・・・江戸深川六間堀の、門人・杉山杉風の屋敷にあった草庵)


深川・木場は江戸のウォーターフロント! 絵をよく見ると、張り巡らされた水路に沢山の材木が浮かんでいるのがわかります。

独特の雰囲気です。                                      (ネットより画像借用)


 11月  6日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 22)

支折の言葉・・・18/6 】・・・(


…として住み、俳諧求道(ぐどう/1つの道の極致を求め、修行すること)の生活没入した様ですね。

蕉門俳人や…

江戸時代/中期・後期の、<与謝蕪村> <小林一茶>、それから現代に至るまで、

多くの俳人・文人(ぶんじん/詩文・書画など、風雅の道に心をよせている人)が、芭蕉強く憧れて、

(ひょうはく/一定の住居や生業がなく、諸方をさまよい歩くこと。さすらうこと。)しました。

でも、結局

<芭蕉の様な・・・深い求道の精神/・・・死と表裏の境地・・・> に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 23)

支折の言葉・・・18/7 】・・・(


飛び込んで行く事は、叶(かな)わなかったわけですね。それが、凡人なのですから。芭蕉

場合は、それが狂気に近く、苦しい恋をしているようだった、とも言われています。

例えば…

枯れ野に・・・日が沈んで行くのを見て…

その雄大寂寥感(せきりょうかん/ものさびしいこと)感動し、私達 “いいなあ” と思います。とこ

ろが、芭蕉場合は、“いいなあ” と思うだけでなく、“狂おしいほどに・・・いいなあ”と思い、

“このまま・・・死んでしまいたいほど・・・いいなあ” と、思う様ですね。

つまりそれが…

<風雅への妄執(もうしゅう/迷いの心から物事に執着すること)・・・風雅への魔心・・・> とか、言わ

れるものです。普通の人は、その魔境を恐れて、本能的身を引くわけですが、芭蕉

学的求道者として、あえて、その魔境へ飛び込み、没入して行った所が異常なのです。こ

うした文学者は、世界的にも稀有(希有/けう・・・めったにないこと)なのでしょう。

ともかく、芭蕉は…

<深川/芭蕉庵> 転居すると、<仏頂和尚(/茨城県・鹿島の根本寺第21世住職。 芭蕉参禅の師

と伝えられている。仏頂は、芭蕉と江戸深川に在住していた時深く関わった人物として知られています。さらに芭蕉が、奥の

細道紀行の途中、仏頂の山居跡を訪ねて那須黒羽雲厳寺に赴き、本文中に 「雲厳寺」(うんがんじ)の項を遺している。)

から、を学ぶなどして、それまでの俳諧宗匠生活とは決別した様です。

1684年(/貞享元年)

芭蕉は、41歳の時に…

<生涯の野望/・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 24)

支折の言葉・・・18/8 】・・・(


・・・新しい俳諧の境地・・・> を求めて、野ざらし紀行出発します。

その、<野ざらし・・・野に屍(しかばね)を晒(さ)す覚悟の旅・・・> 終了して、江戸に帰る

と、芭蕉は、<紀行する・・・俳諧師> として、多くの紀行作品を残し始めます。


 <芭蕉の・・・紀行作品>  


野ざらし紀行 ・・・

貞享(じょうきょう)元年(1684年)8月、門人/千里(ちり)を伴い約半年間の旅。

深川を出て、東海道を伊勢に直行、伊賀上野・大和・吉野・山城・近江・美濃と足をのばし、

桑名・熱田・名古屋・伊賀上野・奈良・京都・大津・尾張・甲斐を経て、江戸/深川へ帰るル

ートをたどっています。

芭蕉の紀行文の出発点として位置づけられている作品で、冒頭の「路粮をつゝまず」という

一文から、芭蕉のこの旅にかける悲壮感と気負いが感じられ、文芸探索の為に旅立つ芭

蕉の、強い意志を読み取ることができる、という事です。

また、この旅の目的には、前年他界した伊賀上野の母の追善のための里帰りという、表向

きの意味もあった様です。

 

鹿島紀行 ・・・

貞享4年(1687年)8月14日、仲秋名月(ちゅうしゅうの・めいげつ/十五夜の月。陰暦8月15日の夜に見える月

で、一年で最も美しいとされ、月見をします。)の夜の1日前、門人の曾良・宗波を伴い、常陸の鹿島へ

月見に出かけた時の紀行。3人で鹿島神宮に参詣(さんけい/神社や寺にお参りすること)

 

笈の小文  ・・・

貞享4年(1687年、芭蕉が44歳の時、10月に江戸を出立し、鳴海・保美を経て郷里の伊

賀上野で越年。 2月には伊勢参宮、3月には坪井杜国との2人旅で吉野の花見をし、高野

山、和歌浦(わかのうら)を経て、4月8日奈良に到着。さらに大坂から須磨(すま)、明石(あかし)

で漂泊した紀行文。

成立年時は、元禄3年(1690年)晩秋から翌年夏ごろまでの間と推定されてます。宝永6年

(1709年)に河合乙州(かわい・おとくに)が、『笈の小文』 の書名で出版して世に知られました。冒

頭の風雅論のほか、紀行文論、旅行論などに芭蕉の芸術観をうかがうことのできる重要な

作品という事です。

『笈の小文』 は、内容的にもまとまった作品とはいいがたい点があり、未定稿説や、旅中

の草稿類の、河合乙州編集説、などもある様です。

 

更科紀行 ・・・

貞亨5年(1688年)8月11日、芭蕉は門人/越人を伴い、美濃の地から江戸への帰途の旅

に出発しました。更科で、姥捨て山の秋の月を見る、というのが目的だった、という事です。

この旅は、『笈の小文』 の旅の江戸への帰路ですが、安全で気楽な旅だった 『笈の小文』

の旅に対して、『更科紀行』 の木曽街道の旅は、街道そのものに危険が多く、追い剥ぎや

山賊などの、不安感もあった様です。

一方、芭蕉は、この旅で多くの秀句を詠んでいます。結果的に、極めて収穫の多い旅となっ

て、俳諧の心境を深め、『奥の細道』 へと続いて行くわけです。

 

奥の細道 ・・・

元禄2年(1689年)芭蕉46歳の時、門人/河合曽良を伴って江戸をたち、奥羽・北陸の各地

を巡遊し、後に大垣に入り、さらに伊勢参宮へと出発するまでの、約150日間にわたる大

遠征の旅となります。芭蕉の代表的な俳諧紀行文です。

 

嵯峨日記 ・・・

元禄4年(1691年)4月18日~5月4日まで、芭蕉が嵯峨の向井去来の別荘/落柿舎(らくし

しゃ)に滞在した時の日記で、宝暦3年(1753)に刊行されました。

京都の門人/去来らがしきりに来遊を進めたところ、嵯峨にてしばらく休息することになっ

た芭蕉は、野沢凡兆・川井乙州・河合曾良など、蕉門諸家の訪問をうけ、楽しくリラックスし

た時間を過ごした様です。

芭蕉は、そこでの生活や門人との交渉や追憶を、日記風に日付けを書いて、その日その

日の随感を、無造作に書きつづっています。



岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 25)

支折の言葉・・・18/9 】・・・(


ちなみに、この 野ざらし紀行 の後…


古池や 蛙飛び込む 水の音


…の、名句が作られています。

いわゆる…

<芭蕉が・・・芭蕉として、覚醒(かくせい)した・・・> と、評価される、芭蕉代表句です。

この、<芭蕉・覚醒後・・・> 出発した…

故郷/伊賀上野への凱旋(がいせん/「凱」 は戦いに勝った時奏する音楽、転じてかちどき。「旋」 は帰ること。従っ

て・・・勝利を祝う歌をうたって帰ること。戦いに勝って帰ること。)紀行が、笈の小文 の、旅の風景にな

ります。



 11月  7日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                         
  吉野の桜                        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 26)

【 原文・・・19/1 】・・・( 1 )


< 吉野 、 高野 ・ 和歌 >


 桜


★ 桜がりきどくや日々に五里六里


★ 日は花に暮てさびしやあすならふ


★ 扇にて酒くむかげやちる桜


苔清水


★ 春雨のこしたにつたふ清水哉


岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                         
 芭蕉           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 27)

【 現代語訳・・・19/1 】・・・( 1 )


<・・・ 桜 ・・・>


★ 桜がり(桜狩り) きどく(奇特)や日々に 五里六里


      毎日毎日・・・

           吉野の桜を見るため・・・

                五里六里と歩き回る・・・

             俳人の我ながら・・・

                  奇特なことだ・・・


★ 日は花に 暮てさびしや あすならふ(翌檜(あすなろ)/ ヒノキ科の常緑高木)


      花見に歩き回った・・・

           今日一日が暮れていく・・・

                桜のわきに・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1   wpe86.jpg (6318 バイト)
 
                         
 芭蕉庵              (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 28)

【 現代語訳・・・19/1 】・・・( 2 )


                      ひっそり生える・・・

                            あすなろの木が寂しげだ・・・


★ 扇にて 酒くむかげや ちる桜


      ヒラヒラ散る・・・

            桜の花ビラが惜しまれて・・・

                 思わず、扇をさし出した・・・

             能・狂言で・・・

                  酒を汲むしぐさだ・・・

                       山道で、全く、酔狂なことだ・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
                         
苔清水」 は、奈良県/吉野山の奥の千本にある   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 29)

【 現代語訳・・・19/3 】・・・( 3 )


<・・・ 苔清水(こけしみず) ・・・>


★ 春雨の こした(木下)につたふ 清水哉(かな)


      春雨が・・・

           木の下につたい落ちる・・・

                清水だなあ・・・



 11月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                         
  吉野の桜                       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 30)

【 原文・・・19/2 】・・・( 1 )


よしのゝ花に三日とゞまりて、曙(あけぼの)、黄昏(たそがれ)のけしきにむかひ、有明の月

の哀(あわれ)なるさまなど、心にせまり胸にみちて、あるは摂政公(せっしょうこう)のながめ

にうばゝれ、西行の枝折(えだおり)にまよひ、かの貞室(ていしつ)が 「是(これ)はゝ 」 と打な

ぐりたるに・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                         
 芭蕉           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 31)

【 原文・・・19/2 】・・・( 2 )


・・・われいはん言葉もなくていたづらに口をとぢたるいと口をし。おもひ立たる風流い

かめしく侍(はべ)れども、爰(ここ)に至りて無興の事なり。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
            
『小倉百人一首・・・91番/後京極摂政前太政大臣』 <ジャンプ!>   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 32)

【 現代語訳・・・19/2 】・・・( 1 )


花の盛りの吉野に三日滞在して、曙、黄昏の景色に向かい、有明の月の哀れなあり

さまなど、心に迫り胸に満ちてある時は摂政公(せっしょうこう/・・・後京極摂政)が 「誰が昔桜

の種を植えて吉野を桜の名所にしたのだろうか」 と詠じた、その桜の景色に心奪わ

れ、西行が・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
   
安原貞室(やすはら・ていしつ) 江戸時代前期の俳人。京都の紙商。貞門七俳人の一人。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 33)

【 現代語訳・・・19/2 】・・・( 2 )


・・・

「 去年の枝折(えだおり、しおり/山道などで、木の枝などを折って道しるべとすること。また、そのもの。紙・布・革など

で作り、書物の間に挟んで目印とするもの。)の道かへて 」 と詠んだように、あちらこちらに心引か

れて歩きまわり、かの安原貞室(やすはら・ていしつ/・・・江戸時代前期の俳人。京都の紙商。)が 「★ こ

れはこれはとばかりに花の吉野山 」 と即興で詠み捨てた句を思い出すにつけても、

私には言う言葉もなくて、いたずらに口を閉じて一句もできないのが口惜しい・・・



 11月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
           
西行(さいぎょう/平安後期の歌人・・・西行法師 (菊池容斎画/江戸時代)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 34)

【現代語訳・・・19/2】・・・( 3 )


最初は、吉野でいい句を詠んでやるぞといきり立っていたが、それだけに一句も詠め

ないのは興ざめなことだ。

 

 

( 参考・・・西行法師の枝折の歌・・・ )

★ 吉野山 こぞの枝折の 道かへて

            まだ見ぬ方の 花をたづねむ     (新古今集・春上)


岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
   
                                         芭蕉    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 35)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 1 )


「さあ…」支折が言った。「いよいよ、<芭蕉の・・・吉野入り> です…

芭蕉自身本文に書いている様に、いい句を作ってやろうと、張り切って乗り込んだ様子で

すね。

でも…

私達も、しばしば体験しているように、気持ちだけが上ずって、空回りし、かえって何も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                         
  吉野の桜                        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 36)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 2 )


…手につかない事は、よく分かりますよね。

当時は、まだ…

<俳聖/芭蕉> というよりも、俳諧新星俳諧スーパースター/芭蕉というのが、

(ふさわ)しいかも知れません。

ともかく、その芭蕉が、意気揚々と、<桜の季節の・・・吉野・・・> に、乗り込んだわけで

す。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
   
                                       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 37)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 3 )


そして、最初詠んだ句が…


★ 桜がり きどくや日々に 五里六里


…という、敗北宣言です。まさに吉野故事に、圧倒されたという事でしょうか?

当時はまだ、現代の様に人々の手垢(てあか)スレ切った感じは無く、桜も清楚(せいそ/飾り

けがなく、清らかなこと)だったと思います。



 11月 10日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
   
           京都オーバーツーリズム・・・紅葉シーズン/嵐山の渡月橋の混雑ぶり    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 38)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 4 )


本当に、アレコレやと、吉野山川を、歩き回った様ですね。

歴史上人々が、数多く訪れたといっても、現代の京都鎌倉の様な、オーバーツーリズ

ではなかったはずですわ。

あ、余計なことだけど…

あのオーバーツーリズムというのは、情緒カケラもなく、異常と言うよりもデタラメですよ

ね。それで、お金儲(もう)をする経済も、デタラメ経済だと…は、思っています」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
   
                                               (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 39)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 5 )


「そうですね…」響子が、小さくうなづいた。「安倍政権で、始まった事ですが…

そんなオーバーツーリズム状況を、承知の上で、さらに、もっとと、インバウンド(/外から中

にハイリ込む   一般的に、外国人の訪日旅行の意味)(あお)って来たわけですね。

これは、一応…

<コロナ禍> 頓挫しましたが、日本伝統文化破壊し、日本の情緒も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                              (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 40)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 6 )


破壊してしまいました。安倍政権は、一体、何を考えていたのでしょうか。日本伝統社

を、平気で壊すようなコトを、数々してい来ましたわ。

そして、今後も…

<一連の・・・下らないスキャンダル> を引きずりながら…

自民党・最大派閥/安倍派会長就任し、キングメイカーになっています。スネに傷を持

ち、膨大な実力を残したのは、確かに、かつて金権政治と言われた、闇将軍/田中角栄

彷彿(ほうふつ/ありありと想像すること)させます。

安倍さんは、安倍派を率いて、<令和の・・・闇将軍> に、なるつもりなのでしょうか?

<令和の・・・闇将軍ですかあ…」支折が、感動したように言った。「素敵ネーミ

ングだけど、コンセプト(/概念。創造された作品や商品の全体につらぬかれた、骨格となる発想や観点。)は何か

しら?」

「うーん…」マチコが、頭を傾げた。「ヤッパリさあ、モラルハザードじゃないかしら…

角栄さんが、金権政治を引きずっていた様に、安倍さんは、モラルハザードをいっぱい引き

ずっているしさあ。

安倍さんの、ATP/アデノシン三リン酸(/生体内でエネルギーの通貨としての役割を果たす物質。)は、

ラルハザードよね。

ともかく…

官僚の様に、モラルハザード批判対象にならないのが、スゴイわよね。体内

して無害にし、自民党内での共通エネルギー通貨として使っているのは、スゴイ事よね。

安倍さんにしか、デキないし…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
   
                                       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 41)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 7 )


「うーん…」響子が、をすぼめ、うなづいた。「モラルハザードが…

ATP/アデノシン三リン酸/共通エネルギー通貨ですか。ともかく、いずれ、歴史(さ

ば)いて行くことになるでしょう。

さあ…

笈の小文 に戻りましょうか…

次に、詠んでいる句が…


★ 日は花に 暮てさびしや あすならふ


…ですね。

これは、芭蕉優しい眼差しを…



 11月 11日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
  翌檜(アスナロ) ヒノキ科の常緑高木。名まえは、俗に、「明日は檜(ヒノキ)になろう」 の意味。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 42)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 8 )


感じさせる句ですね。ではなく、翌檜(あすなろ)の木を、気づかっているわけです」

支折が、うなづいた。

「これも…」支折が言った。「を、詠めず

翌檜を詠んでいるので、芭蕉は、<吉野の桜> 詠むのを回避し、あるいは、逃げ

ている様子にも見えますわ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                                                           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 43)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 9 )


ホホ…

 <俳諧の新境地・・・蕉門> を、江戸宣言し…

その <創始者/俳諧宗匠> として、晩年家康居城した駿府城下を通り…名古屋

歓待され…故郷/伊賀凱旋したのですよね。徳川時代開闢(かいびゃく)の、表通りです。

そして…

その勢いで、<桜の季節の、吉野に参上し・・・西行にも負けない・・・立派な秀句>

作ろうと思うと…まさに、こんなコトになるわけですね。ホホ…よく分かります!

芭蕉は…

<西行> <宗祇(そうぎ/室町時代の連歌師・・・西行・芭蕉と並び称される、漂泊の詩人)憧れて、

諸国漂泊し、また、歴史的古事秀作数々知っているからこそ、さすがの芭蕉も、

歌枕の地/・・・吉野の桜・山河・・・> に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
   
                         芭蕉          (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 44)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 10 )


圧倒され、<蕉風俳諧(しょうふう・はいかい/貞門俳諧、談林俳諧と続く史的な流れの中で、言い捨ての俳諧か

ら、天地有情の事情を不易流行の詩美へと転換し、それを追求した。)の・・・新境地 が、ひねり出せなかっ

のでしょうか。芭蕉ほどの人物でも、そうなのですね。

でも、ホホ…

勢い込んで、吉野に乗り込み…

何日も歩き回って、秀句ができず、挙句に横の翌檜を詠むとは、<人間/芭蕉に・・・限り

ない共感> を、覚えますわ。まさに、<芭蕉の・・・人間的な素直さ> ですよね。

故郷/伊賀の、手前/四日市で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
          
杖衝坂で、馬の背の鞍が返り(/ずり落ち…)、芭蕉は落馬してしまいました。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 45)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 11 )


<杖衝坂(つえつき・ざか)で・・・落馬した可笑しさを・・・吐露(とろ/心に思っていることを、包み隠さない

で、全部述べ表わすこと。)・・・> しているのも、芭蕉自分自身を見つめる、共通 <生死(しょ

うじ)を超えた・・・悟りの境地/・・・悟りの眼差し・・・> なのでしょうか。

芭蕉は、そんな名前場所で、落馬したいまいましさや、吉野秀句の作れなかった間抜

けさをも…



 11月 12日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
   
                                    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 46)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 12 )


文学者として素直紀行文に書き残し、それを人間芭蕉として表現しているわけです。

ええと、次の句は…


★ 扇にて 酒くむかげや ちる桜


…ですか。

これは、まさに、<吉野の桜>詠んでいますよね。山道で思わず、散り行く桜の花ビラ

を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
   
                                              (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 47)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 13 )


で受けたわけです。誰もが、思わず、帽子で受け止めてしまうわけですが、芭蕉

は、ですか。でも、菅笠(すげがさ)だと、大袈裟ですよね。

ホホ…だと、確かに、酒を酌み交わす感じになりますね。乾杯ーッ ですか。

でも、有名な古事(こじ/昔あったこと)に絡(から)むのでなければ、秀句になるとも思えませんよ

ね。やはり、口を突いて出る秀句は、無かったのですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
   
                           吉野山の桜                    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 48)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 14 )


貞門(ていもん/・・・松永貞徳を中心とする流派、俳風)の、7俳人の1人/安原貞室(やすはらていしつ/

江戸初期の俳人。京都で紙商を営む町人。自意識が強く、同門から非難を浴びた。自分の門人であった北村季吟とも、絶交

した。一方、芭蕉などからは高く評価された人物。)の…


★ これはこれはとばかりに花の吉野山


…の様な、気の利いた1句を、とっさの機転で、詠み捨てるコトもできません。

芭蕉は、それを悔しがっています。詠もう詠もうと思うから、詠めないわけですね。もちろん、

宗匠/芭蕉は、それも全て承知しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                                   1680年・・・松尾芭蕉は深川芭蕉庵に転居   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 49)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 15 )


ところで…

俳諧の、<貞門派(ていもんは) <談林派(だんりんは) というのは、しばしばにします

が、そもそも、これらは、どういう事だったでしょうか。もう、すっかり忘れてしまいました。

ええ、そこで…少し、詳しく調べてみました…」

「はい…」響子が、うなづいた。「そうですね…

私も、和歌俳諧大体の流れは…



 11月 13日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                                インターネット百科事典/『 Wikipedia 』   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 50)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 16 )


承知していましたが、よくは理解していません。長歌連歌というものも、現在馴染み

がないためか、よく分かりませんね。お願いします」

「はい…」支折が、スクリーンボードに、インターネット百科事典/Wikipedia表示

た。

「ええ…

概略を知るには、この Wikipedia で、十分だと思います。

この資料をもとに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                               
滑稽本(こっけいぼん/東海道中膝栗毛)    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 51)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 17 )


…さらに、分かりやすく説明して行きます。



まず…

<俳諧(はいかい/・・・発句と連句の総称。

もともとは、漢詩や和歌の用語で、滑稽や機知諧謔(かいぎゃく)を主とすること。早くは、『古今和歌集』/雑体の部に <誹諧

歌> があります。のちに、<俳諧の連歌> の略、になります。) とは…

本来…

<滑稽(こっけい/・・・バカバカしく、おかしい言葉や言い方) 同意の、<戯れ(ざれ/・・・ふざけること。冗談

。) をさす、漢語だった、という事です。

佐藤勝明氏(/日本の国文学者。専門は日本近世文学。)によれば…

和歌の構成…いわゆる <俳句 = 5・7・5> 文字や、<短歌 = 5・7・5・7・7> 文字

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                                                               
滑稽本(こっけいぼん/東海道中膝栗毛)    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 52)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 18 )


構成は…


<(5・7)× N + 7 > (/N は任意の数) の公式で、説明できる


…という事です。

この公式で、<N=1が・・・ 5・7・7 文字で・・・片歌(かたうた) <N=2が・・・ 5・7・

5・7・7 文字で・・・短歌> <N≧3が・・・ 長歌> となる、という事です。

<5・7・5 = 長句/・・・ 俳句 ・・・> は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                                                               
滑稽本(こっけいぼん/東海道中膝栗毛)    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 53)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 19 )


…まだ、独立した形ては存在していなくて、流行江戸時代以降になる様ですね。

ともかく…

やがて、<5・7> を、組み合わせる、短歌主流になると…

<・・・ 5・7・5 ・・・/・・・ 7・7 ・・・> の、上句下句対応に、関心が寄せられ、<上

句と下句を・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                              滑稽本(こっけいぼん/東海道中膝栗毛)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 54)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 20 )


・・・2人で、分担して詠む・・・連歌・・・> が、流行しました。奈良時代原型ができてい

る様です」

「うーん…」マチコが、うなづいた。「それが、<連歌> かあ…

短歌を、上句下句に分けて、2人詠んで遊ぶわけよね。それが、連歌の会なんだあ…

芭蕉なんかはさあ、その連歌の会を催して、ヒッチハイク/無銭旅行をしていたわけかしら

?」

「そうですね…」支折が言った。「古代(/日本史では、一般に奈良時代・平安時代をさすが、大和政権時代を含

むこともある。)からある、文学的な遊びですわ…

<初期の・・・連歌> は、<対話的で・・・機知的な笑いを伴うもので・・・俳諧之(の)

歌> と、呼称されました」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                         
  芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 55)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 21 )


「ふーん…」マチコが、コクリとうなづいた。「ここで、<俳諧> という言葉が、出てくるわけ

かあ、」

<連歌> が…」支折が、を立てた。「流行するにつれて…

<2句だけの・・・短連歌> だったのが、次第に、<長句/・・・5・7・5・・・> と…



 11月 14日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
   
安原貞室(やすはら・ていしつ) 江戸時代前期の俳人。京都の紙商。貞門七俳人の一人。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 56)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 22 )


短句 <・・・ 7・7 ・・・> をつなげて、<一定数を続ける・・・長連歌> へと、変化して

行きました。

その後…

<幽玄(ゆうげん/「幽」は、かすか・ほのか、また、奥深い意。「玄」は、深遠な道理の意。物事の奥にひそんでいる、容

易に知り難い微妙で神秘的な境地をさしていう。)・さび(寂/ある物の本質が、閑寂枯淡な味わいとなって、物の表面にに

じみ出るときの美的興趣をいう。)・ひえ(/?)・を重視する・・・★ 和歌的連歌/= 有心連歌> と、

<連歌本来の・・・機知的滑稽(こっけい)を残す・・・★ 俳諧連歌/= 無心連歌> に、2分

されました」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
                         
  俳諧の祖/山崎宗鑑    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 57)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 23 )


支折が、スクリーンボード画像スクロールした。

「ええと…」支折が、コトリと、コントローラーテーブルに置いた。「まず…

山崎宗鑑(やまざき・そうかん

/・・・室町~戦国時代の連歌師・俳人。山城(/京都府)の山崎にすんだので、その名でよばれています。はじめは、宗祇(そ

うぎ)らと連歌をつくっていましたが、滑稽・機知の句風に向かい、俳諧撰集/『犬筑波(いぬ・つくば)集』 を編集する。)が…

<俳諧の・・・祖> と、なることになる、犬筑波集(いぬ・つくば・しゅう)(/俳諧之連歌抄 )

を、編纂(へんさん)しました。

また…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
  俳諧の祖/荒木田守武    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 58)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 24 )


山崎宗鑑と並び…

<俳諧の・・・祖> と評される、荒木田守武(あらきだ・もりたけ/・・・室町時代後期の連歌作者・俳人。伊

勢内宮の神官を世襲する、荒木田七家の一家/薗田氏経の子。 69歳で1禰宜 (ねぎ) 。)が、俳諧独吟百韻(はい

かい・どくぎん・ひゃくいん) の、<俳諧集> (あ)んだ頃から、<俳諧連歌> への関心が、

高まったという事です。

それから…

江戸時代になると…

識字率向上や、学習意欲高まりに伴って…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                         
  松永貞徳        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 59)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 25 )


庶民文化の担い手となり、<俳諧連歌> 人気を博した様ですね。

<★ 松永貞徳(まつなが・ていとく/・・・江戸時代前期の俳人・歌人・歌学者。母は、儒学者/朱子学の藤原惺窩(せ

いか)の姉。子は、朱子学者の松永尺五。)の・・・貞門派> や…

<★ 西山宗因(にしやま・そういん/・・・江戸時代前期の俳人・連歌師。談林派の祖。)の・・・談林派> や…

<★ 俳諧の新たな表現を模索する・・・天和調(てんなちょう/・・・天和年間(1681~84年)、俳諧革

新の主流をなした芭蕉・素堂・言水らの作風。漢詩文調を積極的にとり入れ、破格調句が多く生硬(せいこう/・・・ぎこちない)

な感じがするが、新しい俳諧の境地を開拓している。)が、流行した後に…

<★ 松尾芭蕉の・・・蕉風(しょうふう/・・・松尾芭蕉の俳風の意・・・

蕉門俳人は、自分たちの俳風を <正風> と称した。これは自己の風を天下の正風と誇示することで、必ずしも蕉風の独占的

用語ではない。

蕉風の理念の中心は・・・<さび・しをり・ほそみ> である、といいます。また、連句については、貞門の物付 (ものづけ) 、談林

の心付 (こころづけ) から飛躍的に進歩し、<匂ひ・響き・うつり> という微妙な風韻、気合いの呼応を重んじました。このよう

に、内面的なものを重視するから、発句における切字 (きれじ) 、連句における去嫌 (さりきらい) などの形式的制約には、比較

的自由寛大、という事です。)・・・> と、呼ばれる作風が…



 11月 15日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                         
  松尾芭蕉・像 (埼玉県/草加市)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 60 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 26 )


…生まれて来たという事です」

「うん…」マチコが、をひねった。「私達は今…

その、芭蕉の…笈の小文 にいるわけよね、」

「そうです…」支折が言った。「ちなみに…

<和歌や連歌が・・・貴族的・古典的な/・・・雅(みやび/宮廷風で上品なこと)世界の文芸・・・

として…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
            
  河合曾良・像・・・芭蕉と、『奥の細道』 に同行・・・  (埼玉県/草加市)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 61 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 27 )


大成したのに対して…

<芭蕉は・・・俗世界を扱いながらも・・・和歌や連歌に匹敵する文芸作品・・・> を、示

そうと試みた、と言われています」

「はい…」響子が、を結んで、うなづいた。「それが…

<芭蕉の・・・風流・風雅への妄執(もうしゅう/迷いの心から、物事に執着すること)/魔心・・・> と…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                         
  宝井其角(たからい・きかく)     (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 62 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 28 )


…なるわけですね、」

「はい…」支折が、うなづいた。「ええと…

<巨星/芭蕉> の…

没後俳壇(はいだん/俳人の世界、社会。)は…

<蕉門十哲(しょうもんじってつ/・・・芭蕉の門人のうち、すぐれた 10人の俳人。) /宝井其角(たからい・きかく/

・・・芭蕉門・最初期の門人で、蕉門十哲の筆頭。15歳頃から芭蕉に俳諧を学び始めた。父/東順は、近江・堅田の農家の出

身で、江戸へ出たのち医をもって膳所藩/本多家に仕えた。)や・・・水間沾徳(みずま・せんとく/其角と交流し、とも

に江戸の俳壇を主導した。門下に大高源吾ら、<赤穂浪士> がいた。)らの都市型俳諧・・・> と…

<各務支考(かがみ・しこう/芭蕉晩年の門人。芭蕉没後に美濃派の一風を樹立して、全国各地の民衆の間に蕉風を

普及させた。)・志太野坡(しだ・やば/越前の人。江戸に出て、越後屋両替店の番頭となる。蕉門十哲の1人。) らの

・・・地方農村型俳諧・・・> に、分化しました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                         
  与謝蕪村                (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 63 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 29 )


その一方…

雑俳(ざっぱい… 俳諧から派生した、発句・連句以外の各種雑体の二次的俳諧の総称。

元来、連歌俳諧の付合を学ぶ稽古だった前句付が、元禄の頃からそれ自体を楽しむ点取りの遊びとして、庶民の間に広まり

ました。様々な形式で句の募集が行われたため、天明の頃に、雑体の句 (無季句) の意味で 「雑俳」 の語が定着しました。

名古屋では狂俳、富山では舞句などとも呼ばれました。会所という専門業者が、賞品付で興行を企画して、点者に採点を依

頼しました。点者は、貞門派・談林派の宗匠が兼任する場合が多かった様ですが、やがて < 柄井川柳/・・・川柳/滑稽・

諧謔・風刺を、主旨とした江戸文芸> のような、雑俳専門の点者が出現しました。)の…

流行が、顕著に見られる様になった、という事です。

つまり…

<洒落風(しゃれふう/・・・芭蕉の没後、江戸を中心に宝井其角が始めた俳諧の流派。都会趣味で、しゃれ・奇抜・機知

を主とする俳風)・化鳥風(けちょうふう/其角、沾徳らの洒落風と同じく、着想や表現の奇をねらい、それを一層卑俗化し

ました。異体の俳風が、<化鳥> と非難されました。)・蕉風再興・・・といった動きの中・・・> で、<与

謝蕪村> や、<小林一茶> といった、多くの俳諧師が、諸国活躍したわけですね。

そうした…

文人(/詩文・書画など、風雅の道に心をよせている人。)交流や、細々とした版画木版書物流通

もあり、文化非常に緩やかに、全国伝播していった様子です。

江戸時代・初期には…

文化地方への伝播は、“参勤交代”(/江戸幕府が課した大名軍役の1つ。幕府は諸大名の江戸参勤を役

儀・奉公として義務づけ、強力な大名統制を行うとともに、権力の集中強化を図り、幕藩体制の長期存続を可能とした。全国

250以上ある大名家が、2年ごとに江戸に参勤し、1年経ったら自分の領地へ引き上げる交代を行う制度。)中心だっ

たと思われます。

でも、江戸時代/中期~後期化政文化の頃には、五街道完備され、物流人々の交

も、徐々に進んで行った様子です。

一茶なども…

定期的地方の門人を巡回し、連歌の会を催し、最新江戸の流行事件なども伝えて

いた様です。新しい情報を持っていく事、信用できることが、旅を援助する地方の有力者

素封家を、喜ばせたようですね。

あ…

もっと信用されるのは…

実物を持って行くことで、木版出版物や、江戸の浮世絵などは、高く買い上げてくれたよ

うですね。当時は、で運ぶ情報の時代で、地方有力者は、そうした最新情報収集する

ために、宿路銀世話をしていた様です。

ええ…

くり返しますが…



 11月 16日

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)
 
 
図版: 十返舎一九 (じっぺんしゃ ・いっく) 三代豊国  東京大学/文学部/国文学研究室・蔵  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 64 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 30 )


<芭蕉は・・・江戸時代・前期/・・・元禄(/1688年~1704年まで)文化の俳人・・・> です

が…

<蕪村・ 一茶は・・・江戸時代・中期~後期の/・・・化政(文化文政/1804年~ 1830年)

化の俳人・・・> という事になります。この爛熟期(らんじゅくき)は、26年間に及びます。

十返舎一九(じっぺんしゃ ・いっく/戯作者(げさくしゃ)、絵師)の、東海道中膝栗毛(/…弥次さん喜多さん

による、江戸時代の東海道旅行紀) は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                              滑稽本(こっけいぼん/東海道中膝栗毛)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 65 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 31 )


…この、化政文化時代木版出版ですね。こうした旅行記浮世絵版画などが、相当部数

出版され、鎖国中日本庶民文化に、革新が起こっていた様です。

ちなみに…

東海道中膝栗毛 の中の、多くの挿絵(さしえ)も、本人/十返舎一九が描いたものという

事です。そういう才能もあったのですね。

広重北斎歌麿のいた、化政文化時代ですから、何でもアリの、爛熟(らんじゅく/果実がく

ずれそうなまでに、熟しきっていること) した背景もあったわけですね。

さあ…

次に移りたいと思いますが、マチコさん、何か一言、あるでしょうか?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
   
       『東海道五十三次』  芭蕉が旅をした時代より、約100年後の風景になります。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 66 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 32 )


「うーん…」マチコが言った。「それじゃあ…

<蕉風の、理念の中心は・・・さび・しをり・ほそみ・・・>  というわけよね…

<しをり> はさあ、支折さん名前よね?」

「あ、そうですね…」支折が、ニッ、と笑った。「他にも…

ここでは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         wpe75.jpg (13885 バイト)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 67 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 33 )


<枝折(/…しおり、えだおり)という、言葉も出て来ます。これは、<西行法師の・・・枝折の

歌> の所ですね。ええと、次の歌です…


★ 吉野山 こぞの枝折の 道かへて 

                まだ見ぬ方の 花をたづねむ 

                                  ( 西行法師・・・新古今集・春上 )


いずれも、が少し違いますが、まさに私の名前です。ホホ心穏やかではありません

珍しい事です。

さあ、次は、<旅の賦(たびのふ/・・・旅の、詩や歌・・・)ですね、」



 11月 17日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
   
                       天竜川を渡る西行・・・岸辺に取り残される西行      (ネットより画像借用)

西行は、再び陸奥へむかう旅(/平氏に焼き討ちされた、東大寺再建の砂金の勧進のために、2度目の奥州平泉へ向かう旅。

この時、義経・弁慶の一行は、同時に日本海周りで奥州平泉へ向かっていた。) の途中、遠州の天竜川の渡し場で、船に乗

る。満員の乗客の一人の武士が、「船が狭い」 と言って西行の眉間を鞭で打った。西行は血を流しながらも微笑をたたえて下

船した。悲しむ供の僧に向けて西行は「どんなことがあっても堪え忍ぶのが出家の道」 と言う。                                 

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 68 )

【原文・・・20/1 】・・・( 1 )


<旅の賦 (ふ/・・・天から与えられたもの


「踵」 の誤記/かかと)はやぶれて西行にひとしく、天龍(てんりゅう/・・・天竜川は、長野県から愛知県

と静岡県を経て、太平洋へ注ぐ天竜川水系の本流。一級河川の1つ。)の渡しをおもひ、馬をかる(/馬をかりる?

時はいきまきし聖(/いきまきし聖・・・高野の証空上人が京へ向かう途中、狭い道で、女の乗った馬とすれ違った。し

かし口取りの腕が悪いために、上人の乗った馬は上人ごと堀に落とされてしまった。なんと無礼なと上人はまくし立てるが、や

がて冷静を失っていたと気づき、逃げ帰った。(『徒然草』/106段)の事心にうかぶ。山野海浜の美景に造

化の功(/天地創造のわざ)を見、あるは無依の道者(/物に執着しない、煩悩を脱した修行者)の跡をし

たひ、風情の人の実をうかがふ。猶(なお)、栖(せい/鳥の巣、生物がすむ)をさりて器物のねが

ひなし。空手なれば途中の愁(うれい)もなし。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
   
                          
伊那・天竜川・高遠          (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 69 )

【原文・・・20/1 】・・・( 2 )


寛歩(緩歩/かんぽ・・・ゆっくりと歩くこと)(が/乗り物。また、馬車などに乗る。)にかへ晩食(ばんしょく/夕食。

空腹になってから遅く食べる食事)肉よりも甘し。とまるべき道にかぎりなく、立べき朝に時なし。

只一日のねがひ二つのみ。こよひ能宿(/よきやど)からん、草鞋のわが足によろしきを

求めんと計(ばかり?)はいさゝのおもひなり。時々気を転じ、日々に情をあらたむ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
   
                         芭蕉          (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 70 )

【原文・・・20/1 】・・・( 3 )


もしわづかに風雅ある人に出合たる、悦かぎりなし。日比は古めかし、かたくなゝりと

悪み捨たる程の人も、辺土(へんど/片田舎)の道づれにかたりあひ、はにふ(/埴生(はにゅう)

の小屋。粗末な家。)・むぐら(/密生し藪をつくる草。荒地や湿地などに雑草として生える。)のうちにて見出した

るなど、瓦石のうちに玉を拾ひ、泥中に金を得たる心地して、物にも書付、・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                                   1680年・・・芭蕉は、深川/芭蕉庵に転居   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 71 )

【原文・・・20/1 】・・・( 4 )


・・・人にもかたらんとおもうぞ、又是(またこれ)旅のひとつなりかし。



 11月 18日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
     昭和50年/1975年。西行が渡ったのは、文治2年/1186年・・・★ これより、789年前です。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 72 )

【 現代語訳・・・20/ 1 】・・・( 1 )


かかとは傷ついて西行かというほどで、西行が天龍川で船に乗ろうとした時、満員だ

と鞭(むち)で頭を打たれて下ろされた。その時西行は、これも修行だと少しも怒らなか

った、あの逸話を思い、馬を借りる時は、高野の証空上人が馬に乗っている時・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                             {徒然草/第106段
・・・高野山の聖が(馬の)口取り男と言い争いをした話   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 73 )

【 現代語訳・・・20/ 1 】・・・( 2 )


・・・向かいを進んでくる馬の口取りがヘタなために、すれちがいざまに堀に馬ごと落

とされた。証空上人は、カッとなってまくし立てたが、冷静を失った自分を恥じて逃げ

帰ったという、徒然草 の話が心にうかぶ。山や野、海や浜の美しい景色に・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                       
松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 74 )

【 現代語訳・・・20/ 1 】・・・( 3 )


・・・天地創造のわざを見て、あるいは物に執着しない煩悩を消し去った昔の修行者た

ちの跡をしたい、風情を解する人の心の実をうかがう。また、住居を捨て去って物欲

も無い。手ぶらなので旅の途中物をとられる心配もない。乗り物に乗るよりゆっくり歩

くほうがいい。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
  『笈の小文』 の旅立ち               (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 75 )

【 現代語訳・・・20/ 1 】・・・( 4 )


腹がへってから食事をすれば、どんな粗末な食事も肉よりも美味しくなる。どこで泊ま

るのも自由。朝いつ出発するかも自由。そんな中にも一日の願いが二つだけある。今

夜いい宿を借りよう。足にぴったりあう草鞋がほしい。こればかりはささやかな願いで

ある。



 11月 19日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
   
                         芭蕉          (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 76 )

【 現代語訳・・・20/ 1 】・・・( 5 )


時によって気分を変え、日々に思いを改める。もし少しでも風情ある人に出会ったら、

たいへんな喜びだ。また日ごろは古めかしく頑固な人だと毛嫌いして付き合いを持た

なかった人でも、片田舎への旅の道連れとなって語り合い、粗末な埴生(はにゅう)の宿

や・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
       
古の年貢米の運搬 /悪路・細道・遠距離などは、駄馬で運搬したのでしょうか・・・   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 77 )

【 現代語訳・・・20/ 1 】・・・( 6 )


・・・つる草のはいしげったあばら屋に泊まって緒に語らっているうちに、意外と風流な

人だとわかったりする。これなどは、瓦礫のうちに玉を拾い、泥の中に金を得たような

心地がして、紙に句を書きつけ、人にも語ろうと思う。これまた旅の醍醐味(だいごみ)

一つだろう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                      
早春賦の歌碑 (長野県/安曇野市)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 78 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 1 )


「ええ…」支折が言った。「<旅の賦(たびのふ)ですか…

<賦(ふ) というのは…

辞典を引くと、“割り当てて与える。天から与えられたもの。うまれつき。”…という意味でし

た。早春賦(そうしゅんふ) というがありますね。同じ字が当てられています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
    
  随筆/『枕草子』 の作者/清少納言  ( 『御簾を掲げる清少納言』 /上村松園作 )   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 79 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 2 )


うーん…

そういう意味だったのですか。私は、“音符の・・・符” の様に、考えていました。

あ、ともかく…

これは芭蕉の、<旅という・・・テーマ(/主題) に関する、随筆ですね。<随筆> という

のは、<心に浮かんだ事、見聞きした事などを、筆にまかせて書いた文章。・・・



 11月 20日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                          
『奥の細道』 の行程                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 80 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 3 )


・・・そういう文体の作品。> という事です。

ホホ…

言葉正確意味を追求していくと、キリがありませんね。ともかくここは、芭蕉に関す

る、一般的な感想が述べられています。

芭蕉は…

奥の細道 

(芭蕉の代表作/・・・芭蕉が崇拝する西行法師の、500回忌にあたる・・・元禄2年/1689年に・・・

門人/河合曾良を伴って、江戸を発ち、奥州、北陸道を巡った紀行文。全行程/約600里(2400km)、日数/約150日間

で、東北・北陸を巡っています。最後は、美濃路(美濃国の脇街道)の大垣で、<★ 蛤の ふたみにわかれて 行秋ぞ>

句を詠み、結ばれています。

元禄4年/1691年に、門人・芭蕉の縁者?/桃隣を同道して、江戸に帰っています。

芭蕉(1644年~元禄7年10月12日/1694年11月28日没)の 没後・・・元禄15年/1702年に、刊行されています。)

…の冒頭で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
『奥の細道・・・那須の黒羽へ/元禄2年4月2・3日・・・』 馬上の芭蕉と、曾良。子供2人の内、右の女児が <かさねちゃん>

   かさねとは 八重撫子の 名成べし (曾良)   人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付て馬を返しぬ・・・

                                 塩屋町から矢板を経て黒羽町へ至る。この夜は翠桃宅を訪ねて泊る。

                             与謝蕪村/『奥の細道画巻』 (逸翁美術館所蔵)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 81 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 4 )


<月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。

舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖(すみ

か)すみかとす。古人も多く旅に死せるあり。

(よも、いづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊(ひょうはく)の思ひやまず・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                               庶民の旅姿        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 82 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 5 )


…と書いていますが、まさにその生涯とした芭蕉の、に対する想いが記されていま

す。

笈の小文江戸への帰路更科(さらしな)/姨捨山(おばすてやま)(/名勝・・・田毎の月(たご

とのつき)/小さな水田の、ひとつひとつに映る月のこと。)を見て、中山道から江戸へ戻ったのが、更科紀

(さらしな・きこう) ですね。

その翌年/元禄2年/1689年奥の細道出発しています。つまり、この頃の、

芭蕉に関する随筆です。

まず、書き出しに…


<跪
/踵?/かかと)はやぶれて西行にひとしく、天龍の渡しをおもひ、・・・>


…とあります。

芭蕉の様に旅慣れていても、草鞋(わらじ)(かかと)ズレたりするわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
              
牛若丸/義経と弁慶の出会い・・・京都・五条大橋・・・両社とも、下駄   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 83 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 6 )


をする時は、足袋(たび)(は)、その上に草鞋履いて(なわ)シッカリと結んだの

でしょうか?そしては、直接、素足草鞋を付けたのでしょうか?うーん、下駄(げた)は、

には履かないですよね?」

「あ…」マチコが言った。「弁慶はさあ、高下駄(たかげた/歯の高い下駄。歯は差し歯で、磨り減ると差し替

える。)履いていなかったかしら?」



 11月 21日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                   
  裹頭 (かとう/かしらづつみ) をつけた僧兵・・・高下駄・・・   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 84 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 7 )


「うーん…」支折が、を当てた。「弁慶ですか…

そういえば、<比叡山の僧兵> は、高下駄を履いていたかも知れませんね。

でも、普通、庶民草鞋(わらじ)だったはずです。武士も、では当然、草鞋ですよね。あ、で

武将は、戦の時特別履物(はきもの)、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                      
    草鞋(わらじ)                 布わらじ  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 85 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 8 )


足袋(たび)というものが、あったはずですよね。草鞋では、馬の鐙(あぶみ/鞍(くら)の両側に下

騎乗時に足を乗せる馬具の一種。 馬具がない時代には、馬に乗るのは騎馬民族のように小さな頃から鍛錬をした者の

特殊技能でした。 そこで、手綱(たづな)や轡(くつわ)など、多くの馬具が考案され、騎乗するための器具が揃って来ました。)

装飾性には、似合わないし、」

「そうよね…」マチコが、腕組みをした。「そもそも、さあ…

日本では、<神武天皇の・・・頃> から、ずっと草鞋を履いていたのかしら?天皇が、普

段、草履(ぞうり)草鞋(わらじ)をはいていたとは思えないわよね。それに、稲作をしていない

山村もあったわけだし、」

「そうですね…」支折が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                      
     初代/神武天皇・・・靴・・・草鞋や下駄ではない  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 86 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 9 )


…うなづいた。「<アイヌ> には…

(さけ)の皮で作った履物があった様ですね。資料で見たことがあります。それぞれ、各地

で、様々な工夫はあったのだと思います。別に、履物工夫することは、禁止されていたわ

けではないのですから。

猟師は…

動物の皮で、履物を作っていたのではないかしら?猟師には、稲藁よりも動物の

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
              
              草鞋(わらじ)同様、稲藁でつくった雪国の靴。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 87 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 10 )


…毛皮の方が身近ですから。でも、そこから現在の様な靴には、発展しなかった様ですね」

大陸/中国からも…」響子が言った。「というものは、伝来して来たと思いますわ…

でも、ポピュラーで、誰でも作れて手軽だったのは、やはり稲藁で作った草鞋をだったという

事でしょうか。



 11月 22日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
              
              北アルプス/剣岳(/標高2999 m)       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 88 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 11 )


草鞋は、何処でも作れますし、即席では30分もあれば作ることができる様です」

「あ、そうなんだあ…」マチコが言った。「稲藁(いなわら)さえあれば、何処でもすぐに作れるの

かあ。それは、便利よねえ、」

北アルプスの…」響子が言った。「剣岳(/標高2999 m)は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
              
             錫杖を持つ行者  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 89 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 12 )


“弘法大師 が・・・草鞋3000 足を費やしても、登れなかった・・・” と伝えられていますが、

草鞋というのは、相当消耗品でもあった様ですね。

3000足費やしたというのは、色々なコースアタックしたということでしょう。剣岳は、

本の山では…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 <銅錫杖頭附鉄剣 (剣岳発見)/奈良時代後半~平安時代初期・・・重要文化財>  立山博物館  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 90 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 13 )


最も登頂が難しい山と言われます。

剣岳山頂近くに…

奈良時代・後期~平安時代・初期の、錆びた鉄剣銅製の錫杖頭(しゃくじょう・がしら)発見

れています。この <錫杖頭の方は・・・重要文化財(富山県/立山町/立山博物館・所蔵)

されていますわ…」

「ふーん…」マチコが、うなづいた。「つまりさあ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
              
              『東海道五十三次之内 28.袋井・出茶屋ノ図』   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 91 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 14 )


平安時代・初期弘法大師の時代にも、草鞋だったというわけよね、」

「そうですね…」響子が、を結んでうなづいた。

「だから…」マチコが言った。「旅人は…

東海道のように、宿場整備された街道でも、予備草鞋に付けてを…



 11月 23日

勤労感謝の日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
              
             子規の旅姿                (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 92 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 15 )


…したわけかあ。草鞋/ワラジというのは、ものすごい消耗品なんだあ、」

「そして…」支折が言った。「江戸時代から…

近代/明治になっても…

<正岡子規(まさおか・しき/俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面にわたり創作活動を行い、日本の近

代文学に多大な影響を及ぼした。明治を代表する文学者の始め1人。)の、箱根への旅姿は、草鞋菅笠

(すげがさ)ですね。

それが、違和感なく、長年続いて来たから、〔明治維新〕文明開化になっても、には

鞋・菅笠が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
              
             靴をはいている坂本竜馬      (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 93 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 16 )


良かった、という事だったのかしら。それとも、時代としては、まだほとんどが、江戸時代

草鞋文化のままだった、という事なのでしょうか。ふーん、面白い時代ですよね。

ええと…

<維新の志士・・・坂本龍馬(さかもとりょうま/幕末の土佐藩士。志士。薩長同盟の成立に協力するなど、倒幕

および明治維新に関与。) は…

日本人で、最も早く靴を履(は)いたと言われています。あの混乱した時代ですから、真偽

ほどは分かりません。でも、竜馬を履いている写真が、確かにあります。最初かどうか

は分かりませんが。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
              
           草鞋の緒を結ぶ子規   右/帝国大学在学中の子規  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 94 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 17 )


うーん…草鞋のことは、研究してみると面白そうですね。相当深そうです。

ええと…

<正岡子規> が、草鞋の緒(お/糸やひもなど細長いもの。履物につけて足にかけるひも。鼻緒。)を結んで

いる写真が、あったはずですが…」

支折が、スクリーンボード正岡子規画像を呼び出した。

「あ、これですね…」支折が言った。「ええ、貴重な…

<子規の・・・旅の出立の写真・・・> です。それと、帝国大学(後・東京帝国大学/現・東京大学)

時代の、詰襟姿(つめえり・すがた)写真です。この時代に、<夏目漱石> と出会っています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
              
      『奥の細道』 芭蕉と、蕉門十哲/河合曾良・・・僧形の芭蕉の旅姿

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 95 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 18 )


さあ、を進めましょうか。

芭蕉は…

難儀遭遇すると、<尊敬する・・・平安時代・末期の・・・漂泊の歌人/西行法師> を、

思うわけですね。

芭蕉色々な理由から、僧形(そうきょう)をしていた様ですが、一時は、<僧侶になって

・・・身を立てようとした事> も、あったのではないでしょうか?

くり返しますが…

芭蕉は、2歳年上主人/良忠23歳の時に失っています。以後、29歳江戸へ出て

諧修行を積むことになりますが、その間動静は、文献には残されていない様です。

漢籍等の、豊富な素養から、京都での修業があったとも推測されています。それは、など

仏教的修行も、含まれていたのではないでしょうか。

でも、俳諧世界でも…

伝統を重んじる公家中心の京都に対し、新風を好む武家・町人文化の江戸への出ようと、

決意したのではないでしょうか。そして、その江戸頭角を現し、<32歳で・・・俳号を、桃

(とうせい) とし、<33歳で・・・俳諧宗匠> と、なっています。        



 11月 24日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
落柿舎>/京都市嵯峨野。芭蕉の高弟・向井去来の営んだ草庵。芭蕉が 『嵯峨日記』 を記した所。 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 96 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 19 )


ともかく芭蕉は…

多くの書物も読み、へも通い、座禅なども好んでやっていたのでしょう。若い頃から、相当

修行を積んでいる様に見えます。若くして、<禅的な・・・悟りの境地> に、到達してい

るわけですから。こうした真面目さは、<芭蕉の・・・生来の性格> ですね?」

「そうですね…」響子が、を結び…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
              
            芭蕉の師/仏頂和尚・像    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 97 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 20 )


ユックリとうなづいた。

芭蕉は…」支折が言った。「農家出身ですが…

武家扈従(小姓・・・こしょう/貴人に付き従うこと。また、その人。)として出仕していた、<青少年時代

は・・・武士> でした。

そして、江戸へ出てからは、<俳諧のかたわら・・・水路工事の監督> を、やったりもし

ている様ですね。また、<俳諧宗匠> 身分を捨て、<芭蕉庵> 退いた後は、<仏

頂和尚> 交わって<禅の境涯を・・・深めたり> もしています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)
 
              
              芭蕉         (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 98 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 21 )


一方…

<蕪村/・・・与謝蕪村> や、<一茶/・・・小林一茶> は…

<芭蕉のように、漂泊し・・・諸国の門人・知人を訪ねる・・・風流風雅の生涯・・・> に、

強く憧れていました。芭蕉は、50歳早世(そうせい/早く世を去ること)していますが、人並みに長

生きしたとしても、<風流風雅の・・・旅の延長・・・> だった、と思われます。

表面的な…

交遊はともかくとして…

蕪村一茶は、芭蕉とは、<人生の・・・踏み込みの・・・深さ・・・> が、まるで違うという

感じがしますよね。むろん、若輩者は、蕪村一茶を、それほど深く知っているわけで

はありませんが。

あ…正岡子規は、蕪村高く評価している様ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
              
              『奥の細道』                (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 99 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 22 )


うーん…

どうなのでしょうか?

これは、にも言及していますが…

芭蕉は、青少年期以来、身分の高い武士階級人々とも、容易に接し、馴染んで来ました。

<芭蕉翁・・・俳聖/芭蕉> と、尊崇される様な、<芭蕉の・・・カリスマ性> というもの

は、そうした所からも、育まれて来たのでしょうか?

また…

芭蕉には、財政豊かな商人多くの門人があり、武家にもがきき、深く心酔されていまし

た。<芭蕉の・・・生死(しょうじ)を超えた悟りの境涯に・・・共感・・・> していたからですね。

その辺りからも、<芭蕉の・・・カリスマ性> は、生じているのでしょうか?」



 11月 25日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
              
              蘇我氏討伐                     (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 100 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 23 )


「そうですね…」響子が、うなづいた。「カリスマ性(/人を惹きつける力、多くの人を魅了する才能や能力の

こと)といえば…

<日本の国造りを始めた・・・第40代/天武天皇(/大海人皇子(おおあまの・みこ) を、思い

出しますわ。

<天武天皇の・・・カリスマ性> は…

<乙巳の変(いっしのへん/・・・飛鳥時代/645年に、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中にて暗殺し、蘇我氏

(/蘇我宗家)を滅ぼした政変) 以来、長年<実兄/中大兄皇子の片腕として・・・大化の改

(/蘇我氏打倒に始まる一連の政治改革。 唐の律令制を手本として、公地公民制による中央集権国家建設を目的とした

もの。)を遂行・・・>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
         
引き裂かれた姉弟愛・・・飛鳥時代に生きた姉・大伯皇女と、弟・大津皇子の悲劇  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 101 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 24 )


…して来た実力と…

<近江朝(おうみちょう/近江大津宮(おうみ・おおつのみや) ・・・飛鳥時代に、天智天皇が近江国滋賀郡に営んだ都。)

での・・・太政大臣剥奪(だしょうだいじん・はくだつ)/吉野への都落ち・・・> 、そして、<吉野

出兵 → 壬申の乱(じんしん・のらん)での・・・圧倒的な大勝利・・・> でしょうか。

でも、<カリスマ性そのものは・・・天賦(てんぷ/天から賦与されたもの。生まれつきの資質。)のもの>

と、は思っていますわ…」

「ふーん…」支折が、深くうなづいた。「天賦のもの

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
       女を右手に抱えている暁台・・・頭を丸めて法体にしている士朗・・・片手を挙げて踊っている蕪村が描かれている。

       「雪楼」というのは、蕪村行きつけの料亭で、この画から、暁台が色好みであったこと、法体の士朗は医者であった

       こと。そして士朗も、羽織を付けた蕪村自身も、その表情から、やはり色が嫌いではなかったことが分かる。

                                            戯画/『蕪村写於雪楼中』  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 102 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 25 )


…ですかあ。ともかく、不思議才能ですよね。

それが軍事力と結びついた時、国家大陸統合するわけですね。織田信長ナポレオ

の様に。さらに古くは、紀元前の、アレクサンドロス大王/アレキサンダー大王(/在位期間

は、紀元前336~紀元前323年の13年間/・・・マケドニア、ギリシア、エジプトを含むオリエント世界、インドの一部に及ぶ

大帝国を創建した。これにより、ローマ帝国が建設されるまで、約300年にわたるヘレニズム世界が形成された。ギリシア彫

刻と仏教の出会いで、ガンダーラ(/古代インド北西部・・・現在のパキスタンのペシャワルを中心とする地域)に、美しい仏像

が数多く創出された。)の様に。

ええ…

でも、与謝蕪村には…

芭蕉にはない才能もありました。それは、<南画(なんが/・・・中国の南宗画に由来する、日本的解釈の

江戸時代中期以降の画派・画様の用語。文人画とも言う。)・俳画(はいが/俳句を賛した簡略な絵(草画)のこと)

才能です。でも、カリスマ性というものはなかった様ですね。その分、庶民的で、身近な感じ

がします。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
  蕪村が負けた力士の悔しさを詠み、蕪村の弟子が勝った力士の悠然とした態度を詠んでいます。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 103 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 26 )


うーん…

どうかしら?

芭蕉生真面目(きまじめ)さや、独特のユーモアもいいのですが…

蕪村の、ナゲヤリ楽天家イイ加減さも、悪くはないですね。生活力の方は、疑問符が付

きますが。


首くくる 縄切れもなし 年の暮れ  (蕪村)

                           <与謝蕪村へジャンプ> wpe75.jpg (13885 バイト)

この句は

京都での、蕪村貧乏暮らしを物語る1句です。京都府/下京区/仏光寺/烏丸西入ル

居宅に、借金取りを追い返すため、張られたものです。

さすがの借金取りも、この名句にはあきれ、苦笑して帰ったというエピソードが伝えられてい

ます。相当生活苦にあったようですが、洒落(しゃれ)がきいていますよね。


★ 貧乏に 追いつかれけり けさの秋  (蕪村)


あ、でも…

蕪村も、芭蕉憧れつつも…



 11月 26日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
              
              芭蕉         (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 104 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 27 )


…ついに俳聖にはなれなかったわけで…」

「ほほ…」響子が微笑し、をやった。「ええと…

次は、徒然草(つれづれぐさ)証空上人(しょうくう・じょうにん)ですね。これも、面白い逸話(いつわ

/ある人に関する、世間にあまり知られていない話。アネクドート、エピソード、)ですよねえ。

支折さんも…

徒然草 についても、実質的に、馴染みが無いわけですが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     wpe75.jpg (13885 バイト)
 
              
              阿仏尼            (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 105 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 28 )


兼好法師(けんこう・ほうし/吉田 兼好(よしだ・けんこう)・・・鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・

歌人・随筆家。治部少輔・卜部兼顕の子。本名は卜部 兼好(うらべ・かねよし)。)逸話というのも、面白そう

すね。次の特集は、徒然草 にしましょうか?」

「そうですね…」支折が、をすぼめた。「十六夜日記 (いざよい・にっき/・・・鎌倉中期の日記体の

紀行文。1巻。阿仏尼作。1280年ごろ成立か。夫/藤原為家(ふじわらの・ためいえ/父は、藤原定家)の没後、為家の嫡

子/為氏(ためうじ/二条家の祖)と、実子/為相(ためすけ/冷泉家の祖)との間に、遺産相続争いが起こり、訴訟のため、

阿仏尼は京都から鎌倉に下りました。その道中と前後を記しています。作中に100首以上の和歌を含みます。)に、しよう

とも考えていましたが、これまでの流れから、徒然草 の方が、いいかも知れませんね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 106 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 29 )


さあ、ともかく…

徒然草・・・106段/証空上人の逸話・・・ を、読んでみましょうか」

「そうですね…」響子が、の後のバレッタ(/髪留め)に、を当てた。

「ええ…」支折が、スクリーンボード画像に目を投げた。「高野(こうやの)証空上人(しょうくうじょ

うにん)というのは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           wpe75.jpg (13885 バイト) 

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 107 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 30 )


徒然草 にあるだけで、伝未詳
(でん・みしょう)人物の様ですね。ともかく、徒然草・・・

106段/【原文】を、紹介して置きます。


徒然草・・・106段/ 【原文】


    
    高野山の聖が、(馬の)口取り男と言い争いをした話           (ネットより画像借用)


高野証空上人、京へのぼりけるに、細道にて、馬に乗りたる女の行きあひたりけるが

口ひきける男、あしくひきて・・・



 11月 27日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             吉田兼好  『前賢故実』/ 菊池容斎画/明治時代  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 108 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 31 )


・・・聖(ひじり)の馬を堀へおとしてげり。聖いと腹悪しくとがめて、

「こは希有(けう)の狼藉(ろうぜき)かな。四部(しぶ)の弟子はよな、比丘(びく)よりは比丘尼(び

くに)はおとり、比丘尼より優婆塞(うばそく/男性の在家信者)はおとり、優婆塞より優婆夷(うばい

/女性の在家信者)はおとれり。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             吉田兼好                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 109 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 32 )


かくのごとくの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入れさする、未曽有(みぞう)の悪行

なり」

と言はれければ、口ひきの男、

「いかに仰せらるるやらん、えこそ聞き知らね」

と言ふに、上人なほいきまきて、

「何といふぞ。非修非学の男」

とあららかに言ひて・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             吉田兼好                  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 110 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 33 )


・・・きはまりなき放言(ほうごん)しつと思ひける気色(けしき)にて、馬ひき返して逃げられに

けり。


尊かりけるいさかひなるべし。


…という事ですね。

今回は、【原文】紹介に止めておきましょうか。あまりにも、脇道にそれてしまいますの

で、」

「はい…」響子が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
  
 随筆/『枕草子』 の作者/清少納言  ( 『御簾(みす)を掲げる清少納言』 /上村松園作 )  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 111 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 34 )


を和ませた。「証空上人は…

歴史的に、それほどの有名人でない様ですね。他の文献には記録が無いようですから。す

ると、つまり芭蕉も、鎌倉時代・末期~室町時代・前期(/・・・南北朝時代)執筆された、兼好

法師徒然草 を、読んでいた、という事ですよね。

<清少納言(/平安時代・中期の女性)枕草子<吉田兼好(/鎌倉時代・末期~南北朝時代

の人) 徒然草 、…


 11月 28日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                          
方丈記 (ほうじょうき)・・・鴨長明 』        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 112 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 35 )


鴨長明(かもの・ちょうめい/・・・平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての歌人・随筆家。禰宜・鴨長継の次男。位

階は従五位下。西行法師や、藤原定家、道元禅師とも、重なる時代です。)方丈記 は、<古典における

・・・日本3大随筆> 評価されていますね。

時代としては…

<平安時代・中期の・・・枕草子> <平安時代・末期~鎌倉時代・前期の・・・方丈

記> <鎌倉時代・末期~室町時代・前期の・・・徒然草> に、なります」

「はい…」支折が、うなづいた。「ええと…

江戸時代になると、徒然草版本(はんぽん/写本に対する言葉で、木版で印刷された本をさす。木活字

や銅活字による刊本とは、別する説もあります。)刊行(かんこう/書籍、文書、図画などを印刷して世に出すこと。)

れています。

それから…

松永貞徳(/江戸時代前期の俳人・歌人・歌学者。)なぐさみ草秦宗巴(はた・そうは/江戸時代前期

の医師。丹波の人。徳川家康の侍医。)つれづれ草寿命院抄 、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                         
  松永貞徳        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 113 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 36 )


林羅山(はやし・らざん/江戸時代初期の朱子学派儒学者)(ヤ/自然の。かざりけがない。)加藤磐

(かとう・ばんさい/江戸時代前期の歌人、俳人、和学者。出生地は摂津国山田。)徒然草抄(1661年)

北村季吟(きたむら・きぎん/江戸時代前期の歌人、俳人、和学者。)徒然草文段抄(1667年) といっ

た、多くの注釈書も書かれています。

ええと…

松永貞徳北村季吟は…

芭蕉にとっては俳諧先輩格ですから、芭蕉がこれらの木版書物を持っていたとしても…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       
         北村季吟 (きたむら・きぎん/江戸時代前期の歌人、俳人、和学者)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 114 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 37 )


…少しも不思議ではありませんわ。むしろ、当然です」

「そうかあ…」マチコが、大きく揺らした。「当時はさあ…

日頃から寄り集まっては、そんなコトを話していたんだあ。季節新鮮なものや、美味いも

を食べて…俳句を作ったり…人物評価をしたり…世情の噂話をしたり。それが当時の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   wpe75.jpg (13885 バイト) 
杉山 杉風(すぎやま・さんぷう) 蕉門十哲・幕府御用の魚問屋/鯉屋・・・芭蕉庵は鯉屋の番屋でした。 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 115 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 38 )


娯楽だったんだあ…」

「そうですが…」支折が、を傾げた。「それらは…

豊かで、文化的で、高級な娯楽部類に入るでしょう。<宮廷・公家・僧侶が・・・中心と

なっていた文化の・・・庶民化> と、いう事でしょうか。

その間に、<鎌倉幕府以来の・・・武家文化の台頭> も、あるわけですが、<庶民化の

パワーは・・・別次元で開花> して、行った様ですね。

経済的に…

豊かな商人などは、自然を取り入れた贅沢別邸を持っているのが普通で、そこに俳諧仲

や、客人招待し…



 11月 29日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
                  ★ 古池や 蛙飛び込む 水の音  (芭蕉)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 116 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 39 )


連歌の会句会をやっていた様ですね。

それから…

<芭蕉庵> のあった江戸/深川なども、当時相当緑が深かった様です。いわゆる…


★ 古池や 蛙飛び込む 水の音  (芭蕉)


…の名句詠んだ所ですから、」

「うーん…」響子が、モニターを見ながら…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                    <関ヶ原の戦い・・・1600年10月21日>       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 117 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 40 )


…言った。「ええ…

当時江戸について、少し説明しておきます。

よく、知られている様に…

<1600年10月21日に・・・関ヶ原の戦い> があり、<1603年に・・・江戸幕府/

徳川幕府が・・・開闢(かいびゃく) しています。

この江戸の町は…

やがて、江戸時代・後期には、100万都市とも言われるほどに巨大化し、当時としては

界的にも(まれ)な、巨大都市

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                              江戸城                         (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 118 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 41 )


…になっていた様ですね。

でも、江戸は…

300諸侯が、<全国から・・・大掛かりな参勤交代で通う・・・武家仕様の都市> でした。

武家が、過半数はるかに超え<特殊な・・・形態の都市> として、スタートしています。

武士は…

鍛錬(たんれん)訓練はしますが、基本的生産活動は、一切行いません。ブラブラし、様々

な鍛錬研鑽(けんさん/学問などを、深くきわめること)をしています。したがって、各藩が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『東海道五拾三次 日本橋 朝之景』 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 119 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 42 )


江戸消費する莫大な財政は、それぞれの国元負担していたわけです。

この大浪費によって…

社会が潤い<武装対立構造の・・・幕藩体制下・・・> で、<諸国の・・・軍事的備蓄

を、削いでいたわけですね。大人数での、1年ごと・隔年参勤交代と、江戸滞在

は、大名商人借金をするほどの疲弊でした。

日本近世(/江戸幕府の時代。/・・・ちなみに、日本の中世とは、鎌倉時代から江戸時代の前まで。)

江戸という、100万都市は…

江戸城中核とした、<巨大な消費専門の・・・幕藩政治・軍事パレード都市・・・> だっ

たわけですわ。そこで、莫大な経済が、もっぱら消費され、軍事力封殺されて行けば…



 11月 30日

岡田健吉‏@zu5kokd1    


        
<明暦の大火 ・・・明暦3年1月18日~20日
(1657年3月2日~4日) ・・・江戸の大半を焼失した大火災です。 

       江戸・三大大火の筆頭で・・・外堀以内のほぼ全域の、天守を含む江戸城、多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失

      し、死者数については諸説あって、3万~10万人と記録されています。この大火で焼失した江戸城天守は、その後、

       再建されることはありませんでした。

       その後の <天和の大火・・・天和2年12月28日 (1683年1月25日) の際は・・・芭蕉庵も焼失しています。

      芭蕉自身は、六間堀に腰までつかって頭に苫(とま/スゲやカヤなどを粗く編んだムシロ。)をかぶり、時々は苫に水

      をかけて、火を凌(しの)いだそうです。でも、大寒の季節ですよね。                (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 120 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 43 )


必然的に、文化の中心地になりますわ。

ええ…

手元にあるデータによれば…

江戸の・・・町人人口の・・・推移 は…

<関ヶ原の戦い/1600年> から…

34年後の…

1634年/寛永11年には・・・約15万人・・・>

1657年/明暦3年には ・・・約28万人・・・> <明暦の大火> ・・・のあった年です。)

1693年/元禄6年に約 ・・・約35万人・・・>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                              第8代将軍/徳川吉宗    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 121 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 44 )


1721年/享保6年には ・・・約50万人・・・>

…と推定されています。

これに…

<江戸の、武家人口の・・・約50万人・・・> を、加えると…

享保の頃

<江戸時代・中期/・・・第8代将軍・吉宗の頃・・・> には…

<江戸の総人口は・・・約100万人・・・> に、達しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                               1680年に、芭蕉は深川/芭蕉庵に転居します。  (ネットより画像借用)

     <天和の火事/1683年1月25日>の際、芭蕉庵も焼失。 簡素な作りで、立て直すのも簡単だったのでしょうか

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 122 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 45 )


ちなみに…

芭蕉がいた頃(/・・・元禄7年10月12日に、芭蕉は逝去(せいきょ/死ぬ、の尊敬語)しています。)

元禄6年の、江戸庶民人口は、約35万人ですね。プラス武士50万人で、合計85万

ほど、でしょうか。

現在/東京の人口が…

約1000万人として、その1/10以下ですよね。そして、幕府機関中心として、消費する

だけの、世界的巨大都市だった…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                武家諸法度とは?                (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 123 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 46 )


…という事になります。

江戸時代・初期/元禄(/1688年~1704年)の頃は…

まだ、<上方中心・・・天皇・公家の影響下の・・・日本文化・・・> でしたが…

蕪村一茶活躍した、文化文政(ぶんかぶんせい/1804年~1830年)の頃になると、<日本の

文化は・・・江戸中心・・・> に、移っていたという事になります。

ええと…

先ほども、言ったように…

<江戸は・・・武家仕様の町/・・・消費専門都市・・・> で、その上に、争い事武力

封殺されていたわけです。武家エネルギーは、武芸鍛錬当然のこととして、学問

文化の方へも、押し出されて行ったわけですね。

ええ…

芭蕉他界して、8年程後の事ですが…

この元禄年間/元禄14年に、人形浄瑠璃(にんぎょう・じょうるり)歌舞伎演目にもなった…

仮名手本忠臣蔵 の、<赤穂事件(あこう・じけん) が、起こっていますわ。

あの…

<江戸城/松の廊下の・・・刃傷事件(にんじょう・じけん)で、抜刀したコトが、いかに異例

大事件かが、私達にも伝わって来ます。幕府は、それほど、武威暴発禁じていたわ

けですね、」

「そあかあ…」マチコが、を見た。「でも、赤穂浪士仇討ちは、容認しているわよね?」

「ええ…」響子が、強く、うなづいた。「そこは…

武家/征夷大将軍が取り仕切る、<武家諸法度( /江戸時代初期の1615年に、江戸幕府が諸大名の

統制のために制定した基本法。)の・・・統治体制・・・> だった、という事でしょうか、」

「ふーん…」マチコが、腕組し、コクリとうなづいた。

「はい…」支折が言った。「ええ…

を進めましょうか。次は<大和路> ですね…



 12月  1日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                                     おにぎり            (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 124 )

原文・・・21/ 1  】・・・( 1 )


<大和路>


衣更
(ころもがえ/陰暦4月1日)

★ 一つぬひで後に負ぬ衣がへ


★ 吉野出て布子(ぬのこ/木綿の綿入れ)売りたし衣がへ  万菊


灌仏(かんぶつ/仏像に香水こうずいを注ぎかけること)の日は奈良にて爰(ここ)かしこ詣侍(もうで・はべ)

るに、鹿の子を産を見て、此日(このひ)におゐ(い)てかしければ、


★ 灌仏の日に生れあふ鹿の子哉(かな)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                       
    菅笠
すげがさ         (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 125 )

現代語訳・・・21/ 1  】・・・( 1 )


衣更


★ 一つぬひで 後に負ぬ 衣がへ


      衣更といっても・・・

          重ね着を一枚脱いで・・・

               後ろに背負うだけ・・・

                    身軽なことだ・・・


★ 吉野出て 布子売りたし 衣がへ  万菊

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                        
   松尾芭蕉・像/・・・葛飾北斎・画      (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 126 )

現代語訳・・・21/ 1  】・・・( 2 )


      吉野を出たら・・・

           衣更を過ぎて・・・

               不要になった布子を・・・

                    売ってしまいたいものだ・・・

                                    (万菊丸)


灌仏の日は、奈良であちこちの寺院に詣でてまわったところ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
                                          (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 127 )

現代語訳・・・21/ 1  】・・・( 3 )


・・・鹿が子を産むのを見た。釈迦が生まれたこの日に、子を産むとはありがたいこと

だ。


★ 灌仏の 日に生れあふ 鹿の子哉(かな)

    
            灌仏の日に・・・

                  めでたくも生まれた・・・

                        可愛い鹿の子だなあ・・・



 12月  2日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                              大和路/古道               (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 128 )

【 支折の言葉・・・21/ 1 】・・・( 1 )


支折が、クスリーンボードの、芭蕉杜国/万菊丸俳句を眺めていた。

「ええ…」支折が、視線を戻した。「芭蕉万菊丸は…

<吉野の・・・山・滝・里・・・> で、満開の桜堪能(たんのう/十分に味わい、満足すること)し、

(いにしえ)の都/奈良盆地下山し、大和路を歩いたわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
              
              芭蕉         (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 129 )

【 支折の言葉・・・21/ 1 】・・・( 2 )


その間に…

衣更(ころもがえ/陰暦4月1日)がやって来て、寒さもすっかり和らぎ、綿入の小袖(こそで/現

在の和服のもととなった、袖口の小さく縫いつまっている衣服)を、(あわせ/裏地をつけて仕立てた着物。秋から春先に

かけて用いる。)着替える時になりました。そして、5月5日には、帷子(かたびら/あわせの、

「片ひら」 の意。裏をつけない衣服の総称。ひとえもの。)着替えるわけですね。

古都/奈良には、この頃にはすでに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちん) 鋳造したバリ銭/まとめて棒に突き刺し、形を整える。 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 130 )

【 支折の言葉・・・21/ 1 】・・・( 3 )


野生の鹿が、我が物顔で歩いていた様ですね。ええと、少し調べてみました…

うーん…

言い伝えによると…

奈良鹿がやって来たのは、今から1300年前の、710年(/和銅3年)ということです。<古

銭/和同開珎(わどうかいほう 、わどうかいちん) が、鋳造された頃ですよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
   <富本銭(ふほんせん/・・・天武天皇12年頃に、日本でつくられたと推定されている銭貨)>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 131 )

【 支折の言葉・・・21/ 1 】・・・( 4 )


あ、この <和同開珎> は…

708年8月29日(/和銅元年8月10日)に、日本鋳造・発行されたもので、<日本最初の流

通貨幣> と言われています」

「私が…」響子が言った。「かつて…

万葉集考察していた時に、<第40代/天武天皇> 時代の、<富本銭(ふほんせん/

天武天皇12年頃に、日本でつくられたと推定されている銭貨)が…



 12月  3日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                               (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 132 )

【 支折の言葉・・・21/ 1 】・・・( 5 )


日本鋳造された、最も古い貨幣という事でした。

でも、流通貨幣ということでは、奈良時代 <和同開珎> の様ですね。

それ以前貨幣は、大陸・中国/唐から入って来ています」

「はい…」支折が、うなづいた。「奈良の、鹿を戻しますが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            <奈良/春日大社・・・中門・御廊> (重要文化財)  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 133 )

【 支折の言葉・・・21/ 1 】・・・( 6 )


奈良に…

<平城京(/710年に、藤原京から遷都するにあたり、唐の都/長安城を模倣して建造された都城。) が作られ、

<春日神社(/春日神を祭神とする神社。全国に約1000社あり、奈良の<春日大社>を総本社とする。)

する際、貴族達都を守護する神様として、<武勇の誉れも高い神・・・武甕槌命(たけ

・みかづちの・みこと) を、お招きすることにしました。

<茨城の・・・鹿島神宮(/茨城県鹿嶋市宮中にある神社。全国にある鹿島神社の総本社。宮中の四方拝(しほう

はい)で遥拝(ようはい)される一社。)に住んでいた・・・武甕槌命> は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
    『春日神鹿御正体 (かすが・しんろく・みしょうたい)』 (重要文化財) 京都・細見美術館蔵   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 134 )

【 支折の言葉・・・21/ 1 】・・・( 7 )


<鹿島の森に住む・・・白い鹿> にまたがって奈良へ向かい、長い長い旅を経て、奈

良の都到着したという事です。

この時に乗って来た、<神鹿(しんろく/霊力のある鹿。神の使いとして、神社で飼っておく鹿。)と呼ばれる

・・・ 一頭の白い鹿・・・> が、春日の森子孫を増やして行った、という事ですね。

うーん…

これが、<神鹿> ですか…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                  奈良公園/鹿奈良県奈良市にある都市公園・・・国の名勝・・・の鹿。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 135 )

【 支折の言葉・・・21/ 1 】・・・( 8 )


ともかく…

<現在・・・奈良の鹿は・・・国の天然記念物に指定されている・・・野生動物> と、い

う事です。

<決して・・・飼育されている動物ではありません・・・> と、奈良県公式HP(HomePage)

に、明記されています。

<奈良公園周辺の鹿は・・・すべて野生のニホンジカです。・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                  奈良公園/奈良県奈良市にある都市公園・・・国の名勝・・・の鹿。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 136 )

【 支折の言葉・・・21/ 1 】・・・( 9 )


・・・現在、奈良公園周辺に生息するニホンジカは・・・1180頭(/平成28年7月現在)

…だと、いう事です。

これだけ多く野生の鹿が、人間と共存しているは、世界でも奈良だけの様ですね、」

「ふーん…」マチコが、を傾げた。「分かった様な、分からない様説明よねえ…

<神鹿> 子孫というのは、さあ…

でも、そんな古代(/日本の古代は、おおむね、古墳時代・飛鳥時代~平安時代の中期・後期まで。)から人間と

共存しているのも、不思議な話よねえ。本当なのかしら?」


 12月  4日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                            (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 137 )

【 支折の言葉・・・21/ 1 】・・・( 10 )


「ホホ…」支折が、笑った。「そうですが…

奈良県公式HP 明記されている事です。神社仏閣(じんじゃぶっかく/神社や寺院の、社殿や堂塔

などに関連する説明案内では、こういう形のものが多い様ですね。学術的説明同時に、

神話的世界との一体化容認されています。元々、そういう形で、民衆にも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                                                           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 138 )

【 支折の言葉・・・21/ 1 】・・・( 11 )


説明され、受け入れられて来たからでしょう」

「そうかあ…」マチコが、コクリとうなづいた。「民衆も…

その説明納得して来たわけかあ。から、<神鹿> だったし、<全体を・・・信仰対象

・・・> にして来た、長い歴史があるわけなんだ、」

「そうですね…」支折が、小さくうなづいた。「ともかく…

芭蕉が、奈良を訪れた江戸時代・前期/元禄の頃には…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                               花祭り/・・・灌仏会(かんぶつえ)・・・        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 139 )

【 支折の言葉・・・21/ 1 】・・・( 12 )


…すでに、多くの鹿がいた様ですね。野生鹿春日大社一帯に住みついていて、確

かに、人間社会共存していた様子です。

さあ…

ええと…

<衣更(ころもがえ)は・・・陰暦(いんれき/太陰(月)の満ち欠けを主とし、太陽の運行をあわせ考えて作った暦。

本の旧暦、ユダヤ暦、中国暦などが、これにあたる。)4月1日> 、そして、<灌仏(かんぶつ)は・・・陰暦

4月8日/・・・お釈迦様の誕生日> …という事ですね。

衣更も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                               花祭り/・・・灌仏会(かんぶつえ)・・・      (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 140 )

【 支折の言葉・・・21/ 1 】・・・( 13 )


灌仏/…お釈迦様の誕生日も…

つい、数十年前までは、当然のように、私達生活リズムとして、定着していた様ですね。

もちろん、田舎寺院などでは、も、<花まつり/・・・お釈迦様の誕生日> として、

ッカリ伝統が守られている所もあります。

でも…

そうした古い慣習が、消えはじめるる世代では、一般家庭その周囲影響で、全く耳に

しなくなる人々も出て来る様です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                               花祭り/・・・灌仏会(かんぶつえ)・・・    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 141 )

【 支折の言葉・・・21/ 1 】・・・( 14 )


そして、そうした人々の間では、次第消えて行くわけですね、」

「うん…」マチコが、うなづいた。「<衣更> は、ともかくさあ…

<灌仏/・・・お釈迦様の誕生日・・・花まつり・・・> というのは…

うーん、どうかしら?

言葉知っているという事は、子供の頃に、聞いた事があるかも知れないわねえ…」



 12月  6日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                      『鑑真和尚像』・・<国宝>  唐招提寺に安置されています   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 142 )

【 原文・・・22/ 1 】・・・( 1 )


招提寺(しょうだいじ/唐招提寺)鑑真(がんじん)和尚(おしょう)来朝の時、船中七十余度の難をし

のぎたまひ、御目のうち塩風吹入て、終に御目盲させ給ふ尊像を拝して、


★ 若葉して御めの雫(しずく)ぬぐはばや



 12月  7日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                             唐招提寺/奈良県奈良市五条町  南都六宗の一つである律宗の総本山。

本尊は盧舎那仏(るしゃなぶつ)、開基(創立者)は中国・唐出身の僧/鑑真。鑑真が、晩年を過ごした寺であり、奈良時代建

立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。1998年(/平成10年)に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世

界遺産に登録されています。                                              (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 143 )

【 現代語訳・・・22/ 1 】・・・( 1 )


唐招提寺(とうしょうだいじ)を開基(かいき/・・・基礎を作ること)された鑑真和尚は来朝の時、船に乗

って七十数回の難をしのがれ、御目のうちに潮風が吹き入って、ついに失明された、そ

の尊像を拝して、


★ 若葉して 御めの雫 ぬぐはばや


      清らかな若葉で・・・

              御目の涙の雫を・・・

                   おぬぐいいたしたいものです・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                       唐王朝・・・第6代/玄宗皇帝 (在位/712年~756年)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 144 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 1 )


「ええ…」支折が言った。「中国/唐の…

確か、第6代/玄宗(げんそう)皇帝と…

あの <絶世の美女/傾国の美女(/元首が寵愛(ちょうあい)にかまけて、政治を疎(おろそ)かにしたため、

その国家が崩壊に至った女性をいう。)・・・楊貴妃(ようきひ) の、時代だったと思います。

<日本人/阿倍仲麻呂(あべの・なかまろ) も、科挙(かきょ/中国で行なわれた官吏の登用試験)

し、玄宗官人(かんにん/官吏。役人。)として、仕えています。

その時代に、<唐の高僧/鑑真> は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                               遣唐使船                      (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 145 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 2 )


日本遣唐使からの真摯(/まじめで、ひたむきなこと)要請を受け、誰も行かないならば、私が

行こうと、、を破って何度日本への密航を試みます。そして、ついに、盲目になりながら

も、6度目に、日本遣唐使船密かに乗り込み日本への渡航/漂着を、果たしていま

す。

ええ…

作家/井上靖(いのうえ・やすし/・・・1907年(明治40年) ~ 1991年(平成3年))小説/天平の甍

(てんぴょうの・いらか/甍は・・・屋根の頂上の部分。また、屋根に葺(ふ)いた棟瓦(むねがわら)。) は、この歴史的

偉業を扱った…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                        『天平の甍 (てんぴょうの・いらか)』                 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 146 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 3 )


歴史小説ですね。後に、映画化もされています。

ボス(/岡田)が、何故(なぜ)か、高校生の時にこの小説を読み、<奇妙な・・・運命的な巡

り合わせ・・・を感じている・・・> と、話していました。

でも、こうも言っていました…

<不思議には思うが・・・まだ、その巡り合わせの・・・結論は出ていない様だ・・・>

も。うーん…



 12月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                    『正法眼蔵 しょうぼうげんぞう の著者/道元禅師     (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 147 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 4 ) 


ホホ…

そもそも、はあまり読まなかったと言うボス(/岡田)が、確かに、そんな若い時代に読むよ

うな、小説ではないですね。

でも…

ボスは、正法眼蔵(しょうぼうげんぞう) とも、運命的出会っていて、この書物人生の指針

となり、禅を独学して来ています。“本との出会いとは・・・実に不思議なもの” ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
  大宰帥 (だざいのそち/宰府の長官)・・・大伴旅人の邸宅  「令和」 を生んだ 「梅花の宴」 とは?  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 148 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 5 )


ボスは、その禅の独学過程で、何度か鑑真和尚とも再会したと言っていますが、今後、

さらに何かが、あるのでしょうか?見当もつきませんが。あ、を戻しましょう…

ええと…

遣唐副使/大伴古麻呂(おおともの・こまろ/

・・・730年(天平2年)、大宰帥(だざいの・そち/九州筑紫の長官)/大伴旅人(おおともの・たびと)が任地で病臥した際に、

遺言(ゆいごん)を受けに、大伴稲公(おおともの・いなきみ)と共に、九州に赴いています。

大宰帥/大伴旅人は・・・

『万葉集』 の編者とされる、大伴家持(おおともの・やかもち)の父親です。また、大宰帥/大伴旅人の邸宅で行われた  「梅花

の宴」 から、<新元号・・・令和・・・>  が、採られています。『万葉集・・・巻五/梅花歌三十二首』序文から、<令月(れ

いげつ)の令> <風和(かぜやわらぐ)の和> の2文字を採り、組み合わせて創られました。この序文の作者をめぐっては

、大伴旅人や筑前守/山上億良(やまのうえの・おくら)など、諸説がありますが・・・現在有力なのは大伴旅人です。)

は…

遣唐大使/藤原清河(ふじわらの・きよかわ)には内密で、自分 <第二船> に、密かに

鑑真> を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                      『鑑真和尚像』・・・<国宝>  唐招提寺に安置されています   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 149 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 6 )


乗船させました。内密に、強くこだわったのは、正使/遣唐大使立場を考え、さらに、

大使(とが/罰されるべき行為)が及ぶのを恐れたからですよね。は、自分が背負う覚悟

した。

この時

753年11月16日に…

日本遣唐使船/4隻は、同時に、中国大陸沿岸を離れ、日本への帰途に就いていま

す。でも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                遣唐使船/・・・荒海の中で、僧侶の決死のも読経と、唱和でしょうか?  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 150 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 7 )


<第四船> は、行方不明になっています。構造上装備、または乗組員技量等

で、多少の優劣はあったはずです。

当然…

正使/遣唐使搭乗する <第一船> が、万全の、親船のはずですよね。それ以上は、

運任せと、読経祈願です。そうした中での、風任せの航海であり、船団はしだいにバラ

て行ったのでしょうか。

ともかく…

<第一船> <第二船> は、偏西風(/緯度30度~65度の帯域にかけて見られる、西から東に向かっ

て流れる気流。

熱帯地域の加熱を中心とする “ハドレー循環” と、極地域の冷却を中心とする “極循環” の、2つの “子午面循環” の間の

温度差の違いと、“地球回転の影響(/コリオリの力) により発生します。

偏西風は・・・

上空/高度とともに強くなり、対流圏界面付近で風速が最大となります。特に、風速の強い狭い区域は、<ジェット気流>

と呼ばれる帯を形成します。

これとは、逆に吹くのが <貿易風(ぼうえきふう/熱帯に定常的に存在する偏東風。熱帯東風ともいう。) です。季節や

地域によって、異なります。)

運ばれ



 12月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                       遣唐使船/・・・荒海の中で、僧侶が決死の読経をしました。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 151 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 8 )


11月21日
に…

無事に、沖縄本島到着しています。また、<第三船> はすでに、前日/11月20日に、

沖縄到着していました。

それから、12月6日に…

南風(はえ)を得て、3船沖縄を発ち、種子島・屋久島に向けて出港しました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
              遣唐使船の航路/・・・沿岸航路は、戦争もあり、政情の不安定もありました。 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 152 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 9 )


でも、今度出港直後に、<第一船> 座礁し、残る2隻だけが南風にのり、そのまま

日本を目指しました。

<第一船> は…

遣唐大使/藤原清河と、<帰朝する・・・阿倍仲麻呂> 乗船していましたが、難破

て、はるか南方/ベトナム北部にまで流され…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
  安禄山 (あん・ろくざん/・・・康国(サマルカンド)出身のソグド人と、突厥(とっけつ)系の混血。)  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 153 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 10 )


漂着しています。当時の、航海難儀さをうかがわせています。

藤原清河と、阿倍仲麻呂は…

2年後/755年に、唐の都/長安に戻っています。でも、この年に、<安史の乱/・・・安

禄山(あんろくざん)の乱> が、起こっていますよね。

この反旗で、パニックに陥った唐朝廷は、ついに <玄宗皇帝・楊貴妃> ともども、都/

長安宮廷脱出する事になります。そして、この敗走の途上で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                        <安史の乱/・・・安禄山の乱> 期の・・・アジアの勢力図  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 154 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 11 )


皇帝惑わせたとして、兵達怒り<楊貴妃> 処刑することを要求し…玄宗

を与えざるを得なくなります。これが、<馬嵬駅(ばかいえき)の悲劇> です。


          
       楊貴妃の墓・・・馬嵬駅(ばかいえき/中国・陝西省咸陽市興平市) の付近。  (ネットより画像借用)


ともかく…

第6代/玄宗皇帝は…

治世前半善政で、絶頂期を迎えました。でも後半は、政治(う/倦む・・・イヤにな

る)み疲れ楊貴妃寵愛(ちょうあい)したことで、<安史の乱> 原因を作りました。

玄宗は、失意のうちに退位しています。反乱鎮圧されて、唐王朝存続しますが…



 12月 10日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                     阿倍仲麻呂
 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 

            小倉百人一首・・・7番/阿倍仲麻呂仲麿 <ジャンプ!>       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 155 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 12 )


阿倍仲麻呂は、2度日本土を踏む事はありませんでした。

玄宗に仕えた後は…

<第7代/粛宗(しゅくそう)皇帝と・・・第8代/代宗皇帝> に仕え、770年1月に、73歳

で没しています。死後その功により、代宗皇帝によって、<潞州(ろしゅう)大都督(/都督(と

とく)は、中国の官職・称号。三国時代に現れ、軍政を統轄した。 日本人では阿倍仲麻呂が唐朝に出仕し、潞州大都督の官

名を贈られている。)・・・の官名(/官職の名称) が、贈られています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                      『鑑真和尚像』・・<国宝>  唐招提寺に安置されています   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 156 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 13 )


ええ、一方…

<鑑真> の方ですが…

<第二船・第三船> は、753年12月7日に、屋久島到着して、<鑑真の渡日> は、

かなっています。日本は、この朗報歓喜します。

それから…

この一大事が、海路朝廷上奏(じょうそう/意見や事情を天子に申し上げること。)され、大宰府

け入れ態勢等を、屋久島で待つことになった様です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              大宰府政庁跡/・・・福岡県太宰府市観世音寺   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 157 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 14 )


そして11日後

12月18日に…屋久島から、<九州/大宰府(だざいふ/7世紀後半に、九州の筑前国に設置された地

方行政機関。軍事・外交を主任務とし、九州地方の内政も担当した。) を目指して出港します。

翌/12月19日に、遭難するも…

遣唐副使/大伴古麻呂と、<鑑真> の乗った <第二船> は…

12月20日に…

薩摩国/秋目(あきめ/秋妻屋浦/・・・鹿児島県・南さつま市・坊津町秋目)に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                              第45代/聖武天皇    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 158 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 15 )


漂着しました。

それから…

12月26日に…

大安寺(/奈良にあって、南都七大寺の1つ。奈良時代から平安時代前半までは、東大寺や興福寺と並ぶ大寺でした。)

延慶 (えんけい/入唐僧(にっとうそう/日本から唐に渡った学僧)と思われ・・・天平勝宝5年753年 に、鑑真の一

行と共に帰国。鑑真らを、薩摩から大宰府に導きました。鑑真が、東大寺大仏を拝した際も、通訳として活躍しています。

ちなみに・・・

天平の甍 では、入唐僧/普照(ふしょう)は在唐20年、大陸を放浪の果てに高僧/鑒真を伴って、ただひとり故国/日本

の土を踏んでいます。大宰府で出迎えたのは、高僧/鑑真の渡日を知らせる事前の触れ込みで、先に大宰府に入ったと思

われます。)

…に、迎えられながら、<鑑真は・・・ついに、大宰府に到着・・・> しています。

を、長くして待つ

<第45代/聖武天皇 → 退位していて、聖武上皇> の、<平城京/・・・奈良朝廷

への到着は、翌/754年(/天平勝宝6年)2月4日となります。



 12月 11日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                                  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 159 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 16 )


「そもそも、さあ…」マチコが言った。「何故日本は、<鑑真和上> の様な、高僧を求め

ていたのかしら?

<空海/弘法大師> の様に、唐/長安で、シッカリ勉強してさあ、日本仏教を持ち

帰ればいいわけよねえ、」

「あ、そうですね…」支折が言った。「でも、<空海>奈良時代ではなく、平安時代

・初期です。

うーん…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 160 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 17 )


仏教について、その辺りの事情を、もう少し説明して置きましょうか。響子さん、間違って

たら指摘して下さい」

「私も…」響子が、苦笑した。「修行中の身ですわ。自信はありませんが、気づいた所

します」

「お願いします…」支折が、うなづいた。「響子さんは、私の師ですから頼りにしています」

「ホホ…」響子が笑った。「努力します、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
キジル石窟 (新疆ウイグル自治区)の入り口前の広場に、最近建てられた鳩摩羅什 (くまらじゅう)の像 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 161 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 18 )


「ええと…」支折が言った。「まず…

<仏典> とは…

仏教典籍の略称で…<仏教聖典の・・・総称・・・> の事です。

それは…

<律蔵(りつぞう)/・・・僧団内部の規則である、律をまとめたもの> <経蔵(きょうぞう)

/・・・釈迦の教説である、経をまとめたもの> <論蔵(ろんぞう)/・・・仏陀の教えに

対する、解釈・注釈書である、論をまとめたもの> という…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
  玄奘三蔵 (/629年にチベットを超えてインドに行き、645年に、経典や仏像などを持って帰還。)  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 162 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 19 )


3つの分類形態から、<三蔵(さんぞう) とも呼ばれています。

<三蔵法師(さんぞうほうし) という言葉がありますが、この <三蔵に・・・通じている僧>

という意味です。

後に、それは、<訳経僧(やくきょうそう/・・・経典の翻訳に従事する僧。特に、中国においてサンスクリットの経典

を漢訳する僧をさすことが多い。鳩摩羅什(くまらじゅう)や玄奘三蔵(げんじょうさんぞう/法相宗の開祖)などが代表的です。

霊仙三蔵(りょうせん・さんぞう/平安時代前期の、法相宗の僧。日本で唯一の三蔵法師。)のような、日本人の訳経僧もいま

す。)を、指す様になります。

あ、すみません。もう少し概論を続けますが…

<仏典> は…



 12月 12日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                    
       お釈迦様                    (/ネットより画像借用) 

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 163 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 20 )


大きく

原始仏典/・・・原始仏教・・・釈迦が生きていた時代を含む初期の、約150年 ~

200年の間> と…

大乗仏典/・・・大乗仏教・・・紀元前後に、伝統的仏教に対する、革新運動の中か

興った、新仏教。上座部仏教(/小乗仏教)に対に対して・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
             
 仏教は、北伝仏教(大乗仏教)と、南伝仏教(上座仏教)とに分かれました。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 164 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 21 )


・・・大乗仏教と言う。大乗は、サンスクリットのマハーヤーナの訳で、大きな乗物の意

味>

…に、2分されます。

ちなみに…

<原始仏典> には…

<パーリ五部(/経蔵は分量的な長さに応じて、長部、中部、相応部、増支部、小部の5つにわかれます・・・

パーリ仏典/パーリ経典(パーリ語仏典、パーリ聖典)、あるいは、パーリ三蔵は・・・南伝/上座部仏教に伝わるパーリ語で

書かれた仏典です。北伝/大乗仏教に伝わる漢語・チベット語の仏典と並ぶ、三大仏典群の1つです。

日本でも・・・戦前に輸入・翻訳され、『漢訳大蔵経(/北伝大蔵経)』、『チベット大蔵経』 に対して、『南伝大蔵経』 『パーリ大

蔵経』 などとしても、知られています。)

および…

<漢訳の・・・阿含経典群(あごん・きょうてんぐん/

阿含経・・・とは、初期仏教の経典です。釈尊の言行を伝え、それを集成したものです。釈尊の滅後、その教説は次第にまと

められて経蔵を形成し、一方、修行僧の守るべき規則は、律蔵 としてまとめられました。

経蔵は、4または5に分類され、それぞれ阿含または部の名をもって表示されました。現在、まとまったものとしては、スリラ

ンカ、ビルマ (現ミャンマー) 、タイ 、カンボジア 、ラオス 、ベトナムに伝えられている、パーリ語の聖典と、その相当漢訳があ

ります。)

…があり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
            国宝 「
鑑真和上座像」  奈良時代/8世紀  乾漆造彩色  像高 80.1cm  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 165 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 22 )


…その一部は、<★ 釈尊の言葉を・・・比較的忠実に・・・伝えている・・・と、言われ

ています。

ええと…

を、戻しますが…

<鑑真和尚(がんじんおしょう)/鑑真和上(がんじんわじょう) は…

日本における、<律宗(りっしゅう)の・・・開祖(かいそ) と、なるわけですが…

<律宗> とは…

<仏教徒/・・・とりわけ僧尼(そうに/僧と尼僧)が遵守(じゅんしゅ)すべき、戒律を伝え研究

する宗派・・・> という事ですね。

<鑑真> は、四分律(しぶんりつ/・・・上座部の一派である法蔵部に、伝承されてきた律)に基づく…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                        『天平の甍 (てんぴょうの・いらか)』                  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 166 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 23 )


中国/南山律宗継承者であり、4万人以上の人々授戒(じゅかい/教団にはいることを誓った

出家、在家の者に、それぞれに応じた規律を、師僧が授けること。→ 受戒。)を、行ったとされています。

中国/揚州(ようしゅう/揚州市)の…

大明寺住職(じゅうしょく/寺の長である僧)であった、742年に…

日本からに渡った僧/栄叡(ようえい)・普照(ふしょう)らから、戒律日本へ伝えるよう懇請

こんせい/心を尽くして頼むこと)されました。

当時奈良には…



 12月 13日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                              第45代/聖武天皇    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 167 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 24 )


私度僧(しどそう/官の許可をえないで剃髪・出家した僧尼。

剃髪・出家して仏道を修行し、僧尼となることを得度(とくど)と言いますが、律令時代には国家による一定の手続を要する、

許可制がとられていました。官の許可をえて得度した者が官度僧です。官の許可をえず私的に得度した者を、私度僧と言い

ます。)

…が、多かったため…

伝戒師(でんかいし/授戒作法の儀式を司る師。伝教師ともいう。)制度を、普及させようと…

<第45代/聖武天皇 = 沙弥勝満(しゃみ・しょうまん/・・・聖武天皇は、宝算(ほうさん/天子を敬って、

その年齢をいう語)56。戒名(かいみょう/戒律を守る証として与えられる名前)が、勝満です。/沙弥とは、修行中の僧で

す。沙弥勝満/聖武天皇は、仏教に深く帰依し、741年(天平13年)に、国分寺建立の詔(みことのり)を、743年(天平

15年)には、東大寺の大仏/盧舎那仏像の、造立の詔を出しています。また、自ら、沙弥勝満と名のっていました。)

…は、適任僧侶を捜していました。

仏教では…

新たに、僧尼となる者は、戒律遵守(じゅんしゅ)することを誓います。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
     
    奈良/東大寺の大仏・・・東大寺盧舎那仏像(とうだいじ・るしゃなぶつ・ぞう) 国宝   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 168 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 25 )


戒律のうち、<自分で、自分に誓うものを・・・戒・・・ と言い、<サンガ/僧団内で

の、集団規則を・・・律・・・ と言います。

その…

<戒> を誓うためには、10人以上の僧尼の前で、儀式/授戒を行う宗派もありました。

しかし、日本では、仏教伝来した当初は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                              
行基菩薩坐像・・・(/唐招提寺蔵 ・ 重要文化財 (ネットより画像借用)

行基集団を形成し・・・畿内(近畿)を中心に民衆や豪族など階層を問わず広く人々に仏教を説きました。併せて困窮者の救済

や社会事業を指導。布施屋9所、道場や寺院を49院、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所を各地に整備しました。当初、朝廷

から度々弾圧や禁圧を受けましたが、第45代/聖武天皇により、奈良大仏造立の、実質上の責任者として招聘されました。

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 169 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 26 )


<自分で自分に授戒する・・・自誓受戒(じせい・じゅかい/大乗仏教の菩薩戒を受けたいにもかかわら

ず、周囲に戒師がいない時、仏・菩薩の形像の前で、自ら誓い、菩薩戒を受けることをいう。なお、『梵網経』 『瓔珞経』 など

で、その作法が説かれています。)・・・> が、盛んに行われました。

そして、奈良時代に入ると…

<自誓受戒を・・・蔑(ないがし)ろにする者達・・・>  が、徐々に、幅を利かせ始めました。

そこで、<10人以上の僧尼の前で、儀式を行う方式の・・・授戒の制度化・・・> を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                        『天平の甍 (てんぴょうの・いらか)                  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 170 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 27 )


主張する声が、強まって来たと言います。

そこで、おそらく…

<沙弥勝満(しゃみ・しょうまん) ・・・第45代/聖武天皇> の…

勅命(ちょくめい/天子の命令)で、栄叡(えいよう)普照(ふしょう)が、授戒のできる僧10人招請

るために、<遣唐使船> に渡りました。それが、733年(天平5年)の事でした。

そして…

<戒律の僧として高名な・・・大明寺の住職/鑑真・・・> のもとを、訪れた、という次第

ですね。それが、742年です。大陸/唐に渡って20年であり、<鑑真> にめぐり合って、

11年後成就です。この間、栄叡大陸で没します。

<鑑真が乗船した・・・遣唐使船> が、屋久島帰着し… 

<勅命で招請/来朝した・・・高僧/鑑真和尚・・・> に、礼を失して面目が立ちませ

ん。さいわい20年後も、聖武天皇健在で、普照盲目になっていた <鑑真> の元を

一時離れて、筑紫/大宰府先行し、高僧来朝と、自らの帰着報告しました。



 12月 14日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
            国宝 「
鑑真和上座像」  奈良時代/8世紀  乾漆造彩色  像高 80.1cm  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 171 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 28 )


ええと…

栄叡普照要請を受けた、<大明寺・住職/鑑真> は…

“渡日したい者は・・・いないか?” と、弟子達に問いかけました。ところが、大きな危険を冒

してまで、渡日希望する者は、1人もいなかった、と言います。

そこで…

<鑑真自らが・・・渡日・・・> することを、決意すると…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                       遣唐使船/・・・荒海の中で、僧侶が決死の読経をしました。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 172 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 29 )


弟子21人が、随行希望しました。それ以後、日本への渡海の試みは5度に及びまし

たが、ことごとく失敗し、捉えられてしまいました。

そして…

すでに述べた様に、6度目の密航で、ようやく渡日をかなえています。11年間にも及ぶ

祈願達成であり、その間に、<鑑真> 潮風に入り、盲目になっています。

それから…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                     『奈良/東大寺・戒壇堂 (戒壇院)   重要文化財     (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 173 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 30 )


<鑑真> は、ついに…

753年(/天平勝宝5年)12月26日<筑紫/大宰府> 到着しました。

<鑑真> は…

<大宰府/観世音寺に隣接する・・・戒壇院(かいだんいん/出家者が正式の僧尼となるための、必要

な戒律を授けるために設置された施設) で、初の授戒(じゅかい/仏門に入る者に、仏弟子として生きるための戒を

授けること。→ 受戒。)を行いました。

翌/754年(/天平勝宝6年)2月4日

<鑑真> は、<奈良/平城京> 到着し…聖武上皇以下大歓待を受けます。

第46代/孝謙天皇(こうけん・てんのう/・・・第48代/称徳天皇(しょうとく・てんのう)と、重祚(ちょうそ/一度退位

した天子が、再び位に就くこと)。) <勅 (ちょく/・・・天子(/皇帝・天皇)の命令、またはその命令が書いてある文書

により…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                        国宝・・・『千手観音菩薩坐像』 葛井寺(ふじいでら/・・・大阪府藤井寺市)所蔵

                    古代・中世に制作された・・・日本の仏像の中で、唯一1000本以上の手を持つ千手観音。

              寺伝によると、聖武天皇の発願によって制作され、行基が開眼したとされます。(ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 174 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 31 )


<戒壇(かいだん/戒律を授ける場所。律を受けるための、結界が常に整った場所)の設立と、授戒につい

て・・・全面的に一任・・・> され、<東大寺> に、住することとなりました。

同年/4月

<鑑真> は、<東大寺大仏殿> 戒壇を築き…

<聖武上皇から・・・僧尼まで400名に・・・菩薩戒(ぼさつかい/大乗の菩薩が受持すべき戒)・・・

を授けました。

これが、日本の・・・登壇授戒(とうだん・じゅかい/・・・戒壇に登り受戒すること。正規の手続きにより受戒し

たことを示す。)の・・・嚆矢(こうし/かぶら矢。(昔、中国で戦いを始める時、敵陣に向かって鏑矢(カブラヤ)を射た所か

ら・・・) 物事のはじまり。)、という事です。



 12月 15日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
             第46代/孝謙天皇( こうけん・てんのう) ・ 第48代/称徳天皇(しょうとくてんのう)    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 175 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 32 )


併せて…

<常設の・・・東大寺/戒壇院> 建立され、その後…

761年(天平宝字5年)には…

日本東西で、<登壇授戒> 可能となるように、 <大宰府・観世音寺> 、および、

<下野国(しもつけの・くに/栃木県)・薬師寺> 戒壇が設置され、戒律制度急速整備

れて行きました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
          吉備真備 (きびのまきび 元正天皇→聖武天皇→孝謙天皇→淳仁天皇→称徳天皇→光仁天皇に仕えた。

    留学生として入唐。藤原仲麻呂政権下での左遷と、再度の入唐。そして、復権と右大臣就任    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 176 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 33 )


少し戻りますが…

758年(天平宝字2年)に…

<第47代/淳仁天皇の・・・勅・・・> により…

<鑑真> は、<大和上(だいわじょう/戒和上としての最高を意味する尊称。鑑真に贈られたものを最初とする。)

に任じられて…

政治にとらわれる労苦から解放するため、僧綱(そうごう/・・・仏教の僧尼を管理するためにおかれた僧

官の職。律令制度では玄蕃寮の監督下に置かれ、僧正、僧都、律師からなり、それを補佐する佐官も置かれました。)

が解かれ、“自由に・・・戒律を伝えられる・・・配慮・・・” が、なされたという事ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
            玄昉像 (げんぼう・ぞう) 国宝   遣唐使に学問僧として随行し入唐。 法相を学ぶ。 在唐は18年に及ぶ。

      聖武天皇の母/藤原宮子の病気を、雑密の孔雀王咒経の呪法祈祷により回復させ、栄達。  (ネットより画像借用)  

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 177 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 34 )


759年(天平宝字3年)
には…

<新田部親王(にいたべ・しんのう/天武天皇の皇子。新田部皇子(にいたべの・みこ)とも呼ばれる。 奈良時代初期

に、<舎人親王(とねり・しんのう)<長屋王(ながや・おう) とともに、皇親勢力(こうしん・せいりょく/壬申の乱後か

ら天平年間(/7世紀後半~8世紀前半)にかけて行われた、天皇と皇親(/皇族)を主体とする政治体制を指す、歴史学上

の用語。)として、権勢を振るいました。)の、旧邸宅跡が与えられて…

<唐招提寺を・・・創建し・・・戒壇を設置・・・> しました。

<鑑真> は…

戒律の他に、彫刻薬草造詣(ぞうけい/学問・芸術・技術などについての、深い理解やすぐれた技量。また、

それをきわめていること。)も深く、これらの知識も伝えました。また、悲田院(ひでんいん/仏教の慈悲の

思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設。 )を作り、貧民救済にも積極的に取り組みまし

た。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
           国宝 
鑑真和上座像 奈良時代/8世紀  乾漆造彩色  像高 80.1cm  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 178 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 35 )


ええ、そして…

763年(/天平宝字7年)に…

<鑑真> は、唐招提寺死去しています。享年76

死去を惜しんだ、弟子/忍基(にんき/・・・鑑真の死を予見,し、その影像を弟子とともに作りました。/・・・つまり

活写(かっしゃ/生き生きと描きだすこと → 生きている鑑真を、写し取ったのでしょうか?)しました。)は…

<鑑真の彫像/・・・脱活乾漆(だっかつ・かんしつ/「脱活」 とは、「張子の虎」 のように内部が 空洞と言う意

味で、「乾漆」とは、「漆」が乾いて堅くなったと言う意味です。)/彩色(さいしょく)/麻布を漆(うるし)で張り合

わせて骨格を作る手法/両手先は木彫・・・>

…を造り、現代まで唐招提寺に伝わっています。



 12月 16日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              唐招提寺/奈良県奈良市   南都六宗の1つである、律宗の総本山。

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 179 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 36 )


これが、<国宝・・・唐招提寺/鑑真像> ですね。ちなみに、これは、日本最古肖像彫

とされています。

また…

779年(宝亀10年)

淡海三船(おうみの・みふね/・・・奈良時代後期の皇族・貴族・文人。第39代/弘文天皇の曽孫。始め御船王を名乗る

が、臣籍降下し淡海真人姓となりました。)により…

鑑真の伝記/唐大和上東征伝 が記され、鑑真事績を知る貴重な史料となっている、

という事です」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
           
                                                 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 180)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 37 )


「ええ…」響子が、準備していたスクリーンボードを投げた。「芭蕉は、大和路を歩き、

<鑑真が創建した・・・唐招提寺> を、訪れたわけですね。

時代は、<第45代/聖武天皇の・・・治世・・・> です…


<★ 聖武天皇>

文武天皇(/父が草壁皇太子、祖母が持統天皇)の第一皇子・・・

母は、藤原不比等(/・・・父は、乙巳の変(いっしのへん)で、中大兄皇子と共に蘇我入鹿を討った中臣鎌足 → 藤原

姓を賜り、藤原鎌足)の娘・宮子。


7歳父と死別母/宮子心的障害に陥ったため、その後は、長らく会うことはありませ

んでした。物心がついて以後の天皇が、病気平癒した母との対面を果たしたのは37歳の

だったと言います。

文武天皇・崩御(707年8月18日)の…

前日/707年7月17日

父方の祖母/第43代・元明天皇(/天智天皇の皇女で、草壁皇太子の妃)が、中継ぎの天皇として、

即位しました。和銅7年6月25日(714年8月9日)には、首皇子(おびとの・みこ/聖武天皇)元服

行われて、同日正式に立太子されるも、病弱であったこと、皇親勢力外戚である藤原氏

との対立もあり、即位先延ばしにされました。

翌/霊亀元年9月2日(715年10月3日)

伯母(/文武天皇の姉)第44代/元正天皇が、「中継ぎの・・・中継ぎ」 として、皇位を継ぐこと

になりました。元正天皇は、容姿端麗未婚の女性のまま即位し、まるで、“現代の・・・宝

塚・少女歌劇団”の様な時代、だったのでしょうか。

そして24歳の時に、この元正天皇より譲位されて、即位することになります。

聖武天皇

治世初期

皇親勢力代表する <長屋王> が、政権担当していました。この当時、藤原氏自家

出身 <光明子(/父は藤原不比等、母は県犬養三千代)の・・・立后> を願っていました。しかし、

皇后は、天皇亡き後中継ぎの天皇として即位する可能性があるために、皇族しか立后

れないのが当時の慣習でした。その事から、長屋王光明子立后反対していました。

ところが

神亀6年(729年)に、<長屋王の変> が起き、長屋王自害反対勢力がなくなったため、

<光明子は・・・非皇族として、初めて立后・・・> されました。長屋王の変は、長屋王

取り除き光明子皇后にするために、<藤原不比等の息子で・・・光明子の異母兄であ

る・・・藤原四兄弟> が、仕組んだもの、と言われています。

最終的に

聖武天皇後宮には他に4人の夫人が入りましたが、光明皇后を含めた5人全員藤原

不比等・県犬養三千代のいずれか、または両人の血縁の者でした。

天平9年(737年)

天然痘大流行が起こり、藤原4兄弟を始めとする政府高官のほとんどが、病死するとい

惨事に見舞われました。これは、横暴(たた)だとされました。ともかく急遽、長屋王

実弟である鈴鹿王知太政官事に任じて、辛うじて、政府体裁が整えられました。

さらに、天平12年(740年)には

<藤原広嗣の乱> が起こっています。乱の最中に、聖武天皇は突然、関東(/伊勢国、美濃

国)への行幸を始め、平城京に戻らないまま恭仁京(くにきょう)遷都しました。

その後

約5年間の間目まぐるしく行われた遷都経過は、続日本紀 で、多くが触れられてい

て、彷徨五年” と呼ばれています。詳しい動機付けは定かではない様ですがが、遷都

頻繁に行った期間中には、前述の <藤原広嗣の乱> を始め、先々で火災大地震

ど、多くの社会不安をもたらす要因遭遇しています。

天平年間災害疫病(/天然痘)多発したために、聖武天皇仏教深く帰依し、天平

13年(741年)には国分寺建立を、天平15年(743年)には東大寺盧舎那仏像造立

を出していいます。

これに加えて

度々遷都を行って、災いから脱却しようとしたものの、官民の反発も強く、最終的には

城京復帰しています。また、藤原氏重鎮相次いで亡くなったため、国政橘諸兄

たちばなのもろえ/・・・光明皇后の異父兄にあたる)が、執り仕切りました。

天平15年(743年)には

耕されない荒れ地が多いため、新たに、墾田永年私財法制定しました。しかし、これに

よって、律令制の根幹一部が、崩れることになりました。

天平16年閏1月13日(744年3月7日)

安積親王脚気のため急逝しました。これは藤原仲麻呂による毒殺と見るがあります。

天平勝宝元年7月2日(749年8月19日)

<聖武天皇は・・・娘/阿倍内親王(/孝謙天皇)に・・・譲位・・・> しています。

一説には

<自らを・・・三宝の奴> と称した天皇が、独断で出家してしまい、それを受けた朝廷が、

慌てて手続を執った、とも言われています。

天平勝宝4年4月9日(752年5月30日)

<東大寺/大仏の・・・開眼法要> を行っています。

天平勝宝6年(754年)には

<唐の高僧/鑑真が・・・来日> し、聖武上皇は、皇后天皇と共に会いました。同時

に、長く病気を患っていた、母/宮子死別しています。

天平勝宝8年(756年)

<天武天皇の2世王/道祖王を・・・皇太子にする遺言を残して・・・崩御・・・> しまし

た。宝算56戒名は、勝満



聖武天皇/上皇七七忌に際し

光明皇后東大寺盧舎那仏(大仏)聖武遺愛の品追善供養のため奉献しました。

その一部は正倉院伝存しています。

なお、明治40年(1907年)~明治41年(1908年)東大寺大仏殿改修の際に、須弥壇周辺

から出土した鎮壇具のうち、金銀装大刀2口が、奉献後まもない天平宝字3年(759年)12

正倉院から持ち出され、奉献品目録である東大寺献物帳(国家珍宝帳) 「除物」 とい

う付箋を付けられていた、「陽寶劔(ようのほうけん) と、「陰寶劔(いんのほうけん) であることが、

平成22年(2010年)エックス線調査で判明しました。

この2口の大刀は、聖武天皇遺愛品であり、正倉院一旦納めた後、光明皇后返還

された、と考えられています。

 

       


岡田健吉‏@zu5kokd1    
           
       未完の都/恭仁京(くにきょう)・・・流転の聖武天皇、波乱の人生    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 181 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 38 )

 
ええ、せっかくの機会ですから…

聖武天皇・以前の事も、ザッと触れておきましょうか。非常ダイナミックで、数々の出来事

が、あった時代ですね。

あ、二言三言…うーん…四言、で説明します」

「そうかあ…」マチコが言った。「東大寺大仏を作ったのも、聖武天皇だし…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
正倉院(しょうそういん)・・・東大寺大仏殿の、北北西に位置する・・・校倉造(あぜくらづくり)の大規模な正倉 (高床式倉庫)

                聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵。

1997年(平成9年)国宝 に指定され、翌1998年(平成10年)に、「古都奈良の文化財」 の一部として、ユネスコの世界

遺産(文化遺産)に登録されています。                                      (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 182 )

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 39 )


東大寺/正倉院数々の宝物も、聖武天皇ユカリの物が多いわけよねえ、」

「そうですね…」響子が、うなづいた。「まず…

何度も、くり返しますが…

<大海人皇子(おおあまの・みこ)・・・第40代/天武天皇> の…

<近江朝からの・・・都落ち> があり、<吉野出兵 → 壬申の乱(じんしんのらん)・・・>

あり…



 12月 17日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
           
         飛鳥宮跡/石敷井戸 ・・・(/飛鳥浄御原宮期の・・・復元遺構)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 183)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 40 )


<天武天皇の・・・飛鳥浄御原宮(あすかの・きよみはらの・みや/天武天皇と持統天皇の、2代が営んだ

宮。<藤原京>への遷都も、天武天皇の国造りの一環。<藤原京> は、日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風

都城ですが、16年間のみで、710年に <平城京> に遷都されています。)における、日本の国造り・・・>

が、始まるわけです。

でも、天武天皇崩御し、<鸕野讃良(うののさらら)・皇后が即位・・・第41代/持統天皇

と、なるわけです。

それは、天武天皇持統天皇の間の、<草壁皇子・・・皇太子> が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
 橿原市/藤原京・・・大和三山/香具山・畝傍山・耳成山が、すっぽりと藤原京の中に入っていた  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 184)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 41 )


成長するまでの、つなぎの即位でした。

でも…

皇太子/草壁皇子は、即位直前薨御(こうぎょ/親王・女院・摂政・関白・大臣の死去すること。)します。

草壁皇太子(/天皇の子・孫で、親王の宣下(せんげ)のない、また、姓をも賜わらなかった男子。/皇子?)が、

<第42代/文武天皇> で、その皇子が、<第45代/聖武天皇> になります。

その間の…

<第43代/元明天皇は・・・文武天皇の母であり・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
           
       第44代/元正天皇 ・・・唯一、母から娘に母系で皇位を継承しました   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 185)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 42 )


・・・草壁皇太子の妃> ですね。

<第44代/元正天皇は・・・文武天皇の姉/・・・独身で即位した初めての女性天皇

・・・母は元明天皇であり、母から娘への譲位で・・・父は、草壁皇太子・・・> です。

ええ…

ややこしいですが、全て近親間継承であり、かつ、近親間皇位継承をめぐる…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
           
                   <壬申の乱(じんしんのらん)>   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 186)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 43 )


壮絶死闘です。

は…

も、時々思うのですが…

大海人皇子/天武天皇は…

<壬申の乱の・・・後始末・・・> で、<近江朝側・・・大友皇子/第39代・弘文天皇

の自死・・・> を、何とか、救えなかったのか、という言です。

そもそも、<大海人皇子の・・・都落ち・・・> も…


 12月 18日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
       
                      <蒲生野>    琵琶湖の東岸・・・近江国蒲生郡に広がっていた野。

           668年に・・・天智天皇は蒲生野で薬猟を行っていて、男は薬用の動物を狩猟し、女は薬草を摘みました。 

        ★ あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る  (額田王)

         紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人嬬ゆゑに 吾恋ひめやも  (大海人皇子) (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 187)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 44 )


<吉野出兵による・・・クーデター?・・・> も、その根本皇位継承をめぐる、理屈抜

権力闘争ですわ。

<天智天皇の心変わり・・・血塗られた権力闘争・・・> は、<乙巳の変(いっしのへん)

以来のもので、仕方がないとして、<天武天皇> には、この流れ止めて欲しかったと思

います。

<近江朝側の、大友皇子/弘文天皇の・・・正妃/十市皇女(とおちの・ひめみこ/天武天皇の

第一皇女) は、大海人皇子/天武天皇と、<歌人/額田王> の間の皇女なのです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
                   <壬申の乱(じんしんのらん)>   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 188)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 45 )


当然…

娘/十市皇女額田王も、大友皇子助命嘆願をしただろうし…

長年、宮廷一緒に過ごして来た年長者も、には大勢いたはずです。

でも…

結局最後は、<大海人皇子/天武天皇の・・・決断・・・> になるわけですが…

そこで、何とか、<皇位継承をめぐる・・・近親間の殺戮(さつりく)の連鎖・・・> を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
           
                   <吉野の盟約>             (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 189)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 46 )


止められなかったのか、という言ですね、」

「そうですね…」支折も、うなづいた。「<吉野の盟約(/天武天皇8年・・・天武天皇は、皇后の鵜野讃良

/持統天皇と6人の皇子と共に吉野に行幸し、吉野宮の庭で、“私達には10人余りの皇子がいて、みな母親は異なるけれど、

天皇の勅に従って、お互いに助け合おう” と、誓い合いました。) を、する前に…

<壬申の乱の後始末/・・・琵琶湖湖畔での終止符として、大友皇子の自死の回避>

は、出来なかったのでしょうか。

これは、後に

<持統天皇> が、<姉/大田皇女と、天武天皇の間の皇子・・・大津皇子・・・> を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
                   <壬申の乱(じんしんのらん)>   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 190)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 47 )


罪を着せて処刑、する事に…つながって行くわけですね、」

「でもさあ…」マチコが、を見た。「それは後になって、歴史的に見るから、言える事じゃな

いかしら…

<壬申の乱は・・・大戦(おおいくさ)だったし、多くの兵が、壮絶な死闘をしているわけよ

ね。



 12月 19日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
<壬申の乱(じんしんのらん)> の際の、近江朝側の総大将/大友皇子・・・第39代/弘文天皇   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 191)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 48 )


大勝利しても…

敵将の首を取らなければ、“莫大な軍事的なエネルギー が・・・鎮まらなかった” のじゃな

いかしら。そうなれば、“自死/自決ではなく・・・剣で首を落とされる” という事態は、無か

ったかしら。

一方的に…

助命歎願(じょめい・たんがん/殺される予定の命を、助けてもらうように頼むこと)を、かなえては、“義憤(ぎふん

/道義にはずれたこと、不正なことに対して、憤慨すること。)に駆られて戦い・・・討死した兵が、浮かばれ

ない わよね、」

「うーん…」響子が、コブシを当てた。「そうですね…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
           
                   <壬申の乱(じんしんのらん)>   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 192)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 49 )


<大海人皇子の・・・強烈なカリスマ性(/人を惹きつける力) を持ってすれば、“兵を鎮める

ことは・・・可能だった” と、は見ています。だからこそ、<近親間の・・・殺戮(さつりく)の連

鎖> は、“ここで・・・断ち切って欲しかった” のですわ。

うーん…

でも…もし…

<壬申の乱の勝敗が・・・逆転> していた、としたら、<大海人皇子は・・・反乱/・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
                   <壬申の乱(じんしんのらん)>           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 193)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 50 )


・・・クーデター(/武力を行使するなど、非合法的な手段によって現行の政府を倒し、政治的権力を奪い取ること。)

引き起こした・・・張本人・・・> という烙印(らくいん/鉄製の印を焼いて、物に押しあてること。また、その

跡。刑罰として罪人の額などに行った。比喩的にも用いられる。)を捺(お)され、大海人皇子はもちろん、血縁

も、処刑されたでしょう。

元々…

<近江朝からの・・・都落ち> 時点で、<大海人皇子の首は・・・落とすつもり・・・>

だった、わけですから。従って、<近江朝廷側・・・大友皇子/弘文天皇> の、を取ら

れても、当然結果なのです。

あ、ただ…

妃/鸕野讃良(うのの・さらら)・皇女だけは、天智天皇の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
           
          妃/鸕野讃良(うのの・さらら)・・・/後に即位して、持統天皇   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 194)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 51 )


皇女ということもあり…

天智天皇が、実弟/大海人皇子に与えた4人の皇女のうちの1人で、都落ちに、付き従っ

だけという事で、助命はかなったかも知れませんね。誰かが、付き従う必要が、ありまし

たから。

でも…

色々あったあげくに…

歴史的事実として、<第45代/聖武天皇の・・・皇女/・・・孝謙(こうけん)天皇・・・重祚

(ちょうそ/一度退位した天子が再び位に就くこと。)して、称徳(しょうとく)天皇・・・> で、…



 12月 20日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
     
九州・大宰府から 「…道鏡を天皇にすべし…」 とする、宇佐八幡の神託が届く。喜ぶ女帝、反対の声をあげる臣下

     で、ついに、事の真偽を確かめるため、使者を九州/宇佐に派遣することになりました。    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 195)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 52 )


<天武天皇系の・・・血脈・・・> は、終息してしまうわけです。<称徳天皇> 出家

のままで重祚(ちょうそ)して即位していますが、<独身で、子供もいなく・・・天武系の血脈

が絶えた・・・> ことが、朝廷大混乱を引き起こしました。

コトもあろうに、皇位につけようとした、<道鏡事件(/宇佐八幡宮神託事件・・・769年に、九州

/大宰府管内/豊前国の、宇佐八幡神が <僧/道鏡を天皇にしたならば天下太平ならん> と、称徳天皇に神託を奏上し

た事件。) も、そうですね。

この、女帝/称徳天皇以降は…

江戸時代初期即位した、“第109代/明正天皇(/後水尾天皇の第2皇女。母は、太政大臣/征夷大

将軍/徳川秀忠の娘の、東福門院源和子。在位当時の3代将軍/徳川家光の姪にあたる。徳川将軍家を外戚とした唯一の

天皇です。) に至るまで、850余年女性天皇立てられることは無かった、という事です。

これは、現代に至るまで…

女性社会進出障害1つの遠因、という事はないでしょうか?もちろん、彼女はな

く、男性同様の事をやっているわけですが、ともかく、忌避する雰囲気が作られた、という

事でしょうか?」

「うーん…」マチコが、腕組みをし、を傾げた。

「ここでも…」響子が言った。「“もし”、という事で…

シミュレーションしてみますがすが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
           
                   <吉野の盟約>             (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 196)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 53 )


<持統天皇> が…

草壁皇太子ライバル/大津皇子に、を着せてを処刑したりせずに…

<吉野の盟約(/6皇子のうち、4人が天武天皇の皇子。2人が天智天皇の皇子です。そして、天武天皇と皇后/鵜

野野讃良の間の皇子は、草壁皇子だけです。6人は平等ではなく・・・草壁皇子が最初、大津皇子が次、最年長の高市皇子

が3番目に誓いを立て・・・この序列は、天武天皇の治世の間、維持されました。) の通りに…

力をも合わせていたら、歴史相当に違っていたはずですわ。彼女も、まさに、その場にい

たわけですから、」

「うーん…」マチコが言った。「そういう事よね…

でもさあ、天武天皇持統天皇に、ソレを言うなら…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
           
                   <乙巳の変(いっしのへん            (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 197)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 54 )


元々の原因を作った、<天智天皇> こそ、率先して近親者殺戮は、回避するべきだ

ったはずよね、」

「そうですね…」支折が、前髪を払った。「<乙巳の変(いっしのへん/中大兄皇子・中臣鎌足らが、蘇我

入鹿を宮中にて暗殺し、蘇我氏(蘇我宗家)を滅ぼした政変) の後…

皇位継承をめぐり、<障害となる・・・近親者の殺戮> を、始めたのは、そもそも、中大兄

皇子ですわ。

ええと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
           
                   有間皇子の墓 (/和歌山県海南市)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 198)

【 支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 55 )


<古人大兄皇子(ふるひとの・おおえのみこ/第34代/舒明天皇の第1皇子。母は蘇我馬子の娘/蘇我法提郎

(ほほての・いらつめ)で大臣/蘇我入鹿とは従兄弟に当たる。娘は倭姫王(天智天皇の皇后)。)と、<有馬皇

(ありまの・みこ/孝徳天皇の皇子、母は小足媛。) が、を着せられて、排除・処刑されたのでしょ

うか?」

「うーん…」響子が、ユックリと、うなづいた。「そうですね…

母/斉明天皇重祚(ちょうそ)する前に、放り出されて、失意のうちに崩御した天皇も居まし

たが。

<皇太子(/・・・大皇弟であり、皇太子とは少し異なる)/太政大臣(/・・・事実上、太政大臣の仕事をしていた)

の・・・大海人皇子(/額田王を、天智天皇に召し上げられて以来、2人の関係が微妙に崩れたとする説があります。

の場合は、天智天皇の明らかな失着(しっちゃく/囲碁で、まちがった手を打つこと。転じて、しくじり。不

覚。)ですね。

彼の場合は、近江朝人々は、<虎に・・・羽をつけて・・・放ったようなものだ と、

評していた、と言います」

「はい…」支折が、大きくうなづいた。「さあ、を進めましょうか、」

「ホホ…」響子が、うなづいた。「そうですね。もう年末になってしまいました、」



 12月 21日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
           
                   奈良/東大寺                     (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 199)

原文・・・23 /1 】・・・( 1 )


旧友に奈良にてわかる。


★ 鹿の角先一節のわかれかな


大坂(おおざか)にてある人のもとにて、


★ 杜若(かきつばた)語るも旅のひとつ哉(かな)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
           
                   奈良公園の鹿             (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 200)

現代語訳・・・23 /1 】・・・( 1 )


旧友に奈良で別れる。


★ 鹿の角 先一節(さきひとふし)の わかれかな


      鹿の角は・・・

               晩春から夏にかけて生え替り・・・

                   その節目ごとに・・・

                       新しい枝がわかれる・・・

                     そんなふうに・・・

                          貴方ともここでお別れだ・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1    
           
                   杜若 (かきつばた)           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 201)

現代語訳・・・23 /1 】・・・( 2 )


大坂にてある人のもとにて


★ 杜若 語るも旅の ひとつ哉


      杜若かきつばたを前に・・・

          伊勢物語(いせものがたり)の杜若の条(じょう/えだ、くだり)の話をしたり・・・

              貴方(あなた)といろいろと・・・

                  心を通わせるのです・・・

                 こういうことこそ・・・

                     旅の醍醐味(だいごみ)です・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
   
                                       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 202)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 1 ) 


「ええ…」支折が言った。「ここで、お別れだと言うから…

<杜国(とこく)/万菊丸> との、別れかと思ったのですが、そうではない様ですね。

<芭蕉と・・・杜国> は、ここ奈良で…

<伊賀蕉門の弟子達/・・・猿雖(えんすい/伊賀上野の富商。手広く商売。伊賀蕉門の最古参のひとり) 

卓袋(たくたい/貝増卓袋(かいます・たくたい)・・・伊賀上野の富商。絈糸商人) ・ 梅軒(ばいけん/墨売(すみうり)

・・・奈良は今でも書道用墨の名産地。) ・ 梨雪 ・ 示蜂 と、偶然に、出会っているわけです。



 12月 22日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
   
                                                 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 203)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 2 )】・・・( 2 )


その…

奈良で、偶然に出会った<伊賀蕉門の・・・弟子達> と、鹿の角の様に二股に分かれて

行くことだと…詠んでいるわけです。

つまり、この句は、<蕉門/門人達への・・・別離(べつり)の挨拶吟(あいさつ・ぎん) です。

鹿の角は、これからも次々と分岐(ぶんき)していくわけで…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
   
                        ハマグリ  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 204)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 3 )】・・・( 3 )


別れ幾つもあります。 そんな程度別れで、これから先もまた会えるのだと、言外

込めています。これと似ている、別れ句に、後の…


★ 蛤(はまぐり)の ふたみに別れて いく秋ぞ   奥の細道 の・・・結句 )


…がありますよね。芭蕉が、岐阜/大垣で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                      伊勢市の二見ヶ浦に、仲睦まじく寄り添うように立つ2つの岩   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 205)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 4 )・・・( 4 )


奥の細道大遠征終了して、次の二見ケ浦へ向かう時の、別離吟詠(ぎんえい)

す。芭蕉新たな旅へと、再び出発する際の様子が、よく分かるです。

ちなみに…

(はまぐり)は、(ふた)(み)に分かれますが、<ふたみ> は、これから行く <二見ケ

浦> を、かけているわけです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         
 
   
                                       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 206)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 5 )


まさに…

<俳聖/芭蕉の・・・記念碑的な句> ですよね。奥の細道結句に相応(ふさわ)しい、

余韻(よいん)を残しています。この句置き土産に、芭蕉は再び歩み始めます…」

「うーん…」マチコが言った。「それは、奥の細道よね…

笈の小文 では、芭蕉奈良/大和路から、大阪へ出ているわけか。この、大阪訪ね

た人物は、なのかしら?」



 12月 23日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
   
         歌川広重・・・「浪花名所図会」より、「道とんぼりの図」 (/国会図書館蔵)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 207)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 6 )】・・・( 6 )


「あ、ええと…」支折が、モニターを見た。「調べてみると…

4月13日~19日まで、大阪滞在している様ですね。<難波(なにわ/現在の大阪市およびその

周辺地域の古称)の一笑> を、訪ねています。

<一笑> とは、当時大坂に住んでいた、<伊賀蕉門/保川一笑> のことだ、とありま

す。<伊賀蕉門> 門人なら、旧知です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
           
                   杜若 (かきつばた)           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 208)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 7 )・・・( 7 )


気軽訪問できるわけですね。家の庭に、カキツバタが咲いていたわけですか。


★ 杜若(かきつばた) 語るも旅の ひとつ哉(かな)


そして、「カキツバタ」 といえば…


★ からころも 着つつなれにし 妻しあれば


岡田健吉‏@zu5kokd1    
   『伊勢物語』・・・第六段/芥川(あくたがわ) 背負われている女が草に宿る露を見て、「かれは何ぞ(あれは何ですか)」と男

   に尋ねる場面。  絵の筆者は・・・俵屋宗達、  詞書筆者は連歌師の・・・里村昌程と伝えられる。         (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 209)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 8 ) 】・・・( 8 )


        はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ    (/伊勢物語
                     

…と、なると言う事ですね。

うーん…

これは、つまり…

伊勢物語(いせ・ものがたり/平安時代に成立した日本の歌物語。全1巻。平安時代初期に実在した貴族である在原

業平(ありわらの・なりひら/第51代・平城天皇の孫。六歌仙、および三十六歌仙の一人。)を思わせる男を主人公とした、

和歌にまつわる短編歌物語集。) の…

<第9段・・・八橋(やつはし)の条・・・> で…

< 「かきつばた」 という五文字を・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
    
         『風流錦絵伊勢物語』・・・第九段/東下り  隅田川の景。 絵師は勝川春章。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 210)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 9 )】・・・( 9 )


・・・それぞれの句の頭に折り込んで歌を作れ>…と言われて、主人公が詠んだようで

すね。

伊勢物語 に、馴染みのない私達には、ピンと来ないので、1部抜粋して置きます。


 『伊勢物語』  第九段/東下り/八橋(やつはし)の条      

昔、男がいた。



 12月 24日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 『伊勢物語』 第六十九段 狩りに出る 「男 (在原業平: 朱色の狩衣)」 と見送る女 (斎王: 桃色の衣装)  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 211)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 10 )・・( 10 )


その男、自分を世の中には無用の人間であると思い込んで、

「京には住まないつもりだ。東国の方に住める国を探しにいく」

ということで出かけて行った。昔からの友人一人二人と連れ立って行った。道を知っ

ている人もいなくてあちこち・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
    
                         燕子花図(かきつばたず) 尾形光琳・筆 <国宝>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 212)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 11 )】・・・( 11 )


・・・迷いながら行ったのだった。

三河(みかわ/愛知県東半部)の八橋(やつはし)という所に着いた。そこを八橋というのは、水

が流れていく川が蜘蛛(くも)の手のように八方に分かれていて、橋を八つ渡してあるこ

とから八橋といったのである。

その沢のほとりの木蔭(こかげ)に馬から降りて座って・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                     【干飯・乾飯・糒 (ほしいい)

米を蒸して乾燥させた食料。貯蔵用の乾燥飯。湯水に浸せばすぐ食用となり、兵糧や旅行に用いた。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 213)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 12 )・・・( 12 )


・・・乾飯(ほしいい/・・・米を蒸して干したもので、昔は旅行などに携行して食用とした。)を食べた。

その沢に、かきつばたがとてもきれいに咲いていた。それを見てある人が、

「かきつばたという五文字を各句の頭に置いて、旅の心情を詠みなさい」

と言ったので、男は詠んだ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
    
                                                                                                                     (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 214)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 13 )】・・・( 13 )


らころも つつなれにし

         しあれば

               るばる来ぬる をしぞ思ふ


      着て馴れ親しんだような妻が…

            都に居るものだから…

                 はるばるとこんなに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                         
 『風流錦絵伊勢物語』        第八十二段/渚の院

            散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき  ・・・の歌に合わせた景。

           散ればこそ素晴らしい桜を流転する憂き世と対比して男は詠う。 絵師/勝川春章。 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 215)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 14 )( 14 )】・・・( 14 )


               遠くまで来てしまった旅を・・・

                         悲しく思うのです・・・


すると、皆の乾飯
(ほしいい)の上にポロポロと涙が落ちて、乾飯はふやけてしまったの

だった。

(さら)に行き進んで駿河の国(するがのくに/静岡県中部)に着いた。宇津の山に着いて・・・



 12月 25日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
    
                                              『伊勢物語』  第九段/東下り        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 216)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 15 )】・・・( 15 )


…自分の分け入ろうとする道はひどく暗くまた細い上に、蔦(つた)や楓(かえで)が生い

茂り、なんとも心細く、またとんでもない目に遭うことだろうと思っていると、偶然に修

行者とばったり出くわした。

「こんな道にどうして居られるのですか」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
    
                                             『伊勢物語』  第九段/東下り            (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 217)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 16 )】・・・( 16 )


と言うのを見ると、それは京で知っている人であった。京にいるあの方の所に届けて

もらうということで、手紙を書いてことづけた。


★ 駿河(するが)なる 宇津(うつ)の山辺(やまべ)の うつつにも

           夢にも人に 逢(あ)はぬなりけり

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
    
                                                 『伊勢物語』  第九段/東下り        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 218)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 17 )・・・( 17 )


      駿河の国にある・・・

          宇津の山辺の来てみると・・・

              現実でも夢でも・・・

                  あなたに逢えないのでした・・・


富士の山を見ると、五月も末だというのに、雪がとても白く降り積もっている。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
    
                                                『伊勢物語』 第九段/東下り・・・ 富士山     (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 219)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 18 )・・・( 18 )


 ★ 時しらぬ 山は富士の嶺(ね) いつとてか

           鹿(か)の子まだらに 雪の降るらむ


       時節というものを・・・

              知らない山は・・・

                  この富士の嶺なのだ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
    
   業平(なりひら)東下り図 (伊勢物語富士山図)  伝/俵屋宗達・筆  /五島美術館   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 220)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 19 )】・・・( 19 )


             一体今がいつだと思って・・・

                     鹿の子にまだら模様に・・・

                         雪が降るのだろうか・・・


その富士の山は、この京に例えれば比叡山を二十個ほど積み重ね上げた程で、恰

好は塩尻(しおじり/・・・塩田で塩を取るために、砂を摺(す)り鉢を伏せたような形に、積み上げたもの。これに海水をか

けて塩分を固着させる。)のようであった。



 12月 26日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
    
         『風流錦絵伊勢物語』・・・第九段/東下り  隅田川の景。 絵師は勝川春章。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 221)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 20 )・・・( 20 )


(さら)にどんどん行くと、武蔵の国(むさしのくに/東京都、神奈川県/川崎市・横浜市の一部、埼玉県の大

部分を含む地域。武州(ぶしゅう)ともいう。)と下総の国(しもうさのくに/千葉県北部、茨城県南西部、埼玉県東端部に

わたる旧国名。)との間に、かなり大きな川がある。それを隅田川という。

その川のほとりに群れをなして、京(みやこ)に思いをはせれば、限りなく遠くに来てしま

ったのだなあと悲しみを分かちあっていると、渡し守が、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
    
                          『伊勢物語』・・・第九段/東下り  隅田川    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 222)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 21 )・・・( 21 )


「早く舟に乗れ。日も暮れてしまう」

と言うので、乗って渡ろうとするのだが、皆わびしくて辛い思いである。というのも、京

に恋慕う人が居ないわけではなかったからである。

丁度そんな時に、白い鳥でクチバシと脚とが赤く・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
『三十六歌仙額』/・・・狩野探幽(かのう・たんゆう)に描かれた、在原業平(ありわらの・なりひら)  (ネットより画像借用)

                           
★ ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
                            
『小倉百人一首・・・17番/在原業平朝臣』        <ジャンプ!> 

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 223)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 22 )・・( 22 )


…鴫(しぎ)ぐらいの大きさの鳥が、水の上で遊びながら魚を捕らえて食べている。

京では見たこともない鳥なので、誰も知っていなかった。渡し守に聞くと、

「これが、ほら、都鳥(みやこどり)なんですよ」

と言うのを聞いて、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
    
                         都鳥 (みやこどり → ユリカモメ )    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 224)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 23 )・・・( 23 )


★ 名にし負はば いざ言問(ことと)はむ 都鳥(みやこどり)

                わが思ふ人は ありやなしやと

      都という名を・・・

             持っているならば・・・

                 さあ聞いてみようよ、あの都鳥に・・・

                     私の愛する人が・・・

                         まだ生きているのか、いないのかと・・・



 12月 27日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
    
                          『伊勢物語』・・・第九段/東下り  隅田川    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 225)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 24 )・・・( 24 )


と詠んだものだから、舟の一行は皆いっせいに泣いたのであった。

 第九段/東下り・・・終わり・・・第十段へ    


ええ…

これが、伊勢物語・・・第九段/東下り です。次は<第十段/みよし野> になりま

すね、」

「はい…」響子が、支折にうなづいた。「ともかく…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
    
                         燕子花図(かきつばたず) 尾形光琳・筆 <国宝>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 226)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 25 )】・・・( 25 )


<難波の・・・ 一笑の屋敷> には…

伊勢物語・・・第九段/・・・三河の八橋・・・ を思わせる様な、見事カキツバタが咲

いていた様です。ホホ、この一言説明するのに、ずいぶん長い引用になりましたね。

さぞ…

一笑屋敷には、<国宝・・・燕子花図(かきつばたず)・・・尾形光琳・筆> の様な、清楚(せ

いそ/清らかで、さっぱりしていること)カキツバタが咲いていたのでしょう。吉野山堪能して、

もうそんな季節に移っていたわけですか。

この、<芭蕉の・・・ 杜若(かきつばた)の句> に関しては、私も、ちょっと調べて置きました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
                   杜若 (かきつばた)           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 227)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 26 )・・( 26 )


蕉翁句集(/服部土芳・(はっとり・とほう)編。 土芳は・・・服部半座衛門保英。伊賀藩藤堂家の武士。 『野ざらし紀行

の旅の折、水口で芭蕉と再会を果たし、入門。) に…

<此句は万菊を供して難波の一笑が本(もと)に旅ね(旅寝)の時也(ときなり)。一笑はいが

(伊賀)にて紙や(屋)弥右衛門と云る旧友也。>

…とありました」

「はい…」支折が、コクリとうなづいた。「有難うございます…

ええ 笈の小文<大和路> は、ここで終了します。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              『源氏物語・・・須磨』/・・・光源氏と月      (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 228)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 27 )・・( 27 )


次は…

<須磨・明石夜泊> になるわけですが…

に、申し上げた様に、<大和路> 抜け落ち先にちらを考察してしまったわけです

ね。

申し訳ありませんでした。

ナンバーを修正し・・・大和路の後に移動・・・

して、置きます。次回は、その作業になります」

                      


 12月 28日
 


 (12月 5日)


 (12月 6日)

 に、先に考察してし

 まったものを、正し

 い位置に移動しま

 した。
 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
   兵庫県/神戸市西部に位置する須磨区・・・その東側が明石市・・・現在は海水浴客で賑わう・・・ (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 229 )

【 原文・・・24/ 1 】・・・( 1 )


<須磨(すま/神戸市西部の須磨区・明石(あかし/明石海峡に面する都市)夜泊(よはく)


 須磨 


★ 月はあれど留守(るす)のやう也(なり)須磨の夏


★ 月見ても物たらはずや須磨の夏

 

卯月(うづき)中比(なかごろ)の空も朧(おぼろ)に残りて、はかなきみじか夜の月もいとゞ艶(え

ん)なるに、山はわか葉にくろみかゝりて、ほとゝぎす鳴出づべきしのゝめも、・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1       
 芥子(けし)の花。ケシの果実に傷をつけて、アルカロイド樹脂を採取し乾燥/・・・アヘン(麻薬の一種) (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 230 )

【 原文・・・24/ 1 】・・・( 2 )


・・・海のかたよりしらみそめたるに、上野とおぼしき所は、麦の穂浪(ほなみ)あからみあ

ひて、漁人(ぎょじん)の軒ちかき芥子(けし)の花のたえゞに見渡さる。


★ 海士(あま/・・・海人(あま)のうち、男性を指す。)の顔先見らるゝやけしの花


岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              『源氏物語・・・須磨』/・・・光源氏と月      (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 231 )

【 現代語訳・・・24/ 1 】・・・( 1 )


須磨


★ 月はあれど 留守のやう也 須磨の夏


      美しい月が・・・

              出ているものの・・・

                   主人の留守に訪ねた様な・・・

                         むなしさの漂う、須磨の夏だなあ・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              『源氏物語・・・須磨』/・・・光源氏       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 232 )

【 現代語訳・・・24/ 1 】・・・( 2 )


★ 月見ても 物たらはずや 須磨の夏


      月を見ていても・・・

             何か物足りない感じだ・・・

                 夏の須磨は・・・

                     須磨は秋が一番だ・・・

 

卯月中ごろの空だが、朧(おぼろ)な春の夜の風情を残している。・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1  
須磨寺 ・・・真言宗・須磨寺派・大本山 ・・・平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭がある  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 233 )

【 現代語訳・・・24/ 1 】・・・( 3 )


・・・はかない短か夜の夜の月もいっそう艶(つや)やかに、山のわか葉は早朝の景色の

中に黒っぽく見え、ほととぎすが鳴き始めそうな東の空も山ではなく海の方角からは

やくも白みかかってくる。須磨寺一帯の上野と思われる所は、麦の穂波が赤らんで・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1     
 芥子(けし)の花。ケシの果実に傷をつけて、アルカロイド樹脂を採取し乾燥/・・・アヘン(麻薬の一種) (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 234 )

【 現代語訳・・・24/ 1 】・・・( 4 )


・・・漁師の家の近くには芥子(けし)の花が途切れ途切れに見える。


★ 海士(あま)の顔 先見らるゝや けしの花

      起きたばかりの・・・

             漁師の顔が・・・

                 途切れ途切れの・・・

                     芥子の花の合間に見える・・・

                         朝の景色だなあ・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1           

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 235 )

【 支折の言葉・・・☆☆/☆  】・・・( ☆ )


「ええ、支折です…」支折が、両手を組んだ。「申し訳ありません・・・

ウッカリ手違いで、<大和路/唐招提寺> 箇所が、抜け落ちていました。

こんなミス初めてです。挿入し、前後修正して置きます。

アップロード後HP(HomePage)修正し、分類番号を正します。ミス記録残します。



 12月 29日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              須磨で大嵐にあう光源氏               (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 236 )

【 支折の言葉・・・24/1 】・・・( 1 ) 


「ええと…」支折が言った。「<須磨> は、<歌枕(/和歌に多く詠み込まれる名所・旧跡。)の地

ですね…

は…

恥ずかしながら、源氏物語全編を通して読んだことはなく、何度食い齧(かじ)った仲

1人です。

そんなが、説明するのも何ですが…

<須磨> は、主人公/光源氏が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                               <承久の乱(じょうきゅうの・らん)>               (ネットより画像借用)  

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 237 )

【 支折の言葉・・・24/1 】・・・( 2 )


政敵/右大臣との密会バレ失脚し、流された所です。

<須磨は・・・古来・・・寂しい場所の代名詞の様な所・・・> ですが、難波からも近く、

からそれほど遠い所ではありませんよね。

後の<後鳥羽上皇> が、院宣(いんぜん/上皇からの命令を受けた院司が、奉書形式で発給する文書。 天

皇の発する宣旨に相当する。)によって鎌倉幕府反旗を翻(ひるがえ)し、<承久の乱(じょうきゅうの・ら

ん)を引き起こしたほどの…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
                    隠岐島の後鳥羽上皇          (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 238 )

【 支折の言葉・・・24/1 】・・・( 3 )


大罪でもありません。

<後鳥羽上皇/後鳥羽院は・・・島根県/隠岐島に・・・島流し・・・> に、されたわけで

す。生涯許されず一緒に、新古今和歌集編纂した、<藤原定家> との、歌の交流

もなく、その地で崩御しています。

<芭蕉> は…

夏の須磨は、主人留守に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                           小倉百人一首・・・16/中納言行平』  <ジャンプ> (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 239 )

【 支折の言葉・・・24/1 】・・・( 4 )


訪問したようだと詠んでいます。でも、特に、<須磨の・・・秋の寂しさは別格・・・>

とか。多くの歌に、詠まれているのでしょうか。ともかく、<歌枕の地> であり、そんな名所

でもあるわけですね。

あ、それから…

伊勢物語(/在原業平を思わせる男を主人公としている) で、<在原業平(ありわらの・なりひら)紹介

しましたが、その <兄/在原行平(ありわらの・ゆきひら/・・・小倉百人一首・・・16/中納言行平

が、理由明確ではない様ですが、この <須磨に・・・ 一時、蟄居(ちっきょ/家の中にとじこもっ

て外へ出ないこと。江戸時代に、武士に科した刑罰の1つ。)



 12月 30日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
  兵庫県/神戸市西部に位置する須磨区・・・その東側が明石市・・・現在は海水浴客で賑わう・・・ (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 240 )

【 支折の言葉・・・24/1 】・・・( 5 )


…している様です。そんな場所だったわけですね」

「うーん…」マチコが言った。「今は…

須磨海岸は、海水浴場賑わっているわよねえ。寂しさの名所で、蟄居の地だったの

かあ、」

芭蕉は…」響子が言った。「<須磨> では…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      芥子(けし)の花。ケシの果実に傷をつけて、アルカロイド樹脂を採取し乾燥/・・・アヘン(麻薬の一種) (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 241 )

【 支折の言葉・・・24/1 】・・・( 6 )


ずいぶんと、繊細風景描写をしていますね。意外な感じがしました。それにしても、さす

がは芭蕉です。印象派を、彷彿(ほうふつ)とさせる描写ですわ。

それに…

芥子(けし)の花の間に、早朝の漁師が見え隠れするのは、動的な描写ですよね。これも

な感じがしました、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が、深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 242 )

【 支折の言葉・・・24/1 】・・・( 7 )


「そうですね…」支折が、を当て、ユックリとうなづいた。「この句は…

<江戸時代初期/元禄の頃> に、詠まれたというより、何故か、現代的な感じがします

わ。背景描写もそうですが、芭蕉新たな側面を見たような気がします。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
 芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 243 )

【 支折の言葉・・・24/1 】・・・( 8 )


でも…

この、翌々年/1689年/元禄2年

芭蕉は、奥の細道 へ、当時、誰も経験していない・・・奥州/陸奥への、ヒッチハ

イクでの大遠征 に、出発して行くわけですよね。

笈の小文帰路/更科紀行 に…

名句多いというのも、芭蕉俳人としての飛躍/超脱(ちょうだつ/普通の範囲、程度を越えること)

が、この <須磨> であったのでしょうか?芭蕉の、<禅的境涯/・・・風雅風狂の、新た

な側面> なのでしょうか?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                             渓斎英泉/『木曽街道六十九次・馬籠(まごめ) 』   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 244 )

【 支折の言葉・・・24/1 】・・・( 9 )


ええと…

ともかく、この <須磨> で、笈の小文終了です。

江戸への帰路は…

くり返しますが、<中山道/木曽街道(/京と江戸を、美濃国および信濃国を経て結んでいた、山道の俗称)

を行き、姨捨(おばすて/・・・更科)で、<田毎の月(たごとのつき/長野県・更級郡・冠着山(かむりきやま

/姨捨山)のふもとの、小さな水田の一つ一つに映る月。名月として知られます。) を見て、<善光寺(ぜんこうじ

/善光寺平・・・長野市にある、無宗派の単立仏教寺院。本尊は、日本最古と伝わる <一光三尊阿弥陀如来> で、絶対秘

仏) 参拝する、 更科紀行 になるわけですね。

更科紀行 は、私達はすでに、考察終了しています。そちらへどうぞ

                      <  更科紀行 へジャンプ    

「はい…」響子がうなづき、インターネット正面カメラの方を向き…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 245 )

【 支折の言葉・・・24/1 】・・・( 10 )


…一礼した。「ええ、次は…

中断している、《ブラックホールの・・・情報問題》 に戻りますが、ちょうど、<年末年始>

になりますね。

ええと…

《MyWeekly Journal》 の方で、<時代的なコメント/・・・重要帰路の考察> があると

いう事で、そちらを優先します。私達も、《MyWeekly Journal》 へ移動することにします。

1日お休みして、新年からになります。どうぞ、よいお年を

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