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   笈の小文・・・芭蕉/1  
  
 
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 トップページHot SpotMenu最新のアップロード                          執筆: 星野 支折

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 草臥(くたびれ)て宿かる比や藤の花  はせ越(芭蕉)

 2020年9月  

            上から・・・下 へ          
 1月  14日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《笈の小文(おいのこぶみ)/・・・ 芭蕉》・・・(1)       

<プロローグ>・・・(1)


「お久しぶりです!

《文芸》 担当 星野支折です。

今回は、芭蕉 (おい/修験者などが、仏具・衣服・食器などを収めて背に負う箱)の小文 考察します。

更科紀行野ざらし紀行 に続く、芭蕉第3番目紀行文になります。

実は…

最初に、奥の細道 考察していて…

次に 更科紀行 を、そして 野ざらし紀行 を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(2)

<プロローグ>・・・(2)


考察して来て来ました。今回/3番目が、笈の小文 となるわけですが、芭蕉がたどっ

人生とは、およそ逆巡り考察という事になります。

芭蕉が、生きた時代を追うと…

野ざらし紀行/…貞享( じょうきょう )2~4年(1685~1687年)芭蕉42歳44歳』 

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(3)

<プロローグ>・・・(3)


(おい)の小文/…貞享4年~5年(1687~1688年)…芭蕉44歳〜45歳』 

更科(さらしな)紀行/貞享5年(1688年) 芭蕉45歳 (/『笈の小文』の旅の帰路、中仙道を通って更科

姨捨山(うばすてやま)の月を見て、長野/善光寺詣でをしてから、江戸/深川/芭蕉庵に戻った時の紀行文) 

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                         
芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(4)

<プロローグ>・・・(4)


そして…

『奥の細道…元禄2年(1689年)春に、全行程約600里(2400km)、日数約150日間で、

東北・北陸を巡って、元禄4年(1691年)に、江戸に帰った。』…になるわけですね。

私/支折メ(メ・・・は接尾語。卑しめたりする時に用いる。)の…

“若気の至り(/…年が若くて、血気にはやったために、無分別な行いをしてしまうこと) で、<俳聖/芭蕉>

ならば、まず…



 1月  15日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                         
芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(5)

<プロローグ>・・・(5)


★ 古池や 蛙飛びこむ 水の音


…の名句、という事で飛びつき、そして芭蕉といえば、奥の細道 だと、ダイレクトに飛び

込んで来ました。

でも、芭蕉を知るうちに、<俳聖/・・・芭蕉歩み・・・> とは、逆を辿(たど)っている事に、

気がつきました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(6)

<プロローグ>・・・(6)


でも、他に、賢明な道はあったかというと…

俳句文学がいるわけでもなく、<全身で・・・芭蕉の世界に飛び込んで行く!>

 、この方法しか、無かったろうと思います。そうした意味では、後悔はありませんが、まさ

に、逆回りです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(7)

<プロローグ>・・・(7)


今後

機会があるのなら、もう一度奥の細道 考察したいとも、考えています。でも、他にも、

文学・文芸事跡は、山ほどある、という事ですよね、」


「ええと…」支折が、あらためてインターネット正面カメラを見上げた。「先日高杉・塾長

お会いした時に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
     
           笈 (おい/修行する時に、仏像をはじめとして、お香やお供物、経文、お札など、修行に必要
                   なものを納め背負う箱。修験にはかかせない法具)
            (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(8)

<プロローグ>・・・(8)


笈の小文 考察を、手伝ってもらえないかと尋ねました。すると、快く快諾してください

ました。

芭蕉の場合は…

その <禅的な・・・境地(/ある段階に達した心の状態)・境涯(きょうがい/この世に生きていく上でおかれて

いる立場) などは、私/支折メには及ばないものがあります。高杉・塾長が居てくだされ

ば、より深く、考察できると思います。

ええ、よろしく、お願いします!」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                              
           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(9)

<プロローグ>・・・(9)


「まあ…」高杉が言った。「<俳聖/芭蕉> となると、になれるかどうかは、分かりませ

んねえ。

しかし、まあ、支折さんリードで、その都度(つど)考察してみたいと思います」

「よろしく、お願いします…」支折が言った。「ちなみに…

私も、《危機管理センター/企画/短歌・・・》/担当の、里中響子さんから…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
                         
                  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(10)

<プロローグ>・・・(10)


<禅の・・・手ほどき> を受けています。

そして、響子さんは、高杉・塾長師事し、<禅> 学んでいるわけですから、は、

高杉・塾長の・・・孫弟子に当たる!> 自負しています。

でも…

高杉・塾長は…

ボス(/岡田)から、薫陶(くんとう/・・・(香をたいて薫りを染み込ませ、土をこねて形を整えながら、陶器を作り上げ

る意)から・・・徳の力/人徳・品位などで、人を感化し、教育すること。) 受けているというのですが…

そのボスには…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
                               (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(11)

<プロローグ>・・・(11)


<禅> ばかりでなく…

およそ、全てに、<師と呼べる存在> が居ません。<禅についても・・・正法眼蔵(しょ

うぼうげんぞう/道元禅師の主著)・・・を独学> した、言っています。

うーん…

あ、ともかく…

ええ、今回は、その高杉・塾長とともに、考察して行きます。

高杉・塾長! あらためて、よろしくお願いします!」

「うーむ…」高杉が、を和ませた。「はっはっはっ…

いまひとつ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                              国立感染研究所                      (/ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(12)

<プロローグ>・・・(12)


信用がない様ですねえ。まあ、せいぜい、ボス(おとし)ないように、頑張りまし

ょう」

「はい!」支折が、うなづいた。「あ、ええと…

響子さんも、すでにコメントを入れていますが…

<COVID‐19・パンデミック・・・コロナ禍 真っ只中ですので、

《 MyWeekly Journal ・・・激動2020/輻輳する危機の到来・・・秋/ 》 並行

て、進めて行きます」


 1月  16日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
                (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(13)

<プロローグ>・・・(13)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「ええ…」支折が、モニターを移した。「まず…

笈の小文とは…

ブリタニカ国際大百科事典/小項目事典 解説参考に…

砕いて説明ると、だいたい次の様なものです。

笈の小文 とは、<江戸時代中期の俳諧紀行で・・・松尾芭蕉・著>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
                         
                       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(14)

<プロローグ>・・・(14)


<半紙本1冊・・・宝永6 年(1709年) に年刊>…されています。

別名で…

庚午 (こうご)紀行 大和紀行 卯辰(うたつ)紀行 とも、言われます。

内容としては…

芭蕉は、貞享(じょうきょう)4 年(1687年)10月に、江戸出発して…

鳴海勢田を巡り、保美村の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
               
愛知県田原市福江町/潮音寺の境内/・・・坪井杜国の墓    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(15)

<プロローグ>・・・(15)


門人/杜国 (とこく/坪井 杜国(つぼい・とこく)・・・生年不詳 ~ 元禄3年3月20日(1690年4月28日))は、尾

張国の俳人。庄兵衛・万菊丸・岩菊丸とも称しました。屋号は壺屋。俳号として野人。尾張国名古屋城下、御園町(現名古

屋市中区)において米屋を営む家に生まれました。坪井家は当町において町代を務める名家でした。しかし、後に、空米売

買の罪で追放されています。享年30余歳。)

…をたずねています。

そして…

野ざらし紀行 同様に…

<芭蕉の郷里・・・伊賀> 越年しています。

目的は、伊賀上野“亡父三十三回忌法要に参列” するための、帰郷の旅と言わ

れます。

これは、 野ざらし紀行 目的1つが、“郷里に眠る母の墓参” のため、という目的

似ていますね。

これは社交辞令(/世間づきあいを円滑にするために用いる、決まり文句の)のようなもので、要するに、

をしたかったわけですよね。人に聞かれたらその様に、言うのでしょうか。

それから…

伊勢神宮詣で門人/杜国同道して、吉野(/桜)を見ています。さらに、高野山

和歌浦奈良大坂須磨明石を…翌年4月まで…をしています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
                         
                       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(16)

<プロローグ>・・・(16)


笈の小文 は、この旅紀行文・紀行文学(/旅行における見聞、感想を記した文章のうち、文学性のあ

るもの。)という事になります。

この紀行文で…

芭蕉は、<自己の・・・半生を回顧> し、<風雅観を述べた・・・ 一文> <紀行観を

述べた・・・ 一文> などもあり、<芭蕉俳諧・・・を考える上で、重要な作品> となって

いる、と言います。

それから…

一面で、との統一欠く面もあり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
                                  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(17)

<プロローグ>・・・(17)


未定稿とのもあるという事です。

それから…

他の解説では…

芭蕉第3番目紀行で、旅中54句(/他に杜国の4句)載せる…とあります。

芭蕉紀行作品のなかで、本作が特に注目されるのは、冒頭中間2ヵ所挿入されて

いる文章による、と言われます。


 1月  17日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
西行(さいぎょう/平安後期の歌人・・・西行法師 (菊池容斎画/江戸時代)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(18)

<プロローグ>・・・(18)


冒頭風雅論では…

<西行(さいぎょう/平安時代後期の歌人)の和歌における・・・宗祇(そうぎ/室町時代の連歌師)の連歌

における・・・雪舟(せっしゅう/室町時代後期の画僧)の絵における・・・利休(りきゅう/安土桃山時代の

茶人。堺の人。)が茶における・・・其の貫道(かんどう/道を貫くこと)するものは一なり >

…とある様ですね。

ええ…

芭蕉の、他の紀行文でもそうでしたが、としては、この 笈の小文 も、今回初めて接

するものです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
宗祇/室町時代の連歌師      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(19)

<プロローグ>・・・(19)


塾長は、どうなのでしょうか?」

「むろん…」高杉が言った。「も…

日頃日経サイエンス などを愛読していますから、縁遠いものです。

しかし、そうではあっても、関心があるから、一緒考察する事を、引き受けたわけですが

ね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
雪舟自画像 (模本) 藤田美術館    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(20)

<プロローグ>・・・(20)


「はい…」支折が、うなづいた。「ありがとうございます…

では、笈の小文本文入って行きましょうか、」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
千利休像 (長谷川等伯画、春屋宗園賛 )  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(21)

【 原文・・・ 1/1 】・・・(1)


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

<・・・ 序章 ・・・>


百骸九竅
(ひゃくがい・きゅうきょう/「百骸」は多数の骨、「九竅」は両眼・両耳・両鼻孔・口・前陰・後陰の九つの穴。人

体を構成しているもの。転じて、人体。)の中に物有。かりに名付て風羅坊(ふうらぼう/風羅は、風にひるが

える衣の意味で・・・芭蕉の別号に、桃青、風羅坊がある。)といふ。

誠にうすものゝかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句(きょうく/俳諧を卑下

したもの)を好むこと久し。終(つい)に生涯のはかりごとゝなす。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(22)

【 原文・・・ 1/2 】・・・(2)


ある時は倦(けん/疲れてしまって、あきたり、なまけたりする。)で放擲(ほうてき/すべきことをしないで、放って置

くこと。)せん事をおもひ、ある時はすゝむで人にかたむ事をほこり、是非胸中にたゝか

ふて、是(これ)が為に身安からず。

しばらく身を立む事をねがへども、これが為にさへられ、暫(しばら)ク学(まなん)で愚を暁

(さとら)ン事をおもへども・・・



 1月  18日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
                (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(23)

【 原文・・・ 1/3 】


・・・是が為に破られ、つゐに無能無芸にして唯此ただこれ一筋に繋つながる。

西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、

(その)貫道かんどう/道を貫くことする物は一なり。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
                                 (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(24)

【現代語訳・・・ 1/1 】


私の体全体の中に…

一つの抑えがたいものがある。仮にこれを、“風羅坊(ふうらぼう/風にゆれる衣の・・・坊主・・・) と名

づける。

実際、薄い衣が風に吹かれ、すぐに破れてしまう事を言っているのであろうか。かの男は、

俳諧を好んで久しい。終いには、生涯取り組むこととなった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
                                 (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(25)

【現代語訳・・・ 1/2 】


ある時は、飽きて投げ出そうと思い、ある時は進んで人に勝って誇ろうとし、どちらとも気

持ちを決めかねて、このため心が休まることがない。

一度は、立身出世を願ったこともあったが、この俳諧というもののために遮られ、または、

学問をして自分の愚かさを…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
          
黒樂茶碗・・・ 銘/万代屋黒(もずやぐろ)  /初代 長次郎・・・桃山時代(十六世紀) 樂美術館蔵
利休が所持し、娘の手を経て娘婿、万代屋宗安所持となった<万代屋黒>。万代屋家に伝わった茶碗だから、いつしか人々
は <万代屋の黒茶碗> と呼ぶようになった。                                  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(26)

【現代語訳・・・ 1/3 】


…悟ろうともしたが、俳諧のために破られ、ついに無能無芸のまま、ただこの一筋をつらぬ

くこととなった。

西行の和歌における・・・宗祇の連歌における・・・雪舟の絵における・・・利休が茶におけ

る ・・・その道をつらぬく物は一つである。


☆☆☆☆☆


 1月  19日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(27)

【支折の言葉・・・ 1/1】


「ええ、高杉・塾長…」支折が言った。「<・・・序章・・・> は、ここまでですが…」

「うーむ…」高杉が、ほくそ笑んだ。「<俳聖/芭蕉> は、こういう物言いをするのですか。

芭蕉<風羅坊(ふうらぼう)という別号も、<風羅・・・風にひるがえる衣・・・の坊・・・

というのも…

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
                                 (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(28)

【支折の言葉・・・ 1/2】


芭蕉気風というものを感じさせて、面白いですねえ。というのは、坊主/僧の事だ

と思うのですが、僧衣を着てをしていたからですか?」

「そうです…」支折が、うなづいた。「芭蕉は…

(いにしえ)の歌人/西行法師宗祇(そうぎ)憧れていたわけですが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
 
浮世絵にみる、神戸ゆかりの・・・源平合戦/義経登場・・・/ 義経・一の谷奇襲攻撃の勝利   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(29)

【支折の言葉・・・ 1/3】


2人とも僧侶であり、僧形諸国彷徨(さまよ)いました。

<西行は・・・平安時代末期から鎌倉時代にかけての歌人> で、当時<源平の合

(げんぺいの・かっせん)があり、その合戦大活躍した義経が、実兄/源頼朝に追われ、

奥州/平泉逃亡した時期に、2度目訪問をしています。

1度目は…

確か、若い頃でしたが、2度目西行晩年のことだった様ですね。歌を友とし・・・各

地の歌枕を訪ね・・・悠々の1人旅・・・> だったわけですね。

宗祇芭蕉も、憧れるわけですよね。いえ、文化的/文学史的に、日本中人々ソレ

憧れ、唯一、ソレ実行できたのが、宗祇芭蕉だったとも言えますよね。

<芭蕉の 奥の細道 は・・・江戸時代初期/江戸・元禄文化の頃の・・・紀行文>

ですが、<江戸時代・中期の・・・与謝蕪村> も、<江戸時代・後期の・・・小林一茶

も、そうした <芭蕉の生き方に・・・焦燥的な憧れ> を持ちつつも、ついに芭蕉には

なれなかった、俳人の姿です。

あ、西行を戻します…

以前にも述べていまが、まさに西行の生きた時代は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                       
源頼朝/鎌倉幕府の初代征夷大将軍    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(30)

【支折の言葉・・・ 1/4】


戦乱時代だったわけです。そうした時代に、諸国放浪できたのは、1つには、僧侶

/僧形だったからだと言われています」

「ふーむ…」高杉が、うなづいた。

その時代に…」支折が言った。「諸国彷徨(ほうこう/目的もなく歩き回ること)していて…

怪しまれなく、卑しめられなかったのは…

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
                         
古の年貢米の運搬             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(31)

【支折の言葉・・・ 1/5】


唯一僧侶だけだった、と思われますわ。

もちろん…

当時でも、<都へ物資を運ぶ・・・物流> というものはありましたが、それには武装した

警護必要でした。また、盗賊流民(りゅうみん、るみん/居所を失って他郷をさすらう民・・・日本にもかつ

て存在したとされる、放浪民の集団)も居ましたが、そういう人々は、乞食(こつじき、こじき/食物や金銭を人

から恵んでもらって生活すること。また、その人。)同様で、卑しめられていました。

そうした中で…



 1月  20日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                       
僧侶の旅姿                    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(32)

【支折の言葉・・・ 1/6】


<僧侶だけは・・・社会的地位もあり、仏罰のタタリも喧伝されていて・・・各地の寺社

を足場に、長旅も可能・・・> だったのでしょうか。

さらに、西行法師は…

<狭い貴族社会で・・・有名歌人>であり、 <北面武士 (ほくめんの・ぶし/…院御所の北

(北側の部屋) の下に、近衛として詰め、上皇の身辺を警衛、あるいは御幸に供奉した武士。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                         
芭蕉の旅姿          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(33)

【支折の言葉・・・ 1/7】


11世紀末に白河法皇が創設。 院の直属軍として、主に寺社の強訴を防ぐために動員された。)でしたから…

鎌倉/鶴岡八幡宮境内で、偶然頼朝と出会い、鎌倉御所招待される、と言ったこ

ともあったわけですね。

この経緯も、以前に述べています」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                         
                  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(34)

【支折の言葉・・・ 1/8】


「それは…」高杉が、言った。「奥州/平泉へ、<大仏再建の・・・勧進(かんじん/寺社・仏像

の建立・修繕などのために、寄付を募ること。)に行く、途中ですね?」

「そうです…」支折が、コクリとうなづいた。「この頃

義経も、弁慶他と共に、日本海ルート奥州/平泉に向かっていました。<安宅の関(あ

たかの・せき/・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                       
   歌舞伎/『勧進帳』                   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(35)

【支折の言葉・・・ 1/9】


…石川県小松市の、日本海側にある安宅に、守護/富樫氏が設けたと言われる関所)では…

歌舞伎有名勧進帳(かんじんちょう/如意の渡しでの出来事を基軸にした能の演目 『安宅』 を元に創られ

た歌舞伎の演目。歌舞伎十八番の一つで、松羽目物の先駆けとなった作品。) をくり広げ…

<奥州の・・・藤原3代の都/平泉・・・> へ、向かったわけですね。

義経・弁慶一行が…

平泉到着して間もなく奥州/藤原氏源頼朝軍勢に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
        
  奥州/藤原3代 ・・・清衡 (きよひら)  基衡 (もとひら)  秀衡 (ひでひら)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(36)

【支折の言葉・・・ 1/10】


…攻められ、滅亡しています。西行鎌倉頼朝と出会ったのは、まさに弓の弦ギリギ

と引かれた、<大軍勢の・・・押し出し前夜の・・・時期> だったわけですね。

西行は…

出発するからそれを知っていたし、勝敗も分かっていて、らの珍客として、奥州/

平泉を訪ねたわけですね。そして、大戦の濃厚空の下で、<歌人・・・西行> は、早々

平泉を辞したのでしょうか。

その動向は、往路・復路ともども、逐一、頼朝軍勢把握されたいたのでしょう。頼朝の、

奥州/平泉への手向け/はなむけ(/旅に出る人などに贈る、品物・金銭や詩歌など。餞別 (せんべつ )。)

だったのでしょうか。

源頼朝は…

<平家一族> 滅し<奥州/藤原氏の勢力> 滅し、それが完結して歴史が動き、

<武家政権/・・・鎌倉幕府の開闢(かいびゃく)・・・> となったわけですね。

<当時・・・義経と、西行法師は・・・平泉で会っていたのかどうか?>

この、ニアミスは…



 1月  21日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                       
西行像(MOA美術館蔵)          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(37)

【支折の言葉・・・ 1/11】


古代(/日本史では・・・通常、古墳時代もしくは飛鳥時代から、平安時代中期または後期までの時期。)歴史ロ

マンとして、現在話題になっていますね。

うーん…

時代を告げています。平泉の側は、戦の準備でゆっくりとは歓待できず、西行もここ

戦場となれば、足手まといとなり、歌人のいるべき場所ではありませんでした。

それにしても…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
25歳で妻子を捨て、出家・遁世する西行 (俗名/佐藤義清)・・・自分に取りすがる幼い娘を、縁側から蹴落とす場面は有名  
                                                             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(38)

【支折の言葉・・・ 1/12】


<滅亡直前の・・・奥州/平泉> には、から次々珍客が訪れていたわけですね。

<時の大戦略家/大戦術家の・・・義経主従> と、<有名歌人・・・親戚筋でもある

西行法師>訪問は、大きな喜びであり、慰めとなったと思われます。

ええと…

ともかく、西行は…

この時は、2度目奥州/平泉へのでした。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                          
佐藤入道西行                  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(39)

【支折の言葉・・・ 1/13】


<僧侶/僧形> でしたから、朝廷からの、<大仏再建の・・・勧進依頼の大役>

き受けい、この <2度目の・・・奥州/平泉への・・・大遠征の旅> が出来たわけです

ね。さすがに、<鳥羽院/鳥羽法皇(法皇: 仏門に入った上皇)の、元・北面武士ですよね。


次に…

<宗祇(そうぎ/姓は、飯尾(いのお/ いいお)というが定かではく、生国も、紀伊とも近江とも、言われている)の方

は…

<室町時代の・・・僧/連歌師(/連歌の宗匠(そうしょう)ですが…

若い頃京都相国寺(/京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山の寺院)に入り、30歳の頃連歌

志した…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                          
ボストン美術館 飯尾宗祇像 狩野派   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(40)

【支折の言葉・・・ 1/14】


…と言われています。

宗砌(そうぜい/山名時熙・持豊 (宗全) 父子の家臣で、俗名を高山民部少輔時重と称した)専順(せんじゅん/京都

六角堂 (頂法寺) の僧)心敬(しんけい/室町時代中期の天台宗の僧)に、連歌を学び…

東常縁(とう・つねより/室町時代中期から戦国時代初期の武将、歌人。美濃篠脇城主。)に、古今伝授(こきん・で

んじゅ/・・・勅撰和歌集である古今和歌集の解釈を、秘伝として師から弟子に伝えたもの。狭義では東常縁から宗祇に伝え

られ、以降相伝されたものを指す。)授けられたと言います。

また、東常縁である正宗龍統(しょうじゅう・りゅうとう/室町時代後期の臨済宗黄龍派の禅僧)から、

を学んだ、とも言います。

ええと…

文明5年(1473年)以後

公家将軍管領(かんれい/室町幕府において、将軍に次ぐ最高の役職。また、「関東管領」の略で、関東地方の

取締りに任じた者。)居住する上京(かみきょう)<種玉庵(しゅぎょく・あん)を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                          
ボストン美術館 飯尾宗祇像 狩野派    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(41)

【支折の言葉・・・ 1/15】


…結び、近衛尚通(このえ・ひさみち/太政大臣・近衛政家の子。官位は従一位・関白、太政大臣、准三宮。近衛家

15代当主。)三条西実隆(さんじょうにし・さねたか/内大臣・三条西公保の次男。官位は正二位・内大臣。)といっ

公家や、細川政元など室町幕府上級武士と、交わっています。

また…

畿内有力国人(こくじん/室町時代・・・その地方(=国)土着の武士)や、周防大内氏若狭

田氏能登畠山氏越後上杉氏ら、各地の大名をたずね歩いています。

長享2年(1488年)3月には…



 1月  22日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                       
猪苗代兼載/肖像画 (/会津若松市の自在院所蔵)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(42)

【支折の言葉・・・ 1/16】


<北野連歌所・宗匠(/北野天満宮に設けられた、連歌活動を統轄する幕府機関の、宗匠) となり、

名実ともに・・・連歌界の第一人者> となっています。

ええ、この職はまもなく <兼載(けんさい/宗祇の師の心敬に師事し、宗祇と共に、連歌の黄金時代を築いた)

に譲り…

明応4年(1495年)6月に、兼載らと、新撰菟玖波集(しんせん・つくばしゅう) を…

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
                          
宗祇の墓 (/静岡県裾野市・・・定輪寺)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(43)

【支折の言葉・・・ 1/17】


撰集しています。

宗祇は…

生涯を通じ、たびたび各地していますが…

文亀2年(1502年)に…

弟子宗長(そうちょう)宗碩(そうせき)らに伴われて越後から美濃に向かう旅の途中箱根湯

旅館没し駿河桃園(現:静岡県裾野市)/定輪寺(じょうりんじ/箱根湯本で客死した、連歌師宗祗

の墓や句碑があり、直筆の写経も伝わっています。)葬られた、という事ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                          
応仁の乱                         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(44)

【支折の言葉・・・ 1/18】


ええ…

<応仁の乱> (おうにんのらん/・・・室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1478年)までの約11

年間にわたって継続した内乱。室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争いから、細川勝元と山名宗全の勢力争いに発

展し、室町幕府8代将軍足利義政の継嗣争いも加わって、ほぼ全国に争いが拡大した。)

以後…

<古典復興・・・の気運が高まり・・・

地方豪族、特に、国人領主層に・・・京都文化への関心と・・・連歌の大流行!>

…が見られた、という事ですね。

宗祇は…

連歌本来の伝統である・・・技巧的な句風> に、

新古今和歌集 以来の <中世の美意識である・・・

 

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                          
ボストン美術館 飯尾宗祇像 狩野派    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(45)

【支折の言葉・・・ 1/19】


・・・長(たけ)高く・・・幽玄(ゆうげん)にして・・・有心(うしん)なる心・・・> 表現した、と言わ

れます。

全国的連歌流行とともに、宗祇やその一門活動もあり、この時代は、まさに、<連

歌の黄金期> であった、と言われています、」

「うーむ…」高杉が、うなった。「そう言われても…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                          
水無瀬三吟百韻                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(46)

【支折の言葉・・・ 1/20】


連歌の会をやった事のない我々には、その良さが、分からないという事ですねえ、」

「そうですね…」支折が、小さくうなづいた。「ええと…

まず、連歌作品としては…

水無瀬三吟百韻 (みなせ・さんぎん・ひゃくいん/・・・宗祇とその高弟,肖柏,宗長の3人が水無瀬の後鳥羽院

御影(みえい)堂(水無瀬神宮)に奉納した連歌。作者は当代の代表的連歌師たちで,後世百韻連歌の模範とされた。)

湯山三吟百韻 (ゆのやま・さんぎん・ひゃくいん/摂津湯山(現神戸市有馬(ありま)温泉)で、肖柏(しょうはく)、宗長

(そうちょう)、宗祇(そうぎ)の3人でつくった。池田に住んでいた肖柏が2人を招いて催した会とされる。)

葉守千句 (はもり・せんく) があり、句集萱草(わすれぐさ)


 1月  23日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                          
ボストン美術館 飯尾宗祇像 狩野派   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(47)

【支折の言葉・・・ 1/21】


老葉 (わくらば)下草 (したくさ)紀行文白河紀行筑紫道記 (つくしみちのき)

連歌論吾妻問答浅茅 (あさじ)などがあります。

宗祇には…

源氏物語注釈書/種玉編次抄 (しゅぎょくへん・じしょう/・・・連歌師の宗祇が著した 『源氏物語』

の源氏物語年立についての、注釈書。全1巻。) など、古典注釈書も多い様ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                          
ボストン美術館 飯尾宗祇像 狩野派    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(48)

【支折の言葉・・・ 1/22】


<和歌の・・・西行> <連歌の・・・宗祇><俳諧の・・・芭蕉>は、<3人とも・・・

漂泊の詩人> という事ですね、」

「ふーむ…」高杉が、アゴを当てた。「そもそも、連歌というのは、どういうものなのです

か? 短歌のような、和歌一種という事は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(49)

【支折の言葉・・・ 1/23】


…何となく分かっていますが、」

「うーん…」支折が言った。「そうですね…

<連歌(れんが)というのは・・・

2人以上の人が・・・和歌の上の句と、下の句とを・・・

互いに詠み合って・・・続けて行く形式の・・・歌 >

…なのですが、最近は、あまり行われていない様ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(50)

【支折の言葉・・・ 1/24】


それで、連歌そのものが、馴染みのないものになっています。

でも…

<芭蕉は・・・

俳諧師/当時のスーパースターであり・・・各地に蕉門の門人を持ち・・・連歌の会を

催していた・・・>

…わけですよね。その発句が、俳句という事ですから。

でも…

連歌というのは…

現在は、あまり知られていないこともあり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(51)

【支折の言葉・・・ 1/25】


正直、にとっても、弱点となっていて、よく分からない所があります。つまり、全く経験が

無いわけです、」

「ふーむ…」高杉が、首を傾げた。「確かに、今は…

<短歌の・・・五・七・五・七・七> と、<俳句の・・・五・七・五> だけに、なっている様

で.すねえ。



 1月  24日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                         
和歌(わか)とは・・・短歌型式の古典詩       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(52)

【支折の言葉・・・ 1/26】


ま、は、そのことに関しても、詳しいことを、知っているわけではありませんがね、」

「ええと…」支折が言った。「インターネット辞典/Wikipedia』 によると、こういう説明

なっています。


★★

<連歌(れんが)は・・・

日本の古来に普及した・・・伝統的な詩形の一種。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                           
連歌                          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(53)

【支折の言葉・・・ 1/27】


5・7・5の発句と、7・7の脇句の・・・

長短句を、交互に複数人で連ねて詠んで・・・一つの歌にしていく。

奈良時代に、原型ができ・・・

平安時代半ばに、長短2句を唱和する ★ 短連歌 が流行して・・・

やがて、連ねて長く読まれる、★ 長連歌 になり・・・

鎌倉時代・初期に・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
                         
14世紀頃の連歌会の様子       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(54)

【支折の言葉・・・ 1/28】


50、100、120句と連ね・・・

鎌倉時代・後期に・・・

100句を基本型とする形式の、★ 百韻(ひゃくいん)が主流となる・・・

南北朝時代から・・・

室町時代にかけて、大成されたが・・・戦国時代末に衰えた。

多人数による、連作形式を取りつつも・・・

厳密なルール(/式目)を基にして・・・全体的な構造を持つ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                            
『絵本太閤記』 光秀連歌の図           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(55)

【支折の言葉・・・ 1/29】


百韻(ひゃくいん/発句から挙句(あげく/最後の句) までの1巻が、100句から成る形式。)を単位として・・・

千句、万句形式や・・・

五十韻、歌仙(かせん/36句)形式もある。

和歌の、つよい影響のもとに成立し・・・

後に、★ 俳諧の連歌や・・・★ 発句(俳句)が、ここから派生している。>


…という事です、」

「ふーむ…」高杉が、うなった。「相当に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
 
     湯築城跡 (/松山市道後公園) の武家屋敷 (復元) 内に再現されている連歌の催し。上座には指導者の宗匠、
               手前右には句を書きとめる執筆
(しゅひつ) 役の武士が坐っている。     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(56)

【支折の言葉・・・ 1/30】


複雑な様ですねえ、」

「はい…」支折が、うなづいた。「ええ…

芭蕉は、<雪舟の・・・絵> と、<利久の・・・茶> にも言及していますが、それはまた、

後で考察することにしましょう。

まず、笈の小文 <・・・序章・・・> ら、次に進みましょうか、」


 1月  25日

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(57)

【支折の言葉・・・ 1/31】


「あ、ええと…」支折が言った。「申し訳ありません…


<・・・序章・・・> は、もう少し残っていますね。続けます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                         
 松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(58)

【 原文・・・2/1 】


しかも風雅におけるもの、造化
(ぞうか/天地万物)にしたがひて四時(しいじ/四季)を友とす。

見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。

(ぞう)花にあらざる時は夷狄(いてき/野蛮人)にひとし。心(こころ)花にあらざる時は鳥獣

に類(るい)ス。夷狄を出(いで)、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                          
芭蕉の旅姿        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(59)

【 現代語訳・・・2/1 】


しかも、俳諧というこの風雅の道は、天地万物にしたがって、四季折々の移り変わりを友と

することである。

見るものすべてが花であり、思う所すべてが月のように美しい、というようでなければなら

ない。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(60)

【 現代語訳・・・2/2 】


見るものに花を感じないなら野蛮人であり、心に花を思わないなら鳥や獣と同類だ。野蛮

人や鳥獣の境地を離れて、天然自然に従い、天然自然に帰れというのだ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
『百人一首/86番・西行法師』 ★ なげけとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(61)

【支折の言葉・・・ 2/1】


「ええ…」支折が言った。「<・・・序章・・・> 登場する…

<歌人・・・西行> や、<連歌師・・・宗祇> について、少し長く説明して来ましたが、こ

こでは、<・・・序章・・・> 内容について考察して置きましょう。

全体意味については、【 現代語訳 】説明しているので…



 1月  26日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
    俳聖芭蕉は伊賀上野の人。通称松尾忠右衛門平宗房といい、祖先は平宗清。藤堂家の臣、松尾与左衛門の次男で、
               正保元年の生、母は桃地氏、四国宇和島出身と言われています。      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(62)

【支折の言葉・・・ 2/2】


必要ないとおもますが、<この時・・・芭蕉の置かれていた、心境・・・> について、そ

概略というものを、考察して置きたいと思います。これは芭蕉考察するうえで、その

となるものです。

ええ、塾長

<西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶におけ

る、其(その)貫道する物は一なり・・・> と…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
  雪舟/・・・慧可断臂図 (えかだんぴず)・・・禅宗の初祖/ダルマと、2祖/慧可の図 ・・・(国宝)   (ネットより画像借用)   

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(63)

【支折の言葉・・・ 2/3】


<見る処花にあらずといふ事なし・・・おもふ所月にあらずといふ事なし・・・>

これらの1節は、どう思われますか?」

「うーむ…」高杉が、を止めた。「そうですねえ…

<西行の和歌における・・・宗祇の連歌における・・・雪舟の絵における・・・利休が茶

における・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 千利休/安土桃山時代/天正18年(1590) 竹一重切花入(たけいちじゅうぎりはないれ) 銘 園城寺(めい おんじょうじ)
                                                              (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(64)

【支折の言葉・・・ 2/4】


・・・其貫道する物は一なり・・・>

これを、一言説明しろというのは、困難でしょう。あえて、一言で言えというなら、芭蕉

言う様に…

<・・・其(その)、貫道する物は一なり・・・>

…という事でしょう。

しかし、これを理解するには…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 『泪の茶杓』・・・天正19年(1591年)2月、豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休が、自ら削り、最後の茶会に用いた茶杓                                                                                                                                               (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(65)

【支折の言葉・・・ 2/5】


…まさに、<芭蕉の心境・・・芭蕉の境地>…に、到達する必要があるし、歌人はともか

く、<雪舟の・・・絵> や、<利休の・・・茶> 境地に、到達しなければならないでしょ

うねえ。まあ、<一芸に達する者は・・・諸芸に達する> と、言いますがね。

さて…

あらためて…

その <芭蕉の心境・・・芭蕉の境地> というのは…

<見る処・・・花にあらずといふ事なし。おもふ所、月にあらずと・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
千利休像 (長谷川等伯画、春屋宗園賛 )  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(66)

【支折の言葉・・・ 2/6】


・・・いふ事なし。>

…の1節に見ることができます。これは、知る限り<禅的な・・・悟りの境地> を示

しています。

<像、花にあらざる時は、夷狄にひとし・・・心、花にあらざる時は、鳥獣に類ス・・・>

…とあるのは、その説明です。

ただ…

<夷狄(いてき/野蛮人) は、その全てが…



 1月  27日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                       
                  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(67)

【支折の言葉・・・ 2/7】


…見るものにを感じないかというと、それは言い過ぎですし…

鳥獣は、を思わないかというと、それも思慮に欠けるというものです。鳥獣にも、

仲間を思う優しい心は有るのです。

しかし…

ここは、<削り落とされた・・・芭蕉の鋭い表現力・・・> であり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                         
 松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(68)

【支折の言葉・・・ 2/8】


…その言わんとしている所は…

<それを対極に置き・・・禅的な悟りの境地を表現・・・> しているわけです。

そして…

<芭蕉の・・・風雅・風狂(ふうきょう/風雅に徹し他を顧みないこと)の求道(ぐどう/仏の正しい道を求めるこ

と。転じて、人の世の道理を求めること。)・・・> とは、その <禅的な・・・悟りの境地> から、さら

横道1歩踏み出し<風雅・風狂の妄執(もうしゅう/妄執とは、妄想がこうじて、ある特定の考えに

囚われてしまう事、またはその状態を指す)へと・・・その深い、文学的魔境の・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
僧侶の旅姿                  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(69)

【支折の言葉・・・ 2/9】


・・・探求者/求道者・・・> となった、という事でしょう。

仏教者/禅僧ならば…

<禅的覚醒/悟りは・・・1つの完成形> であり…

そこから、<僧侶本来の…衆生救済という大テーマに・・・取り掛かる> ことになりま

す。しかし、芭蕉僧侶ではなく、<衆生(しゅうじょう/生きているもの全て)救済という・・・宗教

的義務も、人生的テーマ> も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                           芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(70)

【支折の言葉・・・ 2/10】


…ありません。

この <・・・序章・・・> を読めば、芭蕉は、天職俳諧師であると、芭蕉自身が気づき、

僧侶になる事も、出世する事も、断念した様ですねえ。

芭蕉は…

あくまでも、<風雅風狂の・・・求道者たらんとした・・・> という事です。他の道も求めて

みたが、俳諧にとりつかれ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(71)

【支折の言葉・・・ 2/11】


…その <妄執のために・・・他の道を断たれた・・・> と言うことでしょうか。

が…

細々聞く所によれば…

<芭蕉の求道の道は・・・妄執であり・・・非常に苦しいもの・・・>だった様ですねえ、」

「はい…」支折が、うなづいた。「芭蕉には、<風雅への・・・妄執・・・> があった様です

ね。



 1月  28日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                       
                  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(72)

【支折の言葉・・・ 2/12】


例えば、“黄昏(たそがれ)て行く空” を見つめて…

<いいなあ・・・

と思うだけでなく・・・

死ぬほど・・・このまま死んでしまいたいほど・・・

いいなあ・・・と思う所が・・・

求道者/芭蕉の異常性であり・・・苦しいほどの・・・妄執(もうしゅう) ・・・>

…なのだ、と言われます」

支折が、傍(かたわ)らのススキの穂を、ジッ見つめた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(73)

【支折の言葉・・・ 2/13】


芭蕉は…」支折が言った。「この、ススキを見て…

<この、存在感を・・・

死ぬほど・・・狂おしいほどに・・・いいなあと思う・・・

こうした万物や・・・人の営みの中で・・・

芭蕉は・・・超越的な・・・苦しい芸術的感性の旅・・・>

…をしていたのでしょうか?それは、苦しい恋をしているのと、似ているとも、言われます。

凡人は…

多少、ソレを、思いつつも、<そこに・・・飛び込み・・・没入・・・> して行く…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(74)

【支折の言葉・・・ 2/14】


勇気は、とてもありません。

一方…

<禅者は・・・それを “空(くう/仏教用語: すべての存在は、直接原因、間接原因によって成立したもので、存

在にはその本質となるべきものがないと説き、これを <空> という。空は仏教全般に通じる基本的な教理)” として・・・

受容して行く・・・> のでしょうか?」

「そうですねえ…」高杉が、を傾げた。「芭蕉の…

<事物の・・・全存在感の・・・積極的な肯定は・・・禅的な覚醒/悟り・・・> から来る

ものでしょう。しかし、芭蕉は、それを、<空として悟らずに・・・あえて、人間性的感性

への・・・求道の道を・・・突き進んでいる・・・> という事でしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                           芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(75)

【支折の言葉・・・ 2/15】


芭蕉は…

<そうした、存在感の・・・芸術的感性に・・・人生の全てを捨てて・・・勇敢に・・・飛び

込んで行った・・・> わけですねえ。

は、芭蕉について、それほど詳しいわけではありませんが、今回、それについて、学ん

で行きたいと思っています」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                              1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(76)

【支折の言葉・・・ 2/16】


「はい…」支折が、コクリとうなづいた。「塾長がいると、心強いですわ。

くり返しますが…

芭蕉は、江戸時代・初期/元禄文化の頃の俳人です。奥の細道 は、元禄2年(1689年)

3月末に、門人/河合曾良を伴って、江戸出発し、奥州北陸道を巡ったですね。

江戸五街道(/江戸時代の江戸・日本橋を起点に伸びる東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五つを指

した陸上の幹線道。1601年(慶長6年)に徳川家康が全国支配のために、江戸と各地を結ぶ五街道の整備し始め、2代将

軍秀忠の代になって基幹街道に定められた。)が、整備されて来た頃の事です。

江戸時代・中期の与謝蕪村や、江戸時代・後期の小林一茶も…

芭蕉に、強く憧れながら、<芭蕉の様に・・・全てを・・・捨て切ること・・・> は、ついに、

出来なかったわけです。そこに、“芭蕉との・・・格の違い・・・がある”…のでしょうか?

ええと、ともかく…

次章の、<・・・旅立ち・・・> へ、進みましょうか、」



 1月  29日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                       
                                (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(77)

【 原文・・・3/1 】

<・・・旅立ち・・・>

 

神無月(かんなづき/陰暦10月)の初、空定めなきけしき、身は風葉(ふうよう/風に吹き散らされる木

の葉)の行末なき心地して、


★ 旅人と我名よばれん初しぐれ


     又山茶花を宿ゝ
(しゅくじゅく)にして


岩城(いわき/磐城国・・・福島県いわき市)の住、長太郎と伝もの、此脇を付て其角(きかく/宝井其

角・・・蕉門十哲の1人)亭におゐて関送りせんともてなす。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(78)

【 現代語訳・・・3/1 】


神無月のはじめ(/貞享4年10月)、空模様は晴れるとも雨ともつかない様子な中、わが身は

風に吹かれる木の葉のように、行先がわからない気持ちがして…


★ 旅人と 我名よばれん 初しぐれ


      初しぐれが近づく時期に・・・

         私は旅に出立する・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                       
                  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(79)

【 現代語訳・・・3/2 】


           行く先々で・・・

               私は、旅人と呼ばれることになろう・・・


    又山茶花を宿ゝ(しゅくじゅく)にして

         そして、山茶花の咲く各地の宿に、泊まりを重ねよう


岩城(いわき/磐城国・・・福島県いわき市)の住人、長太郎というものがこのような脇句をつけて、其

(きかく/宝井其角・・・蕉門十哲の1人)亭で見送りの宴を開いてくれた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                          
芭蕉の旅姿        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(80)

【 支折の言葉・・・3/1 】


「ええ…」支折が、を当てた。「笈の小文 <・・・旅立ち・・・> ですね…

芭蕉が、44歳の時・・・貞享4年(1687年)10月の事でした。

この、3年前

貞享元年(1684年) 8月に…

芭蕉は、同じこの深川/<芭蕉庵>から、野ざらし紀行出立しています。いずれも

同じ、故郷/伊賀上野で、越年(えつねん/年越し)しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
野ざらしを 心に風の しむ身かな・・・と刻まれています  三重県伊賀市/芭蕉の森・常住寺  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(81)

【 支折の言葉・・・3/2 】


野ざらし紀行 では、門人/苗村千里を伴っての旅立ちで、その時の旅立ちの句が…


★ 野ざらしを 心に風の しむ身かな

道中に行き倒れ・・・

    髑髏(しゃれこうべ、どくろ)を野辺に晒(さら)そうとも・・・

        覚悟の風流の旅であるが・・・

            風の冷たさが・・・

                やたらこたえる、我が身であることだ・・・


…と、文字どおり、(しかばね)(さらす)すのも覚悟の、決死の旅立ちであり…それま

蓄積して来た、俳人としての実力を確かめ、俳句新風確立するための旅立ちでした

が…



 1月  30日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                          
芭蕉の旅姿        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(82)

【 支折の言葉・・・3/3 】


この、<旅立ちの句/・・・最初の句> に見る様に、まさに、”強い決意とは・・・裏腹に

・・・心もとない・・・芭蕉の旅立ち・・・” でした。私達も、共感しますよね。

それから…

3年が経ち

笈の小文 の、<旅立ちの句/・・・最初の句> は…


★ 旅人と 我名よばれん 初しぐれ


…は、まさに、<和歌の・・・西行> <連歌の・・・宗祇(そうぎ) <絵の・・・雪舟>

<茶の・・・利休> に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                          
芭蕉の旅姿        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(83)

【 支折の言葉・・・3/4 】


比肩し得る、<俳句の・・・芭蕉> を、自認しています。

<・・・其(その)、貫道する物は一なり・・・> とは、俳句 “その1つであり・・・私が、そう

だ” と、言っているわけです。

そして…

まさに <芭蕉は・・・彼等と比肩して劣らない・・・文学史的評価・・・> を、この3年間

得ているわけですね。もちろん芭蕉は、今日のような評価になる事までは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                          
山茶花(さざんか/・・・冬の季語    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(84)

【 支折の言葉・・・3/5 】


予想していなかったと思いますが。

ええと…

この <旅立ちの句/・・・最初の句> の、 <脇句(わきく) について、簡単説明して

置きましょうか。

つまり…

岩城(いわき/磐城国・・・福島県いわき市)住人長太郎という者の脇句


★ 又(また)山茶花(さざんか/・・・冬の季語)を宿ゝ(しゅくじゅく)にして


…ですね、」

「ああ…」高杉が、うなづいた。「はい…それが、少し気になっていました、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                          
芭蕉の旅姿        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(85)

【 支折の言葉・・・3/6 】


「はい…」支折が、うなづいた。「連歌、俳諧において…

巻頭発句(ほっく)に続く、第2句を言う様ですね。句形は、発句5・7・5 に対し、脇句

7・7です。

そして…

<発句が・・・客の役> であるのに対し、<脇句は・・・古来、亭主の役>とされます。

に対する挨拶の心をもって、発句の言い残した言外余情を、継ぐように

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                          
芭蕉の旅姿        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(86)

【 支折の言葉・・・3/7 】


付けるもの、と言います。つまり、其角亭(きかくてい/芭蕉の1番弟子と言われる、宝井其角の住居)

見送りの宴を開いてくれたのは、この岩城(いわき/磐城国・・・福島県いわき市)住人長太郎

という者で、亭主に当たります。

そして…

止まりは、韻字(いんじ/連歌・俳諧で、句末を結ぶ言葉。漢詩文で、句末で韻を踏んでいる字。)止めが、普通

とか。うーん…<脇句は・・・韻字止め>…ですかあ。

『インターネット辞書』 を引いて見ると…

<韻字(いんじ)止め/韻字留> とは…

<俳諧の連句で・・・ 一句の終わりを、名詞などの、漢字で書き表わせる語で、結ぶ

こと・・・>…だそうです。

うーん…

 10月  1日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                          
山茶花(さざんか/・・・冬の季語    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(87)

【 支折の言葉・・・3/8 】


これも、徘徊連歌の流れの中で、実際にやってみないと、イメージが湧かないですよね。

ともかく…

ここでは <脇句(わきく)というものを、小耳は挟んでおきましょうか、」

「うーむ…」高杉が、うなづいた。「つまり、こういう事ですか…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                        
     蕉門の高弟/宝井其角(たからい・きかく)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(88)

【 支折の言葉・・・3/9 】


★ 又(また)山茶花(さざんか)を宿ゝ(しゅくじゅく)にして/

        そして・・・

             山茶花の咲く各地の宿に・・・・

                   泊まりを重ねましょう・・・


…という <脇句> になる、という事ですかね?」

「そうですね…」支折が、ゆっくりとうなづいた。「今度は…

旅の先々で、蕉門(しょうもん)門人達が、今か今かと、芭蕉到着を待ちわびています。そ

こへ乗り込んでいく、余裕ですよね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                          
『奥の細道』 ・・・蕉門十哲の、河合曾良を同行
   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(89)

【原文・・・4/1 】


★ 時は冬 よし野をこめん 旅のつと


此句(このく)露沾公(ろせんこう/内藤露沾(ないとう・ろせん)・・・江戸時代中期の俳人。磐城平藩主内藤義泰

 (内藤風虎 ) の次男)より下し給(たま)はらせ侍(はべ)りけるを、はなむけの初として、旧友、

親疎(しんそ/関係が親しいか、疎(うと)いかということ)、門人等、あるは詩歌文章をもて訪ひ、或は

草鞋(わらじ)の料を包みて志を見す。かの三月の糧を集に力を入ず。紙布・綿小など

いふもの、帽子・したうづやうのもの・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(90)

【原文・・・4/2 】


・・・ 心ゝに送りつどひて、霜雪の寒苦をいとふに心なし。あるは小舟をうかべ、別墅

(べっしょ/しもやしき、別荘)にまうけし、草庵に酒肴携来(さけさかな・たずさえきた)りて行衛(ゆくえ/

行くべき目当ての所)を祝し、名残をおしみなどするこそ、ゆへある人の首途するにも似たり

と、いと物めかしく覚えられけれ。



 10月  2日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                              磐城平藩/維新後に設置された仮藩庁    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(91)

【現代語訳・・・4/1 】


★ 時は冬 よし野をこめん 旅のつと (/つと・・・は、土産のこと)


今は冬ですが・・・

     吉野につく頃には・・・

          すっかり、花/桜の季節でしょう・・・

     吉野で、すばらしい花の句を詠んで・・・

          是非、お土産に持って帰ってください・・・


この句は…

岩城の城主/内藤家の次男/露沾公(ろせんこう)からたまわったものだが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                    
荘子             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(92)

【現代語訳・・・4/2 】


…これを餞別(せんべつ/・・・句選別)のはじめとして、旧友、親類、門人らが集まり、ある者は

詩歌や文章をもってきて訪ねてくれ、あるいは道中の草鞋代(わらじだい)を包んで志(こころざし)

をあらわしてくれる。

荘子(そうし、そうじ/紀元前369年頃~紀元前286年頃の、中国戦国時代の思想家/道教の始祖の1人)  には…

千里先に旅立つには、三カ月かかって食料を用意せよとあるが、私は周りの人々の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                          紙衣(かみころも、かみこ、しえ/和紙を材料とした着物、) (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(93)

【現代語訳・・・4/3 】


…おかげで、そこまで力を入れることもいらなかった。

紙衣(かみころも、かみこ、しえ/和紙を材料とした着物、)・綿子(わたこ/真綿をそのまま縫って作った、防寒衣や、か

ぶり物)などというもの、帽子、足袋(たび)といったものが心ゝ(/心心・・・こころごころの贈り物とし

て集まり、霜や雪の寒さに震える心配も無い。

ある者は…

隅田川に小舟を浮かべ、別荘で送別の宴会を開き、私の草の庵に酒と肴(さかな)を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(94)

【現代語訳・・・4/4 】


…持ってきて道中を祝してくれ、名残を惜しんだりするのは、それなりに立派な人が出発

するようでもあると、たいそう物々しく思われたことだなあ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                              吉野の千本桜             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(95)

【支折の言葉・・・4/1 】 


「うーん…」支折が、首を傾げた。「ええと…


★ 時は冬 よし野をこめん 旅のつと (/つと・・・は、土産のこと)


この句は…

露沾公(ろせんこう)岩城平(いわきだいら/・・・磐城平藩は、現在の福島県の浜通り南部を治めた藩)の城主

/内藤義泰(俳号; 風虎)次男/義英の、<句餞別(くせんべつ) ですね。

露沾は、天和2年(1682年)に、若くして隠棲し…



 10月  3日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(96)

【支折の言葉・・・4/2 】 


俳諧に親しんだ様です。は、西山宗因・派(にしやま・そういん・は/・・・西山宗因は、本名は西山豊

一。父は加藤清正の家臣/西山次郎左衛門。通称次郎作。)と言われますが、<蕉門(しょうもん/芭蕉の門人、

およびその門流) とも交流があった様です。<蕉風(しょうふう/芭蕉、およびその門流の俳風)/蕉門

に、相当傾倒していた様ですね。

<蕉門/蕉風> については、別途考察します。

それから…

岩城の住人/長太郎が、<其角亭での・・・送別会の亭主> という事ですが、

城平の城主/内藤家家臣の様ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                     江戸/深川木場の風景                (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(97)

【支折の言葉・・・4/3 】 


従って、露沾公(ろせんこう)立場も、<句餞別> 納得できます。

それから…

<其角亭> 場所ですが、<芭蕉庵> と同じ、江戸/深川木場にあった様ですね。今

でも、東京都/江東区町名に、深川木場、がありますが、ここにあったのは、宝井其角

別邸という事になるのでしょうか?

 

深川・木場は江戸のウォーターフロント! 絵をよく見ると、張り巡らされた水路に沢山の材木が浮かんでいるのがわかりま
すね。独特の雰囲気です。
                                  (ネットより画像借用) 


岡田健吉‏@zu5kokd1     
                
  其角の住居跡/日本橋茅場町1-6-10 (日幸茅場町ビル)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(98)

【支折の言葉・・・4/4 】 


其角は…

<蕉門十哲の中でも・・・第1の門弟> とされていますが…

うーん…

其角は、江戸堀江町(/現町名: 中央区日本橋小舟町、日本橋小網町)で、近江国・膳所藩(おうみこく・ぜ

ぜはん/近江国・滋賀郡・膳所の膳所城(現在の滋賀県大津市)に藩庁を置いた藩。本多家/7万石/譜代大名。近江国

では彦根藩(井伊家)に次ぐ規模)/御殿医(ごてんい/幕府や大名に召しかかえられた医者)/竹下東順長男

として、生まれています。

そして…

其角住居跡は、東京都/中央区/日本橋茅場町に、石碑がある様ですから、深川

木場の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              宝井其角                  宝井其角   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(99)

【支折の言葉・・・4/5 】 


<其角亭> は、別邸ではなかったかと、推測したわけです。どうなのでしょうか?」

「さあ…」高杉が、苦笑した。「は…

芭蕉について、支折さんほどと知識はありません。多少、分かるのは、その禅的風景

けです、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                          
芭蕉庵                 (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(100)

【支折の言葉・・・4/6 】 


「はい…」支折も、苦笑した。「ええ、を進めます…

ここは、<・・・旅立ち・・・> と言っても、まだまだ、江戸出発しているわけではありませ

んね、」



 10月  4日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
           
小倉百人一首・・・35番/紀貫之 ・・・/古今集・・・巻1/春上   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(101)

【 原文・・・5/1 】


<・・・道の日記・鳴海・吉田・保美・・・>


(ぎょう ?)、道の日記(/紀行文)といふものは、紀氏(/紀貫之)・長明(/鴨長明)・阿仏の尼

(あぶつのあま・・・阿仏尼/鎌倉時代中期の女流歌人。『十六夜日記(いざよいにっき) の作者。京都から鎌倉までの道

中をつづる )の、文をふるひ情を尽してより、余は皆(みな)(おもかげ)似かよひて、其(その)

糟粕(そうはく/酒のかす)を改る事あたはず。まして浅智短才(せんち・たんさい/知恵や才能が無いこ

と)の筆に及べくもあらず。其日(そのひ)は雨降(あめふり)、昼より晴て、そこに松有(まつあ

り)・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                          
方丈記 (ほうじょうき)・・・鴨長明 』        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(102)

【 原文・・・5/2 】


…かしこに何と伝(いう)川流れたりなどいふ事、たれゝもいふべく覚侍(おぼえはべ)れども、

黄奇蘇新(こうきそしん/中国宋代の詩人黄庭堅 (こうていけん/号は山谷道人) の詩の奇警さと、蘇軾 (そしょく/東

坡)の詩の斬新さをいう。)のたぐひにあらずは伝事(いうこと)なかれ。

されども其(その)所ゝ(/所々)の風景心に残り、山館野亭(さんかん・やてい/山に泊まり野に伏す旅寝

のこと)のくるしき愁(うれい)も且(しばらく)ははなしの種となり、風雲の便りともおもひなして、

わすれぬ所ゝ(/所々)後や先やと書集(かきあつめ)(はべ)るぞ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                          
  方丈記 (ほうじょうき)・・・鴨長明 』      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(103)

【 原文・・・5/3 】


・・・猶酔ル者の 【リッシンベン+「孟」】 語にひとしく、いねる人の譫言(・・・うわごと/酔っ払

いの、分けのわからない言い草)するたぐひに見なして人又亡聴(ぼうちょう/聞き流す)せよ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                    
十六夜日記 (いざよいにっき) ・・・阿仏尼 (あぶつに)    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(104)

【 現代語訳・・・5/1 】


(仰)そもそも、紀行文というものは、紀貫之・鴨長明・阿仏尼が文筆をふるい心を尽くして

からというもの、その他はみな内容は似たもので、それらの粕をばかり嘗(な)めて新しいこ

とは何も無い。まして知恵や才能が無いものの筆で何か新しいことが描き出せるわけでも

ない。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
        
阿仏尼 (あぶつに)/・・・後高倉院の皇女・安嘉門院に仕え、四条と名乗った女房   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(105)

【 現代語訳・・・5/2 】


「その日は雨がふり、昼から晴れて、そこに松があり、あっちに何という川が流れてい

る」

などという事は、誰も誰も言いたくなるものだが、表現の新しさ・奇抜さを以って知られた黄

庭堅や蘇東坡の類ででもなければ、言うものではない。



 10月  5日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
阿仏尼 (あぶつに)/・・・後高倉院の皇女・安嘉門院に仕え、四条と名乗った女房   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(106)

【 現代語訳・・・5/3 】


しかしその所々の風景が心に残り、山や野で旅寝することの苦しい愁いもまた話の種とな

り、自然に親しみ句を詠むよすがともなると考えて、忘れられない所々のことを前後も整え

ず書き集めてみたのだが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(107)

【 現代語訳・・・5/4 】


…なんとまあ酔っ払いのざれ言に等しく、寝ている人のうわ言のたぐいと考えて、読者もま

た、いい加減に聞き流してほしい。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
     
                                             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(108)

【 支折の言葉・・・5/1 】


「ええ…」支折が言った。「いよいよ、江戸出発していますが…

この、<・・・道の日記・鳴海・吉田・保美・・・> の章に入っても…

<仰、道の日記といふものは・・・/=そもそも、紀行文というものは…>

…という、紀行文<蘊蓄(うんちく/ 十分研究して、たくわえた深い知識)から始まっています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                          
山茶花(さざんか/・・・冬の季語    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(109)

【 支折の言葉・・・5/2 】


笈の小文原文が、そうなっているのですから、退屈でも、私達もそれに従います。

まず、<原文/・・・現代語訳> では…

<・・・紀氏・長明・阿仏の尼の、文をふるひ情を尽してより、余は皆俤似かよひて、其

糟粕を改る事あたはず。まして浅智短才の筆に及べくもあらず。>



 10月  6日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
                (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(110)

【 支折の言葉・・・5/3 】


</=

紀貫之・鴨長明・阿仏尼が文筆をふるい心を尽くしてからというもの、その他はみな内容は

似たもので、それらの粕をばかり嘗めて新しいことは何も無い。まして知恵や才能が無い

ものの筆で何か新しいことが描き出せるわけでもない。>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
                         
                       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(111)

【 支折の言葉・・・5/4 】


…とあるわけですね。

この文意については、<原文・・・現代語訳> があるので、あらためて説明する必要

ないですね。

そこで…

まず、<紀貫之 ・ 鴨長明 ・ 阿仏尼> について、いずれも有名文筆家であり歌人です

が、あらためて、簡単説明して置きましょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   紀貫之  

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(112)

【 支折の言葉・・・5/5 】


<紀貫之> は…

当/《HomePage/人間原理空間》 で、土佐日記/・・・ジャンプ・・・考察している

ので、その人物像については、かなり詳しく説明されていると思います。従って、ここで

は、概略だけを説明して置きます。

ええ、改めて…

<紀 貫之> は…

平安時代・前期~中期にかけての…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
            『古今和歌集・・・巻2/春歌下』
・・・ 『小倉百人一首・・・9番/小野小町』   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(113)

【 支折の言葉・・・5/6 】


貴族であり、歌人です。<官位は・・・従五位上・木工権頭(むくの・ごんのかみ/木工寮(もくり

ょう)は律令制において、宮内省に属する機関。 主に造営、および材木採集をつかさどり、各職工を支配する役所。) 、贈

(ぞう/死後に朝廷から官位をおくること)従二位> です。

つまり、中堅クラス貴族で、ひと財産をつくるには、地方国司として赴任しなければな

りません。土佐日記 は、その土佐国からの、海路での帰路日記ですね。

ええと、それからは…

古今和歌集選者の1人ですね。また、<三十六歌仙(/藤原公任(きんとう) 『三十六人撰』

に載っている平安時代の和歌の名人36人の総称)・・・の1人> です。

 

あ…

古今和歌集(/平安時代前期の勅撰和歌集。全二十巻。勅撰和歌集として最初に編纂された。) は…

延喜5年(905年)

第60代/醍醐天皇(だいご・てんのう)による…

の、<勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう/天皇や上皇の命により編纂された歌集) で、<紀友則(き

の・とものり) ・紀貫之(きの・つらゆき) ・凡河内躬恒(おおし・こうちの・みつね)・壬生忠岑(みぶの・ただ

みね) の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 ★
久方の ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらむ   古今和歌集    小倉百人一首・・・33番/
                                                       紀友則       (ネットより画像借用)   

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(114)

【 支折の言葉・・・5/7 】


4人撰集(せんじゅう)し、天皇に奉(たてまつ)っています。

また

<仮名による序文である・・・仮名序(かなじょ/・・・『古今和歌集仮名序』 は、『古今和歌集』 に添えられ

た2篇の序文のうち、仮名で書かれているものの方の名称。通常は単に 『仮名序』 という。執筆者は紀貫之。初めて本格

的に和歌を論じた歌論として知られ、歌学のさきがけとして位置づけられている。)執筆しています。


「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」


…で始まる <仮名序> は、後代日本文学に大きな影響を与えました。


 10月  7日

岡田健吉‏@zu5kokd1   紀貫之  

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(115)

【 支折の言葉・・・5/8 】


それから、土佐日記著者であることはよく知られていますし、小倉百人一首 にも

収録されています。

従って、日本文学史上において、超有名人ですよね。

次に…

<鴨長明(かもの・ちょうめい) ですが…

高杉・塾長は、鴨長明については、何か特別な思い、と言うものは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                          
徒然草絵巻  作者/海北友雪(1598~1677年)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(116)

【 支折の言葉・・・5/9 】


…あるのでしょうか。方丈記有名ですが、」

「いや…」高杉が、を傾げた。「方丈記冒頭ぐらいは、読んだことがありますが、そ

の程度です」

「実は…」支折が、微笑した。「も、その程度知識しかありません。

でも…

方丈記徒然草 は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                          
方丈記 (ほうじょうき)・・・鴨長明 』        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(117)

【 支折の言葉・・・5/10 】


…この芭蕉笈の小文 の次に、考察しようと考えています。

そういうわけで、<鴨長明> についても、ここでは概略だけを述べて置くことにます。

ええ…

あらためて…

<鴨 長明(かもの・ちょうめい/かもの・ながあきら)は、平安時代・末期 ~ 鎌倉時代・前期にか

けての…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
方丈記 (ほうじょうき)・・・鴨長明 』   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(118)

【 支折の言葉・・・5/11 】


歌人であり、随筆家です。

俗名(ぞくみょう/仏門に入る前の名。反対は、戒名(かいみょう)も、鴨長明同じですが、読み方が、“か

かもの・ながあきら” になります。

禰宜(ねぎ/神職の職称(/職名)の1つ。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐す

る者)・鴨長継次男で、<位階は・・・従五位下> ですから、<紀貫之・・・従五位上>

よりは、やや下ですね。法名蓮胤(れんいん)です。」



 10月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                       
   下鴨神社              (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(119)

【 支折の言葉・・・5/12 】


鴨長明と言うと…」高杉が言った。「<加茂神社(かも・じんじゃ)関係があるのですか

?」

「はい…」支折が、うなづいた。「まさに…

<加茂御祖神社(かも・みおや・じんじゃ)/下鴨神社(しもがも・じんじゃ/<上賀茂神社は・・・賀茂別雷神社

> 。両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。 両社で催す賀茂祭 <通称・・・葵祭/あおいまつり> は有名です。)

<神事を統率する・・・禰宜(ねぎ)/鴨長継・・・の次男> として、京都で生まれています。

高松院(たかまついん/平安時代後期の・・・第78代/二条天皇の中宮(ちゅうぐう)。鳥羽天皇の皇女。母は美福門院。

36歳で死去しています。)愛護(あいご/可愛がって庇護すること)を受け…

応保元年(1161年)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
   葵祭 (あおいまつり) 京都市の下鴨神社と上賀茂神社で、5月15日に行なわれる例祭。    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(120)

【 支折の言葉・・・5/13 】


<従五位下に・・・叙爵(じょしゃく/貴族または華族の爵位に叙せられること。 古代・ 中世の日本においては、

貴族として下限の位階であった、従五位下に叙位されること。) されましたが、承安2年(1172年)父・

長継が没した後は、後ろ盾を失っ様です。

安元元年(1175年)

鴨長継の後を継いだ禰宜/鴨祐季と、比叡山/延暦寺との間で土地争いが発生して、

失脚したことから、長明鴨祐兼とその後任を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
   葵祭 (あおいまつり) 京都市の下鴨神社と上賀茂神社で、5月15日に行なわれる例祭。    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(121)

【 支折の言葉・・・5/14 】


…争いましたが、これに敗北してしまいます。

<鴨長明> は…

和歌俊恵(しゅんえ/俊恵法師・・・平安時代末期の僧・歌人/『小倉百人一首・・・85番/俊恵法師』 ★ よもすがら 

もの思ふころは 明けやらぬ 閨(ねや)のひまさへ つれなかりけり ) 門下として…

そして琵琶を、楽所預(がくしょの・あずかり/唐楽、三韓 (高麗・百済・新羅) 楽を調習する所)中原有安(な

かはらの・ありやす/平安後期~鎌倉時代の雅楽家・歌人)学びました。

<鴨長明> は、歌人として活躍したようで…

歌林苑(かりんえん/ 俊恵(しゅんえ)が自らの白川の僧坊に開いた歌会グループの称。民間の和歌所として <和歌政所

/わか・まんどころ> と呼ばれたこともあった。)会衆として、賀茂重保撰 月詣和歌集(つきもうで・わ

かしゅう)入撰し、千載和歌集(せんざいわかしゅう/平安時代末期に編纂された <勅撰和歌集>。全二十

巻。『詞花和歌集』 の後、『新古今和歌集』 の前に撰集され、勅撰和歌集の第七番目に当たる)にも、<詠み人知

らず>、として入集されています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
鴨長明 (菊池容斎画、明治時代)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(122)

【 支折の言葉・・・5/15 】


以降…

石清水宮若宮社歌合正治後度百首新宮撰歌合和歌所撰歌合三体和歌俊成卿

九十賀宴元久詩歌合などに出詠し…

建仁元年(1201年)8月<和歌所寄人(わかどころ・よりゅうど)任命されました」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
  鴨長明                         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(123)

【 支折の言葉・・・5/16 】


「うむ…」高杉が、アゴを当てた。「<和歌所寄人(わかどころ・よりゅうど)というのは、

にした事が有りますねえ、」

「あ、はい…」支折が、うなづいた。「<和歌所寄人> というのは…

平安時代以後朝廷 <和歌所・・・に置かれた職員> のことです。和歌選定にあ

ずかり、召人(めしうど)と呼ばれました。

<寄人(よりゅうど)は、記録所・御書所などに置かれた職員ですね。この人達は、庶務・

執筆などのことをつかさどりましたが、<和歌所寄人> は、特別に、召人(めしうど)と呼ば

れた様です。

ええと…

鴨長明概略だけを…



 10月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(124)

【 支折の言葉・・・5/17 】


説明しようと思いましたが、結局、もう少し説明して置きましょうか。方丈記 を書くこと

になった、経緯ですね、」

「うむ、」高杉が、うなづいた。

「ええ…」支折が、モニターを覗いた。「その経緯ですが…

元久元年(1204年)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                       
京都/河合神社(ただすの・やしろ)・・・下鴨神社摂社  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(125)

【 支折の言葉・・・5/18 】


かねてより望んでいた…

河合社(ただすの・やしろ/

・・・下鴨神社の摂社(せっしゃ/本社に付属し、その祭神と縁故の深い神を祭った神社。本社と末社との間に位し、本社の

境内にあるものを境内摂社、境外にあるものを境外摂社という。) として古くより祀られ、女性守護としての信仰を集めるお

社。ご祭神には神武天皇の母、玉依姫命(タマヨリヒメ)をお祀りし、玉依姫命は玉の様に美しい事から美麗の神としての信

仰も深い。)の…

禰宜欠員が生じたことから、長明就任を望み、後鳥羽院から推挙内意も得て

いました。

うーん、ところが…

賀茂御祖神社・禰宜/鴨祐兼が、長男祐頼を推して強硬反対したことから、長明

希望はかなわず…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
         
大岡寺(だいこうじ)   滋賀県/甲賀市/水口町京町にある、天台宗の単立寺院   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(126)

【 支折の言葉・・・5/19 】


神職としての出世を断たれました。

そのため、後鳥羽院“とりなし” にも関わらず、長明近江国甲賀郡/大岡寺(だいこうじ)

出家し、京都東山大原、後に日野に、閑居生活をした、という事ですね。

晩年/長明は…

その、京の郊外/日野山(/日野岳とも表記、京都市伏見区日野)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                           
枕草子 (/清少納言)         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(127)

【 支折の言葉・・・5/20 】


…に、<一丈四方・・・方丈・・・> 小庵をむすび、隠棲しました。

方丈記 は…

そこで当時世間観察し、書き記した記録であり、自ら 方丈記名づけました。

丈記 は、日本中世文学代表的随筆であり、徒然草枕草子 と並ぶ、 <古典日

本・三大随筆> に、数えられています。



 10月 10日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                    
 十六夜日記(いざよいにっき)・・・阿仏尼 (あぶつに)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(128)

【 支折の言葉・・・5/21 】


ええ、次に…

<阿仏尼(あぶつに) ですが…

<鴨長明>方丈記 と、同程度考察して置きましょうか。元々は、笈の小文

考察をしているわけですが、芭蕉彼等名前を出して来ているので、それに従っている

という事ですね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
                       芭蕉         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(129)

【 支折の言葉・・・5/22 】


「まあ…」高杉が言った。「芭蕉は、彼等のことを詳しく知っていた、という事ですからねえ」

はい…」支折が、うなづいた。「<コロナ禍> や、<地球温暖化> 知らなかったでしょ

うが、漢籍(かんせき/中国の書物)日本古典文学には、相当詳しかったわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
阿仏尼 (あぶつに)/・・・後高倉院の皇女・安嘉門院に仕え、四条と名乗った女房   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(130)

【 支折の言葉・・・5/23 】


さあ…

ええと…

<阿仏尼(あぶつに) は…

鎌倉時代中期女流歌人です。

女房名(にょうぼうな/主に平安時代から鎌倉時代にかけて、貴人に出仕する女房が仕える主人や同輩への、便宜のた

めに名乗った通称)は、安嘉門院四条(あんか・もんいんの・しじょう)、または、右衛門佐(うえもんの・すけ)

です。

実父母不明で、奥山度繁(おやま・のりしげ)養女となっています。ただし…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 十六夜日記写本挿絵 (月影の谷)』   鎌倉下向380年後の江戸前期・万治2年(1659年)刊行  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(131)

【 支折の言葉・・・5/24 】


養女ではなく、実の娘であるとする見解もあります。

彼女略伝では…

桓武平氏・大掾氏流(だいじょうし・りゅう)平維茂(たいらの・これもち)長男である、平繁貞(たいら

の・しげさだ)子孫である、奥山度繁(または養女)

 安嘉門院(あんかもんいん/高倉天皇の皇子・守貞親王(後高倉院) の王女。)に仕え、出仕中10代で、

失恋失意から出家決意となりました。



 10月 11日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                   
 藤原為家(ふじわらの・ためいえ)・・・/藤原定家の三男   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(132)

【 支折の言葉・・・5/25 】


でもその後も、世俗との関わりを持ち続けました。

30歳頃<藤原為家(ふじわらの・ためいえ/藤原北家御子左流(ふじわら・きたけ・みこひだりりゅう/藤原道

の6男/藤原長家を祖とする、藤原氏の流。<歌道の家> として、4代/藤原俊成5代/藤原定家をはじめとする、歌

壇の中心人物を輩出。また、6代為家を流祖とする、蹴鞠(けまり)の流派。)藤原定家の三男・・・であり、官位は正二位

・権大納言)

側室となり…

<冷泉為相(れいぜい・ためすけ/冷泉家の祖・・・藤原為家の晩年の子。母は十六夜日記 作者として知られる

阿仏尼) らを、産んでいます。

為家没後

播磨国細川荘(/現兵庫県三木市)相続をめぐり、正妻の子/二条為氏と争い、弘安2年

1279年)幕府に訴えるため、鎌倉へ下りました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
              藤原俊成(ふじわらの・としなり 、しゅんぜい/・・・藤原定家の父       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(133)

【 支折の言葉・・・5/26 】


この時紀行と、鎌倉滞在を記したのが、十六夜日記(いざよいにっき)  という事です」

「うーむ…」高杉が言った。「意外でしたねえ…

は、天皇行幸にでも加わった際の、日記ていどに考えていました。<幕府に提訴す

るための・・・鎌倉下り・・・> ですか。

うーむ、インテリ活動的な…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                   
 藤原定家小倉百人一首 を編集 ・・・藤原為家の父     (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(134)

【 支折の言葉・・・5/27 】


女性だった様ですねえ。

俄然(がぜん) 十六夜日記 にも、興味が湧いてきました。芭蕉が、秀逸(しゅういつ/他のもの

よりぬきんでて優れていること) <紀行文> として褒めているわけですから、是非、読んでみた

いですねえ、」

「はい…」支折が、深くうなづいた。「《 文芸 》考察する事を、検討してみます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
   
<弘安百首> 弘安・・・<2度目の蒙古襲来/・・・弘安の役> のあった頃です。   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(135)

【 支折の言葉・・・5/28 】


ええと、その後…

<阿仏尼>は…

訴訟結果が分かる前に、鎌倉没したというと、京都へ帰った後に没したとのが、

ある様です。

<弘安百首> などに参加し…

関東にある10社(/・・・寺社)に、勝訴を祈願して奉納した、<安嘉門院四条五百首> や、

<安嘉門院四条百首> などもありますね。



 10月 12日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
   
アラ還女性が 「いざ鎌倉!」  息子への愛情と遺産相続の執念を詠み綴った 十六夜日記  (ネットより画像借用)  

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(136)

【 支折の言葉・・・5/29 】


それから、歌論書夜の鶴 があります。また若い頃に書いた うたたね は、例の10

代の失恋顛末(てんまつ)を記した日記という事です。

<阿仏尼> は…

続・古今和歌集(しょく・こきんわかしゅう/鎌倉時代の勅撰集で、二十一代集の第十一番目。全20巻。) 以下

<勅撰和歌集> に、計48首入集しています。

でも、阿仏尼である冷泉為秀(れいぜい・ためひで/冷泉家2代当主参画した…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                
藤原定家子孫・冷泉貴実子さん・・・「パリで実家の価値に気付いた」      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(137)

【 支折の言葉・・・5/30 】


風雅和歌集(/南北朝時代の勅撰和歌集。勅撰集としては第 17番目の集。 20巻。) や、阿仏尼と親し

かった京極為兼(きょうごく・ためかね/別名・冷泉為兼)選者を務めた、玉葉和歌集(/ぎょくようわ

かしゅう/鎌倉時代後期の勅撰和歌集である。和歌数約2800首と勅撰和歌集中最大。中世和歌に新風を吹き込んだ京極

派和歌を中核とした和歌集として知られる。) では、入集数多いのですが…

<冷泉家> と対立した <二条家(にじょうけ/五摂家のひとつで公家)選者を務めた時は、

入集数極端少なくなっている、という事です。これは当時の、歌壇政治的対立状況

反映している…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
             
               鎌倉・・・ 阿仏尼の墓 浄光明寺   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(138)

【 支折の言葉・・・5/31 】


…と考えられています」

「うーむ…」高杉が、を引いた。「いつの世にも…

下らない様々な対立はあるものですねえ。まあ、それが、<豊かな波動を生み出し・・・

構造化・進化の糧・・・> になるわけですがね、」

「はい…」支折が、うなづいた。「考察を、進めましょう…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                       
 松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(139)

【原文・・・6/1 】


鳴海(なるみ/名古屋士緑区鳴海町・・・歌枕。千鳥の名所。東海道の宿があった。)にとまりて


★ 星崎の闇を見よとや啼(なく)千鳥


飛鳥井雅章公(あすかい・まさあき・こう/蹴鞠・書にすぐれていた)の此宿にとまらせ給ひて、

「都も遠くなるみがたはるけき海を中にへだて々」

と詠じ給ひけるを、自らかゝせたまひてたまはりけるよしをかたるに、


★ 京まではまだ半空や雪の雲


 10月 13日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
   鳴海潟                        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(140)

【現代語訳・・・6/1】


鳴海に泊まって


★ 星崎の 闇を見よとや 啼(なく)千鳥

         星崎・・・

             という地名からも・・・

                  闇はぴったりである・・・

               星崎の闇を・・・

                    さあ、見ろと言はんばかりに・・・

                         千鳥が啼いている・・・


飛鳥井戸雅章公 (あすかい・まさあき・こう/・・・蹴鞠(けまり)・書に、すぐれていた) が、この宿にお泊りに

なって…


「この鳴海潟まできて、いよいよ都も遠くなった。


岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
 千鳥科/ハジロコチドリ    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(141)

【現代語訳・・・6/2】


もう都とははるかな海を間にへだてているのだ。はるばる旅をしてきたわが身を実感

することよ」


と詠じられたのを、自ら書にお書きになってこの宿に賜わられたことなどを聞かせてくれた

ので

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
 松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(142)

【現代語訳・・・6/3】


★ 京までは まだ半空や 雪の雲


     京までは・・・

          半分の道のりを来たばかりだ・・・

               空を見上げると遠く・・・

             はるかな旅を暗示するように・・・

                   雪を降らせそうな雲がただよっている・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
                       芭蕉         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(143)

【支折の言葉・・・6/1 】


「うーん…」支折が、うなづきながら、微笑んだ。「ようやく…

笈の小文 の、が始まりましたよね。

ここは…

<歌枕(うたまくら/和歌に多く詠み込まれる、名所・旧跡。)の地・・・鳴海> ですか…

<鳴海宿(/・・・愛知県名古屋市緑区)・・・東海道の40番目の宿場> には、<蕉門の俳人

・・・下里知足(しもざと・ちそく/・・・尾張国鳴海村の庄屋。井原西鶴や松尾芭蕉ら多くの俳人・文人と交流。<鳴海

六俳仙の一人>。 現存する井原西鶴の書翰7通のうちの4通は、知足に宛てたもの)がいました。



 10月 14日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                       井原西鶴             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(144)

【支折の言葉・・・6/2 】


この 笈の小文 では…

東海道の、尾張国/鳴海村庄屋(りしょうや

・・・庄屋名主(なぬし)肝煎(きもいり)は、江戸時代の村役人である地方3役の1つ。郡代・代官のもとで村政を担当した

村の首長。いずれも中世からの伝統を引く語で、庄屋は 「荘(庄)園の屋敷」 、名主は 「中世の名主 (みょうしゅ)」 からきた

語とされています。)

/下里知足(しもざと・ちそく)宿にしています。知足は、松尾芭蕉井原西鶴とも、親し

かった様ですね。

こうした、世話好き有力者/文化人は…

全国的にいて、様々な旅人宿提供していた様です。その代わりに、人の交流から各地

情報収集していました。また、その時代における、文化伝播中継地ともってたわけ

ですね、」

「うーむ…」高杉が、うなづいた。「今風の、インターネットスマホの様なものは、皆無だっ

たわけですねえ、」

「はい…」支折が、うなづいた。「そうですね…

版木で刷った <芭蕉の句集> などは、不定期のものですが、文化情報伝播としては、

もっとも早かった方でしょうか…?

文化の多くは…

各大名江戸への参勤交代によって伝播したと思われますが、それは非常に緩やか

でした。それよりも、格段に速かったのが、旅人を呼び込んで、逗留させることでした。で

も、そうした話は人によってマチマチでした。

その代わりに、印刷物新しい浮世絵などを持ち込めば、高く買い上げてくれたのかも知

れませんね。江戸時代・初期東海道でも、まだそんな状況だったでしょうか…?

話を戻しますが…

井原西鶴は、そもそも俳諧師ですよね。そして、好色一代男好色五人女日本

永代蔵世間胸算用 などを書き、上方における元禄文化の…


岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                       芭蕉         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(145)

【支折の言葉・・・6/3 】


大輪の花ですね。当然、芭蕉は、西鶴とも昵懇(じっこん/親しく打ち解けて、つきあうこと)だったの

でしょうか?」

「うーむ…」高杉が、をやった。「双方が…

江戸時代・初期/元禄文化俳人であり、スーパースターですから、ニアミスで終わった、

ということはあり得ないでしょうねえ。まあ、どんな顔接触していた…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(146)

【支折の言葉・・・6/4 】


…のかを考えて見るのも、想像をかき立てますね。なにしろ、まだ、写真無い時代ですか

ら、」

「うーん…」支折が、を傾げた。「でも…

芭蕉が、いわゆる <・・・ 芭蕉 ・・・> になったのは…


★ 古池や 蛙飛び込む 水の音    (芭蕉)


…のだったと言われます。

この初出は、貞享3年(1686年)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                                                   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(147)

【支折の言葉・・・6/5 】


/閏3月刊行 蛙合(かわずあわせ) で…

ついで、同年/8月に、芭蕉七部集(/俳諧七部集/蕉門の代表的な撰集七部十二冊をまとめたもの)

春の日収録されています。これで、<俳人/芭蕉>名声は、緩やかに全国

に知れ渡って行きます。

これは、笈の小文 紀行出発する、前年の事になります。

従って…

もし、それ以前に、芭蕉西鶴接触がなく…

西鶴の側から、芭蕉に会ったとすれば、この 笈の小文紀行の折だった…



 10月 15日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(148)

【支折の言葉・・・6/6 】


…かも知れませんよね?」

「ま…」高杉が、(なご)ませた。「研究者は知っているのかも知れませんが、調べて見

のも、面白いかも知れませんねえ、」

「うーん…」支折が、コクリとうなづいた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                              (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(149)

【原文・・・7/1 】


三川の国保美(みかわのくに・ほび/愛知県渥美郡渥美町保美。渥美半島の先端。伊良子崎の手前。)といふ処

に、

杜国(とこく/坪井杜国・・・名古屋の人。米商人。貞享2年(1685年)米の空売買にかかわって罰せられ、所領を没収さ

れ追放される。三河畠村にいたが、後に保美にうつる。芭蕉にことに愛された。)がしのびて有けるをとぶらは

と、

まづ越人(えつじん/越智越人・・・名古屋の蕉門俳人。蕉門十哲の一人。更級紀行 の旅に同行した。奥の細道

の巻末にも登場する。)に消息して、鳴海より後ざまに二十五里尋かへりて、其(その)夜吉田

(/愛知県豊橋市。東海道の宿駅。渥美半島の付け根。)に泊まる。


★ 寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき


あま津縄手(/天津縄手…豊橋市天津。渥美半島の西岸。)、田の中に細道ありて、海より吹上る風

いと寒き所なり。


★ 冬の日や馬上に氷る影法師


岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
     
 潮音寺境内にある杜国の墓。誰が供えたのか菊の花・・・ (/牛久市森田武さん撮影)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(150)

【現代語訳・・・7/1 】


三河の国(みかわのくに)保美(ほび)という所に杜国(とこく)がしのんで暮らしているのを訪ねよ

と、まず越人(えつじん/越智越人)に手紙を送って鳴海から後ろに二十五里杜国をたずねて

って、その夜吉田に泊まる。


★ 寒けれど 二人寝る夜ぞ 頼もしき


 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                  冬枯れの天津繩手・・・(/牛久市森田武さん撮影)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(151)

【現代語訳・・・7/2 】


     寒さはかわらないが・・・

         二人で寝る夜は・・・

             一人寝の夜とは違って頼もしい・・・

 

天津縄手は田の中に細道があって、海から吹き上げる風がたいへん寒々した所だ。


★ 冬の日や 馬上に氷る 影法師(かげぼうし/人の影のこと)


     田の中の細い道を・・・

        馬にゆられながら進んでいくと・・・

            風は寒々と吹きすさぶ・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
       
                          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(152)

【現代語訳・・・7/3 】


           ふと田の面を見ると・・・

       馬上のわが姿がうつっている・・・

            いかにも寒々として、凍るようだ・・・



 10月 16日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
  
 東海道/鳴海宿・・・鳴海 名物有松絞  『東海道五十三次 /歌川広重・・・復刻版浮世絵』   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(153)

【支折の言葉・・・7/1 】


「さあ…」支折が言った。「この 笈の小文紀行では…

芭蕉は、鳴海村庄屋/蕉門門人/下里知足の館を、宿としていますよね。芭蕉はここ

拠点として、しばらく逗留したのでしょうか。

江戸時代・初期/元禄の頃では…

まだ、<五街道 (/江戸・日本橋を起点に伸びる、東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道 の5つを指

した陸上幹線道。1601年(慶長6年)に徳川家康が、全国支配のために江戸と各地を結ぶ5つの街道を整備し始めて、2代

将軍/秀忠の代になって、基幹街道に定められた。) 宿場整備も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                    <関ヶ原の戦い・・・1600年10月21日>       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(154)

【支折の言葉・・・7/2 】


…まだそれほどに、進んではいなかったのではないでしょうか。

参勤交代/大名行列では、宿所本陣相当に整備されて行っても、庶民の宿とし

ては、その <参勤交代による・・・莫大な浪費/経済の発達・・・> を、待たなければな

らなかったのでしょう。

反面、それで…

大名経済力が削がれ、反乱する力も削がれて行ったわけですね。そして、庶民の中に

も、非常に緩やかに、貨幣経済浸透して行きます。でも、当時の人々は、その一生を、

まれた村の中で過ごすのが、ほとんどでした。

でも…

万葉集防人の歌以外に…

<貴族・僧侶・武士階級が・・・独占していた日本文化・・・> も…

芭蕉の様な人々の出現により、ようやく庶民レベルに降りて来た様ですね。でも、まだまだ、

裕福な庶民独占物でした。それは、芭蕉紀行文学の中にも示されています。蕉門

門人たちも、そのほとんどが裕福有力者たちです。

ええ…

1600年10月21日に…

<関ヶ原の戦い> があり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                              <関ヶ原の戦い・・・1600年10月21日>    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(155)

【支折の言葉・・・7/3 】


…それから85年後の、同じ秋に…

芭蕉は、この 笈の小文』 の紀行出発しているわけですね。

この当時は、時代の流れが非常に緩やかでした。そして原野にはまだ、大戦記憶が生

々しく残り、人々口の端にも、この未曽有大戦(おおいくさ)の事が、語り継がれていたで

しょう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                      徳川家康                      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(156)

【支折の言葉・・・7/4 】


<江戸時代・初期・・・元禄文化> とは…

<日本史の中で・・・長い長い・・・不安定な・・・戦乱の時代・・・> をようやく超えて…

おそらく、初めて

<庶民が・・・安心して暮らせる時代・・・が到来> し、ようやくそれを、実感として享受

し始めた頃、なのでしょうか。

世の中が、<強力な・・・徳川幕府の武断政治で・・・鎮静化・・・> し、泥水がようやく

澄んだ水に…



 10月 17日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                   近松門左衛門/人形浄瑠璃  『けいせい仏の原』 絵入狂言本    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(157)

【支折の言葉・・・7/5 】


変わって来た頃と、例えてもいいかも知れませんね。

<明治維新にも似た・・・元禄文化の明るさとは・・・そういう明るさ> だったとだと、

は思っています。<明治維新は・・・西洋文化と日本文化が融合し・・・独独の明るさ>

がありますよね、」

「うーむ…」高杉が、深くうなづいた。「そして、時代の流れは、非常に緩やかだったという

事ですか、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              歌川広重 「伊勢参宮・宮川の渡し」         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(158)

【支折の言葉・・・7/6 】


「そうです…」支折が言った。「そして…

ようやく訪れた安定した平和の中で、<元禄文化・・・上方を中心とした・・・庶民文化>

花開いたのです。江戸が、文化的にも日本の中心になるには、もうしばらく時間必要

だった様ですね。街道整備されていくのも、非常に緩やかでした。

あ、でも…

奥の細道 で…

芭蕉曾良 <市振の関(いちふりのせき/現・新潟県糸魚川市大字市振) で、“越後の国/新潟

という所の遊女2人” と、隣室になりますよね。彼女達伊勢参宮で、これから一生の思い

お伊勢参り大冒険に出る所です。

市振まで送って来た遊郭老人とも、<親不知(おやしらず)の難所> を超えた市振で別れ

るようで、翌朝、芭蕉曾良に、同道懇願します。でも、芭蕉は断りましたよね。

つまり…

何が言いたいかというと…

この時は、<お蔭参り(おかげまいり)/お伊勢参り> が、60年周期大流行にの年に当

たっていた様で、遊女でも、お蔭参りに行きたいと言えば、それを認めざるを得なかった

うですね。

従って、うーん…

街道も、それなりに整備されていたようですね。北陸道(ほくりくどう/五畿七道の1つで、本州の日本

海側の中部の行政区分。また、古代から近世にかけて、同所を通る幹線道路を指す名称)は、加賀百万石参勤

交代街道ですよね。

ちなみに、この大名行列は…

金沢/加賀百万石城下から…富山湾に見て、越後/直江津まで行き…そこから

の方に右折し、北国街道(ほっこくかいどう/直江津から追分まで。)信濃/善光寺へ向かい…

(おいわけ/中山道・軽井沢追分宿)から、中山道江戸まで下ったわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
  
 東海道/鳴海宿・・・鳴海 名物有松絞  『東海道五十三次 /歌川広重・・・復刻版浮世絵』   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(159)

【支折の言葉・・・7/7 】


「うむ…」高杉が、大きくうなづいた。

「ええと…」支折が言った。「を戻しますが…

芭蕉は、<鳴海の門人/知足の館> 足場として、しばらく逗留したという事でしょうか。

研究者ではないので、資料からではなく、その時代を、知識を寄せ集め、想像してみま

す。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                           与謝蕪村の絵  画家で俳人/芭蕉より、72年後の人  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(160)

【支折の言葉・・・7/8 】


江戸時代・初期/元禄の頃は…

現代の様に、新幹線格安航空機で一気に到着し、1泊して次の目的地旅立つという

様な、性急な旅ではありません。

また、お伊勢参りは、食料持参大移動だったのでしょうか。この辺りは、知識不足して

います。

一方、この時代に…

漂泊した、絵師俳人は…

土地有力者の館に逗留して、旅の疲れを癒(いや)しつつ、を書いて回って小銭

稼ぎつつ、その土地風物堪能し、旅立つ時には、多少の路銀世話してもらうという、

ですね。もっとも、こうした人々出現したのは、芭蕉の時代・以降かもしれませんね。



 10月 18日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                            (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(161)

【支折の言葉・・・7/9 】


芭蕉も、裕福門人に頼るだけではなく、連歌の会を催し、そこで多少旅費を集めたわ

けですよね。そうした俳諧師/宗匠仕事にも、その礼金にはおのずと相場と言うものが

ありました。

でも、<蕉風/蕉門の・・・松尾芭蕉> ともなれば、当然、一目置かれていた存在だと思

います。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              芭蕉と曾良                        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(162)

【支折の言葉・・・7/10 】


うーん…

でも、門人知己の少ない 奥の細道紀行では、こうした路銀集めに、芭蕉難儀

ていた様子ですよね。知己を訪ね、紹介状をもらい、あるいは曽良親戚筋を訪ねたりし

て、路銀工面しています。

それ故に、<奥州への・・・風雅・風流の旅・・・> は、まさに文学史上でも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                              西行法師                (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(163)

【支折の言葉・・・7/11 】


人跡未踏大冒険評価されているわけです。

芭蕉は、西行法師足跡をたどって、奥州/平泉到達したわけですが…

西行の場合は、僧侶として寺社拠点としていました。また鎌倉で、頼朝鎌倉御所

されたように、元・北面武士歌人として、狭い貴族社会での有名人でした。そして平泉

には、親戚筋藤原氏繁栄を誇っていたわけですよね。

それに比べて…

芭蕉曾良の場合は、<庶民レベルの・・・ヒッチハイク/無銭旅行の・・・大冒険>

ったわけです。芭蕉は、蝦夷地(えぞち)/北海道までも足を伸ばそうとしましたが、それは

しています」

「うーむ…」高杉が言った。「鎌倉時代・初期に…

栄西禅師入宋(にっそう)した折に、はるか ”天竺(てんじく)/インド/・・・釈尊の誕生の地”

まで、を伸ばそうとして、それを断念したのと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                              玄奘三蔵               (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(164)

【支折の言葉・・・7/12 】


似ていますねえ、」

天竺ですかあ…」支折が、を仰いだ。「西遊記世界ですね?」

「まあ…」高杉が言った。「西遊記モデルの…

<玄奘三蔵> チベットを超えたのは、唐時代です。栄西禅師の場合は、数百年後

時代ですからねえ。

それでも…

チベット越えにしろ、海路にしろ、莫大な金がかかるわけで、容易ではありません。芭蕉

ヒッチハイクとは、スケールが違いますね」

「はい…」支折が、コクリとうなづいた。「ええ…



 10月 19日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                               庶民の旅姿        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(165)

【支折の言葉・・・7/13 】


を戻します…

単に、お金があるからと言って…

当時は、大金を持ち歩くのは、重くて難儀な事でした。また、盗賊に狙われることにもなり、

危険です。それ故に、芭蕉のような僧衣での身軽な旅こそ、最も安全でもあったわけです

ね。

あ、それから…

庶民でも、小刀一本、腰に付けていたようですね。これは武器にもなり、色々と便利

にもなります。流れ者ヤクザなどは、長ドスなどとも呼んだ様ですね。そして、武士は、

太刀小刀2本差しが決まりでした。うーん、それだけで、かなり重かったわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                近江商人の旅姿               (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(166)

【支折の言葉・・・7/14 】


あ、すみません。また余計な事を言ってしまいました。ええと、戻ります。

芭蕉は…

その一方で…

今評判の、<蕉風/蕉門の・・・松尾芭蕉> が、鳴海/知足の館逗留する事は、

触れで、近隣俳人・文化人には広く伝わっていたのでしょう。そこに、芭蕉が乗り込んで

行くわけです。

野ざらし紀行 とは違い、笈の小文 は、堂々自信東海道でした。でも、何度も言

いますが、現代のように…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(167)

【支折の言葉・・・7/15 】


性急な社会ではありません。全てが、緩やかに流れています。

<情報は人への・・・言づけ/文づけ、で伝わり・・・身の安全では、旅は道連れ、とい

う世の中・・・>…だったわけです。

ともかく…

首を長くして、待ちに待った

<蕉風/蕉門の・・・松尾芭蕉の到着> で、歓迎幾度 <連歌の会>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                              (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(168)

【支折の言葉・・・7/16 】


…などを催したのでしょうか。集うのは、庶民有力者だけではなく、武家も含めての事で

す。身分制社会では、武家有力者であり、インテリ層だったわけです。

さて、を進めましょうか…

笈の小文 では、芭蕉がなかなか、紀行本題に入って行かないので…



 10月 20日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(169)

【支折の言葉・・・7/17 】


…私の方も脱線し過ぎているかも知れません。

あ、次に進む前に、もう1つ考察して置くことがあります。それは、<原文> で…


<三川の国保美といふ処に、杜国がしのびて有けるをとぶらはをと、まづ越人に消息

して、鳴海より後ざまに二十五里尋かへりて、・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
       
                                                                             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(170)

【支折の言葉・・・7/18 】


・・・其夜吉田に泊まる。>


…とある所です。

三川の国/保美という所にいる、<杜国(とこく)/坪井杜国(つぼい・とこく) を尋ねている

わけですね。

杜国名古屋門人であり、米商人でした。

ところが…

貞享2年(1685年/…芭蕉が 笈の小文 の紀行に出発する2年前 ) に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                伊良子岬にある 「鷹一つ・・」 の句碑/牛久市森田武さん  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(171)

【支折の言葉・・・7/19 】


空売買にかかわり、罰せられています。所領没収され、追放されています。

最初は、三河畠村追放されていましたが、後に保美に移されています。こうした消息を、

芭蕉は同じ名古屋門人の、<越人(えつじん)/越智越人(おち・えつじん/・・・この紀行の帰路の、

更科紀行 で同行しています。) に尋ねています。

不肖(ふしょう/未熟で劣ること)の子ほど可愛い

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
東海道53次・・・吉田宿/歌川広重  芭蕉は、<・・・其夜吉田に泊まる> と記しています。   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(172)

【支折の言葉・・・7/20 】


…と言いますが、悪事を出してしまった門人/弟子でも、そうなのでしょうか?

杜国は、芭蕉にことに愛されたと言いますが、俳聖/芭蕉は、彼をむやみに愛したわけで

はないですよね。

それは、杜国という人格と、(とが/罰されるべき行為。罪)を受けた門人への、愛惜(あいせき/名

残惜しく思うこと)の情でしょうか?



 10月 21日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                  芭蕉が戻ったコース     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(173)

【支折の言葉・・・7/21 】


鳴海より25里引きかえし伊良湖岬(いらご・みさき)まで行っているわけですから、江戸を立つ

時に、すでに計画していた様ですね。

芭蕉東海道風物堪能(たんのう/十分に味わい、満足すること)しながらも、時には追放となっ

門人/杜国(とこく)のことも、考えたと思われます。さて、どう接したものかと考えたでしょ

うが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(174)

【支折の言葉・・・7/22 】


芭蕉に、迷いは無かったと思います。


★ 古池や 蛙飛び込む 水の音  (芭蕉)


…ので、芭蕉がいわゆる <・・・芭蕉・・・> になって2年後であり、<俳聖/芭蕉>

は、自信が漲(みなぎ)っていたと思います。そして、あえて、咎人(とがにん/罪人)/杜国にも、

会いに行ったのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       
                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(175)

【支折の言葉・・・7/23 】


芭蕉の…

<・・・生死(しょうじ)・・・咎(とが)・・・>、そして <・・・ 一期一会(いちごいちえ)の・・・死生観

ししょうかん)・・・> とは…どの様なものだったのでしょうか。

その辺りを、是非、高杉・塾長に、お聞きたい所ですわ、」

「うーむ…」高杉が、を当てた。「<芭蕉の・・・域・・・> に、到達していない者が、

あれこれと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
                   米相塲早見本五種一括綴      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(176)

【支折の言葉・・・7/24 】


詮索しているわけですが…

それは…

<・・・甘く・・・悲しくもあり・・・無心の境地・・・> と、いった所でしょうか。

<・・・それもまた・・・風流・・・> ということが、芭蕉に接し杜国会得していたとしたら、

嬉しいですねえ、」

「うーん…」支折も、を当てた。「米相場(こめそうば/江戸時代における米の先物相場。現代まで続

いている。)に、手を出し…



 10月 22日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(177)

【支折の言葉・・・7/25 】


空売買(からばいばい/現物の受け渡しをしないで、相場の変動による差益の獲得を目的として行われる取引。)する

ような素地の人ですが、蕉門俳人ですよね。面白い人物だと思います。

空売買については、具体的な事は分かりませんが、大きな穴をあけ、追放処分なるような

事があったのでょうか。

うーん…

でも、芭蕉がわざわざ保美を訪ねたことにより、杜国 <・・・開眼(/真髄を悟り、極致を窮めるこ

と)・・・> しているのではないでしょうか?」

「そうですねえ…」高杉が、うなづいた。「芭蕉には…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                   渥美半島伊良湖岬       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(178)

【支折の言葉・・・7/26 】


…その <・・・風流・・・> 伝授する、力量があった、と信じましょうか、」

「はい…」支折が、明るく、うなづいた。「これ以後…

杜国のことは記録に残っていないと言いますが、もし残っていたら、面白かったですよね。

あ…

は違いますが…

追放になった咎人というのは、そもそも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
       
                                    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(179)

【支折の言葉・・・7/27 】


…どの様な管理になっていたのでしょうか。

ちょっと考えてみたのですが…

あばら屋を、竹垣で囲み・・・小さな畑ぐらいは、与えられていた・・・

…のでしょうか?

そして、当然、それを管理する小役人の家も、に有ったのでしょうか。もし、その小役人

が、杜国俳句を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                  隠岐島の後鳥羽上皇                      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(180)

【支折の言葉・・・7/28 】


…残しておき、越人か誰かに手渡していたら、芭蕉にも伝えられたかも知れませんね。

うーん…

それから…

後鳥羽上皇(第82代/後鳥羽天皇・・・高倉天皇の第4皇子で、源平の戦いで、壇ノ浦で入水(じゅすい)した安徳天皇

の異母弟)が…

<承久の乱> に敗れ、<隠岐に・・・配流(はいる)/島流し> にされたケースでは、厳し

い弾圧・格落ちでも、上皇隠岐の人々には愛されていましたよね。



 10月 23日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       
                   藤原定家                 (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(181)

【支折の言葉・・・7/29 】


当然…

<島流し> ですから、流刑地/隠岐島においても、監視所が置かれ、鎌倉幕府による

々な弾圧があった事は想像されます。

かつて…

<後鳥羽上皇> で…

勅撰和歌集/新古今和歌集編纂(へんさん)した <藤原定家(/源通具・六条有家・藤原定家

・藤原家隆・飛鳥井雅経・ …

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
                    隠岐島の後鳥羽上皇          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(182)

【支折の言葉・・・7/30 】


・・・寂蓮の6人が・・・後鳥羽院の院宣(いんぜん/上皇からの命令を受けた院司が、奉書形式で発給する文書。天皇の発

する宣旨に相当する。)により定められた。) は、<承久の乱> 勝ち組/九条家に属し、配流

後鳥羽院とは逆に、出世して行くことになります。

それ以前に、後鳥羽院定家は、の事で意見対立して、互いに譲らず、それから後鳥

羽院は、鎌倉幕府反旗を上げる方に興味が移ったようです。

<承久の乱> は…

後鳥羽院第84代/順徳天皇反旗ですから、本来はクーデターではなく、鎌倉幕府

逆賊になりますよね。でも、この争いはあっけなくケリが付きました。

かつて…

第40代/天武天皇は、実兄/天智天皇崩御後に、近江朝反旗をひるがえし…

<吉野出兵・・・壬申の乱(じんしんのらん) を引き起こしましたが、これはクーデターですね。

でも、それから、天武天皇による日本国造りが始まり、その大事業は、持統天皇が引き

継かれて行きますよね。

ええ、ともかく…

共に、新古今和歌集編纂し…

今は、隠岐隠棲している後鳥羽院とののやり取りは、定家の方にも、空気ピリピリ

るような、鎌倉幕府厳しい監視がしかれ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
       
                   小倉百人一首・・・99番/後鳥羽院        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(183)

【支折の言葉・・・7/31 】


勝ち組とはいえ、ままならなかった様です。

わずかに…

定家は、小倉百人一首編集で、最後の2首に、後鳥羽院と、順徳院(/後鳥羽院の第3皇

子で、共に <承久の乱> を画策し、こちらは <佐渡へ配流> となっています。)配されています。

それは、隠岐隠棲する後鳥羽院にも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                  小倉百人一首・・・100番/順徳天皇    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(184)

【支折の言葉・・・7/32 】


伝えられている様です。つまり、そうした間接的意思疎通しかできなかった様ですね。

ええと…

後鳥羽院は、隠岐に流される直前出家して、<法皇(ほうおう) となっています。天皇

譲位すると上皇となり、上皇出家すると <法皇> となります。

明月記(めいげつき/・・・藤原定家の日記。・・・



 10月 24日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                                                    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(185)

【支折の言葉・・・7/33 】


…(国宝)記録によると…

文暦2年(1235年)春頃に、摂政・九条道家後鳥羽院順徳院還京(かんきょう/京に還る)

提案しました。鎌倉幕府は、<承久の乱> の時の2代執権/北条義時から、第3代執

権/北条泰時(やすとき)になっていましたが、受け入れませんでした。

延応元年(1239年)2月20日

後鳥羽院は、配所/隠岐島にて崩御しています。享年(きょうねん)60…という事です」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                            道元禅師              (/ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(186)

【支折の言葉・・・7/34 】


「うーむ…」高杉が言った。「激動鎌倉時代ですねえ。

この時代は…

<道元禅師> 入宋(にっそう)し…

帰朝してから、正法眼蔵執筆していた時代です。にとっても、非常に思い入れのあ

時代です。

<鎌倉・新仏教の勃興した時代で・・・

浄土教や、日蓮宗の外に・・・禅宗が、日本に移入された時代・・・> ですねえ、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
           <源平の合戦/・・・治承・寿永の乱 (じしょう・じゅえいの・らん)>  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(187)

【支折の言葉・・・7/35 】


「そして…」支折が言った。「平安時代・末期は…

<源平の合戦/・・・治承・寿永の乱 (じしょう・じゅえいのらん) があり…

<西行法師> 奥州/平泉に入り…<鎌倉幕府が・・・開闢(かいびゃく) して…

さらに、<後鳥羽上皇> や、<藤原定家> たちが、新古今和歌集編纂した時代

でもありますよね。

でも…

ここは…

江戸時代・初期

元禄時代/<元禄文化の時代>

というより…

そのちょっと前、まだ元禄には、入っていないわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
        北条政子/・・・尼将軍の異名を取り、夫・源頼朝亡き後の、鎌倉幕府の実権を握った。 (/ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(188)

【支折の言葉・・・7/36 】


でも、奥の細道 は、元禄2年3月27日~9月6日の事でした。芭蕉46歳の時です。

ところで…

この時代に、追放処分になった咎人(とがにん)/杜国(とこく)に会いにいくのに、ただフラリ

会いに行って、会えるものでしょうか?

ここは、やはり…

名古屋蕉門/越人が、俳諧の筋から役人に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(189)

【支折の言葉・・・7/37 】


を通し、面会する許可状を書いてもらったというのが、妥当でしょうか。それを持って、

芭蕉保美へ赴いたのでしょうか、」

「まあ…」高杉が言った。「そうですねえ…

当時の人ですから、経験値から、当然、そのぐらいの知恵は働くでしょうねえ、」

「はい…」支折が、大きくうなづいた。



 10月 25日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
           かつて田原市/角上楼にあった碁石 「伊良湖白」 ・・・東愛知新聞      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(190)

【原文・・・8/1】


<・・・伊良古崎・熱田・・・>


保美村より伊良古崎へ壱里斗
(いちりと → いちりほど?)も有(ある)べし。三河の国の地つゞき

にて、伊勢とは海へだてたる所なれども、いかなる故にか 万葉集 には伊勢の名

所の内に撰入られたり。この洲崎にて碁石を拾ふ。世にいらご白といふとかや。骨山

(こつざん)と伝(いう)は鷹(たか)を打処(うつところ)なり。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
       
                                                                             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(191)

【原文・・・8/2】


南の海のはてにて、鷹のはじめて渡る所といへり。いらご鷹など哥(/歌)にもよめりけ

りとおもへば、猶(なお)あはれなる折ふし、


★ 鷹一つ見付てうれしいらご崎


岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                   伊良古崎                            (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(192)

【 現代語訳・・・8/1 】


保美村から伊良古崎までは一里ほどもあるだろうか。三河の国から地続きで、伊勢とは海

をへだてているが、どういうわけだろうか、万葉集 には伊勢の名所にうちに選び入れら

れている。

この岬で碁石(ごいし)を拾う。世にいらご白といわれるものだろうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(193)

【 現代語訳・・・8/2 】


骨山(こつざん)という丘は鷹を捕るところだ。南の海の果てで、鷹が日本に渡ってきてはじめ

て上陸する所という。いらご鷹など哥(/歌)にも詠まれていたなあと思えば、いっそう趣(おも

むき)深く思うその時、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
       
                                                                             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(194)

【 現代語訳・・・8/3 】


★ 鷹一つ 見付てうれし いらご崎


     ここ、伊良古崎に・・・

         鷹が一羽、飛んでいるのを見つけた・・・

             万葉の昔の、情緒もしのばれ、嬉しくなってしまう・・・



 10月 26日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(195)

【支折の言葉・・・8/1 】


芭蕉は…」支折が言った。「保美に…

追放処分となっている杜国を尋ねた後、伊良古崎/渥美半島西端の伊良湖(いらご)に、

を伸ばしています。

あれこれと…

杜国の事を触れていないのは、芭蕉(りん)とした精神性が、伺(うかが)えるのではない

でしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
                                                         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(196)

【支折の言葉・・・8/2 】


杜国を残しつつも、芭蕉の視線は伊良湖岬風物に注がれています。

を好む、芭蕉は…

幾度も、人々の厚い人情に触れ、また <一期一会の・・・出会いと別れ・・・> を、くり返

して来たわけですね。

苦しいものとは言いますが、芭蕉はそれを、<風流・・・風狂> として…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
        『 奥の細道画巻・・・市振の宿/元禄2年7月12日 』 (与謝蕪村・・・逸翁美術館所蔵)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(197)

【支折の言葉・・・8/3 】


深く愛したわけですね。江戸/深川芭蕉庵に、しばらくとどまると、またそぞろ、ふつ

ふつと、旅心が湧き立って来た様です。ともかく、健脚ですよね。

そうした芭蕉ですから…

杜国との別れも、特殊ではあっても、<一期一会の・・・死生観・・・> では、日常的

している、別れとも言えます。

後の、大紀行

奥の細道・・・/一振の関 で…

芭蕉2人遊女に、お伊勢参り(/60年周期の大ブームで、街道は人で溢れたようです。)同道

されますが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(198)

【支折の言葉・・・8/4 】


…冷たく断っています。


「我々は所々にてとゞまる方(かた)おほし。 只(ただ)人の行(ゆく)にまかせて行べし。 神

明の加護かならず恙(つつが)なかるべしと云(いい)捨て出でつゝ、 哀(あわれ)さしばらくや

まざりけらし。


★ 一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩(はぎ)と月  (芭蕉)


…と、冷たく突き放していますが…



 10月 27日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
        『 奥の細道画巻・・・市振の宿/元禄2年7月12日 』 (与謝蕪村・・・逸翁美術館所蔵)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(199)

【支折の言葉・・・8/5 】


…そうかと言って、人情に引きずられ、<俳諧の大遠征/・・・奥州・越後路の大冒険>

を、変更するわけにも行きませんよね、」

「うーむ…」高杉が、うなづいた。「そうですねえ…

遊女2人も、糸の切れた凧(たこ)のような心細さだったでしょう。しかし、芭蕉口振りでは

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
                   当時の地図                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(200)

【支折の言葉・・・8/6 】


…この辺りの街道にも、60年周期伊勢参宮人々が、まさに湧き出ていた様ですねえ。

芭蕉は…

その人々に付いて行けと言っています。彼女達も、それを覚悟伊勢参宮であり、芭蕉達

同様に、<一期一会・・・/ 一生に一度の ・・・人生の大冒険の旅の途上・・・> だっ

たわけです。彼女達の、一生語り草です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
       
                   蝉(せみ)                    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(201)

【支折の言葉・・・8/7 】


それは…

が、から這い出して羽化し、緑の世界にまっしぐらに飛び立つ時と同じです。もそう

ですね。にとっても、まさに巣立ちの時がそうです。子亀が、海岸から海に入る時がそう

です。

およそ、全ての生物体を受け、危険感動大冒険に出、そして死んで行くわけ

です。それが、生きているとう事ですから、遊女たちも覚悟の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                   那智黒石工房/仮谷梅管堂                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(202)

【支折の言葉・・・8/8 】


旅立ちだったのです。

彼女達は、次の出会いでは、もう笑っているのかも知れませんねえ、」

「はい…」支折が、ユックリとうなづいた。「ええ、を進めます…

芭蕉は…

<碁石の白石・・・いらご白> について話していますね。うーん…これは、ハマグリなど

貝殻の白だったわけですか。

碁石黒石は…

<那智黒石(なちくろいし/三重県熊野市神川町で産出される粘板岩の一種)・・・那智黒(なちぐろ) とか言

いますが…



 10月 28日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                   囲碁                              (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(203)

【支折の言葉・・・8/9 】


…あ、これは、黒飴(くろあめ/黒飴那智黒・・・明治10年創業の、和歌山県を代表する観光土産)のことではな

く、碁石ですが…これは、硬質粘板岩ですよね、」

“那智黒”は…」高杉が言った。「も、聞いた事がありますねえ。囲碁はやりませんが、」

は…」支折が言った。「何かの折に、調べた事があるのですが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                  熊野那智大社と、那智の滝                          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(204)

【支折の言葉・・・8/10 】


<新生代/新第三紀/中新世の・・・熊野層群の地層> からから採取される、黒石

そうです。那智は、熊野那智大社や、那智の滝などから来ていますよね。この黒石は、

の他に、庭園用玉石としても用いられています。

うーん…

その折に…

は、<碁石の白石は・・・いらご白> と…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                 
世界が認める碁石の最高峰。 宮崎にだけ残る 「ハマグリ碁石」   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(205)

【支折の言葉・・・8/11 】


…知ったのですが、こっちは貝殻/炭酸カルシウムだったのですかあ。

でも白石は、伊良湖崎名産だった様ですよね。良質碁石/白石は、よほど真っ白

ったのでしょうか?」

「うーむ…」高杉が、を傾げた。「他に上質な、面白い白石というのも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                   本蛤碁石                                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(206)

【支折の言葉・・・8/12 】


…有りそうなものですがねえ。

まあ、昔の人コレと決めた事です。貝殻があるのは、伊良湖崎だけではないでしょうが、

<いらご白が・・・良い品/名産> とした、わけですねえ。現在は、<宮崎県/日向の

特産> とも聞きますが、」

「はい…」支折が、微笑してうなづいた。「<日高昆布(/北海道の地域ブランド。日高地方が主産地。)

だとか、<関サバ(せきさば/豊予海峡(ほうよかいきょう)で漁獲され、大分県大分市の佐賀関で水揚げされる

サバ。関アジとともに、水産品の高級ブランドとして知られ、地域団体商標も取得している。) だとか…



 10月 29日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
       
                                                                             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(207)

【支折の言葉・・・8/13 】


<備長炭(びんちょうたん/狭義には、姥目樫(うばめがし)の炭のみを備長炭と呼びますが、広義において樫全般、

青樫等を使用した炭を指します。) とか…」

「はは…」高杉が言った。「そうですねえ、」

「ええと…」支折が、モニターを流した。「それから、芭蕉は…


★ 鷹(たか)一つ 見付てうれし いらご崎  (芭蕉)


…と詠んでいますが、を仰いでいる芭蕉の心が、まるで乗り移る様な光景ですね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                   熱田神宮                                   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(208)

【 原文・・・9/1 】


熱田御修復


★ 磨(とぎ)なをす鏡も清(きよ)し雪の花


蓬左(ほうさ/・・・熱田神宮を蓬莱
(ほうらい) 宮と称したところから、それに向かって左、すなわち北の一帯。熱田から名

古屋城のある辺りにかけての地域をさす。 )の人々にむかひとられてしばらく休息する程、


★ 箱根こす人も有(ある)らし今朝の雪

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
日本神話 三種の神器  天叢雲剣(あめの・むらくもの・つるぎ)/草薙剣(くさなぎの・つるぎ)模造刀 (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(209)

【 現代語訳・・・9/1 】


熱田神宮は修復中だった。


★ 磨(とぎ)なをす 鏡も清(きよ)し 雪の花


     熱田神宮の社殿は・・・

         きれいに整えられ・・・

             磨ぎなおした鏡も・・・

           さらに清らかに・・・

               折から・・・

                   花のような雪がふりしきる・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                   『東海道五拾三次・・・箱根 湖水図』/歌川広重     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(210)

【 現代語訳・・・9/2 】


<蓬左の人々/・・・名古屋の人々 に迎えられて、しばらく休息していた時、


★ 箱根こす 人も有らし 今朝の雪


     今朝の雪は・・・

         たいへんな降り方だ・・・

             こんな雪の中を・・・

                 箱根越えの人々もいることだろう・・・

               私の方は・・・

                   あたたかな土地の人々の歓迎を受けている・・・

                       有り難いことだ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(211)

【支折の言葉・・・9/1 】


「ええ…」支折が言った。「熱田神宮(あつた・じんぐう/愛知県名古屋市熱田区にある神社。主祭神は、熱田大

神で、三種の神器の1つ・草薙神剣(くさなぎのみつるぎ、草薙剣・天叢雲剣)を神体とする天照大神を指すとしている。)

すね…

芭蕉は…

伊良湖崎から、<鳴海村の庄屋・・・蕉門/下里知足の館> まで戻り、そこから

の方へ、紀行を進めたわけですね。

杜国のいる渥美半島保美は、まさに道を戻った事になるわけですね。25里戻ったとあり

ますが…



 10月 30日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                  芭蕉が戻ったコース     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(212)

【支折の言葉・・・9/2 】


1里(/=三六町=3.93㎞)は、約4kmですから100km程ですね。

芭蕉は、現代風に見れば、わざわざ戻った様に見えますが、目的地があいまいな紀行

あり、旅好き芭蕉ですから、放浪しながら、ちょっと戻った程度の事だったのでしょうか。

どっちにしろ、門人/知足の館宿所とし、方々見学していたわけです。

それよりも…

(とが)を受けた、門人/杜国に会っておく事の方が、よほど大事だった様に推測します。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                   伊良古崎                            (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(213)

【支折の言葉・・・9/3 】


それは、俳人/芭蕉としての、哲学だったのでしょうか。本来、関西人である芭蕉にとって、

この辺りは地元とも言えるわけです。伊良湖岬も、一度、見て置きたかったのでしょうか。

さて…

<熱田神宮(あつた・じんぐう) ですが…

芭蕉は、3年前 野ざらし紀行 でも立ち寄っています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                   熱田神宮                                   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(214)

【支折の言葉・・・9/4 】


もっとも…

東海道を通って、熱田神宮素通りする事はないですね。この神社は、ご存知の様に、

古屋市熱田区にある神社です。

旧社格(/社格とは、神社の格式。近代社格制度とは、明治維新の後、延喜式(えんぎしき/平安時代中期に編纂され

た格式/律令の施行細則で、三代格式の1つ。)による社格にならって、新たに作られた社格制度。第二次世界大戦後に、

GHQ (連合国軍最高司令官総司令部) による神道指令によって廃止された。 )は…

官幣大社(かんぺいたいしゃ/官(朝廷、国)から幣帛(へいはく/神道の祭祀において神に奉献する、神饌以外のもの

の総称)ないし、幣帛料を支弁される神社。)であり、現在神社本庁別表神社となっています。

<宮中の・・・四方拝(しほうはい/毎年1月1日(元日)の早朝、宮中で天皇が天地四方の神祇を拝する儀式。 四

方を拝し、年災消滅、五穀豊穣を祈る宮中祭祀。)で遥拝(ようはい/遠く、へだたった所から拝むこと。)される一社

…と言うことですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                 三種の神器                             (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(215)

【支折の言葉・・・9/5 】


ええ…

お社(おやしろ)は、名古屋市南部熱田台地南端鎮座します。古くは、伊勢湾突出し

た岬上位置していたと言いますが、周辺の干拓が進んだ現在、その面影は見られない

と言います。

熱田神宮は…

<三種の神器(さんしゅの・じんぎ/日本神話において、天孫降臨(てんそん・こうりん)の際にアマテラス(天照大神)

がニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)に授けた、三種類の宝器) 1つである <草薙剣(くさなぎの・つるぎ)


 10月 31日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
二位尼/・・・平時子・従二位/平清盛の正室が、安徳天皇を抱いて、壇ノ浦で入水・・・草薙剣も遺失  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(216)

【支折の言葉・・・9/6 】


(まつ)る神社として知られています。

そして、この剣は…

鎮座の後も、<盗難/・・・草薙剣盗難事件> にあったり、<形代(かたしろ/神霊が依憑く(よ

りつく)、依代(よりしろ)の一種)が・・・壇ノ浦の戦いで遺失する> などの、受難にみまわれてい

ます。

あと、ええと…

熱田神宮建物は、伊勢神宮と同じ神明造(しんめいづくり)ですが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                    氷上姉子神社 (ひかみ・あねご・じんじゃ)     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(217)

【支折の言葉・・・9/7 】


1893年(明治26年)までは、尾張造(おわりづくり)と呼ばれる独特建築様式でした。ここの

境外摂社(けいがい・せっしゃ/・・・摂社とは、本社に縁故の深い神を祀った神社。本社と末社の中間に位し、本社の境

内にある境内社と、境外にある境外社(/境外摂社)がある。)の、氷上姉子神社(ひかみ・あねご・じんじゃ/名古屋

市緑区大高町火上山にある神社)に、その尾張造建築様式が残っている、と言うことです。

ちなみに…

熱田神宮初詣には、毎年200万人以上と言われます、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                 三種の神器                           (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(218)

【支折の言葉・・・9/8 】


「うーむ…」高杉が、三種の神器画像を見つめた。「<三種の神器(さんしゅの・じんぎ)・・・

八咫鏡(やたの・かがみ)・草薙剣/天叢雲剣(くさなぎの・つるぎ/あめの・むらくもの・つるぎ・八尺瓊勾

(やさかにの・まがたま) の内の…

<草薙剣/雨叢雲剣> が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
      
即位礼正殿の儀  即位の礼 ・・・前を行き、捧げ持つのが、草薙剣/天叢雲剣    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(219)

【支折の言葉・・・9/9 】


…この熱田神宮御神体ですか。天皇の元には、ないのですか?」

「うーん…」支折が、うなづいた。「ええと…

その事については、も疑問に思い、調べた事があります、」

「さすがは…」高杉が言った。「支折さんですねえ…

一度、その説明を聞いて置きたいですねえ、」


 11月  1日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                 三種の神器                           (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(220)

【支折の言葉・・・9/10 】


「はい…」支折が、うなづいた。「ええ…

<三種の神器> は…

天皇 <即位の礼> で、大きな役割を担うのですが、実物見たことのある人はいな

いのだそうです。神々から、直系子孫とされる皇室に、代々伝えられていると言われて

います。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  wpe75.jpg (13885 バイト)
                                                            イギリス/エリザベス女王の王冠  (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(221)

【支折の言葉・・・9/11 】


日本天皇は…

<王冠> を被らない代わりに、<三種の神器が・・・皇位を表す> のだ、そうです。そ

して…


これらの神聖な宝物は・・・人々の目から隠されている・・・いつ、作られたのか分

からないし・・・見られることもない・・・


…のだそうです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                 <即位礼正殿の儀 >                    (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(222)

【支折の言葉・・・9/12 】


ちなみに…天皇も見たことがない、という事です。

また…

<即位の礼> においてさえ、形代(かたしろ/・・・レプリカ = 複製品)使うようです。そして、この

レプリカ/複製品も、まだ、披露された事はない様です」

「ふーむ…」高杉が、を傾げた。「<即位の礼> 使われていたのは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                 草薙剣                              (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(223)

【支折の言葉・・・9/13 】


…その形代ですか…」

<草薙剣> の…」支折が言った。「オリジナルが…

もし本当にあるとすれば、それは日本各地神社に、留まることになるのだそうです。

うーん…

その様に、説明されていました。私が調べたのは、そこまででした…」



 11月  2日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                              イザナギとイザナミの国生み            (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(224)

【支折の言葉・・・9/14 】


「それは…」高杉が言った。「霊的なもの、を指しているのでしょうか?それが、憑依(ひょう

い/霊などが乗り移ること)していると?」

「そうかも…」支折が、を傾げた。「知れません…」

「うーむ…」高杉が、うなった。「まさに、<国生み神話 (/ イザナギとイザナミの二神が、高天原の

神々に命じられ、日本列島を構成する島々を創成した物語。) 重なってくるわけですねえ。

<形代(かたしろ)ですか…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
二位尼/・・・平時子・従二位/平清盛の正室が、安徳天皇を抱いて、壇ノ浦で入水・・・草薙剣も遺失 (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(225)

【支折の言葉・・・9/15 】


<形代> は、レプリカ/複製品という意味もある様ですし、<依代(よりしろ)/・・・神霊が

依憑(よりつ)く、対象物> という、意味もある様ですねえ、」

「そうですね…」支折が、うなづいた。「<形代とは・・・神霊が依憑く、依代の一種>、と

いう意味があります。

<源平合戦の壇ノ浦で・・・草薙剣(/または、その形代)が・・・失われた> とあるのは、そう

いう事だと思います」

「ふーむ…」高杉が、アゴを当てた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     wpe75.jpg (13885 バイト)
                                                             八咫鏡 (やたの・かがみ) -  依代(よりしろ)    (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(226)

【支折の言葉・・・9/16 】


「ええと…」支折が言った。「を進めましょうか…

<三種の神器> の内…

まず…


<八咫鏡
(やたの・かがみ/・・・伊勢神宮にある御神体と、その御神体をかたどって作ったという、皇居にある形代

(形代/複製品)の、2つがある。)

 は…

1000年以上に造られたとされ、三重県 <伊勢神宮> に納められている、と信じ

られています。

<三種の神器の中でも・・・八咫鏡が・・・最も神聖とされている・・・>


岡田健吉‏@zu5kokd1  
「剣璽等承継の儀」に臨まれる新天皇陛下=皇居・宮殿「松の間」で2019年5月1日午前10時32分 (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(227)

【支折の言葉・・・9/17 】


…という事です。

1989年に…

現/上皇が、天皇即位された際

<八咫鏡> だけは、<剣璽等承継の儀(けんじとう・しょうけいのぎ) 継承されず、皇居

賢所(かしこどころ)で、個別祭儀が行われた、とあります。

2019年/令和元年5月1日の、今上天皇(きんじょう・てんのう/その時々における在位中の日本の天皇)

も、同様だったのでしょうか。

日本民話では…

は、神の力を持ち…



 11月 3日

   文化の日

岡田健吉‏@zu5kokd1     wpe75.jpg (13885 バイト)
                                              古事記 を編纂した、太安万侶 (おおの・やすまろ) (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(228)

【支折の言葉・・・9/18 】


真実映すとされます。

皇室儀式では、<八咫鏡(やたの・かがみ)は・・・天皇の知恵を象徴> するとされます。

日本古代神話を記した…

 古事記(こじき/一般に現存する日本最古の歴史書であるとさます。和銅5年(712年)に太安万侶(おおの・やすま

ろ)が編纂し、第43代/元明天皇に献上されました。上・中・下の3巻。内容は天地開闢 (てんちかいびゃく/・・・日本神話)

から、第33代/推古天皇の記事を記述する。 ) によると…

<八咫鏡> は、<伊斯許理度売命(いし・こりどめの・みこと)というによって、造られた

いう事ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                             建速須佐之男命(たけはや・すさのおの・みこと)    (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(229)

【支折の言葉・・・9/19 】


そして…

 <太陽神である・・・天照大神(あまてらす・おおみかみ)が…

きょうだいの <建速須佐之男命(たけはや・すさのおの・みこと/日本書紀 では、イザナギとイザナミの

間に産まれて・・・天照大神・ツクヨミ(月読)・ヒルコ(蛯児)の次に当たる。)との、不和理由に…

<天岩戸(あまのいわと)隠れてしまい、世界闇に包まれました。現代風に言えば、

既日食が、それに近いでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                                                              (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(230)

【支折の言葉・・・9/20 】


困った神々は…

を開いて <天照大神> を誘い出そうとしました。<天照大神> は、<八咫鏡>

映った自分写し身に誘われて、外に出て、世界光が戻ったとされます」

「うーむ…」高杉が、アゴをひねった。「この辺りは…

皆既日食も含めて、他にも色々と言われていますねえ。まあ、面白い所ですね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
       天照大神あまてらす・おおみかみの孫に当たる・・・ <邇邇芸命(ににぎの・みこと)   (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(231)

【支折の言葉・・・9/21 】


「はい…」支折が、うなづいた。「ともかく…

<八咫鏡を含む・・・三種の神器> は…

その後、 <天照大神の・・・孫に当たる・・・邇邇芸命(ににぎの・みこと) に、受け継がれ

ました。


邇邇芸命は・・・

   紀元前660年に・・・日本で最初の天皇となった・・・神武天皇の曽祖父・・・


…とされている…


 11月  4日

岡田健吉‏@zu5kokd1
                                 八岐大蛇を退治する須佐之男命              (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(232)

【支折の言葉・・・9/22】


…という事ですね、」

「ふーむ…」高杉が、を当てた。

「次に…」支折が言った。「ええと…


<草薙剣(くさなぎの・つるぎ) です…


伝説によると…

<草薙剣>は、<8つの頭を持つヘビ・・・八岐大蛇(やまたの・おろち)の・・・尾> から出

た、とされます。

高天原での <須佐之男/スサノオ> 荒々しい行動は、<姉/天照大神> <天

岩戸> 隠れさせるという事態を招き、そのあとスサノオを抜かれ、手足の爪を抜

かれ、追放されました。

高天原から追放されたスサノオは、出雲の国/簸(ひ)の川上到着(/肥の河の川上にある、鳥

髪の地に降り立った。)し、打ちひしがれる老翁老婆少女に出会います。


 

  須佐之男命(すさのおの・みこと)の八岐大蛇(やまたのおろち)退治  (月岡芳年 画)       (ネットより画像借用) 


岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                                              (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(233)

【支折の言葉・・・9/23】


八岐大蛇に、を食べられてしまった老夫婦は、最後に残った娘との結婚条件に、<須

佐之男命> 助けを求めました。

須佐之男命は、八岐大蛇酒を飲ませて退治し、そのから <草薙剣> を見つけまし

た。

<草薙剣> はその後、<天照大神> 捧げられました」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                   天照大神 (あまてらす・おおみかみ/・・・イザナギとイザナミの間に生まれた長女)   (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(234)

【支折の言葉・・・9/24】


「ふーむ…」高杉が、アゴを傾げた。「<草薙剣> が…

八岐大蛇から出た神話は知っていますが、それは <八咫鏡(やたの・かがみ)の様

に、何者かによって作られたものではなかったのですか?」

「うーん…」支折が、を当てた。「も…

八岐大蛇は知っていましたが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                 天照大神 と 月読命(つくよみの・みこと/・・・後世では一般に男神と考えられているが、
                 
『古事記』『日本書紀』 では、性別の記述はない。須佐之男命の兄 )  (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(235)

【支折の言葉・・・9/25】


…それ以上、深く考えた事はありませんでした。後で、少し調べておきます。

ええと、ともかく…


草薙剣は・・・天皇の勇敢さを示している


…と言われます。

でも、その由来所在はほとんど分かっておらず、実在疑問視するもある様です。た

だ、その存在秘匿(ひとく/秘密にして隠しておくこと)されているのは、事実だ、という事です。



 11月  5日

岡田健吉‏@zu5kokd1  wpe75.jpg (13885 バイト)
                 宮司 ・・・(神職や巫女をまとめる、神社の長)  神主(/神職、 )    (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(236)

【支折の言葉・・・9/26】


江戸時代に、1人の神主がこの剣を見たと触れ回りましたが、その後、神主流刑にされ

たと言います。

それから…

<源平の合戦の折・・・壇ノ浦で失われたという説> もあります。でも、この時に失われ

<草薙剣> も、<形代/レプリカ> だった可能性もあると言います。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                 八岐大蛇を退治する須佐之男命     (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(237)

【支折の言葉・・・9/27】


現在は、<別のレプリカ> 皇居安置され、<即位の礼> に使われるとも、説明

れています。

<1989年の・・・平成の即位の礼> では…

天皇 <草薙剣> 継承したとされていますが、剣を納めた箱が、開けられることはな

かった、と言います。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              天皇御璽金印 ・ 大日本国璽印字 ・ 天皇御璽御璽印字   (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(238)

【支折の言葉・・・9/28】


<2019年5月1日の・・・令和の即位の礼> では…

これは…つい昨年の事ですが…おそらく、同様だったと思われます、」

「まあ…」高杉が言った。「そうでしょうねえ…」

「ええ…」支折が、モニターを覗(のぞ)いた。「<三種の神器> の内…

剣と璽(じ/…皇位の印章としての玉。三種の神器の1つである <八尺瓊勾玉を・・・璽> とし、剣である天叢雲剣と併

せて剣璽と呼ぶ。)を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                 日本武尊/倭建命 (やまとたけるのみこと)    (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(239)

【支折の言葉・・・9/29】


…併せて剣璽(けんじ)と称し、<剣璽等承継の儀> が行われますが、これは <三種の

神器> 別称でもある、と言います。

ちなみに…

前に述べましたが…

1989年に、現/上皇天皇即位された際、<八咫鏡> だけは、<剣璽等承継の儀

継承されず、皇居賢所(かしこどころ)で…



 11月  6日

岡田健吉‏@zu5kokd1  wpe75.jpg (13885 バイト)
                                 初代/神武天皇 (じんむ・てんのう)    (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(240)

【支折の言葉・・・9/30】


個別祭儀が行われたわけですね。

ええ、それから…


三種の神器を伝世するにあって・・・

  実見することは、如何なる者にも許されず・・・歴代天皇でさえも、例外ではない>


…と言います。それほどの秘中の秘であるがゆえに、多くの面に包まれている…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
       神武天皇東征之図』  明治24年(1891年 /安達 吟光(・・・明治時代の浮世絵師)   (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(241)

【支折の言葉・・・9/31】


…という事ですね、」

「ふーむ…」高杉が、を傾げた。「結局…

<草薙剣・・・雨叢雲剣> は、八岐大蛇から出て来たという事ですかね、」

「ええと…」支折が、モニターを寄せた。「この部分を、古事記 より抜粋してみます…

 

*******************************************************************

古事記/・・・八俣の大蛇 (八岐大蛇) 』

 

     

 

むかし、むかし、その昔、神代の昔

 

 高天原 (たかまがはら) で暴れすぎて、姉のアマテラスオオミカミ (天照大御神) に追放処分され

た、スサノオノミコト (建速須佐之男命、素戔男尊、須佐能袁命) が、出雲国の、肥の河 (ひのかわ:斐伊川)

 上流の鳥髪 (とりかみ:現奥出雲町鳥上) に降 (くだ) ってきました。



 この時、箸
(はし) が河を流れ下ってきました。

スサノオノ命は、その河上 (かわかみ) に、人が居ると思い尋ね上ってゆくと、おじいさん (老夫

與) とおばあさん (老女) の二人が美しい娘 (童女) を中に置き泣いていました。

 

「あなた達は誰か?」と問うと、おじいさんは「私は国の神。オホヤマツミノカミ (大山津見神)

子で名前をアシナヅチ (足名椎、脚摩乳) 、妻の名はテナヅチ (手名椎、手摩乳) 、娘の名はクシナダ

ヒメ (櫛名田比賣、奇稲田姫) といいます」と答えました。

 

「どうして泣いているのか?」と訳を聞くと、アシナヅチは「私には八人の娘がいましたが、

高志 (こし:越の国) のヤマタノオロチ (八俣遠呂智:八岐大蛇) が毎年来て、一人ずつ喰ってしまいま

した。今年も来る時なので、悲しくて泣いています」と言いました。

 

「どのような形をしているのか?」と尋ねると「その目は、あかかがち (赤加賀知:ほおずき) よう

に真っ赤で、一つの身に八つの頭と八つの尾があり、体には苔 (こけ) や檜 (ひのき) や椙 (すぎ)

が生え、その長さは八つの峡谷と八つの尾根に渡っています。その腹を見ると、いつも血

でただれています」とアシナヅチは答えました。

 

「ヤマタノオロチを退治するから娘を私の妻にくれないか」とアシナヅチに問うと「恐れ多い

ことですが、あなたの御名を存じません」と答えました。

「私は、天照大御神の弟だ。いま高天原から降 (くだ) ってきたところだ」。アシナヅチとテナヅ

チは畏 (かしこ)

「それは恐れ多いことを申しました。娘をさし上げます」と申し奉
(たてまつ) りました。

 

 スサノオ命はすぐにクシナダヒメを隠すために、クシナダヒメを櫛に変えて自分の角髪 (み

ずら) に刺しました。

 そしてアシナヅチとテナヅチに「何度も醸
(かも) した、八鹽折(やしほおり)の強い酒を造り、垣

根をめぐらし、垣根に八つの門を作り、門毎に八つの桟敷 (さじき) を作り、その桟敷毎に酒船

を置き、船ごとに八鹽折の酒を盛って待て」と命じました。

 命ぜられたように備えをして待っていると、ヤマタノオロチが本当に現われ来て、八つの

頭を酒船ごとに垂らし入れ、その酒を飲み干すと、強い酒に酔いが回り死んだように伏して

寝てしまったのです。

 

 すかさずスサノオ命は、十拳剣 (とつかの・つるぎ) を抜いて「大蛇」を切り散らすと、肥の河は

「血の河」に変わり流れ下りました。

 

 その中の尾を切った時、御刀の刃が欠けたので、怪しいと思い御刀で刺し割って見ると、

都牟刈大刀 (つむがりのたち) がありました。

 

 この異物 (不思議) な大刀を、姉の天照大御神に白上 (献上) しました。この大刀が、草那藝

之大刀 (くさなぎのたち) です。

 

 さてこうして、スサノオ命は、宮作りの地を出雲国に求めて須賀の地に着くと「この地に

来て我が心はすがすがしくなった」と申され宮を作られました。それでこの地を今でも須賀

(すが) と云っています。

 

 スサノオ命が、初めて須賀の宮を作られたときその地より雲が立ち騰ぼりました。そこで

歌をつくられました。その歌は、


八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を

(やくもたつ   いずもやえがき つまごみに  やえがきつくる    そのやえがきを)


 アシナヅチを喚
(よ) び「我が宮の首 (おびと) 」に任じ「稲田宮主須賀之八耳神」 (イナダノミヤヌ

シ スガノヤツミミノカミ) と名號 (なず) けました。

 スサノオ命は、クシナダヒメと共に暮らし出雲国の基礎をつくり、子孫の「大國主命
(オオク

二ヌシノミコト) 」が大八州国を平定し治めました。

                          wpe75.jpg (13885 バイト)

******************************************************************* 


岡田健吉‏@zu5kokd1       
                                            (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(242)

【支折の言葉・・・9/32】


つまり…

その八岐大蛇から出たが、<草薙の剣・・・雨叢雲剣>…というわけですね、」

「ふーむ…」高杉が、を当てた。「刃こぼれですか…

青銅の剣が、鉄の剣に当たったのでしょうか?まあ、鉄剣だったとしても…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                   (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(243)

【支折の言葉・・・9/33】


八岐大蛇から宝剣が出てくること自体、神話的ですがね、」

「そうですね…」支折が言った。「ええと、次に…


八尺瓊勾玉(やさかにの・まがたま)…です。


<勾玉(まがたま)とは…

紀元前1000年頃から、日本で作られ始めたコの字型に曲がったビーズ一種ですよね。


 11月  7日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                                               (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(244)

【支折の言葉・・・9/34】


もともとは装身具だったのですが、後に象徴的価値を持つようになりました。

 <璽(じ)とも呼ばれる・・・八尺瓊勾玉/八坂瓊曲玉(やさかにの・まがたま) は…

天照大神 <岩戸隠れ(いわとがくれ/色々あって、太陽神である天照大神が天岩戸(あまのいわと)に隠れ、

世界が真っ暗になった日本神話。)の際に、玉祖命(たまの・おやの・みこと/玉造部(たまつくりべ)の祖神とさ

れる。)が作って、飾ったとされます。

<三種の神器> の中では…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                      赤坂御所/ 迎賓館 ・・・ 東京都港区元赤坂      (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(245)

【支折の言葉・・・9/35】


<唯一 ・・・オリジナルが残っている・・・> と、されているものです。

ええと…

それは、現在皇居保管されていて…


八尺瓊勾玉は・・・天皇の慈悲を象徴している


…とされています。

あ、ええ…

保管場所の、最近経緯は…

1989年 (昭和64年) 1月7日に、第125代/天皇上皇明仁践祚(せんそ/天子の位を受け継ぐこと

であり、先帝の崩御あるいは譲位によって行われる。)した後…

明仁の神器として、皇居にある御所 <剣璽の間(けんじのま) に、(形代)とともに保管

されていました。

2019年 (令和元年)5月1日の、第126代/天皇徳仁践祚に伴い当分の間

<赤坂御所で・・・剣(形代)とともに・・・保管されることになった>…という事ですね。つま

り、現在は、赤坂御所保管されている様です。

それから…

養老令 (ようろうれい/大宝元年 (701年) に成立した <大宝律令> は、その後も撰修が進められ、天平宝字元年

(757年)、語句や表現、増補がなされたものが施行されました。これが <養老律令> です。全10巻30篇。) 神祇

(じんぎりょう/・・・20条から成る。)に…


<およそ践祚(せんそ)の日、忌部(いんべ/忌部氏は、天太玉命(あめの・ふとだまの・みこと)を祖とする神別

(天神)の古代氏族。古代朝廷における祭祀を担った。)、神璽(しんじ)の鏡剣(かがみ・たち)を上(たてまつ)れ>


岡田健吉‏@zu5kokd1       
                            【小倉百人一首・・・2番/持統天皇  万葉集・・・巻1  ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(246)

【支折の言葉・・・9/36】


…との記述があり…

事実日本書紀 には、持統天皇4年(690年)第41代/持統天皇即位を初めとして、

忌部氏(いんべ・うじ) <神璽(しんじ)の剣鏡(たち・かがみ) 奉ったとあります。


<神話での記述では・・・>

日本神話(/ほとんどが、『古事記』『日本書紀』、および、各 『風土記』 の記述による。)では、<岩戸隠れ>

の際に、後に玉造連(たまつくり・むらじ)祖神(おやかみ 、そじん 、そしん)となる玉祖命(たまの・おやの・

みこと/玉造部(たまつくりべ)の祖神とされる。)が作り、<八咫鏡(やたの・かがみ) とともに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              天孫降臨/天照大神の孫・・・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)   (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(247)

【支折の言葉・・・9/37】


太玉命(ふとだまの・みこと)が捧げ持つ、(さかき)の木に掛けられました。

後に…

<天孫降臨 (てんそん・こうりん/天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大御神の神勅を受けて葦原の中津国を

治めるために、高天原から筑紫の日向の襲(熊襲/くまそ)の高千穂峰へ天降(あまくだ)ったこと。

 邇邇藝命は天照大御神から授かった <三種の神器> をたずさえ、天児屋命(あまの・こやねの・みこと)などの神々を連

れて、高天原から地上へと向かう。途中、猿田毘古神(さるたひこの・かみ)が案内をした。) に際して、瓊瓊杵尊

ににぎのみことに、授けられたとする…とあります。


古事記 には・・・>

八尺瓊勾玉(やさかにの・まがたま/= 緒に通した勾玉)の後ろに、さらに <五百津之美須麻流之

(いほつの・みすまるの・たま) という、数の多さ形容したが付きます。



 11月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1     wpe75.jpg (13885 バイト)
                                                             八咫鏡 (やたの・かがみ)    (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(248)

【支折の言葉・・・9/38】


これで…

<三種の神器> については、一応、説明したわけですね。

天照大御神の…

<御神体としての・・・八咫鏡(やたの・かがみ) は…

伊勢神宮内宮(ないくう/皇大神宮(こうたい・じんぐう)・・・三重県伊勢市にある神社。伊勢神宮の2つの正宮のうち

の1つ。もう1つは、外宮(豊受大神宮)。)奉安(ほうあん/尊いものを、つつしんで安置すること。)されています。

<八咫鏡・・・の見分記録(けんぶんきろく) には…

<八頭花崎八葉形也<八葉中有方円五位象 、是天照大神御霊鏡座也>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                   第122代/明治天皇    ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(249)

【支折の言葉・・・9/39】


…とある、様ですね。詳しい意味は分かりませんが、漢字を拾っていけば、大よその事

見当がつきますよね。

<八咫鏡> は…

明治/初年に、第122代/明治天皇天覧(てんらん/時の天皇が、観覧・観察すること) した後、あ

らためて、内宮奥深くに、奉納安置された…事になっている、とあります。

本体伊勢神宮/内宮にあり…

<形代> 皇居にあって、<即位の礼> に、使われた様ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                 三種の神器                           (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(250)

【支折の言葉・・・9/40】


<草薙剣(くさなぎの・つるぎ)・・・雨叢雲剣(あめの・むらくもの・つるぎ)は…

熱田神宮の、御神体となっている、わけですね。

<三種の神器> の中では、<草薙剣は・・・天皇の持つ武力の象徴> と、されていま

す。

そして、<形代> 皇居にあり、<即位の礼> に、使われたわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(251)

【支折の言葉・・・9/41】


<八尺瓊勾玉(やさかにの・まがたま)は…

皇居に、“実物/オリジナル” があるとされ…

これに関しては、<形代(かたしろ/レプリカ) というものは、無い様です」

「うーむ…」高杉が、に手をてて、うなづいた。「まあ…

<三種の神器> について、おおよその事は分かりました、」



 11月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
                                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(252)

【原文・・・10/1 】


< 有人(あろひと)の会 >


★ ためつけて雪見にまかるかみこ哉(かな)


★ いざ行む雪見にころぶ所まで


ある人興行


★ 香を探る梅に蔵見る軒端哉(のきばかな)


此間(このあいだ)美濃・大垣・岐阜のすきものとぶらひ来りて、歌仙あるは一折など度々

に及。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     wpe75.jpg (13885 バイト)
<紙子/紙衣> 上質の厚くすいた和紙に、柿渋をぬり、何度も日にかわかし、衣服に仕立てたもの。  (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(253)

【現代語訳・・・10/1 】


<ある人の会で>


★ ためつけて 雪見にまかる かみこ哉


       紙子(かみこ/紙衣、かみぎぬ)の皺(しわ)を・・・

           キチンとのばし・・・

               装いを改めて・・・

                   雪見に出て行きましょう・・・

 

★ いざ行む 雪見にころぶ 所まで


       さあ・・・

           遠くまで・・・

               雪見に・・・

                   行きましょう・・・

                       転んで・・・

                           動けなくなってしまう所まで・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1      

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(254)

【現代語訳・・・10/2 】


ある人が俳諧の興行(/防川亭(ぼうせんてい)にて、)をした。その席で、


★ 香を探る 梅に蔵見る 軒端哉


       梅の香りをさがし・・・

           庭を歩いていると・・・

               蔵の軒端に・・・

                   梅が咲いているのを見つけた・・・


この間、美濃・大垣・岐阜の風流を愛する同好の士たちが訪ねてきて、俳諧の席をもうけ

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(255)

【現代語訳・・・10/3 】


…歌仙(かせん/三十六句をつづけて詠むもの)をしたり、または半歌仙をしたり、数度に及んだ。



 11月 10日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
                                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(256)

【支折の言葉・・・10/1 】


「ええ…」支折が言った。「熱田ですね…

は、芭蕉は…

<東海道の歌枕の地・・・鳴海(/古来千鳥の名所で、歌枕)/鳴海村の・・・庄屋・蕉門/下里

知足の館> に留まり…

そこに逗留して、俳諧の会などを催し、それから、杜国追放になっている保美、そして

良古(湖)に足を伸ばしている…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
                          
山茶花(さざんか/・・・冬の季語    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(257)

【支折の言葉・・・10/2 】


…と、推測しました。

でも芭蕉は、俳諧の会興行を、熱田何度もやったと、笈の小文本分記していま

す。

うーん…

芭蕉が、<蕉門/知足の・・・館> 宿にし、前触れでそれが知れ渡っていれば、ここで、

俳諧連歌の会を、催さないはずはありませんよね。近隣から、多くの俳人・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
                     井原西鶴                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(258)

【支折の言葉・・・10/3 】


文化人なども集まったはずです。

そうそう、蕉門/知足は、<井原西鶴> とも知己だと言われていますよね。もっとも、そう

した文化人は、鳴海で会わなくとも、芭蕉はいずれ東海道上って行く、という事もあります

が。

ええ、ともかく…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
<★ 鷹一つ 見付て嬉し いらこ崎 ・・・の句碑  田原海道/国道259号に面してあります。 (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(259)

【支折の言葉・・・10/4 】


推測が、間違っているとは思いませんが、芭蕉は、熱田俳諧の会幾度も催した

と記しています。

最初に言った様に…

塾長も、 笈の小文 には、今回初めて接しています。多少とも知っていれば、こうし

齟齬(そご/物事がうまくかみ合わないこと)は、無かったわけですね。申し訳ございません。



 11月 11日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(260)

【支折の言葉・・・10/5 】


でも、当時徒歩であり…

特に俳諧紀行は、急ぎ旅というわけではありませんね。そして、おそらく、<庄屋/知足

の館> には、熱田の人々も待ち切れずに集まって来ていて、さらに熱田でも、歓待を重ね

たのでしょうか、」

「うーむ…」高杉が、ほくそ笑んだ。「当時の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
                               (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(261)

【支折の言葉・・・10/6 】


娯楽というものや、文化人の姿が、偲ばれますねえ。芭蕉は、江戸からやって来るスーパ

ースターですからねえ。

それが、予備草鞋(わらじ)を腰に下げ、ブラブラとやって来たわけですかあ。まさに、平和

な時代到来した、郷愁元禄文化ですねえ。

奈良・平安古の時代から、文化貴族の独占であり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                       
                  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(262)

【支折の言葉・・・10/7 】


鎌倉/武家政権時代からは、上級武家にも拡大しましたが…

それが…

庶民の間にまで拡大するには、<江戸時代・初期・・・元禄文化の時代> まで、待たな

ければならなかったわけです。そして、それがいよいよ開花して行くわけですか、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                    
江戸時代/木綿問屋が軒を連ねた大伝馬町    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(263)

【支折の言葉・・・10/8 】


「そうですね…」支折が、うなづい。「でも…

江戸/元禄時代でも、いわゆる元禄文化没頭できたのは、豊かで、ゆとりのある商人

どが中心だった様ですね。その時代の、教養人ということになりますが、」

「それは…」高杉が言った。「現代でも、変わらない様に思いますがねえ…

そうした事よりも、荒ぶりギャンブルを好む人々は、常にいますから、」



 11月 12日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
      
江戸名所図会 二軒茶屋 雪中遊宴之図  (雪見や月見で有名だった高級料亭)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(264)

【支折の言葉・・・10/9 】


「うーん…」支折が、うなづいた。「そうですね…

ええ…

この熱田での句に、雪見の句がありますね。俳人達が、雪見に出かけるとは、まさに風流

ですね。

昔も今もそうですが…

“雪が降る”“雨が降る”“野分(のわき、のわけ/・・・台風の古称)の後” など…

そうした単純な事象に、深く感じ入る

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
                (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(265)

【支折の言葉・・・10/10 】


…ことが出来るのが、俳人感性ですね。

あるいは、野良仕事(のらしごと/田畑に出てする仕事)没頭し、ふと見上げた青空に、“秋の青空

の深さ”感じる心です。

その感性で…

<蕉門の宗匠(そうしょう/和歌・連歌・俳諧・茶道・花道などの師匠)/芭蕉は・・・皆と連れ立って>

紙衣(紙子/かみこ、かみぎぬ)シワを伸ばし、かしこまって雪見の散策に出かけて行くわけで

す。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                       
                  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(266)

【支折の言葉・・・10/11 】


★ ためつけて 雪見にまかる かみこ哉


★ いざ行む 雪見にころぶ 所まで


この、<雪見にころぶ 所まで > とは…

まさに芭蕉の、<風雅・風狂への・・・没頭・没入の姿勢/スタンス> が、示されている

のかも知れませんね。

<転ぶ所まで> 行く…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                        
    夏の水面                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(267)

【支折の言葉・・・10/12 】


…という風狂への没入です。

遊び心のかげに、<風雅・風狂の・・・求道者(ぐどうしゃ)の本音> が、垣間見えるのかも

知れません」

「ふーむ…」高杉が、アゴを当てた。「まあ…

風景の中で、水面(みなも)を見ていても、“夏の水面”“秋の水面” は、まるで違いますね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                        
  秋の水面                        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(268)

【支折の言葉・・・10/13 】


“秋の水面” は、青空深さを写す様に、深い憂いを秘めています。

そして…

“水面の光が・・・夏から秋に、変わる日”、というものがあります。さらに、その “秋の水面”

が、“キラキラする・・・冬の水面”変わる時も、あるわけですねえ、」

「はい…」支折が、コクリと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                        
   冬の水面                       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(269)

【支折の言葉・・・10/14 】


…うなづいた。「“日々の生活の中” で、その “水面の変化/水音の変化に・・・感動する

事” が、“俳句心” という事でしょうか。

その…

“水面/水音の変化に…ふと…気づくようなら”

“大自然の細かな息吹” も、日常の中で、目撃できるようになる、という事でしょうか?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
                        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(270)

【支折の言葉・・・10/15 】


「まあ…」高杉が、肩を傾げた。「言わずもがな(/あえて言うまでもなく。言う必要のない。)、の事です

が…

水面(みなも) や、“空の雲の変化” や、“風の匂い” などで、“季節の変化” 感じる

また、感じて欲しい…という事ですね。そしてそれを、言葉にしてみる、事でしょうか?」

「はい…」支折が、大きくうなづいた。「それが、“俳句心” だと思います…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      wpe75.jpg (13885 バイト) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(271)

【支折の言葉・・・10/16 】


「ええ…」支折が、インターネット正面カメラを見上げた。「ここで、小休止とします…

《危機管理センター》 の方で、<ポスト・コロナの時代の考察> が始まる様ですね。

どうぞ、そちらの方も、ご期待ください!」


 1月  3日

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)         

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(272)


<★ コロナ禍・・・新春 2021年 ★> ・・・(1)

      


2021年・・・正月3日・・・

 

里中響子ポン助が…

《文芸》ハイパーリンク・ゲートをくぐった。

《文芸の作業テーブル》 には、すでに高杉・塾長がいた。から入る陽射しの中で、

を組み上げて、コーヒーを飲んでいた。

《文芸》 担当星野支折は、その向こうで…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)         

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(273)


<★ コロナ禍・・・新春 2021年 ★> ・・・(2)

      


スクリーンボード画像編集をしていた。

「はい!」支折が、片.手を上げた。

「待ったかしら?」響子が、大股で歩きながら聞いた。

「まだ、準備中ですわ…」支折が言った。「あ、ポンちゃん響子さんコーヒーを淹れて

ちょうだい!」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)         

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(274)


<★ コロナ禍・・・新春 2021年 ★> ・・・(3)

      

 
「オウ、」ポン助が、ボンヤリと言った。「人使いが、荒いよな…」

一応…」支折が、に手を当てた。「助手でしょ!たまには、仕事をしてもらいますか

らね、」

ポン助が、をやった。

元気そうだ…」高杉が、ポン助に言った。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)         

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(275)


<★ コロナ禍・・・新春 2021年 ★> ・・・(4)

      


「オウ!」ポン助が言った。「<はやぶさ2> が、地球帰還したよな…

それでよう…

すでに、《ポン助の解説塾》 で、<はやぶさ2> 解説をしているから、また、続きの解

を頼むぞ、」

「うむ…」高杉が、作業テーブルにあった、日経サイエンス・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)         

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(276)


<★ コロナ禍・・・新春 2021年 ★> ・・・(5)

      


・・・2021・02 を引き寄せた。「今、帰還記事を読んでいた所だ…

論文の方は、まだ読んでない。まあ、笈小文 を、少しやってからだな。その間に、読ん

で置くから、」

「おう…」ポン助が、うなづいた。



 1月  4日

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)         

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(277)


<★ コロナ禍・・・新春 2021年 ★> ・・・(6)

    
                                           (ネットより画像借用)         (ネットより画像借用) 


【新年の挨拶(あいさつ)


響子が…

インターネット正面カメラを見上げた。

明けまして、おめでとうございます!

<コロナ禍の・・・真只中!  ですが、2021年が明けました。

昨年/2020年は、<最大級パンデミックの・・・コロナ禍 1年でした。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)         

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(278)


<★ コロナ禍・・・新春 2021年 ★> ・・・(7)

     


20世紀以降

<スペイン風邪(1918 flu pandemic、 Spanish Flu/H1N1亜型インフルエンザ/1918インフルエンザ・ウイルスに

よるパンデミックで、第一次世界大戦と重なり、死亡者数は5000万~1億人以上、おそらくは1億人を超えていた、と推定

されています。)パンデミックに次ぐ、大規模パンデミックでした。

しかも、年が明けてなお、未だに、終息していないわけです。したがって、今年も、<コロ

に、翻弄(ほんろう)されるになりそうです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)         

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(279)


<★ コロナ禍・・・新春 2021年 ★> ・・・(8)

     


<COVID‐19ウイルス/SARS‐CoV‐2は・・・現代文明にフィトした狡猾性・・・>

…を、示している様に思われます。今後、さらに、<狡猾性> をくり出してくる可能性も、

十分にあるわけです。

そんな状況下で…

いよいよ、世界中<ワクチン接種> 開始されました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)         

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(280)


<★ コロナ禍・・・新春 2021年 ★> ・・・(9)

     


ええ、この場を借りて…

《危機管理センター》 担当者として、一言、いわせてもらうと…

<日本の・・・危機管理の状況・・・> は、まさに、<玩具箱・・・戦争ゴッコ・レベル・・・

そのもの・・・> であり、およそ、<現実の危機に・・・即した対応には・・・まるでなって

いない・・・> 様に、思います。

<戦争ゴッコ・・・戦争玩具・・・> に、膨大予算投入し …

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)         

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(281)


<★ コロナ禍・・・新春 2021年 ★> ・・・(10)

     


いざ、危機到来してみれば、<マスクの生産> さえも中国に抑えられ、<食料自給率

・・・38%> あまりです。

<何のための、誰のための・・・TTP/環太平洋経済連携協定・・・> なのでしょうか。

私達は…

本来、<食糧・エネルギーは・・・生態系に則した・・・地産地消・・・> であるべきであっ

て…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)         

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(282)


<★ コロナ禍・・・新春 2021年 ★> ・・・(11)

     


<TTP> についても、大反対でした。

<TTPは・・・日本の、食料の自給自足の大原則・・・> を、潰している様に思います。

果物高価になり、ポンちゃん焼き芋に使うサツマイモも、庶民大量に買えるもので

はなくなりました。それで、一体、何が豊かになったのでしょうか?何を得たのでしょうか?

私達は、また… 

国際社会の、スローガンも…

<持続可能な開発目標/SDGs> から…

<郷愁の時代への回帰/・・・文明の折り返し> に、切り替えるべきだと思っています。

ともかく、ええと…

喫緊に、必要となるのは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)         

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(283)


<★ コロナ禍・・・新春 2021年 ★> ・・・(12)

     


〔万能型・防護力・・・//・・・人間の巣・未来型都市・千年都市の・・・全国展開/世

界展開・・・〕 だと、いう事ですわ」

1歩…」高杉が、言った。「を、進めた様ですね、」

「はい…」響子が、うなづいた。「遅れを取らない様に…

<国民レベル・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)         

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(284)


<★ コロナ禍・・・新春 2021年 ★> ・・・(13)

     


・・・そして、世界市民レベル> での、〔人間の巣/未来型都市の・・・建設の事前調

査〕 に、着手するべきだという事です、」

「うーむ…」高杉が、うなづいた。「そこまで来ている、という事ですねえ、」

<コロナ禍の…」響子が、コブシを握った。「動向いかんでは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)         

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(285)


<★ コロナ禍・・・新春 2021年 ★> ・・・(14)

     


さらに早まる、かも知れませんわ。

ええ…

ともかく…

この言葉を、新年の挨拶とします。

くり返し、<警告 はしますが…

それとは反対に、私達も、“穏やかな社会に戻.る事” を、願っています。そうした中で、

対策をお願いします。


以上です」



 1月  5日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
                          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(286)

【 原文・・・11/1 】


<・・・旧里・・・>


師走十日余、名ごや(名古屋)を出て旧里(きゅうり/故郷/・・・伊賀上野)に入らんとす。


★ 旅寐(たびね)してみしやうき世の煤(すす)はらひ


「桑名よりくはで来ぬれば」と伝(いう)日永の里(ひながのさと/三重県四日市市日永)より、馬かり

て杖つき坂(つえつきざか/四日市市采女町から鈴鹿市石薬師町へ越える坂)上るほど、荷鞍うちかへり

て馬より落ちぬ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     wpe75.jpg (13885 バイト)  

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(287)

【 原文・・・11/2 】


★ 徒歩(かち)ならば杖つき坂を落馬哉


と物うさのあまり伝出侍れ共、終に季ことばいらず。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                          
現在の伊賀上野市                       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(288)

【 現代語訳・・・11/1 】


師走十日余り、名古屋を出て故郷伊賀上野に入ろうとする。


★ 旅寐して みしやうき世の 煤はらひ


あちこちで旅寝を重ねてきたが、ふと見ると今日は煤払いの日で、どの家でも忙しく掃除を

している。

私も、こんな浮世離れした生活をしているが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                          
史跡 杖衝坂  (しせき つえつきざか)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(289)

【 現代語訳・・・11/2 】


…昔は煤払いをやったなあ。故郷のこと、家族のこと、しみじみ思い出される。


「桑名よりくはで来ぬれば」という日永の里から、馬を借りて杖つき坂を上る時、荷物を載

せる鞍がひっくり返って落馬してしまった。


★ 徒歩ならば 杖つき坂を 落馬哉



 1月  6日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                      
芭蕉が落馬した・・・史跡 杖衝坂 (しせき つえつきざか)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(290)

【 現代語訳・・・11/3 】


徒歩ならば、その名のとおり杖をついて上るのに、よりにもよって、杖つき坂で落馬してし

まうとは。


…と、いまいましさのあまり句を作ったが、とうとう季語は入れられずじまいだった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(291)

【 支折の言葉・・・11/1 】


星野支折です!

今年/2021年も、よろしくお願いします!


ええ…

笈小文(貞享4年/1687年10月、江戸/深川の芭蕉案を出発・・・『奥の細道』 の2年前。 ) /の芭蕉は…

3年前野ざらし紀行(貞享元年/1684年8月、門人/千里を伴って、江戸/深川の芭蕉案を出発。)

以来の、故郷/伊賀上野入りになるのでしょうか。

それも、3年前と同じく、故郷/伊賀上野で、正月を迎えるつもりの様ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
     
江戸時代/四日市・・・三重川・・・<杖つき坂>の近く。 歌川広重/『東海道五拾三次』  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(292)

【 支折の言葉・・・11/2 】


この時代は、正月帰省するというのは、交通発達した現代よりも、はるかに重要

があったようです。正月には、散り散りになっている家族も、集まったようですね。

入り(やぶいり)/・・・旧暦1月16日と、旧暦7月16日・・・

 商家などで、丁稚(でっち)や女中などの奉公人が、実家へと帰ることのできた休日

…の慣習は、江戸時代に始まったと言われますから…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
                          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(293)

【 支折の言葉・・・11/3 】


こうした慣習は、それ以前からあったの様ですね。調べてみると、面白いかも知れませ

ん。

現代都会.では、1年中盆・正月お祭り騒ぎです。そして、セール等<祭り> とい

言葉さえ、神聖なものではなく、やたら無制限に使われています。

<江戸時代初期・・・元禄の頃> の、人々の流れ交通事情も、現代とはまるで違い、

のどかなものでした。でも、人々の流れには、絵になるような重みが、あったように思いま

す。



 1月  7日

岡田健吉‏@zu5kokd1
江戸時代には、町内の入口に木戸番屋があり、刻限が来ると木戸番が木戸を閉め、町内への出入りは出来なくなりました。                                                                                                                                                (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(294)

【 支折の言葉・・・11/4 】


<芭蕉の時代> は、およそ400年前ですが…

ともかくその間、恐ろしいほどに文明加速しています。のどかな社会大変貌しました。

特に、西欧文明移入された、〔明治維新〕 以後に、鉄道導入され、旅の姿一変して

います。陸上における、大輸送力時代になりました。

響子さん 《危機管理センター》 では…

<郷愁の時代への回帰・・・/・・・文明の折り返し> 提唱しているわけですが、どの

辺りへの回帰を、想定しているのでしょうか?」

 

 岡田健吉‏@zu5kokd1    

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(295)

【 支折の言葉・・・11/5 】


「実は…」響子が、笑みを浮かべた。「それについて、考えた事があります…

結論から言うと…

それぞれの個人的感性で、<郷愁の時代とは・・・自分の子供時代・・・> に、なるの

ではないでしょうか。

でも…

それを離れて、いつ頃時代理想かとなると…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                        
   昭和初期/東京                  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(296)

【 支折の言葉・・・11/6 】


私達日本の総人口や、日本の社会・文化の流れから、<大正~昭和初期・・・の頃

という、1つ結論を出しました。

まず…

優先されるのは、<日本の・・・総人口の半減> ですわ。これは日本列島の、生態系的

キャパシティー(収容能力)から来るもので、絶対条件になります。私達はかねてから批判

ていますが、<少子化対策> などは、論外ですわ。

それから…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                        
   江戸の風景・・・『東海道五十三次/日本橋』  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(297)

【 支折の言葉・・・11/7 】


食料が溢れ、交通発達し、便利になる事が良い事だとは思いません。<便利・・・

楽チン・・・速いこと・・・> は、必ずしも、幸せにはしませんわ」

「うーん…」支折が言った。「確かに、スポーツ発達なども、それ証明していますね…

あ、私は…

<芭蕉の時代> いいなあ、と思うのですが…



 1月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                           
蕪村の絵                        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(298)

【 支折の言葉・・・11/8 】


芭蕉自身が、自分浮世離れしている、と言うように、<元禄文化の開拓者・・・芭蕉

は、相当世間から浮いた存在ですよね。

だから…

俳諧的に言うと…

もう少し後の、<江戸時代・中期・・・与謝蕪村の頃> か、<江戸時代・後期・・・小林

一茶の頃> かな、と思います。

                                          

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                                (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(299)

【 支折の言葉・・・11/9 】


でも、<一茶の時代> になると、江戸の街相当世知辛(せちがら)なっていた様です

ね。一茶は、この句を残しています…


★ むさしの(.武蔵野)や 涼む草さえ 主があり  (一茶)


これは、まるで現代大都会同じ感覚です。一茶は、何処ぞ朝顔棚陰(たなかげ)か、

向日葵(ひまわり)葉陰にでも涼み…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                        
          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(300)

【 支折の言葉・・・11/10 】


誰ぞに、追い立てられたのでしょうか?

元禄時代より20年程前寛文年間(1661年~1673年)に、向日葵日本渡来してる様で

す。一茶の生きた、江戸時代・後期/化政文化(/化政とは、文化・文政の略 )の頃には、向日葵

は相当に、江戸の街にも普及していたと思われます。

うーん…

ちなみに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                           
  「台所美人揃」 喜多川歌麿          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(301)

【 支折の言葉・・・11/11 】


松尾芭蕉の、生きた時代は、<1644年~1694年/50歳で・・・江戸時代・初期の

俳人> です。

与謝蕪村の、生きた時代は、<1716年~1784年/68歳で・・・江戸時代・中期の

俳人> です。

小林一茶の、生きた時代は、<1763年~1828年/65歳で・・・江戸時代・後期の

俳人> です。



 1月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
  <江戸時代・後期・・・化政文化> の、東洲斎写楽・・・三代目/大谷鬼次の奴(やっこ)/江戸兵衛  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(302)

【 支折の言葉・・・11/12 】


蕪村と、一茶の生きた時代は、少し重なっています。

蕪村は、江戸中期の人ですが、共に <江戸時代・後期の・・・化政文化> 範疇(はん

ちゅう/同じような性質のものが含まれる範囲。カテゴリー。)に、入れられる事もあります。<化政文化

/化政とは、文化・文政の略 )・・・文化文政の時代>は、1804年~1830年と、期間長い

です。

あ、ええと…

芭蕉活躍した <江戸時代・初期・・・元禄文化> は、上方/京都・大阪を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
               
<江戸時代・後期・・・化政文化> の・・・ 葛飾北斎/『富嶽三十六景』   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(303)

【 支折の言葉・・・11/13 】


中心として展開した、“町人分化”です。

それに対して…

<江戸時代・後期・・・化政文化> は、江戸中心として発展した、“町人分化”ですね。

風俗上<時代劇の舞台> とされることが多い時代とも言われます。

つまり、典型的な・・・江戸時代 です。版画の、歌麿・写楽・北斎・広重も、この時代

人々です。

この、<江戸時代・後期・・・動乱の幕末以前・・・> というのも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
    <江戸時代・後期・・・化政文化> の・・・ 歌川広重 『東海道五拾三次・・・ 蒲原  夜之雪』   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(304)

【 支折の言葉・・・11/14 】


いい時代なのかも知れません」

「はい…」響子が、微笑した。「うーん、そうですね…

長い戦国の世が終わった、<江戸時代・前期の・・・元禄文化の明るさ・・・> も、いい

すが、<長期安定した・・・江戸時代の精華とも言える・・・江戸時代・後期/化政文化

の時代・・・> も、いいですね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
          
  <江戸時代・後期・・・化政文化> の・・・ 『木喰(もくじき)上人 自刻像』    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(305)

【 支折の言葉・・・11/15 】


「ふふ…」支折も、満面微笑し、うなづいた。「でも…

一茶のように、大分、世知辛くもなっていた様です。これは反面で、相当経済的発

を、物語っていると思います」

「はい…」響子が、うなづいた。「ともかく…

何をしたいかで、どの時代がいいかも変わりますわ。俳諧紀行をするのなら、支折さん

言う通りかも知れませんね。



 1月 10日 岡田健吉‏@zu5kokd   

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(306)

【 支折の言葉・・・11/16 】


でも…

《危機管理センター》 は…

まず、日本人口半減させ、〔人間の巣のパラダイム〕展開する事を考えています。

私個人としては、パソコンネット環境がなければ、仕事になりませんが、」

「そうですね…」支折が、うなづいた。「ええ、を戻しましょう…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                                              山茶花(さざんか・・・冬の季語)     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(307)

【 支折の言葉・・・11/17 】


笈小文 で、芭蕉は…

東海道<歌枕の地/鳴海(/千鳥の名所) で、門人/下里知足(しもさと・ちそく)宿

としました。そして名古屋門人/越人(えつじん)に、追放処分となった名古屋門人/米

商人/杜国(とこく)消息を尋ねています。

この越人とは、笈小文帰路に、更科紀行 を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(308)

【 支折の言葉・・・11/18 】


…供にする、越智越人(.おち・えつじん)ですね。越人は、江戸まで同行するわけです。

芭蕉は、杜国伊良子(湖)の手前の保美に、追放されている事を知り、25里/100㎞

ほど戻り、杜国を訪ねています。

それから…

熱田大歓待を受けたわけです。さらに、故郷/…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                       
   松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(309)

【 支折の言葉・・・11/19 】


伊賀上野へ向かい、そこで正月を迎えるわけですが、江戸/深川/芭蕉庵を発つ時に、

おおよその日程は決めていたわけです。

おそらく…

か、人の言伝(ことづて/伝言)で、熱田あたりまで来ていると、連絡を入れているのでしょう

か。昔の人は、言伝をよく使った様ですよね。近くまで行く人に、ついでに伝言を頼むわけ

です。これは、通信発達する以前の、文化でもあった様ですね。

現在携帯電話でいいのですが、昔の人によく伝言を頼んだのです。つい最近まで、

子供の手を放してしまうと、生涯の別れという事もあったわけです。は、子供家出をし

ても、携帯電話一本で繋がっているから、大丈夫というわけです。

さあ、いよいよ.…

故郷へ入るわけですが…



 1月 11日

 成人名の日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                          
松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(310)

【 支折の言葉・・・11/20 】


芭蕉は、<杖つき坂> 馬の鞍(くら)が返り、落馬しているわけですね、」

「はい…」響子が、微笑して、うなづいた。「落馬する様子が、目に浮かぶようですね。私達

も、見たぞ聞いたぞ、と…」

ホホ…」支折が、をやった。「よりにもよって…

<杖つき坂> での落馬とは、<芭蕉翁(おう)の・・・生涯の不覚だった・・・> 様ですね。

葛飾北斎 松尾芭蕉像 でも、シッカリと、長い竹杖を持っているのに。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                      
  芭蕉が落馬した・・・史跡 杖衝坂 (しせき つえつきざか)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(311)

【 支折の言葉・・・11/21 】


それが悔しくて、1句作ったわけですが、季語が入りません。うーん、重ね重ね不覚です

ね。

でも、それが…

<史跡 杖衝坂・・・と、文学史的な名所・・・> となり、現代でも偲ばれているわけです。

<俳聖/芭蕉翁> ともなれば、この坂落馬した悔しさも、“ただでは起き上がらない”

という事ですね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
                
馬の背の鞍が返り(/ずり落ち…)、芭蕉は落馬してしまいました。  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(312)

【 原文・・・12/1 】


★ 旧里(ふるさと)や 臍(へそ)の緒(お)に泣(なく) としの暮


宵のとし、空の名残おしまむと、酒のみ夜ふかして、元日寐わすれたれば、


★ 二日にも ぬかりはせじな 花の春


初春


★ 春立て まだ九日の 野山哉(かな)


★ 枯芝や やゝかげろふの 一ニ寸


岡田健吉‏@zu5kokd1 
  芭蕉の故郷/現在の伊賀上野市・・・<芭蕉生家>と、<鍵屋の辻・・・日本3大仇討ちの場所>  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(313)

【現代語訳・・・12/1 】


★ 旧里や 臍の緒に泣 としの暮

      故郷にもどって・・・

          母が残した臍の緒を見た・・・

              年が暮れて・・・

            私も1つ年を取る・・・

                様々な感慨がこみ上げて・・・

                    涙があふれることだ・・・


大晦日の夜は、今年最後の空の名残をおしもうと、酒を飲んで夜更かしし、元日の朝は寝

坊してしまった。



 1月 12日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(314)

【現代語訳・・・12/2 】


★ 二日にも ぬかりはせじな 花の春


      二日目の朝は・・・

          ぬかりなく起きよう・・・

              初春の花の・・・

                  喜びを祝うために・・・


初春


★ 春立て まだ九日の 野山哉(かな)

      立春から・・・

          九日しか経っていないが・・・

              故郷の野山を歩くと・・・

            九日なりの・・・

                春の気配が感じられるなあ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(315)

【現代語訳・・・12/3 】


★ 枯芝や やゝかげろふの 一ニ寸


      野の芝は・・・

           寒々と枯れたままだが・・・

         ようやく、一ニ寸の陽炎が立ち・・・

             春も訪れも、近く感じられることだ・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
                                 (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(316)

【 支折の言葉・・・12/1 】


「私は…」響子が言った。「途中からの参加で、よく分からないのですが…

笈小文 とは、芭蕉作品の中で、どういう位置づけなのでしょうか?」

「あ、はい…」支折が、うなづいた。「くり返しになりますがオサライして置きましょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                             1680年・・・芭蕉が深川芭蕉庵に転居   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(317)

【 支折の言葉・・・12/2 】


ええと、せっかくですから、別の角度から眺めてみます。初めて接するわけで、詳しい

というわけではないのです。

笈の小文 は…

貞亨4年(1687年)10月芭蕉故郷/伊賀上野への、4度目帰郷になります。この

度目帰郷に際して、創作された作品を集めて…


      

 1月 13日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
     
           更科紀行・・・当時の、木曾街道 馬籠駅・峠より遠望之図 (英泉)     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(318)

【 支折の言葉・・・12/3 】


一巻としたものですね。

野ざらし紀行 と、更科紀行作品であり、<その間の・・・芭蕉の動静>

いう事になります。

つまり…

笈小文紀行での、江戸への帰路

<門人/越人>を伴って中仙道に入り、姥捨(うばすて/・・・姥捨駅は、長野県千曲市大字八幡姨捨に

ある駅。民話/『姥捨て山』 は、法令、口減らしなどのために、高齢の親を山に捨てることとなった息子と、その親の物語)

・善光寺と回ったのが、更科(さらしな/信濃国及び、長野県にかつてあった郡。現在の長野市の一部と千曲

市の一部。ソバの産地としても知られる。)紀行 です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
                         
                (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(319)

【 支折の言葉・・・12/4 】


そして、その2年後/元禄2 年(1689年)芭蕉は、奥の細道出発しています。

笈小文 で…

特筆するべきコトは、これは芭蕉自身が書いた紀行文/旅行記ではない、という事です。

この作品は…

芭蕉が書いた、真蹟(しんせき/その人が実際に書いたと認められる筆跡の事)短冊書簡などをもとに、

<芭蕉の死後・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                              (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(320)

【 支折の言葉・・・12/5 】


・・・大津の門人/近江蕉門の・・・川井乙州(かわい・ おとくに)によって編集> されたもの

だ、という事です」

「ふーん…」響子が、ユックリとうなづいた。「そうなんですかあ、」

も…」支折が、言いながら、高杉の方にを流した。

高杉は、日経サイエンス を読んでいて、ポン助がそれを覗いていた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                            (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(321)

【 支折の言葉・・・12/6 】


「…で知りました」支折が言った。「門人ですから、<資料は・・・直近の、本物・・・>

すが、紀行文としては、内容(あら)未完成と言われます。

考えてみれば、紀行出だしから、違和感がありました。始まりも、名古屋/<歌枕

の地・・・鳴海> ですし、紀行文としても、ヘンですよね、」



 1月 14日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(322)

【 支折の言葉・・・12/7 】


「うーん…」響子が、深くうなづいた。「はい…

当初からの、何となく感じた違和感も、そういう事情からなんですね。

ええと…

笈小文 が、4度目故郷/伊賀上野への帰郷と言うと、野ざらし紀行 の前に、2度

帰郷しているのでしょうか?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                          
伊賀市/忍者の里        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(323)

【 支折の言葉・・・12/8 】


「そうです…」支折が、コクリとうなづいた。そして、スクリーンボードに、準備しておいた、

 芭蕉総合年表 を表示した。

「ええ…」支折が、コントローラー画像微調整した。「芭蕉は…

1644年(/寛永21年)に、三重県/北西部伊賀市/…伊賀上野に生まれています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                          
柳生宗矩/将軍家・兵法指南役   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(324)

【 支折の言葉・・・12/9 】


ここは、いわゆる忍者の里ですね。<伊賀者/服部半蔵(はっとり・はんぞう)・・・の里>

す。伊賀者と、<剣術の柳生(やぎゅう)/・・・柳生新陰流(やぎゅう・しんかげりゅう/・・・徳川将軍家

・御流儀)/柳生宗矩(やぎゅう・むねのり/・・・徳川将軍家・兵法指南役)が、初期徳川幕藩体制を、

で支えた様です。

ちなみに…

柳生宗矩(むねのり)長男/三厳(みつよし)が、剣豪旗本の、<通称/・・・柳生十兵衛>

ですよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
     杉山 杉風(すぎやま・さんぷう・・・蕉門十哲、幕府御用の魚問屋/鯉屋)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(325)

【 支折の言葉・・・12/10 】


<柳生の里> は、奈良県北部柳生町で、京都府との県境にあります。そして、三重県

伊賀も、そのすぐにあります。この辺りが、徳川幕府を支えたようです。

ええ…

伊賀上野芭蕉は…

1672年に、江戸に下り、杉山杉風(すぎやま・さんぷう/蕉門十哲の1人。江戸/日本橋小田原町の魚問屋・

杉山賢永の長男。家業は幕府御用を務め、屋号は鯉屋。蕉門における最古参格。芭蕉の後援者として、所有する深川六間

堀の生簀(いけす)の番屋(いわゆる芭蕉庵)を提供するなどの、経済的援助を行った。)草鞋(わらじ)(ひも)

を解いた、とされています。

計算すると、28歳の時です。それまでに、俳諧相当実力をつけ、ツテをたどって江戸

へ上ったのでしょうか。

<元禄文化> は、上方/京都・大阪中心とした町人文化ですが…



 1月 15日

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(326)

【 支折の言葉・・・12/11 】


…やはり本格的俳句をやるには、徳川幕藩体制中心/江戸、という事だったのでしょ

うか。ともかく、江戸新風に、ひかれたわけですね。

1674年

江戸へ下って、2年後ですが、<1回目の・・・故郷/伊賀上野への帰郷> をしています。

この年

<北村季吟(きたむら きぎん/江戸時代前期の歌人、俳人、和学者。元禄2年(1689年/芭蕉が 『奥の細道』 を敢

行した年)には、歌学方として500石にて、子息/湖春と共に幕府に仕えています。以後、北村家が幕府歌学方を世襲。)

から…

俳諧論書/埋木(うもれぎ/北村季吟著。15項目にわたる俳諧の式目書。) を、授与されています。

弟関係成立でしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       
         北村季吟 (きたむら・きぎん/江戸時代前期の歌人、俳人、和学者)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(327)

【 支折の言葉・・・12/12 】


それから、<桃青(とうせい)・・・の俳号> を使っていますね。

そして…

1676年…そのまた2年後、になりますが…

<2回目の・・・故郷/伊賀上野への帰郷> をしています。

草鞋(わらじ)徒歩で、何日もかけて帰郷するわけですから、まめに帰郷していた、と言える

でしょうか。大名の、参勤交代(さんきんこうたい/全国250以上ある大名家が、2年ごとに江戸に参覲し、1年経

ったら自分の領地へ引き上げる、交代を行う制度)の、リズムかも知れませんね。

それにしても、芭蕉故郷愛していた様ですね。当然、故郷からも、愛されていたわけで

すね。アメリカノーベル賞作家/ヘミングウェイは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
      
 江戸時代後期の様子。現在の日本橋・京橋あたりが埋め立てられた様子がわかる   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(328)

【 支折の言葉・・・12/13 】


2度と、故郷の地踏まなかったとか、聞いています。詳細事情は忘れてしまいまし

たが、かって愛した故郷は、もうそこには、存在しなかったのかも知れませんね。

ええ…

その、翌年/1677年になりますが…

この頃<宗匠立机(そうしょう・りっき)・・・俳諧宗匠(はいかい・そうしょう/・・・宗匠とは、文芸・技芸などの

道に熟達しており、人に教える立場にある人。特に、和歌・連歌・俳諧・茶道・花道などの師匠。)として立机(りっき/

俳諧の宗匠となること) しています。

そして、<以後、4年間・・・水道工事監督に従事> と、芭蕉総合年表 には、載って

います。芭蕉が.住んでいた、日本橋あたりの、上水道水路/運河の、工事監督でしょ

うか?

もちろん、それ以前に、人夫(にんぷ/力仕事に従事する労働者)としても、働いていたわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
       
                     “伊賀者”      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(329)

【 支折の言葉・・・12/14 】


うーん…

4年間も、水道工事監督をしたのですかあ。初めて知りました。面白いですね。芭蕉

屈強体躯が、思い浮かびます。<忍者の里> で育ち、そうした肉体労働嗜好(しこう

/好み)したわけですね、」

「そうですね…」響子が、大きくうなづいた。「芭蕉の、大きな体躯想像できますし、その

健脚ぶりも、うなづけますわ、」

「もちろん…」支折が言った。「俳諧集出版するには、お金もかかったと思いますが、水路

工事監督ですかあ…30代男盛りで、“伊賀者”ですよね?」

「はい…」響子が、微笑し…



 1月 16日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 柳生石舟斎/・・・上泉信綱より伝授された新陰流の剣豪として名高く、徳川家康の師範に招かれて、息子/宗矩を推挙した。
                                                              
(ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(330)

【 支折の言葉・・・12/15 】


を当てた。「<初代/服部半蔵> の、次の代ぐらいでしょうか。

その頃….

まだ、武断政治時代に…

<忍者の里>/伊賀上野に生まれた芭蕉が、幼少期に、<忍術> や、<柳生新陰流

と、無縁育ったとは、思えませんわ。

したがって、そうした武道一通り習得した上で、<多感な芭蕉は・・・文学の世界・・・>

に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       
                     江戸の水道                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(331)

【 支折の言葉・・・12/16 】


強く憧れたのも、歴史的事実ですわ。周囲認めるほど、利発で、強い意志も持った

青年だったと思われます。

そんな芭蕉が…

<江戸の街にも慣れ・・・荒くれた男衆を束ねる・・・水路工事の現場監督> を、して

いたわけですか。相当な、腕っぷしもなければ、その種人間は、付いては来ませんよね。

そして、一方で…

<俳諧の・・・宗匠立机(そうしょう・りっき) ですか。うーん、ここが、蕪村一茶とは、明確

違う所かも知れませんね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       
                     江戸の水道                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(332)

【 支折の言葉・・・12/17 】


<芭蕉の・・・カリスマ性> は…

その出生(しゅっしょう/ある土地・境遇・家柄の生まれであること。)や、このような職業選択で、育まれて

来た様ですね。水路工事監督は、俳諧宗匠とはミスマッチの様にも見えますが、人々

機微(きび/表面だけでは知ることのできない、微妙なおもむきや事情)にも触れ、評判上々だったと思い

ます。

<芭蕉の・・・禅的な、凛(りん)とした人格で・・・俳諧宗匠・・・> という事であり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       
              .    徳川時代における墨東の運河開削  墨東の運河網    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(333)

【 支折の言葉・・・12/18 】


配下の者ばかりでなく、江戸の街慕う人多かったのではないでしょうか。

<俳諧宗匠> 上品で、近寄りがたい面もあったかも知れません。でも、一緒を流

す、<水路工事の・・・現場監督> なら、でも、気軽に、を掛けられたわけです。

大富豪の、鯉屋/杉山杉風(すぎやま・さんぷう)などの俳諧仲間も、そんな芭蕉が、大いに気

に入っていたのではないでしょうか。また、芭蕉にとって、その居心地良さが、4年間

場監督を続けさせた…



 1月 17日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                          
松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(334)

【 支折の言葉・・・12/19 】


…のかも知れませんね」

「はい…」支折が言った。「たった、これだけの資料では…

深くは分かりませんが、4年間も、水道工事現場監督をしたわけです。深い人間関係

作るという事では、<芭蕉の・・・カリスマ性の形成> に、大いに役立ったと思います、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       
                    昔の工事現場のイメージ               (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(335)

【 支折の言葉・・・12/20 】


「うーん…」響子が、にし、バレッタ(髪留め)を当てた。「芭蕉は…

<若くして・・・深い禅的境涯を・・・体得・・・> している様子ですが、それには若い頃

ら、<禅的な修行> もしているはずです。

この <水路工事の・・・現場監督> でも、それは続けられ<禅的境涯> も、深めら

た、と思われますわ。一方、しばしば、喧嘩(けんか)仲裁なども頼まれたのかも知れま

せんね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       
                                                   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(336)

【 支折の言葉・・・12/21 】


「はい…」支折が、大きくうなづいた。「そうですね…

芭蕉について、これは新たな発見ですよね。ほほ、元々は、私達勉強不足とも言えるわ

けですが、」

「ふーん…」響子が、楽しそうに、を見た。「<日本で・・・カリスマ性の権化(ごんげ)

言えば…

<壬申(じんしん)の乱/吉野出兵で・・・10日足らずの内に、数万の軍勢を・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
                     織田信長                 (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(337)

【 支折の言葉・・・12/22 】


・・・湧き上がらせ、不破の関に糾合し・・・ 一気に、近江朝を攻め滅ぼした・・・大海人

皇子(おおあまの・みこ)/・・・第40代・天武天皇・・・> ですが…

<俳諧における・・・芭蕉のカリスマ性・・・> も、蕪村一茶や、その他の、追随を許さ

ないですね。

あと、やはり…

<カリスマ性と言えば・・・戦国武将/織田信長・・・> でしょうか。



 1月 18日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 戦国武将/上泉信綱 (上泉伊勢守)・・・剣聖と讃えられる剣豪の一人で、新陰流の祖。柳生石舟斎が、柳生の里に招き、
 <柳生新陰流 を生み出したとも・・・   
上泉信綱の銅像 (群馬県前橋市・・・生誕の地・・・)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(338)

【 支折の言葉・・・12/23 】


こうした…

<巨大な・・・カリスマ性> は、どの様に形成されて来るのか、.興味深いですわ。

おそらく…

<天武天皇の場合は・・・壬申(じんしん)の乱の・・・圧倒的な勝利 であり…

<織田信長の場合は・・・桶狭間(おけはざま)の戦いでの・・・逆転勝利 で、育まれた

ものだと思います。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 柳生石舟斎/・・・上泉信綱より伝授された新陰流の剣豪として名高く、徳川家康の師範に招かれて、息子/宗矩を推挙。
                                                            
(ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(339)

【 支折の言葉・・・12/24 】


では、芭蕉.何だったのでしょうか。芭蕉の場合は、文学/俳諧ですから、かなり複雑

すが、<江戸の街での・・・水路工事の現場監督・・・> では、なかったかという事です。

それから…

こうした資質は、おそらく、いずれも、幼年時代から備わっていたものでしょう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
       
                     “伊賀者”      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(340)

【 支折の言葉・・・12/25 】


そして、<壬申の乱> <桶狭間の戦い>、そして <江戸の街での・・・水路工事

の現場監督・・・> などで、発火し、大輪開花して行ったもの、と思われます。あ、これ

は、花火ですね。

それにしても、芭蕉は…

僧侶にはならず、<風雅・風狂> に、身を委ねて行ったわけです。これは、けっして、

居心地のよい・・・安楽な道> ではありません。実は、芭蕉は、<青年期から・・・苦し

い、求道の道> 選択しているわけです。

そんな芭蕉も、さらに進路には迷った様ですし、一方、<禅修行> も、生半可なものでは

ありません。それが本物でなければ、<芭蕉の・・・カリスマ性> は、生まれてはきませ

んわ。

<水路工事の・・・現場監督> も…

その <超脱(ちょうだつ/普通の程度や範囲を越えること) した優しさも、あくまでも、芭蕉1つの

側面だという事です」

「うーん…」支折が、うなづいた。「そうです、よね…

でも、そもそも、<巨大な・・・カリスマ性の本質・・・> とは、何なのかしら?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                           
                        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(341)

【 支折の言葉・・・12/26 】


「そうですね…」響子が、を引き結んだ。「<巨大な・・・カリスマ性> とは…

他に、変わるものがなく・・・侵しがたい権威の様なもの・・・> と、いう事.かしら?

<無条件で身を捧げ・・・付き従う事に躊躇(ためら)いが無く・・・圧倒的な信頼感・・・>

なのでしょうか?」



 1月 19日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                           
  千利休             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(342)

【 支折の言葉・・・12/27 】


「ふーん…」支折が、を傾げた。「圧倒的な、強者という事でもないですよね…

<強者・指導力と・・・人々に愛されるという事・・・> も、重要要素のでしょうか。あ、

芭蕉と同じように、<茶の湯の・・・千利休 も・・・カリスマ性> が、ありますよね、」

「そうですね…」響子が、うなづいた。「愛されている、という事も重要要素ですね…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                           
明智光秀            (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(343)

【 支折の言葉・・・12/28 】


まさに、そうした <戦国武将/織田信長> を…

<明智光秀> 本能寺討ち倒したわけですが、<下剋上(げこくじょう)の時代> とは言

え、その強烈違和感は、日本史の中に脈々と残り続けています。言い古された事ですが、

何故なのかと…」

「ふーん…」支折が、を傾げた。「明智光秀例外ですか…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                           
 本能寺の変                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(344)

【 支折の言葉・・・12/29 】


「そうですね…」響子が、コクリとうなづいた。「確かに…

<侵しがたい・・・カリスマ性> というものは、存在しますわ。でも、その <強烈なカリス

マ性> を、打ち破った<明智光秀の・・・衝動性のエネルギー> というものも、凄いも

ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                         
僧侶の旅姿               (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(345)

【 支折の言葉・・・12/30 】


うーん…

現在日本政治家には…

そうした <高い変動値/変動指数・・・変動エネルギーを持つ人物・・・> は、ほぼ

ですわ。

その <あまりもの・・・変動エネルギーの欠如・・・> のために、ついに政治壊疽(えそ

/体組織の腐敗に特徴づけられる、壊死の合併症)を、引き起こし始めました。

でも、戦国時代には…

そうした人物ゴロゴロ存在したわけですね。激動する時代の中で、人々はみな、<一

期一会の・・・輝き> を放って、歴史紡いで来たわけです。それに比べると、現代人

野生を失い、魂が萎えています。

さらに…

文明発展させるなら、<文明の第3ステージ/意識・情報革命> に、パラダイムシフ

していく必要があります。あるいは、<原始/野生の時代へ・・・回帰して行く

いう、方向性もありますが。

あ、脱路線してしまいした…」



 1月 20日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
   第41代/持統天皇       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(346)

【 支折の言葉・・・12/31 】


「ともかく…」支折が、笑ってうなづいた。「蕪村一茶には…

共感はしますが、<芭蕉の様な・・・カリスマ性> は、感じませんよね。説明は、非常に難

しいのですが…」

天武天皇の…」響子が、を立てた。「皇后/持統天皇は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                       
   
<飛鳥京>                       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(347)

【 支折の言葉・・・12/32 】


<先帝/天武天皇が・・・備えていたカリスマ性> というものの欠如に、非常に苦労

ています。

うーん…

“七光り” は、いつまでも続かない、という事ですね。逆に、<天武天皇の・・・強烈なカリ

スマ性は・・・日本の国造りには・・・まさに天賦の才能> となったわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                       
   
<藤原京>                      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(348)

【 支折の言葉・・・12/33 】


<真の・・・カリスマ性> は、真似(まね)ようとしても、出来る事ではありませんわ。

ちなみに…

持統天皇は、<飛鳥京> から <藤原京> 遷都(せんと)し、国家(いしずえ)完成

せて行きます

でも、それらは全て、天武天皇図面を引いた、<日本の国造り> だったわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                       
   歌人/
柿本人麻呂         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(349)

【 支折の言葉・・・12/34 】


文化事業の…

歴史書/日本書紀 や、古事記編纂(へんさん)にしても、天武天皇治世で始めら

れ、後世において完成したものです。

万葉集 も…

最初巻1・・・前半部分/1~53番 は、持統天皇や、柿本人麻呂関与推測

れますが…



 1月 21日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(350)

【 支折の言葉・・・12/35 】


…こうしたものも、それ以前から脈々と伝わっているものです。むろん、それをやり遂げ

来た、持統天皇功績大きいわけですが、」

「はい…」支折が、をすいた。「ええ、を戻しましょうか…

芭蕉の…

故郷/伊賀上野での滞在は、野ざらし紀行 でも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
   
芭蕉         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(351)

【 支折の言葉・・・12/36 】


…そうでしたが、ごく常識的故郷風景ですね。

大晦日に、夜更かしして、元旦に寝過ごしたなどは、余りにもありふれた情景です。私達

も、経験があります」

「そうですね…」響子が、白い歯を見せた。「人々は、そうした事のために…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
       
                     “伊賀者”      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(352)

【 支折の言葉・・・12/37 】


…わざわざ、故郷帰って来るわけですね、」

響子さんは…」支折が、姿勢を正した。「改めて、<芭蕉の人格・・・実像・・・> とは、

の様なものだったと思いますか?」

「そうですね…」響子が、を当てた。「拙い(つたない/能力が劣っている)知識では…

芭蕉は、確かに、<屈強な・・・伊賀者の体躯(たいく)と・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                       
   僧侶の旅姿              (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(353)

【 支折の言葉・・・12/38 】


・・・精神性> を、備えていたと思いますが、その反面で、<非常に繊細で・・・向上心の

ある精神性・・・> を持っていて、人生の進路にも、迷っていた様子ですね。

でも、若い頃から…

<芭蕉の生涯で・・・ 一貫していた習慣は・・・禅修行/禅の心・・・> では、なかったか

と、は思っています。むろん、表向き俳諧への没頭ですが、<芭蕉の・・・禅的境涯

は・・・深く、安定・・・> しています。生半可なものではありませんわ。

<4年間の、江戸の街での・・・水路工事の現場監督> は、蕪村一茶とは異なる人

と言いますが、<禅的な人格・・・境涯の深さ・・・> も、蕪村一茶の及ばないもので

す。支折さんが、いつか言っていた、<・・・格の違い・・・> ではないでしょうか。

そうした…

<無私の・・・けなげな向上心・・・> が、鯉屋/杉山杉風などをはじめ、<蕉門> を、

大いに喜ばせた、と思います。



 1月 22日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
   
芭蕉         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(354)

【 支折の言葉・・・12/39 】


ですから…

<僧侶への転向は・・・容易・・・> だった、と思います。素養もあり、学問もありました。で

も、それは、初志を諦める事であり、流される事だった、のではないでしょうか。

結局…

自分素直芭蕉は、<風雅・風狂> 捨てることが出来ず…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       
                    昔の工事現場のイメージ               (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(355)

【 支折の言葉・・・12/40 】


…あの心細くも、.野心的な、野ざらし紀行 への、冒険的旅立だったのだと思います。そ

れで、<芭蕉の・・・スタイル・・・> が、確立できたのではないでしょうか、」

「ふーん…」支折が、深くうなづいた。「そうですね…

芭蕉 <俳諧宗匠の・・・立机(りっき) 同時期に、<4年間・・・水路工事の現場監

督> をしていて、評判上々だったと思います。

でも、<風雅・風狂の・・・求道者(ぐどうしゃ、きゅうどうしゃ/真理や悟りを求めて修行する人) としては、

悩んでいたわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
  『笈の小文』 への旅立ち              (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(356)

【 支折の言葉・・・12/41 】


確かに…

<水路工事の・・・現場監督> をするために、わざわざ故郷/伊賀上野を捨て、江戸

出て来たわけではないですよね。<徘徊の志は捨てず・・・禅修行も・・・意欲的に続け

ていた・・・> わけですよね、」

「そうですね…」響子が、うなづいた。「おそらく…

そこで、妻帯(さいたい/妻を持つこと)して…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                       
   1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(357)

【 支折の言葉・・・12/42 】


落ち着いた生活をして行く事も可能だったはずです。でも、事情は分かりませんが、

妻帯していませんわ。

それから…

鯉屋/杉山杉風所有する、<江戸/深川六間堀(/現在の・・・江東区森下一丁目、常盤一・二丁

目、新大橋二・三丁目)の・・・生簀(いけす/漁獲した水産動物、料理用の魚などを水中に生かしておく装置。また、そ

の場所。)の番屋(ばんや/江戸時代に消防、自警団の役割をしていた自身番の詰所。漁民が、漁場の近くの海岸線に

作る作業場兼宿泊施設。)/・・・芭蕉庵・・・> に移り住み、いよいよ、俳諧禅修行集中して

行った様ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
          清澄庭園(/東京都江東区清澄・・・元禄期の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷)にある  「古池や」 の句碑
                                              
(ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(358)

【 支折の言葉・・・12/43 】


は、研究者ではないので、詳しい事は分かりませんが…」

「はい…」支折が、大きくうなづいた。「うーん…

妻帯したというはないですし、<芭蕉庵> から 野ざらし紀行 に、出発しているわけ

ですよね。それから…


★ 古池や 蛙飛び込む 水の音  

       芭蕉・・・初出は1686年(貞享3年)(うるう)3月刊行の蛙合(かわずあわせ)


…のを詠み…

<芭蕉が・・・いわゆる、芭蕉になった・・・> のであり…

その翌年/1687年(貞享4年)

自信深めての、笈の小文 紀行への、出発ですよね、」

 

「ええ…」支折が言った。「ここで、しばらくお休みして…

≪ポン助の解説塾・8≫ に切り替わります。<はやぶさ・2> が帰還したので、<小惑

星/リュウグウ> の解説をします。そちらの方も、どうぞ、ご期待ください!」

 

             

 


 2月  16日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
         三重県阿山郡大山田村の、新大仏寺にある句碑 (森田武さん撮影)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(359)

【 原文・・・13/1 】


<・・・新大仏寺・伊勢・・・>


伊賀国阿波の庄といふ所に俊乗上人(しゅんじょう・じょうにん)の旧跡有。護峰山新大仏寺と

かや伝。名ばかりは千歳の形見となりて、伽藍(がらん)は破れて礎を残し、坊舎は絶て

田畑と名の替り、丈六(じょうろく)の尊像は苔の緑に埋て、御ぐしのみ現前とおがまれさ

せ給ふに、・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
                   俊乗房重源上人坐像 (東大寺蔵・・・国宝)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(360)

【 原文・・・13/2 】


・・・聖人の御影はいまだ全おはしまし侍(はべ)るぞ、其代の名残うたがふ所なく泪こぼ

るゝ計也(ばかりなり)。石の蓮台・獅子の座などは蓬(よもぎ)・葎(むぐら)の上に堆(うずたか)ク、

双林の枯たる跡もまのあたりにこそ覚えられけれ。


★ 丈六(じょうろく)にかげろふ高し石の上


★ さまゞの事おもひ出す桜哉(かな)


岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
                          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(361)

【 現代語訳・・・13/1 】


伊賀国阿波の庄(/三重県阿山郡大山田村。芭蕉の生まれた、伊賀上野の東方。)という所に俊乗上人(しゅ

んじょう・じょうにん/俊乗房重源(1121~1206)。平重衡によって焼き討ちされた東大寺の再興に尽くした。東大寺再興の

ため西行法師に奥州藤原氏への砂金勧進を依頼した。七箇所の不断道場を開いた。新大仏寺はその一つ。)の旧跡があ

る。護峰山新大仏寺とか言うのだ。名ばかりは千年もの形見となって、伽藍(がらん/大きな寺・

寺院の建物。は崩れてしまって礎石のみが残り、坊舎の建物は無くなって田畑と名がかわり、

一条六尺の大仏は苔(こけ)の緑の下に埋ずもれて、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
                    新大仏寺                 (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(362)

【 現代語訳・・・13/2 】


…その御頭の部分だけが姿を見せて人々が手をあわせているのだが、上人の御影はいま

だに完全な形で残っていらっしゃり、生前の御姿がしのばれ涙がこぼれるばかりだ。

大仏の下の石の蓮華台・それを乗せる獅子の座などは蓬(よもぎ/もちぐさ)やつる草の上にう

ずたかく、…



 2月  17日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                        
  釈迦入滅                          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(363)

【 現代語訳・・・13/3 】


…釈迦入滅の際に四方に植えてあった沙羅双樹(.さらそうじゅ)が一瞬で枯れて真っ白になっ

た故事を、目の前にしているように思われる。


★ 丈六(じょうろく)に かげろふ高し 石の上


    一丈六尺の・・・

        大仏があった石の上に・・・

            陽炎が高く立っている・・・

                かつて、そこにそびえていたであろう・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
   上野城/伊賀上野城         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(364)

【 現代語訳・・・13/4 】

 
                 大仏の、ありがたい御姿が偲ばれる・・・

 

★ さまゞ(さまざま?)の 事おもひ出す 桜哉(かな)


     かつて・・・

         参上したお屋敷に・・・

             かわらぬ姿で桜が咲いている・・・

          旧主蝉吟(ぜんぎん/伊賀国上野の城代付の侍大将…藤堂新七郎良清の三男)のこと・・・

             俳諧の道に心開かれた、若き日のこと・・・

                 桜を見ていると・・・

                     様々な事が思い出されることだ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
                          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(365)

【 支折の言葉・・・13/1 】

「ええ、支折です…

笈の小文考察を始めた時は、高杉・塾長助力を頼んだわけですが、いつの間に

か、短歌/担当響子さんに代わっていて、塾長《ポン助の解説塾・8》 に、行ってし

まいました。

そういうわけで…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                    
 十六夜日記(いざよいにっき)・・・阿仏尼 (あぶつに)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(366)

【 支折の言葉・・・13/2 】


しばらくは、響子さん手伝ってもらう事にします。俳句短歌は、元々は、同じ和歌ですし、

極めて親和性高いわけですね、」

「そうですね…」響子が言った。「支折さんは…

阿仏尼(あぶつに)の、十六夜日記(いざよい・にっき)』 をやりたいと言っていましたが、是非、

一緒に、どうでしょうか?」



 2月  18日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
   
芭蕉         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(367)

【 支折の言葉・・・13/3 】


「うーん…」支折が、笑いをこぼした。「そうなんですよね…

俳句短歌は、本来、縄張り争いをする様なものではありませんが…

十六夜日記 は、鎌倉時代に書かれたものですから、短歌領分ですよね。も、それ

気付いていました。響子さんが、何と言うかと…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(368)

【 支折の言葉・・・13/4 】


「私としては…」響子が、バレッタ(/髪留め)を当てた。「《危機管理センター》 と、《企画

で非常に忙しいので…

《文芸》 全体は、支折さん領分と思っています。元々、私が、短歌担当を引き受けた

のは、お手伝いのつもりでしたから、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
   『徒然草』                (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(369)

【 支折の言葉・・・13/5 】


「はい…」支折が、コクリとうなづいた。「それでは…

十六夜日記準備しておきますが…

徒然草(つれづれぐさ/吉田兼好(兼好法師)が書いたとされる随筆。清少納言『枕草子』、鴨長明『方丈記』とならび日

本三大随筆の1つ)方丈記(ほうじょうき/鴨長明による鎌倉時代の随筆。日本中世文学の代表的な随筆とされ

、『徒然草』、『枕草子』とならぶ古典日本三大随筆の1つ。)、それから、西行法師山家集(さんかしゅう

/平安末期の歌僧・西行法師の歌集) なども、覗いてみたいですよね、」

「うーん…」響子が、笑った。「みんな、短歌の方ですね…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
     『方丈記』            (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(370)

【 支折の言葉・・・13/6 】


本来、私は、俳句の方お手伝いをするべきだったのかしら?」

「いわゆる…」支折が言った。「和歌に限って言えばそうですが…

《文芸》 は、古典文学以外にも、近現代文学も、外国文学もありますわ。それに、《工芸》

の方もありますし、領域としては相当広くなります」

「そうですね…」響子が、…



 2月  19日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(371)

【 支折の言葉・・・13/7 】


…うなづき、向こうのテーブル塾長ポン助を見た。「支折さん助手は、好き勝手なこ

とをやってるし…」

「そう…」支折が、うなづいた。「でも、活躍しているし…」

「そうですね…」響子も、うなづいた。

「さあ…」支折が、スクリーンボードの…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
徳川家康像/江戸幕府 初代征夷大将軍/在任1603年 - 1605年。(狩野探幽画/大阪城天守閣蔵) (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(372)

【 支折の言葉・・・13/8 】


コントローラーを取り上げた。「本題に入りましょう…

は、前回

芭蕉の、心細く野望に燃えた、3年前/貞享元年(1684年)帰郷/野ざらし紀行 を、

考察しています。

その時の、郷里様子では…

芭蕉出生俳諧を志した経緯については…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
       
  徳川秀忠像 (江戸幕府・・・2代将軍/在職:1605年 - 1623年/松平西福寺蔵)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(373)

【 支折の言葉・・・13/9 】


…何も触れられていませんでした。その芭蕉少年・青年時代については、大きな疑問

持ちつも、不勉強で、放置していました。

でも、今回笈小文紀行では、その事に、触れた句がありました。


★ さまゞ(さまざま?)の 事おもひ出す 桜哉(かな)


…という…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
徳川家光像 江戸幕府の3代将軍 (在職:1623年 - 1651年(金山寺蔵/岡山県立博物館寄託)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(374)

【 支折の言葉・・・13/10 】


少年・青年時代回想するです。

この句の、ネット解説では…

これは、芭蕉旧主/藤堂良忠子/良長(/俳号は探丸)下屋敷(/別邸)に、招かれての

とありました。芭蕉には、主家(しゅか/主君・主人の家。しゅけ。)があったわけですね。

<ネット/Wikipediaの資料> によれば…

藤堂良忠は…



 2月  20日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
伊賀上野城/戦国時代に忍者の頭領を務めた、初代/服部半蔵に次ぐ、2代目/服部半蔵が城主? (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(375)

【 支折の言葉・・・13/11 】


伊賀国上野城代(じょうだい/城主が出陣して留守の場合、城を預かる者・・・

江戸時代には、幕府の城を将軍に代って管理し守衛する者をさし・・・二条城代・大坂城代・駿府城代・伏見城代の、4つがあ

った。 諸藩にも、藩主が参勤交代のため江戸に出ている留守に、城を管理した、城代家老がいました。)の…

侍大将(さむらいだいしょう/・・・主に大将軍の下で一軍を指揮する者。または侍大将軍(さむらいたいしょうぐん)、番頭

(ばんがしら)ともいう。戦国時代には総大将の次席足軽大将の上席にあって、戦国大名の軍制において主要な役割を果

たした。)/藤堂新七郎良清(または良精)三男で、(いみな/・・・漢字文化圏では、諱で呼びかけることは

親や主君などのみに許され、それ以外の人間が名で呼びかけることは、極めて無礼であると考えられた。) <良忠(よ

しただ)という、とあります。

芭蕉は…

少年時代に、この <藤堂良忠> 扈従(こしょう/貴人に付き従うこと)として出仕(しゅっし/勤めに

出ること。仕官すること。)していた様ですね。

<良忠> が、<松永貞徳(まつなが・ていとく/江戸時代前期の、俳人・歌人・歌学者) や、<北村季

(きたむら・きぎん/江戸時代前期の、歌人・俳人・和学者・・・元禄2年(1689年)には、歌学方として500石にて、子息

/湖春と共に幕府に仕えた。以後、北村家が幕府歌学方を世襲した。について…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
2代目/服部半蔵・正成・・・忍者は、初代/服部半蔵・保長だけで、2代目以降は忍者ではなかった。  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(376)

【 支折の言葉・・・13/12 】


俳諧(たしな)んでいた縁で、芭蕉俳諧を始めた、という事です」

「ふーん…」響子が、大きくうなづいた。「そういう事ですか…

小林一茶は…

確か、信濃国/柏原(/長野県上水内郡にあった村。現在の信濃町大字柏原)農家の子でしたが、

丁稚奉公(でっち・ぼうこう/丁稚.とは・・・商家に年季奉公する幼少の者を指す言葉。丁稚として働く (奉公する)

 ことを、丁稚奉公といった。)に出され、そこの主人が、俳諧をやっていたのでしたね?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                       
与謝蕪村の画                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(377)

【 支折の言葉・・・13/13 】


「そうです…」支折が、うなづいた。「与謝蕪村の場合は…

旧/丹後国(/京都府与謝野町)の、げん(/谷口家に、げんという女性がいて、墓も残る。)という女性が、

津国東成郡/毛馬村(/大阪府/大阪市都島区毛馬町)奉公に出ていて、そこで主人との間にで

きた子供、という事ですね。

そういう事情もあり、蕪村は後に母の故郷の、京都/丹後住処を移した事もあった様で

す。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                  .         旧/丹後国・・・京都府/与謝野町の俳句大会    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(378)

【 支折の言葉・・・13/14 】


毛馬村(/大阪府大阪市都島区毛馬町)では、奉公人との間にできた子供ということで、正妻

とは、差別があった様です。

蕪村としては、それで、生まれ故郷の方に、アイデンティティー(/自己同一性)感じて

たのでしょうか。

一方、芭蕉は…

本来は、エリート武士になるも開けていた、少年・青年時代でしたが…



 2月  21日

岡田健吉‏@zu5kokd1         
 
                         
芭蕉の旅姿        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(379)

【 支折の言葉・・・13/15 】


一茶蕪村は、まさに庶民育ちでした。芭蕉の、<凛(りん)とした・・・カリスマ性/格の

違い・・・> は、その出生にもあったわけですね、」

「はい…」響子が、を当て、うなづいた。

「ええと…」支折が言った。「を戻しますが…

<良忠> は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                  .         高野山・奥の院                      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(380)

【 支折の言葉・・・13/16 】


寛文6年(1666年)4月25日25歳死去しています。

芭蕉は…

良忠遺骨高野山(/和歌山県北部にある、高野山真言宗の総本山金剛峯寺の奥の院 )に納め、それより

して、無常(/仏教用語: 万物が生滅変化し、常住でないことをいう。)を観じて、故郷出奔(しゅっぽん/逃げだ

して行方をくらますこと )し、一所不在(いっしょふざい/一か所に長くとどまらず、居所を定めずに旅をすること。行脚僧な

どの境遇。)の身で、俳諧専念するようになった、という事です。

ええ…

が、これまで、ボンヤリ想像していた…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                           史跡/芭蕉翁誕生の地/三重県伊賀市・・・観光名所  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(381)

【 支折の言葉・・・13/17 】


芭蕉青年像とは、だいぶズレている様ですね。

忍者/伊賀者予備軍というよりも、実社会においてシッカリとした主家を持ち、少年時代

から扈従(こしょう)をしていたわけですね。ゆくゆくは、侍大将側近約束されていたわけ

です。それが、良忠早世(そうせい/早く世を去ること)挫折したわけですね。

それでも…

忍者の里/伊賀上野の生まれであり、柳生新陰流の里があり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                  .          島原・天草の乱/・・・総大将の天草四郎・・・  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(382)

【 支折の言葉・・・13/18 】


江戸時代・初期の、まだ武断政治時代という事に、変わりはありません。

芭蕉は、1644年誕生ですから…

<1600年の・・・関ヶ原の戦い> <1603年の・・・江戸幕府の開闢(かいびゃく)

<1637年の・・・島原・天草の乱(/・・・当時16歳のキリシタン少年/天草四郎を総大将とした、日本史上

最大規模の一揆。原城の攻防戦では、甲賀忍者(こうか・にんじゃ/南東へ山を隔てた、伊賀国の伊賀流と並び、最も有名

な忍術の一派として知られる。)も参加し、小倉の軍勢の中には、剣豪/宮本武蔵もいました。武蔵は投石が足のスネに当

たり、ケガをしています・・・) から、まだ、間もない頃ですね。

そして…

芭蕉が、奥の細道出発する…


 2月  22日

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
                       
 松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(383)

【 支折の言葉・・・13/19 】


<元禄(1688年~1704年)/・・・元禄文化(/江戸時代・前期に、上方を中心にさかえた清新な町人文化)

・・・> になり、ようやく、武断政治(/武力をもって行う政治。特に江戸 初期、3代将軍/家光までの政

治支配のありかた。)から、文治政治(/4代将軍/家綱から、7代将軍/家継の時期の幕政の基調。)へ、移行

ているわけですね。

つまり…

この頃になり…

ようやく、世の中/日本中落ち着いて来て、日本史上初めて庶民でも安心してヒッチ

ハイク可能時代に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
西行(さいぎょう/平安後期の歌人・・・西行法師 (菊池容斎画/江戸時代)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(384)

【 支折の言葉・・・13/20 】


…なったわけです。

芭蕉が…

行脚僧(あんぎゃそう/諸国を巡って修行する僧。雲水。)の様に、<風雅・風狂で・・・全国を冒険旅行

したのは、新しい紀行文学の、はしりになるのでしょうか、」

「そうですね…」響子が言った。「<西行法師(さいぎょう・ほうし) や、<宗祇法師(そうぎ・ほうし)

は…

僧籍(そうせき/僧・尼として、認められた身分)に、あったわけですよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
                       
ボストン美術館 飯尾宗祇像 狩野派   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(385)

【 支折の言葉・・・13/21 】


つまり…

寺院拠点とする、旅の兵站(へいたん)/ロジスティックがあったわけです。同時に、歌人

しても有名で、当時の狭い貴族社会高い身分があり、守護(/鎌倉幕府・室町幕府の職名・・・国単

位に設置した地方官)などにも、珍客(ちんきゃく/珍しい客)として歓待されたわけです。

それに比べ…

芭蕉は、便宜上(べんぎじょう)僧衣をまとってを重ねた…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
ボストン美術館 飯尾宗祇像 狩野派  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(386)

【 支折の言葉・・・13/22 】


…様ですが、ではなく、僧籍もなく、まさに <風雅・風狂の・・・庶民/俳人・・・> です

よね、」

「はい…」支折が、コクリとうなづいた。「<宗祇法師(そうぎ・ほうし) は…

あまり馴染みがないので、ここでも、少し説明を加えて置きましょうか。

<宗祇> は…

室町時代(1336年~1573年/・・・室町幕府(/足利将軍家)によって統治されていた時代。室町時代の名称は、京都

の室町に、幕府が置かれていたことに由来する。)活躍した <連歌師> で…



 2月  23日

 天皇誕生日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                         
室町幕府・第9代将軍/足利義尚(あしかが・よしひさ)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(387)

【 支折の言葉・・・13/23 】


<和歌の西行> <俳諧の芭蕉> と共に、三代詩人として知られる <漂白の人>

です。

和歌から派生した連歌大成し、幅広く世に広め、将軍/足利義尚(あしかが・よしひさ)からは、

<連歌会所奉行> を、第103代/後土御門天皇(ご・つちみかど・てんのう)からは、<花の下

・・・という称号> を得て、連歌界君臨した…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
第103代/後土御門天皇(ご・つちみかど・てんのう)・・・即位して3年後に、<応仁の乱> が勃発。  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(388)

【 支折の言葉・・・13/24 】


巨匠ですね。

また…

<生涯に渡り・・・平和を求め・・・平和を愛した歌人・・・> だった、という事です。

ただ、<連歌> 自体が、近代・現代において衰退したために、影が薄くなっている様で

す」

「はい…」響子が言った。「発句の、<俳句> だけが、分かりやすく

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
                       
芭蕉の旅姿         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(389)

【 支折の言葉・・・13/25 】


現代人にも、受け継がれているわけですね」

支折が、うなづいた。

「ええ…」支折が言った。「ともかく…

芭蕉の…

旧主/良忠(俳号: 蝉吟(ぜんぎん)は…

芭蕉より2歳年上で、親しく交わっていましたが、25歳他界しました。それで芭蕉は、い

わゆるエリート武士になる…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        伊賀上野城主/藤堂高虎公の・・・従弟/城代付の侍大将/藤堂新七郎の屋敷跡    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(390)

【 支折の言葉・・・13/26 】


絶たれた様です。

武家社会における、御側衆(おそばしゅう)/側近(/権力者や貴人のそば近く仕える人)とは、そのよう

子供時代から一緒に育ち、絶対に裏切ることのない気心の知れた仲間として、育てら

れて行くわけですね。

そして、その良忠の死が、芭蕉 <俳諧の道> を志す、直接原因となったとも言える

様です。

<良忠の遺子/良長(俳号: 探丸) は…

9歳藤堂新七郎家督を継ぎ、芭蕉笈の小文紀行帰郷した時は、23歳だっ

たと言います。

芭蕉は、江戸に出て以来、何度帰郷していますが…



 2月  24日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
                                 (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(391)

【 支折の言葉・・・13/27 】


江戸から帰郷した折には、主家挨拶に訪れ、良忠墓所にもお参りしていたのでしょう

か。

そして…

今回笈の小文帰郷は…

天下に、<蕉風(しょうふう/松尾芭蕉およびその門流の俳風。寂(さび)・撓(しお)り・細み・軽みを重んじて、幽玄・閑

の境地を求め、連句の付合(つけあい)には、移り・響き・匂(にお)い・位(くらい)などの象徴的手法を用い、俳諧を真の詩文

として発展させた。正風。) を、鳴り響かせた…

<俳諧/蕉門(しょうもん/芭蕉の門流。また、それに共鳴した俳人の流派。)の・・・宗匠・・・> としての、

凱旋(がいせん/「凱」 は戦勝のときに奏する音楽。「旋」 は帰る意。戦いに勝って帰ること。)帰国側面もあり、

主家から招かれての…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                            『奥の細道』/与謝蕪村・画・・・武士たちが見送り    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(392)

【 支折の言葉・・・13/28 】


異例の、客人としての参上だったのでしょうか。

芭蕉は…

奥の細道 でも…

しばしば、身分の高い武家にも招かれていますが、そうした武家世界に出入りする事にも、

全く抵抗がなく、慣れていたわけですね。

蕪村や、一茶出生では…

なかなか、そうはいきませんよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                            <尿前の関(しとまえ・の・せき)>/尿前御番所跡   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(393)

【 支折の言葉・・・13/29 】


個人的に、武士との付き合いはあったにしても、主家を持ち、扈従(こしょう)として出仕してい

たのとは、まるで違います。芭蕉は、武家社会真髄まで知っていたわけです」

「うーん…」響子が、うなづいた。「そうですね…

奥の細道/・・・尿前の関(.しとまえ・の・せき/江戸時代は、仙台領と新庄領の国境。現在でも、山形県と宮

城県の県境。)・・・ では…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                            <封人の家 (ほうじん・の・いえ)>           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(394)

【 支折の言葉・・・13/30 】


<封人(ほうじん/国境を守る役人)の家/・・・国境警備の侍の家> に、一夜の宿を頼んで

いますね…」

「そうですね…」支折が、をすぼめた。「ええ…

を戻しますが…

主家に、招かれた時解説から、芭蕉青年期時代背景が、様々に想像されて来

ます。

現代とは違い、まだまだ…



 2月  25日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                           <江戸城>                            (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(395)

【 支折の言葉・・・13/31 】


血生臭い時代です。

戦場を渡り歩いた武士存命し、匂いプンプンとし、古戦場には錆びた刀

転がっていたのでしょうか?

そうした中で…

江戸/徳川幕府が、次第に固まりつつありました。それを表裏で支えた、<・・・伊賀・柳

生の里・・・> も…


                         <江戸城>            (ネットより画像借用)                   


岡田健吉‏@zu5kokd1      
                            史跡/関が原・古戦場             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(396)

【 支折の言葉・・・13/32 】


勢いを増して行ったと思います。

こうした中で…

<和歌・・・俳諧を志す若者・・・> とは、一風変わった存在だったはずです。血の匂いや、

権謀術数(けんぼうじゅっすう/種々の計略をめぐらすこと)から距離を置き、<風雅(/高尚で、みやびな趣の

あること)・風狂(/風雅に徹し、他を顧みないこと) 究めるとは、並の生き方ではありません。

(あるじ)/良忠(よしただ)と共に学んで来た…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                         
雲水                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(397)

【 支折の言葉・・・13/33 】


<俳諧・・・風雅・風狂・・・> への、<深い繊細な感性への・・・衝動(しょうどう/内部から強迫

的に動かされる行為のこと)・・・> と、<禅的な・・・全存在を肯定する・・・死生観・・・> が…

青年/芭蕉を、雲水(うんすい/禅宗の修行僧の一般的呼称。行脚僧)の様な、“漂白の旅” に、駆り立

て、それを継続させたのでしょうか。

故郷を…

出奔(しゅっぽん)して以後の…

青年/芭蕉の、“漂白の旅・・・時代” は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                       
                  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(398)

【 支折の言葉・・・13/34 】


…これまでの芭蕉資料には、散見(さんけん/あちこちに見えること)されていません。でも、まさ

に、そこが、知りたい所ですよね。どの様にして、若くして<深い・・・禅的な境涯(きょうが

い)を・・・獲得できた・・・> のでしょうか?

その時代の、書付(かきつけ/ 心覚え・記録などのために、書きしるしたもの。)が…

どこぞの禅寺反古(ほご/書画などをかいて不用となった紙)の中から、出て来ないものでしょうか?



 2月  26日

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(399)

【 支折の言葉・・・13/35 】


あるいは、古民家(ふすま)の裏張りなどに、ヒッソリ眠っているのかも知れませんね、」

「うーん…」響子が、微笑しながら、うなづいた。「そうですね…

ど.の様な、<禅修行を重ね・・・俳句をひねり・・・旅を重ねていた・・・> のでしょうか。

若くして、主/良忠と共に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
                       
           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(400)

【 支折の言葉・・・13/36 】


<松永貞徳(まつなが・ていとく/江戸時代前期の、俳人・歌人・歌学者) や、<北村季吟(きたむら・き

ぎん/江戸時代前期の、歌人・俳人・和学者・・・元禄2年(1689年)には、歌学方として500石にて、子息/湖春と共に幕

府に仕えた。以後、北村家が幕府歌学方を世襲した。 などの知己を得ていたわけです。

その後も、俳諧を通し、その消息伝わっていた、と思われるのですが、」

「うーん…」支折が、を当てた。「そうですね…

インターネット芭蕉総合年表 によれば、江戸へ出て “最初の・・・ 伊賀上野への帰

郷” の後、<北村季吟> から、俳諧論書/埋木(うもれぎ)授与されています。

これが、<・・・師弟関係の成立か・・・> とも、書き込まれていますね。俳諧の縁は、つな

がっていた、と思います。

ともかく…

江戸時代・初期は…

現代の様に、物が豊かで、甘い時代ではないですよね。その代わり、大自然は豊かで、

々は大らかで…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                       
   北村季吟 (きたむら・きぎん)     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(401)

【 支折の言葉・・・13/37 】


時の流れは、緩やかでした。私達も、再びそうした時代に、帰りたいものですわ、」

「そうですね…」響子が、宙を見た。「時の流れですかあ…

現代は、なんともせわしくて、時の流れが速く、なってしまいました。

文明全体が・・・再び・・・スローフード・スローライフに・・・回帰して行くべき・・・” ですわ、」

「.はい…」支折が、大きくうなづいた。「さあ、先に進みましょうか…

今度は、<俳聖/・・・芭蕉・・・> の、何が見えて来るのでしょうか。私達勉強不足

あつて、様々新しい側面が見えて来ますよね、」



 2月  27日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
                               (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(402)

原文・・・14/1 】


<★ 万菊丸(まんきくまる)


弥生半(やよい・なかば)過る程、そゞろにうき立心の花の、我を道引枝折(われを・みちびく・しおり)

となりて、よしのゝ花(吉野の花)におもひ立んとするに、かのいらご崎にてちぎり置し人

のい勢にて出むかひ、ともに旅寐のあはれをも見、且は我為に童子となりて道の便り

にもならんと、自(みずから)万菊丸と名をいふ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                         
                         (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(403)

原文・・・14/2 】


まことにわらべらしき名のさまいと興有(こうあり)。いでや門出のたはぶれ事せんと笠の

うちに落書(らくがき)ス。


☆ 乾坤(けんこん/天と地)無住(むじゅう)同行二人(どうぎょうににん)


★ よし野にて桜見せふぞ檜の木笠(ひのきがさ)


よし野にて我も見せふぞ檜の木笠  万菊丸


岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
                         
            (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(404)

【 現代語訳・・・14/1 】


三月も半ば過ぎる頃、なんとなく花に誘われるように心が浮き立って、その気持ちが私を導

く道しるべとなり、吉野の桜を見ようと思って出発しようとしていたところ、

例の伊良崎で約束しておいた人が、伊勢で出迎えてくれ、ともに旅寝の情緒を見て…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                          
  宮笠/ヒノキ笠          (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(405)

【 現代語訳・・・14/2 】


…また私のために身の回りの世話をする童子となって道案内になろうと、みずから万菊丸

と名乗る。

ほんとうに少年らしい名のありさまで、たいへん面白い。それでは出発に際して、戯れ事を

しようと笠の裏側に落書きした。



 2月  28日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                         
雲水                     (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(406)

【 現代語訳・・・14/3 】


☆ 乾坤無住同行二人(けんこん・むじゅう・どうぎょうににん) (/檜の木笠の裏側の落書


      天地の間・・・

          安住する場所は・・・

               どこにもない・・・

          ただ私とお前・・・

      二人あるだけだ・・・
 

 

★ よし野にて 桜見せふぞ 檜の木笠


      檜笠よ・・・

          いよいよ・・・

              あの吉野で・・・

          吉野の桜を・・・

      見せてやろうぞ・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1    
                          
  宮笠/ヒノキ笠          (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(407)

【 現代語訳・・・14/4 】


★ よし野にて 我も見せふぞ 檜の木笠 (万菊丸/・・・杜国?)


      
檜笠よ・・

          吉野にて・・・

              私も同じく・・・

          吉野の桜を・・・

      見せてやろうぞ・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
                         
            (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(408)

【 支折の言葉・・・14/1 】 


「うーん…」支折が、アゴコブシを当てた。「この <万菊丸> というが、そもそも、分か

りにくいですよね。何のことか、」

「そうですね…」響子が、小さくうなづいた。「この <原文> だけでは、よく分かりませんし、

解説を見ても、紀行経緯が、不明瞭ですね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
                        (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(409)

【 支折の言葉・・・14/2 】


「そう…」支折が、ユックリとうなづいた。「笈の小文 は…

そもそも…

内容的に、かならずしもまとまった作品とはいいがたい、と言われ、<未定稿説や・・・旅

中の草稿類の、乙州編集説(/河合乙州(かわい・おとくに) は、芭蕉の信頼があつく、元禄7年(1694) 大坂

で師の死をみとり、宝永6年芭蕉の遺稿/笈の小文 を刊行した、とする説。)・・・> なども、あるわけですね。

この後…

芭蕉は、奥の細道敢行(かんこう/悪条件を押し切って行うこと)するわけですが…

早世(そうせい/早く世を去ること・・・(1644年~1694年11月28日/寛永21年~元禄7年10月12日/50歳)した

こともあり、笈の小文 は、不完全なものと言われます。まさに、こうした、分かりにくさが、

そうなのでしょうか。



 3月   1日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
                        (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(410)

【 支折の言葉・・・14/3 】


ともかく…

<原文> <現代語訳>、そしてインターネット解説などから、私達なりに考察を進め

みます。

ええ…

<弥生半過る程/・・・3月の半ばを過ぎた頃

これは…

一度、伊勢から、故郷/伊賀上野へ戻り…

ふたたび、吉野を目指して、出発した時の様子ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
 吉野杉の家                        (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(411)

【 支折の言葉・・・14/4 】


<なんとなく花に誘われるように心が浮き立って、>

…というのは、奥の細道旅立ち序章と似ていますね。

つまり、春風とともに、旅心が湧き立って、ソワソワし始めるというコトの様です。芭蕉は、

本当に、旅が好きだったのですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
 <吉野出兵・・・壬申の乱>             (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(412)

【 支折の言葉・・・14/5 】


江戸時代・初期庶民文化は…

むしろ、野生動物の方に近く、娯楽というものがほとんど無かったわけですね。したがっ

て、旅をするという事が、分かりやすい大きなロマンであり、究極的憧れだったのでしょう

か?

前にも、述べましたが…

(いにしえ)の時代は、誰も旅に憧れ旅にロマンを感じていた様ですね。

吉野と言えば…

持統天皇/鸕野讚良(うののさらら)も、天武天皇/大海人皇子(おおあまめみこ) <吉野出兵

・・・壬申の乱> の折に、隠密の旅をしています。緊張の中でも、楽しそうな旅をしていま

すね。

一行は…

少人数で、吉野近江朝廷警備を出し抜き、伊賀に入ってようやく、味方兵約500

し、一安心しています。

さらに長男/高市皇子合流して、以後、数万の軍勢糾合して行くわけですが、

にとっては、全てが新鮮で、解放された、楽しい日々だったのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                       
  宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘/巌流島    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(413)

【 支折の言葉・・・14/6 】


あ、でも、これは例外ですよね…

実際には…

大冒険であり、様々な危険があり、病気もあり、兵站/ロジスティックの事もあって、

個人をするのは、およそ不可能でした。

例外は…

 <西行法師> の様な、武道心得があり、寺院というロジスティックのあるる僧侶や…

<苦行目的/修行目的の・・・雲水や、武芸者> だけが、自由ができた、のでしょ

うか、」

「そう言えば…」響子が言った。「<芭蕉> も、武道心得がありますよね?」



 3月   2日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                  
  宮本武蔵/江戸時代初期の剣豪・・・二天一流の開祖。    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(414)

【 支折の言葉・・・14/7 】


「そうですね…」支折が、うなづいた。「幼少の頃から、武道は励んでいたと思います…

そうでなくては、侍大将側近にはなれません。学者はとかく、側近主君警護必須

仕事です。

一般的に…

戦国時代城主子息は、子供時代から遊び相手慎重に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
  『 奥の細道画巻・・・市振の宿/元禄2年7月12日 』    (画/与謝蕪村・・・逸翁美術館所蔵)  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(415)

【 支折の言葉・・・14/8 】


選ばれます。家来衆子息の中から、抜きん出た子供選抜されたのでしょう。あるい

は、優秀血筋であれば、都/京都から招かれる事もあったようですね。

そうした中から…

さらに、選別されて行き…

子供ながらに、戦略性長けた者学問知識吸収優れた者

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(416)

【 支折の言葉・・・14/9 】


遊び相手最適な者などで、周囲を固め、期待外れの者は、.外されて行ったと思われ

ます。

したがって、芭蕉は…

周囲も認める、抜きん出た利発な少年だったと思われます。学問・武芸ともに優れ、2つ年

良忠によく仕え、青年になっても、俳諧等心を通わせていた様ですね。したがって、

良忠出世すれば、一緒付いて行くことになりますが、良忠早世しました。

芭蕉は…

俳諧宗匠になった頃…

江戸/日本橋付近で、4年間水路工事現場監督をしていた様ですが、こうした <武

/・・・腕っぷしの強さ・・・> が無ければ、荒くれ男達を束ねられません。芭蕉が、

人旅を出来たのも、こうした自信が、その背景にあったのではないでしょうか?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                       
                                (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(417)

【 支折の言葉・・・14/10 】


「ふーん…」響子が、深くうなづいた。「<俳聖/芭蕉の・・・人格形成・・・> が、少しづつ

見えて来た様ですね、」

「でも.…」支折が、小首を傾げた。「勝手想像ですから、またズレている事もありますわ…

それを、少しづつ、確証していくことが必要ですね、」



 3月   3日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                            
   『天皇行幸絵図』                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(418)

【 支折の言葉・・・14/11 】


「そうですね…」響子が、を当て、うなづいた。

「ええと…」支折が言った。「これも、前にも触れていますが…

古の時代とは…

天皇行幸(ぎょうこう/天皇が外出すること。行く先が2か所以上にわたるときには、巡幸という。)や、巡幸(じゅ

んこう)の折に、何が仕事をもらって、一緒付いて行く事ができたら、庶民にとっては、それ

が、一生の語り種(かたりぐさ/いつまでも、人の口に上るような話題)になったわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                                            
  紀貫之 (菊池容斎・画/明治時代)    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(419)

【 支折の言葉・・・14/12 】


もちろん、警護・荷物運び等の、大人数を集める事のできる有力貴族は、ですよね。

それから…

<国司(こくし/古代から中世の日本で…地方行政単位である国の行政官として、中央から派遣された官吏で、四等官

である、守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)たちを指します。守の唐名は刺史、太守など。大国、上国の守は中

央では、中級貴族に位置します。つまり、中級貴族が、そうした任に当たりました。清少納言も、父・清原元輔の周防守赴

任に際して同行し、4年間を地方で過ごしています。

郡の官吏
(/郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので、中央からの支配のかなめは赴任した国司た

ちにありました。任期は6年(/後に4年)。国司たちは国衙(こくが/役所が置かれていた区画)において政務に当たり、祭

祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持っていました。) が…

一族郎党を連れて任地赴任するも、<当時の・・・典型的な旅の形・・・> ですね。

<平安時代・前期 ~ 中期の歌人/・・・紀貫之(/中級貴族)・・・> は…

仮名文字(かなもじ/仮名とは、漢字をもとにして、日本で作られた文字。一般には、平仮名と片仮名のことを指す。)

で、土佐日記 を書きましたが、その赴任地(ふにんち)からの…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                               
石山寺/源氏の間                 (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(420)

【 支折の言葉・・・14/13 】


帰京(/都に帰ること)船旅でさえ、海賊盗賊襲撃を、非常に恐れていた様子、を描い

ています。

また、<平安時代・中期期の作家/・・・紫式部・・・>は…

石山寺(/滋賀県大津市にある寺院。本尊は如意輪観音。開山は良弁。)において、源氏物語起筆(き

ひつ/文章を書きはじめること)しましたが、そこへ行ったのも、現代の様に、フラリトランク1つ

出かけたわけでは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                       
   
芭蕉         (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(421)

【 支折の言葉・・・14/14 】


…ありませんよね、」

この時代…」響子が言った。「つまり…

<江戸時代・初期/・・・元禄文化の時代・・・> という事ですが…

芭蕉でさえ、1人で、<歌枕(/和歌に多く詠み込まれる、名所・旧跡)の地> を訪ねて、をするの

は、異例中異例の旅、だったはずですわ。

普通の人は、そんな、“物好きで・・・危険な冒険” は、しなかったはずですし…



 3月   4日 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
            
   
          ★ 学問は 尻からぬける ほたる哉・・・句・画/蕪村   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(422)

【 支折の言葉・・・14/15 】


天皇有力貴族はともかく、庶民はそれこそ、そんな事をしていては、<普通に生活し

て・・・食べていく事> が、出来ません」

「そうですね…」支折が、うなづいた。「そう言えば…

蕪村一茶も…

<芭蕉の生き方に・・・強く惹かれ、強く憧れ・・・追随・・・> しましたが、結局、芭蕉

様には…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                       
   
一茶                 (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(423)

【 支折の言葉・・・14/16 】


…生きられなかったわけですね。

現代にいたるまで、<数多(あまた)の・・・俳人・歌人・詩人・・・そして世界中の、芸術家

たち・・・> がそうでした。その意味で、<芭蕉は・・・非常に、稀有(けう)な存在・・・>

いう事になります。

他の人は…

<日々の・・・生活維持に・・・汲々とし>

それを、<掃き捨てる事の・・・未練/難しさ> から…

結局<芭蕉の様な・・・ 一段高い ・・・風雅・風狂の世界・・・> には、飛び込んでは、

行けなかった、という事でしょうか?

うーん…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                        
   松尾芭蕉/・・・与謝蕪村・筆    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(424)

【 支折の言葉・・・14/17 】


<芭蕉の・・・カリスマ性/格の違い・・・> とは、まさに、そうした所から、生まれて来て

いるのでしょうか?」

「そうですね…」響子が、を押し当てた。「深い領域になりますが…

そうかも知れませんね。私達も、蕪村一茶同様に、その世界には飛び込めずに、ただ

芭蕉考察しているだけです。そして、そこに飛び込むコト、とは…

 
★ 古池や 蛙飛び込む 水の音


…の、<永遠の・・・水の音の世界・・・> に、入って行くコト、になるわけですね、」

「ふーん…」支折が、深くうなづいた。「ええ、ともかく…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                        
   松尾芭蕉・像/・・・葛飾北斎・画      (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(425)

【 支折の言葉・・・14/18 】


考察を進めましょう。

芭蕉が、吉野出発しようとしていると、<原文> では、こう述べています…


<例の伊良崎で約束しておいた人が、伊勢で出迎えてくれ、ともに旅寝の情緒を見

て、また私のために身の回りの世話をする童子となって道案内になろうと、みずから

万菊丸と名乗る。>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
   
芭蕉         (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(426)

【 支折の言葉・・・14/19 】


…という事ですね。

これは、<保美(ほび/伊良湖崎の手前)に追放処分となっていた・・・門人/杜国の・・・処分

が解かれた・・・> という、事なのでしょうか。は、咎人(とがにん)とは、もっと罪が重い

のだと、思っていました」

「うーん…」響子が言って、を傾げた。「そうですね…」

 

「ええ…」支折が、インターネット・正面カメラを見上げ、頭を下げた。「いよいよ、吉野です

が、今回は、ここまでとします。

《危機管理センター》 の方から、<コロナ禍の・・・変異株の状況・・・>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
        
                   画像/国立感染症研究所  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(427)

【 支折の言葉・・・14/20 】


…について、緊急に考察をさせて欲しい、という要望です。

響子さんの代役で、《危機管理センター》 には、厨川アンさんが入っているのですが、彼

女の方から、矢の催促が来ています。

<生物情報科学/・・・感染症パンデミック> は彼女の専門分野で、感染症担当/夏

川清一さんも、スタンバイしているそうです。

直ちに、そちらに切り替えることにします。響子さんも、後から参加するそうです。ご期待く

ださい!

            

 

 6月  19日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(428)

【 支折の言葉・・・14/21 】


「お久しぶりです…」

星野支折が、《文芸》インターネット正面カメラに向かって、を下げた。

「まもなく、響子さんたちがやって来ます。

今回は…

笈の小文 の続きですね。芭蕉が、吉野の桜を見に出かける、 <万菊丸(まんきくまる)

の章です。

【支折の言葉・・・14/20】 の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(429)

【 支折の言葉・・・14/22 】


…続きになります」

支折が…

コーヒー・セットを載せたを、作業テーブルに運んだ。すると、ハイパーリンク・ゲート

ンプ点灯した。

響子ポン助が…

そのハイパーリンク・ゲートから、 《文芸》 に入ってきた。この前に来た時と、そっくり同じ

光景だった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe52.jpg (32011 バイト)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(430)

【 支折の言葉・・・14/23 】


違うのは、響子が、今回ギンガムワンピース姿だった。季節が、すっかり移り変わっ

いた。

「いらっしゃい、響子さん!」支折がを運びながら、満面笑みで迎えた。

「よろしく…」響子が、親しげに言い、周りを見回した。「ここに来ると、落ち着きますわ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(431)

【 支折の言葉・・・14/24 】


緊張感のある、 《危機管理センター》 と違って…文学的で…思索的で…」

「ほほ…」支折が、用意してあったコーヒーポットを取り上げた。「あ、ポンちゃん…

ボス(/岡田)がさあ…」

「おう…」ポン助が、椅子に掛けた。

「こう、言っていたわよ…



 6月  20日

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(432)

【 支折の言葉・・・14/25 】


<ポンちゃんに・・・

菩薩戒を授けて・・・その後で、門外不出/一家相伝(いっかそうでん)の・・・ダイエットの

極意を伝授したいが・・・どうか・・・?>

…と、聞いて来たわよ。これはポンちゃんの、人格改造計画になるのかしら。ポンちゃん

仏道に入れ、本格的修行をさせるつもりかしら?」

「それを…」ポン助が言った。「何で支折に、聞くんだよ?」

「一応…」支折が、コーヒーカップコーヒーを注いだ。「意見を、求めたんだと思う。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe52.jpg (32011 バイト)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(433)

【 支折の言葉・・・14/26 】


は、ポンちゃん次第だと、言っておいたわ。ポンちゃんにその気があるのなら、推薦

るというコト、」

「で…」ポン助が、を傾げた。「<菩薩戒(ぼさつかい) って、何だよ?」

「ええ…」支折が、うなづいた。「私も、後で、ネット詳しく調べてみたの…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                       「鑑真和上坐像」 国宝 8世紀 奈良/唐招提寺・蔵   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(434)

【 支折の言葉・・・14/27 】


<菩薩戒> というのは…

<大乗仏教(だいじょう・ぶっきょう)・・・


(紀元前450年頃に…

お釈迦様によって、インドで開始された仏教は、今では、初期仏教/原始仏教” として研究されてい

す。お釈迦様は、他の宗教者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して、無我としました。お

釈迦様の死後数百年で、仏教教団には部派仏教が生まれて来て、大きく “大衆部” と、“上座部”

に分かれました。

その

紀元後、1世紀頃に興った

仏教の2大流派の1つが、“大衆部/大乗仏教” です。古来の仏陀の教えを拡大して、新しい解釈を

加えた教派で、自分ひとりの悟りのためではなく、多くの人々を理想世界である彼岸に運ぶ、大きなす

ぐれた乗物という意味で、みずからの立場を、“大乗仏教” と呼びました。

それ以前の

釈迦の言行の伝承を中心とした、原始仏教ならびに、釈迦の法の注釈的研究を主とする保守派をい

わゆる “小乗仏教” と貶称(へんしょう/他をおとしめて言うこと)しましたが、これは適当でないという事で、

今日では“上座部仏教” と呼ばれています。

“上座部仏教/伝統的な部派仏教” が、セイロン (現スリランカ) 、ビルマ (現ミャンマー) 、タイなどの

南方に伝播したのに対し、大乗仏教はチベット、中国、日本など北方へ伝わり、今日に至っていま

す。)


の菩薩
(ぼさつ)が・・・

あ、菩薩というのは・・・

仏の位(/仏教における最高の存在であり、悟りを開いた者)に、次ぐ位の者(/仏の位の次にあり・・・悟りを求め、

衆生を救うために、多くの修行を重ねる者。)です。みずから、菩提(ぼだい/迷いを断ち切って得られた、悟りの智

慧。また、涅槃(ねはん)のこと。)を求める一方、衆生(しゅうじょう/一切の生きとし生けるもの)を導き、仏道

を成就させようとする行者(ぎょうじゃ)の事です。部派仏教/小乗仏教では、阿羅漢(あら

かん)/羅漢(らかん/阿羅漢の略)・・・と、いう様よね。

つまり・・・

菩薩戒とは、その菩薩が・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        伝教大師/最澄  国宝 平安時代  一乗寺・蔵   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(435)

【 支折の言葉・・・14/28 】


受持(じゅじ/教えを受け、しっかり覚えておくこと)すべき戒(かい)/いましめ、のコトみたいよね。菩

薩としての自覚を持って、受持するもので、止悪(しあく/身体と言葉と心による悪い行為をやめ、戒律

を保つこと)・修善(しゅぜん/善を行なうこと。善行を積むこと。)・利他(りた/自分を犠牲にして、他人のために尽くすこ

と)の、3つの面を持つ三聚浄戒(さんじゅ・じょうかい/大乗戒、菩薩戒、三聚戒ともいう。大乗の戒律の1つで、

大乗の菩薩は、出家も在家も、ともにこれを受持する。)の性格を持つもの・・・と、言うそうです。

日本では、鑑真和上(がんじん・わじょう/唐の僧侶で、日本の奈良時代に、困難を超えて来日、帰化した、日本の

律宗の開祖となった人物。)の来朝以後、梵網経( ぼんもうきょう/仏教経典。2巻。・・・大乗戒の第一の経典として

中国、日本で重視され、伝教大師/最澄によって大成された、円頓戒の典拠経典となっている。)による梵網戒(/梵

網菩薩戒・・・ぼんもうぼさつかい)が一般的・・・>

…だとか。


 6月  21日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                       菩薩戒牒/・・・高野山金剛峯寺     (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(436)

【 支折の言葉・・・14/29 】


つまり、さあ…

ポンちゃんの場合は、特別に、ボス <菩薩戒> を授けてやる、と言うわけかしら?

<一子相伝(いっし・そうでん/学問・技芸などの奥義・秘法を自分の子の中の1人だけに伝えること。)の・・・健康

ダイエットの極意・・・の伝授・・・> 一緒に、」

「そんな…」ポン助が言った。「面倒なものは、要らないよな。色々縛(しば)られて、窮屈(きゅ

うくつ)なだけだよな、」

「うーん…」支折が、を傾げた。「ポンちゃん場合は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                        佛教青年協會圓明寺在家菩薩戒2014       (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(437)

【 支折の言葉・・・14/30 】


そうかも、知れないわねえ。ともかく、ボスがそう言っているんだから、よく考えてちょうだ

い、」

「うーん…」響子が、深く、うなづいた。「私も…

直接、ボスから、禅の指導を受けたことは無いのですが、<菩薩戒> というのは、大乗

仏教ですよねえ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                      喫茶去(きっさこ/・・・まあお茶でもお飲みなさい・・・)    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(438)

【 支折の言葉・・・14/31 】


ボスは…

<禅宗や、原始仏教は・・・無神論(/神の存在を否定する立場の世界の様・・・> で、いず

れ、信仰心が湧いて来ると期待していたが、湧いてこないと言っていました。それで、<大

乗仏教の世界> に、足を踏み入れたのかしら?元々、<禅宗・・・臨済宗・曹洞宗・・・

は、大乗仏教なのですが、」

ポン助が、無言で、コーヒーカップを引き寄せた。

「それと…」支折が言った。「<一子相伝の・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
         ボスの安息所/止水庵・・・小説/『唯心  <ジャンプ> 』 の中の清安寺の外れにある・・・湖沼のほとり・・・      

《 笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(439)

【 支折の言葉・・・14/32 】


・・・健康ダイエットの極意・・・の伝授・・・> は、どうするのかしら。<菩薩戒> セッ

の様な、口振りだったわねえ、」

オレは…」ポン助が言った。「(や)せる気なんか、無いよな。太っていても、健康だしよ

う、」

「そう…」支折が、うなづいた。「<止水庵(しすいあん/・・・清安寺の外れで、湖沼のほとり。 止水庵

の宵闇 ・・・ジャンプ! へ、行った時に…



 6月  22日

岡田健吉‏@zu5kokd1         
        ボスの安息所/止水庵・・・小説/『唯心  <ジャンプ> 』 の中の清安寺の外れにある・・・湖沼のほとり・・・      

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(440)

【 支折の言葉・・・14/33 】


もう一度、ボスに、よく聞いてみてちょうだい。何か、別の事があるのかも知れないから、」

「おう…」ポン助が、コーヒーカップをつけた。

 

「ええ…」支折が、インターネット正面カメラを、一瞥(いちべつ/チラッと見ること)した。「笈の小

に入ります…

私は、少し休んでいる間に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
    歌川広重 『東海道五十三次~鳴海 (/愛知県名古屋市緑区)』 木版画  浮世絵    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(441)

【 支折の言葉・・・14/34 】


…この時代のことを、ユックリと考えてみました。

芭蕉のいた時代の、鳴海宿の様子…名古屋の賑わい…それから、芭蕉故郷/伊賀上

の繁栄の事…などです。

まず…

第一に…

<徳川家康(/1543年~1616年) 天下人となり、この辺りはまさに、<家康の・・・生ま

れ育った、地元地域であり・・・かつ、戦略地域・・・> でも、あったわけですよね。

1600年/・・・10月21日に…

<地元での・・・天下分け目の大戦(おおいくさ)/・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
歌川広重 『東海道五十三次 ~ 府中(/駿府城がある) / 神保町 』  木版画  浮世絵   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(442)

【 支折の言葉・・・14/35 】


・・・関ヶ原の戦い(/美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦。) 大勝

し…

1603年に…

家康は、征夷大将軍に任ぜられ、 <武蔵国/江戸に・・・徳川幕府を開闢(かいびゃく/天地

の開け始め。世界や国などの始まり。) しています。

その2年後の…

1605年(慶長10年)

家康は、将軍職2代/秀忠に譲り…

その翌年

<駿府城(すんぷじょう/静岡県静岡市を・・・大御所政治(おおごしょせいじ/前将軍が、隠退後も在職中と同

様の実権をもち、政治をとり続けること。一般に、大御所政治を行ったとされるのは・・・初代将軍/徳川家康と、11代将軍/

家斉の2人です。)の・・・拠点の地・・・> と定めて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                        桶狭間の戦い・・・        織田信長 × 今川義元   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(443)

【 支折の言葉・・・14/36 】


…いわゆる <家康の・・・大御所政治・・・> が、始まって行くわけです。

幕府本拠江戸城にありながら、実権は、駿府城家康が握っていたわけですね。そ

のために、駿府の街は相当に賑わった様です。そして、<五街道/・・・東海道・中山道

・日光街道・奥州街道・甲州街道> 1つ東海道最大賑わった様です。

駿府という土地は…

元々は、今川義元(いまがわ・よしもと)居城のあった所です。今川義元は、有名 <桶狭間

(おけはざま)の戦い>で、織田信長奇襲にあい、敗れた人物ですね。

その当時…

家康はこの地で、戦国・有力大名/今川氏の…



 6月  23日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
徳川家康・・・安祥松平家の第9代/当主は・・・7歳~19歳まで、今川氏の人質として育った。(ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(444)

【 支折の言葉・・・14/37 】


人質として取られていて、<7歳~19歳までの12年間・・・この駿府で人質生活>

していたわけです。

多感青少年時代を過ごした駿府は、家康にとっては、<第2の故郷> だったのでしょう

か。ここで、多くの人々と出会い、家康人格が、形成されて行ったわけですね。

人質と言っても…

隣の三河/安祥松平家跡継ぎであり、重要な客人で、今川家人々とも、対等の付き

合いがあったと思われます。隣国ですから、松平家との往来も、頻繁にあったと思われま

す。それでも、人質を取って置くというのが、戦国の習いだったのでしょうか。

ええと…

この駿府の地について、ついでに、少し調べてみました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                          駿河侵攻・・・                      (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(445)

【 支折の言葉・・・14/38 】


この地は…

戦国時代争乱の中で…

1568年に…

甲斐国(かいのくに/現在の山梨県)/武田信玄(たけだ・しんげん/甲斐源氏の嫡流にあたる、甲斐武田家の第

19代当主。)に攻められて、掛川に落ちて行き、駿府の町焼き払われています。

<桶狭間の戦い> の後…

信長討ち取られ今川義元の後を継いだ、今川氏真(いまがわ・うじざね)の代に、代替わり

していますね。主君討ち取られ、それが天下知れ渡り駿河国弱体化していたとい

う事ですね。

さらに…

1582年/・・・14年後に…

徳川家康が、駿府に構えて居る武田勢を攻め、駿府の町再び戦火に遭って…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
『徳川家康・・・三方ヶ原戦役画像』 敗戦直後に、自戒のため描かせた? (徳川美術館所蔵) (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(446)

【 支折の言葉・・・14/39 】


…ほぼ壊滅状態になった様です。

ええ…

くり返しになると、思いますが…

今川氏真(いまがわ・うじざね)は、戦国時代 ~ 江戸時代・初期にかけての武将で、戦国大名

文化人です。また、今川氏/12代当主であり、父/今川義元 <桶狭間の戦い> で、

信長討たれた後を継いでいます。敗れた後も、文化人として、江戸時代・初期まで、

残している様ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                        武田信玄/武田晴信像   (高野山/持明院蔵)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(447)

【 支折の言葉・・・14/40 】


ともかく…

今述べた様に…

武田信玄と、徳川家康軍勢によって、駿河国はくり返し侵攻を受け、戦国大名としての

今川家は、滅亡しているわけです。

それから…

駿河国を、領国1つとした家康は…

1585年から…

自らの居城として、駿府城築城を始め、1589年完成させています。現在の…



 6月  24日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                        豊臣秀吉像 (狩野光信筆 / 高台寺蔵 )   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(448)

【 支折の言葉・・・14/41 】


二ノ丸以内部分です。

でも…

家康翌年

<関白/・・・豊臣秀吉・・・> によって…

関東移封(いほう/国替え)され、豊臣系家臣/中村一氏(なかむら・かずうじ)が、駿府城

となっています。

そして…

天正期(てんしょうき/天正は・・・安土桃山時代の、1573年~1592年までで、正親町(おおぎまち)天皇、後陽成(ごよ

うぜい)天皇の代の元号)の、駿府城を、拡張/・・・三ノ丸修築して…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
              家康公の大御所時代・・・駿府が日本を動かしていた。/駿府城公園  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(449)

【 支折の言葉・・・14/42 】


駿府町割や…

安倍川(あべがわ/一級水系安倍川の本流。清流として有名。)治水事業に取りかかり…

現在の、静岡市市街地原型が造られている様ですね。

それから…

豊臣秀吉が亡くなり…

<1600年/・・・10月21日に・・・関ヶ原の戦い・・・> があり…

<1603年に・・・江戸幕府が開闢(かいびゃく)・・・> して、駿府城で、<家康の・・・大御

所政治・・・> が始まります。

家康は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                   天草四郎が使ったとされる旗印 (天草切支丹館所蔵)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(450)

【 支折の言葉・・・14/43 】


1616年没していますから、その間、駿府江戸を凌(しの)ぐ、当時政治・経済・文化

中心地として、黄金期を迎えた様です。

ええと…

それから…

1637年に、<島原の乱/島原・天草一揆(/16歳のキリシタン・・・天草四郎時貞が、最高指導者とさ

れる) があり、前に話したように、これには <剣豪/宮本武蔵> 参加しています。

そして…

1644年には、<伊賀上野で・・・松尾芭蕉が生誕> しています。でも、芭蕉活躍

る…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
  元禄・赤穂事件/・・・江戸城・松の大廊下で、刃傷事件が発生 → 『仮名手本忠臣蔵』   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(451)

【 支折の言葉・・・14/44 】


<江戸時代/・・・元禄文化(/元禄(1688~1704)前後の、上方中心の町人文化)開花まで

は、もうしばらく、時が流れるわけですね、」

「うーん…」響子が、を傾げた。「東海道駿府は、それほどに、大繁栄していたわけで

すかあ、」

短期間ですが…」支折が言った。「その様ですね…

そして、笈の小文登場して来る、名古屋や、伊賀上野も、徳川家地本として、大い

沸いていたわけです。それは、芭蕉放浪時代や、江戸での生活にも、少なからず反映

していたと思われます。

まだまだ、社会には血生臭さが漂っていましたが…」



 6月  25日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                                   
芭蕉の旅姿        (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(452)

原文・・・15/1

<・・・道中・・・>


旅の具多きは道さはりなりと物皆払捨たれども、夜の料(りょう/器具、衣服、飲食物など、何かの

用にあてる物・・・夜具、寝具)にとかみこ(紙衣・・・紙でつくった衣。それを布団の代用にした。)壱つ(1つ)、合羽

(かっぱ)やうの物、硯(すずり)・筆・かみ・薬等、昼笥(ひるげ(昼餉・・・昼の弁当。))なんど物に

包て後に背負たれば、いとゞすねよはく力なき身の、後ざまにひかふるやうにて道猶

(なお)すゝまず。たゞ物うき事のみ多し。


岡田健吉‏@zu5kokd1  
<紙子/紙衣> 上質の厚くすいた和紙に、柿渋をぬり、何度も日にかわかし、衣服に仕立てたもの。  (ネットより画像借用) 

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(453)

原文・・・15/2


★ 草臥(くたぶれ)て宿かる比(やどかるころ)や藤の花

 

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                                                           (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(454)

現代語訳・・・15/1 】


旅の荷物が多いのは、道々邪魔になるから皆うち捨てたのだが、寝具のかわりにと紙衣

(かみこ)ひと重ね、合羽の類、硯(すずり)・筆・紙・薬など、昼の弁当など包みに包んで後に背

負ったところ、たいへんすねが弱く力無い身であるから、後ろに引っ張られる感じで、道が

ちっとも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                                       
        (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(455)

現代語訳・・・15/2 】


…進まない。ただ憂鬱(ゆううつ)なことばかり多い。


★ 草臥(くたぶれ)て 宿かる比(やどかるころ)や 藤の花


一日中歩き通して・・・

     疲れた夕暮れ時・・・

         宿を借りようと探していると・・・

       藤の花が目に入った・・・

           ダランと下がった藤の花は・・・

               今の、私のように、疲れた感じだ・・・



 6月  26日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                              
更科紀行     <ジャンプ

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(456)

支折の言葉・・・15/1 】


「さあ…」支折が言った。「いよいよ、<桜の名所・・・吉野への道中・・・> ですね。

芭蕉は…

<旅の具多きは・・・道さはりなりと・・・物皆払捨たれども・・・> と、記しています。

私は、何故か…

というより、芭蕉作品無知だったために…

この 笈の小文帰路である、更科紀行 の方を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 更科紀行 <ジャンプ
! >
・・・木曽の桟/木曽路の桟道・・・上松と福島との間にあった桟道   (ネットより画像借用) 

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(457)

支折の言葉・・・15/2


先に読んでしまっています。つまり、当/《HomePage/人間原理空間》 でも、こちらの

方を、先に考察してしまっています。

その…

 更科紀行 の中で、芭蕉は、“腰が曲がる程の・・・浮世の荷物を持った旅僧・・・” と出

会っています。まさに、芭蕉とは逆で、浮世の荷物の多い・・・旅僧の姿 ですよね。

ちなみに…

その下りは…

六十斗(むそじばかり)の道心の僧(/求道の僧)、おもしろげもおかしげもあらず、たゞむつ

ゝとしたるが、腰たはむまで物おひ、息はせはしく、足はきざむやうにあゆみ来れる

を、ともなひける人のあはれがりて、をのゝ肩にかけたるもの共かの僧のおひね物(お

ひねもの/旅の僧が背負う荷物)とひとつにからみて馬に付て、我をその上にのす。

…とあります。

とは、芭蕉のことなのでしょうか?のことなのでしょうか?とは芭蕉のことだと思う

のですが。芭蕉も、しばしば、に乗りますよね。それにしても、ヘンな感じです。

うーん…

ともかく、笈の小文 の、この辺り表現は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                          英泉「木曽街道」  岐阻街道 奈良井宿 名産店之図   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(458)

支折の言葉・・・15/3


更科紀行 の、まさにこの部分と、”息が通っている” のを感じます。芭蕉旅行脚(た

びあんぎゃ)の続きですから、当たり前と言えば、確かにその通りなのですが。

ええと、

もう一度、考察しますが…

更科紀行 では、同行の人々が、それを憐れがって馬を雇い、それぞれの荷物もひとくく

りにして、馬に付けて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                       矢立(やたて/筆と墨壺を組み合わせた携帯用筆記用具)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(459)

支折の言葉・・・15/4


…そして、その荷物の上に、芭蕉を乗せてやったのでしょうか?そうだとしたら、芭蕉も、

相当に、足腰キツそうに見えたのでしょうか?ここは、宿題にして置きましょうか。

ともかく…

同行の人々とは、芭蕉同行門人/越人ではなく、旅僧同行の人々の様ですよね。

ちょっと、分かりにくい所ですが、それをくり返し読み、想像してみるのも、いいですね。

あ、門人/越人は、芭蕉中山道同行し、姥捨(うばすて)善光寺(ぜんこうじ)と回り、江戸

で下っているわけですね。

ええと…

笈の小文 に戻りますが…

ここでは、芭蕉旅の荷物の事が、詳しく記されています。旅慣れている芭蕉は…


 6月  27日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                                     おにぎり            (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(460)

支折の言葉・・・15/5


…極力、荷物を絞っていますが…

<夜の料にとかみこ(紙衣、紙子)壱つ(1つ)、合羽やうの物、硯(すずり)・筆・かみ・薬等、

昼笥(ひるげ(昼餉・・・昼の弁当。))なんど・・・>

…とあり…

寝具として、紙衣/紙子(かみこ)必須だった様ですね。場合によっては野宿になることも

あり、現代で言えば、寒さを凌ぐための…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                (ネットより画像借用)     江戸時代の合羽 (かっぱ)         油紙で作った雨合羽

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(461)

支折の言葉・・・15/6


寝袋防寒衣の役目もあったのでしょうか。

そして…

<合羽(かっぱ)やうの物> ですか…

これは上着や、マントの様なものですよね。保温雨具の役目があったと思います。これ

必須アイテムですね。暑い真夏なら、軽い油紙(あぶらがみ)の様な物でも、十分だったの

でしょうか?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
    ネットより画像借用)   矢立(やたて/筆と墨壺を組み合わせた携帯用筆記用具)       (油紙を張った唐笠)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(462)

支折の言葉・・・15/7


あと…

<硯、筆、かみ、薬等、昼笥(ひるげ)なんど・・・>

…とありますが、現代風に言えば、筆記用具多少の薬昼飯ですね。確かに、必需品

けという事になりますが、それにしても質素ですね。

現代なら…

バックパックにの中に、上着軽量寝袋ペットボトル、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 芭蕉の脇差 ・・・与謝蕪村/奥の細道画巻(市振の宿 元禄2年7月12日) (逸翁美術館所蔵) (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(463)

支折の言葉・・・15/8


小型の多機能ナイフヒモ・ロープ、100円のビニール合羽インスタント食品バンド

エイドや薬ボールペン、それに携帯電話と…軽量なものが、随分と入りますよね。

あ…

ここには、記してありませんが…

芭蕉はこの他に、<脇差一本> を、身につけていた様子です。与謝蕪村奥の細道

・・・市振(いちふり/新潟県糸魚川市)



 6月  28日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                 
                       (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(464)

支折の言葉・・・15/9


…などでは、明らかに脇差一本帯びています。

蕪村(/1716年~1784年)は…

芭蕉(/1644年~1694年)が没して、22年後に生まれた人ですから、芭蕉に関する資料など

も、ほぼ完全に残っていた時代ですね。芭蕉を、直接知る人々も、多く存命していた時代

です。特に、芭蕉50歳早世(そうせい/早く世を去ること)しているわけですから。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                      
振り分け荷物 長ドス タバコ入れとキセル     (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(465)

支折の言葉・・・15/10


また、当時は…

野生の原野支配的で、は無いにしても、治安もまだまだ不安定だったわけです。農民

でも、山に入る時には、道具として山刀(やまがたな)(なた)を持って入るのと同じで、刃物

を一本、身に帯びるのは、ごく自然だったのでしょうか、」

「そうですね…」響子が言った。「女性でも、懐剣(ふところがたな)を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
別式女(べっしきめ/大奥・諸藩の奥方付き女中などに起用した武芸達者) (ネットより画像借用)   懐刀(ふところがたな)   

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(466)

支折の言葉・・・15/11


…持っていましたから。別式女(べっしきめ/刀腰婦、帯剣女。 大奥や諸藩の奥向きで活動した女性の武芸指

南役。)は、に帯びている事も、あったのでしょうか?」

「はい…」支折が、うなづいた。「現代なら…

女性だろうと男性だろうと、そんな刃物を持ち歩いていたら、逮捕されますよね。ミニナイフ

なら、黙認される様ですが。

ええ、話を戻しましょう…

ともかく…芭蕉はそれらの荷物を…

<物に包て後に背負たれば、・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                        
芭蕉の旅姿 ・・・    『笈の小文』 の旅立ち    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(467)

支折の言葉・・・15/12


・・・いとゞすねよはく力なき身の、後ざまにひかふるやうにて道猶(なお)すゝまず。たゞ

物うき事のみ多し・・・>

…と、記しています。

ふーん…

私達は、芭蕉江戸日本橋界隈で、水道工事監督4年間もやっていて、頑丈体躯

持ち、腕力・武道相当なものと見ていました。



 6月  29日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
    松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(468)

支折の言葉・・・15/13


でも…

<いとゞすねよはく力なき身の・・・>

…と、身体の弱さを、自ら吐露(とろ/心に思っていることを、隠さずうちあけること。)していますよね。そう

だったのかしら?

うーん、それにしても…

江戸から、一人旅をしているわけですし…

この紀行の後にも、未踏(みとう/まだだれも足を踏み入れたことがない)の、奥の細道<奥州へ

の・・・風流のヒッチハイク(/無銭旅行) という・・・大冒険・・・> を、敢行(かんこう/押し切って

事を行なうこと)しているわけですよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                                      
     芭蕉の旅姿 ・・・    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(469)

支折の言葉・・・15/14


やはり、相当な健脚(けんきゃく/足の力が強く、よく歩けること。)と、見るべきですよね。

あ、でも…

芭蕉翁などと呼ばれていて、50歳の若さで、早世しているわけですか…これも、事実です

よね…」

「うーん…」響子が、を当てた。「そうですね…

そう言えば、芭蕉は何か、持病(じびょう/なかなか治らず、常に、または時々起こる病気。)の様なものを

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
               
蕪村/ 『奥の細道』・・・ 那須の小姫・・・走りながら妹の手をとる兄   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(470)

支折の言葉・・・15/15


…持っていたのでしょうか?第一…芭蕉の、死因は、何だったのでしょうか?」

「あ、はい…」支折が、大きくうなづいた。「としたことが、それは気付きませんでした。

うーん…

芭蕉最後の句

<辞世の句(じせいく/死を前にして、この世に書き残された詩的な短文。和歌、俳句、漢詩など音韻を重視したもの

であることが多い。)/・・・あくまでも、単なる・・・芭蕉の最後の句?> の方を、気にしていま

したが、芭蕉病気内容の事は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
      清澄庭園(/東京都江東区清澄・・・元禄期の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡)にある  「古池や・・・」 の句碑
                                              
(ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(471)

支折の言葉・・・15/16


記述が無いので、深くは考えて来ませんでした。

こうした疑問は、以前から、当然あったはずですわ。研究者は、どの様に考えているのか、

調べて置きます」

「そうですね…」響子が、うなづいた。「現代では、大したことのない病でも、当時は、命取り

だったかも知れません」



 6月  30日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(472)

支折の言葉・・・15/17


「ええ…」支折が、を傾げてモニターを眺めた。「私は…

<芭蕉の・・・最後の句> の方を、気にしていたと言いましたが、ここでその事に少し触

れておきましょうか。

いずれ、考察することになります。今回は、その予備知識として、簡単触れて置きたいと

思います。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                                       
★ 秋ふかし 隣は何を するひとぞ  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(473)

支折の言葉・・・15/18


ええと…

次の、2つの句ですね…

<芭蕉翁・・・終焉の地の石碑・・・> は、大阪市/中央区/難波別院/南御堂向かいの、御堂筋緑地帯にあります。

この辺りは、かつては街並みでしたが、御堂筋拡張工事に伴い、緑地帯の中に入ってしまった、という事です。)


★ 秋ふかし 隣は何を するひとぞ


★ 旅に病み 夢は枯れ野を かけめぐる


先の方は…

元禄7年(芭蕉の没年/1694年)9月28日作

51歳…とありますが…

これは、数え年(生まれた年を1歳とし、あと新年を迎えるごとに1歳ずつ加えた年齢。)ですね。この夜、芭蕉

最後俳席が、畦止亭(けいしてい/・・・蕉門の、畦止の別邸ということでしょうか? )で開かれた様で

す。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                                     ★ 旅に病み 夢は枯野を かけめぐる
  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(474)

支折の言葉・・・15/19


翌9月29日も…

芝柏亭(しはくてい?/蕉門の、芝柏の別邸ということでしょうか?)に場所を移して、同様俳筵(はいえん/

筵は・・・むしろ )が巻かれることになっていた、とあります。

しかし、芭蕉体調悪く参加できないと考えて、この句を、芝柏亭に書き送った、との事

です。芭蕉が、起きて創作した、最後の作品…という事に、なるそうです。

9月29日~死の10月12日まで…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                          
★ 旅に病み 夢は枯野を かけめぐる     (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(475)

支折の言葉・・・15/20


ついに芭蕉は、起き上がれなかったという事です。

ちなみに、この句は…

<芭蕉絶唱(ぜっしょう/非常にすぐれた、詩や歌)の・・・最高の秀句・・・の1つ・・・> と、言われ

ている様ですね。

晩秋の夜

灯りのこぼれる、隣家住人に想いを馳せる、人間的ぬくもりが横溢(おういつ/水がみなぎりあ

ふれること)している…との事です。

この句は…

<★ 旅に病み 夢は枯野を かけめぐる>



 7月   1日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                                     ★ 旅に病み 夢は枯野を かけめぐる
   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(476)

支折の言葉・・・15/21


…のを除いて、最後の作品となった、様です。

次にその、<最後の作品> ですね…


★ 旅に病み 夢は枯れ野を かけめぐる


芭蕉は…

元禄7年(芭蕉の没年/1694年)9月29日夜から…

下痢発病し、病床に就(つ)いた様です。

10月5日に…

之道亭(しどうてい/之道の別邸?)手狭だったために…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                                   
 江戸の俳諧師/芭蕉門の高弟・宝井其角  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(477)

支折の言葉・・・15/22


南久太郎町御堂前花屋仁右衛門宅/離れ座敷に移った、とあります。

10月8日深更(しんこう/夜ふけ、深夜)

呑舟(どんしゅう)に、を摺(す)らせて、これを作句した、という事です。

蕉門一の高弟で…

蕉門十哲/宝井其角(たからい・きかく/)の、句集/枯尾花(かれおばな) に…

<ただ壁をへだてて命運を祈る声の・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                           ★ 旅に病み 夢は枯野を かけめぐる
     (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(478)

支折の言葉・・・15/23


・・・耳に入りけるにや、心細き夢のさめたるはとて、


    ~ 旅に病で夢は枯野をかけ廻る ~


また、枯野を廻るゆめ心、ともせばやともうされしが、是(これ)さへ妄執(もうしゅう)ながら、

風雅の上に死ん身の道を切に思ふ也、と悔まれし。 8日の夜の吟(ぎん)なり >

…とある、との事です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

  <芭蕉翁・・・終焉の地の石碑・・・> (大阪市中央区/難波別院/南御堂向かいの・・・御堂筋緑地帯にあります。

    この辺りは、かつては街並みでしたが、御堂筋拡張工事に伴い、緑地帯の中に入ってしまった、という事です。)

                                                            (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(479)

支折の言葉・・・15/24


この句の、前詞(/詞書(ことばがき)の事でしょうか?)に…

<病中吟(びょうちゅう・ぎん) とある通り…

これは、<芭蕉の・・・辞世の句> ではなく、あくまでも、<生前・・・最後の句> に過ぎ

ない、という事です…」

「はい…」響子が、コクリとうなづいた。「<辞世の句> のいうのは、<死を前にして・・・

この世に書き残された・・・



 7月   2日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                           
                             (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(480)

支折の言葉・・・15/25


・・・詩的な短文/漢詩、和歌、俳句など・・・> ですが、<そのつもりで・・・人生を振

り返った創作・・・> という事ですか。この句には、その思い無いと…」

「その様ですね…」支折が、うなづいた。「でも、は…

俳聖/芭蕉ほどの人ですから、それは意識していたと思います。でも、芭蕉は、<辞世句

とは、言っていないのも、確かなようですね。俳聖ともなれば、一言一句が、歴史になる

様です」

「例の…」響子が、を立てた。「“杖突坂で・・・落馬(/★ 歩行(かち)ならば 杖つき坂を 落馬哉・・・

季語ナシ・・・師走十日餘、名ごやを出て、旧里に入んとす。) したのも、ただでは起き上がらずに、文学的

史跡になった様に、」

「ほほ…」支折が、大きくうなづいた。「まさに、そうですね…

ええ、脱線ついでに…

有名 <辞世の句/歌> を、幾つか

岡田健吉‏@zu5kokd1          
 
                                         松尾芭蕉 
  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(481)

支折の言葉・・・15/26


…並べてみましょうか。というのは、特に俳句を指しているのではない様ですが、一応、

短歌と呼びましょうか、」

「はい…」響子が、うなづいた。

 

  少し脱線・・・辞世の句/歌     

 

「まず…」支折が、を立てた。「明智光秀謀反(むほん)により…

突然、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                        
 本能寺の変                       (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(482)

支折の言葉・・・15/27


<本能寺の変・・・で自害・・・> することになった、信長辞世の句です。

ちなみに…

信長は、自害する前に…

<人間五十年・・・> で始まる、辛若舞(こうわかまい/語りを伴う曲舞の一種。室町時代に流行。)

敦盛(あつもり/・・・平清盛の甥で平経盛の子、若き笛の名手でもあった。源氏方の武将/熊谷直実により、打首。享

年16歳・・・)』 を舞ったとされます。一応、これが、信長辞世句としましょう。


<★ 信長の・・・辞世の句・・・辛若舞(こうわかまい)敦盛(あつもり)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                                      
       (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(483)

支折の言葉・・・15/28


  ★人間(じんかん、にんげん)50年・・・

       下天(げてん)のうちをくらぶれば・・・

           夢幻のごとくなり・・・

               一度生を受け・・・

                   滅せぬもののあるべきか・・・

           
          
(意訳)

          人間の一生は、所詮50年にすきない・・・

                  天上世界の、時間の流れに比べたら・・・

                        はかない夢や、幻のようなものであり・・・



 7月   3日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                          
豊臣秀吉              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(484)

支折の言葉・・・15/29


次に、有名な…

<★ 豊臣秀吉の・・・辞世の歌>

    ★ 露と落ち 露と消えにし 我が身かな

               浪速(なにわ)のことは 夢のまた夢


        (意訳)

         露のように落ち…

                露のように…  

                      消えたわが身よ…

                   大阪での日々は…

                        夢のまた夢ようなものだ… 


岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                            徳川家康 
             (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(485)

支折の言葉・・・15/30


次は…

<★ 徳川家康の・・・辞世の歌/2首・・・>

   ★ 先に行く あとに残るも 同じこと 

               連れて行けぬを 別れぞと思う


        (意訳)

        自分は、先にこの世を去るが…

               お前達も、後々死ぬ事になる…

                      だが私は、お前達と共に…

                   亡くなろうとは思わない…

                          ここが、別れと思ってくれ…


        
☆ この句は、家臣の殉死(じゅんし/主君や夫の死後、後を追って臣下や妻が死ぬこと。)を、戒める意味

           がある様です。


岡田健吉‏@zu5kokd1            
 
                                         徳川家康 
  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(486)

支折の言葉・・・15/31


<★ 家康には・・・もう1首あります・・・>


   ★ 嬉しやと 二度さめて一眠り うき世の夢は 暁(あかつき)の空


        (意訳)

         これが最後と思って眠ったが…

               嬉しい事に、また目覚める事が出来た…

                      現世で見る夢は…

                           夜明けの、暁の空のようなだなあ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
                     小倉百人一首・・・17番/在原業平朝臣
(あそん)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(487)

支折の言葉・・・15/32


それから、次に…

<★ 在原業平(ありわらの・なりひら/第51代・平城天皇の孫。古代のスーパースターで、伊勢物語の主人公とされ

る)/六歌仙(ろっかせん/古今和歌集の序に掲げられている六人)・・・辞世の歌>


  ★ ついに行く 道とはかねて 聞きしかど

                昨日今日とは 思はざりしを


        (意訳)

         誰もが通る死出の道と…

               聞いていたけれど…

                    それが、昨日今日という…

                          すぐに起きる事とは…

                                思わなかった…



 7月   4日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
                    小倉百人一首・・・9番/
小野小町 <ジャンプ!>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(488)

支折の言葉・・・15/33


次は、<女性の・・・辞世の句> です…

<★ 小野小町/六歌仙の1人の・・・辞世の句>


    ☆ 花の色は うつりにけりな いたづらに

              わが身世にふる ながめせしまに


  …と詠んだ、小野小町 <辞世の句> は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
       小倉百人一首・・・22番/文屋康秀
ぶんやの・やすひで <ジャンプ!>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(489)

支折の言葉・・・15/34


  ★ あはれなり わが身の果てや 浅緑(あさみどり)

                つひには野辺の 霞(かすみ)と思へば
                 

        (意訳)

         あはれだなあ・・・

                私の亡きがらは・・・

                      荼毘(だび)に付せられて・・・

                   浅緑色の、煙となって立ち昇り・・・

                          最後には、野辺に立って・・・

                                なびく、霞になってしまうと思うと・・・

 

ちなみに…

小野小町も…在原業平と同様に <六歌仙・・・の1人> です。そして <六歌仙> とは、

古今和歌集/古今集序文に記された…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
            小倉百人一首・・・8番/喜撰法師
(きせんほうし) <ジャンプ!>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(490)

支折の言葉・・・15/35


六人代表的歌人のことですね。

<僧正遍昭(そうじょう・へんしょう)、在原業平(ありわらの・なりひら)、文屋康秀(ぶんやの・やすひで)

喜撰法師(きせん・ほうし)、小野小町(おのの・こまち)、大友黒主(おおともの・くろぬし)・・・の六人>

を指します。全員小倉百人一首 に、を採られています。

ただ、<六歌仙> という名称そのものは、後代になって付けられたもの、という事です。

<勅撰和歌集(ちょくせん・わかしゅう) は…

天皇上皇の命により編纂(へんさん)された歌集

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
     小倉百人一首・・・29番/凡河内躬恒
(おおしこうちの・みつね) <ジャンプ!>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(491)

支折の言葉・・・15/36


…の事です。古今和歌集/古今集 (905年(延喜5年)成立)に始まり、新続古今和歌集

(しん・しょく・こきんわかしゅう/・・・室町時代の勅撰和歌集。二十一代集の最後にあたる。1439年(永享11年)成立)

での、<534年間で・・・21の勅撰和歌集・・・が編纂・・・> されています。

最初勅撰和歌集/古今和歌集/古今集 は…

平安時代・前期勅選和歌集であり、<六歌仙> も、その時代歌人という事ですね。

古今集撰者は…

<紀友則(きの・とものり)、紀貫之(きの・つらゆき)、凡河内躬恒(おおしこうちの・みつね)、壬生忠岑

(みぶの・ただみね)・・・の4人> です。

この4人全員

小倉百人一首 に、を採られています。小倉百人一首選者/<藤原定家/

・・・鎌倉時代・初期の歌人・・・> は、抜かりなく、歴史的な歌網羅し、百首を選んでい

ますよね、」

「そうですね…」響子が、コクリとうなづいた。



 7月   5日

岡田健吉‏@zu5kokd1           
新たにみつかった、藤原定家筆の写本の表紙(青表紙本)。「わかむらさき」と記されている=京都市上京区、佐藤慈子撮影 
                                                             (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(492)

支折の言葉・・・15/37


次は…

<★ 紫式部・・・源氏物語 の作者の・・・辞世の歌・・・>

ええと…

この辺りは…

より、響子さんの方が、詳しいかと思います。思いつくままに、源氏物語周辺の事

を、説明してもらえますか、」

「はい…」響子が、うなづいた。「その辺りの事なら、承知していますわ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         
 
                     小倉百人一首・・・57番/紫式部
 <ジャンプ!>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(493)

支折の言葉・・・15/38


まず…

源氏物語 とは…

平安時代・中期成立した、日本至宝(しほう/この上もなく尊い宝。きわめて大切なもの。)とも言え

る、古代長編小説です。諸説ありますが、“世界最古の・・・長編小説” とも、言われてい

ます。<作者/紫式部> にとっては、生涯で、唯一の作品です。

その…

主人公/光源氏(ひかる・げんじ/“光り輝くように美しい源氏” を意味する通称・・・/一世の源氏。源(みなもと)

姓を天皇から賜わり、臣下となった皇子。  親王の子で源氏になるのを、二世の源氏というのに対する。 嵯峨天皇の皇子/

源信(みなもとの・まこと)をその最初とする。) を通して…

古代の、恋愛栄光没落政治的欲望権力闘争など、平安時代貴族社会を描いた

作品です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
 小倉百人一首・・・58番/大弐三位
だいにの・さんみ/紫式部の娘 <ジャンプ!>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(494)

支折の言葉・・・15/39


また、そればかりでなく…

文献的資料としても、第一級のものと思います。すでに、<原本> は、失われているわけ

ですが、歴史的多くの写本があります。専門家ではないので、その辺りの詳しい事は分

かりませんが。

ええ…

<下級貴族出身の・・・紫式部・・・> は…

20代後半で、藤原宣孝(ふじわらの・のぶたか/藤原北家高藤流、権中納言・藤原為輔の子。紫式部の夫。官位

は正五位下・右衛門権佐。)結婚し、一女をもうけました。

しかし、結婚後3年ほどで、夫と死別(/疫病)しています。彼女は、その現実を忘れるため

に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
            石山寺滋賀県大津市・・・源氏の間/紫式部 が源氏物語を起筆した所・・・  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(495)

支折の言葉・・・15/40


物語を書き始めました。これが、源氏物語 の、始まりと言われています。

当時は…

が、非常に貴重だったために、提供者があれば、その都度、物語を書いて、仲間

批評し合うなどして、楽しんでいました。

その物語評判から、<当時の・・・権力者/藤原道長> が…



 7月   6日

岡田健吉‏@zu5kokd1
 一条天皇を、土御門邸に迎えるにあたって、船を作らせている藤原道長・・・(紫式部日記絵詞・・・藤田家本第5段絵/部分)
                                                               (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(496)

支折の言葉・・・15/41


<自分の長女/中宮(ちゅうぐう/皇后の別称)・彰子(しょうし、あきこ)の・・・家庭教師> として、

紫式部を呼び寄せました。家庭教師と言うよりも、箔を付ける(はくをつける/重みをつける。貫祿をつ

ける。)ためですよね。

それを機に…

宮中に上がった紫式部は…

宮仕えをしながら、<藤原道長/・・・平安中期の政治家で、藤原氏全盛期の最頂点

に立った人物 (/・・・娘を次々と后に立て、天皇の外戚となって内覧・摂政・太政大臣を歴任、権勢を振るい、栄華を

きわめた。晩年に出家し、法成寺を造営。関白になった事実はないが、御堂関白(みどうかんぱく) と称された。) の、

支援の下で、物語を書き続けました。

生活・身分安定し…

貴重な紙不自由なく使え、好きなだけ物語を書ける環境になりました。そして、<54帖

(じょう/・・・折本を数えるのに用いる単位) からなる…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                                                            (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(497)

支折の言葉・・・15/42


長大源氏物語完成しました。54帖というのは54巻であり、54の巻名からなっ

ています。

つまり…

<1・・・桐壺/きりつぼ><2・・・帚木/ははきぎ><3・・・空蝉/うつせみ>

<4・・・夕顔/ゆうがお><5・・・若紫/わかむらさき><6・・・末摘花/すえつ

むはな>が続き…最後に、<54・・・夢浮橋/ゆめのうきはし>、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                  第66代/一条天皇・・・宮廷文化の最高潮で、豊富な人材が揃う。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(498)

支折の言葉・・・15/43


…で終了する、という事です。

これは…

写本(しゃほん/手書きによって本を写すこと)・版本(はんぽん/写本に対する言葉で、木版で印刷された本をさす)

より、多少の違いはあるものの、およそ…

<100万文字・22万文節であり・・・400字詰め原稿用紙で、約2400枚に及ぶ>

…という、膨大長編小説です。

当時は…

<第66代/一条天皇(いちじょう・てんのう)の時代> で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         
   
        
 小倉百人一首・・・62番/清少納言
(せいしょうなごん) <ジャンプ!>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(499)

支折の言葉・・・15/44


先に<中宮(ちゅうぐう/皇后の別称)として・・・定子(ていし、さだこ) がいました。そして、彼女

には 枕草子(まくらのそうし)執筆している、<清少納言(せいしょうなごん) が仕えていまし

た。

ところが…

<権力者/藤原道長> が、のし上がってきて…

<自分の長女/彰子(しょうし) を、強引 <中宮> 押し込んだ様ですね。

門家ではないので、詳しい事は分かりませんが、一時、中宮/皇后2人いた様子です。



 7月   7日

岡田健吉‏@zu5kokd1         
   
       
 小倉百人一首・・・59番/赤染衛門
あかぞめ・えもん <ジャンプ!>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(500)

支折の言葉・・・15/45


この辺りの事は…

枕草子(まくらのそうし/・・・

平安中期の代表的随筆集。作者は清少納言。10世紀末〜11世紀初めころの成立。中宮定子に仕えた、宮廷生活を回想

した部分や、自分の感想を述べた部分など、軽妙な機知と鋭利な観察の筆を走らせています。平安時代の美的感性の一

つの典型をうちだした、とされています。『源氏物語』 と並び、平安女流文学の双璧と、されています。) や…

栄花物語(えいが・ものがたり/・・・

作者不詳の歴史物語。六国史の後継たるべく、宇多天皇の治世から起筆し、摂関権力の弱体化した堀河朝の寛治6年2月

(1092年)まで、15代/約200年間の時代を扱っています。

藤原道長の死までを記述した30巻と、その続編としての10巻に分かれています。正編30巻を赤染衛門(あかぞめ・え

もん)、続編10巻を <出羽弁(でわの・べん/平安時代中期の女流歌人)のほか、<周防内侍(すおうの・ないし)

など、複数の女性と見る説があります。

正編は、後一条天皇の万寿(1024年~1028年)の頃、続編は11世紀末から12世紀初頭にかけて、宮廷女性の手によ

って完成されたことに、間違いないという事です。)・・・

それに…

紫式部日記(/藤原道長の要請で・・・宮中に上がった紫式部が、1008年秋~1010年正月まで、宮中の様子を

中心に書いた、日記と手紙からなります。)・・・

…あたりにも、記載があるのでしょうか。

<藤原道長が・・・絶対権力者として・・・登場・・・> して来ることと、重なっている様で

すね。

<中宮定子の・・・父親(/関白・内大臣正二位・藤原道隆)亡くなり<長徳の変(/長徳元年

(995年)4月10日の藤原道隆の死後、弟の <藤原道長> が内覧の宣旨を得た後に起きた政変。道隆の一族、中関白

家が排斥される結果となった。)によって、彼女兄弟達が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         
   
       
 小倉百人一首・・・67番/
周防内侍すおうの・ないし <ジャンプ!>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(501)

支折の言葉・・・15/46


配流(はいる/島流し)になったりして、<中宮定子の・・・後楯(うしろだて) が失われ、彼女

落飾(らくしょく/身分の高い人が、髪を剃りおとして仏門にはいること)にも、つながっている様です。これ

らは、一族の中での、壮絶権力闘争という事になります。

それで…

<中宮定子は・・・誰にも語らずに・・・出家(/世俗の生活を捨て、僧となって仏道を修行すること)

た様ですね。でも、<第66代/一条天皇> は、本当に、心底から、彼女愛していて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
   
       
 小倉百人一首・・・56番/和泉式部
(いずみ・しきぶ) <ジャンプ!>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(502)

支折の言葉・・・15/47


<定子を・・・還俗(げんぞく/出家した者が、ふたたび俗人に戻ること) させた様です。でも、一度

出家したわけで、その負い目は、 大きかったのでしょうか?

<藤原道長の側/・・・中宮彰子の側にいる・・・紫式部> と、<中宮定子の・・・側>

で、枕草子 を書いていた、<清少納言> 対立は、こうした構図の中にあった様です

ね。

やがて…

<中宮定子> が、出産に絡んで亡くなった…のだったかしら?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         
   
       
 小倉百人一首・・・61番/伊勢大輔
(いせの・たいふ) <ジャンプ!>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(503)

支折の言葉・・・15/48


それで、<中宮定子付きの・・・清少納言> も、宿下り(/奉公人が暇をもらい、親元などへ帰ること)

となり、<2人の中宮が・・・並び立つ問題・・・> にも、ケリが付いた様です。

でも…

以後、“女流文学は・・・益々・・・花盛り・・・” となり…

<中宮彰子> には…

<紫式部>の他に、<歌人/和泉式部(いずみ・しきぶ) や、栄花物語 <作者/

赤染衛門(あかぞめ・えもん)<歌人/伊勢大輔(いせの・たいふ) など…



 7月   8日

岡田健吉‏@zu5kokd1         
小倉百人一首・・・60番/小式部内侍
こしきぶの・ないし/和泉式部の娘 <ジャンプ!>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(504)

支折の言葉・・・15/49


続々と育った様ですね。<紫式部の・・・娘/大弐三位(だいにの・さんみ) や、<和泉

式部の・・・娘/小式部内侍(こしきぶの・ないし) など、次世代も育っています。

彼女達も…

道長の側に付いていたと言うよりも、そうした時代に、巡り合わせたという事ですね。それ

にしても、<第66代/一条天皇> をも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         
   
          
 小倉百人一首・・・68番/三条院
(さんじょういん) <ジャンプ!>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(505)

支折の言葉・・・15/50


手玉にとった道長は、栄華を極めています。しかし、その剛腕は、さらに続きました。

<第66代/一条天皇の皇后に・・・彰子(しょうし、あきこ)

<第67代/三条天皇の皇后に・・・姸子(けんし、きよこ)

<第68代/後一条天皇の皇后に・・・威子(いし、たけこ) を入れ…

道長娘3人が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
   
       
                                                 (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(506)

支折の言葉・・・15/51


<太皇太后(たいこうたいごう/・・・先々代の帝王の正妻もしくは、当代の帝王の祖母に対して用いる尊称)・皇

太后(こうたいごう/・・・先代の天皇・皇帝の、皇后であった者、およびその称号)・皇后(こうごう/天皇や皇帝の正妃

(正妻)、およびその人物に与えられる称号。)・・・を独占するという形・・・> になりました。

これは、<一家三后(いっか・さんごう) と、呼ばれました。その栄華極まりを、道長自身

こう詠んでいます…


  ☆ この世をば わが世とぞ思ふ 望月の

                 欠けたることも なしと思へば


岡田健吉‏@zu5kokd1   
   
       
                            源氏物語絵巻/国宝       (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(507)

支折の言葉・・・15/52


ええ…

源氏物語 は…

文献初出(1001年/長保3年) から、およそ150年後の、平安時代・末期に、源氏物語絵巻

として絵画化されています。

それらの、現存する絵巻物のうち、徳川美術館(/愛知県・名古屋市東区徳川町の徳川園に隣接する、私

立美術館。)と、五島美術館(/東京都・世田谷区上野毛にある美術館。)所蔵のものは、<国宝> となっ

ています。



 7月   9日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
   
       
                  源氏物語絵巻・・・(東屋一)・・・/国宝     (ネットより画像借用)

 (1130年頃に作成/国宝) 手前は女房に髪を梳かせている宇治の中の君
(後姿)。中の君の右に横顔の見えるのは女房

の右近。奥は浮舟。匂宮に強引に言い寄られて傷心の浮舟をなぐさめようと、異母姉の中の君は物語絵を持ち出す。右近が

物語の詞書(ことばがき)を朗読し、浮舟はそれを聞きながら冊子の物語絵に見入る。この図は、当時の物語鑑賞や絵画鑑

賞のあり方を、具体的に伝える貴重な資料。    

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(508)

支折の言葉・・・15/53


ちなみに…

現在源氏物語 は、20カ国語を超える翻訳(ほんやく)を通じて、世界各国で読まれてい

る、という事です」

「はい…」支折が、丁寧(ていねい)に頭を下げた。「響子さん、有難うございます

さて、その…

平安時代・中期の、女性作家/女流作家/大作家

<★ 紫式部の・・・辞世の歌・・・> は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
   
       
                  源氏物語絵巻・・・(東屋二)・・・/国宝    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(509)

支折の言葉・・・15/54


…次の様なものです。


 ★ 誰か世に ながらへて見る 書きとめし

               跡は消えせぬ 形見なれども


         死んでいく者が・・・

             書いたものを・・・

                  いったい誰が・・・

                       生きながらえて・・・

                            読んでくれるだろう・・・

                    書いたものは・・・

                         消えることがない・・・

                              形見ではあるけれど・・・


  …」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
   
    
       源氏物語絵巻/国宝  源氏絵24図 ランダムに貼られた巻子本(1軸) (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(510)

支折の言葉・・・15/55


「うーん…」響子が、ユックリとうなづいた。「これが、 <紫式部の・・・辞世の歌> ですか

あ、」

「はい…」支折が言った。「源氏物語が…

千年後の世でも、読まれているとは、露ほども知らず…という事ですね。でも、ひょっとして、

この私達雑談が、千年後にも、読まれているなんて、事があるのでしょうか?」

「ほほ…」響子が、笑いながら、うなづいた。「まさか、ですが…そういう事ですね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
   
       
                  源氏物語絵巻/国宝                (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(511)

支折の言葉・・・15/56


「しかも…」支折が言った。「源氏物語は…

20カ国語翻訳され、世界中発信されているとは、さすがの紫式部も、想像を絶して

るでしょう。

さあ…

次の、<女性の・・・辞世句・・・> は…

<★ 細川ガラシャ/明智玉の・・・辞世の歌> です。

ええ…

細川ガラシャは…

ご存知の様に、<本能寺の変> で…



 7月  10日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
   
       
                 明智光秀     三女/明智玉、珠  = 細川ガラシャ  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(512)

支折の言葉・・・15/57


信長を討った<明智光秀の娘/明智玉であり・・・戦国武将/細川忠興(ほそかわ・

ただおき/戦国時代から、江戸時代前期にかけての武将、大名。丹後国宮津城主を経て、豊前国小倉藩初代藩主。肥後

細川家初代。足利氏の支流・細川氏の出身。正室は明智光秀の娘・玉子(通称細川ガラシャ)。)の妻> ですね。

そして…

もう1つ特筆すべき事は、<彼女は・・・キリシタン> だった事です。彼女は、最初

と共に、<禅/禅宗> 学んだ様ですが、それでは救われず

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
   
       
                  細川ガラシャ/細川玉、珠    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(513)

支折の言葉・・・15/58


<異国の宗教/キリスト教> 接近した様です。

<自力本願/・・・上座部仏教・原始仏教に近い・・・禅修行・・・> よりは…

<救いを求める対象 ・・・唯一の神が存在する宗教/キリスト教・・・> が、彼女

には、合っていたのでしょうか。これは、各個人が持っている、感性ですよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
  
『細川忠興画像 乾英宗単賛』 東京大学史料編纂所所蔵模写 (部分) 東京大学史料編纂所 (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(514)

支折の言葉・・・15/59


ともかく…

時は戦国時代であり…

豊臣秀吉の、<キリスト教の排斥> 始まった頃に、重なっています。そして、<天下

の謀反人(むほんしん)/光秀の娘であり・・・戦国武将/細川忠興の妻・・・> という事が

重り、状況が非常に輻輳(ふくそう)しています。

そうした中…

<天下人(てんかびと)/豊臣秀吉> が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
   
       
                 大阪市東淀川区の崇禅寺にあるガラシャの墓   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(515)

支折の言葉・・・15/60


例の <辞世の歌・・・を残して、永眠・・・> し、<徳川家康> 覇権を目指して動き出

します。

そして…

<1600年10月21日/・・・天下分け目の、関ヶ原の戦い・・・> 直前に、西軍

総大将/石田三成に、<細川忠興の妻・・・として、人質・・・> として、捕らわれそうに

なります。

逃げられない

と悟った、<細川ガラシャ(/1563年~1600年) は…



 7月  11日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
   
                   細川ガラシャ/細川玉、珠  (京都府長岡京市・勝龍寺城)    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(516)

支折の言葉・・・15/61


キリスト教では自殺禁じられているので、家老で突いてもらい、息絶えます。

その、直前に詠んだ…

<辞世の歌> と伝えられるのが…有名な


    ★ 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の

                  花も花なれ 人も人なれ


岡田健吉‏@zu5kokd1   
   
       
                  細川ガラシャ/細川玉、珠    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(517)

支折の言葉・・・15/62


…というもの、ですね。改めて、意訳する必要はありませんね、」

「うーん…」響子が、うなづいた。「彼女も…

父/明智光秀の、<本能寺の変> が無かったら、普通戦国武将の妻として、落ち着

いた生涯を送ったのでしょう。それにしても、としては…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                             ルイス・フロイス/・・・ポルトガルのカトリック司祭、宣教師。

          イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見。    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(518)

支折の言葉・・・15/63


<禅の修行> を、諦めたのが残念ですわ」

(いさぎよ)…」支折が言った。「戦国武将の娘/戦国武将の妻の、立場は分かります。

その中で、潔く死んでいった、という事ですね。

それにしても…

彼女キリシタンとして生きる、情熱というものは、凄いものがあった様ですね。研究者

はないので、浅い不確かな知識しかありませんが、彼女夫/忠興からは、<自刃(じじん

/刀剣を用いて自分の生命を絶つこと。)してくれ、と言われているわけですね。

四方八方からの、その圧力凄まじかったと思います。<生きる道は・・・無い・・・>

示唆されると、逆に彼女 <生への・・・執着> に、火が付いたのでしょうか。それが、

キリシタンへの模索だったのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
   
 浅井長政・夫人/お市の方・・・の肖像画 (/織田信長の妹で、数奇な人生を歩みます )   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(519)

支折の言葉・・・15/64


ともかく、彼女のその真摯情熱、活かされなかった事が、残念ですわ。そうした、個人

とは別の所で、<関ヶ原の戦いという・・・歴史の歯車・・・> が、大きく動いて行くわけ

です。彼女も、その大きな歯車呑み込まれて行きました。

さて…

次の <女性の・・・辞世の句> は、誰にしようか迷ったのですが…

うーん…

<信長の妹/・・・お市の方> も、悪くはないですね。でも、<細川ガラシャと同様に

・・・女性の立場/・・・女性の性(さが) が、重なります。



 7月  12日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
   
                          北条政子/・・・ 鎌倉幕府を開いた、源頼朝の妻  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(520)

支折の言葉・・・15/65


ふーん…

逆に、強い女はどうでしょうか?

歴史上強い女といえば…

<室町幕府8代将軍/・・・足利義政・・・の正室/日野富子(/実子義尚(よしひさ)の将軍就任

を企て、義政の弟/義視(よしみ)と対立し、応仁の乱 の端緒をつくった女性です。京都諸口の関所の設置、そのほか

幕政に深く関与しました。戦乱で苦しむ庶民をよそに、<巨万の富を築いた・・・悪女、守銭奴・・・> とも評されました。

夫の義政が、東山山荘の造営のため費用捻出に苦心していた時、一銭の援助もしていない事から、<天下の悪妻> とも

呼ばれました。その一方で、火災で朝廷の御所が焼け、修復するため膨大な費用が必要になった時は、自身の蓄財から賄

ったりしています。) や…

その前の、鎌倉時代になりますが…

<源頼朝と・・・駆け落ちし・・・後に/尼将軍と呼ばれる・・・北条政子・・・> が、

浮かびますが…」

「そうですね…」響子が、をすぼめて、うなづいた。「頼朝と、駆け落ちした…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
   
                           北条政子/・・・ 鎌倉幕府を開いた、源頼朝の妻   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(521)

支折の言葉・・・15/66


<北条政子> 面白そうですね。彼女の事なら、<歌人/藤原定家や・・・後鳥羽

上皇(/壇ノ浦の戦い で入水した、安徳天皇の異母弟に当たる。藤原定家らと、 『新古今和歌集』 を編纂します

が、執権/北条義時追討の院宣を出し、<承久の乱> を引き起こし・・・結果、隠岐の島に配流となります。)の時代>

ですから、その空気感は分かります」

「あ、それじゃあ…」支折が言った。「響子さんに、<北条政子> で、お願いしますわ」

「はい…」響子が、ユックリとうなづいた。「でも…

彼女に、有名 <辞世の歌> は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
   
                            大日本六十余将の時政・・・画:歌川芳虎   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(522)

支折の言葉・・・15/67


…あったかしら?」

響子が、インターネット検索した。

「うーん…」響子が、モニターを流しながら言った。「まず…

<北条政子の・・・略歴> を、述べて置きましょうか。

ええと…

<北条政子は・・・伊豆の豪族/北条時政・・・の長女・・・> です。

その

<北条時政は・・・源頼朝(鎌倉幕府/初代将軍)・源頼家(鎌倉幕府/第2代将軍)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
   
                          絹本着色・・・伝・源頼朝像 (/神護寺蔵)    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(523)

支折の言葉・・・15/68


・・・源実朝(みなもと・さねとも/・・・鎌倉幕府/第3代将軍)の・・・鎌倉3代将軍> の、血脈絶え

た後で、<鎌倉幕府/・・・初代執権・・・> となっています。

<執権(しっけん) とは、鎌倉時代に、将軍補佐幕府庶務総監に当たった職名

すね。あ、又は、その職の人をも指します。後の、室町時代では、<管領(かんれい) と呼

ばれています。

さて、その…

<北条政子> ですが…



 7月  13日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
   
                          北条政子              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(524)

支折の言葉・・・15/69


彼女は…

周囲反対を押し切り、<伊豆の流人だった・・・頼朝> の、となります。頼朝鎌倉

<武家政権を樹立(/鎌倉幕府の樹立) すると、<御台所(みだいどころ) と呼ばれるよう

になります。

そして、<頼朝の死後・・・落飾(らくしょく/高貴な人が、髪をそり落として、仏門に入ること)して・・・尼御

(あまみだい) と呼ばれるようになりました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
   
       
         小倉百人一首・・・93番/鎌倉右大臣
 <ジャンプ!>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(525)

支折の言葉・・・15/70


ちなみに…

頼朝亡き後に…

<征夷大将軍となった・・・嫡男/頼家(よりいえ/・・・頼朝の急死により、18歳で家督を相続・・・

鎌倉幕府の第2代鎌倉殿/征夷大将軍となる。若年の頼家による従来の習慣を無視した独裁的判断が、御家人たちの反発

を招き、疎外された母方の北条氏を中心として、十三人の合議制がしかれ、頼家の独断は抑えられたとされますが、当事者

である北条氏の史書の記録でしか、確認されていません。

合議制成立の3年後に・・・

頼家は重病に陥ったとされ、頼家の後ろ盾である比企氏と、弟/実朝を担ぐ北条氏との対立が起こつています。その結果、

北条氏一派の攻撃により、比企氏は滅亡します。

頼家は将軍職を剥奪され・・・伊豆国修禅寺に幽閉された後・・・暗殺されました。 頼家追放により、北条氏が鎌倉幕府の実

権を握る事になりました。)

そして…

<次男/実朝(さねとも)も・・・相次いで、暗殺・・・> されます。

実朝は、若くして歌人としても知られ、小倉百人一首・・・93番/鎌倉右大臣 としても、

が採られています。

実朝は、12才の時に、3代将軍となりますが…

兄/頼家次男/公暁(くぎょう、こうきょう)により、父の仇として殺されました。その公暁も、

朝の首を掲げた帰りに、殺されます。

あ、それから…

たまたま、次のような文献があるのを、見つけました。

同時代の、<道元禅師/・・・日本曹洞宗の開祖正法眼蔵の著者) に関することです。

多少、修正しますが…

 

<道元禅師> 父/通親と、源頼朝不仲だったが、実朝とは仲良く、よって妹を嫁

がせた。実朝死後彼女京都に帰り、東寺の近くに大通寺を建立し、出家した。この

ように、<道元禅師> のごく近くでも、朝廷宗教界暗躍があった… 

 

そういえば…

<道元禅師> 永平寺を出て、鎌倉に下った事がありましたよね。また、永平寺に戻っ

ていますが。すみません。勉強不足で、詳しい事は分かりません。高杉・塾長なら、御存

かもしれませんが。

ええ、ともかく…

<3代将軍/実朝>が、暗殺されたは…

<傀儡(かいらい/あやつり人形)将軍として・・・京から、幼い、藤原頼経(ふじわらの・よりつね/鎌

倉幕府の第4代征夷大将軍。摂政関白を歴任した九条道家の三男で、摂家から迎えられた摂家将軍。九条頼経とも呼ば

れる。)招いたわけですが、政子は、その <後見(こうけん/背後から世話、監督すること。)

なって、幕政の実権を握ります」

岡田健吉‏@zu5kokd1    
   
                                          北条政子      (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(526)

支折の言葉・・・15/71


「それが…」支折が言った。「世にいう、<尼将軍(あま・しょうぐん) というわけですね、」

「そうです…」響子が、うなづいた。「それでは…

<北条政子> について、源頼朝との馴れ初めなどを、もう少し説明して行きましょうか。

<北条政子> は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
   
                 柳庵随筆 (日本随筆大成第2期第9巻) の時政。 画:栗原信充   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(527)

支折の言葉・・・15/72


<伊豆国の豪族・・・北条時政の長女・・・> として生まれました。

伊豆在庁官人(ざいちょう・かんじん/平安中期から鎌倉時代に・・・現地の国衙(こくが/諸国の政庁)で、実務を

行った介(すけ)以下の役人)であった時政は…

<平治の乱(/後白河上皇を幽閉し、通憲を殺害したが、平清盛に敗れ・・・義朝、信頼は殺され、源氏の勢力は衰退

し、平氏政権が出現しました。)で敗れ、伊豆に流された、<源頼朝の・・・監視役> でした。

しかし…

北条時政が、大番役(おおばんやく/・・・平安時代末から鎌倉時代の、内裏・院の御所や、京都市中の警固役(/

京都大番役)。御家人の役の1つで、諸国の武士が交代で当たり、守護・惣領の指揮に従った。)のための、在京中

に、政子は、頼朝恋仲になってしまいました。



 7月  14日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
   
                                    吾妻鏡              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(528)

支折の言葉・・・15/73


ええと…

頼朝政子婚姻(こんいん/男女が法律上結婚すること)は、1177年(治承元年)推定されていま

す。吾妻鏡(あずまかがみ/『東鑑』とも書く。鎌倉幕府の前半を扱った歴史書。) に、よれば、父/北条時

は、この婚姻には大反対であったという事です。もちろん、平氏治世だからですね。

また同書には、後年

<頼朝の実弟/義経の・・・愛妾(あいしょう/気に入りのめかけ)/静御前(しずかごぜん/磯禅師 (い

そのぜんじ) の女 (むすめ) で、もと京都の白拍子 (しらびょうし) 。義経が京都堀川第で兄/頼朝の刺客/土佐房昌俊に襲

われた時、機転によって義経を助けた。)・・・> が、頼朝怒りを…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
   
                柳庵随筆 (日本随筆大成第2期第9巻) の時政。 画:栗原信充   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(529)

支折の言葉・・・15/74


…受けた時に、頼朝をなだめるべく、政子語った言葉で…

<暗夜をさ迷い、雨をしのいで、貴方の所にまいりました・・・>

…と述べたと記されている、という事です。 様々な事をくぐり抜けて来た、彼女優しい一

ですね。

ええ、ともかく…

最終的に、北条時政は…

岡田健吉‏@zu5kokd1    
   
                                         北条政子      (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(530)

支折の言葉・・・15/75


…この2人婚姻を認めました。これは、大きな決断であり、運命と思ったのかも知れませ

んね。

政子は、まもなく長女/大姫出産します。時政も、2人結婚認めたわけであり、<北

条氏は・・・源氏/源頼朝の・・・重要な後援者・・・> となりました」

駆け落ちは…」支折が言った。「どうなったのかしら?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
   
                                   曽我物語              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(531)

支折の言葉・・・15/76


<軍記物(/戦を主要な題材とし、武士の活躍を描写したものの総称。) には…」響子が、モニター

目を流した。「この婚姻についての逸話が、幾つか書かれている様です。

それを、(のぞ)いてみましょうか。

まず…

曽我物語(そがものがたり/鎌倉時代・初期に起きた、曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物語。作者不詳で多くの

異本がある。) によると…

2人(な)れ初めとして、政子の妹/阿波局(あわのつぼね/後に頼朝の弟・阿野全成の妻となるそ)

が…



 7月  15日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
   
                              曽我物語の物語絵 (1800年頃、作者不明)  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(532)

支折の言葉・・・15/77


“日月を掌につかむ…奇妙な夢” を見ました。が、そのについて政子に話すと、

は、それは、“禍をもたらす夢” なので、自分売るように勧めました。

当時…

“不吉な夢を売ると…禍が転嫁する” という考え方がありました。は、政子を売り…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
   
                武将浮世絵/歌川芳艶 作/『源平盛衰記』 禿げ頭は、平清盛?  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(533)

支折の言葉・・・15/78


政子は代に小袖を与えた、とあります。

政子は、吉夢(きちむ/えんぎのよい夢)と知って、妹の夢を買ったわけですね。その吉夢の通り

に、政子は後に天下を治める頼朝と結ばれた、という話です。

ええと…

駆け落ちについては…

源平盛衰記(/鎌倉時代・中期~後期の軍記物語。48巻。作者・成立年代ともに未詳。平家物語の異本の1つとみ

られる。源氏関係の記事、仏教説話、中国故事などが増補されている。) に、次の内容記載がある様です。

岡田健吉‏@zu5kokd1    
   
                                         北条政子      (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(534)

支折の言葉・・・15/79


<頼朝と・・・政子の関係> を知った、<北条時政> は…

<平家一門> への聞こえを恐れて、政子伊豆目代(もくだい/平安・鎌倉時代の、国守の代理人。

国守の代わりに任国に赴いて、執務する私的な代官。)/山木兼隆結婚させようとしました。

山木兼隆は、頼朝と同じ流人(るにん/流罪の刑に処せられた人)でしたが、<平家の一族 >

あり、平家政権成立とともに、伊豆目代となり、伊豆での平家代官となっていました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
   
                                  伊豆山神社/・・・伊豆山権現      (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(535)

支折の言葉・・・15/80


政子は…

山木兼隆輿入(こしいれ/嫁の乗った輿を婿の家へかつぎ入れること。転じて、とつぐこと。嫁入り。)させ

られようとしますが、コッソリ屋敷を抜け出しました。そして、山を1つ越えて、頼朝の元

へ走ったという事です。2人は、伊豆山権現(いずさん・ごんげん/伊豆山神社・・・静岡県熱海市伊豆山に

ある神社)に匿(かくま)われました。

これは…

政子が、21歳の時という事です。伊豆山は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
   
                          北条政子              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(536)

支折の言葉・・・15/81


僧兵(/平安後期以降・・・興福寺・延暦寺・園城寺などの大寺で、武芸を練り、仏法守護の名目で戦闘に従事した僧)

が強く、伊豆目代山木兼隆を出せなかった、と言う事です。

でも…

歴史的に、山木兼隆伊豆配流(はいる/島流し)1179年(/治承3年) の事であり、政子

婚姻話物語上創作とみるのが妥当、とも言われます。いずれにしても、はるかな昔

の事で…



 7月  16日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                             高倉天皇像 (宮内庁蔵 『天子摂関御影』 より)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(537)

支折の言葉・・・15/82


…いずれにしても、明確な事は分かりません。

ええ…

1180年(治承4年)に…

<第80代/高倉天皇(/壇ノ浦で入水した安徳天皇と、隠岐の島に配流になった後鳥羽天皇らの父。母親は、

皇太后の平滋子/平清盛の妻・平時子の異母妹(/建春門院)。・・・兄宮(/兄にあたる宮)/以仁王(も

ちひとおう/…後白河天皇の第3皇子)が・・・

源頼政(/…和歌に長じ、通称は、源三位(げんさんみ)入道。白河法皇・後白河天皇に仕え、<保元・平治の乱>

功を上げた。後、以仁王(もちひとおう)と平氏追討を企てたが、事前に発覚して、宇治平等院で自殺。)と・・・平家打倒

の挙兵を計画> し、諸国源氏挙兵を呼びかけました。

伊豆配流頼朝にも…

<以仁王の令旨(りょうじ/律令制のもとで…皇太子・三后(/太皇太后・皇太后・皇后)の、命令を伝えるために出

された文書。) が届けられましたが、慎重頼朝は、即座には応じなかった様です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
  『以仁王像』/筆者不明 (1872年、蜷川親胤(蜷川式胤)模写)。 /東京国立博物館所蔵。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(538)

支折の言葉・・・15/83


しかし、この計画露見して…

<以仁王が・・・敗死(/計画は準備不足のために露見して、追討を受け、以仁王と頼政は、<宇治平等院の戦

い> で敗死、早期に鎮圧された。)したことにより…

伊豆にいる源頼朝にも、危機が迫り、挙兵せざるを得なくなった様です。

頼朝は…

まず、伊豆目代/山木兼隆(やしき)襲撃して、これを討ち取りますが、続く…

<石橋山の戦い/・・・源頼朝挙兵後の・・・最初の源平合戦・・・>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                   <石橋山の戦い> 大庭景親(左)が洞を確認したところ、中から二羽の鳩が飛び立った。

                     小国政 「石橋山の朽木に霊鳩頼朝を助く」 安政二/1896年   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(539)

支折の言葉・・・15/84


…では、惨敗します。

もう少し、詳しく言うと…

頼朝配流地伊豆で、目代/山木兼隆を討った頼朝軍は…

相模(さがみ)三浦氏との連携を求めて、石橋山兵を進めましたが…

<平家方/・・・大庭景親(おおば・かげちか/・・・平安時代末期の相模国の武将。平良文の末裔である鎌倉

景正の流れを汲む大庭氏の一族。<平治の乱後> に平家の忠実な家人になり、治承4年(1180年)に義朝の遺児/源

頼朝が挙兵すると、平家方の武士を率いて <石橋山の戦い> で頼朝を撃破した。しかし、安房国へ逃れた頼朝が再挙し

て、多くの東国武士に迎えられて、鎌倉へ入ると抗する術を失う。頼朝が  <富士川の戦い> で平氏に大勝した後に降伏

し、処刑された。) らの・・・圧倒的な兵力の前に・・・大敗・・・> し…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
   
                                   頼朝の推定逃走ルート        (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(540)

支折の言葉・・・15/85


頼朝は、ようやく海路で、安房国(あわのくに)/房州(ぼうしゅう/…現在の千葉県南部)に、逃れま

した。

この戦で…

<北条時政の・・・嫡男(ちゃくなん/正妻の生んだ最初の男子)/北条宗時が・・・討死(うちじに)・・・

しています。政子は、伊豆山/伊豆山権現(/現在の伊豆山神社)に留まり、頼朝安否

心配して、不安の日々を送った様です。



 7月  17日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
   
                   <頼朝の挙兵> /(1180年 8月17日~10月20日)  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(541)

支折の言葉・・・15/86


頼朝の方は…

義父/北条時政、そして次男/義時とともに、安房国/房州に逃れて、再挙する事になり

ます。

東国武士達は…

続々と頼朝の元に参じ、数万騎大軍に膨れ上がり、<源氏ゆかりの地・・・鎌倉・・・>

に入り、居を定めました。鎌倉は、3方を山に囲まれ、1方は海に臨むという、地の利もあっ

たわけですね」

「あ…」支折が言った。「鎌倉が、源氏ゆかりの地というのは、何故なのでしょうか?」

「それは…」響子が、モニターを覗いた。「ええと…

頼朝先祖/源頼義(/河内源氏初代棟梁/源頼信の嫡男で・・・河内源氏2代目棟梁 ) は…

<前九年の役(/平安時代後期の陸奥国(東北地方)で起こった戦い。元々は、<奥州十二年合戦> にお

いて、<京都/岩清水八幡宮> 戦勝祈願をしました。

そして勝利を収めた頼義は、1063年<岩清水八幡宮を・・・鎌倉に移し・・・お祀り>

したという事です。これが今の元八幡です。

ええと、現在の、<鶴岡八幡宮/鎌倉八幡宮は・・・源頼朝が・・・創建・・・> したもの

ですね、」

「はい…」支折が、うなづいた。

「ええ…」響子が言った。「北条政子も、伊豆から見て…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
   
           <壬申の乱(じんしんのらん)> / (672年7月24日~ 8月21日)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(542)

支折の言葉・・・15/87


<東側にある・・・相模国/鎌倉・・・> 移り住むことになりました。

1つ気になるのは…

<数万の・・・東国武士が・・・湧き上がる・・・> のは、<壬申の乱> における、大海

人皇子/天武天皇の元に糾合された、大軍事力と似ていますよね。あれは、不破/<不

破の関(/美濃国・・・現在は岐阜県) に、集ったわけですが。

そして…

後の時代には…

徳川家康は、<鎌倉より・・・さらに東の・・・武蔵国/江戸・・・> 基盤とし、東北

台/伊達政宗を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
   
                           防人                 (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(543)

支折の言葉・・・15/88


背後に置き、<江戸幕府・・・徳川幕府・・・> 、築き上げたわけですよね、」

「うーん…」支折が言った。「<京都の・・・公家文化圏・・・> 対して

<東国は・・・新興の・・・武家文化圏・・・> と、言うことになるのかしら?」

「うーん…」響子が、うなづいた。「<防人(さきもり/筑紫・壱岐・対馬など、北九州の防備に当たった兵士。

西暦663年の<朝鮮半島の・・・白村江の戦い> 以後に制度化され、初めは諸国の兵士の中から3年交代で選ばれまし

たが、後に東国武士に限られるようになりました。その後、数度の改廃を経て、延喜(901~923)の頃には、有名無実とな

りました。)の時代> 以来

東国は、武士供給地に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
   
                            <富士川の戦い>                (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(544)

支折の言葉・・・15/89


…なって来たのかも知れませんね。そして、騎馬武士には良い馬必要でした。

ええと…を戻しますが…

頼朝は、その軍勢鎌倉より西に押し出して…

<富士川の戦い> 勝利し…各地反対勢力を滅ぼして…関東を制圧して行きます。

そして、<東国の主となり・・・鎌倉殿・・・> 呼ばれるように…



 7月  18日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
   
                                    北条政子              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(545)

支折の言葉・・・15/90


…なったわけです。政子 <御台所> と呼ばれるようになりました」

「はい…」支折が、うなづいた。「さあ、を戻して…

 <強い女性/・・・北条政子の・・・辞世の歌・・・> は、どうだったのでしょうか?」

「うーん…」響子が、笑ってうなづいた。「そうでした…

北条政子の、<辞世の句> と言えるのは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
   
                                  後鳥羽上皇                (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(546)

支折の言葉・・・15/91


<後鳥羽上皇の・・・院宣(いんぜん/上皇からの命令を受けた院司が、奉書形式で発給する文書。天皇の発す

る宣旨に相当する。) の出た…

<承久の乱(じょうきゅうのらん/後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、幕府に鎮圧された事件)、でし

ょうか。

<院宣> が、出たからには…

鎌倉方は、<朝敵/・・・天皇及び朝廷に、敵対する勢力>…という事に、なってしまい

ます。まさに、一大事です!

ええと…

<初代将軍・・・頼朝>急死の後…

<第2代将軍・・・嫡男/頼家>、そして、<第3代将軍・・・次男/実朝> と、次々

倒れ<傀儡かいらい/あやつり人形)政権の・・・尼将軍> と…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
   
                              第84代/順徳天皇(じゅんとく・てんのう)  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(547)

支折の言葉・・・15/92


…なっていた政子が…

<後鳥羽院と、第84代/順徳天皇(じゅんとく・てんのう/後鳥羽院の第3皇子)の・・・倒幕の挙兵

・・・承久の乱・・・> に際して…

動揺する鎌倉の…

<御家人(ごけにん/・・・鎌倉時代における、将軍直属の武士。将軍に忠誠義務を尽くす代償に、所領安堵・新恩給与

などの保護を受けた。)たちに対して与えた、訓戒があります。私達も、これを <北条政子の

・・・辞世の句> としましょう。

まず…

経緯概略説明すると、…

<後鳥羽院/後鳥羽上皇> が、<歌人/藤原定家> らと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
   
                            第83代/土御門天皇(つちみかど・てんのう)  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(548)

支折の言葉・・・15/94


新古今和歌集、熱心編纂(へんさん)していましたが、和歌の上での定家との対立

などもあり、上皇は次第に、和歌に対する情熱を失って行った様ですね。

そこで…

多才の、スーパーパワーが…

次に興味を引いたのが、倒幕の画策だった様です。まず、おっとりとした、とろい性格の、

<上皇の第1皇子/・・・第83代・土御門天皇(つちみかど・てんのう) を…



 7月  19日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
   
                               北条義時追討の・・・院宣(いんぜん)  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(549)

支折の言葉・・・15/95


お気に入りで、院自信よく似ていると言われる、<第3皇子/第84代・順徳天皇>

を、即位させます。

そして…

<後鳥羽院/・・・後鳥羽上皇・・・> が…

<鎌倉幕府・・・時の執権/北条義時追討の・・・院宣・・・> を出し…

山田重忠有力御家人動員させて、畿内(きない/京都に近い国々。山城・大和・河内・和泉・摂津の5

か国。五畿内)・近国(きんごく/律令制で、遠国(おんごく)・中国に対して、京に近い国々。調庸物の納入期限が十月三

十日とされていた。「延喜式‐民部上」 によると・・・伊賀・伊勢・志摩・尾張・三河・丹波・因幡・備前・紀伊・丹後・美作・近江・

美濃・若狭・但馬・播磨・淡路・・・の、17カ国。)の、召集し…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                  木曽義仲と巴御前・・・義仲と別れて戦場を去り、巴は信濃に帰る。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(550)

支折の言葉・・・15/96


<承久の乱>引き起こしました。

ええと…

協力した有力御家人/山田重忠とは…

どういう人物か、いちおう、調べてみました。

は、<木曾義仲(/源義仲・・・清和(せいわ)源氏の嫡流/源為義(ためよし)の次子/義賢(よしかた)の次男とし

て、1154年(久寿1)東国に生まれた。)・・・の滅亡後・・・> 源頼朝鎌倉幕府創設すると、

尾張国山田荘(/名古屋市北西部、瀬戸市、長久手市の一帯 )地頭(じとう/平安時代末~鎌倉時代末に、荘

園や国司の土地を支配するために置かれた職。税の取り立てや、治安維持などが主な仕事。)に任じられ、御家人

列しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
   
                                   薬を取り扱う 山田重忠       (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(551)

支折の言葉・・・15/97


でも…

山田氏の一門は、伝統的朝廷との繋がりが深く、重忠鎌倉期以降も、後鳥羽上

近侍(きんじ/主君のそば近くに仕えること。また、その人。)し、建保元年(/1213年)には上皇

勝寺供養(ほっしょうじ・くよう)に、供奉(ぐぶ/行幸や祭礼などの時に、お供の行列に加わること) する、などし

ています、」

「そういう…」支折が言った。「御家人も、いたわけですね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
   
                          義経追討の・・・安宅の関/『勧進帳』       (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(552)

支折の言葉・・・15/98


「そうですね…」響子が、うなづいた。「鎌倉幕府も…

山田重忠が、後鳥羽院近侍することは、承諾していたのでしょう。源氏と言っても、血脈

と言うだけで、色々複雑です。

<木曽義仲の・・・粟津の戦い(近江国/粟津にて行われた、源義仲と源頼朝派遣の東国諸将との間の戦い。

治承・寿永の乱・・・の1つ源頼朝は、後白河法皇の命を受けて、弟の範頼・義経以下、傘下の東国諸将に、義仲討

伐を命じました。

<宇治川の戦い>などで、敗れた義仲は、後白河法皇を連行して京都を脱出しようと図りますが、<六条河原の戦い>

で再度敗れて、今井兼平らわずかの兵を連れて、根拠地のある北陸への逃走を試みます。でも、結局、討ち死にします。)

の事もありますし…

その後の…

<義経追討(/頼朝の異母弟/義経は・・・ 木曾義仲を討ち、<一ノ谷の戦い> で平敦盛(あつもり)・忠度(ただのり

)らを殺し、1185年には、総帥として <屋島の戦い> から<壇ノ浦の戦い> で平氏を滅亡させました。

でも、後白河上皇の信任を得ていたことなどから、頼朝にきらわれて、鎌倉に入ることを許されませんでした。そして、少数の

手勢で、日本海の安宅の関/歌舞伎勧進帳・・・安宅の関・・・ を通り、奥州/平泉まで逃亡する事になります。)

…の事も、あるわけですわ。

さあ…

それにしても…

<後鳥羽上皇の・・・挙兵!> を知った…

鎌倉方動揺は、相当大きかった様です。<朝敵> となることに、<無条件降伏>

を…



 7月  20日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
   
                                  後鳥羽上皇                (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(553)

支折の言葉・・・15/99


…唱(とな)える御家人さえ、いたと言われます。

まさに…

後鳥羽上皇の側も、<鎌倉側が・・・朝敵になる・・・> という事を、十分計算に入れて

いたわけです。

そんな、火急の折

御家人たちを集めて<尼将軍・・・北条政子> が、叱咤激励(しったげきれい)した言葉が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
   
                              北条政子 (菊池容斎・画 /江戸時代)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(554)

支折の言葉・・・15/100


<★ 北条政子の・・・辞世の句・・・>

   ★ 追いの命、のこりて・・・

     三代将軍の墓所を・・・

     西国の輩の・・・

     馬のひづめに懸けんこと・・・

     はなはだ、口惜しき次第なり・・・

         (意訳)

          私が、長生きしたばかりに・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1 
   
                          <承久の乱> 19万の大軍が京都へ・・・    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(555)

支折の言葉・・・15/101


       源氏三代にわたる、将軍の墓所を・・・

       攻め寄せて来る、西国武士の輩の・・・

       馬のひづめで、踏み荒らされることは・・・

       まことに、悔しい事である・・・

政子の…

この言葉感動した御家人たちは、幕府への忠誠再確認し、出陣して行きます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
   
       
                小倉百人一首・・・99番/後鳥羽院
        <ジャンプ!>  

                           後鳥羽上皇の姿絵=島前・中ノ島の後鳥羽院資料館  (ネットより画像借用)

後鳥羽院が、配流/島流しになる一方… 

和歌で対立した、歌人/藤原定家の方は…

権勢は定家の義兄弟である、西園寺公経に移り、定家の主家である九条家も勢いを盛り返すなど、

定家にとっては、逆に非常に幸運な時代となり、出世して行きます。幕府の、第4代目の傀儡将軍/

藤原頼経も、九条家から招かれているわけですね。こうした事もあり、後鳥羽院と定家の亀裂は深くな

ります。

元々、後鳥羽院と定家は…

新古今和歌集 を編纂した仲ですが、隠岐に流されていた後鳥羽院とは、文のやり取りは無かった

ようです。後鳥羽院は受け付けなかった様ですし、定家の方は、九条家と鎌倉幕府との関係で、ピリピ

リとした空気だった様です。

それで定家は

小倉百人一首 の最後に、配流となった、後鳥羽院と順徳上皇を配し、なんとか定家自身の気持ち

を、間接的に、後鳥羽院に伝えたかった様です。

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(556)

支折の言葉・・・15/102


2カ月後/7月9日

19万号する(/自ら言い広める)大軍を率いて上京した義時嫡男/泰時によって、

席巻される事になります。

<承久の乱> 鎮まり

<後鳥羽上皇> は…

隠岐島/隠岐国海士郡の中ノ島/…現在の、島根県・隠岐郡・海士(あま)配流され

ました。



 7月  21日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       
           小倉百人一首・・・100番/順徳院
  <ジャンプ!>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(557)

支折の言葉・・・15/103


父/後鳥羽上皇計画協力した…

<第84代/順徳天皇 → 上皇> は…

佐渡へ流刑/・・・新潟県・佐渡市に配流/島流しにされ…

<承久の乱> 関与しなかった…

<第83/土御門天皇(つちみかど・てんのう)  → 上皇> も…

自ら望んで、土佐国に遷(うつ)りました。

<3上皇・・・後鳥羽上皇を含む、3人の上皇> の他に…

<後鳥羽院の・・・皇子/雅成親王(まさなり・しんのう/・・・第3代将軍/源実朝が暗殺された直後、鎌倉

幕府から、親王を次期将軍に迎えたいとする要請が出されるが・・・後鳥羽上皇に拒絶されています。) は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
   
       
          
        第86代/後堀河天皇     (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(558)

支折の言葉・・・15/104


但馬国(たじまのくに/兵庫県北部)へ…

<頼仁親王(よりひと・しんのう)備前国(びぜんのくに/岡山県東南部、香川県小豆郡・直島諸島、兵庫県

赤穂市の一部)に…それぞれ配流となりました。

さらに…

在位期間か、わずか3か月足らずの  <第85代/仲恭天皇(ちゅうきょう・てんのう/当時4歳)

も、廃されて…

代わりに…

<高倉院/第80代・高倉天皇・・・の孫/茂仁王(とよひと・おう)が・・・第86代・後堀河

(ご・ほりかわ・てんのう) 即位しました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
   
                              北条政子 (菊池容斎・画 /江戸時代)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(559)

支折の言葉・・・15/105


これが、<承久の乱の・・・後始末・・・> だった、わけですね。

北条政子は…

幕府軍の勝利を見とどけ、4年後他界しています。彼女の、強い女性としての生き様が、

晩年でもなお、衰えていなかった様です」

「うーん…」支折が、大きくうなづいた。「それにしても…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
   
                          北条政子              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(560)

支折の言葉・・・15/106


頼朝急死し…嫡男/頼家幽閉・暗殺され…さらに、次男/実朝(さねとも)が、頼家

男/公暁(くぎょう、こうきょう)親の仇として暗殺され…その公暁自身も、直後討ち取られ

いるわけですね。

この大事件を知った時…

いかに、強い女性といえども、さすがに心が萎(な)えた、と思います。



 7月  22日

   海 の 日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
   
                      鶴岡八幡宮・・・ 鎌倉初代将軍/源頼朝ゆかりの神社   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(561)

支折の言葉・・・15/107


でも、涙を絞り尽くすと、<尼将軍> として、キリッと、復活しているわけです。やはり、間

違いなく、強い女性です、」

「そうですね…」響子が、モニターを投げた。「北条政子には…

非常嫉妬深いという、有名エピソードもあります。これを、最後コメントとしましょう。

岡田健吉‏@zu5kokd1    
   
                                         北条政子      (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(562)

支折の言葉・・・15/108


政子が、頼朝との2人目の子

(1人目は、大姫・・・

6歳の時に、頼朝と対立した源義仲 (/木曽義仲) との和睦のため、義仲の嫡男/義高と婚約しますが、義仲の敗北に伴

い義高が処刑されました。これに衝撃を受け、大姫は心を病むようになります。後の縁談も拒み通し、後鳥羽天皇への入内

の話も持ち上がりましたが、実現する事無く、20歳で早世しました。)

その、<第2代・鎌倉将軍/・・・嫡男/頼家・・・> を、妊娠中に…

頼朝は、“亀の前”という女性寵愛(ちょうあい)するようになります。そして、近くに呼び寄せ、

通うようになりました。

これを知った政子は、嫉妬(しっと)にかられ、激怒したと言われます。政子は、“亀の前”

住んでいた…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
   
                           鶴岡八幡宮                       (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(563)

支折の言葉・・・15/109


伏見広綱(ふしみ・ひろつな/源頼朝の右筆(ゆうひつ/武家の書記役)で、伏見冠者藤原広綱と呼ばれる。)

を打ち壊させ、彼女は、ほうほうの体で逃げ出したという事です。

頼朝面目丸潰れです。当然、ただでは済まないわけですが、でも武家表の戦とは

違う、奥方騒動なります。

当時は…

貴族が、そうでしたが…

有力武家も、本妻(ほんさい)の他に多くの妾(めかけ/正妻の外に、養い愛する女)を持ち…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
   
                           源頼朝                       (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(564)

支折の言葉・・・15/110


多くの子を産ませました。

そうやって、家/一族安泰をはかるのが、男としての義務でもありました。女性の方も、

そうした有力者の子を産めば、生活の安泰と、一族出世する、可能性が開けます。ま

た、その逆もあるわけで、ギャンブルになります。

政子の父/北条時政も、複数妻妾があり、政子腹違いの弟妹を…



 7月  23日


 スポーツの日


  東京

   オリンピック

     開会式

岡田健吉‏@zu5kokd1  
竹取物語
 かぐや姫を籠に入れて育てる翁夫妻。17世紀末(江戸時代) メトロポリタン美術館蔵。 (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(565)

支折の言葉・・・15/111


多く産ませています。

そして政子が…

源氏の頭領/頼朝駆け落ちした事により、<鎌倉幕府/初代・執権> に、なれたわ

けですね。

したがって…

源氏の棟梁/頼朝にとっても、多くの女の家に通うのは、常識・社会的義務範疇(はんち

ゅう)でした。でも、政子は、それに激怒したわけです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
   
               桃太郎  桃から生まれた男の子が、犬・猿・キジを連れて鬼退治   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(566)

支折の言葉・・・15/112


これは彼女が、頼朝駆け落ちした事が、強味だったのでしょうか。単に、気性が激しい

けでは、そんな事は出来ないわけですよね。

もっとも…

このエピソードとは別に、頼朝には多くの妾がいた事は歴史的事実です。現代と違い、

の嫉妬で、一族血脈を絶やしてしまう事などは、論外でした。

面白いのは…

いわゆる平民でも、器量(きりょう/女性について言う場合・・・顔だち、容貌)の良い娘だと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 肉筆画で描写された・・・白拍子姿の静御前 (葛飾北斎筆、北斎館蔵、文政3年(/1820年)頃) (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(567)

支折の言葉・・・15/113


武士貴族養子となり、身分の高い人の妾になることも可能でした。平民には平民

の、ギャンブルがあったわけですね。また、輿入れ先が、安定しているか、勝者になるか、

敗者になるかも、大きなギャンブルになります。

例えば…

頼朝追討を受けた義経は…

正室とは別に、有名な、<愛妾/・・・静御前(しずかごぜん) がいたわけです。彼女は、

性・白拍子でした。白拍子(しらびょうし)というのは、当時歌舞の一種です。彼女の母は、

拍子/磯禅師ですね。は、磯禅師父親かと思っていましたが、母親の方です。

うーん、でも…

だからこそ、なのでしょうか。身分・出自というものには、非常にこだわりがあった社会です。

身分(いや)ければ、一生、卯建(うだつ/日本家屋の屋根に取り付けられる小柱、防火壁、装飾・・・)

上がりません(/卯建が上がらない・・・なかなか、世俗的な意味での出世ができない、金銭的に恵まれる状況にならな

い、などの意味の表現)

だから…

入内(じゅだい/皇后・中宮・女御になる人が、儀礼を整えて正式に内裏に入ること。)する場合などは、身分の

高い貴族養女になったりする様ですね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
   
                                    竹取物語・・・かぐや姫   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(568)

支折の言葉・・・15/114


「はい…」支折が、コクリとうなづいた。「ええ…

桃太郎(/日本のおとぎ話の1つ・・・桃の実から生まれた男子/桃太郎が、お爺さんお婆さんから黍団子(きびだんご)

をもらって、イヌ、サル、キジを従え、鬼ヶ島まで鬼を退治しに行く物語。 や…

かぐや姫の、竹取物語(/『源氏物語』に・・・<物語の出で来はじめの祖(おや)なる竹取の翁> とあるように、

日本最古の物語といわれます。9世紀後半~10世紀前半頃に成立したとされ、かな文字によって書かれた、最初期の物

の1つ) などから…

当時社会性や、価値観、そして夢などが、分かって来ますよね。は、そういう方面

研究者ではないのですが、研究すると、非常に面白そうです。

ええ…<辞世の・・・句/歌・・・> 考察は、ここまでとします…」



 7月  24日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
           
芭蕉         (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(569)

原文・・・16/1 】


< 初 瀬 (はせ)


★ 春の夜や籠(こも)リ人ゆかし堂の隅


★ 足駄(あしだ/高下駄)はく僧も見えたり花の雨  万菊

 

< 葛 城 山 (かつらぎやま)


★ 猶(なお)みたし花に明行く神の顔


岡田健吉‏@zu5kokd1  
                          
         奈良/長谷寺            (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(570)

現代語訳・・・16/1 】


<初瀬 (はせ/・・・奈良県・桜井市・初瀬 )


★ 春の夜や 籠(こも)リ人ゆかし 堂の隅(すみ)


      古(いにしえ)より・・・

          長谷寺(はせでら)といえば・・・

              恋の願掛けをする寺・・・

            春の夜に・・・

                一人こもる、かのご婦人は・・・

                     何を祈っているのか・・・

                         心惹(ひ)かれる思いがする・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1         
 
                       
           
芭蕉         (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(571)

現代語訳・・・16/2 】


★ 足駄(あしだ/高下駄)はく 僧も見えたり 花の雨  (万菊(/万菊丸)


      雨が降りしきり・・・

          桜の花が咲き乱れる中・・・

              足駄(あした)をはいた僧が・・・

                   静かに歩いて行くのが見える・・・

                       なんとも、味わい深いことだ・・・

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                       
  吉野の桜
              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(572)

現代語訳・・・16/3 】


<葛城山(かつらぎやま/・・・大阪府と奈良県の境にある山)


★ 猶(なお)みたし 花に明行く 神の顔


     恥ずかしがらずに・・・

        顔を見せてください・・・

           一言主神(ひとことぬしの・かみ/『古事記』 『日本書紀』に登場する、託宣の神)さま・・・

          この山の桜は、全山満開で・・・

             その美しいこと・・・

                 あなたも、きっと、美しいに違いありません・・・



 7月  25日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                       
   
伊賀上野城            (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(573)

【支折の言葉・・・16/1 】


「さあ…」支折が言った。「芭蕉は…

<江戸で評判の・・・蕉風・蕉門の・・・宗匠> として、東海道を上り、故郷凱旋(がいせ

ん)しました。凱旋と言っても、<腰に草鞋(わらじ)を下げ・・・ 一人旅の、文学的凱旋>

あり、当時スーパースター旅姿が偲ばれますよね。

ええ、

くり返しますが…

芭蕉には、この紀行で、<旧主/藤堂良忠(/伊賀上野/城代・藤堂良精の3男。俳号/蝉吟)の子/

・・・良長(俳号/探丸)の・・・下屋敷(別邸)に招かれての・・・句・・・> があります。


   ★ さまゞの 事おもひ出す 桜哉  

 

…ですね。

旧主/良忠は、芭蕉より2歳年上で、親しく交わっていましたが、25歳早世し、芭蕉

武士になり、出世する道が断たれています。旧主/良忠の死は、芭蕉俳諧の道を志す、

直接原因ともなっています。

旧主/良忠遺子(いし/親の死後、残された子)/良長は…

9歳藤堂新七郎家督を継いでいて、この年、23歳になっていました。芭蕉はその主家

から、おそらく客人として下屋敷招待され、<句会> なども、開いていたのでしょうか。

芭蕉にとって、この紀行では、最も華やかな時だったのではないでしょうか。

その故郷で、年末年始を過ごし、句会なども重ねていると、やがて桜の季節が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                       
  吉野の桜
              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(574)

【支折の言葉・・・16/2 】


…近づいて来ました。そぞろ旅心に誘われ、吉野の桜を見に出発すると、途中伊勢で、

<万菊丸> 出迎えたわけですね。

<万菊丸というのは・・・保美に追放されていた・・・杜国(とこく)・・・> です。名古

米商人で、米の空売り関係して、咎人(とがにん)となっていました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                       
   吉野の桜
              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(575)

【支折の言葉・・・16/3 】


所領没収され、追放処分を受けていた様ですが、詳しい事情は、説明されていません。

うーん…

笈の小文 が、芭蕉自身編集したものではなく、未完と言われる所以ですね。何故、

その様な中途半端な事になってしまったかというと、おそらく、芭蕉早世(そうせい)して…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                       
  吉野の桜
              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(576)

【支折の言葉・・・16/4 】


…しまったためと思われます。紀行直後に、整理していなくても、いずれ芭蕉自身がまと

め上げたと思います。

ええ…

その門人/杜国と、伊良湖崎/・・・保美約束してあり、その通りに、伊勢出迎えてくれ

たわけですね。旅先案内と、身の回りの世話を、買って出てくれたわけです。



 7月  26日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                       
           
芭蕉         (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(577)

【支折の言葉・・・16/5 】


でも…

<蕉門の宗匠/芭蕉翁の・・・道行のお供・・・> ができるなら、弟子としては贅沢(ぜい

たく)な申し出ですよね。

奥の細道河合曾良(かわい・そら)や、更科紀行越智越人(おち・えつじん)の様な、

門/門人比較すれば、追放処分を受ける様な人は、何某(なにがし)かの社会的欠点

あります。でも、人間的面白味が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                       
    菅笠
              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(578)

【支折の言葉・・・16/6 】


芭蕉(ひ)き付けたのでしょうか?それとも、を踏み外し、咎人(とがにん)となった門人

が、(あわ)を誘い、可愛かったのでしょうか?

ともかく…

菅笠(すげかさ)をかぶり、<万菊丸と・・・2人旅> です。そして、初瀬(はせ)<奈良・長

谷寺> まで、やって来たわけですね、」

「はい…」響子が、うなづいた。「でも…

長谷寺は、ついこの間、鎌倉にもありましたよね。ややこしいわねえ…」

「そうですね…」支折が、スクリーンボードに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                          
         奈良/長谷寺            (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(579)

【支折の言葉・・・16/7 】


奈良長谷寺を表示した。「うーん…

どう違うのかしら?

ええと…

<奈良・長谷寺/大和國・長谷寺は・・・真言宗/豊山派の・・・総本山の寺院・・・>

ですね。

<★ 本尊は・・・ 十一面観音菩薩立像・・・> です。

大和国伊勢国を結ぶ、初瀬(はせ)街道を見下ろす、初瀬(はせ)中腹本堂が建って

いて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       奈良・長谷寺/本尊・・・ 十一面観世音菩薩立像 (/高さ10m18cm 重要文化財   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(580)

【支折の言葉・・・16/8 】

 

枕草子 源氏物語 更級日記 など、多くの古典文学にも登場する、という事で

す」

「はい…」響子が言った。「何故

<奈良・長谷寺> は、これほど頻繁古典登場するかというと、奈良近江は、<飛

鳥時代> <奈良時代> の、古都だからでしょうか?



 7月  27日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                             吉野宮・吉野離宮を歩く・・・            (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(581)

【支折の言葉・・・16/9 】


数百年前古都です。吉野も、しばしばに詠まれていますが、(いにしえ)の都があり、

はその背後隠れ里になっていたからですね。<吉野離宮> もあり、何度歴史的事

舞台ともなって来ました。」

「はい…」支折が、の後ろにすいた。「<桜の名所> とは、別にですね…

ええと…

小倉百人一首 → 61番/伊勢大輔(いせの・たいふ) の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                       小倉百人一首 → 61番/伊勢大輔  <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(582)

【支折の言葉・・・16/10 】


  ★ いにしへの 奈良の都の 八重桜

               けふ九重に にほひぬるかな


…がありましたね、」

「まさに…」響子が、を和ませた。「その空気ですね。それで、鎌倉長谷寺の方はどう

なのかしら?」

「はい…」支折が、コントローラーで…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                鎌倉・長谷寺/本尊・・・ 十一面観世音菩薩像 (像高/9m18cm   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(583)

【支折の言葉・・・16/11 】


スクリーンボードモザイク画像1つ拡大した。「ええ…

これが、鎌倉長谷寺です。そして、本尊ですね…

<鎌倉・長谷寺は・・・浄土宗系統の、単立寺院・・・> です。

<★本尊は・・・ 十一面観音菩薩像/・・・像高9m18cmで、日本最大級の木造仏像

…という事です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
               奈良・長谷寺/本尊・・・ 十一面観世音菩薩像 (像高/10m18cm   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(584)

【支折の言葉・・・16/12 】


<大和・長谷寺・・・ 十一面観音菩薩像/・・・像高10m18cm> より、1mほど小さ

、という事でしょうか。

ちなみに…

伝承では、鎌倉長谷寺創建奈良時代とされていますが、中世以前沿革明確

なく、創建正確時期経緯についても、解明されていない、…



 7月  28日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
藤原房前・・・藤原不比等を父とする、藤原四兄弟の次男で、藤原北家の祖。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(585)

【支折の言葉・・・16/13 】


…という事です。

ただ…

寺伝によれば…

天平8年(736年)大和長谷寺開基(かいき/寺院を開創すること。また寺院を開創した僧(開山)であ

徳道(とくどう/飛鳥~奈良時代の僧)を、藤原房前(/藤原不比等を父とする、藤原四兄弟の次男で、藤原北家

の祖。官位は正三位・参議。元明上皇の遺詔により内臣(うちつおみ)となる。官位は正三位・参議。贈正一位・太政大臣。)

招請して…<十一面観音像を・・・ 本尊として、開山・・・> した、という事です。

養老5年(721年)に…

徳道大和国山中で見つけた(くすのき)の大木から…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                           鎌倉・長谷寺/・・・ あじさい寺としても、有名    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(586)

【支折の言葉・・・16/14 】


2体十一面観音を造り、その1体 <大和・長谷寺の・・・観音像> となり、もう1体

を、祈請(きせい/神仏に祈って、加護を願うこと)の上で、海に流したと言います。

そして、15年後に…

三浦半島長井浦に流れ着きいた観音像を、鎌倉安置して開いたのが、<鎌倉・長谷

寺> である…とされるそうです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
        第45代/聖武天皇・・・文武天皇の第一皇子。母は、藤原不比等の娘/宮子。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(587)

【支折の言葉・・・16/15 】


ええと…

別の資料では…

鎌倉長谷寺は、鎌倉幕府・創建より450年も前に遡る、聖武天皇・治世736年

した、鎌倉有数古寺…だとしています。

寺伝の…

縁起(えんぎ/神社仏閣などの、いわれ)によれば…

721年に、大和国長谷寺開山である、徳道上人本願(ほんがん/仏陀や菩薩が修行中に立

てた衆生救済の誓願)により、2人の仏師(ぶっし/仏像制作に従事する工人のことで・・・造仏師の略称。)が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                            行基・菩薩坐像 (唐招提寺蔵/重要文化財)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(588)

【支折の言葉・・・16/16 】


巨木から2体観音像を、三日三晩で彫り上げた、といいます。

そのうち1体は…

<大和・長谷寺の・・・本尊・・・> となり、もう1体衆生済度(しゅじょうさいど/仏や菩ぼ薩さつ

などが、この世で迷っている衆生を、迷いの苦しみから救い、悟りの境地へと導くこと。)誓願(せいがん/ 誓いを立て

て神仏に祈願すること。)を込め、開眼供養(かいげんくよう/開眼とは、眼目を開くという意味から・・・仏教では、「悟

りを開くこと」 をいい、さらには、仏像や曼荼羅(まんだら)などが新しく作製されたり、修理されたとき、それに新たに入魂の

儀式や、作法を行うことをいう。)を修した…

行基(ぎょうき/奈良時代の僧(668~749年)。百済(くだら)系の渡来人で、高志(こし)氏の出身。和泉(いずみ)の人。

法相(ほっそう)宗を学び、諸国を巡って布教。民衆とともに道路・堤防・橋や寺院の建設にあたったが、僧尼令違反として禁

止された。後、聖武天皇の帰依を受け、東大寺・国分寺建立に協力。日本最初の大僧正の位を授けられた。によっ

て、海中奉じられた…といいます。

そして15年後

この観音像相模国(さがみのくに/現在の、神奈川県の大部分)沖合海面に…



 7月  29日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                           鎌倉・長谷寺/・・・ あじさい寺としても、有名    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(589)

【支折の言葉・・・16/17 】


忽然(こつぜん)と現れました。

大和・長谷寺開基/藤原房前が駆けつけて、観音像鎌倉へと遷座(せんざ/神体、仏像な

どをよそへ移すこと)され、鎌倉長谷寺・開創(いしずえ)となった…という事です。

この観音像は、鎌倉・長谷寺本尊として、本堂に祀(まつ)られています。日本最大級

彫仏とされている…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                 鎌倉・長谷寺/本尊・・・ 十一面観音菩薩像 (像高/9m18cm   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(590)

【支折の言葉・・・16/18 】


…という事ですね、」

「うーん…」響子が、を引き結んだ。「15年後に、忽然(こつぜん)海面に現れたのですか

あ…

<鎌倉・長谷寺の・・・観音菩薩像・・・> は…

そういえば、海に投入されたためか、傷んでいる様にも見えますよね。この画像だけでは、

確かな事は言えませんが。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
大和・長谷寺・・・本堂に向かって、左手に芭蕉の句碑 → 春の夜や 籠リ人ゆかし 堂の隅   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(591)

【支折の言葉・・・16/19 】


でも、何やら、2カ所の長谷寺と、2つの観音菩薩像には、深い因縁がある様ですね…」

支折が、深くうなづいた。

「ええ…」支折が言った。「俳句の方に、移りましょうか…

まず…


  ★ 春の夜や 籠(こも)リ人ゆかし 堂の隅   (芭蕉)


ふーん…

<芭蕉の・・・俳句の世界・・・> には、女性はほとんど…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
        『 奥の細道画巻・・・市振の宿/元禄2年7月12日 』 (与謝蕪村・・・逸翁美術館所蔵)  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(592)

【支折の言葉・・・16/20 】


登場していないですよね。

“恋の願かけ寺に…春の夜…1人、婦人が籠っている”

というのは…

<蕉風(しょうふう/・・・松尾芭蕉、およびその門流の俳風。(さび)(しお) 細み軽みを重んじて、幽玄

の境地を求める。 としては、異例なのでしょうか。珍しいですよね?」

「うーん…」響子が、を傾げた。「そうですね…

奥の細道 で、越後路日本海/一振の宿 で、遊女2人隣室に泊まり、話し声が聞

こえて来ますが…



 7月  30日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                        萩/はぎ            (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(593)

【支折の言葉・・・16/21 】


その印象と、似ているでしょうか。


 ★ 一家に 遊女もねたり 萩(はぎ)と月  (芭蕉・・・市振の宿)


女性直接に関わるというよりも、“一歩・・・引いた風景として・・・眺めている” のが、<蕉

風> なのでしょうか?」

「うーん…」支折が、うなづいた。「でも…

<蕉風の・・・侘(わ)び・寂(さび)とは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                        『奥の細道』 市振の近くの、親知らず・子知らずの難所    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(594)

【支折の言葉・・・16/22 】


微妙な、違和感があるのじゃないかしら?」

多少の…」響子が言った。「(なまめ)かしさは有りますが…

逆に、ここに、<侘び(わ)・寂(さび)を、感じられないでしょうか?

<侘び・寂/・・・侘しさ、寂しさ・・・> は…

“人生の・・・存在・存立そのものの・・・侘しさ、寂しさ・・・” でも有り、その中でも、なお…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                                             (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(595)

【支折の言葉・・・16/23 】


ひと時の・・・恋と向き合う女性の・・・風景・・・ という、事なのでしょうか。

芭蕉は…

この 笈の小文紀行に…

すでに…


  ★ 古池や 蛙飛びこむ 水の音

 
…のを詠んでいて、<芭蕉が・・・いわゆる、芭蕉になっている わけですよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
大和・長谷寺・・・本堂に向かって、左手に芭蕉の句碑 → 春の夜や 籠リ人ゆかし 堂の隅   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(596)

【支折の言葉・・・16/24 】


その、いわゆる…

<芭蕉の・・・禅的境地/・・・風雅・風狂の境涯/・・・蕉風・・・> から、この句を、改

めて、眺めてみる必要がありそうですね、」

「そうかあ…」支折が、頭の後ろを当てた。「禅的な…

<悟りの・・・風景・・・> として、この情景を捉えるわけですかあ。さすがは、の、禅の

師匠/響子さんですわ、」



 7月  31日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
         
<蕉風発祥之地> の碑・・・愛知県名古屋市中区錦三丁目の名古屋テレビ塔前  (ネットより画像借用)

この地は・・・貞享元年(1684)の冬、芭蕉が 野ざらし紀行 の旅の途中名古屋に立ち寄り、岡田野水(やすい)・山本荷

兮(かけい)・坪井杜国(とこく/万菊丸・加藤重五(じゅうご)ら、土地の青年俳人らと、七部集の第一集 冬の日 の歌仙

を興行した所。

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(597)

【支折の言葉・・・16/25 】


「ほほ…」響子が、すぼめて笑った。「でも、有難うございます

ええ、したがって…

この、<大和・長谷寺> も含めて、<蕉風/・・・松尾芭蕉、およびその門流の俳

風/・・・幽玄・閑寂の境地を主とし、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ・・・> というもの

を、改めて、考えてみるべきですわ。

つまり、違和感のあるこの句も、<蕉風の・・・幽玄な、紫色の横糸・・・> を、構成してい

るのかも知れません。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                           
大和・長谷寺・・・ 桜の季節              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(598)

【支折の言葉・・・16/26 】


私達は、まだまだ、修行が足りない、という事ですわ、」

「はい…」支折が、コクリとうなづいた。「ええ…

次に、<万菊丸> ですね…


  ★ 足駄(あしだ)はく 僧も見えたり 花(/桜の花)の雨   万菊


うーん… ”雨の長谷寺の・・・桜の季節の情景・・・” が、偲ばれます。

<足駄(あしだ)・・・高下駄(たかげた)/・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                           
大和・長谷寺・・・ 桜の季節              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(599)

【支折の言葉・・・16/27 】


・・・雨の日などに履く、高い歯の下駄・・・> というのは、最近見かけないと思うので

すが、僧侶などは、今でも履(は)いているのでしょうか?」

下駄そのものが…」響子が言った。「あまり、見かけなくなりましたが、今でも、足駄という

のはあるのでしょう。

それを好む人と、作る職人がいれば、そうした高下駄存在し得るわけです。下駄を作る

のは、それほど難しい技術ではありませんわ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                  
                       (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(600)

【支折の言葉・・・16/28 】


でも…

和服を着なくなった様に、下駄(げた)草履(ぞうり)も、履かなくなって来ましたわ。そもそも、

和服下駄は、これまでの様に、街の店頭では、見かけなくなりました。高級な、特別な物

になってしまいました。

は、下駄好きで…

今でも履きたいと思っているのですが、そもそも、見つけるのが難しくなって来ています。



 8月  1日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                                                             (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(601)

【支折の言葉・・・16/29 】


インターネット検索すれば、見つかるのですが、和服同様に、普段使い安い物とい

うのは、少ないですね、」

「私も…」支折が言った。「子供の頃に…

下駄を買ってもらった記憶はありますが、和服浴衣一緒だったと思います。ボス(/岡

田)の世代だと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                           
大和・長谷寺・・・ 桜の季節              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(602)

【支折の言葉・・・16/30 】


はほとんど下駄だった様ですね。下駄で、川原山道を歩いたそうです。ゴム草履

いうのもあった、そうです。

ええ…

を戻します…

ともかく、<万菊丸> この句は、<大和・長谷寺> 情景描写の句ですよね。ずっと、

<鎌倉・長谷寺> をしていたので、といえば紫陽花(ふじさい)印象がありますが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
      大和葛城山(やまと・かつらぎさん)・金剛山(こんごうさん)|奈良県・大阪府|ダイヤモンドトレールで2つの山をつなぐ  
                                                                                                                                      (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(603)

【支折の言葉・・・16/31 】


…ここは、<春/桜の季節の・・・大和・長谷寺> です。そして、次が<吉野山の・・・

桜> になります。

あ、その前に…

<葛城山(かつらぎやま/奈良県と大阪府の境にある山。標高959m。古くは南方にある金剛山を含めていった。修験

道の霊場。) ですね…


   ★ 猶(なお)みたし 花に明行く 神の顔


この句は、何の句なのか、説明がないと分からないですよね。【現代語訳 は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                                      (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(604)

【支折の言葉・・・16/32 】


     恥ずかしがらずに・・・

          顔を見せてください・・・

               一言主神(ひとことぬしがみ)さま・・・

             この山の桜は、全山満開で・・・

                  その美しいこと・・・

                       あなたも、きっと美しいに違いありません・・・


…というものですね。

<神> というのは…

その昔<役行者(えんの・ぎょうじゃ/7世紀後半の山岳修行者。本名は役小角(えんの・おづぬ)。日本の山岳宗

教である修験道(しゅげんどう)の開祖。)命令で、ここ葛城山金峰山(きんぷさん/奈良県中央部、吉野

山から山上ヶ岳に至る連峰の総称。//・・・長野・山梨県境にある山。秩父山地の主峰の1つ。標高 2599m。)岩橋

を…



  8月 2日

岡田健吉‏@zu5kokd1          
                                       <一言主神>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(605)

【支折の言葉・・・16/33 】


…かけたという、<一言主神> の事の様です。この神様は、己の醜さを恥じて、昼間

隠れていて、夜だけ働いたとか…

句意は…

でも今・・・

花の咲き乱れる葛城山の景色を見ていると・・・醜いなんてウソでしょう。やはり、一

言主神様を、ご拝顔したいものだ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                                       <一言主神>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(606)

【支折の言葉・・・16/34 】


…と芭蕉は、詠んでいるわけですね、」

葛城山の…」響子が言った。「<一言主神> ですかあ…

<葛城山> というのは…

は行ったことはないのですが、奈良県/御所(ごせ)と、大阪府/南河内郡/千早赤阪

との位置する、標高959.2mですね、」

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                葛城一言主神社/奈良県/御所(ごせ)市   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(607)

【支折の言葉・・・16/35 】


「そうですね…」支折が、モニターを覗いた。「ええと…

この神については、一応、調べてあります。

<大和の、葛城山の神で・・・悪い事も善い事も、一言で言い放つ・・・託宣神(たくせん

がみ)とされる・・・> という事です。奈良県/御所(ごせ)にある、<一言主神社> に、

祭られています」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                       <一言主神>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(608)

【支折の言葉・・・16/36 】


「ふーん…」響子が言った。「<託宣(たくせん/神仏が人にのりうつったり、夢の中に現れたりして、その意志

を告げること。また、そのお告げ。)神> ですかあ。そんな神様が、いるわけですね、」

「ええと…」支折が言った。「もう少し、詳しい資料がありますわ…

<一言主神> とは…

古事記  日本書紀 などに登場する、託宣の神です。古事記 によれば…



 8月  3日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                               <一言主神>                    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(609)

【支折の言葉・・・16/37 】


雄略天皇(ゆうりゃく・てんのう)葛城山に登った時、天皇の一行と何から何までよく似た一

が、山に登ろうとしていました。

誰か、と問うと…

<凶事も吉事も・・・ 一言でいい放つ・・・ 葛城の一言主神だと、答えました。

雄略天皇畏れ(おそれ/気づかい、おそれ多いこと)種々の物を献上すると…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                         (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(610)

【支折の言葉・・・16/38 】


喜んで、それを受けて山の入り口まで、天皇見送ったという事です。

帰依(きえ/神仏や高僧を深く信仰し、その教えに従い、その威徳を仰ぐこと。)するとは、良い心がけだ、とい

うわけです現代にも、こんな <八百万の神(やおよろず・の・かみ/・・・神道(しんとう)で、数多くの

神々の存在を総称していうもので、実際の数を表すものではない。文献上の初見は、上巻の  <天(あま)の岩戸

の段にある 八百万神、天(あめ)の安(やす)の河原に神集(かむつど)ひ集ひて> です。) がいると、面白

ですね。

西欧で言えば、一神教/キリスト教ではなく…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                       <天の岩戸>            (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(611)

【支折の言葉・・・16/39 】


ギリシア神話世界ですね、」

「それより…」響子が言った。「精霊に近い、のかも知れませんわ…

<八百万神 は、精霊のようなものですから。あ、は、西欧精霊信仰について、特

詳しいわけではありません。多少、調べた事はあるのですが、難しいですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                               <第21代/雄略天皇>    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(612)

【支折の言葉・・・16/40 】


それよりも…

確か、雄略天皇と言うのは…

万葉集登場する最初歌人だったと思います。若い娘ナンパ(/俗に、街頭で声をかけ

て、異性をさそうこと。)している、1番最初の歌が、雄略天皇ではなかったかしら、」

「じゃあ…」支折が、モニターを覗いた。「その、雄略天皇について調べてみましょう。



 8月  4日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
       小倉百人一首・・・6番/中納言家持(ちゅうなごん・やかもち) <ジャンプ!>   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(613)

【支折の言葉・・・16/41 】


面白そうですね、」

「ええと…」響子が言った。「当/《HomePage/人間原理空間》万葉集 は、

まとめていますので、概略簡単説明して置きます。

万葉集 は…

奈良時代末期成立(/『万葉集』 の成立に関しては詳しくわかっておらず、一人の編者によってまとめられたので

はなく、巻によって編者が異なります。最終的に、<大伴家持(おおともの・やかもち) の手によって、二十巻にまとめら

れたとするのが、妥当とされています。) した、<日本に現存する・・・最古の和歌集・・・> です。

大伴家持が、最終的に、万葉集完成させたとされているわけですが、小倉百

人一首 に、が採られています。

そして…

大伴家持(おおともの・やかもち) 父親 <大伴旅人(おおともの・たびと)ですね。

今/現代の事になりますが…

新元号/令和(/2019年~) は、万葉集・・・巻五/梅花歌三十二首の・・・序文

の中から、“令月(れいげつ)の・・・令”と、“風和の・・・和”2文字を採り、組み合わせて、

られた、という事です。

以下が、その、【原文】と、【現代語訳】です…

  「 初春令月、 気淑風和、 梅披鏡前粉、 蘭薫珮後之香 」


          初春の、令月
(れいげつ)にして・・・

              気淑(きよ)く、風和(かぜやわら)ぎ・・・

                  梅は鏡前(きょうぜん)の、粉(こ)を披(ひら)き・・・

                      蘭(らん)は珮後(はいご)の、香(か)を薫(かおら)


この序文を書いた…

<大伴旅人(おおともの・たびと) は…

728年頃に、大宰帥(だざいのそち/大宰府の長官)として妻・大伴郎女(おおともの・いらつめ)を伴って

<大宰府> 赴任しています。60歳を過ぎてからの、2度目九州下向でした。

この任官については、当時権力を握っていた、左大臣/<長屋王(ながやおう/太政大臣・高

市皇子の長男。高市皇子は、<壬申の乱> で活躍した、天武天皇の皇子) 排斥に向けた、<藤原四兄

(/藤原不比等の子等で、不比等は藤原鎌足の次男)による、一種左遷人事とも言われます。

また、当時国際情勢を踏まえた、外交・防衛上手腕期待された人事という、両説

ある様ですね。大伴氏は、武門家系です。

大伴旅人は、大宰府では、<山上憶良> や、満誓(まんてつ/飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族

・僧・歌人)らとの交流を通じて、筑紫歌壇形成していた、という事です。そんな折の、“梅花

歌三十二首の・・・序文” から、<令和> 文字採った、という事ですね。

ええ…

それから…

万葉集和歌は、<全て・・・漢字> で、書かれています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                    大伴旅人(おおともの・たびと) ・・・菊池容斎・画/明治時代    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(614)

【支折の言葉・・・16/42 】


これは、<万葉仮名(/主として上代に日本語を表記するために、漢字の音を借用して用いられた文字。『万葉集』

での表記に代表されるため、この名前があります。 )も、含めてですね。

<全20巻で・・・4500首以上の和歌が・・・収録・・・> されています。

その全体は…

<雑歌(ぞうか)・・・宴や旅行での歌> <相聞歌(そうもんか)・・・男女の恋の歌> <挽

(ばんか)・・・人の死に関する歌> の、3つのジャンルに、分類されています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                               <第21代/雄略天皇>    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(615)

【支折の言葉・・・16/43 】


万葉集 には、<庶民の・・・防人歌(さきもりうた/大化の改新の後、九州沿岸の守りについた防人が詠

んだ歌) なども、収録されています。

ちなみに…

万葉集・・・第一巻/最初の歌 というのは…

          こちらへどうぞ…  <ジャンプ!> …」


「ええ…」支折が言った。「いいですか…

<雄略天皇は・・・第21代/天皇> と、言うことになります。

<聖徳太子(/用明天皇の第2皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。<聖徳太子> は、後世の尊称ない

し諡号。厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)、厩戸王(うまやとおう) という名が、本名とされることも多い様です。

推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで、遣隋使を・・・派遣 するなど、大陸の進ん

だ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や・・・十七条憲法を定める・・・ など、天皇を中心とした中央集権国家体

制の確立を図った。また、仏教を厚く信仰し・・・興隆につとめた・・・ 。)が…

摂政(せっしょう/天皇が幼少か、女帝の場合に、天皇に代わって政務を行なう職。)を、務めた

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              <第21代/雄略天皇>                (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(616)

【支折の言葉・・・16/44 】


<女帝/推古天皇(すいこてんのう)が・・・第33代> ですから、それよりも、だいぶ前

時代になりますね。

歴史区分としては…

<飛鳥時代(/7世紀前半、推古朝を中心とする時代。推古天皇が即位した592年~710年の平城京遷都まで

前の

<古墳時代(/古代日本で、古墳が盛んにつくられた時代。弥生時代に続き、3世紀末頃~7世紀頃まで。 階級社会

が成立し、特に大和政権を中心とする、政治権力が強まった。に、なります。

うーん…ええと…

埼玉県/稲荷山古墳(いなりやま・こふん)より出土した、鉄剣銘文(めいぶん/器物に刻したり、書い

た文字。)があるそうですが、そこにある、<獲加多支鹵・・・



 8月  5日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              <稲荷山古墳 (/5世紀後半)> 埼玉県/行田市の前方後円墳

古代ヤマト王権の、<ワカタケル大王/雄略天皇> の名を金の線で記した、金錯銘(きんさくめい)鉄剣 (国宝)

が出土。後円部中央の地下に、未知の埋葬施設の可能性がある構造物らしきものが確認され、東北大の研究チームと県立

さきたま史跡の博物館の共同調査で分かった。                                 (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(617)

【支折の言葉・・・16/45 】


・・・ワク(カク)カタキ(シ)(ロ) が…

古事記 にある名称 <大長谷若建> の中の、<若建(/ワカタケル としている) と…

日本書紀名称 <大泊瀬幼武> の中の <幼武(/これも、ワカタケル としている) と、

している…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                               <稲荷山古墳 (/5世紀後半)> 埼玉県/行田市の前方後円墳

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(618)

【支折の言葉・・・16/46 】


…とされていることから、考古学で・・・存在が確認された・・・最古の天皇 と、され

ている、という事です。

<第19代/允恭天皇(いんぎょう・てんのう/仁徳天皇の第4皇子。/・・・仁徳天皇は、大阪府堺市の、日本最

大の古墳で有名です。) の、第5皇子、という事ですね。

その間に、同母兄の…

<第20代/安康天皇(あんこう・てんのう/・・・暗殺されたと明確に記された、最初の天皇) がいます。

ええと…

記紀/・・・古事記・日本書紀 によれば…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                        錆びた剣に、レントゲン線を照射し、錆びの下にあった115の金文字を発見しました。

 鉄剣の持ち主は、銘文から、大王/・・・雄略天皇の、親衛隊長です。  (国宝・金錯銘鉄剣) (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(619)

【支折の言葉・・・16/47 】


<第21代/雄略天皇> は…

反抗的地方豪族を、武力でねじ伏せ、帝権飛躍的拡大させ、強力な専制君主とし

君臨した、とされています。

養蚕(ようさん/カイコ(蚕)を飼って、その繭(まゆ)から生糸(絹)を作る産業。)の推奨朝鮮半島/新羅(しら

ぎ)への出兵中国/呉(ご)への遣使、などの政策を、積極的実施した様です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                         (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(620)

【支折の言葉・・・16/48 】


ええ…

日本書紀暦法(/こよみを制定する基準法則)が…

雄略天皇以降と、それ以前で、異なること…

万葉集 や、日本霊異記(にほんりょういき/雄略朝から嵯峨朝に至る因果応報説話。日本最古の仏教説話

集。3巻。)冒頭に、その名が、掲げられていることから…

雄略天皇の時代が・・・歴史的な画期(かっき/・・・過去と、新しい時代とを分けること。また、その区切

り。)であった・・・ と、古代の人々が、捉えていたことが、(うかが)えるという事です」



 8月  6日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
         (ネットより画像借用)   第21代/雄略天皇の祖父・・・第16代/仁徳天皇  仁徳天皇・陵/世界遺産 

                     『東錦昼夜競』 より 「仁徳天皇」 (/部分) 楊洲周延 ・ 画 (/明治19年)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(621)

【支折の言葉・・・16/49 】


「はい…」響子が、を見上げた。「歴史的な…画期ですかあ…」

支折が、うなづいた。

「それまでの…」支折が言った。「日本列島は…

各地の有力豪族による連合体でしたが・・・雄略天皇の登場により・・・大王による

専制支配が確立され・・・大王を中心とする・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                               <第21代/雄略天皇>    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(622)

【支折の言葉・・・16/50 】


・・・中央集権体制が始まった・・・ とする…見方もある、という事ですわ」

「その…」響子が言った。「雄略天皇が…

<大悪天皇と呼ばれた…というのは、どういう事なのでしょうか?

万葉集・・・第一巻/・・・最初の歌・・・ は、雄略天皇若い娘ナンパしていて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                第20代/安康天皇(あんこう・てんのう)    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(623)

【支折の言葉・・・16/51 】


優しい天皇の様な、感じなのですが、」

「ええと…」支折が、モニターを流した。「それには…

天皇即位するまでの、経緯がある様ですね…

<同母兄・・・第20代/安康天皇(あんこう・てんのう/母は・・・忍坂大中姫 (おしさかの・おおなかつ・ひめ

、 第19代/允恭天皇(いんぎょう・てんのう)の皇后。木梨軽皇子(/允恭天皇の皇太子) 、第20代/安康天皇 、第21

代/雄略天皇、の実母。また彼女は、第15代/応神天皇が、祖父にあたる。)(/暗殺された)に…

<第21代/雄略天皇> は…

兄弟や、従兄(じゅうけい/父または母の兄弟姉妹の子、すなわち父母のおい、自分のいとこで、自分より年上の男性)

といった、帝位継承邪魔となる存在を、殺しつくして、即位した様です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                 第22代/清寧天皇(せいねい・てんのう)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(624)

【支折の言葉・・・16/52 】


日本書紀 によれば…

<安康天皇は・・・暗殺されたと明確に記された・・・最初の天皇・・・> という事です。

ええ…

雄略天皇は、この時誅殺(ちゅうさつ/罪をとがめて殺すこと)した…

葛城円大臣(かつらぎの・つぶら・おおおみ/・・・古事記 日本書紀 にみえる豪族で、葛城玉田の子。

日本書紀』 によれば・・・第17代/履中天皇 (りちゅう・てんのう) の時代に政務をとった、とされます。安康天皇を殺害し

た眉輪 (まよわ) 王を邸内にかくまったために、安康天皇の弟/大泊瀬皇子(後の雄略天皇) に攻められ、娘の韓媛 (から

ひめ) と、宅七区 (いえななところ) を献上しましたが、許されず、眉輪王らと共に焼き殺された、とされます。)

…の娘/葛城韓媛(かつらぎの・からひめ)とし、<白髪皇子/・・・第22代/清寧天皇

せいねいてんのう) を、得ています。



 8月  7日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                            第21代/雄略天皇の祖父・・・第16代/仁徳天皇  (ネットより画像借用)  

                             『東錦昼夜競』 より 「仁徳天皇」     楊洲周延 ・ 画 (/明治19年)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(625)

【支折の言葉・・・16/53 】


また…

吉備上道臣田狭(きびの・かみつみちの・おみ・たさ/・・・日本古代/5世紀後半の吉備上道の豪族)から、

吉備稚媛(きびの・わかひめ)を奪ってとし、磐城皇子(いわきの・みこ)星川稚宮皇子(ほしかわの

・わかみやの・みこ)を得ています。

ちなみに…

雄略天皇皇后は、第16代・仁徳天皇・・・皇女/草香幡梭姫皇女(くさかの・はたび

ひめの・ひめみこ/・・・大草香皇子の同母妹)です。

血縁上は、伯母にあたるわけですが、年齢差からか、には子はないという事です…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
            小倉百人一首・・・1番/天智天皇(てんじ・てんのう) <ジャンプ!>   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(626)

【支折の言葉・・・16/54 】


「うーん…」響子が、を振った。「ずいぶんと、乱暴な話ですね…

でも、彼の暴力智略を、誰も止める事はできなかった、わけですね。

これは、<大化の改新(/乙巳の変に始まる、一連の国政改革) を行った、<中大兄皇子(なかの

・おおえの・おうじ)・・・後の、第38代/天智天皇> を、彷彿とさせますね。

中大兄皇子(なかの・おおえの・おうじ)は…

<乙巳の変(いっしのへん/飛鳥時代の645年・・・中大兄皇子・中臣鎌足らが、蘇我入鹿を宮中にて暗殺して蘇我氏

(/蘇我宗家)を滅ぼした政変。 )で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                 第34代/舒明天皇(じょめい・てんのう)   (ネットより画像借用)

                      <舒明天皇の、香具山に登りて望国したまひし時の御製歌 ・・・万葉集/巻1(2)>

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(627)

【支折の言葉・・・16/55 】


<中臣鎌足・・・後に藤原姓を賜り・・・藤原鎌足/藤原氏の祖> と共に、蘇我入鹿

暗殺し、朝廷での実力者となった中大兄皇子は、<第36代/孝徳天皇(こうとく・てんのう

/皇極天皇の弟。皇子に有間皇子がいますが、皇位継承権があり、罪を着せられて絞首刑に処されます。) を立て

て、自分皇太子に収まっていますよね。

もともと、事件後

<第35代/皇極天皇(こうぎょくてんのう/舒明天皇の皇后/宝姫王・・・★ 第37代/斉明天皇と重祚・・・2度

即位、) 退位を受けて…

<第34代/舒明天皇(じょめい・てんのう/先代は、聖徳太子が使えた、第33代/女帝・推古天皇。・・・

第1皇子/中大兄皇子の異母兄・・・古人皇子/古人大兄皇子(ふるひとの・おおえの・みこ/

舒明天皇の第1皇子。母は蘇我馬子の娘/蘇我法提郎女 (そがの・ほほての・いらつめ) で、大臣・蘇我入鹿とは従兄弟

に当たる。 )・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              <乙巳の変(いっしのへん             (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(628)

【支折の言葉・・・16/56 】


・・・蘇我蝦夷(そがの・えみし/父は、蘇我馬子)・蘇我入鹿(そがの・いるか/父は、蘇我蝦夷)が、後ろ盾

・・・> は、皇位に即く事を勧められましたが、蘇我氏討たれた事もあり、それを断って

出家し、吉野へ隠退しています。吉野は、後に、大海人皇子都落ちして行く所です。

でも、吉野隠退しても…

やはり、皇位継承邪魔であり…

同年9月12日吉備笠垂(きびの・かさのしだる)から、<古人大兄皇子が・・・謀反(むほん)

企てている> との…


 8月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
有間皇子  ★ 家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕 旅にしあれば 椎(しい)の葉に盛る  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(629)

【支折の言葉・・・16/57 】


密告を受け、中大兄皇子攻め殺させた、とされていますが…陰謀臭いがしますよ

ね。

さらに…

この時、即位した、

<第36代/孝徳天皇の・・・皇子/有間皇子(ありまの・みこ) も…

中大兄皇子皇位継承邪魔であり、後に、<天皇への・・・謀反計画が発覚した>

して、藤白坂(和歌山県海南市/・・・熊野古道の難所)で、処刑/絞首刑にされています。

ええと、この時は…

孝徳天皇失意の中で崩御していて、<第37代/斉明天皇(/皇極天皇の重祚(ちょうそ)・・・

中大兄皇子の母親の、2度目の即位) が、即位しているわけですね。

むろん…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                                        (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(630)

【支折の言葉・・・16/58 】


今となっては、

謀反の真実は分かりませんが、雄略天皇皇位継承闘争は、中大兄皇子/天智天皇

彷彿とさせる、という事ですわ。

天智天皇は…

さらに、皇太子/太政大臣だった…

実弟右腕だった、大海人皇子(/後の、天武天皇)都落ちさせ、<壬申の乱(じんしんのらん)

に、発展させているわけですね。それから、天武天皇、そして天武天皇皇后/持統天皇

(じとう・てんのう)と、続くわけです…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                            飛鳥宮跡/石敷井戸 (飛鳥浄御原宮期の復元遺構) (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(631)

【支折の言葉・・・16/59 】


「うーん…」支折が、微笑した。「その辺りは、詳しいわけですね…

あ、ええと…

雄略天皇名前ですが…

<記・紀/・・・古事記、日本書紀> での記載を、紹介しておきます。

記・紀については、響子さんの方が詳しいわけですが…

<壬申の乱> の後、<第40代/天武天皇> が、飛鳥浄御原宮(あすかの・きよみはらの・

みや/奈良県明日香村・飛鳥に・・・伝承地)で、編纂開始し、死後完成した事業だったわけです

ね。おかげで、私達は、古代の日本を、詳しく知ることが出来るわけです。


① 大泊瀬幼武天皇
(おおはつせ・わかたけの・すめらみこと)日本書紀和風諡号(わふう・しご

う/諡号・・・貴人・僧侶などに、その死後、生前の行いを尊んで贈る名。贈り名。です。 漢風諡号(かんふう・しごう)

は、☆ 雄略天皇になります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                               <第21代/雄略天皇>    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(632)

【支折の言葉・・・16/60 】


② 大泊瀬天皇 (おおはつせの・すめらみこと) 日本書紀

③ 大泊瀬皇子 (おおはつせの・みこ)日本書紀

④ 大長谷若建命 (おおはつせ・わかたけの・みこと)古事記

⑤ 大長谷王 (おおはつせの・みこ)古事記

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                                  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(633)

【支折の言葉・・・16/61 】


⑥ 大悪天皇(はなはだあしき・すめらみこと) 日本書紀

⑦ 有徳天皇(おむおむしくまします・すめらみこと)日本書紀


<漢風諡号/・・・雄略天皇・・・>
は…

代々の天皇と同様、奈良時代に、<淡海三船(おうみの・みふね/臣籍降下し、淡海真人姓となる。天

智天皇の玄孫。) によって、撰進(せんしん/よりすぐって、天皇などに奉ること)されています。



 8月  9日

  山 の 日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                               古事記             (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(634)

【支折の言葉・・・16/62 】


古事記 では…

即位前雄略天皇に対して、<大長谷王(おお・はつせの・みこ) という表記が、度々(たびたび

見られるという事です。

通常、即位前天皇に、<命(/みこと)称号を用いる 古事記 において、<王(/み

こ)称号が用いられているのは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                        日本書紀            (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(635)

【支折の言葉・・・16/63 】


異例である…という事です」

「ふーん…」響子が、うなづいた。「異例ですかあ…

<記・紀・・・の世界> ですね。支折さんは、記・紀に関して、私が詳しいと言いましたが、

は全く、詳しくはありません。<原文/・・・漢文・・・> を、一瞥(いちべつ/チラッと見ること)

た事があるだけですわ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
古事記
は神話時代の物語が豊富。 日本書紀』 は日本の正史として、年代を追って書く編年体。 (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(636)

【支折の言葉・・・16/64 】


一次資料(/二次資料の収録、もしくは加工の対象となった・・・原資料。)漢文ですから、素人(しろうと)

はなかなか読めません。

古代の人々は…

<大陸渡来の・・・漢文を・・・> 読み書き <漢詩> 親しみ<仏教教典> など

も、漢文で読んでいました。<お経> 読みにくいのは、漢文で書かれているからです。

その漢文が…

島国日本文化の中で、日本独自の、<かな文字・・・かな交じり文・・・> に、変遷して

来たわけですね。日本では、これが、平安時代・前期に行われました。

韓国では…

ハングル(/朝鮮語を表記するための、表音文字)が、登場するのは…

1443年に…李氏/朝鮮第4代・国王世宗大王が…訓民正音公布した時、とさ

れている様ですね。朝鮮半島では、それだけ大陸文化とは不可分に融合していた、という

事でしょうか。

ええ…

日本の、<かな文字・・・かな交じり文・・・> の走りは、平安時代・前期 ~ 中期の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                     中国における、曹洞宗の開祖/洞山良价 (とうざんりょうかい)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(637)

【支折の言葉・・・16/65 】


中流貴族/紀貫之土佐日記 ですね。平安時代・中期には、清少納言枕草子

紫式部源氏物語 などで代表される様に、女流文学花盛りとなって来ますよね。

それから…

拙い(つたない/能力が劣っている)知識では…

<仏教教典> に関しては…漢文正式とされていて…

これは、インド伝来経典を、訳経(やくきょうそう/中国において、サンスクリットの経典を漢訳する僧。

摩羅什(くまらじゅう/・・・中央アジア亀玆 (きじ)国の僧。父はインド人、母は亀玆国王の妹。前秦の亀玆攻略後、長安に迎

えられ、訳経に従事。)や、玄奘三蔵(げんじょう・さんぞう/・・・陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って、経典657

部や、仏像などを持って帰還。以後、翻訳作業で従来の誤りを正し、法相宗の開祖となった。)などが、代表的です。霊仙三

(/平安時代・前期の、法相宗の僧。日本で、唯一の三蔵法師。) のような、日本人の訳経僧もいます。)/三蔵法師

(さんぞうほうし/・・・仏教の、経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶のこと。転じて、訳経僧を指していうようになった。)

…が、漢訳したものですね。

これは、サンスクリット語から漢訳した、二次資料です。

入宋沙門(にっそう・しゃもん/・・・宋に渡った求道者)/日本曹洞宗・開祖(/中国における曹洞宗の開祖は、

洞山良价 (とうざん・りょうかい/・・・【無門関・・・第十五則/洞山三頓】【無門関・・・第十八則/洞山三斤】


  【無門関・・・第十五則/洞山三頓 、第十八則/洞山三斤】

              <ジャンプ>   


 8月  10日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                          道元禅師        (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(638)

【支折の言葉・・・16/66 】


<道元禅師(どうげん・ぜんじ) の…

正法眼蔵 に関しては、<漢字ひらがな交じり> 形式で、起筆されている様ですね。

<道元> は、鎌倉時代・初期禅僧です。

ボス(/岡田)は、この 正法眼蔵中心に、<禅を・・・独学して来た・・・> と、言ってい

ます。と、<原始仏教(/釈迦の在世時代から、直弟子たちの時代までの仏教。各部派に分裂する以前の、初

期の仏教。)だと、いう事ですね。

ええ…

そういう事情もあり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
『山水経/第二十九』 道元筆(仁治元年筆)紙本墨書 押界あり 粘葉装 紙数44枚 朱書の古訓あり 縦23.6㎝ 横14.5㎝ 

                                                              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(639)

【支折の言葉・・・16/67 】


重ねて、言わせてもらいますが…

正法眼蔵/・・・山水経・・・ は、・・・道元直筆(じきひつ)のもの・・・ が、残っている

そうです。それは、・・・漢字ひらがな交じり・・・ だ、という事です。

ちなみに…

この 山水経 は、七十五巻本 正法眼蔵 の、第二十九にあたり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
『山水経/第二十九』 道元筆(仁治元年筆)紙本墨書 押界あり 粘葉装 紙数44枚 朱書の古訓あり 縦23.6㎝ 横14.5㎝ 

                                                              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(640)

【支折の言葉・・・16/68 】


奥書(おくがき/巻物や書物の最終行の次に書かれた記事。

古来、用紙の右端を端(はし)、左端を奥(おく) と呼んだことから生れた呼称。これに対し、書出しの部分を端作り、右端の

余白に書かれた記事を、端書(はしがき)などと呼ぶ。

書物などの奥書は、その伝来や書写の由来、年月などを記すのを例とし、書物の史料的価値を定めるのに、役立ちます。)

に…

<爾時仁治元年庚子十月十八日子時、在観音導利興聖寶林寺示衆(/これは、漢文)

とあるから…

<道元> が…

1223年(貞応2年)入宋(にっそう/留学生、使節などが中国/宋に行くこと。)

1227年(安貞元年)帰朝

その13年後に…京都深草/興聖寺(こうしょうじ/京都府宇治市にある曹洞宗の寺院。日本曹洞宗最初の寺

院。道元が、興聖宝林寺を建立したことに始まる。)で、書かれたことが分かる、と言われています。

くり返しますが、1223年

<道元> が、師/明全(みょうぜん/・・・日本における臨済宗の開祖/建仁寺の開山の、栄西に師事。)と共

入宋したのが、24歳の時です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                     
                   天童如浄(てんどう・にょじょう)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(641)

【支折の言葉・・・16/69 】


そして…

<中国における師/天童如浄(てんどう・にょじょう)・・・天童山/景徳寺(/中国・浙江省東部にあ

る太白山中の一峰。栄西や道元も、ここで修行。明全はここで遷化。)/第31世住職・・・> の下で…

<身心脱落( 仏教語: 身心の本来の姿にたちもどること・・・正法眼蔵/弁道話・・・さらに焼香・礼拝・念仏・修

懺・看経をもちゐず、ただし打坐して、身心脱落することを得よ・・・ ・・・覚醒/悟りに到達すること>

<道元> は…

を求めて…

<4年間・・・中国を彷徨(ほうこう)・・・> していますが、如浄天童山住職に就いたと

聞き、また天童山に戻って、正師/如浄を得ています。

そして、28歳の時

一緒入宋し、天童山/了然寮遷化(せんげ/高僧、隠者などが死ぬこと。)した、師/明全

を抱いて…


 8月  11日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
              
  孤雲懐奘 こうん・えじょう)/日本曹洞宗の第2祖、永平寺の第2世   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(642)

【支折の言葉・・・16/70 】


帰朝しています。

帰朝後

しばらくは、出発した <栄西ゆかりの・・・京都/建仁寺> に入りますが、その後、<京

都深草に・・・興聖寺> を開いて、<懐奘(孤雲懐奘/こうん・えじょう/日本曹洞宗の第2祖、永平寺の第

2世/・・・道元の著作 正法眼蔵 の、ほぼすべてを整理・筆写し、現在残されている同書は、すべて懐奘写本を底本とし

ています。また、道元が日ごろ大衆に語った法語をまとめた、 正法眼蔵随聞記 を著しています。) が、弟子入

る事を許しています。

あ、弟子入許したのは、実際にはももう少し早く…

建仁寺を出て独立し、この辺りを結んだ時ですね。建仁寺で、道元論破された懐奘

は、すぐに弟子入を申し込んだ様です。でも帰朝して、まだ建仁寺に身を寄せている身分

では、弟子を取る事ははばかられました。ちなみに懐奘は、道元よりも2歳年上です。

ええ…

ともかく、この若い頃に…

正法眼蔵/・・・山水経・・・ が、書かれたわけですね。帰国した道元が、最も充実して

いた頃…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                     
         比叡山/延暦寺・・・裹頭(かとう)つけた僧兵   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(643)

【支折の言葉・・・16/71 】


…かも知れませんね。それが 山水経 に、現れている様に思います。はこの 山水

好きで、何度も何度も、くり返し読んでいます。

でも…

道元言動や、新しく提唱する禅は、<比叡山/延暦寺からの・・・弾圧(/そして、また、

応仁の乱> などによって、荒廃。) を、受ける様になります。

元々、道元は、13歳の時に比叡山に入りますが、その修学中に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                          道元禅師        (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(644)

【支折の言葉・・・16/72 】


<人は、本来、仏性(ぶっしょう/衆生が持つ仏としての本質、仏になるための原因。主に 涅槃経(ねはんきょう)

で説かれる、大乗仏教の独特の教理。)を具えているのに・・・

何故(なにゆえ)に、三世の諸仏は、発心(ほっしん)して、悟りを求めたのか・・・

という疑問をおこし・・・

これを山内外の学匠(がくしょう/学問にすぐれていること。また、その人。)に尋ねたが、いずれにも、

満足な解答を得ず・・・>

ついに…

18歳の時比叡山を下り、栄西の開いた建仁寺を投じた、という事がありました…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                   
    興聖寺 (こうしょうじ) 京都府宇治市/・・・曹洞宗の寺院   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(645)

【支折の言葉・・・16/73 】


「うーん…」支折が言った。「そんな事が、あったわけですかあ…」

「はい…」響子が言った。「妥協しない、純粋求道心があった様です…

ええと…

道元は、京都/公卿の、久我家(こがけ/村上源氏(中院流)の総本家)に生まれています。久我家

は、村上源氏(/第62代村上天皇の皇子を祖とする、源氏氏族。賜姓皇族の1つ。)ですね。そうした、因縁

もある地ですが、禅宗に関しては、京都/東山区の…



 8月  12日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              <東福寺・・・臨済宗・東福寺派の大本山・・・>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(646)

【支折の言葉・・・16/74 】


<東福寺・・・臨済宗・東福寺派の大本山・・・> 進出もあり、道元の言動や、<日

本曹洞宗を・・・創出・・・> するほどの、宗派的対立もあったのでしょうか。

ただ、現在勢力版図(はんと/領土、勢力範囲)とは、千年近く経過しているわけで、当然、

異なっていますが。

うーん…

入宋先輩格で、共に天童山修行した関係の…

<日本臨済宗の開祖・・・京都/建仁寺の開山の・・・栄西・・・> とは、立場を違えて

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                               曹洞宗大本山の永平寺              (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(647)

【支折の言葉・・・16/75 】


<道元は・・・永平寺の開山・・・日本曹洞宗の開祖・・・> に、なって行きますよね。

ふーん…

道元に、その気がなくとも、曹洞宗という事ですよね…

<正師/天童如浄> は、<曹洞宗開山の・・・洞山良价(とうざん・りょうかい)の流れを継ぐ

・・・曹洞宗の禅僧・・・> です。道元も自然と、曹洞宗という事になりますね。

あ、でも…

如浄は、道元入宋後に、<天童山・景徳寺・・・第31世住職・・・> に、就任したので

すよね。栄西修行した頃は、臨済宗住職だったのでしょうか?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
  慧可断臂図(えかだんぴず)  初祖/達磨と2祖/慧可との出会 ・・・雪舟筆  <国宝>   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(648)

【支折の言葉・・・16/76 】


この辺りに、日本導入された <禅宗> が、臨済宗曹洞宗に分かれて行く要素が、あ

ったのでしょうか?ええと、研究課題として、調べて置きますわ…」

「そもそも…」支折が、を傾げた。「<禅宗> の中で…

臨済宗洞宗は、どの様に違うのでしょうか? あ、そして <禅宗> は、他の宗派とは、

どの様に違うのでしょうか?」

「うーん…」響子が、腕組みをした。「が、知っているのは <禅宗> だけです…

まず、それを説明して置きましょうか。

<禅宗は・・・初祖/菩提達磨(ぼだい・だるま/ボーディダルマ・・・インドのバラモンの出身の仏教僧)以来

・・・禅/座禅を中心とする・・・宗派・・・> です。

仏教は…

ご存知の様に…

インド北部発祥し…

世界4大文明の発祥地の1つ/インダス文明大地/インド大陸を、席巻しました。その

が、もう1つの、世界4大文明の発祥地の1つ/中国大陸の黄河流域・漢字文明圏に、

伝番して来るわけですね。

当然、仏教は…

インド大地/インド文明の体臭色濃くまとい、伝来してくるわけですが…

<禅宗は・・・その成立過程からして・・・特別な存在の宗派・・・> なのです。そして、

<原始仏教に近い・・・座禅修行を基本・・・> としています。

<禅宗は・・・初祖/菩提達磨によって・・・

漢字文化圏の中で・・・1粒の種から芽吹き、中国の大地で大輪の花を咲かせた・・・

特別な仏教宗派・・・> なのです。<最初から・・・漢字文化圏の中の・・・仏教・・・>

として、育って来たわけです。

ええと…

中国/嵩山・少林寺(すうざん・しょうりんじ)における・・・初祖/菩提達磨の、2祖/慧可

との出会い(/慧可断臂図(えかだんぴず) 無門関・・・第41則/達磨安心<ジャンプ> ・・・

3祖/僧璨(そうさん)・・・4祖/道信・・・5祖/弘忍(ぐにん、こうにん)・・・6祖/慧能(えのう)

と、数々エピソードがつづられ…

覚醒・悟り/・・・真理の、体験的伝承の・・・系譜・・・ が、続いて来たわけです。

そして…

6祖の時代に…

6祖/慧能の・・・南宗禅と、神秀の・・・北宋禅に、分かれて行きました。この出来事

は、次の <禅の・・・公案(/禅宗で、優れた禅者の言行を記して、参禅学道の課題としたもの。) に、なっ

ています。

                    無門関・・・第23則/不思善悪 <ジャンプ>  


ええ…

その南宗禅系統の中から…

<臨在儀玄(りんざい・ぎげん)が・・・臨済宗> を…そして <洞山良价(とうざん・りょうかい)が・・・

曹洞宗> を、興しまています」

「はい…」支折が、うなづいた。「それが、日本伝来して来るわけですね。今回説明は、

ここまでにしておきますか?」

    <詳しくは、こちらへどうぞ・ ジャンプ > 

 

「はい…」響子が、微笑した。「そうですね…

ともかく…

道元は、13歳比叡山に入った時から、純粋探究心を持ち、自分の主張を、曲げない

があった様ですね。そんなわけで…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              <応仁の乱>                     (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(649)

【支折の言葉・・・16/77 】


京都深草興聖寺を開きますが、10年ほどで、旧勢力追い出される事になります。

興聖寺は残しますが…

<檀越(だんおつ/仏教語: 僧のために金品などをほどこす信者。檀那。檀家。檀主。)の・・・波多野義重(はた

の・よししげ/鎌倉時代中期の武将。北条重時の娘を室とし重時の被官として活躍。興聖寺が、比叡山の衆徒から焼き

討ちにあった際には、地頭として所領を持っていた越前国志比荘に招聘し、土地を寄進して、永平寺の建立に貢献しまし

た。)の・・・領地/越前> へ、向かう事を決意ます。

前にも、少し触れましたが…

興聖寺以降荒廃し、約230年後 <応仁の乱(/室町時代の、応仁元年(1467年)に発生。文明

9年(1477年)までの、約11年間にわたって継続した内乱。)で、いっそう荒廃が進んだ様ですね。

ええと…

興聖寺は、江戸時代寛文4年(1664年)に、畿内触頭寺院(ふれがしら・じいん/触頭・・・江戸時

代の寺院統制機構の1つ。 幕府および各藩の寺社奉行の下で、本山および一般寺院の上申下達の仲介を行い、また一定

の統制にあたった寺院をいいます。僧侶身分を、一元的に統制する性格を持ちました。 )となって、復活しています。

そして、延享4年(1747年)には、永平寺末寺(まつじ/本山、本寺に従属する寺)となっています。



 8月  13日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
      
 比叡山/延暦寺・・・裹頭(かとう)つけた僧兵/寺中衆徒・・・ 興聖寺を焼き討ちした。 (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(650)

【支折の言葉・・・16/78 】


「ふーん…」支折が言った。「そして…

雪深い越前の地で、<永平寺の・・・開山(かいざん/・・・(山を開いて寺を建てたところから)・・・ 初めて、あ

る寺を建てること。また、その寺をはじめて開いた僧。開基。あるいは、各宗派の開祖のこと。)に、動くわけですか

…」

「そうです…」響子が、コクリとうなづいた。「比叡山の、弾圧もあましたが…

正師/天童如浄言葉

・・・真実の仏法を挙揚(きょよう/高める)するために・・・深山幽谷(しんざん・ゆうこく/奥深い山

と、奥深いしずかな谷)に居せよ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                          道元禅師        (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(651)

【支折の言葉・・・16/79 】


…に従ったとも、言えるのだ、そうです。

“正師/如浄の・・・言われた通りだった・・・” という思いは、道元も、くり返し思ったのでは

ないでしょうか。

あるいは…

僭越(せんえつ/ 自分の身分や資格をこえて、出過ぎたことをすること。また、そのさま。)な事ですが…

師/如浄の方が、見抜いていて…

“道元の・・・妥協することの無い純粋性/一徹な性格から・・・  

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
『慕帰絵詞 (ぼきえことば/西本願寺3世の覚如上人の伝記を叙した・・・南北朝時代の絵巻。)』 (西本願寺所蔵) より・・・

          寺院での調理風景・・・囲炉裏に鍋がかけられ、右奥には膳が用意されています。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(652)

【支折の言葉・・・16/80 】


・・・必ず、旧勢力と激突する・・・” と、分かっていたのかも知れません…」

「うーん、はい…」支折が、深くうなづいた。「自分も、それを体験していたのかも、知れませ

んね、」

「鋭い…」響子が、微笑して言った。「指摘ですわ、」

「ええ…」支折が、に…

 

   『慕帰絵詞 (ぼきえことば/ 西本願寺3世の覚如上人の伝記を叙した南北朝時代の絵巻。)』 (西本願寺所蔵) より…

                            ある僧房の庭で、僧と稚児が弓矢の訓練をしている。   (ネットより画像借用)


岡田健吉‏@zu5kokd1   
古事記
は神話時代の物語が豊富。日本書紀 は日本の正史として、年代を追って書く編年体。 (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(653)

【支折の言葉・・・16/81 】


を当てた。「を戻しますが…

<記・紀・・・古事記、日本書紀・・・> は…

漢文であり、それは現代では、研究者領域だという事ですね。1次資料で、なかなか読み

こなせないと、」

「そうですね…」響子が、を振った。「本来は、そんな資料ではなかったはずです。

当時の人は、漢文スラスラ読み漢詩嗜み(たしなみ)、…



 8月  14日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                        伝教大師/最澄(さいちょう)  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(654)

【支折の言葉・・・16/82 】


…その素養を持って、入唐(にっとう/日本から僧や使節などが、中国/唐に行くこと)入宋(にっそう/日本

から僧や使節などが、中国/宋に行くこと)も、比較的容易だったはずです。

でも…

資料を読むと、平安時代・初期に…

<最澄/・・・伝教大師> と、<空海/・・・弘法大師> は、遣唐使船一緒入唐

ていますが…

空海の方が、中国語ペラペラで、また、達筆なのに対し、最澄の方は、中国語には不自

もあった様です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                        弘法大師/空海          (ネットより画像借用)

 

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(655)

【支折の言葉・・・16/83 】


また、最澄

<唐の首都・・・内陸の長安・・・> までは行かずに…

滞在期間も短く、早々に帰朝しています。天才肌空海に対し、最澄実務肌で、浙江省

東部天台山(/・・・天台宗は、天台山において、智顗(ちぎ)禅師が創始した、教学と修行を奉ずる・・・中国・日本仏

教を通じて、代表的宗派。)で、入宋目的を達成して、サッサと帰国した様です。

あ、でも…

これは後の…

歴史的時間経過での評価ですが、<最澄の開山した・・・比叡山/延暦寺/・・・天台

宗> の方が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                    浄土宗の開祖/法然・・・法然房源空   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(656)

【支折の言葉・・・16/84 】


数々の名僧を、次々と世に輩出しています。

鎌倉時代の…

<浄土宗の/・・・法然>  <臨済宗の/・・・栄西> <曹洞宗の/・・・道元> <

日蓮宗の/・・・日蓮> をはじめとして…多くの名僧比叡山で学び…また、そこを飛び

出したりしています。

ええと…つまり…

天才肌空海は、一代で…

<高野山/金剛峯寺/・・・真言密教> の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                        日蓮宗の開祖          (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(657)

【支折の言葉・・・16/85 】


体系完成させてしまい、そこには、<宗教としての・・・遊び/ユトリの領域・・・独自

に考えるの未開の領域・・・> が、無かったとも、評されています。

一方…

<比叡山/延暦寺/・・・天台宗> の方は…

全体未完成だったがゆえに、修行僧勝手なコを言い、考えて、<法然・道元・日蓮

などに・・・に代表される> 様に、<天台教学/・・・比叡山のワク・・・> を飛び出して、

新しい宗派創出したり…



 8月 15日

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(658)

【支折の言葉・・・16/86 】


…とも言われます」

「ふーん…」支折が、うなづいた。「そういうものですか…」

「あ…」響子が言った。「ええと…

ともかく…

古代の人々が、漢文スラスラと読めるという事は、それだけで、大筋の意味が通じるわ

けですわ。漢字発音は、日本語とは異なりますが。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                               遣唐使船                       (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(659)

【支折の言葉・・・16/87 】


漢字は、象形文字(/ものの形を、かたどって描かれた文字からなる文字体系で、絵文字からの発展によって生まれ

たと考えられています。)/表意文字(/「意味」を、形 (/絵) に置き換えて表した文字 (象形文字、指事文字など)

集まり )ですから、意味同じか、似ていますよね。

現在私達は…

漢字は読めても、日本の古典/漢文が読めませんわ。また、中国語発音別の世界

すね。入唐の時代入宋の時代よりも、日本人には、中国語一段と遠くなっているので

はないでしょうか。

逆に言えば…

漢文漢詩を読んでいた時代には、中国語もそれなりに、近かったと思います。漢文も読

めず、中国語も話せない、が言うわけですが…」

支折が、モニターに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              第21代/雄略天皇                  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(660)

【支折の言葉・・・16/88 】


を移しながら、うなづいた。

「ええ…」支折が、を当てた。「またまた、を大きく戻しましょうか…

ええと…

<第21代/雄略天皇> について…

様々な呼名を、紹介したところで、何故<・・・大悪天皇(はなはだ・あしき・てんのう)・・・> など

と、正史/日本書紀 において、呼ばれていたのでしょうか?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                         大泊瀬幼武皇子 (おお・はつせ・わかたけの・みこ)・・・ 第21代/雄略天皇・・・ 

              白髪皇子(しらかの・みこ)・・・第22代/清寧天皇(せいねい・てんのう)・・・ (ネットより画像借用)  

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(661)

【支折の言葉・・・16/89 】


そこで、まず、即位前雄略天皇について考察してみましょう。

ええと…

允恭天皇(いんぎょう・てんのう)7年12月

まだ元号が無く、この様に記されている様ですね…

ええ、後に、<雄略天皇と呼ばれる・・・大泊瀬皇子(おお・はつせの・みこ) は…

<第19代/允恭天皇(いんぎょう・てんのう) と、その皇后/忍坂大中姫(おしさかの・おおなかつ・

ひめ)の間に生まれました。誕生の際には、神々しい光が、宮殿に満ちたといいます。

この皇子は…


 8月  16日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(662)

【支折の言葉・・・16/90 】


人並み外れて逞しく成長しましたが、同時乱暴でもあった様です。

允恭天皇(いんぎょう・てんのう)崩御に応じて…

来朝した朝鮮半島/新羅(しらぎ)弔使(ちょうし/死者をとむらうためにつかわされる使者)に、誤解から

拷問(ごうもん)を加えてしまい、後々まで続く禍根を作ったといいます。

そして、また…

その常に暴強たる有様は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
           第18代/反正天皇 (はんぜい・てんのう/・・・仁徳天皇の皇子。允恭天皇の兄。) (ネットより画像借用)  

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(663)

【支折の言葉・・・16/91 】


従姉妹にあたる、<第18代/反正天皇(はんぜい・てんのう/仁徳天皇の皇子。允恭天皇の兄。)

の、皇女たちへの求婚は…

<・・・朝に皇子と会った者は、夕方に殺され・・・

夕方に会った者は、朝に殺されると聞きます。顔も性格も良くない自分達に、皇子の

妻は務まりません・・・>

…と、拒絶されるほどだった、という事です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
  草香幡梭姫皇女 くさかの・はたびひめの・ひめみこ/・・・雄略天皇の皇后) (/かなさま制作)・・・(ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(664)

【支折の言葉・・・16/92 】


これを憂えた…

兄/<第20代/安康天皇・・・日本書紀 での名は・・・穴穂天皇・・・> は…

叔父大草香皇子(おお・くさかの・みこ/仁徳天皇の皇子。允恭天皇の弟。)に、その妹、すなわち天皇

叔母にあたる、<草香幡梭姫皇女(くさかの・はたびひめの・ひめみこ/父は、仁徳天皇)・・・大泊

瀬皇子の妃に差し出すよう>命じました。

大草香皇子病床にあり、妹の将来が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                            第21代/雄略天皇の祖父・・・第16代/仁徳天皇  (ネットより画像借用)  

                             『東錦昼夜競』 より 「仁徳天皇」     楊洲周延 ・ 画 (/明治19年)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(665)

【支折の言葉・・・16/93 】


心配だったため、妹の身分保証する婚姻を、喜んで受け入れました。

しかし…

仲介役根臣(ねの・おみ/日本書紀 では、根使主(ねの・おみ)・・・坂本臣の祖、)が…

大草香皇子 <・・・お受けする・・・> との返答に付けた、押木玉鬘(おしきの・たまかつら/

・・・古典に見られる頭飾。 金銅冠とも、)を、横取りするため、天皇に…



 8月  17日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                               第20代/安康天皇(あんこう・てんのう)    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(666)

【支折の言葉・・・16/94 】


<・・・大草香皇子(おお・くさかの・みこ)は、拒否した・・・> と、讒言(ざんげん/事実を曲げたり、あ

りもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと。)をしました。

これに、激怒した安康天皇は…

大草香皇子殺害し、その妃/中蒂姫命(なかし・ひめの・みこと/・・・古事記』 には、長田大郞女(ながた

の・おおいらつめ)とある。)を奪って、自分の皇后とした、という事です。

安康天皇3年8月9日

安康天皇(/日本書紀』 では…穴穂天皇)は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
   眉輪王(まよわの・おおきみ)・・・背景は、眉輪王の運命を狂わせた 「押木の玉鬘」 のイメージ  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(667)

【支折の言葉・・・16/95 】


皇后連れ子/眉輪王(まよわの・おおきみ/・・・古事記』 では、目弱王と表記され、7歳とある。)により、

父の敵として暗殺されました。

事件を知った大泊瀬皇子は、動きの鈍い兄達非難し、まず、八釣白彦皇子(やつりの・しろ

ひこの・みこ/・・・允恭天皇の第4皇子。母は忍坂大中姫。同母兄弟に・・・木梨軽皇子・安康天皇・坂合黒彦皇子・雄略

天皇がいる。)斬殺し、次いで、坂合黒彦皇子(さかいの・くろひこの・みこ/・・・同じく、允恭天皇の皇子。)

眉輪王をも、殺そうとしました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
           履中天皇皇子/・・・磐坂市辺押磐皇子墓・・・  /滋賀県東近江市市辺町   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(668)

【支折の言葉・・・16/96 】


2人は、葛城氏(かつらぎうじ/大和葛城地方(現在の奈良県御所市・葛城市)に、本拠を置いていた、有力な古代在

地豪族。武内宿禰(たけうちのすくね)の後裔とされる。)円大臣(つぶらの・おおおみ)の邸に逃げ込みました

が、大泊瀬皇子3人共焼き殺してしまいました。

安康天皇は…

皇太子指名することなく、崩御しています。でも、従兄弟市辺押磐皇子(いちのへの・おしは

の・みこ/・・・第17代/履中天皇(りちゅう・てんのう)の第1皇子。)を、皇位継承者に立てる腹積もりであっ

たとされます。履中天皇父親は、大阪府/堺市巨大な前方後円墳で有名な、第16代

/仁徳天皇ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                               
第23代/顕宗天皇(けんぞう・てんのう)    (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(669)

【支折の言葉・・・16/97 】


でも、大泊瀬皇子は…

その市辺押磐皇子(いちのへの・おしはの・みこ)と、その弟/御馬皇子(みまの・みこ)を、狩りに連れ

出して謀殺してしまいました。市辺押磐皇子子らは、播磨(はりま/兵庫県の地名・・・播磨国)

逃走して潜伏し、後に、第24代/仁賢天皇(にんけん・てんのう)・第23代/顕宗天皇

けんぞう・てんのう) と、なっています。

ええ…

ともかく…

兄/安康天皇崩御以来混乱に乗じて…



 8月  18日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
  草香幡梭姫皇女 くさかの・はたびひめの・ひめみこ/・・・雄略天皇の皇后) (/かなさま制作)・・・(ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(670)

【支折の言葉・・・16/98 】


即位障害となる近親者を一掃した大泊瀬皇子(おお・はつせの・みこ)は、ついに11月に、

帝位につきました。

雄略天皇の…

即位元年/3月

<叔母にあたる・・・前述の、草香幡梭姫皇女くさかの・はたびひめの・ひめみこを・・・立后(りっこ

う/天皇が結婚して、皇后を正式に定めること)・・・> します。

年齢差からか、2人の間はありませんでしたが、皇后暴走しがちな雄略天皇を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                    Windows 95/発売・・・東京・秋葉原   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(671)

【支折の言葉・・・16/99 】


…うまく制御した様です」

「ええと…」響子が、を立てた。「万葉集最初の歌

<雄略天皇の・・・御製歌(ぎょせいか/御製・・・とは、天皇や皇族が手ずから書いたり作ったりした、文章(政令

の類は除く)・詩歌・絵画など。)ですが、編集した 万葉集 では、リンク不具合から、う

まく表示できない様ですね。

うーん…

当時は、<Windows 95/パソコンOS(/Operating System)発売され…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
                                         < 万葉集へ・・・ジャンプ >  

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(672)

【支折の言葉・・・16/100 】


インターネット時代が開闢(かいびゃく)した初期でした。もまた、あらゆることに未熟であ

り、混乱していた時期です。そういうわけで、改めて、ここに転載して置きます。

あ、ここは、Twitter の中ではし、《HomePage/人間原理空間》 の中で、処理

します」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         
                                         < 万葉集へ・・・ジャンプ >  

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(673)

【支折の言葉・・・16/101 】


「はい…」支折が、うなづいた。「お願いします…」

「あ、ええと…」響子が言った。「ここも、支折さん担当していますね…

ほほ、懐かしいですね。それじゃあ、親和性が高いので、万葉集説明するために、

々長めに、転載しましょうか、」

「はい…」支折が、顔を和(なご)ませ、強くうなづいた。


    <万葉集の巻頭を飾る、雄略天皇の御製歌・・・ 巻1-(1) /長歌> 

*************************************************************


                

(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち 

       この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(なの)らさね 

   そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(お)れ 

          しきなべて われこそ座(ま)せ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも

 

現代語訳・・・大意

(かご)よ 美しい籠を持ち 掘串(ふくし: ヘラのような農耕具)もよ 美しい掘串を手に持ち 

     この丘で菜を摘む乙女よ 君はどこの家の娘なの? 名はなんと言うの? 

         この、そらみつ大和の国は、すべて僕が治めているんだよ

              僕こそ名乗ろう 家柄も名も...

掘串(ふくし)ヘラのような古い農耕具のようです...

  との合成語ですね。は、おダンゴの竹串などにも使いましから、のよう

なものでしょうか。つまり掘串とは、掘るための棒のような道具なのでしょうか。

  日本列島では石器時代から、この掘串をつけたり、竹ヘラのような物にしたりし

たようです。そして、耕作地に合わせてを重ね、(スキ)(くわ)を作りだしたのだそう

です。

  それから、この歌は長歌ですよね。長歌とは...5、7、5、7、5、7...と続けていき、最

後を...7、7...で締(し)める歌です。でもこの御製歌は、純粋な長歌形式ではなく、かな

変則的だそうです...ふーん...そうですか...

 

  ともかく、この長歌が、『万葉集』巻頭を飾る、雄略天皇御製歌です天皇が野原で

を摘む娘を、ナンパしている歌ですよね。さかんに、掘串などの持ち物をめています。

  直接...可愛いね、とか言わない所が...のどかで、奥ゆかしい風景ですね。でも最後

は、押しよく...自分自身の自慢をしています...うーん...こんな風に...天皇ナンパ

されたら、どうしたらいいのでしょうか...?

 

  でも...歌の本意は...大和国原(やまとくにはら)が、あまねく天皇の統治する平和な

であれ...との願いを込めた大御歌(おおみうた)のようです。大和朝廷がようやく安定し、

これから日本国スタートして行くわけですね。だから、『万葉集』巻頭に取り上げたのだ

と思います

 

  『万葉集』編纂がはじまったのは、持統天皇御在位は・・・690年~697年)の頃だということ

ですが、ともかく、巻頭からこんなナンパめいた歌とは、『万葉集』全体の、おおらかな気風

感じさせます。また、その歴史を超えた、力量をも感じさせますよね...」

<・・・歌碑・・・

「この、『万葉集』/第一声の丘は...現在はどのあたりになるのでしょうか。それを、ちょっ

と調べてみました。

  うーん...それによると...泊瀬朝倉宮はつせあさくらみや長谷朝倉宮/初瀬朝倉宮とも

呼ぶ)雄略天皇の宮殿は...伝承では...奈良県桜井市/黒崎...もしくは...桜井

市/岩坂ということです。黒崎白山神社境内には、“雄略天皇-泊瀬朝倉宮伝承地”

建立されているそうですよ。 

  ええと...近鉄/大和朝倉駅から、初瀬川を渡って...すぐの脇道を右へ曲がって、

瀬川沿いに歩いていくと...白山神社があるそうです。泊瀬朝倉宮は、この白山神社から

本付近までの段丘地にあった、推測されています。

  白山神社の境内には...“萬葉集發燿鑚仰碑”(まんようしゅうはつようさんぎょうひ)と...この

歌碑”があるそうですよ...」

***********************************************************         

                                

  響子が、モニターを読んでいた...支折が、ベランダから入って来るコッコちゃんを

見ていた。コッコちゃんは、真っ直ぐ弥生の所へ戻った。すると、弥生が盆を持って立

ち上がり、支折の方に片手を上げた。

「あ...ごちそうさま!」マチコが、手を振った。

  弥生が強く微笑し、手を振り返した。弥生とコッコちゃんは、ハイパー・リンク・ゲート

へ行き、来た時と同じように、“クラブ・須弥山”の方に抜けて行った。

全ての日本人の・・・遠い先祖たちの・・・心の歌   
                          

「ええ...」響子が、モニターから顔を上げ、微笑した。「マチコさん...ありがとうござ

います...」

  マチコが、うなづいた。

万葉集の...」響子が言った。「巻頭の歌というのは...

  “第21代/雄略天皇”の...ナンパ(軟派: 女性と交際したり...服装に気を使ったりすることを好む

態度)の歌...ということですね。“万葉の時代(7世紀後半~8世紀後半の頃)の、“のどかさ”

“おおらかさ”、を感じさせますね...

  ちなみに...日本の人口は、1説では...縄文時代は・・・10万人~26万人

弥生時代には・・・60万人...万葉の・・・飛鳥~奈良時代は・・・450万人

推定されています」

「うーん...」マチコが言った。「450万人かあ...」

「あくまでも、推定です...」

「うん...」

農耕/稲作の発達で...

  人口は...縄文/10万人程度から...奈良/450万人程度に...そして、現代

/ピーク時/1億3000万人という...途方もない人口膨れ上がって来ているのが

分かります...

  万葉集は...こうした...“日本人のルーツ(始祖)・・・遠い先祖たちの・・・心

の歌”...ということになります。また、万葉集は、古代から未来社会へ伝えらて来

た...“貴重な・・・民族の心の歌・・・文化遺産”...ということになります...」

「はい...」支折が、唇を引き結んだ。「本当に、そう思います」

  マチコも、コクリとうなづいた。

“天皇家”は...」響子が言った。「日本最も古い家系ですから...

  ともかく...その周辺などから...現在の膨大な人口に...膨れ上がって来たこと

は間違いありません。

  日本においては、“天皇制”支配者/権力者というよりも、ルーツ(始祖)の家系とい

うことですね。そのルーツの系譜の流れの中で、日本は営々と、伝統文化を形成してき

たわけです...」

「うーん...」マチコが、うなづいた。

古典では...」響子が言った。「天皇頻繁に出てきます...

  古代おいては人口も少なく、文字文化の普及の面からも、その周辺のことしか、

記録に残らなかったという事情もあるわけですね。

  でも、万葉集という...日本文学史に残る最初の大編纂(だいへんさん)から...

級役人防人まで編集されているわけですね。当時の、下々への優しい眼差し

が感じられます。

  私は、万葉集については、これまでほとんど接触したことはありませんでした。こ

うした方針というのは、当初編纂を指導したと思われる...“持統天皇(じとうてんのう)

や、柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)の...炯眼(けいがん: 物事をはっきりと見抜く力。鋭い眼力。/慧

眼)なのでしょうか...?」

「うーん...」支折が、口に手を当てた。「そう思います...

  古代においても...“名もなき人々の・・・心への配慮”が...色濃く編纂されている

わけです。それが陰に陽に、長い歴史を通じて...“天皇制”を、今日まで永(なが)らえ

させて来た、のだと思います」

「ともかく...」響子が、体を引いた。「それが...万葉集を、おおらかなものにして

いますね、」

                  

…はい…

ええ…転載はここまでです」

響子が、支折に向かって、微笑した。

「はい…」支折が言った。「ご苦労様です…

本当に、当時懐かしいですね。ほほ、私達も、それだけ若かった事になります。

ええと…

考察を進めます…

次に…雄略天皇の…

<独断・専制(せんせい/・・・上に立つ人が独断で思うままに事を処理すること。) について、考察します。

<大泊瀬幼武大王(おお・はつせ・わかたけの・おおきみ)/・・・第21代・雄略天皇> は…

平群真鳥(へぐりの・まとり)大臣に、大伴室屋(おおともの・むろや)物部目(もののべの・め)大連

おおむらじ/・・・大王(天皇)の補佐として執政を行った)に任じ、有力豪族を、自らの足下屈服させて…



 8月  19日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                                            (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(674)

【支折の言葉・・・16/102 】


大王(おおきみ、だいおう)による、強力な統治確立しようとしました。

皇室外戚(がいせき/皇帝、王の母親または妃の一族。)として…

権勢を振るってきた葛城氏に対しては、すでに触れた様に、族長/円大臣(つぶらの・おおおみ)

を、眉輪王まよわの・おおきみ(かくま)ったかどで、共々焼き殺し、その勢力政権から駆逐

しています。

また…

即位7年に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                                  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(675)

【支折の言葉・・・16/103 】


最大地域豪族であった吉備氏(きびうじ/古代日本の吉備国(/岡山県)の豪族)に対しても…

反乱鎮圧名目を送り(/<吉備氏の乱>吉備下道臣前津屋(きびの・しもつみちの・おみ・さき

つや)や、吉備上道臣田狭(きびの・かみつみちの・おみ・たさ) <反乱> 討伐して、吉備氏

体化をはかっています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
     決死の覚悟で大刀を奮い、朝日郎あさけの・いらつこを倒した、物部目(もののべの・め)。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(676)

【支折の言葉・・・16/104 】


他には…

即位13年8月に…

播磨国(はりまのくに/現在の、兵庫県の西南部を占めた旧国名)の…

文石小麻呂(あやしの・おまろ/・・・力持ちで傍若無人、仮面と獣皮をまとい、道路の通行を妨げ、商人の船を指し止め、

品物を奪い、また国に租税も収めませんでした。

雄略天皇は・・・小野大樹を遣わし100人の兵士を率いさせ、文石小麻呂の家を囲み松明
(たいまつ)で焼かせました。する

と突然、燃える火の中から馬ほどの大きさのある白い犬が飛び出してきました。春日小野臣大樹が、顔色も変えず、これを斬

ると、それが文石小麻呂になった、といいます。)…を討伐した。

即位18年8月に…

伊勢国(いせのくに/三重県の東部にあたる旧国名)の…

朝日郎(あさけの・いらつこ/・・・雄略天皇は、474年8月10日、物部宿禰菟代と物部連目を遣わし、伊勢朝日郎を討た

せました。

朝日郎は、それらの官軍を伊賀の青墓で迎えて戦いました。朝日郎は弓の名手でした。相手に向かって、
<朝日郎の相手

をするのは誰だ> と言い放ちました。

朝日郎の射る矢は、二重に着込んだ鎧すら貫いたので官軍はひるみました。菟代宿禰は進撃することができず、一晩対峙し

ました。明けて翌日、物部目連が自ら大刀を取り、筑紫の物部大斧手に楯を持たせ、大声をあげて突き進みました。遠目で

見ていた朝日郎は矢を放ち、大斧手の盾と二重の鎧を貫き、さらに体にも負傷させましたが、大斧手は楯で死ぬことはなく、

ついに物部連目は朝日郎を捕らえ、斬り殺しました。)…を討伐した。

…という記事が、日本書紀 にあります。

ええ…

考古学的調査からも…

雄略天皇在位していたとみられる、5世紀末頃より、地方豪族首長墓から…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
  大仙古墳/仁徳天皇陵・・・大阪府堺市  <世界文化遺産・・・百舌鳥・古市古墳群・・・>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(677)

【支折の言葉・・・16/105 】


大型前方後円墳(/大阪府・堺市の・・・第16代・仁徳天皇陵が最大)姿を消しているのが、確か

られている、という事です」

「はい…」響子が、バレッタ(/髪留め)をやり、うなづいた。「古墳時代が、終焉(しゅうえん)

に向かうわけですね、」

 

「ええと…」支折が、大きくをつき、姿勢を正した。「雄略天皇時代から、笈の小文

を戻します…



 8月  20日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
    大和葛城山(やまと・かつらぎさん)・金剛山(こんごうさん) |奈良県・大阪府| ダイヤモンドトレールで2つの山をつなぐ  
                                                                                                                                      (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(678)

【支折の言葉・・・16/106 】


うーん…

あ、ここからですね…

ええと…

役行者(えんのぎょうしゃ)が・・・鬼神らに、金峯山(きんぷせん)と葛城山(かつらぎやま)の間に

・・・橋を架けろと命じた時・・・> に…

“役行者が・・・朝廷を・・・傾けようとしている・・・” と、<一言主神(ひとことぬしの・かみ)が・・・

託宣(たくせん/神仏が、人にのりうつったり夢の中に現れたりして、その意志を告げること。)しました。それで、

<一言主神は・・・役行者によって、呪縛(しゅうばく)された・・・>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                              今昔物語集(こんじゃく・ものがたり・しゅう)』   (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(679)

【支折の言葉・・・16/107 】


…という、があります。

この話は…

日本霊異記(にほんりょういき/平安初期の仏教説話集。著者は、奈良/薬師寺の僧で、景戒。上・中・下の三巻。

変則的な漢文で表記されている。)

今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう/平安後期の説話集。1059話(うち本文を欠くもの19話)を、31巻(うち巻

8、18、21は欠) に編成されている。)

…に、見えていて、<一言主神> に対する、人々の意識変遷(へんせん)を、知ることがで

きる、という事ですね。

さあ、ともかく、脱線ばかりしてないで、笈の小文 を読み進めましょうか、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
  ★ 雲雀より 空にやすらふ 峠哉 (芭蕉)  ・・・桜井市と吉野町との境にある、細峠で詠む。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(680)

【原文・・・17/1 】


<三輪(みわ) 多武峰(とうのみね)

臍峠(ほそとうげ) 多武峰ヨリ龍門へ越道也。


★ 雲雀(ひばり)より空にやすらふ峠哉(かな)


<龍門(りゅうもん)


★ 龍門の花や上戸(じょうご)の土産(つと)にせん


★ 酒のみに語らんかゝる滝の花

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                  (芭蕉)        
(ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(681)

【現代語訳・・・17/1 】 


<三輪 多武峰>

細峠は多武峰(とうのみね)より吉野へ越える峠。


★ 雲雀(ひばり)より 空にやすらふ 峠哉(かな)

      峠に登って・・・

            安らいでいると・・・

                 下のほうから・・・

                      雲雀のさえずりが聞こえる・・・

              はるか空の上に来たようで・・・

                    気分がいい・・・


<龍門の滝で>



 8月  21日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                      
李白・・・自然の理法を代表する詩 / 【 一茶庵稽古追想 】  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(682)

【現代語訳・・・17/2 】 


★ 龍門の 花や上戸(じょうご)の 土産(つと)にせん

      中国/龍門の滝と・・・

          同名の吉野/龍門の滝・・・

              そのほとりに花が咲いている・・・

                  この雄大な風景を・・・

                酒飲みへの土産(みやげ)話としよう・・・

             詩仙/李白(りはく/中国の唐の時代の詩人。同時代の詩人に杜甫がいる。)も・・・

         こよなく滝を愛したではないか・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1    
             
竜門の滝・・・ 吉野町山口、竜門岳の山腹にかかる、三段総落差15mの滝  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(683)

【現代語訳・・・17/3 】 


★ 酒のみに 語らんかゝる 滝の花


       酒飲みに・・・

           酒を飲みながら・・・

               語ってやろうぞ・・・

                   龍門の滝の脇に・・・

                花まで咲いている・・・

            素晴らしい景色を・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1 
   葛城山山頂より東方、奈良盆地。 大和三山/ 耳成山・畝傍山・天香具山・・・が見下ろせる   
(ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(684)

【支折の言葉・・・17/1 】


「ええ…」支折が、ゲートから入って来るポン助を、一瞥(いちべつ)した。「まず…

葛城山ですが、大阪府奈良県にあるですよね。大和国名所/歌枕の地ですね。

修験者霊場であり、桜の名所という事ですか。

一度も、行った事がないのが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            
葛城山ロープウェイ        (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(685)

【支折の言葉・・・17/2 】


残念ですわ。芭蕉の様に、そぞろ、旅心に誘われて、訪れて見たいですね。現代風に、

自動車バス通過し、食堂名物を食べるなんて、観光旅行ではなくて。でも、結局は、

そうなってしまうのかしら。

あ、そういえば…

<一言主の神> は…

<役行者(えんのぎょうしゃ)命令で、葛城山金峰山岩橋を掛けたとされますが…



 8月 22日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                                           (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(686)

【支折の言葉・・・17/3 】 


顔が醜いのを恥じ・・・昼は働かずに夜だけ働いた・・・ と言うわけですね。

これは、<一言主神(ひとことぬしの・かみ) が…

“役行者が・・・朝廷を傾けようとしている・・・”と、託宣したために、役行者呪縛(じゅばく/

まじないをかけて動けなくすること。心理的な強制によって、人の自由を束縛すること。)で、“醜くされた” と、言う事

なのでしょうか?

は、最初から醜いと思い込んでいましたが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          
                                       <一言主神>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(687)

【支折の言葉・・・17/4 】 


“呪縛で・・・醜くされた・・・” と、言う事なのでしょうか?」

「うーん…」響子が、小さくうなづいた。「そうですね…

“呪縛で…醜くされる” ような事が、あるのでしょうか。ひとまず、疑問として温めて置きまし

ょうか。その内に、新たな情報が入るか、あるいは、<確信/真実が・・・析出・・・> して

来ますわ」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                                       
(ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(688)

【支折の言葉・・・17/5 】


「ふーん…」支折が、を傾げた。「<真実の・・・析出・・・> ですかあ…

これは、響子さんテクなのですか?」

「あ、そうです…」響子が、笑って、うなづいた。「テクニック1つです…

高杉・塾長真似たものです。ほほ…活用範囲は広いですよ。私は、<地球温暖化の

・・・危機管理対策・・・> などの…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                     
(ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(689)

【支折の言葉・・・17/6 】 


規模大きなものでも、この方法活用しています。

情報科学的には…

AI 優勢分野かも知れませんが、時間経過の中で、<人智を超えた智慧・・・空

/無我からの・・・真実の析出を待つ・・・> のも、1つの方法としています。これは、AI

は、真似の出来ないものですわ。


 8月  23日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                      
(ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(690)

【支折の言葉・・・17/7 】 


未熟者は…

まだ、<仏教的な・・・無我・・・あるいは、空・・・> というものについて、詳しいわけでは

ありません。また、そうした <無意識や・・・潜在意識の背後・・・> に、どの様な時空構

存在するのかも、想像がつきませんわ。

でも…

<人類文明の第3ステージ/意識・情報革命>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              
マイケルソン・モーリーの実験 (1887年)      (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(691)

【支折の言葉・・・17/8 】


…の時代は、着実に近づいています。

かつて…

物理学世界解明は、もはや完成に近づき、“残る問題は・・・1つしか存在しない”、と豪語

された事がありました。その、最後に残った問題というのが、<マイケルソン = モーレー

の実験の問題> …だったかしら。

この宇宙満たしている、<架空の物質/・・・エーテル(/物理学:光の波動説において宇宙に満ち

ていると仮定されるもので、光が波動として伝搬するために必要な媒質を言う。 )

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                 重力波の天球上の座標領域/・・・正確な座標は特定されていない     (/ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(692)

【支折の言葉・・・17/9 】


…の存在証明する実験だったと思います。もちろん、エーテル存在しなかったわけです

ね。

それを、相対性理論解決したわけです。もっとも、現在エーテルよりもはるかに複雑

なり<宇宙定数/・・・ 一般相対性理論の宇宙項> だの、<真空のエネルギー/マ

イナスの重力・・・斥力・・・> だの、<暗黒物質> だのと、はるかに複雑になっています

が。

ともかく…

その、たった1つ残った問題から、アンシュタイン 【相対性理論】 提唱になり、<ニュ

ートン力学/古典力学> 土台が崩れ、物理学全体に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
      <EHTイベント・ホライズン・テレスコープ> で撮影された、銀河M87中心の、巨大ブラックホールシャドウ

           リング状の明るい部分の大きさはおよそ42マイクロ秒角であり、月面に置いた野球のボールを地球から見

           た時の大きさに相当                                 (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(693)

【支折の言葉・・・17/10 】 

 
パラダイムシフトが起こりました。そして今、再び、<たった1つの・・・問題・・・> が、

きな波紋を広げ始めています。

それは…

古くて新しい量子力学当初から存在していた…

量子もつれ・・・非局所性の問題・・・ですわ。アインシュタインが、生涯譲ることのな

かった、“気味の悪い・・・遠隔操作の問題・・・” です。 

特に、最近問題化しているのは…

<ブラックホール> 新たな観測成果/<重力波望遠鏡による・・・重力波の観測/

・・・重力波天文学の始動・・・> と…

<EHT/イベント・ホライズン・テレスコープによる・・・M87銀河中心の・・・



 8月  24日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                  10次元までの世界を段階的に徹底解説        (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(694)

【支折の言葉・・・17/11 】


・・・ブラックホールの撮影> などで…

新たに、物理学における、<局所性の・・・修正問題> が、持ち上がって来ている様です

わ。

【ベルの不等式・・・ベルの定理】(/どのような隠れた変数を用いても、局所性を満たす限り、量子力学の統計

的予言のすべてを、再現することはできない。)により、<数学的にも・・・局所性/局所原因性は・・・

否定されている> と、言われます。

私達/人類が、形成している…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
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《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(695)

【支折の言葉・・・17/12 】 


<ホモ・サピエンスの・・・種の共同意識体/・・・人間原理空間内の人類文明・・・>

では、物事因果律によって、流れている様に見えますわ。私達教育によって、その様

訓練されても、いるわけですが…」

「そうですね…」支折が、スクリーンボードから戻りながら…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
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《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(696)

【支折の言葉・・・17/13 】


…言った。「そこに…

豊かな感情や、ストーリー性芸術的感性育まれて来るのは、確かですわ。つまり、価値

創出です」

「そうですね…」響子が、うなづいた。「うーん…

はい、ええ…

<価値観の・・・かすかな揺らぎ・・・> が、やがて <インフレーション宇宙の・・・原初

の揺らぎ(/原初の量子ゆらぎを起源とする、宇宙のシワ。それが発展し、宇宙が構造化・進化して行く。)・・・>

様に、壮大な文明の構造化と、芸術的価値観感性を、創出している、という事ですね。

確かに…

<数学的に・・・局所原因性が否定・・・> されても、それは数学的世界に止まっていて、

私達実生活の、価値観的ストーリーとは、結びつかない

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                  宇宙の初期時要件は?                 (ネットより画像借用)

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(697)

【支折の言葉・・・17/14 】 


…という事ですね。

うーん…

あ、ともかく…

“局所性の問題”が・・・新たに始まったブラックホールの観測/・・・マルチメッセン

ジャー天文学(/電磁波や、重力波、ニュートリノ、宇宙線などを、協調して観測することで行う天文学。それぞれが異

なる発生メカニズムを持っているために、これらの観測結果を総合することで、発生源の正体に迫ることが可能になる。

マルチメッセンジャー天文学の、対象として想定されるのは、ブラックホール連星や、中性子星連星、超新星爆発、特殊な中

性子星、ガンマ線バースト、活動銀河核および高エネルギージェット、など。)からも、急浮上している様です」

「うーん…」支折が言った。「新たな、局所性問題ですかあ…」

説明すると…」響子が笑った。「また、長くなってしまいますわ、」



 8月  25日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
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《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(698)

【支折の言葉・・・17/15 】 


「そうですね…」支折も、笑った。「<コロナ禍> という事情もあり、私達自由気ままに脱

しています。

それじゃあ…

ごく簡単説明すると、どう言う事なのでしょうか?ともかく、この話をまとめる必要がありま

すわ」

「はい…」響子が、コクリと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
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《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(699)

【支折の言葉・・・17/16 】 


…うなづいた。「分かりました…

それでは…

ごく簡単に、説明しますが、<ブラックホールの・・・ホーキング放射> なども説明しなく

てはなりません。でも、出来るだけ、要点を絞りますわ、」

「お願いします…」支折が言った。「あ、でも、今回脱線常態化

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 wpe73.jpg (32240 バイト)       

 

《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(700)

【支折の言葉・・・17/17 】 


…していますから、そこは適度に…」

「はい…」響子が、笑いを含んで、うなづいた。「ええと…

うーん…

そうですねえ…

やはり、ここは、考え直して

高杉・塾長お願いして、別のページを立ち上げた方が方がいいかしら。塾長も、この論文

は、読んでいるはずですから、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
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《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(701)

【支折の言葉・・・17/18 】 


「あ、はい…」支折が、大きくうなづき、ポン助の方を眺めた。「ポンちゃん休憩にするわ

よ!」

「おう!」ポン助が、コーヒー・セットワゴンの方へ行った。

響子が、モニターをのぞき、高杉・塾長マチコ現在位置検索した。高杉・塾長は、

ークステーション仕事をしていた。マチコの方は、北原和也と一緒にいた。ヘルメットを着

けて、懸垂降下(けんすいこうか/ロープ(ザイル)を使って、高所から下降する方法。)練習をしていた。

 

「ええ…」支折が言った。「そう言うわけで…休憩に入ります…

それとも、響子さん“クラブ・須弥山 に行って、何か食べましょうか?」

「あ、私は…」響子が、片手を上げた。「塾長に、説明しなければなりませんわ…

事情が事情だけに、最初は私も参加した方がいいんじゃないかしら。軌道に乗ったら、マチ

コさんに任せます、」

「そうですね…」支折が言った。「そじゅあ、夕食を一緒に食べましょうか?」

「ええ…」響子が、うなづいた。「任せますわ…」