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トップページNew Page WaveHot SpotMenu最新のアップロード   担当: ボス= 岡田 健吉 

  2017年  2月           

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  水  爆



北朝鮮核軍拡

安倍政権軍拡

 しょせんは、同じ

  <戦争ゴッコ!>

 です!

        アメリカの水爆実験                          Russian Atomic Weapon Museum       
             
マーシャル諸島ビキニ環礁上空/(ネットより画像借用)    ロシア原子兵器博物館/(ネットより画像借用)

                                  史上最大威力/Tsar Bomba (King of Bombs)と呼ばれる水爆

核弾頭更新せず/廃棄!     

      〔4〕 核弾頭の構造・・・水爆/核融合爆弾とは 

                     <核融合爆弾の、構造の概略>  ・・・・・・<ジャンプ>

 

 脱・戦争ゴッコ


 


   


wpeD.jpg (8229 バイト) 

★ 文明の折り返しの時!  脱/成長戦略  人口半減へ

        ★ 阻んでいるのは・・・既得権

  人間の巣のパラダイム   <ジャンプ>  

 
<脱・冷暖房社会へ・・・ポスト・戦後民主主義の器・・・大自然との協調> 

<文明の第3ステージ/意識・情報革命の時代・・・ 極楽浄土のインフラ建設へ>

 

    
 







 2月 28日




岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(257)

一月十七日 (現代語訳・24-6)


…漢詩など吟(ぎん)じているそうだ。舟も出さないで、暇であるので、ある人が詠んだ歌、

     荒波の・・・

           打ち寄せる磯には・・・

                 年月を・・・

              どの時とも区別せず・・・

        雪だけが降る・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(256)

一月十七日 (現代語訳・24-5)


海が荒れているので、舟を出さない。この港は、遠くを見ても、近くを見ても、たいそう趣

がある。このようではあるけれども、何事も思われない。

男どもは、気晴らしであろうか…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(255)

一月十七日 (現代語訳・24-4)


…夜が次第に明けて行く。そして、船頭たちが、


「黒い雲が急に出て来た。風か吹くに違いない。お舟を戻そう」


と言って、舟は帰る。この間に、雨が降り出してしまった。非常につらい。

十八日。依然、同じ港にいる

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(254)

一月十七日 (現代語訳・24-3)


            月に生えていると言われる・・・

                 桂であるらしい・・・


これを聞いて、ある人がまた詠んだ歌、



     水面(みなも)に映る・・・

           月を見ると・・・

        波の底にある空を・・・

              漕ぎ渡る私こそ・・・

                   心細いものだ・・・


このようなことを言っている間に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(253)

一月十七日 (現代語訳・24-2)


     棹はさす・・・

           波の上の月を・・・

        舟は通る・・・

               海の中の空を・・・


とは言ったのだろう。おもしろ半分に聞いただけである。また、ある人が詠んだ歌、



     水底に映る・・・

           月の上を漕いで行く舟の・・・

        棹にさわるのは・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(252)

一月十七日 (現代語訳・24-1)


十七日。曇っていた雲がなくなって、夜明け前の月がたいそう風流なので、舟を出して漕

いで行く。この間に、雲の上も海の底も、同じよう(に月が輝いていたの)であった。なる

ほど、昔の男は、







 2月 27日



 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(251)

一月十七日 (原文・24-8)


十九日。日あしければ、舟出ださず。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(250)

一月十七日 (原文・24-7)


その歌詠める文字三十(みそ)文字あまり七文字、人みな、えあらで笑ふやうなり。歌主い

と気色(けしき)(あ)しくて、怨(えん)ず。まねべどもえまねばず、書けりともえ読み据ゑが

たかるべし。今日だに言ひがたし。まして後にはいかならむ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(249)

一月十七日 (原文・24-6)


この歌どもを、少しよろしと聞きて、舟の長(おさ)しける翁(おきな)、月日ごろの苦しき心や

りに詠める、


★ 立つ浪(なみ)を 雪が花かと 吹く風ぞ よせつつ人を はかるべらなる


この歌どもを、人のなにかといふを、ある人聞きふけりて詠めり

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(248)

一月十七日 (原文・24-5)


舟も出(い)ださで、いたづらなれば、ある人の詠める、


★ 磯(いそ)ふりの よする磯には 年月を いつともわかぬ 雪のみぞふる


この歌は、常にせぬ人のことなり。また人の詠める、


★ 風による 波の磯には 鶯(うぐいす)も 春もえ知らぬ 花のみぞ咲く






 2月 26日






岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(247)

一月十七日 (原文・24-4)


十八日。なほ同じ所にあり。海荒ければ、舟出(い)ださず。この泊、遠く見れども近く見れ

ども、いとおもしろし。かかれども、苦しければ、何ごともおもほえず。

男どちは、心やりにやあらむ、漢詩などいふべし。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(246)

一月十七日 (原文・24-3)


★ 影見れば 波の底なる ひさかたの 空漕ぎわたる われぞわびしき


かくいふ間に、夜やうやく明けゆくに、楫取(かじとり)ら、


「黒き雲にはかに出(い)で来ぬ。風吹きぬべし。御舟かへしてむ」


といひて、舟かへる。この間に雨ふりぬ。いとわびし。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(245)

一月十七日 (原文・24-2)


とはいひけむ。聞きざれに聞けるなり。また、ある人の詠める歌、


★ 水底の 月の上より 漕ぐ舟の 棹(さお)にさはるは 桂(かつら)なるらし


これを聞きて、ある人のまた詠める

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(244)

一月十七日 (原文・24-1)


十七日。くもれる雲なくなりて、あかつき月夜いとおもしろければ、舟を出(い)だして漕ぎ

ゆく。このあひだに、雲の上も海の底も、同じごとくになむありける。むべも昔の男は、


「棹
(さお)は穿(うが)つ、波の上の月を。舟はおそふ、海のうちの空を」













 2月 25日










岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (27)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (18)


…改めて、多角的に、考えてみる必要がありますわ。

また、退位とは別の問題になりますが…

天皇ご一家(かご)の中の鳥のようで、皇太子殿下内親王殿下も、ご結婚が遅れま

した。こうした重大人権問題も、【皇室典範】において、<皇室自体も含めて・・・真

に国民の総意による皇室の形>を、創出して欲しいと思います。

すでに、議論する時間が限られているというのではなく…時間は、未来に向かって、無限

にありますわ」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (26)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (17)


…そこは国体としてもブランクには出来なかったわけです。しかし昭和天皇晩年は、

<日本国憲法/平和憲法>であり、天皇政治的役割実質的になく<摂政>

置くまでもなかった…という事でしょうか、」

「そこで…」茜が、口を開いた。「今上天皇の、<退位のご意志>というものを…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (25)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (16)


晩年には、何故<摂政>置かなかったのかしら?」

「まあ…」青木が言った。「推測ですが…

大正天皇晩年昭和天皇晩年では、その<背負っていたもの>が、まるで違った

という事でしょう。

大正天皇<現人神(あらひとがみ)であり、<帝国陸海軍の統帥権(とうすいけん/大日本

帝国憲法下の日本における、軍隊を指揮監督する最高の権限)持っていて

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (24)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (15)


<摂政>を置きませんでした。ここが、1つのポイントになります。

今上天皇(きんじょうてんのう/現に在位する天皇・・・第125代天皇)は…これらの皇位継承身近に接

て来られ、その上での、<退位の・・・ご意志表明>…だという事です」

「私たちよりも…」マチコが言った。「<はるかに深く・・・全てをご覧になられ・・・お考え

になっての事>…ですよね。

でも、昭和天皇の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (23)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (14)


<摂政>を置く必要があります。

明治以降…

大正天皇晩年御病気だったために、<5年間摂政>を置きました。<昭和天皇が

5年間・・・摂政皇太子>を務めました」

「うーん…」マチコが、うなづいた。「聞いた事があるわよね、」

「しかし…」青木が、手を立てた。「昭和天皇晩年には…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (22)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (13)


今/現在は…」青木が言った。「<平和憲法>の、議会制民主主義国家ですか

ら、<関白>は必要ありません。問題<摂政>の方です。

天皇には…

<国事行為>としての公務と、<象徴天皇>としての順公務的な行為があり、あと

<私事>があるわけですが…長期間のブランクとなると…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (21)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (12)


「そうです…」青木が言った。「<摂政>は、昔は幼い天皇に変わって、政務を執り行っ

た人の事です。<関白>の方は、摂政とは違い、最終的な決裁者はあくまでも天皇

す。天皇関白協議などを通じて、合意を図りながら、複雑な政務を進めた人の事で

す」

「うーん…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (20)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (11)


「もし…」マチコが言った。「高齢や、病気になったら、どうなるのかしら?」

「まあ…」青木が言った。「そこが…

問題の焦点とも重なるわけですが、長期になれば<摂政(せっしょう)がおかれます」

「うーん…<摂政・関白(せっしょう・かんぱく)と呼ばれるものよね。

それから、<摂関家(せっかんけ/摂政・関白の地位を独占した最高位の貴族・公家の家系・・・/ 五摂家は、

摂政関白の家柄で・・・藤原氏北家道長の流れで、近衛家・九条家・鷹司家・一条家・二条家の5家をさす。)とか、」







 2月 24日





岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (19)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (10)


皇位から…」茜が言った。「脱出する方法は…

例は、非常に良く無いのですが…死刑囚同様に、<崩御による脱出>しか、無いとい

う事です。

これは…

人権としても大問題ですわ。<国民的大議論もしないで・・・与党の多数で・・・ウヤム

ヤに思考停止>して、よい問題ではありません!

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (18)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (9)


問題は…」青木が言った。「今回<御退位の問題>です…

天皇は…<主権者/国民総意>によって定められ…では天皇に、<主権/人間とし

ての自由>はないのか…という事です。最低限の、<皇位から・・・脱出する自由>

無いのかという事です」

「そうですね…」茜が、うなづいた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (17)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (8)


【日本国憲法/平和憲法】では…」青木が言った。「天皇の存在は、憲法下規定

れています…

【憲法第一条】に…

<天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権

の存する日本国民の総意に基く。>

…とあります」

「うーん…」マチコが言った。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (16)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (7)


「どう違うのかしら…」マチコが言った。

【大日本帝国憲法/明治憲法】では…」青木が言った。「憲法以前に…<全統治権>

を握る天皇が存在したのです。<天皇は神聖にして侵すべからず><憲法>にも

書かれています」

「うーん…それが、<現人神(あらひとがみ)/ということかあ…」






;



 2月 23日



  


;

 
 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (15)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (6)


その時に…」青木が言った。「天皇も、<現人神(あらひとがみ/この世に人間の姿で現れた神を意

味する言葉)から・・・人間天皇(/1946(昭和21)年1月1日に発せられた詔書(しょうしょ/国の機関としての

天皇の意思表示の公文書で、一般に公示されるもの)への宣言>がなされたのです。

憲法も…

【大日本帝国憲法】から、【日本国憲法/・・・9条・戦争放棄のある・・・平和憲法】

変わりました。問題になるのは、両憲法における、天皇位置付けです。」

「あ…」マチコが言った。「そうよね、そこも変わるわけかあ…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (14)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (5)


「そして…」茜が言った。「その間に、もう1つ激変がありました。

<敗戦>です…

第37代・斉明天皇(さいめい・てんのう)/中大兄皇子(なかの・おおえの・おうじ/天智天皇)/大海人

皇子(おおあまの・みこ/天武天皇)時代の、<白村江の戦い(はくそんこうの・たたかい/663年に、朝

鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた・・・倭国(日本)・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争で、

日本は陸戦・海戦で大敗北・・・斉明天皇は崩御し、天智天皇は九州/大宰府から飛鳥に逃げ帰り・・・さらに、内陸の琵

琶湖のほとりの近江まで遷都します。)以来の、対外国戦争での、<大敗北>です。

この時は…

唐・新羅連合軍日本には押し寄せてはきませんでしたが、今回占領軍/アメリカ

進駐し、<日本の国家体制>ガラリと変わりました。社会的未曾有の激変です

わ。」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (13)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (4)


…あったわよねえ、」

政治体制が違います…」青木が言った。「〔明治維新〕以降は、<一世一元((いっせいい

ちげん/・・・元号を、君主(皇帝、天皇、国王)の在位中には変えない制度)体制になっていて、<明治

・大正・昭和・平成->と、来ているわけです。つまり、天皇崩御された時、次の天

即位され、新しい元号が始まって来ました。」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (12)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (3)


<マスコミ任せ>にするだけでなく…<国民自らも・・・意思表示の行動を・・・起こ

して然るべきもの>、ですわ。

そして、その事が…<タガの緩んだ・・・政治・マスコミ・公共放送>の、背筋正す事

にも、なるでしょう」

「うーん…」マチコが言った。「『小倉百人一首』 なんかではさあ、退位/譲位(じょうい/君主

が位を譲ること)頻繁(ひんぱん)に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (11)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (2)


国民には十分過ぎるほど理解できるものです。そのお気持ち/大御心(おおみご

ころ/天皇のお考え。叡慮(えいりよ)を、<全て反映して然(しか)るべき・・・>…と、国民の大

多数は思っている様ですが…様々な問題がある様ですねえ、」

「はい…」茜が、唇を引き結んだ。「天皇国民に向けて…<お気持ち>を示されたの

です。これは、青木さんが言われるように、<大変重いもの>です。国民も、<政治任

せ>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (10)

【天皇が・・・退位を示された問題】 (1)


「さて…」青木が言った。「具体的な問題に入ります。

天皇は、昨年8月8日

<退位についての・・・お言葉>があり、<意思表明>をされました。<国・国民に対

する・・・メッセージ>です。これは、<大変重いもの>です。

そこで、秋月茜(あかね)さんにも来ていただきました。」

「よろしくお願いします、」茜が、両手をそろえ、頭を下げた。

「ええ…」青木が言った。「天皇は…

<高齢のために、象徴としての行為が十分にできなくなる・・・>

…とのビデオ・メッセージを寄せられました。

そのために、<退位>を望まれた<天皇のお気持ち>は…













 2月 22日











岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 風雲・・・永田町 》 (9)


…もう、<誰が何を言っても・・・国民は振り向かなくなった>…様だしさあ、」

「まともな政党は…」青木が言った。「一貫して、共産党だけですねえ。政党が、育たない

ですねえ、」

民主党/民進党はよう…」ポン助が言った。「安倍総理に強い、山尾志桜里“ガンダ

ム”かも知れないよな、」

「うーん…」マチコが言った。「“機動戦士ガンダム”かあ…戦略局面を、変えることができ

るかしら…?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《 風雲・・・永田町 》 (8)


「うーん…」マチコが、首を傾げた。「<日本の政治は・・・ますます劣化>が、進んる

んだあ…

民主党/民進党は、ともかく解党した方がいいと思うしさあ…

公明党が、そもそも自民党くっ付いているのが、論理的な意味が分からないし…この

ことが、日本の政治ダメにしているわよね。政治家は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《 風雲・・・永田町 》 (7)


「まあ…」青木が、宙を見た。「<天皇陛下の・・・御退位問題>でも…

結局<政党間を超えた議論>もできず…<国民的総意>体現できず…単なる、

<与野党の・・・数の論理で収束>する、気配ですねえ。

つい最近の例では、<カジノ法案/IR推進法案>が…<最も肝心な・・・国民的議

論もナシ>で、スルリ決定してしまいました。“後は、野となれ山となれ”です。政治も、

マスメディアも、著しく劣化していますねえ、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《 風雲・・・永田町 》 (6)


<安倍政治>が…」マチコが言った。「目指すものもさあ…

結局…庶民/国民大衆には…何なの事よく分からなかったわねえ。景気をよくしたい

らしいけどさあ、」

民主党だって、よう…」ポン助が言った。「今も何を目指してるのか分からないよな…

ただ…

<安倍総理の天敵>が、民進党/山尾志桜里だという事は、よく分かったよな。元/

検察官(/法務省所属の国家公務員。一般的には・・・刑事訴訟において、被告人を糾弾する側に立ち、弁護士とは反

対の立場に立つ。)で、前/民進党・政務調査会長だぞ…なんだか、怖そうだよな。厳しく追

するのに、慣れてるよな。安倍総理も、厳しく追及するぞ、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《 風雲・・・永田町 》 (5)


<安倍政治>は…」青木が言った。「<戦前の空気を彷彿(ほうふつ)とさせ・・・現在も

なお・・・国民的総意とは大きくズレている・・・>、気がします。

しかし…

トランプ大統領支持率意外と高い様に、安倍政治支持率も、それでもなお、意外

と高いわけです。まあ右派政治の、カリスママジックですかねえ…<全体主義>

<民族主義>熱狂もそうでしたが、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《 風雲・・・永田町 》 (4)


「ええ、それで…」マチコが言った。「久しぶりになりますが、現在永田町は、どうかし

ら?」

「おう!」ポン助が言った。「ようやく…<安倍政権の・・・積木崩し(つみきくずし)が、始

まった様だよな。民主党政権も、自ら内部崩壊したけどよう…安倍政権も、結局、自滅

だよな!」

「うーむ…」青木/政治部長が、腕組みをし、長い溜息をついた。「そうですねえ…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《 風雲・・・永田町 》 (3)


「うーん…」マチコが、深くうなづいた。「もし…

これがネットからの攻撃だとしたら、問題になるのは…<安倍政権での・・・自民党の

ナス化現象!>なんかのコメントが…マズかったのかも、」

「ま…」ポン助が言った。「ヒマな人間も、いるわけだよな!」

「はい…」マチコが、口に手を当てた。「ともかく、そういうわけで…

《風雲・・・永田町を、後継ページとして立ち上げました。よろしくお願いします!


岡田健吉‏@zu5kokd1      

《 風雲・・・永田町 》 (2)


「うーん…」マチコが言った。「は、セキュリティー専門ではないし、深くは考えないで、

《風雲・・・永田町 を、新たに立ち上げました。解決法です、」

「でも、よう…」ポン助が言った。「どんな攻撃かは、分からなくてもよう、どんな勢力

したかは、想像がつくよな?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《 風雲・・・永田町 》 (1)


「お久しぶりです!」マチコが言った。「うーん…何故かしら…??…

《マチコ in 永田町》ページが…

おかしくなったのよね。ページを入れ替えても、何故か復活しないのよね。ネット攻撃で、

ハイパーリンク妨害・破壊された様なんだけど…でも、一体、どうやったのかしら?」










 2月 21日












岡田健吉‏@zu5kokd1     

《 HP/『人間原理空間』 の方でアップロード 》…2月20日


《響子の小倉百人一首》

<第3巻/42~60番>・・・番号で検索できる様にしました。  <ジャンプ>

       <4、5巻>・・・も順次検索できる様にします。


岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              湯殿山              /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(112)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(110)


曽良の、句意はこうです。


      湯殿山聖域では…

              落ちた物を拾うことが禁じられ…

                      参道はお賽銭(さいせん)を散り敷いた様だ…

                  そこを踏み行くのはかたじけなく…

             泪が滲んでくる事だ…

 

 『奥の細道』原文を掲載しておきます。

                      

               

『奥の細道』/出羽三山

  元禄2年(1689年) 6月3日~6月10日(新暦/太陽暦

         7月19~7月26日)

  出羽三山(山形県鶴岡市/磐梯朝日国立公園の一角

          月山、羽黒山、湯殿山の総称) 

 

《 六月三日、羽黒山に登る。

  図司左吉と云者を尋て、別当代会覚阿闍利に謁す。

南谷の別院に舎して憐愍の情こまやかにあるじせらる。

四日、本坊にをゐて誹諧興行。

 

有難や雪をかほらす南谷  


 五日、権現に詣。当山開闢能除大師はいづれの代

人と云事をしらず。延喜式に「羽州里山の神社」と有。書

写、「黒」の字を「里山」となせるにや。

「羽州黒山」を中略して「羽黒山」と云にや。「出羽」とい

へるは、「鳥の毛羽を此国の貢に献る」と風土記に侍と

やらん。月山・湯殿を合て三山とす。

  当寺武江東叡に属して天台止観の月明らかに、円頓

融通の法の灯かゝげそひて、僧坊棟をならべ、修験行

法を励し、霊山霊地の験効、人貴且恐る。繁栄長にし

て、めで度御山と謂つべし.....》

《  八日、月山にのぼる。木綿しめ身に引かけ、宝冠に

頭を包、強力と云ものに道びかれて、雲霧山気の中に

氷雪を踏てのぼる事八里、更に日月行道の雲関に入か

とあやしまれ、息絶身こゞえて頂上に至れば、日没て月

顕る。笹を鋪、篠を枕として、臥て明るを待。日出て雲消

れば湯殿に下る。

  谷の傍に鍛治小屋と云有。此国の鍛治、霊水を撰て

爰に潔斎して劔を打、終月山と銘を切て世に賞せらる。

彼龍泉に剣を淬とかや。干将・莫耶のむかしをしたふ。

道に堪能の執あさからぬ事しられたり。

  岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜

のつぼみ半ばひらけるあり。ふり積雪の下に埋て、春を

忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花爰にかほ

るがごとし。行尊僧正の哥の哀も爰に思ひ出て、猶まさ

りて覚ゆ。

  惣而此山中の微細、行者の法式として他言する事を

禁ず。仍て筆をとゞめて記さず。坊に帰れば、阿闍利の

需に依て、三山順礼の句々短冊に書。

 

   涼しさやほの三か月の羽黒山   (芭蕉)

   雲の峯幾つ崩て月の山       (芭蕉)

   語られぬ湯殿にぬらす袂かな   (芭蕉)

   湯殿山銭ふむ道の泪かな     (曽良)

          

                                   <詳しくはこちらへどうぞ・・・・・松雄芭蕉・撰集>

                     

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              羽黒山/芭蕉像            /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(111)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(109)


三山順礼句々を、短冊にかきとめています。


★ 涼しさや ほの三か月の 羽黒山  (芭蕉)


★ 雲の峯 幾つ崩て 月の山  (芭蕉)

★ 語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな  (芭蕉)

★ 湯殿山 銭踏む道の 泪かな  (曽良)


岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              湯殿山/滝行              /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(110)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(108)


さて、出羽三山に戻ります…

湯殿山細かな事については、修験者決まり事として他言することは禁じられていま

す。芭蕉<筆を止めて記さない事にする>…と、を止めています。

芭蕉一行/芭蕉・曽良・強力下山し…

羽黒山/南谷宿坊に帰った後…会覚・阿闍梨(えかく・あじゃり)の求めに応じて…












 2月 20日







岡田健吉‏@zu5kokd1             
                          小林一茶の肖像(村松春甫画)一茶記念館(長野県信濃町) /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(109)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(107)


一茶の方は…

江戸中期から末期にかけての人(1763~1828年/宝暦13年~文政10年)です。継母(ままはは、

けいぼ/父の後妻)と折り合いが悪く、14歳の時長野県北部/信濃町柏原から奉公のた

めに江戸へ出、奉公先俳句を覚えた様です。

蕪村生涯とは21年間重なり〔明治維新〕1868年ですから、一茶他界40年

の事です。


(信濃町/柏原・・・

この地から北側の渓谷の向こうに、越後富士といわれる妙高山があります。渓谷を流れる谷川が関川で、信濃/長野県

と越後/新潟県の県境になっています。ボス/(岡田)は、この渓谷の向こう側/妙高山の麓で、少年時代をおくりました。

それで、一茶の1字を拝借し、俳号を <一風> としています。)

                                             <・・・・・《小林一茶・撰集》はこちらへどうぞ>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                与謝蕪村(呉春作)  /
パブリック・ドメイン

《仏教/・・・雑学》・・・(108)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(106)


与謝蕪村小林一茶も…

芭蕉翁深く慕いその生き様深く憧れていました。むろん、当時も、俳句を詠む

は、みな芭蕉憧れていたわけで、蕪村一茶の様に自由人/俳人になれたのも、

また人々の憧れでした。

 


                     与謝蕪村 《夜色楼台図》 (国宝)   /パブリック・ドメイン

蕪村(俳人、画家)は…

江戸中期の人(1716~1784年/享保元年~天明3年)で、芭蕉(1644~11694年/寛永21年~元禄7

年)他界して22年後に…

現在の、大阪市都島区毛馬町で生まれました。それから、20歳頃江戸へ出て、日本

橋石町界隈(かいわい/あたり)活躍し、晩年西へ向かい京都で暮すわけですが、元々

が、芭蕉と同様に関西の人(芭蕉は・・・三重県伊賀の人)でした。

母親が、京都/丹後の人だったからでしょうか、丹後でも暮らしていますね。母親は、

馬村名主の家に奉公に上がっていた時、主人の子を身ごもり、生まれたのが蕪村だっ

た様です。毛馬村には名主一家/一族があるわけであり、自由人蕪村母の出身

の地/丹後アイデンティティを感じていたのでしょうか。

                                             <・・・・・《与謝蕪村・撰集》はこちらへどうぞ>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                           「奥の細道行脚之図」、芭蕉(左)と曾良 (森川許六作) /パブリック・ドメイン

《仏教/・・・雑学》・・・(107)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(105)


行尊芭蕉も…

山桜を、同等の人格として、語りかけています。ふーむ…優しいですね。

それにしても、芭蕉は…

数え年/51歳生涯ですが、芭蕉翁(おう/おきな・・・男の老人を慕って言う言葉)などと呼ばれて

いました。それ程にかなり若い内から、その風格があり…<徹底した悟りを究め・・・

深く風雅の中に没入>していた人の様です。それゆえ、仏教界にもが知れ渡り、

江戸/元禄スーパースターだったわけです。

                                             <・・・・・《松尾芭蕉・撰集》はこちらへどうぞ>









 2月 19日









岡田健吉‏@zu5kokd1  
                             奈良県/大峰山・・・女人禁制門             /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(106)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(104)


羽黒山と同様に修験道聖地です。羽黒山現在女人禁制解いていますが、

大峰山現在女人禁制です。

行尊は…

その大峰山厳しい修行中に、ふと山中にひとり可憐に咲く山桜目が止まります。

を振り払った行尊清浄な心と、穢れのない花共鳴したのでしょう。


★ 出羽三山での女人禁制

月山、湯殿山は明治10年に解禁され、羽黒山は一部を除いて女人禁制ではなかった様です。一部というのは荒沢寺な

どの奥の院で、それも仏像の移動などにより解禁された様です。羽黒山が女人禁制でなかったのは、山の神が玉依姫命

(たまよりひめ)という女性の神とされており、女性の参詣が盛んだったためと思われています。ただ、女性の山伏修行は

禁じられていたようで、昭和25年に初めて許されたようです。)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                      大峰山/奥駆道・・・吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する修行の道 /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(105)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(103)


その、行尊花の歌とは…

『小倉百人一首』【66番→大僧正行尊】であり、詞書(ことばがき)は…

<大峰にておもひかけず桜の花の咲きたりけるをみてよめる 僧正行尊>


★ もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし



…というものです。大峰山は、奈良県/大和吉野主峰で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                               /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(104)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(102)


健気(けなげ)だと(ほ)めているわけです。そして…

<炎天の梅花が、ここに香るが如しであり・・・行尊・僧正の歌の情も思い出される

が、むしろこの花の方がまさりて覚ゆ・・・>と、記しています。

芭蕉は…可憐(けが)の無いに目を細め、へのお世辞を込め、記している様

です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                 /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(103)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(101)


…この話を聞いたのでしょうか。

それから、岩に腰掛けてしばし休んでいると…

<三尺ばかりなる桜のつぼみ、半ばひらけるあり・・・>と、あります。

芭蕉は…

<降り積もった雪の下に埋れて、春を忘れぬおそ桜の花の、心わりなし・・・>と、

感嘆しています。まあ、非常に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                             月山/鍛冶小屋付近・・・     /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(102)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(100)


『奥の細道』では…

<谷の傍に鍛冶小屋があった・・・>と記されています。さらに、<この地方の刀鍛冶

(かたなかじ)/月山という人が、霊験のある水をこの地に選び、身を清めて剣を打ち、

ついに“月山”と銘(めい)を刻んで世に賞せられた様だ・・・>…とあります。芭蕉

で静養中に…








 2月 18日

 




岡田健吉‏@zu5kokd1          
                             湯殿山/月光坂の長い鉄梯子           /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(101)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(99)


それにしても…

現在登山装備ならともかく…霧の中氷雪登山です。そして山頂の小屋食事をと

り、一夜を過ごすとういのは、強力/山案内が無しでは不可能だと思います。

旅慣れた芭蕉でも…

月山標高1984m残雪のある高山です。この強力/山案内も、羽黒山別当手配

してくれたのでしょうか。どのみち芭蕉曽良は、支援者を当てにしての冒険旅です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                     湯殿山           /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(100)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(98)


翌朝は…

朝日が出、雲が消えていたので、さらに、湯殿山(ゆどのさん)の方へ向って下った様です。

前日は…

立ち込める天候でしたが、翌日朝日が出ても消え、好天だった様です。

旧暦/6月9日ですから、新暦/7月25日…まさに梅雨明けだったのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         
                             篠竹の束・・・芭蕉は、これを枕に寝ましました      /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(99)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(97)


すると…

折から、日も暮れて….<既に出ていた月が鮮明になった・・・>とあります。俳人

2人、さすがに月への関心は深く、観察鋭いですね。

それから…

<頂上付近の小屋で、笹を敷き、まとめた篠竹(しのだけ/)を枕にして、横になって夜

が明けるのを待った・・・>…とあります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                               現在の月山              /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(98)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(96)


芭蕉曽良は…

強力(ごうりき/登山者の荷物を背負って案内する人)という山ガイド先導され…

の立ちこめる冷え冷えした山の中を、氷雪を踏みながら8里ばかり登った…とあ

ります。1里は4km程ですから、約32kmですね。

さらに…

息も絶え絶えに…冷え切った体で、月山頂上に上り詰めています。








 2月 17日






岡田健吉‏@zu5kokd1
                                                            /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(97)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(95)


万事

会覚・阿闍梨(えかく・あじゃり)お世話をして下さったのでしょうか。木綿注連(ゆうしめ)を首に

掛け、宝冠ほうかんで頭を包み、身支度準備万端に整えての、月山登山です。

月山に登る者は、登山前潔斎(けっさい/神事・仏事の前に、飲食その他の行為をつつしみ、水浴などして

心身を清めること)の時から下山するまで、修験袈裟(しゅげんけさ)として木綿注連(ゆうしめ)を首に

掛けるのが習わしの様です。宝冠は、防寒対策にもなる頭巾ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          
                              羽黒山 五重塔           /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(96)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(94)


芭蕉曽良(そら/河合曽良/・・・『奥の細道』に同行した弟子で、蕉門十哲の1人)は、この霊山森林

中で、しばしの静養の時を過ごした様です。残雪谷あいから吹き寄せてくる薫風(くんぷ

う/若葉の香りを漂わせて吹く、初夏の風。)に、長旅の疲れも癒(いや)されたのでしょう。


<5日、羽黒権現
(はぐろごんげん/出羽国羽黒山の山岳信仰と修験道に基づく、神仏習合の神)に参詣(さん

けい)する・・・>

<8日、月山(がっさん)に登る・・・>と…『奥の細道』にあります。旧暦/6月8日ですか

ら、まさに、江戸時代夏山登山です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          
          南谷にある芭蕉の句碑 ・・・羽黒山第75代別当・覚諄が文化15年(1818年)に建立  /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(95)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(93)


この南谷での芭蕉の句


★ 有難
(ありがた)や 雪をかほらす 南谷    (芭蕉/羽黒山)


句意は…


     ああ、ありがたい事だ…

           ここ羽黒山/南谷では…

                 残雪の香りをのせて…

                       心地よい風が吹き寄せてくる…

                    旅で疲労したこの身には…

               この上なく有難く…

          清らかな空気であり、風である事だ…










 2月 16日






岡田健吉‏@zu5kokd1  
                           芭蕉が泊まった 別院紫苑寺の跡 通称 “南谷”   photo by Kagioka Ryumon
                                                          (ネットより画像借用)

《仏教/・・・雑学》・・・(94)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(92)


芭蕉は、『奥の細道』で…

山形県出羽三山(でわさんざん/・・・山形県の村山地方・庄内地方に広がる月山・羽黒山・湯殿山の総称。修

験道を中心とした山岳信仰の場として現在も多くの修験者、参拝者を集めている。)を訪れています。

『奥の細道』記述では…

<6月3日、羽黒山に登る>…とあり、さらに、<羽黒山の別当代(べっとうだい/別当とは

一山の法務を統括する長のことです。そして、代とありますが、これは代わりの意味で、50代別当・天宥が流罪になり、

東叡山(とうえいざん/東京都台東区上野にある寛永寺の山号。 京都の叡山/比叡山に対していう )から代理が置かれ

ていたもの。)/会覚(えかく)・阿闍梨(あじゃり/模範となる高僧の敬称ですが、密教で伝法潅頂(でんぽうかん

じょう/菩薩が仏位に上る時、法王の職を受ける証として、諸仏が智水を頭に注ぐ儀式)を受けた僧のことです。また、天

台宗と真言宗では、伝法潅頂の職位を受けた僧を、このように呼ぶようです。)にお目にかかる>…とあり、

南谷別院宿泊していますが、芭蕉名声が知れ渡っていて、(ねんご)にもてなし

て下さった、という事です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                             松尾芭蕉像 (葛飾北斎 画)   /パブリック・ドメイン=著作権フリー

《仏教/・・・雑学》・・・(93)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(91)


文学的・芸術的/求道者の、険しい道だった様です。

《当/ホームページ》の…文芸/俳句担当/星野支折言葉をかりれば…

<そうした深い芸術的・深淵を・・・恋い焦がれて歩み進んだ・・・“芭蕉独特の風雅

の結晶世界”・・・が、芭蕉と共に確かに存在していた・・・>…ということですね。

                                             <・・・・・詳しくはこちらへどうぞ>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                             「奥の細道行脚之図」、芭蕉(左)と曾良 (森川許六作) /パブリック・ドメイン

《仏教/・・・雑学》・・・(92)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(90)


さて、芭蕉に話を移します。

芭蕉は…

旅の難儀(なんぎ)も全て<風雅>とし…<大いなる・・・現実肯定・・・の世界観>…の

中で生きた人の様です。

その<風雅>に、恋い焦がれ<風雅の妄執(もうしゅう)/風雅の魔(/人の心を迷わし、悪に

引き入れる悪霊)心>取り憑(つ)かれていたとも言われます。<無我無心で・・・飄々(ひょう

ひょう)と生きる禅僧>とは、また別の…










 2月 15日







岡田健吉‏@zu5kokd1           

《Twitter/茜・新理論研究所》  <31>

【人間原理ストーリーの・・・バイアス/偏向】 (31)


<人間原理ストーリーの原型への偏向/運命性へのバイアス>の、その度合い

が、分かって来るという事かしら?」

「そうです…」堀内が、うなづいた。「アメリカトランプ大統領登場して来たのも、<人

類文明の叡智(えいち)とは、逆の方向作用しているようですねえ。

それに対する反発も強いようですが…

いよいよ、<環境圧力の分水嶺/正念場>が、近いのでしょう。<破滅型・破局点>

受け入れるのか、<持続可能・軟着陸点>模索するのかです…」

「うーん…」マチコが口に手を当て、頭を傾げた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《Twitter/茜・新理論研究所》  <30>

【人間原理ストーリーの・・・バイアス/偏向】 (30)


指導できたのは、原爆製造までです。広島に落としたのは、波動関数では記述されな

いわけです。

絢爛(けんらん)文明社会創出しているのは…科学/物理的記述に…<横糸の様に

人間の意識/精神性>織り込まれて、布模様が出来上がり…リアリティー世界にお

いて、過不足なく流れて行くわけです」

「うーん…そうよね…」マチコが、ゆっくりとうなづいた。「その人類文明社会が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《Twitter/茜・新理論研究所》  <29>

【人間原理ストーリーの・・・バイアス/偏向】 (29)


「ははは…」高杉が笑った。「マチコさんは、日頃そんな事を考えているのですか?

いや…はは…確かに、その通りです。

物理学記述では、そこが抜けている。

ウラン鉱物がそこにあるだけでは、原爆にはならないし、オッペンハイマー(/ユダヤ系アメ

リカ人の物理学者・・・第二次世界大戦当時、米/ロスアラモス国立研究所の所長としてマンハッタン計画を主導。“原爆

の父”と呼ばれている。)<マンハッタン計画>で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《Twitter/茜・新理論研究所》  <28>

【人間原理ストーリーの・・・バイアス/偏向】 (28)


「それは…」マチコが言った。「<難しい問題>なのは、分かるわよね。

ポットお湯が沸くのは、熱力学記述できるけどさあ…

私がそれで、コーヒーを淹(い)れるのは…熱力学ては記述できないのよね。ここが重要

でさあ…確かに、実際には、その様に…<事物が・・・流れている>のよね…??」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《Twitter/茜・新理論研究所》  <27>

【人間原理ストーリーの・・・バイアス/偏向】 (27)


「うーん…」マチコが言った。「そんな時代なのかあ、」

「うーむ…」高杉も、うなった。「<量子もつれ>非局所性の研究から、<物の領域>

<心の領域>の、<インターフェース問題/・・・人間の精神性/意識と、行動の

問題>も…必然的に、解明の俎上(そじょう)に上って来るのでしょうか、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《Twitter/茜・新理論研究所》  <26>

【人間原理ストーリーの・・・バイアス/偏向】 (26)


「そうですね…」茜が、唇に指を当ててうなづいた。「<ニュートリノ望遠鏡>に続いて、

<重力波望遠鏡>も、本格稼働が近づいています。

まあ、それとも関連するのでしょうが、<暗黒物質><暗黒エネルギー>も、近々、

解明の手掛かりが得られるでしょう」


 2月 14日

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《Twitter/茜・新理論研究所》  <25>

【人間原理ストーリーの・・・バイアス/偏向】 (25)


「いずれにしても…」堀内か、口を開いた。「<人類文明の叡智が・・・21世紀・大艱難

を軟着陸>、させる事が可能なのか…それとも、<旧約聖書/ノアの洪水の様な・・・

人間原理ストーリーの原型/運命性へのバイアスの偏向>が、勝るのか…近々、

<その・・・この世の本質の1部>が、分かって来ることになります」

「うん…」マチコが、深くうなづいた。








 2月 13日









岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(243)

一月十三日 - 続き (響子の言葉・23-5)


紀貫之さんの様な…

博学陽気自信家歌人統率者舟旅は、それが難儀な旅であっても、楽しい

すよね。

『古今和歌集』では…

<こっぴどく・・・歌の批評をしている・・・いい気なオッサン>ですが、上司とするなら、

頼もしい人格者かも知れません。一緒にいて、楽しくなるようなカリスマですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(242)

一月十三日 - 続き (響子の言葉・23-4)


この地方で、捕鯨業本格化するのも、これ以降の様です。

さて…

舟君/舟主/紀貫之さんは…精進潔斎(しょうじんけっさい/肉食を断ち、行いを慎んで身を清めること)

します。律儀な事というか、当時の人々が、如何に地神(じしん、じがみ/日本の農村で特定の集団

と関係する縁起をもち、特定の土地に祀られる機能神の総称 )海神(わだつみ、うながみ、かいじん/海を司る神。海

に住んでいるという神)怖れていたかが分かります。

でも…

野菜もなく、午後からを食べたりしています。ほほ…けっこういい加減ですね。紀貫之

さん人格が偲ばれます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

                              “土佐日記/御崎の泊”の石碑   ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(241)

一月十三日 - 続き (響子の言葉・23-3)


…関係なく25日ということなのでしょう。

でも…

『土佐日記』では、2倍55日間もかかり、大変な船旅だった様です。当時室戸岬が、

海路大変な難所だった事が分かります。室津に、本格的掘込港(ほりこみこう)が着工

されたのは、江戸時代/1629年の事です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

                                                 /ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(240)

一月十三日 - 続き (響子の言葉・23-2)


この帰京舟旅の途上で…

風波が激しく、室戸岬を回れずに、10日間室津に留まっています。

当時の旅で…

土佐~京都間は、陸路上り35日下り18日とあります。都へ上る時は、年貢米

産物などの荷物があったという事でしょうか。身一つなら、18日間なのかも知れません

ね。そして、海路だと荷物に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(239)

一月十三日 - 続き (響子の言葉・23-1)


「ええ…

奈良志津から、室津(とまり)に入っているわけですね。この古地図では、最初は気づ

かなかっのですが、室津すぐ隣になっていますね。

紀貫之さんは…

930年土佐の国守として赴任し、4年間任期を終えて、934年にもここを通っている

わけです。








 



 2月 12日










岡田健吉‏@zu5kokd1     

                              “土佐日記/御崎の泊”の石碑   ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(238)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-8)


…今日までに二十五日が過ぎてしまった。


岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(237)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-7)


だが風も波も急に止む気配がない。ある人が、この波立つのを見て、歌を詠んだ。


    霜さえ降りない・・・

           暖かい地方というけれど・・・

                  なんと波の中には・・・

              雪が降っていることよ・・・


さて、舟に乗り込んだ日から…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(236)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-6)


言うに足りない幼い者の言った歌としては、とても似つかわしい。


十六日。風も波も止まないので、やはり同じ所に泊っている。ただ、海に波がなくなって、

いつになったら御崎(みさき/岬・・・室戸岬)という所を通り過ぎるのだろうか、とばかり思う。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(235)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-5)


無為に日を過ごしているので、人々はただ海を眺めて、思いに耽るばかりであった。幼

い女の子が次のような歌を詠んだ。


    風が立てば・・・

          波も立ち・・・

               風がおさまれば・・・

                    波もおさまる・・・

                 風と波とは・・・

            仲良し友達なのかしら・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1        

《響子の・・・土佐日記》・・・(234)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-4)


そのつど、米、酒を与えた。それで、船頭は機嫌がいいのだ。


十五日。今日は小豆粥(あずきがゆ)を煮る日だったが小豆がないので取りやめた。口惜し

いうえに、天気が悪く、舟が進まないでいるうちに、今日で二十日ほど経過してしまった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《響子の・・・土佐日記》・・・(233)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-3)


(とはいえ舟の中なので)精進物(しょうじんもの)がないので午前中で取りやめにし、午後に

船頭が昨日釣った鯛(たい)を、(手持ちの)銭がないので米を代わりに与えて、精進落ち

をなさった。このようなことが、何度かあった。船頭が、また鯛を持って来た。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

                              “土佐日記/御崎の泊”の石碑   ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(232)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-2)


…ほやに取り合わせる貽貝(いがい)の鮨(すし/・・・男性器の象徴)や鮨鮑(すしあわび/女性器の象徴)

を、思いもかけぬ脛(はぎ、すね)まで高々とまくりあげて、海神に見せつけたのであった。


十四日。夜明け前から雨が降るので、同じ所に泊っている。

舟君(ふなぎみ/舟主)は、節忌(せちみ/精進潔斎・・・しょうじんけっさい)をする。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(231)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-1)


さて、十日過ぎであるので、月が趣(おもむき)深い。舟に乗り始めた日から、舟では紅の濃

く美しい衣(きぬ)は着ない。


「それは、海の神に怖れをいだいて」


といって。何の役にもたたない葦陰(あしかげ)で、何が悪いことがあろうかと葦にかこつけ

て…













 2月 11日








岡田健吉‏@zu5kokd1   

                             “土佐日記/御崎の泊”の石碑   ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(230)

一月十三日 - 続き (原文・23-6)


…二十日あまり五日になりにけり。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                             “土佐日記/御崎の泊”の石碑   ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(229)

一月十三日 - 続き (原文・23-5)


…渡らむとのみなむ思ふ。風波とににやむべくもあらず。ある人の、この波立つを見て

詠める歌、


★ 霜だにも おかぬ方ぞと いふなれど 波のなかには 雪ぞふりける


さて、舟にのりし日より今日(けふ)までに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(228)

一月十三日 - 続き (原文・23-4)


★ 立てば立つ ゐればまたゐる 吹く風と 波とはおもふ どちにやあるらむ


いふかひなき者のいへるには、いと似つかはし。

十六日。風波やまねば、なほ同じ所にとまれり。ただ海に波なくして、いつしか御崎(みさ

き/室戸岬)といふところ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

                              “土佐日記/御崎の泊”の石碑   ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(227)

一月十三日 - 続き (原文・23-3)


(よね)、酒、しばしばくる。楫取気色(かじとり・けしき)あしからず。

十五日。今日(けふ)、小豆粥煮(あずきがゆ・に)ず。口惜(くちを)しく、なほ日の悪しければ、ゐ

ざるほどにぞ、けふ(今日)二十日(はつか)あまり経(へ)ぬる。いたづらに日を経れば、人々

海を眺めつつぞある。女(め)の童(わらは)のいへる、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

                              “土佐日記/御崎の泊”の石碑   ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(226)

一月十三日 - 続き (原文・23-2)


十四日。あかつきより雨ふれば、同じ所にとまれり。舟君(ふなぎみ)、節忌(せちみ)す。精進

(さうじもの)なければ、午時(むまどき)よりのちに、楫取(かじとり)の昨日釣りたりし鯛(たひ)に、

(ぜに)なければ、米(よね)をとりかけておちられぬ。かかることなほありぬ。楫取また鯛

持て来たり。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(225)

一月十三日 - 続き (原文・23-1)


さて、十日あまりなれば、月おもしろし。舟にのりはじめし日より、舟には紅濃
(くれないこ)

よき衣(きぬ)着ず。それは、


「海の神に怖
(お)ぢて」


といひて。何の葦陰(あしかげ)にことづけて、ほやのつまのいずし、すし鮑(あわび)をぞ、心

にもあらぬ脛(はぎ)に上げて見せける。








 2月 10日




岡田健吉‏@zu5kokd1       

《仏教/・・・雑学》・・・(91)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(89)


ここは説明必要がないと思います。

うーむ…

21世紀私達が接しても…新鮮な言葉の数々を、鎌倉時代初期道元禅師創作

ていたのですから、驚くばかりです。

同様に…

紀元前5世紀土埃(つちぼこり)インドの大地を、裸足で歩んでいた…釈尊真理探

深さと、その直観力に…2500年後私達が、遠く及ばないわけです。釈尊<覚

醒の・・・深淵>は、はかり知れません。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《仏教/・・・雑学》・・・(90)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(88)


…どのように宿るかを、道元禅師体験的に説明しています。


< 悟りが人を破らないのは、月が水に穴を開けないようなものである。人が悟りを

妨げないのは、一滴の露が天の月を妨げないようなものである。一滴の水の深さ

は、天の月の高さを宿している。>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

《仏教/・・・雑学》・・・(89)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(87)


禅的修行によって体現(たいげん/理念など形のない精神的な事柄を、具体的な姿に表すこと)する必要

があります。


< 人が悟りを得るのは、ちょうど水に月が宿るようなものである。月は濡れず、水

は破れない。広く大きな光ではあるが、寸尺の水にも宿る。月全体が草の露にも宿

り、一滴の水にも宿る。>


<悟り>
が…

人間/人格に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 

《仏教/・・・雑学》・・・(88)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(86)


< 生といえば一瞬一瞬において生になりきっており、死といえば一瞬一瞬におい

て死になりきっている。それは例えば冬と春のようなものである。人は、冬そのもの

が春に変わるとは思わず、春そのものが夏になるとは言わない。>


ここは…

言葉だけで理解するのではなく…





 2月 9日






岡田健吉‏@zu5kokd1   

《仏教/・・・雑学》・・・(87)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(85)


・・・“生死を超えた死” というのである。>


つまり…

<無数の・・・一瞬一瞬の生>が、それぞれ<一切世界を・・・究めつくし><重

ね合わせ>になっている…と解釈できます。

しかし…

<相互主体性世界を・・・結晶化>させている…<この世の風景/・・・人間原理スト

ーリー>は…さらに途方もなく複雑です。

あるいは…

ある意識/宇宙意識が…<ホモサピエンスの・・・種の共同意識体の超座標>に、

<壮大な落書き・・・人類文明社会の興亡>を、描き出しているのかも知れません。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《仏教/・・・雑学》・・・(86)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(84)


<波束の収束>析出/結晶化するという、アナロジー(/類推、類比)ではそうなるの

でしょうか。


< 従ってそれを、“生死を超えた生” というのである。死といえば死になりきってい

て、死が生に移り変わると言わないのが、仏道において定められた教えである。従

ってそれを・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《仏教/・・・雑学》・・・(85)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(83)


< ちょうど、薪が灰となった後に、再び薪となることがないように、人が死んでか

ら、再び生に戻ることはない。このように、生といえば生になりきっていて、生が死

に移り変わると言わないのが、仏道において定められた教えである。>


ふーむ…

<重ね合わせ>存在して…




 


 




 2月 8日






 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
     
                                     永平寺/法堂(はっとう/僧侶が仏教を講義する建物の事   /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(84)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(82)


<相互主体的な・・・人間原理ストーリーの風景/・・・この世の風景>…というもの

の、解釈の一端を垣間見た思いでした。<人間的な・・・過去・現在・未来にわたる

・・・“今の広がり”・・・>考察の…側面になるでしょうか。

現代物理学は…

その深い所で、東洋的思想とよく一致すると聞きますが、鎌倉時代初期道元禅師

思想に、量子力学<重ね合わせの概念>があるとは…まさに驚きでした。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
                                           永平寺/鐘楼堂               /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(83)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(81)


やがて…

【量子力学】コペンハーゲン解釈に出会った時、<波束の収束>(はそくのしゅうそく)

概念と似ている…と気付きました。

<薪の一瞬一瞬> <灰の一瞬一瞬>は…それぞれ<重ね合わせ>になっている

というアナロジー(/類推、類比)で…その<一瞬一瞬が・・・重ねあわせで・・・世界を究め

つくしていると>、と解釈しました。


★ コペンハーゲン解釈・・・量子力学の解釈の1つ。

量子力学の状態は、いくつかの異なる状態の<重ね合わせ>で表現される。このことを、どちらの状態であるとも言及で

きないと解釈し、観測すると観測値に対応する状態に変化する<波束の収縮>が起こると解釈する。)

(★コペンハーゲン解釈という名称は・・・デンマークの首都コペンハーゲンにあるボーア研究所から発信されたことに由来

する。)


岡田健吉‏@zu5kokd1         
     
                                           永平寺2世/孤雲懐奘      /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(82)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(80)


見かけ上の前後はあるが、それは、つながりのない前後であって、薪はどこまでも

薪である。灰もまた灰になりきっていて、初めから終わりまで灰である。>


この一節は…

私が、初めて『正法眼蔵』 に接した若い頃から…難解で、理解できないものでした。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           
     
                                            道元禅師/・・・静岡 瑞龍寺               /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(81)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(79)


…それは<自己の内>にある、と言います。


<薪(まき、たきぎ)は燃えて灰となり、それが再び薪に戻ることはない。

しかし、それをいちがいに、薪は初めにあるものであり、灰がそれに続くものであ

ると考えてはならない。薪は薪になりきっていて、初めから終わりまで薪である。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1             
     
                                    道元 「月見の像」/・・・宝慶寺蔵、福井県大野市宝慶寺町  /パブリック・ドメイン

《仏教/・・・雑学》・・・(80)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(78)


< 人が初めて真理を求める時、それを自己の外に求めるから、はるかにそこから

離れてしまっている。真実がもともと自己の内にあることが、正しく理解されれば、

すぐさま “本当の人” になる。>


<人間の本質>目覚める事が、<本分人
(/『正法眼蔵』の原文)/“本当の人”>にな

る事であり…







 2月 7日


 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
     
                                           永平寺唐門               /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(79)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(77)


<仏道を学ぶということは、自己を学ぶことである。自己を学ぶということは、自己

を忘れることである。自己を忘れるということは、すべての物事が自然に明らかに

なることである。 >


これも…

含蓄(がんちく/深い意味がひそんでいる、表現の味)のある言葉ですが、日常的な知識では理解

できません。禅の修行が必要なのだと思います。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
                                             永平寺の回廊          /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(78)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(76)


うーむ…

心身を一体として、ものごとを見聞きするならば・・・とありますが…

意識して、その様にするという事ではないでしょう。その事を知りつつ、坐禅修行で身に

つくものと思います。

<主観/主体と・・・客観/客体・・・は一体>であり…その間に<境界>はなく…

<巨大な1つの全体・・・唯心世界>…なのです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
     
                                           永平寺の全景          /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(77)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(75)


心身を一体として、ものごとを見聞きするならば、見るもの聞くものを直接に知

る事ができるが、その有様は鏡に影が映るようでも、水に月が映るようでもない。

主観と客観は一体であるから、その一方だけを知ろうとするならば、あとの一方は

消えてしまう。>







 2月 6日




岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                 永平寺                             /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(76)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(74)


若い渡来僧/入宋沙門(にっそうしゃもん)/道元が…

ここまで、書けるということは…

<覚醒の翼>はそのはるか先まで、見渡していたという事でしょう。釈尊は無論、若い

道元も、その深淵を照らす光ははかり知れません。

しかし…

さいわい道元禅師は、『正法眼蔵』(/(仮名記述/道元著)・・・75巻+12巻+拾遺4巻(現在の研究結果

による)の中に、膨大な言葉を残してくれています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
                                             永平寺                /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(75)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(73)


ですから…それ故に、修行せよと言うのです。さらに、こう続きます…


<迷いを迷いと知るのが悟った人であり、悟りに執するのが悟っていない人である。

悟りの上に悟る人があり、迷いの上に迷う人もいる。悟った人が本当に悟った人で

あるならば、自分が悟っている事すら、自覚しない。 >

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
                                             永平寺/坐禅             /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(74)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(72)


< 自己の立場から、あれこれと思案して、ものごとの真実を明らかにしようとする

のが迷いである。ものごとの真実が自然に明らかになるのが、悟りである。>


うーむ…

<真実が自然に明らかになるのが・・・悟り>と言われても…<迷いの真っ只中>

にあっては、まさにそれが体現できないわけです。











 2月 5日







岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                    道元禅師開祖の永平寺/大広間の天井絵・・・230枚の花鳥色彩画      /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(73)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(71)


執筆し始めるわけですが…

これは…若く楽しく希望に満ち心踊る作業…だったと思われます。

中国/宋から帰朝して…京都/建仁寺(けんにんじ/臨済宗建仁寺派大本山の寺院。開山は栄西で、道

元はここで栄西の弟子/明全に師事・・・明全と共に南宋に渡り、曹洞宗禅師/天童如浄より<印可>を受けます。)

入りますが、やがて建仁寺を出て…京都/深草草案(/・・・興聖寺)を結んだ頃からでしょ

うか。

その頃…

まず…日本曹洞宗・第2祖/懐奘(えじょう)を、弟子になる事を許します。2歳年上孤雲

懐奘(こうん・えじょう)ですが、帰朝後建仁寺に滞在していた折に論破した経緯があります。

その時から師事(しじ/師として仕えること)する事を懇願(こんがん)されていましたが、建仁寺

身を寄せている身分であり、断っていたものです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                    道元禅師開祖の永平寺/大広間の天井絵・・・230枚の花鳥色彩画      /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(72)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(70)


しかしなお、その事が分かっていていながら、解脱を愛し求めれば解脱は遠ざか

り、迷いを離れようとすれば、迷いは広がるばかりである。 >


道元禅師が示す、成道
(じょうどう/悟りを開くこと)の姿が、ここに如実に記されています。

中国/宋/天童山・景徳寺(/現在の浙江省寧波地区)/天童如浄の元で<悟り>を開いた

道元は、帰朝して『正法眼蔵』を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

     
                               道元禅師開祖の永平寺/大広間の天井絵・・・230枚の花鳥色彩画      /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(71)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(69)


道元禅師に戻り…

『正法眼蔵/現成公案』1節を見てみましょうか。


< もともと仏道は、有るという立場にも、無いという立場にも捉(とら)われないもので

あるから、生死(しょうじ)を解脱(げだつ/俗世の束縛・迷い・苦しみから離脱し、悟りを開くこと)した所に

生死があり、迷悟(めいご/迷いと悟り)を解脱した所に迷悟があり、解脱の有る無しを問

題としない所に解脱がある。

















 2月 4日














岡田健吉‏@zu5kokd1  house5.114.2.jpg (1340 バイト) 

《支折の・・・イベント訪問記》 

【西新井大師/・・・節分・豆まき/警察官の活動】 (11) 


さあ、恵方巻きを買って帰ります。

うーん…恵方巻きも…

最近は、コンビニアルバイト学生にまでノルマを科すとか…

ともかく、数を売れとかで、味の方は大丈夫でしょうか…

万事が、そんな調子で、ウワついていて…

安倍政権下日本文化の方も…大丈夫なのでしょうか…?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《支折の・・・イベント訪問記》 

【西新井大師/・・・節分・豆まき/警察官の活動】 (10) 


・・・軍需産業/死の商人>というのでは、<根本が・・・大間違いだ…という事

ですよね。これで、いいのでしょうか?

 

あ…

<豆まき>が始まりました!

お相撲さんもいます!

うーん…もう1mぐらいで届いたのですが…1つも拾えませんでした。それで、見物もした

し、整理の囲いの外に出ました。

 

   

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《支折の・・・イベント訪問記》 

【西新井大師/・・・節分・豆まき/警察官の活動】 (9) 


・・・立ち位置>に…なるのではないでしょうか?

この、安倍政権による<戦争ゴッコ>への参入は…

<国民を・・・テロの脅威にさらし> <警察官を・・・大量動員する社会>にし…

<自衛隊を・・・きわどい紛争地に派遣>し…<国民が・・・神経をすり減らす社会

し…

その一方で…笑いが止まらないほど、<大儲けしているのは・・・ 

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《支折の・・・イベント訪問記》 

【西新井大師/・・・節分・豆まき/警察官の活動】 (8) 


…への参入は、<本当に必要なのでしょうか? 何のために? 誰のために?>

それよりも…〔平和憲法〕のもとで、<唯一の被爆国として・・・独自の世界平和戦略

を探っていく事こそ、<真の国際貢献の道であり・・・日本の安定した・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《支折の・・・イベント訪問記》 

【西新井大師/・・・節分・豆まき/警察官の活動】 (7) 


それ以降…

安倍政権下で…<戦前の様な・・・空気感になったとも言われ、軍拡が進んでい

ます。そしてまさに、今年/新年の元朝参りからは、人の混雑する所では<テロ対策

の警察官が大量導入>…され始めた様子です。

でも…この、<戦争ゴッコ/・・・最終兵器/核兵器を使う気もなく・・・その必要性も

無い・・・遊びの戦争>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            ジャーナリスト/後藤健二氏       /ネットより画像借用

《支折の・・・イベント訪問記》 

【西新井大師/・・・節分・豆まき/警察官の活動】 (6) 


アメリカ激しく迫られても、小泉政権までは…

〔平和憲法〕に、<自己責任による犠牲者>(/イラク日本人青年殺害事件・・・2004年10月

に発生。国際的テロ集団アルカイダの関連組織に、日本人青年/香田証生さんが殺された事件。)に、止まってい

ました。

でも…安倍政権になり…

<ジャーナリスト/後藤健二氏>イスラム国に、日本人ジャーナリストとして、殺害

されています。安倍政権に対する宣戦布告だったのかもしれません。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

《支折の・・・イベント訪問記》 

【西新井大師/・・・節分・豆まき/警察官の活動】 (5) 


うーん…これも防ぎようがなく…恐いですよね…

でも、日本の場合は…

〔平和憲法/憲法9条 = 戦争放棄〕として、半世紀以上

<世界中が高く評価・・・日本を敵国/テロの対象国・・・とはしていなかった>わけ

ですね。

<ショウ・ザ・ザフラッグ><ブーツ・ザ・グラウンド>と…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 house5.114.2.jpg (1340 バイト)
                           ボストンマラソン爆弾テロ事件  /ネットより画像借用

《支折の・・・イベント訪問記》 

【西新井大師/・・・節分・豆まき/警察官の活動】 (4) 


この警察官の姿多さは…むろん、テロを警戒しての事でしょう。

うーん…でも、日本の節分に、爆弾テロはないと思うのですが。

でも…<ボストンマラソン爆弾テロ事件>(アメリカ/マサチューセッツ州ボストンで、2013年4月15

日に・・・第117回ボストンマラソンの競技中に起こった爆弾テロ・・・死亡者5名、負傷者299名・・・)がありましたよ

ね。あれは、I S/イスラム国によるものではなく、移民<ホームグロウン・テロリス

ト>(国外組織が起こすテロではなく、過激思想に共鳴した国内の人間が、テロリストに変貌したもの。)による犯行

だったとか…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  house5.114.2.jpg (1340 バイト)

《支折の・・・イベント訪問記》 

【西新井大師/・・・節分・豆まき/警察官の活動】 (3) 


缶コーヒーを買うのもいいのですが、飲み切らなければならないし、味もマチマチですよ

ね。自分のお気に入りコーヒーを、臨機応変で飲めるのが、一番と思っています。

30分はすぐです…見物客も増え、ゾロゾロと動く警察官の姿が非常に目立ちます。人

によっては、これは<社会的・威圧感にもなりそうです。

そういえば…<テロ等準備罪/・・・共謀罪>も、国会議論の真っ最中ですよね。

うした方向へ、時代が動いて行くのでしょうか?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   house5.114.2.jpg (1340 バイト)

《支折の・・・イベント訪問記》 

【西新井大師/・・・節分・豆まき/警察官の活動】 (2) 


…いました。人混みの端見物していると、その内に寒くなって来ました。

ふふ…こうした時のために、保温ボトル熱々のコーヒー満タンにしてきたのが役に

立ちました。最近は、出かける時は、保温ボトルコーヒー携行する様にしています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《支折の・・・イベント訪問記》   (/2017年 2月 3日)

【西新井大師/・・・節分・豆まき/警察官の活動】 (1)


星野支折です!

ボス(岡田)の代理で、足立区/西新井大師へ、節分の参拝に行って来ました。

拝殿に上って参拝後30分ほど待つと<豆まき>見物できそうなので、待ってみま

した。よく晴れ寒い日で、寺の威容冬の青空に映えて…

 

      









 2月 3日









岡田健吉‏@zu5kokd1           

《Twitter/茜・新理論研究所》  <24>

【人間原理ストーリーの・・・バイアス/偏向】 (24)


<地球生命圏/・・・地球表層生態系/・・・国家・社会>を、<維持・構造化・進

化>させている事は、確かです。

<生命潮流/・・・生命現象に見られる新陳代謝は・・・宇宙で観測されているエン

トロピー増大と対峙する・・・ベクトル/力と方向>…ということに、なるわけですが、」

<ヒト/・・・人間>の歩む…」茜が言った。「“ストーリイの原型”への・・・バイア

/偏向>というものの、学問的・探求は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《Twitter/茜・新理論研究所》  <23>

【人間原理ストーリーの・・・バイアス/偏向】 (23)


「うーん…」マチコが言った。「<ヒト/人間個人>もさあ…

<集団・・・相互主体性社会の中で・・・“人間原理ストーリーの原型”に沿って…

その一生を生きるわけよね。

青春を過ごし…結婚子孫を残し…ヒエラルキー上位生態系での個体としての新陳

代謝を果たし…そして、<ヒトの一生/ストーリイの断片>を、終えて行くわけよね?

それが、<人類文明史/人類救済史ストーリー>に、どう偏向していくかよね…?」

放物線のように…」茜が言った。「閉じているか…双曲線のように開いて行くのかで…

<無数の・・・重ね合わせの夢の・・・シャボン玉>運命が変わります。

物理的・宇宙空間加速度膨張/無限に開いて行く…事が観測されている様ですが、」

「そうですねえ…」高杉が、口に手を当てた。「マクロ的に、眺めてみると…

エントロピー増大宇宙>の中で、ヒトはそのヒエラルキーの中で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《Twitter/茜・新理論研究所》  <22>

【人間原理ストーリーの・・・バイアス/偏向】 (22)


「そうよね…」マチコが、コクリとうなづいた。

<歴史はくり返す!>という…」高杉が言った。「格言(かくげん/金言)がある様に…

<人間/・・・人間の集団/・・・生活の器としての社会>は…それぞれ“ストーリ

ーの原型”に沿って・・・新たなストーリーが描かれ・・・生態系の各ヒエラルキー(/ピ

ラミッド型の階層組織)で・・・新陳代謝>している様ですねえ…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《Twitter/茜・新理論研究所》  <21>

【人間原理ストーリーの・・・バイアス/偏向】 (21)


ここは…

哲学的考察可能ですが…<科学的・実証として・・・ストーリーを未来予測>するの

は、きわめて難しく、かつ困難なのです。科学的アプローチを、容易には近づけません…」

「はい…」茜が、敬意をこめて、深くうなづいた。

人類文明社会は…」高杉が続けた。「その特徴である…

<科学的手法・・・の予測>も含めて…<様々な形で・・・未来予測>をしますが…

<先の事は分からない!>、と言うのが…格言であり、定説ですねえ、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《Twitter/茜・新理論研究所》  <20>

【人間原理ストーリーの・・・バイアス/偏向】 (20)


「そこで…」マチコが、歩いて来る高杉・塾長を見た。「高杉・塾長にも、来ていただきまし

た。「塾長ご苦労様です!

高杉が、みんなに頭を下げ、ゆっくりと椅子に掛けた。

「うーむ…」高杉が言った。「難解な課題ですねえ…

<人間が歩み・・・描く・・・歴史ストーリー>と言うものは…<リアリティー/迫真/

則下(そくか/即今)…>似ていて…<主体はまさに・・・ヒトの・・・心の領域の中>

あります。

これは

<人類の・・・種の共同意識体の中の・・・超座標>に描かれていて、【一般相対性

理論】【量子力学】 も、そして【弦理論】も…この<心の領域の・・・超座標>に描か

れています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《Twitter/茜・新理論研究所》  <19>

【人間原理ストーリーの・・・バイアス/偏向】 (19)


ページの・・・イトルを変更します…」マチコが言った。「まず・・・トランプ台風を乗り

切る!でしたが…熱帯性低気圧/台風・ハリケーンは…現在、発達中です。

もうしばらく…米・トランプ政権様子を見た方が、良さそうですよね。

ええ…それで…

すぐに、そちらへはへシフトせずに…人間原理ストーリーの・・・バイアス/偏向…と

タイトルを変更し、現在の考察を、深めて行こうと思います」












 2月 2日








岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(224)

一月十日  (響子の言葉・22-6)


…分かって来ると思います。

女たち<ゆあみなどせむとて>というのは…海水体を洗うという事でしょうか?


★ 雲もみな 波とぞ見ゆる 海人
(あま)もがな いづれか海と とひて知るべく


この歌は…途方もなく雄大古代の海を、連想させますね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(223)

一月十日  (響子の言葉・22-5)


ええ…

貫之さんは、国守として土佐赴任する時は、子供2人連れてきた様ですね。でも、

を亡くし、母親はその悲しさに苦しんでいます。

<これもちが舟の遅れたりし、奈良志津より室津に来ぬ>…の一文、意味不明です

が、読み進んで行くうちに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

                           羽根崎と紀貫之の歌碑 羽根岬にたっています  /・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(222)

一月十日  (響子の言葉・22-4)


多様性を失っているのでしょう。

話は、少し違いますが…

私たちは…そうした大自然復活させるためにも…<文明の折り返し/反グローバル

化>を…その具体策として、また、ポスト民主主義の器として、〔人間の巣の世界展開

/人間の巣のパラダイム〕…を提唱しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

                                    ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(221)

一月十日  (響子の言葉・22-3)


…あったわけですが、現代とは違う感動の世界があったわけですね。

現代では…

芭蕉『奥の細道』足跡をたどっても、風景そのものがスレてしまい、感動の無いもの

になっています。自然のリズム単調になり、無感動になり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

                                    ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(220)

一月十日  (響子の言葉・22-2)


当人だけでなく、幾世代もの語り草になるのでしょう。これほどの、命を洗うような新鮮

な旅の体験は、現代ではもう不可能ですね。

大自然の風景そのものが神秘的で、脅威的で、感動的だったと思います。(いにしえ)

野生の只中(ただなか)に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

                                    ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(219)

一月十日  (響子の言葉・22-1)


「うーん…船旅というのは…

古代運搬手段としては申し分ないのですが、それなりの苦労も多いようですね。私な

どは山育ちの人間ですから、確実に歩を刻んで行く方が楽しいような気もします。

でも外海の、室戸岬廻る赴任の旅は…















 2月 1日












岡田健吉‏@zu5kokd1 紀貫之  

《 HP/『人間原理空間』 の方で・・・アップロード 》・・・1月31日

『土佐日記』/(2)〈奈半 ~ 室津〉(140~  /追加中


               <ジャンプ>

岡田健吉‏@zu5kokd1 紀貫之  

《 HP/『人間原理空間』 の方で・・・アップロード 》・・・1月31日

『土佐日記』/(1)〈国府 ~ 大湊〉(1~139/完了


                    <ジャンプ>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 紀貫之  

《 HP/『人間原理空間』 の方で・・・アップロード 》・・・1月31日

『土佐日記』        <ジャンプ>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(218)

一月十日  (現代語訳・22-7)


女のこの人あの人は、水浴びなどをしようとして、周辺のそれなりによい場所におりて行

く。海をはるかに眺めると、


         
雲も全て・・・

              波と同じに見える・・・

                   漁師がいたならば・・・

                       どちらが海かと・・・

                   尋ねて知るのに・・・


と歌を詠んだ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

                                    ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(217)

一月十日  (現代語訳・22-6)


                  気持ちにまさる・・・

            思いはないのだなあ・・・


と言いながら…

十二日。雨は降らない。ふんとき、これもちの舟が遅れていたのが、奈良志津から室津

に来た。

十三日の夜明け前に、少し雨が降る。しばらくして止んだ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(216)

一月十日  (現代語訳・22-5)


…母親が悲しがられることよ。下向した時の人の数が足りないので、昔の歌に、「数が

たりないので帰るようである」 という文句を思い出して、ある人が詠んだ歌、


          
世の中で・・・

                思いをめぐらしても・・・

                      子を恋い慕う・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1         

                           羽根崎と紀貫之の歌碑 羽根岬にたっています  /・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(215)

一月十日  (現代語訳・22-4)


…あるので、この歌がよいというわけではないが、そのとおりだと思って、人々が忘れな

い。

この羽根という所を尋ねた子供の(ことを見た)機会に、また亡くなった娘を思い出して、

いつの日にか忘れるであろう。今日はいっそう、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

                           羽根崎と紀貫之の歌碑 羽根岬にたっています  /・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(214)

一月十日  (現代語訳・22-3)


まだ幼い子の話なので、人々が笑う時に、例の女の子が、この歌を詠んだ。


         
本当に名に聞く通り・・・

               羽根であるならば・・・

                     飛ぶように・・・

                  都へ帰りたいものだ・・・


と言った。男も女も、何とかして早く京へ帰りたいと思う気持ちが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

                                    ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(213)

一月十日  (現代語訳・22-2)


こうしているうちに、すっかり夜が明けて、手を洗い、いつもの事などをして、昼になった。

ちょうど今、羽根という所に来た。幼い子供が、この所の名を聞いて、

「羽根という所は、鳥の羽のような形なの」

と言う。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

                                    ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(212)

一月十日  (現代語訳・22-1)


十日。今日はこの奈半の港にとまった。

十一日。夜明け前に舟を出して室津を目指す。人はみな、まだ寝ているので、(自分一

人が起き出すこともできず)海の様子もわからない。ただ月を見て、西東の方角を知っ

た。