<i>Lucanus cervus tauricus</i> Motschulsky, 1845

Lucanus cervus tauricus Motschulsky, 1845

クリミヤ半島のヨーロッパミヤマクワガタ




V.de Motschulsky 1845 は BULLETIN Societe Emperiale DES NATURALISTES DE MOSCOU XVIII, 1845, p. 60 において ヨーロッパミヤマからの派生種を4種記載してる。この記載でクリミヤ (クリミヤ半島、コーカサス地方、主に黒海 北東周辺) に分布とされているのは Lucanus tauricusLucanus maxillaris である。これらに関して古いものから現在まで幾つかの文献に学名が散見されるが、それぞれ扱いが異なる場合が多く maxillaris だけを有効名として認める場合や反対に tauricus の方を亜種や型とするもの、どちらも亜種や型として認めない等々研究者によって見解が分かれている。 フランスで出版された多くのクワガタを網羅する R. DIDIER et E. SEGUY 1952 世界のクワガタ図説目録テキスト版では「黒海周辺から記載された Lucanus cervus ver. maxillaris de Motschulsky について、何ら情報を持っていない」とだけ記述され、記載者の記載文(1845)やその後に書かれた禍根を残す文献 (Bull.Soc.Nat.Moscou 1870) についても一切ふれていない。
これまでに見ることができた幾つかの更に古い文献ではこれらを Lucanus cervus のシノニムとしていることが多いのだが とにかくこの Lucanus tauricus,Lucanus maxillaris, はずっと気になっていた。Motschulsky 1845年の記載では形態と分布地の記述があるだけだったが25年経った1870年になって記載者 による新たな論文が出されここではプレートに図も残している。だがこれらの文献を見てもクリミヤ半島産ヨーロッパミヤマ はいかなるものか疑問は残り続け、ようやく2010年頃になって現地コレクターのおかげでクリミヤ半島で採集されデータのしっかりした採集個体をある程度の数見る事ができた。そこで記載に該当する形態 を持つものがあるのか、ヨーロッパ各地で採集された Lucanus ミヤマクワガタとの比較をしないわけにはいかない。

- 記載者について -

記載者 V.de Motschulsky 1845 はロシアの昆虫学者 (博物学者、探検家) で ロシア帝国陸軍大佐でもあった。 研究の対象は主に甲虫でヨーロッパ、アジア、アメリカなど未調査の地域を含め長期間旅行し 新属、新種を多数発見している。日本には訪れていないようだが日本産ノコギリクワガタやミヤマクワガタに学名を付けたことでミヤマ狂いには知られた学者である。当時研究に使用した標本は日本に駐在していたロシアの外交官が 採集し持ち帰ったものだと云い後に膨大なコレクションは幾つかの博物館 (ロシア、ドイツ?) に分散されたようだ。(Wikipedia 参考)

以下、見る事のできた古い文献について少し書いてみるが、相変わらずの文なので読むのが面倒なミヤマ狂いの面々は飛ばして下の方の写真へどうぞ。




- G. Kraatz 1860 Berlin. Ent. Zeitschr. IV, 1860, -


ドイツの G. Kraatz 1860 は Berlin. Ent. Zeitschr. IV, 1860, で Lucanus cervus の近縁種について解説し分類を行なった。その中で V. de Motschulsky 1845 が記載した tauricusmaxillaris などに関しては Lucanus cervus との違いを発見できないというものだった。 結局 G. Kraatz 1860 はこれらを Lucanus capra (Lucanus cervus の小型個体) と同じものとして扱っている。 この文献には Lucanus cervus の近縁各種の大腮、触角が分かる頭部の図が載っており、触角片状部の節数についても3節から6節のものまで図示されている。 ヨーロッパと小アジアの Lucanus についてプレートの図で比較解説した初めての文献だと思う。ただしシノニムとしたクリミヤ半島、コーカサス地方からの Lucanus の図はない。


- Dr. G. Kraatz 1860 によるシノニミックリスト -

I. Mandibulae basin versus leviter dilatatae.

   1. Mandibulae dente majore anle medium inshuctae. 
    Spec. Lucanus cervus Linne (Europa, Asia).
        var. minor. 
                 Luc. capra Ol. (hircus Herbst, capreolus Sulz., 
                    dorcas Panz., maxillaris. tauricus Motsch.) 
          var. antennarum clava 5-lamellata, mandibulis denticu-
                    lis obtusis. 
                 Luc. pentaphyllus Reiche (Gallia).
          var. antennarum clava 5-lamellata, mandibulis apice 
                    simplicibus. 
                 Luc. Fabiani Muls. (Gallia). 
          var. antennarum clava 6-lamellata, mandibulis apice 
                    simplicibus. 
                 Luc. pontbrianti Muls. (Gallia). 
          var. antennarum clava 6-lamellata. 
                 Luc. turcicus Sturm (Graecia, Turcia, Asia).

   2. Mandibulae dente majore medio instructae.
   Spec. Lucanus orientalis Kraatz (tetraodon Du Val)
            (Turcia, Asia).
        var. ? Luc. ibericus Motsch. (Iberia). 
          var. minor.
                var.? minor et latior.
                 Luc. curtulus Motsch. (Caucas ). 
          var.? antennarum clava lamellis vaide elongalis. 
             Luc. macrophyllus Kraatz (Caraman.).

   3. Mandibulae dente majore denticulove pone medium instructae. 
   Spec. Luc. tetraodon Thunb. (serraticoimis Du Val) (ltalia).
      ♀var. clava 5-lamellata.
                 Luc. impressus Thunb. (ltalia). 
           var. minor.
             Luc. bidens Thunb. (ltalia).

II. Mandibulae basin versus fortius dilatatae.
      Spec. Lucanus Barbarossa Fabr.


  ---Reihenfolge der Arten.---

   1. cervus L.
       v. capra Ol.
       v. pentaphyllus Reiche.
       v. Fabiani Muls.
       v. Pontbrianti Muls.
       v. turcicus Sturm. 
   2. orientalis Kraatz. tetraodon Du Val.
       v.? ibericus Motsch.
       v.? curtulus Motsch.
   3. tetraodon Thunb.
       barbarossa Costa.
       serraticornis Du Val.
       v. bidens Thunb.
     ♀v. impressus Thunb.
   4. Barbarossa Fabr.

- Berlin. Ent. Zeitschr. IV, 1860 P273より -

  現在の分類とはだいぶ違っているな~。



- Motschulsky 1870 BULLETIN Societe Emperiale DES NATURALISTES DE MOSCOU XLIII, 1870 P.18 ~ 49 -


1845年の記載から25年が経過し Motschulsky 1870 は再度 Lucanus tauricusLucanus maxillaris などについて解説した。この論文ではより詳しい 記述がされており Lucanus tauricus についてはLucanus capra の大きい個体と比べ本種はややコンパクトだがエリトラは同じか少し長いくらい になると書き大腮の内歯の形状にもふれている。Lucanus capra とは Lucanus cervus の小型個体のことで、これらの記述から tauricus は大きいサイズは 稀なのかもしれない。更に生態調査がなされたようでクリミヤ半島では古い野生の梨に集まると書いている。 この文献ではロシア南部、シリアなどからも幾つか Lucanus の記載がされており図も載せられた。これは G. Kraatz 1860 のプレートに書かれた図と似た構図だが頭部だけではな くエリトラの部分まで書かれているものもある。Motschulsky氏は1845年の記載を G. Kraatz 1860 の論文中で幾つか無効とされ心外だったのかこれに対して抗する論文でもあったようだ。


BULLETIN Societe Emperiale DES NATURALISTES DE MOSCOU XLIII, 1870 プレート I より部分的に切り抜き

後に L. Planet1897 が昆虫のカタチを認識するには不十分だと批判した図。



V.de Motschulsky 1970 はこの論文で 幾つかの記載をし Kharcov 近郊で採集された大型個体を Lucanus cervus eurpaeus としているが、これらの触角に関して先端 から触角5節目 (触角はfeuilletと書いている) は4節目の半分程度の長さがあると書き、そしてこれを pentaphyllus (触角片状部が5節の型)として扱っている。 この Kharcov あたりの個体は幾つか実見しているがやはりその様な5節に見える個体が触角4節のものに混じっていた。今までに来たクリミヤ半島からのものは13個体で 更に多くを見ないことには確かなことは言えないが中に完全に触角5節と言えるものはなかった。 あらためて書くと tauricus について1845年に書かれた記載文には触角の形状の記述はなく図もなく25年後のこの論文でも文中に tauricus が触角片状部5節との記述はない。中で解説した種の区別が容易になるとした系統図がありそこでは tauricus を触角5節の位置においている。ただし見にくいが図では5節には見えない。



- Luis Planet Le Naturaliste 1897 ESSAI MONOGRAPHIQUE P82 ~ 83 -


時代は更に進んで記載から52年経った1897年になりクワガタに関する多くの研究論文や優れた図を残しているフランスの L. Planet 1897 は V. de Motschulsky 1845 が記載した tauricusmaxillaris について Le Naturaliste 1897 ESSAI MONOGRAPHIQUE P. 82 ~ 83 に書いている。最初にこれらの触角について一つは4葉 (feuillet) もう一つは5葉との記述が ありこれらは Lucanus cervus cervus である可能性が高いとしているが、型や亜種とは認めないと言うことなのかはっきり断定はしていないようにも思える。続いて Motschulsky 1870 による仕事は残念ながら 批判の対象となっておりそれに付随する図は関連する昆虫の特徴を正確に認識するにはあまりにも不十分であるとし、更に G. Kraatz 1860 の研究論文に対し批判をおこなっている事も疑問であると書いた。このLuis Planet Le Naturaliste 1897の解説には昆虫の図はなくV.de Motschulsky 1870 の原文をそのまま引用し載せている。 他の研究者も tauricus にふれた文献を残しているが当時 G. Kraatz 1860 を支持するものが殆どであったようだ。




- Lucanus cervus ヨーロッパミヤマの触角 -


Lucanus cervus の触角についてヨーロッパの研究者が注視していたことが幾つかの古い文献から良く分かるが、ユーラシア大陸西側に分布するミヤマの特徴 として触角が地域によって同じ個体群の中で触角片状部が変化する個体がいることが知られている(安定した地域もある)。 一例として J. Thomson 1864 (Catalogue des Lucanides) はギリシャに分布するヨーロッパミヤマクワガタの触角について、一般的な4節のほかに4 - 1/3節、4 - 1/2節、5節、6節、になっているものがあるとして細分している。4節と1/3-1/2とも見える微妙な個体が地域によってあることで研究者によって扱いも違っていた。

触角が4節以外見られない地域は英国で J. T. CLARK 1977 はロンドン近郊で採集された Lucanus cervus 573個体を使いサイズや形態、生態、発生時期などの調査をしその中でイングランド産は触角4節しか見られないと書いている。
(Aspects of variation in the stag beetle Lucanus cervus, Systematic Entomology 1977 - 2, P. 9 ~ 12) より





(1) Lucanus cervus tauricus Motschulsky, 1845 に該当するクリミヤ半島南部産
(2) Lucanus cervus cervus Linnaeus, 1758 南ロシア ボロネジ
(3) Lucanus cervus cervus Linnaeus, 1758 ロシア 西カフカス ソチ近郊
(4) Lucanus cervus cervus Linnaeus, 1758 イングランド コールチェスター




(5) Lucanus cervus fabianii Mulsant et Godart, 1855 南フランス
(6) Lucanus cervus cervus Linnaeus, 1758 東フランス
(7) Lucanus cervus cervus Linnaeus, 1758 ドイツ フランクフルト近郊
(8) Lucanus cervus cervus Linnaeus, 1758 チェコ共和国

全て56~58mm程度のサイズでヨーロッパ各地の Lucanus を並べてみた。同じ地域の同じ種でも大腮の比率の違いなど個体差はあるのだが、こうして見るとクリミヤ産の形態は他の地域と区別が可能と 見える。更に大きい個体は検していないが大腮の中頃にある大きい内歯から先に並ぶ小さい歯は他地域のものとは明らかに違いがあり、体長40mm台の小さい個体は大腮中頃の大きい歯から先端に向かう 小歯が融合し台形に近づく。体色は黒味がつよい (手元にある2000年代採集の標本で見た限り) 個体が殆どでエリトラは体長に対して比率が大きくなる。おそらく他地域のものと複数並べたとしてもクリミヤ半島南部産だと見分けがつく程度の形態的差 はあると見える。Lucanus cervus tauricus Motschulsky, 1845







(1) Lucanus cervus tauricus Motschulsky, 1845 クリミヤ半島南部 58mm
(2) Lucanus cervus cervus Linnaeus, 1758 ロシア西カフカス ソチ近郊 59mm






(3) Lucanus cervus tauricus Motschulsky, 1845 クリミヤ半島南部 56mm
(4) Lucanus cervus fabianii Mulsant et Godart, 1855 南フランス 54mm






(5) Lucanus cervus tauricus Motschulsky, 1845 クリミヤ半島南部 45mm
(6) Lucanus cervus cervus Linnaeus, 1758 ウクライナ オデッサ 46mm






(7) Lucanus cervus tauricus Motschulsky, 1845 クリミヤ半島南部 44mm
(8) Lucanus cervus fabianii Mulsant et Godart, 1855 南フランス 44mm

少し拡大して大腮を見やすくしたつもりだが大腮先端に近い位置の小歯の違いは分かると思う。tauricus の小さい個体では歯形がスジクワガタのような台形に近いカタチになるのは面白い。 この小さい個体は Motschulsky 1870, の中で Lucanus cervus brevicollis とされたもののようだ。






Lucanus cervus tauricus Motschulsky, 1845 クリミヤ半島南部産 サイズ 45mm~58mm

下の写真中央の展脚違いは現地コレクターから直ではありません昔東京インセクトフェアで見つけたものでした。






左側の写真は別の欧州人が送ってくれたクリミヤ半島産で、右の写真は比較のためウクライナと西カフカスからのもの。現地コレクターから来たものは半島南部海側などの低山地標高 400m 前後の採集ラベルが付いていたが、この2個体は少し離れた場所のラベルが付きだいぶ雰囲気が違い細身でエリトラは平たくなく凸型が強い。記載文に書いている形態の特徴と Motschulsky 1870 の図から Lucanus maxillaris, に該当するようにも見えるが2個体だけしかなく何とも言えない。





例のマスクしろしろ騒ぎから参加していない国内のフェアなどではかなり昔から tauricus と同定されたクリミヤ産標本を何度か見かけた事がありました。標本を提供してくれたヨーロッパ各地の研究者の中にも亜種として扱う方もいて、古い標本の中にもこの種の同定ラベルが付いているものがあります。本邦で出た図鑑では tauricus を扱ったものをあまり見かけないのですが最近は出版物のチェックも怠っているので知らないだけかもしれません。古い文献を見てロシア、ドイツ、フランスなどの昔の研究者が色々と熱い論争を長い時間をかけやっていたんだな~と、その熱意と根気と努力に感心したしだいです。今回ここで扱った地域に早く平和が訪れることをお祈りいたします。


2023/10/31 - A.CHIBA - fwhz5092@nifty.com