白髭神社  (新規;2014年5月10日)

隅田川七福神;毘沙門天(多聞寺)← 寿老神(白鬚神社) → 福禄寿尊(百花園) 


白鬚神社は、いわゆる明治通りから少し入った場所に在って、向島百花園にほとんど隣接している。
白鬚橋からも、もちろん直ぐのところで、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の東向島駅や曳舟駅からは徒歩10分から15分程度。
また、曳舟駅からは、地蔵坂通り(商店街)経由も便利。ただし、歩道と車道が分離していないので車に注意されたい。
「坂」という名だが、ほとんど坂はなく墨堤通りに突き当たる直前がちょっとした坂になっていて、突き当りの右側に地蔵堂がある。
お地蔵さんから墨堤通りを北上して100m(たぶん)程度進んだ右側に白鬚神社がある。さらに100m(これまたたぶん)進み、明治通りとの交差点を左に曲がるとすぐ白鬚橋東詰めである。

祭神の猿田彦命は道案内の守り神ということから、お客を案内する千客万来、商売繁盛の信仰かが生まれる。

隅田川七福神のお寺で、寿老神(寿老人)が祀られている。
隅田川七福神の中でなかなか見つからなかった寿老人を、白い鬚の長寿の神様として白鬚大明神にあてたことから「神」としている。
引用;駅で配布されているパンフ「隅田川七福神めぐり」より



白髭神社鳥居白髭神社鳥居


















白髭神社全景白髭神社全景

 

















白髭神社本殿近景白髭神社本殿近景


















白髭神社狛犬白髭神社狛犬


















寺島ナス
白髭神社境内に設置されている案内板がある。江戸時代以降のこの地域は寺島村と呼ばれ、ナスが名産品であったそうだ。
町名に「寺島」が現在でも有って、また、小学校や中学校そして図書館などに「寺島」の名称が使われている。

寺島ナス江戸・東京の農業 寺島ナス
 かつて、白髭神社の周辺は寺島村といいました。元禄郷帳(1688〜1704)によれば、この地域一帯は、水田を主とする近郊農村でしたが、隅田川上流か運ばれてきた肥沃な土はナス作りにも適し、ナスの産地として、その名も「寺島ナス」と呼ばれていました。
 享保20年(1735)の「続江戸砂子温故名跡志」には、「寺島茄子 
西葛西の内也。中の郷の先、江戸より一里余」とあり、「夏秋の中の嘉蔬(かそ)とす。」また、文政11年(1828)の「新編武蔵風土記稿」には、茄子と して、「東西葛西領中びて作るもの」として「形は小なれどもわせなすと呼び賞美す」と江戸近郊の名産であることが記されています。
 農家は収穫したナスを船を使って、千住や、本所四ツ目、神田の土物店(つちものだな)(青物市場)等に出荷していました。
 江戸時代、悠々と流れる隅田川の東岸。田園地帯であった寺島に、後世に伝えるに値するナスの銘品があったのです。

平成9年度JA東京グループ
農業協同組合法施行五十周年記念事業





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