落語と隅田川にかかる橋

落語の中で隅田川にかかる橋が登場する噺しは、どういったものがあるのでしょうか。
江戸時代初期以降、千住大橋、両国橋、新大橋、永代橋そして吾妻橋の5橋が架けられています。ただし、初代のものは残っておらず何回も架橋し直されている とは思いますが。したがって、本サイトでは17橋について紹介しておりますが、実は現在架かっている橋の多くは昭和に入ってか らのものだそうです。
さて、古典落語では上記の5つの橋が落語の中に登場する可能性があるわけですが、どういうわけか新大橋は登場する噺しが無いそうで、実質的には新 大橋を除いた4つの橋が登場してくるわけです。



吾妻橋吾妻橋はどういうわけか身投げの名所の様です。西岸側には、浅草寺を中心とし、その門前町が存在し、ま た、その北側にはいわゆる 「吉原」が在って、表立っては江戸の町に華やかさを与えつつ、その実、江戸庶民の辛さ、悲しみあるいは哀れさの舞台となっていたのでしょう。
吾妻橋の東岸側には、江戸の昔から向島と本所と呼ばれるエリアが在って、本所には武家屋敷と職人が住む長屋が展開されていたのでしょう。職 人の日常といえば、博奕が付き物で、当然博奕に手を出せば貧乏することに女房、子どもを泣かす者も少なくなかったはずです。また、人が多く住めば商売をす る者も 多くなるわけで、うまく行く者もあれば失敗するものもあるわけで、世の中の浮き沈みの現実が有ったのでしょう。明治以降は、おそらく、地方から東京に出て くる人々も増加し、本所エリアに落ち着く人々も相当いたのでしょう。








両国橋_近景両国橋は何と言っても「両国の花火」と相撲でしょう。また、両国広小路が賑わった頃の見世物小 屋などが連想されるでしょ う。












永代橋遠景かもめ永代橋を東岸側に渡って永代通りを15分ほど歩きますと深川不動と富岡八幡があります。富岡 八幡といえば江戸三大祭りのひとつとも言われる祭礼が八月 に開催されます。夏の熱い盛りの時期で、各神輿には沿道から水がかけられるのが恒例で、担ぎ手の暑さを和らげる効果も有るのでしょう。永代橋の西岸にも氏 子になっている町が有って宮入りの際は結構永い距離を威勢よく担ぐ様で、担ぎ手は平素より鍛錬していらっしゃるのでしょう。もっとも、江戸時代には、土地 柄から木場の若い衆など体力も気力も充分、粋でイナセに活躍したのでしょう。















「文七元結」
大門をそこそこに、見返り柳をあとに見て、道哲を右に見て、待乳山聖天の森うぃ左に見、山の宿から花川戸、左へ曲る、吾妻橋・・・。
「(腕組みして、はるか吉原の方をながめながら、つくづくと)お久、辛抱してくれ。(すすりあげ)俺ァきっと、来年の秋ごろまでには、稼いでな、お前を家 につれてくるようにするから、辛えこともあるだろうが、どうか辛抱しつくれ。なァ。(すすりあげ、深いため息)あァあ、持つべきものは子だッてェが、博 奕ァ俺ァもう、本当にふつふついやに・・・・。
(ふと、人かげに気がつき、目を放さず近づいて、腕まくりしていきなり相手の腰のあたりを抱き止める)
「おいッ待ちねえ。おいッ、危ねえから待ちなてんだ、おい。そこを放せ・・・おい、その手を放しなよ」


「(すすりあげて)決してそんな者ではございません。あたしは横山町、三丁目の近江屋卯兵衞という、鼈甲問屋の若い者でございますが、小梅の水戸様まで掛 けをいただきにまいりまして、帰る途中、枕橋まで参りますと、変な奴があたくしへ突き当りました。ああいう奴が他人の懐を狙うんだと、気がついた時はもう 金は奪られておりました。(泣いて)ご主人に申しわけございませんから、身を投げて死ぬんでございます。」

引用;
書名;圓生古典落語 2 (集英社文庫)
著者;三遊亭圓生
監修;関山和夫
出版社;集英社
昭和54年12月25日 第1刷
P129〜169



「唐茄子屋」

気がついた時はもう遅い。「いつまでもあると思うな、親と金。ないと思うな、瘡と天罰」・・・往来を歩いている、ざあーッというえらい夕立 で・・・。もう軒下へ入るもなにもない。雨降らば降れ、風吹かば吹け。びしょびしょに濡れてその中をびしゃびしゃ歩いて、そのうちに雨はあがり、夜にな る。
「あァあ、ずいぶん腹がへっちゃったなァ。考えりゃ今日で三日、何にも食ってねんだなァ。こんな姿で生きていたかァない。もうしようがない、親戚なんても のはいくらあったって頼りになるもんじゃねえや。俺の顔を見りゃ、『出て行け、出て行け』ッて言いやがる・・・ここは吾妻橋だ、ずいぶん川ン中にゃ水があ るもんだなァ・・・あの水を飲んだらいくらか腹がくちくなるかしら。・・・よし、もうここで身を投げて死のう、それよりほかにしょうがねえ。・・・お父ッ つァん、おッ母さん、(あたまを下げて合掌する)ほんとうに長い間、苦労かけてすいませんでした。あの世でお目にかかってお詫びいたします。どうぞ、お二 人とも長生きをして下さい。あたくしは先へあの世へいきますから・・・なむあみだぶつ、南無阿弥陀仏・・・南無阿弥陀仏・・・」

引用;
書名;圓生古典落語 4 (集英社文庫)
著者;三遊亭圓生
監修;関山和夫
出版社;集英社
昭和55年4月25日 第1刷
P83〜120



「たが屋」

両国の川開き、花火見物で両国橋の上は黒山の人だかり。「玉屋、鍵屋」のかけ声でにぎやかだ。
 そこえやってきたのが、馬に乗った侍。徒歩の家来二人を引き連れ、よせばいいのに大混雑の橋を無理に通ろうとする。身分が違うから、町人たちは誰も文句 が言えない。
 そのとき、橋の反対側からやってきたのが、往来で桶のタガを修理するたが屋。商売の帰りだから、大きな道具箱をかついだまま、
「すいません。まことに、どうも」
 あやまりながら橋の中央。そこで侍チームと出くわした。
「寄れ、寄れいっ」
 道具箱を持っているから、たが屋は身動きがとれない。怒った徒歩の家来が、たが屋を突きとばしたはずみに道具箱が落ち、竹をぐるぐる巻にしたタガがビー ンと伸びて、馬上の侍の笠をはねあげてしまった。

引用;
書名;古典落語100席
著者;立川志の輔
選・監修;立川志の輔
出版社;PHP研究所
1997年11月18日第1版第1刷
2005年11月22日第1版33刷

P218〜219



「永代橋」

「おい、たいへんだおい、永代橋が落ちたってな」
「えッ?永代橋が・・・?」
「ああ、大変だよ。何しろまァ、ずいぶん落ッこって七、八百人がしんだろうてんだ」
「へ、そりゃおどろいたね、えらい事だね・・・(隣の人へ)おい、永代橋がおちたッてね」

引用;
書名;圓生古典落語 5 (集英社文庫)
著者;三遊亭圓生
監修;関山和夫
出版社;集英社
昭和55年5月25日 第1刷
P324〜345





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