俳諧と俳句
(2013年6月29日作成)
俳句については、五七五で構成され、必ず季節を表す季語が入っているといったことぐらいしか知りません。
また、俳句といえば、一茶、蕪村そして松尾芭蕉といった人名が思い浮かびます。
それでは、俳諧とは何でしょうか?俳句と何が違うのでしょうか? 特に気にも留めずにおりました。
俳諧とは連歌のような構成であり、複数の人の間で句のやり取りを繰り返すもの、その一番初めの句を「発句」と呼び、この発句が即ち時代の経過とともに「俳 句」と呼ばれる様になったらしいのです。
どうも、芭蕉さんは、俳句ではなく俳諧を創作していたらしいのです。彼の作品、例えば「奥の細道」や「野ざらし」といった紀行文集の様な著作 を読めばわかることなのかもしれませんね。
昔、古文の教科書の「奥の細道」の章で勉強したのは、あくまで冒頭部分や一部を抜粋した局所的なものであり、私は上述のことは理解できなかったのだと思い ます。
芭蕉さんの俳句の部分のみを読んでも本来の意味が分からなくても仕方が無いのだと思います。






俳諧とは何でしょうか?

他サイトさんの発信情報を抜粋、引用させていただきます。
ありがとうございます。
詳しくは、あるいは正確には、各サイトさんにアクセスしてみてください。

俳諧(はいかい)

俳諧(はいかい)とは、主に江戸時代に栄えた日本文学の形式、また、その作品のこと。誹諧とも表記する。正しくは俳諧の連歌あるいは俳諧連歌と呼び、正統 の連歌から分岐して、遊戯性を高めた集団文芸であり、発句や連句といった形式の総称である。

松尾芭蕉の登場により冒頭の発句の独立性が高まり、発句のみを鑑賞する事も多く行われるようになり、明治時代に成立した俳句の源流となる。時に作者個人の 創作たる発句を完全に独立させた近代文芸の俳句と同一視される。専門的に俳諧に携わるひとを「俳諧師」と呼ぶ。 江戸期においては専業のいわゆる「業俳」が俳諧師と呼ばれていた。 本業があって趣味として俳諧を楽しむ人は「遊俳」と呼ばれ、遊俳は俳諧師とは呼ばれない。

引用;
http://ja.wikipedia.org/wiki/ 俳諧




俳句

俳句は近世に発展した文芸である俳諧連歌、略して俳諧から生まれた近代文芸である。室町時代に流行した連歌の遊戯性、庶民性を高めた文芸が俳諧であったが 17世紀に松尾芭蕉が出てその芸術性を高め、なかでも単独でも鑑賞に堪える自立性の高い発句、すなわち地発句を数多く詠んだ事が後世の俳句の源流となる。
さらに近代文芸として個人の創作性を重視して俳句を成立させたのが明治時代の正岡子規であった。子規は江戸末期の俳諧を月並俳諧と批判して近代化した文芸 たらしめるための文学運動を行い、発句が俳句として自立した。俳句の自立後の視点から、芭蕉などの詠んだ俳諧の発句をさかのぼって、俳句と同一視するよう になった。

引用;
http://ja.wikipedia.org/wiki/ 俳句



参考;

ふくしま 奥の細道 風流の旅
http://tabijitaku-fukushima.com/info_haikai.html


俳句と俳諧(第72巻 近世俳句集・近世俳文集より)
http://www.japanknowledge.com/contents/intro/koten/shoutai/cont_kotenshou72.html




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