松尾芭蕉と隅田川にかかる橋の年表
(2013年6月29日 作成)
本年表は、Webサイト「千住物語」さんの年表を引用させていただきました。
また、「隅田川にかかる橋」に関する記述などを変更、追加致しました。
http://www.senjumonogatari.com/bashou.htm
西暦 せいれき |
年号 ねんごう |
年齢 ねんれい |
事跡 じせき |
隅
田川にかかる橋 |
1594 | 文 禄 3 | 9月
隅田川最古の橋 大橋が架けられる(徳川家康の家臣伊奈忠次の指揮) 橋の南北の位置する千住宿は、江戸四宿(千住・品川・板橋・内藤新宿)の中では最大の距離を もち、日光道中の宿場 日光・奥州方面への玄関口として栄えた |
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1644 | 正保 元 しょうほう |
1 | 伊賀上野の赤坂に松尾与左衛門の次男として生まれ、 幼名は金作といった。兄、姉各1人、妹3人 | |
1656 | 明暦 2 めいれき |
13 | 2月、父が死去した。上野の新七郎家の嫡子、良忠 (俳号蝉吟)に仕えていたと考えられる | |
1659 |
万冶 2 | 16 |
万 治2年(1659)両国橋架橋さる。 | |
1660 | 万 冶 3 | 17 |
両国橋 が架けられ 以来 大橋は 千住大橋と呼ばれるようになる | |
1666 | 寛文 6 | 23 | 4月 主人の藤堂良忠(と
うどよしただ)が死去 京都に遊学し、北村季吟について俳諧の教えをうけた |
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1672 | 寛文12 | 29 | 江戸に出た。 | |
1675 | 延宝 3 えんぽう |
32 | 江戸へきた談林派の創始者、西山宗因(にしやまそう いん)に会い、その俳席に出席した | |
1678 | 延宝 6 | 35 | この頃、生活のために神田上水の工事に関する仕事を していた。 | |
1680 | 延宝 8 | 37 | 冬、杉風の好意で、深川の住みかに移った。 徳川綱吉将軍となる |
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1681 | 天和 元 てんな |
38 | 春、門人李下(りか)から一株の芭蕉を贈られた。それ以来、住まいは「芭蕉庵」と呼ばれ、俳号も「芭蕉」とあらためられ た。 | |
1682 | 天和 2 | 39 | 12月み出火した江戸大火ののため、芭蕉庵が類焼した。 | |
1683 | 天和 3 | 40 | 母は死去した 冬、門人たちによって、芭蕉庵が再建された。 |
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1692 | 元禄 5 | 49 | 新築し
た芭蕉庵にはいった。 |
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1693 |
元禄 6 | 50 |
元 禄6年(1693)新大橋架橋さる。 | |
1694 | 元禄 7 | 51 | 7月 盆の供養をするため上野に帰って、2ヶ月滞在
した 9月8日 上野を立って、奈良を経て大阪に出た。29日から下痢のため病床についた 10月5日、南御堂前に移り、12日午後4時ごろ、門人にみとられて死去した、14日、遺言により、遺体は大津の儀仲寺に葬られた。 |
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1698 |
元禄 11 | - |
元 禄11年(1698)永代橋架橋さる。 |
引用;
本年表は、Webサイト「千住物語」さんの年表を引用させていただきました。
また、「隅田川にかかる橋」に関する記述などを変更、追加致しました。
http://www.senjumonogatari.com/bashou.htm