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「西洋紀聞 (教育社新書―原本現代訳〈61〉」新井白石(著)、大岡 勝義 (翻訳)、飯盛 宏 (翻訳)(教育社 1980年10月)

→目次など

■1708年、イエズス会士シドッチを尋問し、将軍閲覧用に著された『采覧異言』とともに著された書。列強による侵略の様相を現実的に感じる世界情勢の記録と、東洋の知性によるキリスト教批判がすばらしい。■

学生時代に一度は聞いたことのある『西洋紀聞』。 調べてみると、校注版、校訂版は数種類でているようですが、現代語訳された版は、「西洋紀聞現代語訳」(PDF)(村岡典嗣校注、諏訪邦夫現代語訳)および本書くらいのようです。 少し比較してみたところ、原文にはない改行や項の見出しを独自に加えていることと、部分的に注釈を訳文に入れてあると思われることを除き、文の大意が大きく異なる部分はみられず、どちらも概ね原文に忠実なのではないかと思われます。

私は、内容に興味を持ったことがなく『西洋紀聞』という題名から、西洋の事情について新井白石が聞き取った事柄を書き記した本だろうと考えていました。 中巻を読んでみると、オーストラリアが新オランダと呼ばれ、カナダが新フランスと呼ばれて、オーストラリアの位置を教えないのは、教えれば、新井白石のような優れた人物であれば制服に赴くであろうと考えるからであると回答していることなど、当時の世界情勢を輪切りにして知るための良い資料になっているようです。

さらに、今のように洗脳されていない当時の日本人が、キリスト教をきちんと批判して、ひと言も道理になかったところがないと切り捨て、西洋の学問が精神的な面ではまるで未開発であると見抜いているところは本書の要諦であろうと思われます。

『西洋紀聞』を読んで、教会に行かなくなった方のページがありました。「〜最後の宣教師『東洋vs.西洋』〜


本書にはありませんが、シドッチはフィリピンに居留していた日本人から日本語をある程度習得したうえで日本に潜入したようです。

本書には、『西洋紀聞』の現代語訳に加えて、白石と西洋紀聞についておよび当時の世界情勢についての概説と、「長崎注進羅馬人事」の下巻が収録されています。

内容の紹介


赤道直下のスマトラ
  スマアタラ(スマトラ)[ソモンタラともいう。漢訳で、須門那・須文達那・蘇木都刺・蘇門塔刺・蘇門荅刺・沙馬大刺等]。 アジア地方、南の海の中にある。 わずかにその東北は海を隔てて、マロカの地である。 この国は、赤道直下にある。 春分・秋分には、太陽の影がない、春分から秋分にかけて、太陽の影は南にある。 秋分から春分にかけて、その影は北にある。 気候はきわめて暑いが、ただ夏・冬にはその熱ははなはだしくない。 人はみな裸体で色黒く、風俗はシャムに似ている。 そこでは黄金を産出する。 オランダ人がこれを採掘しているという。 - 131ページ

他の部分も併せ、西洋人の世界進出の様子はうかがえるものの、それが征服という形であることを理解するだけの情報は示されていません。 この時点で、西洋文明の野蛮さを理解していたら、鎖国中も進んで海外に人を派遣し、情報を収集するような活動があったかもしれません。


今、イエスが説いたという教えを聞いてみると、仏教と同じく偶像があるし、受戒も洗礼のときに頭に水をそそぐ灌頂という儀式もあり、声を出して経文を読む誦経(ずきょう)も数珠の数を数えて記念する念珠もあり、天国地獄の思想や因果応報の説があることなどを考えあわせると、すべてキリスト教で説いていることは、仏教の説によく似ている。 しかしそのキリスト教の教義は浅薄で、いちじるしく劣っている点で、仏教と同日に論ずることはできない。 - 209ページ

仏教のほうがキリスト教よりもずっと早く登場していることは、あえて確認しなければほとんど知ることがない。 シドッチの学識に感銘を受けている白石にも、キリスト教の教義を説くシドッチは「今までの賢さはどこかにいき、まったく愚かさそのもので、別の人の言葉を聞くようである」と見えたのである。 私たちは、このことの意味をよく考える必要があるだろう。



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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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