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「密林の食葬族」芥川 玲司 (著)(恒友出版 1984年3月)

→目次など

■【閲覧注意】ウソかまことか、アフリカの密林に住んでいたという死者を食べて弔う部族■

著者は1940年生まれの中国人、著作は本書のみのようです。

1984年4月に記された「あとがき」を読むと、手記を書いてから発行まで13年間かかったとあります。著者を含む4人(3人は日本人、女性1人)と現地人2人(1人は女性)による6人が1970年のアフリカで密林に赴きます。


本書を選んだのは、「人間学」とも呼べる、人の本来の生き方を探る取り組みの中で、奇異、野蛮、残酷、非道などと思える行動こそが、動物としての人間にとって当然の行動であったり(この行動を禁じることで人に罪悪感を与えたり、人格を歪めたりして支配に利用)、知恵の詰まった行動であったりする場合があるとわかってきたためです。

食人という行為も、農耕を開始して不足しはじめたタンパク質の摂取を無意識のうちに目的としていたり、死を悼む行為として行われていたりすることを知りました。沖縄にも、死者の肉を食べる風習があったことも知りました。食べはしませんが、骨噛みという行為は広く行われていたようです。

さて、本書ですが、果たして信憑性はあるのでしょうか。本書に登場する食葬族ベラル族は、インターネットを検索しても見つかりません。それもそのはずで、ザイール(現在のコンゴ民主共和国)には250もの部族がいるそうなのです。情報がなくても不思議はありません。

食葬族の暮らしぶりの記述からは真実味を感じます。著者は、文明と接触したことのない部族に会いに行くとしながら、肝心のベラル族の部落には井戸があり、器を焼き、ボロボロになったアルミニウムの食器があると記されており、定住もしていてイモのようなものを作り、スワヒリ語もわかるとしてあります。そのつもりであれば、これらの情報を隠して、未開部族との接触の価値を高めようとしたのではないかと思われます。

地図も収録されているため、現在の地図と照らし合わせると、ベラル族に近づくために車で到達可能な最後の町とされているウイーラはコンゴ民主共和国のUviraであるようですし、著者らをベラル族まで案内したブルンジのムサンボ族は、本書に収録された地図によると現在のウガンダに当たる地域に住んでいた民族であり、おそらくマサバ族に相当しています。当のベラル族はコンゴの南キブ州かマニエマ州にいたようです。

ゴリラも登場してきますが、Uvira付近に生息地があり、つじつまは合っています。野生のバナナがあるという記述はバナナの原産地が東南アジアであることを考えるとつじつまがあいません。 これも調べてみると、5世紀頃にはかつてのザイール周辺まで伝わっており、ヤムイモよりも栽培が簡単なことから瞬く間に広まったとのことです。著者が見抜けなかっただけでその場所は、森の中ではなく畑地やかつての畑地であったのかもしれません。 また、案内してくれたムサンボ族の若者がバナナに登って採ってくれたという記述についても、バナナは実は木ではなく、草なのだということを考えると不可能なことのように思えますが、調べてみると、バナナに登る動画が見つかり、ありえないことではなさそうです。

食葬の様子も、できるだけ淡々と描写しようと努めてあることが伝わってきます。著者に好意を覚えます。ただ、アフリカにいるはずのないオランウータンがいると書いてあったりするポカもあります。 余談ですが、ペニシリンはかつて軟膏も販売されていたということを本書をきっかけにして知ることもできました。


私は、人の本来のあり方を探る中で、人が生きるということは、誰もが最後には迎えることになる死をどう受け入れるのかであると感じるようになりました。 食料危機を招かないために空腹に耐えることや、生にしがみつくのではなく、どこかで死を受け入れていくことでしか、人類という大脳の発達した生物が存続することはできないのだろうと考え始めたのです。

この視点からみると、食葬に嫌悪感よりも、愛情を感じます。生で食べることで皆の身体の中に生き返らせようとするあり方や、食べることによって病気が感染し死んだとしても食べたことが原因だとは考えないようにしているとされていることなど、死者とともにあり続ける様子は感動的でさえあります。

アフリカは、イスラム教の浸透、バントゥー語系民族の進出、植民地化などによって民族の移動が激しく起きてきた土地であり、ベラル族が文明と接触することなく同じ場所に住み続けてきたとは考えにくいようです。 ただ、食葬はパプアニューギニアのフォア族にもみられる風習であり、まったくのでたらめと簡単に片付けるのではなく、このような民族がいる(いた)可能性を記憶しておきたいと感じました。 ちなみにファア族は、狂牛病などの脳疾患に対する耐性を持っているそうです。

構成としては、ベラル族に会いに行くまでの過程が大半になっており、冗長な感を否めませんが、数時間で読める読みやすい本ですので、気になる方は読んでみて損はないかと思います。

内容の紹介


初夜の家ではじめて契りを結んだ男と娘は、必ずしも結婚するとは限らないが、できた子供は必ず産むと話した。 その子供は男と一緒に育てるのだが、結婚して子供が産まれても、最初の子供は母親の子供として育てられるのだという。 それは、われわれが滞在してきた部族のしきたりと同じであった。 - 248ページ


死者は病人であったが、ベラル族にとっては、病人であってもなくても、部族の掟に従って食葬しなければならなかった。 もし、病人の死体を食葬することによって新たな死者が出ても、それは食葬のためであると考えてはならない、と聞かされたとき、私は背筋に冷たいものが走った。 - 252-253ページ


ベラル族が絶えてしまわないのは、死者の身体を焼かずに生のまま食べるからだ、と話してくれたベラル族の男がいた。 その男に、あなたも死んだら蘇生するために食葬されるのか?と質問したら、ベラル族は皆生き返る、とはっきり答えた。 蘇生は何代にわたって続くのか?と突っ込んで聞くと、ベラル族がある限り何回でも生き返る、と胸を張った。 ベラル族にとっては、死は一回限りであるが、蘇生は何回も続くということなのだろうか。 食葬がある限り永久に生き続けられる、と考えているのだろうか。 蘇生できるという信念を持っていられるということが、羨ましく思えるのだった。 - 264-266ページ


朝食のとき、私は隣に座ったベラル族の女に、死者はいつ蘇るのか、と聞いてみた。 すると、死者が空腹になったときだ、という答えが返ってきた。 だからそのときのために、死者が蘇ってくるまではたくさん美味しいものを食べて待っているのだという。 いわれてみると、確かにそれまでとは食べ方が違う。 自分のために食べているのではなく、死者が蘇ってくるために食べているという感じがしてならなかった。 - 268ページ

実在する(した)のかどうか。どのような経緯で森に住むようになったのかなど、疑問は尽きません。 それでも、死者が皆の肉体に入って、いろいろなことを教えてくれるといった観念には共感を覚え、人が生きていく辛さをやわらげてくれる考え方であって、たとえ、嘘であったとしても参考になると思います。


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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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