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「★子どもの文化人類学」原ひろ子 (著)(晶文社 1979年2月)

→目次など

■子育てを遊びととらえ、「教える」「教わる」という概念を持たないヘヤー・インディアン。十三、四歳になった男の子たちが家出をするバングラディッシュのイスラム教徒など子育ての多様性を描く。■

**ネタばれ注意**
北米の狩猟民ヘヤー・インディアン、各地のイスラム教徒、イスラエルのキブツ、離婚とディズニーに見るアメリカの様子を中心に、さまざまな文化の中で育つ子どもたちの姿が描かれています。

中でもヘヤー・インディアンに多くのページが割かれており、厳しい環境の中で狩猟生活を送る人々の世界観を知ることができる貴重な資料になっています。 イスラム教徒についても多くの記述があります。13歳ほどで初潮を迎えると学校もやめて家に閉じこもり、すぐに結婚を迎えて15歳で出産するイスラム教徒の女性の生き方など、なじみのうすいイスラムの世界について知ることができました。 1979年の本ですので、現在では大きく状況が変化していると思われます。

この本に描かれたヘヤー・インディアンの子育ては、人は自然と密着して生活していればいるほど幸せなのではないかと感じさせてくれるものでした。 以下、ヘヤー・インディアンについて詳しく記してみたいと思います。

カナダの北西部の極北地帯から南西部にかけて先住するヘヤー・インディアンの伝統文化について、WikiPediaには次のように記述されています。

多数のバンド(集団)に分かれ、ティピーによる平原での狩猟を生業としており、領域にヘラジカなど大型の獲物が少ないことから、ことにカンジキウサギ(ヘアー)を主食としている。冬季には慢性的な飢餓に苦しめられ、人肉食の記録も数多く残されている。エスキモーに似た風俗で、「ヘア・インディアン・ドッグ」という独自犬種を犬ぞりに使役する。カナダ政府の同化政策によって、伝統的な生活は消滅しつつある

これだけを読むととても耐えられない生活であり、人間性を失いかけた人々のような印象さえ受けてしまいます。しかし、本書を読むと全く別の姿が見えてきます。

まず、飢えを耐える時期に関する記述を見てみましょう。

「こういったことは、結氷期と解氷期に限ったことではありません。夏でも、そしてとくに冬には、二十四時間から四十八時間ぐらいの間、うすいスープしか口に入らないことがあります。 しかし、農村地帯の飢饉とちがって、狩猟民のヘヤー・インディアンの場合には、今日か、明日か、一週間後には、なにかの食べ物が見つかるという希望が常にあります。 また、獲物を解体するときに内臓まで細かく観察している体験から人間のからだの内部を類推して、飢えの時期には、内臓の機能などをあれこれと考えながら、自分のからだに生じる変化をよみとります。 そのほかに、長く歩くと、どこの筋肉がどういうふうに疲れるかとか、重い荷物を背負うコツとか、水はどんなペースで飲むといいかとか、自分のからだのいろいろな部分と常に問答を繰り返しています。(31ページ)

飢えに耐える中で体の構造について考察した体験のある人がどれほどいるでしょう。 肉体と切り離すことのできない存在である人間の本質を私たちはほとんど知らないで日々を過ごしていることをこの記述は教えてくれます。 なお、結氷期・解氷期とは河や湖が氷結し始める時期と解け始める時期のそれぞれ1カ月ほどで、キャンプ地を移動できず足止めに会う時期を指します。

さらに死に関する記述も見てみましょう。

食物を求め、毛皮獣を追いかけて、常にテントを移動しながら暮らしている、ヘヤー族の人たちは、死ぬときは、自分でそうわかるものだといいます。 そして、自分の死に顔が安らかであるようにと、死に方をたいへん大事にしています。ふだんは「お前さんは、一人で寒さに耐え、一人で飢えをしのぐことができなければならないのだよ」と、人にも自分にもいいきかせて日々を送っている彼らですが、いったん重病人が出ると、テントにあふれんばかりに人が集まって来て、たがいによりそい、病人をはげまします。
「はげます」というのは、「よくなるように」とはげますこともあるのですが、病人が死期を悟ったとなると、「よく死ねるようにはげまし、見守る」のです。よい死に方をし、安らかな死に顔で、鄭重に葬られた霊魂は、悪い幽霊にならないと信じられています。(中略)
日本人の中にも、自らの死期を悟って、死後の手筈をととのえ、静かに死をむかえる人があり、尊敬されていますが、そういう死に方は稀なものとされます。 しかし、ヘヤー・インディアンの間では、死ぬつもりになって死ぬのがふつうの死に方だと考えられているのです。(32-33ページ)

どうでしょうか。人間性を失いかけた人々どころか、私たちよりもずっと人間性のみがかれた人々の姿が見えてくるのではないでしょうか。

ヘアー・インディアンは活動を「はたらく」「あそぶ」「やすむ」に分けて考えていて、なかでも「やすむ」を大切としているそうです。 子育ては「あそぶ」に分類されているといいます。また、養子をもらうこと養子に出すことが当たり前で、親子の絆よりも個人の生き方を尊重するといいます。 「教える」「教えてもらう」という概念がなく、見よう見まねで覚えていきます。

本書の巻末近くには次のように記されています。

一九六〇年代の初期に私が接した「自分で覚える」ヘヤー・インディアンの個人個人が、おとなも子どもも、それぞれ、自信にみち、生き生きとしていたことが忘れられません。 彼らは、自分自身で主体的にまわりの世界と接し、自分の世界を自分で築く喜びを知っている人間の美しさを持っていました。(201ページ)

私たちが生き生きと暮らすために必要なものは、医療でも、教育でも、飢えのない安心でもないのだということ、文明世界の価値観を持って判断していては、それが見えてこないのだということを、ヘヤー・インディアンの世界は教えてくれているのではないでしょうか。




なお、『豚と精霊』の著者であるコリン・ターンブルが、ウガンダ政府の政策によって狩猟と採集の場を奪われ飢えに苦しむようになったイク族の「子ども嫌い」を描いた『ブリンジ・ヌガグ―食うものをくれ』の内容も少しだけ紹介されていました。


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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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