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「インディアンの言葉 (コレクション「知慧の手帖」)」 ミッシェル ピクマル (編集), 中沢 新一 (翻訳), エドワード・S. カーティス(写真)(紀伊國屋書店 1996年9月)

→目次など

■彼らは崇高な人々なのではなく私たちと同じ人間である■

人は死んでいく。
人は肉体なしでは生きられない。
人は動物である。
子孫たちの身体は先祖の生き方に応じて変っていく。

こういった、自明の法則を
できるだけ意識させないように
私たちの世界はできている。


私たちは人工環境に囲まれて
日々の雑事や
経済活動、
やむことのないおしゃべりに流されていく。

しかも、私たちは時代を下るほどに
加速していく進歩を経験していると
思い込まされている。


だが、事実は最初に述べたとおりである。


私たちが動物として生きようとするとき
、 私たちはこの世界の法則を自分自身の生のなかで感じとり、
この法則を受け入れる強さを育てて生きていかなくてはいけない。

本書の中から、いくつかの言葉を拾ってみよう。

私たちインディアンは、獲物を射止めたときには、
その身体を残さずに全部食べます。根っこを引き抜いたり、
家を立てたりするときにも、小さな穴を掘るだけです。(21ページ)

「沈黙すれば、何が得られるのですか」と問われたら、賢者
はこう答えるだろう。「それは、自分を自分自身で支配する
こと、真実の勇気であり、持続力であり、忍耐力であり、品位
であり、敬意なのである。沈黙は、人格の礎石である」と。(45ページ)

あなた方は、樹々が語るのを、聞いたことがありますか。じっ
さい、樹は話をするのです。樹々はお互いに会話をして、もしも
あなた方がそれに耳を傾けさえするならば、あなた方にだって、
樹は話しかけてくるでしょう。(13ページ)

「母」である自然は、永遠で、万能だ。それなのに、人間の
発明ときたら、どうだろう。あの連中が、砂漠の果てにつく
った高慢ちきな町や、自分らが征服して手に入れたものを
守り、しっかりと抱いて放さないためにつくられた、あの
武器ときたら、いったいなんだと言うのだろう。(29ページ)

農耕によって飢餓が解消されたことは一度もなく、ただ、安定的に
食料を得られることが、人々を誤解させ傲慢にさせているだけだと
したら、私たちは現在の価値観を根底から変えなければならない。

そのような事実に気づいたとき、インディアンの言葉は、
滅ぼされていく劣った人々によるのではなく、
この世の法則に従おうとした本来のあり方を目指した人々による
言葉として私たちの心に響いてくることになるだろう。

学術性の高い出版社から出される本は、私たちに真実を伝えてはくれない。真実は、インディアンたちも西洋人たちも、私たちと同じ人間(動物)であるという事実である。

この事実に気づかないでいたなら、インディアンたちに対して非現実的な理想をみようとしてしまう。 ちがうのだ、私たちと同じように感情を持ち、弱い存在である彼らが、訳者からの言葉に「宇宙の全体運動」とされている、この世の法則を読み取って従おうとしているからこそ、私たちにとって意味があるのである。


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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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