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「原始人健康学: 家畜した日本人への提言 (新潮選書)」藤田紘一郎 (著)(新潮社 1997年4月)

→目次など

■寄生虫がアレルギーにならない体を作り、マラリアに死なない体を作る。足は第二の心臓で、心理ストレスのほうが物理ストレスよりも重大だ。文明人は大変なのだ。■

この本の著者藤田紘一郎さんの本は、他に「笑うカイチュウ」と「脳はバカ、腸はかしこい」が手元にあるのですが、一番最後に入手したこの本を最初に読むことになりました。出版時期は、「笑うカイチュウ」の単行本が1994年、「脳はバカ、腸はかしこい」が2012年、「原始人健康学」が1997年です。

この本の大半は、寄生虫と共存することや、歩くこと、ほがらかに笑うことなど、原始人的な暮らしを送ることによって得られる種類の「健康」に関して費やされています。

たとえば、カイチュウなどの寄生虫が体内にいると、人体はアレルギー反応を起こさないIgE抗体を作るため、スギ花粉が入ってきてアレルギー反応を起こすIgE抗体を作っても、アレルギーが起きません。このため、花粉症やアトピー性皮膚炎が起きません。さらには、寄生虫に寄生されることで、マラリアに対するある程度の抵抗力もできるといいます。

寄生虫と共存する暮らしは、自然淘汰の働きに身を任せる暮らしでもあります。免疫力を付ける時期に多くの子どもたちが命を落とします。しかし、寄生虫を排除しようとすれば、アレルギーが待っています。肌は乾燥し、体温は低くなり、子供たちの目はかがやきを失います。

「人間も自然の生き物である」ということを認識すること。これが私のいう「健康法」なのである。本当にヒトが「健康」になるためには、子どものうちからそのことを考えなくてはならない。(90ページ)

藤田さんは、西洋的な「人間は本来健康である」という思想を捨て、仏教的な、人はあらゆる病気を生まれつき持っており、「死は必ず訪れるもの」という考えを持とうといいます。

ストレスに関する部分では、直接的に受けるストレス(耐えることのできる程度の電気ショック)よりも、こうして電気ショックを与えられている仲間を見ることで受ける心理的ストレスのほうが影響が大きいということをネズミの実験によって紹介してありました。私はもうすっかり見なくなりましたが、外出先でテレビのついている場所に行き、しかたなく見ていると、こうした心理的ストレスを与える内容の多さに驚きます。

健康の不安を煽られて、過剰に衛生的な空間に暮らし、心理的にもストレスを与えられていては、健康でいることは難しそうです。

とはいえ、本書の後のほうでは、健康に良い水についてクラスター化の概念を取り入れて説明してあったり、激しい運動を肯定してあったりして、私にはついていけなくなってしまいました。

「自然な暮らしが良い」といっても、結果的にそれは寄生虫や細菌と共存し、自然淘汰される暮らしになるのだといえば、健康長寿を願う人たちにとっては捨て去るべき生き方に思えることでしょう。しかし、本来の健康について考えていったときにわかってくるのは、この本の前半部分に記されていたような状態こそが、現実的にありえる健康の状態なのではないかということです。

この本の後半はそこを超えて、本の前半で否定していた過剰な清潔感を求めるような態度で健康を求めすぎていると感じました。

文庫本と電子書籍でも出版されています。

内容の紹介


(インドネシアのブル島で)
  ブル島の子どもたちが貧血傾向にあるのは、食餌の蛋白源の不足とともに、多くの子どもがマラリアに感染していたことによる。
  かなりの子どもから「三日熱マラリア原虫」が検出されたのだ。なかには、「熱帯熱マラリア原虫」に感染していながら、比較的元気にしている子どもも見られた。
  マラリアには、三日熱マラリアと熱帯熱マラリアの他に、四日熱マラリアと卵型マラリアの計四種類が存在する。このうち熱帯熱マラリアだけが悪性のマラリアで、日本人などの場合、発熱して五日以内に適当な治療を施さないと死亡することがある。しかしブル島の子どもたちは、マラリアの薬など飲まなくても割合に元気にしている。
  その理由は、熱帯熱マラリアに対してある程度の免疫を獲得しているということの他に、回虫などの寄生虫が、熱帯熱マラリア原虫に対抗できる「耐性」を子どもたちに作っているという事実を、最近私たちの研究グループが発見した。 - 38ページ

マラリアといえば、ホモ・サピエンスをアフリカに閉じ込めることになった病気であり、イリオモテ島への入植を阻んできた病気ですが、寄生虫に感染することである程度の耐性ができるということです。


(「におい」過敏症)
  最近、日本では核家族化によって、身近に「死」という、いわば「穢れ」の部分が見られなくなった。動物の死体にも簡単に出会わなくなった。   ブル島に行けば、「汚い」「臭い」体験のほかに、動物の死などという穢れの部分にも、日常的に接する機会もできるだろう。 - 77ページ

私が育った田舎では、牛や鶏を飼って、牛糞や鶏糞を肥料にしていました。人糞も肥料に畑までかつぎました。ヘビはカエルを飲みかけていて、いろいろな動物が自動車の犠牲になって道路にぺちゃんこになっていました。そうした体験を、町の暮らしではできないことは、生命観に大きな影響を与えていると思います。


「家畜化」に対向する健康法
  私たち「文明人」と呼ばれる人類が、野生の動物ではなく、いわば「家畜」と同じ存在になっている。
  人類学ではそれを「自己家畜化現象」というそうだ。自然淘汰の圧力から大幅に自由化された 今日の私たちの姿なのだ。しかし、ひとたび家畜となった動物は、自然に戻しても生きてゆけな いことが多い。私たちも科学技術という小屋と人工飼料によって保護されているというわけであ る。
  そのために地球全体で莫大なエネルギーが消費されているわけで、何かの拍子にその補給がつ かなくなれば、恐るべき結末がもたらされるのだ。   実は人類の「自己家畜化現象」についてはすでに十年以上も前に、尾本恵市教授(国際日本文 化研究センター教授、東大名誉教授)が『文明をつくる動物』(共立出版刊)のなかで詳しく解説さ れている。それがここ数年の間に日本で現実の問題として重要性を増してきたのである。 - 95ページ

尾本恵市さんによる「ヒトと文明 ──狩猟採集民から現代を見る」もお勧めです。
こうした、自己家畜化の背景として、文明社会の本質が、少数の支配者集団による支配社会であることがあるのではないかと私は考えています。

未開社会に暮らす本来的な生き方をしてきた人たちをそのままではいさせずに文明化することで、部族の土地は文明の支配者たちが合法的に経済活動に利用できる土地になります。動物のように生きていた人たちは経済価値がありません。そこで未開人たちは、時間を奪われて、経済システムの中で労働者かつ消費者としてしか生きられなくなります。

自然が奪われ、多忙になり、本物の食べ物や水がなくなり、生物的な生き方ができなくなっていくのは、文明社会を肯定しているからなのではないでしょうか。

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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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