るびりん書林 別館



こちらは旧サイトです。
関連書評などの機能の追加されている新サイト(https://rubyring-books.site/)に順次移行中です。
ぜひ、新サイトをご利用ください。

動物と植物の共存策 - 果物(2014年6月25日)

sumple

■他のヒト科生物とは異なるヒトの食性■

文明化の影響をあまり受けていない人々の食べ物を調べると、予想に反して、ゴリラ、チンパンジーなど他のヒト科動物とは異なり、肉食が多いことがわかる。
ピダハンは、葉っぱを食べるからピダハン語がうまくならないのだと、著者であるエヴェレットに指摘した。
サン(グウィ)は、男が狩猟で得た肉を本当の食べ物だと呼ぶ。

しかし、肉食獣のような酸性度の高い胃液を持つわけでも、短い腸を持つわけでもなく、血まみれの獲物を見て食欲がわくわけでもないことから、人間は肉食動物であるとも言えない。
一方で、チンパンジーやゴリラのように生の植物主体で生きるには、味覚も変わり、盲腸も小さくなり、大臼歯も小さく、顎も小さくなってしまった。

肉食と穀物食には、さまざまな弊害も指摘されており、人間にとって最良の食べ物であるというわけでもなさそうだ。
日本人は海草を消化する酵素を持つが海草を食べない人々にはこの酵素がないとか、ニューギニア高地のイモと野草を主食とする人々の腸内細菌はウシに似ているなど、食をめぐる不思議は尽きない。

■果物の持つ意味■

このように、人間本来の食の姿について結論のでない中で、果物は特別な意味を持っている。

第一は、穀物食や肉食とは異なり、生命を奪う食べ物ではないという点である。
果物は、動物たちに果実を与えることによって分布を広げようと植物が提供してくれる食べ物であり、種をばらまくことが植物へのお礼になる。
(ただし、栗のように種子そのものを食べてしまってはこの構図は成り立たない。)

第二は、人間に適した食べ物であるという点である。
・加工を必要としない。
・味付けを必要としない。
・自然に食欲がわく。
・人間の手は果物をもぎ取るのに適しており、道具は果物の皮をむくために適している。
・人間の目は果物の傷みを見分けるために適している。
・良質の糖分を摂取できる。
・健康に良いとされている。

第三は、植物と動物の長い歴史を経て、果樹が登場した経緯から、果樹が増えることは地球環境にとっても比較的自然なことであると思われるという点である。
植物は動物に食べられるだけの存在から、蜜を出して昆虫や鳥、小動物に受粉の媒介を頼り、果実を作って大型動物に種をばらまいてもらうよう、共存共栄の道に進んだ。
三色型色覚を持ち、長距離移動に適した体形を持つ人類は、果樹にとってかっこうのパートナーであると言える。
裸子植物と異なり、被子植物は、動物や昆虫にとって豊かな森を作り、保水力の高い森を作ることも重要だろう。

■果樹が拡がらない理由■

このように進化の末に登場し、人類とも親和性が高いと思われる果樹だが、栗やどんぐりのように種子そのものが動物に食べられている樹木ではなく、果実を与える樹木の森が天然林として存在している土地を私は知らない。
果実を与える果樹はなぜ拡がらないのだろうか。
・落ちた果実の処理が問題になるのだろうか。
・果樹は地力を吸い取ってしまうのだろうか。
・果樹の樹高が低いためだろうか。
・木登りをやめた人間にとっては利用しづらいからだろうか。
・穀物や野菜の栽培と比べて生産性が低いからだろうか。
・数年を経ないと収穫できるようにならないからだろうか。

さまざまな原因が考えられるが、もしかすると、果樹の生育に適した土地に、農耕と牧畜が広まったためであるかもしれない。
だとすれば、1万5千年前に農耕と放牧を開始し、森を切り開いて、最後には精霊の棲みかを失った人間にとって、果樹の森は精霊を取り戻し、人類の生存を持続させるためのきっかけになるかもしれない。

今の日本には、手入れのされていない山があきれるほど存在している。
このような山に柿、ビワ、みかん、あけび、グミ、木苺、ユスラウメ、スモモなどを植えさせてくれるひとはいないだろうか。
ほとんど手入れしないでおいたら、収穫もないだろうか。
確認できる環境が私にはないが、うまくいけば、人間と果物の幸せな関係を始められるかもしれない。
何とか機会を得たいと私は考えている。

トップへ

お問い合わせ:

お気軽にお問い合わせください。

サイト内検索:

るびりん

「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

neko to hon

書評

書評

書評

書評

書評

書評

書評