宿について

栄太が利用していた宿は主に木賃宿で、稀に旅籠にも泊まったようだ。木賃宿と旅籠の違いは、次の通り。

 江戸時代初期以前は木賃宿が主流で、後に旅籠が一般化するが、栄太のような貧乏な旅人はもっぱらリーズナブルな木賃宿を利用していたようだ。栄太一行は、宿場と宿場の間で宿がない場合などに、茶屋や民家にも泊まっている。また、日光・高野山などでは宿坊へ、伊勢では御師の家へ宿泊している

民家や茶屋への宿泊

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一 玉生泊り 茶やへ

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一 明石泊り 茶屋久右衛門
 ※ここは屋号が「茶屋」という「宿」なのかもしれない。

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一 おいわけ泊り 三代
 「此村合(間)ノ宿なれバ至て不宜敷所なり なれ共大あめニ而泊」とあり、大雨のため、本来宿場町ではない所に泊まったとあり、民家の可能性がある。

4/8(正しくは4/7か)
一 まがら村泊り 与助

4/11(正しくは4/10か)
一 にしあらい泊り 重右衛門
 旅の途中で知り合った人の家らしい

4/13(正しくは4/12か)
一 おふぶち泊り 宿なし無心泊りなり
 宿がないため民家に泊めてもらったようだ。

4/15(正しくは4/14か)
一 中佐井泊り 徳右衛門殿
親戚?もしくは知人の家。旅の前に、徳右衛門から餞別(200文)をもらっている。

御師・宿坊への宿泊

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一 日光泊り 唯与院

2/14(正しくは2/13か)
一 三日市太夫治郎 着参

2/21(正しくは2/20か)
一 那智山 宿坊 実方院

2/27(正しくは2/26か)
一 高野山 宿坊 辺(遍)照光院泊り

4/7(正しくは4/6か)
一 [羽黒山の]ふもど(麓)ノ町泊り 正丈坊

他の文献で実在が確認されている宿泊先

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一 壱関(一関)泊り 小松屋五右衛門
 東講商人鑑に小松屋五左衛門という宿が登録されている。

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一 石巻泊り おくのや久作
 東講商人鑑に奥の屋久作という宿が登録されている。

1/17
一 仙台国分町泊り おはたや左兵衛
 東講商人鑑に小畑屋太兵衛という宿が登録されている。

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一 江戸泊り 苅豆屋茂右衛門
 諸国道中たび鏡に「かり豆屋茂右衛門」という宿が登録されている。

2/14(正しくは2/13か)
一 三日市太夫治郎 着参
 伊勢山田の代表的な御師(おんし)
 金森敦子・伊勢詣と江戸の旅(文藝春秋)より

2/27(正しくは2/26か)
一 高野山 宿坊 辺(遍)照光院泊り
 現在も営業中?
和歌山県伊都郡高野町高野山575番地

2/29(正しくは2/28か)
一 さかい 南部宿 さつま屋字右衛門
 金森敦子・きよのさんと歩く江戸六百里(バジリコ)に堺の「薩摩屋」の記載がある。同一か?。

2/30(正しくは2/29か)
一 大阪宿ふんとう 河内屋四郎兵衛
 長町7丁目の分銅河内屋四郎兵衛(現在は浪速区日本橋4丁目と5丁目)。東海道中膝栗毛に出てくる宿らしい。

3/5
一 京宿 柳ノばゞ(馬場)せいかん(誓願)寺下ル丁 扇屋正七
 深井甚三・江戸の宿(平凡社)によると、貞享二年(1685)刊行の「京羽二重」という地誌に巡礼宿として柳馬場蛸薬師上ル町の扇屋正七が記載されていると いう。