栄太の道中帳に記載された日付をまとめると次のようになります。
1月:1月7日〜1月29日
2月:2月1日〜2月30日
3月:3月1日〜3月29日
4月:4月1日〜4月16日
この日付、変なんです。
当時の暦は、閏月以外の月末は29日か30日で終わる事になっています。30日で終わる場合は大の月、29日の場合は小の月です。1月7日〜4月16日のうち、月末の記録があるのは1月、2月、3月です。慶応二年の暦を調べてみると、1月と3月が大の月で、2月は小の月になります。栄太の記録にある2月30日はありえないのです。同様に、1月と3月が29日で終わっているのも間違いです。栄太の道中帳は、大の月と小の月が逆になっています。原因は不明です。当時の一般的な暦とは別基準のローカルな暦でもあったのでしょうか?。
なお、このホームページで紹介している道中帳では、スタートの1月7日に間違いがないと仮定して、日付が一致していない日の記録には括弧内に補正した月日を記載しています。
将来的には、スタート時点の日付に間違いがないのか確認したいと思っています。ヒントとなるのは、お天気。道中帳の1月14日に宮城県の登米で、北上川増水により川止めとなっています。同様に2月19日に三木里(三重県尾鷲市)で大雨風で一日逗留、滋賀県の今津港を目指していた3月17日に大雨により、2.5里手前の宿場に泊り、翌日は早い時間に今津に到着しても船が出ないため、逗留しています。
同時期の別の人の旅の記録、日記等を調べる事が可能であれば、このようなトラブルの発生した月日から暦のズレを補正できるかもしれません。