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追悼:黒澤明
AK News -黒澤監督:追悼版-<その2>

●テレビ・ラジオの特別番組:
・NHK教育:ETV特集「映画監督黒澤明さんをしのんで」7日午後10時
・NHK衛生第2:映画『乱』7日午後8時
・テレビ東京:映画『椿三十郎』8日午後7時
・WOWOW:映画『生きる』7日午後8時
・NHKラジオ第1:「黒澤明さんをしのんで」7日午後9時20分
・ニッポン放送:追悼特別番組「黒澤明監督を偲ぶ〜88年のころの世界」7日午後8時
・TBS:映画『羅生門』9日午後9時
・テレビ朝日:映画『夢』13日午後9時
・NHK総合:NHKスペシャルアンコール「黒澤明の世界」(『影武者』撮影現場映像など)12日深夜(13日午前)0時25分
・NHK衛星ハイビジョン:映画『用心棒』13日午後7時
・フジテレビ:映画『八月の狂詩曲』10日深夜(11日午前)2時10分

●葬儀・告別式は、まず身内だけで7日に通夜。8日に密葬が世田谷の自宅にてとりおこなわれる。また、ファンらの弔問を受け付ける「お別れの会」が13日午後2時より横浜市緑区霧が丘3-2-1の黒澤フィルムスタジオにてとりおこなわれる。喪主は長男久雄氏。祭壇は『乱』の天守閣を模したデザインになる予定。また、はっきりはしていないが、アメリカからジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラ、スティーブン・スピルバーグら「黒澤監督の弟子」を自称する各監督の参列も噂されている。
なお、黒澤フィルムスタジオの最寄り駅はJR横浜線の十日市場駅。南口へ出てすぐの環状4号を同じく南へ歩くこと約1km、左側に黒澤フィルムスタジオがある。

●「黒澤明記念館」の建設発表が7日予定されていた。
佐賀県伊万里市は7日午後2時に黒澤プロダクションと「記念館候補地としての選定合意書」に調印の後マスコミに発表する予定となっていた。この記念館では監督直筆の絵コンテや脚本、映画で使用した衣装などを展示する。
伊万里市の川本明市長によると、焼き物の積み出し港として世界とつながりがあり、自然も豊かだというのが選定の理由。川本市長は「世界の黒澤監督に恥じないような記念館を造りたい。ご存命の間に何とか完成させたかったのだが…」と話している。また久雄さんによると、黒澤監督は、生前、記念館計画について「自然環境に恵まれたよい場所」などと話し、完成を楽しみにしていたようだったという。
黒澤監督の長男久雄さんがこの発表の席に同席の予定で6日羽田空港に向かっていたが、空港で監督の容態悪化の知らせを受け急遽自宅へと戻ったが監督は既に息を引き取っていた。

●イタリアのヴェネチアで開催中の第55回ベネチア国際映画祭は6日、急遽黒澤明監督の業績を偲ぶ特別行事の開催を決定した。映画祭のフェリチェ・ラウダディオ事務局長は記者会見で同監督の死去を発表、監督が国際的に知られるきっかけが同映画祭での受賞だったことを指摘し「遠くの(東洋)文化の代表でなく、われわれにもっと近しい映画人を失った感じだ」と語った。また同映画祭を訪れていたジャック・ラング前仏文化相は「華麗さ、豪華さ、美しさで彼は比類のない巨匠だった」と称賛し、「世界の映画の巨人が失われた。彼の名前は、その素晴らしい作品によって世界の映画の宝として語り継がれるだろう」と語った。
このヴェネチア国際映画祭で黒澤監督は1951年『羅生門』でグランプリ(金獅子賞)、1954年『七人の侍』で準最優秀作品賞(銀獅子賞)を受賞している。また1982年9月にはヴェネチア国際映画祭創立50周年記念「獅子の中の獅子(過去のグランプリ作品中のグランプリ)」に『羅生門』が選ばれた。
映画祭に出席しているイタリアのベルトローニ副首相兼文化相は「われわれの多くは、クロサワを通じて日本映画を愛好するようになった。いわば、その日本へのパスポートをなくしたようなものだ」と述べ、死を悼んだ。 イタリアでは6日午前(日本時間同夕)、黒澤氏の死去が東京発のANSA通信電などで報じられ、国営イタリア放送協会(RAI)第二テレビなどが「世界的映画監督の死」をトップ級のニュースとして伝えた。

●フランスのシラク大統領は6日、黒澤明監督の死去について談話を発表し「スケールの大きさ、繊細な感覚、社会の現実に対する観察眼などに秀でた黒澤監督は映画界の巨匠であった」と哀悼の意を表明した。大統領は『羅生門』『デルス・ウザーラ』『乱』などの作品を挙げ、「数々の彼の作品は世界の映画史に偉大な足跡を残すだろう」と業績をたたえた。知日派のシラク大統領は黒澤監督が1992年度の高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した当時の国際顧問(現名誉顧問)であり、黒澤作品のファンとしても知られ、訪日した際などに黒澤監督と数回会っている。黒澤監督はフランスとはカンヌ国際映画祭で『影武者』がグランプリを獲得したり、またその次の作品の『乱』がフランスの資本で製作されるなどのつながりがあり、同監督の作品はフランスでもよく知られている。ニュース専門テレビLCIは、黒澤監督死去のニュースをトップで伝え、『羅生門』の撮影風景や、最後の作品となった『まあだだよ』の映像などを放映した。

●中国の国営通信、新華社は6日、東京発で「日本の著名な映画監督」として黒澤明監督の死去を伝えた。その中で同電は黒澤監督が1950年の『羅生門』で翌年のヴェネチア国際映画祭グランプリを獲得するなど、国際的な賞を幾つも受けたと紹介している。また香港公共ラジオは6日、「日本で最も有名な映画監督であるアキラ・クロサワが死去した」と伝えた。同ラジオは1951年に『羅生門』がヴェネチア国際映画祭でグランプリを獲得したことや、黒澤監督自身が1990年、米アカデミー名誉賞を受賞したことを紹介した。また香港のテレビも、黒澤監督の死去を大きく伝え、撮影を指揮する黒澤監督の資料映像を放映した。

●東京発のロシア国営タス通信は6日、黒澤明監督の死去を至急報で伝えた。また、民間テレビ、NTVは同日午後4時(日本時間同9時)のニュースで、黒澤監督死去をトップ・ニュースで伝えるなど、ロシアにおける同監督への関心の高さがうかがえる。国営ロシア・テレビの夜のニュース番組「ゼルクロ」のキャスター、スワニッゼ氏は「世界の映画ファンにとって、非常に残念なニュースがあります」と述べ、映画ファンを魅了してきた巨匠の死を悼んだ。黒澤監督は、ソ連時代の1975年、日本国内での映画製作に行き詰まっていた頃、『デルス・ウザーラ』をソ連資本で製作。加えて『七人の侍』などの監督として、ロシアでも知られる。 タス通信は黒澤監督について「世界的に有名な映画監督」などと紹介。『デルス・ウザーラ』に出演したロシアの俳優、ユーリー・サローミン氏は同通信に対し「私はこの映画の仕事に非常に満足している。この仕事は、私に多くのことを教えてくれた」と黒澤監督を懐かしんだ。また、ロシアの著名な映画監督、アンドレイ・コンチャロフスキー氏は「(自分が)映画の撮影で、うまくいかない時は、黒澤の映画を見る」と述べ、「力強さ、明確さ、世界に対する勇気ある視点」において、黒澤監督をシェークスピアにたとえた。


 
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