筑波山( 筑波山:876m ) 1998.4.11 登山


 風返峠から望む筑波山の双耳峰( 1998.4.11 )

【筑波山再登山記録】

【筑波山再登山データ】

フォト

初回登山


筑波山再登山記録

なかなか山へ行けないと嘆いていたことが嘘のように、十二ヶ岳黒岳に続いて3週連続の登山となった。

但し、今回は単独登山ではなく息子と一緒であったので、息子の装備の関係から雪のある山は避けることを前提に行き先を検討し、 結局心残りの山であった筑波山に登ることにした。

前回筑波山に登ったのは1989年8月であるから、9年振りの登山ということになるが、前回はゴルフの帰りに片手間に登った感があり(低い山、 そして俗化した山として侮っていたのかもしれない) また真夏の2時頃に登ったので陽炎が立つ中、 地上からは筑波山の姿をまともにとらえた写真は撮れず、 さらにフィルムをケチったために筑波山名物? の奇岩の写真も1枚も残していないという状況だったので、 心の奥底で気になっていた山の一つだったのである。

朝、5時30分に車にて自宅を出発、国道16号バイパスから横浜横須賀道路、そして狩場インターから首都高速湾岸線と進んで常磐自動車道路に入り、 北土浦インターで高速を降りて、 国道125号線を筑波山に向かって北上した。

途中から右手前方に筑波山の双耳峰が見えるようになったが、近づくにつれて876mの低い山とは思えないボリューム感に圧倒されるようになり、 途中何回か車を止めて写真を撮ったことは言うまでもない (但し、光線の具合が悪く、 私の腕ではあまり良い写真は撮れなかった)

125号線を暫く進んでから下館筑波線に入り、やがて、右 筑波山と書いた大きな看板が現れたので、右折して 桜が満開の道を山に向かって登って行き、 7時少し前に 筑波山神社の大きな鳥居の前に着くことができた。

鳥居の所にある信号で左折し、前回来た時に車を止めた市営駐車場に入ろうとしたところ、何と市営駐車場はまだ開いておらず、 入口の前で車が1台開門を待っている状況であった。

その車の後ろに並んで開門を待つことも考えたが、今回は山に慣れていない息子にとって筑波山神社からのコースはきついかもしれない という考えが浮かび、 高梁百山さんの「俳句で綴る百名山」で紹介されていたロープウェイ駅からのコースに変更すべく、 車を更に先に走らせた。

市営駐車場前からロープウェイの駅までは、思ったよりも遠く、とても歩いて帰れるような距離ではなかったのは誤算であったが、 山の中をかなり登っていくことになったのでその分、 登山道は優しく、そして楽になることが予想された。

途中、ロープウェイ方面と筑波スカイラインとの分岐点となる、立返峠に車を止めると、今まで真横から見ていた筑波山とは違い、 2つの鋭角的な双耳峰が仲良く並んでいる姿を見ることができ、 何か得をしたような気分になって、 こちらに来たのは正解だったと納得した。

ロープウェイ駅前の広いつつじヶ丘無料駐車場に車を止め、筑波と書かれた大きな標識の横から登り始めたが、 どうも階段状に丸太が敷かれていて性に合わない。

やがて、道も山道に変わるとつつじヶ丘と呼ばれる小広い場所に着いたが、その名の通り周囲にはツツジの木が多く見られたものの、 この筑波山では今は桜が満開の時期であり、 ツツジの季節はまだまだという状況であった。

道は思った通りに緩やかな登りでキツいことはなく、それでも高度は結構稼げるようになっていて、振り返れば 今朝ほど出発したロープウェイ駅が遙か下方に見え、 またやや春霞がかかったようではあったものの、 関東平野を見下ろせて大変気持ちが良かった。

良く踏まれた道は、やがて樹林帯に入り、大きな岩も左右に見え出すと、暫く先で前回女体山から筑波山神社に戻る際に通った弁慶茶屋の前に飛び出した (小屋は閉まっていた)

茶屋のすぐソバには、岩のトンネルとなっている弁慶七戻り岩があり、そこを抜けて振り返ると、トンネルの上の岩が今にも落ちてきそうに見え、 なかなかの迫力を感じさせてくれていたが、 この迫力は写真では表すことが出来ず、 大変残念である。

岩の上に設置された高天原神社に登山の無事を祈願した後は、次々に現れる奇岩を楽しみながらの登りとなり、 母の胎内くぐり(子供はくぐったが、 私は遠慮した)、出船入船岩、裏大黒岩、 拳骨を突き上げたような北斗岩、 大仏岩などなかなかユニークな岩を眺めながら進んでいくと、 やがて石の階段が現れ、 女体山の立派な祠の前に着いた。

女体山には一等三角点があるだけあって、その展望は抜群で、頂上の岩の上に立てば車を置いたロープウェイ駅やゴルフ場、 そして下界の家の軒並みが一望でき、 さらに右手にはこれから登る男体山とその手前に御幸ヶ原の茶店の屋根を見ることができた。

ただ花曇りのため遠くは霞んでおり、残念ながら日光連山や奥秩父の山々、富士山などを眺めることはできなかった。

女体山からは、ほぼ平らな道を男体山に向かい、途中ガマ石、セキレイ石を見て、やがて店が建ち並ぶ御幸ヶ原へと着いたが、 ここもまだ時間が早いのか店は一軒も開いておらず、 食べ物を期待した息子がブーブーと不平を漏らした。

男体山への登りも、やや急ではあるが大した距離ではなく、女体山と同じく立派な祠がある頂上にはすぐに立つことができたが、 女体山頂上と同じくこちらも人がほとんどいなかったのが嬉しい。

一旦、見晴らしの良い場所まで下りて、関東平野を眺めながら腹ごしらえをし、この後どうするかを考えたが、 また同じ道を戻る気はせず、 またロープウェイやケーブルにて下山するなどもっての他であるから、 タクシーを使うこともやむなしと腹を決めて、 筑波山神社へと下ることにした。

樹林帯の中をひたすら下ることになったが、道は湿っていて滑りやすく、息子の方は何回もバランスを崩して尻もちをついていた (このことについては、 山の雑記帳「滑って転ぶ」をご覧下さい)

また、あまり陽があたらない樹林の中は、写真を撮るにもあまり良い環境ではなく、また道も結構急で、こちらから登らず、 つつじヶ丘経由のコースを選んだのは 息子にとって正解であったと思われた (私が前回登ったのはこの筑波山神社からのコースであったが、 約50分で登ってしまい、 物足りなさを覚えた記憶があるのだが、 息子にはキツかろう)

滑ってばかりのため、文句を言う息子をなだめながらひたすら下る中、天気も良いこともあってこのコースを登ってくる多くの人達とすれ違ったが、 本格的な登山の格好をした人もいれば、 ハイキングのような軽装の人もいるなど そのスタイルはマチマチで、 観光地なのか登山対象の山なのかが曖昧であるこの山の状況を 象徴しているような気がした。

私はと言えば、前回も今回も本格的な山の格好は何だか気恥ずかしかったので、靴は布製の登山靴に、超軽量のサブザックを背負っての、 いわゆるハイキングといった方が適当な姿で、 さらに山を舐めているわけではないのだが、 水筒も持っていない状況であった (自動販売機で買ったお茶の缶は持っていた)

やがて道がコンクリート階段に変わると、もうそこは筑波山神社の境内で、満開の桜のもと、立派な山門の向こうに男体山の姿を見ることができた。

これからどうしようかと考えながら参道を歩いていると、客を送ってきたばかりのタクシーが停まっていたので、 ロープウェイ駅まで乗ることにしたが(息子の汚れた服を隠すため、 ジャージのズボンの裾を膝までまくり上げ、 一番汚れているお尻はジャージの上着を腰に巻くことでごまかした) 料金は1,700円、 それに筑波スカイラインの料金400円が加わるので、 合計2,100円という結構な出費となってしまった。

しかし、逆コースをとったお陰で、楽しい山登りができたと思っているし、こういう気楽な登山もたまには良く、 また永年気になっていた山を再訪できたので 満足を得た山行であった。

ただ、この登山記録では敢えて触れなかったものの、筑波山は電波塔やロープウェイ、ケーブル、そして御幸ヶ原の自動販売機や売店など、 文明の力に征服された感があり、 最早完全に俗化した山と思われるが、 頂上部分はともかく、 その途中の登山道には多くの自然が残されているので、 これ以上自然を侵さない様にして欲しいものである (恐らく、今回のコースの反対側にあたる薬王院からのコースは、 もっと自然があって素晴らしいものと思われる)

なお、つつじヶ丘と筑波山神社を結ぶハイキングコースもあるようだが、下山に使うのはともかく、筑波山神社まで下りてきた後に登り返すのは キツいのではないかと思う。


筑波山再登山データ

上記登山のデータ登山日:1998.4.11 天候:晴息子と2人日帰り
登山路:つつじヶ丘駐車場−つつじヶ丘−弁慶茶屋−北斗岩など奇岩群−女体山− セキレイ石−御幸ヶ原−男体山−御幸ヶ原−男女川源頭−中ノ茶屋−筑波山神社
交通往路:瀬谷−狩場IC−(湾岸線)−(中央環状線)−(常磐自動車道)−北土浦IC− 筑波山神社−つつじヶ丘駐車場(車にて)
交通復路:筑波山神社−(タクシー)−つつじヶ丘駐車場−筑波山神社−北土浦IC−(常磐自動車道)−(中央環状線)−(湾岸線)−狩場IC−瀬谷(車にて)


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