甲武信岳( 甲武信岳:2,475m ) 1997.7.5登山


 頂上の標識( 1997.7.5 )

【甲武信岳再登山記録】

【甲武信岳再登山データ】

初回登山


甲武信岳再登山記録

プライベート面が忙しく、5月の大台ヶ原以来山に行っていなかったため、7月末の南アルプス山行での体力が心配になり、 体力を確かめるために急遽甲武信岳に登ることにした。

甲武信岳を選んだ理由は、体力を試すならハードなコースがよいが、しかしまた丹沢というのも飽きが来るし (特にあの大倉尾根を想像するとイヤになる)、 というようなことを考えながら、 約8年前に登った甲武信岳の戸渡尾根コースを思い出した訳である。

基本的に私は、地図に書いてあるコース時間より早く登ることを無上の喜びとしているが、かといってそれは登った時に山上で確かめるだけで、 一切時間を記録に残すようなことはしていないのだが、 この甲武信岳だけは、8時半に麓の西沢渓谷入口を出発し、 12時前に甲武信小屋に着いたことをハッキリ覚えているので、 今回の登山の目安になると思われたのである。

前回は、電車を乗り継ぎ、中央本線の塩山駅からタクシーを使ったのであるが、今回は自宅から車で西沢渓谷入口に向かった。

西沢渓谷の車通行止め付近の土産物店は、8年前の記憶そのままであったが、その手前の当時は公園を造成していたような場所には、 新たに立派な飲食店ができていて、 少々驚いたが、もっとビックリしたのは、 登山口まで歩く途中に、 立派な自動車道が高架となって完成していたことである。

そういえば雁坂峠にトンネルを掘っていたなと、状況を把握したが、このように立派な道路を造り、山に穴を開けることが本当に必要なのであろうか、 またこれでは登山もますますイージーになるような気がして残念でならない。

登山口は、百名山の甲武信岳の項で述べたように、昔は下手をすると見過ごしてしまうような地味な標識があるだけだったが、 今は立派な標識が作られており、 迷うこともないようになっている。

ただ、一歩登山道に入れば様子が昔と全く変わっておらず、それはそれで大変嬉しかったのだが、 長野側に出るまでの途中の標識の方も、 前と同じように皆無で、入口だけ整えただけなので、 百名山ブームの影響力を思わざるを得なかった(悪意があって言っているのではなく、 登山口の標識を設置した人が きっと山に登ることのない観光担当者なのだろうと思ったということ・・・違ったらスイマセン)。

硅石運搬用のトロッコ軌道の跡も、8年前と全く変わらないまま残っており、ヌク沢までは楽しく歩くことができる。

前と異なり木の橋が設置されていたヌク沢を渡ると、シャクナゲが繁る地点まで急登が続き、シャクナゲが繁る地点から暫くは 尾根歩きの平坦なコースとなり、 その後は長くそして暗い樹林帯の木賊山への登りである。

このルートは、8年も前に登ったのであるが、登っている最中に当時の記憶が結構蘇り、ここで振り返ると広瀬湖が見えるとか、 ここを登り切ると平坦な場所が続くとか、 次は岩場だとかいったことが思い出されるので、 我ながらビックリしてしまった。

私の記憶力もさることながら、8年前とほとんど変わらない状態であることが大変効いているいるのだと思う。 自然は自然のままがよい。

8年前と同様に、木賊山と破風山の分岐を示す立派な標識が現れた時感じた嬉しさも同じで、木賊山の下り斜面から見えた 甲武信岳の姿も全く変わっていなかった。

甲武信小屋も同じ状態の様に見えたが、小屋の前にいた大きな犬は当時はいなかったと思う(あるいは記憶にない)。

小屋に着いたのが11時30分、西沢渓谷を出発したのが8時少し前であったから、ほぼ前回と同じペースで登ってこられたわけである。

このようにほとんど変わらない状況であったが、頂上だけは変化を見せており、大きな横木の1枚板に立派な文字で 甲武信岳と書かれていた標識や、 大きなケルンは今はなく、 冒頭の写真にあるような1本柱の標柱が立っていた。

この日は風が強く、頂上に長くはいられなかったので、食事は小屋でとることにして下山にかかったが、途中、前回と同様笛吹川源頭に降りて、 冷たくおいしい水を補給するのを忘れなかった。


甲 武 信 岳 登 山 デ ー タ

上記登山のデータ登山日:1997.7.5 天候:晴れ時々曇り単独行日帰り
登山路:西沢渓谷入口−ヌク沢−硅石採掘場跡−戸渡尾根分岐 −木賊山−甲武信小屋−甲武信ヶ岳−甲武信小屋−木賊山−戸渡尾根分岐−硅石採掘場跡−ヌク沢−西沢渓谷入口
交通往路:瀬谷−八王子IC−勝沼IC−西沢渓谷入口(車にて)
交通復路:西沢渓谷入口−勝沼IC−八王子IC−瀬谷(車にて)


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