登山NO.0079 焼    岳( 焼岳:2,455m ) 1999.8.7登山


 焼岳の火口壁と火口湖( 1999.8.7 )

【焼 岳登山記録】

【焼 岳登山データ】

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再登山


NO.79 焼 岳登山記録

横浜そごう第一駐車場を午後 9時40分頃出発したバスは、午後 11時少し前に新宿都庁駐車場に着いた。
てっきり横浜からそのまま新宿経由で上高地まで行くものと思っていた私は、バスの乗り換えの指示に些かムッとしたが、 これも駆け込みの申し込みで内容をよく調べなかった私のミスである。致し方ない。

午後 11時15分、定刻を 15分程遅れて新宿都庁駐車場を出発したバスは、 甲州街道 (国道20号線) から中央高速道に乗り、一路上高地へと向かった。
出がけに 2缶ほど空けてきたビールと、横浜そごうの駐車場で食べた弁当の満腹感もあって、すぐにウトウトとしてしまったのだが、 途中 0時20分の休憩時に談合坂パーキングエリアに降りた時、雨が降っていたので少々驚いてしまった。
このところ、関東地方の天候は不安定で俄雨が降ることが多く、これから向かう上高地の天候も些か心配であったが、午前 5時40分、 上高地にバスが着いた時には、青い空と昇り来る太陽の光が迎えてくれ、今日の天気を大いに期待させてくれた。

上高地は既に多くの人々で混雑していたものの、そのほとんどが登山姿であったことから、 観光地化したと言われる上高地に対し勝手な嫌悪感を抱いていた私には、ホッとするものがあった。
上高地に着いたらすぐに山に向かいたかったのだが、その前に色々準備することがある。
まずは売店に立ち寄って鱒寿司を買い、そのまま売店の屋上に上がって、黒々とした木々の向こうに見える、 朝日が当たって異様な程輝いている焼岳を眺めながら、朝の腹ごしらえを行う。
次に水の確保であるが、これは人々が集まっている広場の中央に水場があったので、持ってきた水を捨て、冷たい水への詰め替えを行った。 やはり横浜の水道水よりは現地での新鮮な水の方が良いに決まっている。
さて、最後にトイレであるが、トイレの前には珍しく男性陣の長蛇の列ができており (無論、『大』 を求める人たちの列)、 用を済ますのに 15分くらいかかってしまった。これは誤算であった。

準備が整い、いよいよ出発であるが、折角上高地に来たのだからそれなりに名所は見ておきたいと思い、 またほとんどの人たちが登山姿だったことにも勇気づけられて、少々遠回りとなるが河童橋の方へと向かった。
林を抜けて梓川沿いに出ると、正面に奥穂高の雄大な景色が見え始め、 その素晴らしい光景に暫し見とれてしまった。
そして、河童橋、その下を流れる梓川、その向こうに見える穂高の山々という景色は絵になると感心せざるを得ず、 『上高地』を食わず嫌いしていた自分を大いに反省したのであった。

河童橋を渡ってからは、梓川右岸に沿って道を左に進み、 宮崎県の三秀台以来のお目もじとなるウェストンの碑を見て、上高地温泉ホテル前を通り、梓川の土手沿いに進んで田代橋のたもとへと出た。
田代橋の所を右に曲がると、やがて山門のようなものがあり、そこをくぐると西穂高への登山道になっているようであったが、 焼岳は左の方へと進まねばならない。

車道を暫く進むと、やがてやや寂しい感じの焼岳登山口の標識が見えてきたので、 そこから道を外れて樹林帯に入っていくことになった(6時45分)
最初は樹林の中のほぼ平らな道が続き、夜行バスで固くなった身体をほぐすのにはちょうど良い運動であった。
小さな沢を横切って快調にとばしていくと、やがて道も樹林と笹の中の登りとなったが、意外と身体は軽く、いくつかのグループを抜くことになった。

やがて、樹林が切れ始め、目の前に 凄まじいばかりに崩壊したというか、 荒々しく崩れた薙と言っても良いような場所が現れたのであるが、これが峠沢であろうか。

道は峠沢に沿いながら樹林帯の中を登ることになり、時々見える峠沢の凄まじさに何度も驚かされた次第である。
途中、鉄の梯子を登るなどして高度を上げていくと、峠沢をはさんだ上方に焼岳の姿が見えるようになってきた。 時々かかるガスに山頂部分が見えなくなったりするが、青空はしっかり見えており、何とか頂上でも良い展望が得られそうである。

高度が上がるにつれて上高地方面も見えるようになり、この焼岳と 向かいの霞沢岳との間に挟まれた平らな地に梓川の流れが良く見えた。 水の幅が大きく見える所は大正池なのだろうか ?
やがて道は樹林帯を抜け、右に岩が壁のように聳える下を登ることになり、また遮るものもなくなったので太陽の光を直接浴びるようになったが、 意外と日差しは柔らかい。

落石注意の標識に注意を喚起されつつ慎重に登っていくと、やがて道は岩壁のどん詰まりへと進むことになり、 そこには再び鉄梯子が掛けられていた。
鉄梯子を登り、岩の間を抜けるようにして詰めていくと、 そこからは笹原が一面に広がった気持ちの良い登りとなった。どうやら先程の岩壁の上部を登るようである。
かなり強い風がこの笹原を吹き上げ、帽子を飛ばされないように注意しながら登らねばならなかったものの、 身体にとっては大変気持ちの良い風であった。
左の奥の方には、岩だけで緑がほとんど見えない焼岳の荒々しい姿が見え、振り返れば上高地が雲間からの太陽の光を受けていて、 まるでスポットライトが当たっているようで大変面白かった。

天候の方は、日が射したかと思うと雲に覆われてしまったりと変わりやすく、 向かい側の霞沢岳の頂上付近は完全に雲の中であった。しかし、ありがたいことに焼岳の方は時々ガスがかかるものの、 青い空の中にその姿を見せてくれている。

気持ちの良い笹原の登りを終えると、道は尾根の反対側に下りることになり、 すぐに目の前に焼岳小屋が見えてきた (8時7分着)
焼岳小屋の前にあった標識には頂上まで 1時間とある。もう少しである。
小屋の前から少し登ると、再び焼岳の姿が見えるようになり、その姿はますます大きく、両方に 2つのピークを従えた堂々とした姿が印象的であった。

少し登ると、今まで見えなかった北側の景色が見えるようになり、笠ヶ岳の大きな姿がいきなり飛び込んできて驚かされた。
ここから見る笠ヶ岳は、深田氏が述べているように本当に金字塔 (ピラミッド) のように頂上が尖った三角形をしており、 今まで私が見てきた先端が平になった笠ヶ岳とは全く趣を異にしている。 ここからの笠ヶ岳は深田氏の言うように本当に立派である。

八合目と書かれた看板を過ぎると、もうそこからは完全に岩稜地帯で、崩れやすい岩を踏みしめての登りとなった。
涸れ沢のような場所を横切って登るようになると、硫黄の臭いが鼻を突くようになり、ここが活火山であることを思い出させてくれる。
そういえば、先ほど通り過ぎた焼岳展望台の直下には、わずかに水蒸気を上げている場所もあった。

岩に付けられた矢印や丸印を忠実に辿りながら、ジグザグに岩場を詰めていくと、 やがて噴煙を上げている場所を過ぎ、尾根の一角に登り着くことができた。
尾根の反対側を見れば、中の湯へと下る道が下へと続いており、道が左に折れる所の更に先には恐らく南峰へと続くと思われる高みが連なっていた。

一応まずは北峰を目指し、右へと進む。
硫黄が吹き上げて真っ黄色に染まっている岩を左に見て岩場をよじ登っていくと、すぐに小広い北峰の頂上で、 そこには赤い字で焼岳と書かれた標柱が立てられていた (9時12分着)

頂上は遮るものがないため、展望は抜群のはずであったが、 先程述べた笠ヶ岳の姿は良く見えたものの、 西穂高、奥穂高方面は雲に覆われていてその一部分をチラッと見せてくれただけであった。
また、この北峰の眼下には、緑色の水を湛えた火口湖とそれを囲む火口壁が見え、その火口壁はぐるりと回っていて、 この北峰はそのピークの一つとなっているのである。
そしてその火口壁の一端、丁度北峰の反対側には焼岳の最高部 南峰があり、 ここまで来たらどうしても最高地点に立ちたいという気持ちにさせられたのであった。

北峰で 20分ほど休んでから一旦先程の道を戻り、今度は途中から中ノ湯への道を進んだ。
道は途中まで火口壁に沿って進むことになり、途中にある標識の所から左に道を折れて下っていけば中ノ湯へと至るのであるが、 どうしても南峰にも立ちたいという気持ちが強く、そのまま中の湯の分岐点に荷物を置いて、 まっすぐ火口壁に沿って進むことにしたのであった。
すぐに、×印のついた岩があり、その先には白い字でハッキリ書かれた 『立入禁止』 の文字が見えたが、 それを無視してかすかな踏み跡をたどっていくと、大きな岩の突き当たりとなった。
なるべく左へ左へと詰めてから岩の間をよじ登っていくと、すぐに火口壁の上部に出ることになり、後は楽なお鉢巡りという感じであった。
やがて、航空写真を撮るための目印に使うのであろうか、白い板が三枚地面に打ち付けられている場所があったので、 どうやらここが南峰、焼岳の最高地点らしい (9時46分着)
白い板のそばには、焼岳と書かれた標識も倒れていた。

倒れた標識のそばには、かつて標識を立てかけていたのであろう、いくつかの岩が積まれていたので、 折角だからと標識をその岩の間に立て、何枚か記念写真を撮った。
ここからの眺めも抜群で、特に火口湖の神秘的な色と、北峰へと続く火口壁の荒々しい造形が印象的であった。
5分ほど経つと、数人の人が後からやってきたのですぐに下山することにした。
先程の分岐点で荷を拾い、後はカールのようになった笹原をドンドン下るだけである。
振り返ればここから見上げる焼岳の姿も印象的で、火山の荒々しさと緑の絨毯とのコントラストが印象的であった。 焼岳小屋からの岩だらけの登りとは趣が全く違う。

笹原を抜けると後は樹林の中の下りが続き、中の湯という標識に沿ってひたすら下ると、 いつのまにか道も広くなり、やがて目の前に自動車道路が現れた (11時15分)
道路を渡ると、そこに中の湯の標識があったので、再び樹林帯の中に入って下っていくとすぐに中の湯の裏手に出たのであった (11時23分)

実は私の持っている 1998年版の日地出版の地図 『上高地 乗鞍』 には、 焼岳からの下山は中の湯の東、中の湯橋のたもと 『卜伝の湯』 の所に出ることになっていたのであるが、 どういう訳かそこからかなり西にある中の湯に出てしまったのである。
ここからはさらに自動車道を数キロ歩かねば、目的の中の湯の停留所 (卜伝の湯がある場所) には着かないのであるが、 やはり目の前に温泉を見せられてはどうしても入らずに通り抜けることはできず、再度 汗をかくことを覚悟で入湯したのであった。

中ノ湯は建てたばかりのようで大変清潔な感じがして気持ちよく、 また備え付けの露天風呂からは穂高連峰も眺めることができ最高の気分であった。
時刻は 12時前、こんな時間に登山を終え、ノンビリ長野の山奥で湯に浸かっている自分が信じられない気分であった。

以下、乗鞍岳の項へ続く。


焼 岳登山データ

上記登山のデータ登山日:1999.8.7 天候:晴時々曇り単独行夜行日帰り(帰らずにそのまま乗鞍岳へ)
登山路:上高地駐車場−河童橋−ウェストン碑−焼岳登山口−焼岳小屋−焼岳展望台−焼岳北峰−中の湯分岐− 焼岳南峰−中の湯分岐−下堀沢分岐−車道−中の湯−中の湯バス停
交通往路:瀬谷−(相模鉄道)−横浜−横浜そごう第一駐車場−(バス)−新宿都庁駐車場−(夜行バス)−上高地
交通復路:中の湯バス停−(バス)−乗鞍岳頂上(畳平)−肩ノ小屋(泊:翌日 乗鞍岳へ)
その他の焼岳登山焼岳登山者用駐車場−焼岳登山口−鍋助横手−秀綱神社−焼岳小屋分岐−中尾峠 −焼岳−中尾峠−焼岳展望台−焼岳小屋−新中尾峠−焼岳小屋分岐−秀綱神社−鍋助横手−焼岳登山口−焼岳登山者用駐車場 (2014.11.5 : 快晴後曇り)
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