登山NO.0028 霧 ヶ 峰( 車山:1,925m ) 1991.3.18登山


 雪の八島湿原( 1991.3.18 )

【霧ヶ峰登山記録】

【霧ヶ峰登山データ】

再登山


NO.28 霧ヶ峰登山記録

霧ヶ峰は、百名山の中でも 美ヶ原とともに 現時点ではもはや俗化してしまった山であると言われているが、そうなるとなかなか行くのがためらわれるものであり (登るのがイヤだというのではなく、観光客の中に自分をどう置いていいかが分からなくなってしまう)、 日帰りのエリア内にありながらなるべく後回しにしてきた山であった。
しかし、雪のため、観光道路であるビーナスラインがまだ閉鎖されており、観光客も少なそうなこの時期に登れば、 自分の身の置き場に困ることはないのではないかと気づき、早速出かけることにした。

いままで日帰り登山では鈍行列車が中心であった中央本線も、今回はバス時間に合わせて特急列車を使うことにする。
列車は、小淵沢を過ぎた頃から周囲が銀世界となる中を上諏訪まで順調に進んだが、途中で見えるはずの南アルプスの山々は、 生憎 私が進行方向右側の座席であったことで、ほとんど見ることができなかったのだった。
上諏訪からバスにて終点の強清水まで行くと、そこはまだまだ雪が多く、ホテルや売店なども大半が閉まっているようで、 当初の目論見通り静かな山旅が楽しめそうな雰囲気であった。
途中 道路右に見えた霧ヶ峰スキー場も、運営はしているのだろうがほとんど人を見かけることはなく、 閉鎖されている料金所の所から車道をはずれて左側の雪の上を歩き始めた時には、周囲に人影は全くない状況であった。

遠くを見やると、北アルプスの山々がその銀嶺を輝かせており、また 御嶽や南アルプスも間近に見え、 ここは山好きにとっては絶好の展望の場所であることが分かり、大変嬉しくなってしまった。
雪道はわずかな足跡が続いているだけであったが、好天のため周囲が見渡せ、進む方向もハッキリ見えていたので迷うことなく進むことができる。
緩やかな登りの雪原を登っていくと、やがて先ほどの車道が右側から回り込んできている、コロボックルヒュッテや食堂などが建っている場所に着いたが、 そこが車山の肩であり、観光シーズン中にはバスがここまで登ってくることになっているようである。
肩からは目の前に見えるズングリした丘のような車山への登りとなったが、雪の上に足跡もなく、全く道が分からなかったので、 適当に道を選んで登っていくことにする。
後でガイドブックを見たら、植生保護ために立ち入りを禁止している場所があるとのことで、もしかしたら分からずに迷いこんでいたかもしれない。

雪はしっかり固まっており、かといって傾斜もきつくないことからアイゼンも不要で、 順調に高度を稼いでいったが、全く踏み跡のない白い雪の上に自分の足跡だけを付けていくのは大変気持ちが良い。
一面雪に覆われた斜面から、徐々に傾斜もなくなり、雪の上に岩がいくつも飛び出した場所へと変わって、 やがて車山山頂と書かれた大きな標識と売店 (閉まっていた)のある車山頂上に到着する。
売店の上は展望台になっており、その上に立ってみると 360度遮るもののない素晴らしい展望が得られ、 思わず歓声を上げてしまった。

東の 蓼科山から始まり、 南に向かって北八ヶ岳の山々、そして赤岳を主峰とする 八ヶ岳と続き、 ややぼんやりと霞んだ 富士山を挟んで、 甲斐駒ヶ岳仙丈ヶ岳を中心とした南アルプスの山々が連なり、 続いて中央アルプスから 御嶽へ、そして 乗鞍岳から北アルプスが始まり、 穂高連峰、槍ヶ岳、そして 常念岳と続いて、最後に上信越の 浅間山にて一周することになるその展望は、 いつまでも見ていても飽きることない本当に素晴らしいものであった。

しかし快晴であったものの冷たい風が強く吹いていたため、長時間同じ場所にいるのはかなりシンドく、 山々の写真を十分に撮り終えてから下に降りて、休憩所の横で風を避けながら昼食をとる。
最後まで頂上に私一人であったら良かったのだが、車山スキー場方面からリフトを使って登ってきたのであろうと思われるスキー客が数人やってきたので、 逃げるようにして八島湿原の方に向かうことにする。
とはいっても、道標も見つからず (本来は蝶々深山を通っていくはずだったのだが)、 道が全く分からなかったので安全を見て、一旦 車山の肩近くまで戻り、そこからヒュッテジャベルのある方に向かう。
ヒュッテジャベルからは、わずかながらつけられている足跡を辿って旧御射山 (もとみさやま) へと向かい、 " 史跡奮(?)御射山競技場跡 " と彫られた石碑の横を通って、 さらに八島湿原へと進んむ。

八島湿原も完全に雪原で、どこからが湿原なのかも分からない状態であったが、幸い人が通った跡があったので、 その跡を忠実に辿るようにして、八島湿原の左岸を進み、正面に見える鷲ヶ峰を目指す。
途中、湿原の周りに張られたロープが露出した所があり、足跡が本来の遊歩道 ? からはずれて、湿原の上を進んでいることが分かったが、 足跡からはずれた所を歩くと何があるか分からなかったので、仕方なくそのまま進むことにする。
やがて、七島八島と大きく書かれた標識のある場所に着き、広い湿原を眺めながら一休みした後、 今度は左の鷲ヶ峰の尾根に取り付いたが、そこには山スキーのトレースが残っており、 スキーができない私にはこういった所を自由に滑れることが大変うらやましく感じられたのであった。

鷲ヶ峰への登りは、雪が太陽の熱で溶けかかっていたことで、滑りやすくやや苦労したが、 途中御嶽神社 (?)と彫られた石碑などを見て、黙々と進んでいくと、思いの外早く頂上に着くことができた。
頂上は、やや風化して文字がよく読めない木の指導標と、方位盤があるだけの狭い所であったが、 真下に八島湿原の大きな広がりと、そしてそのずっと先には北八ヶ岳や 蓼科山、 また反対側には諏訪湖が見えるなど、なかなかの展望を得ることができたのであった。

下山は往路を戻り、旧御射山を少し過ぎてから車道に降りて、そのまま今朝ほどの料金所へと戻る。
料金所には誰もいないことをいいことに、その控え室に入って汗に濡れた服を着替えさせてもらい、ゆっくり強清水まで戻った。

ほとんど人に会わない静かな山旅ができたとともに、好天のもとで雪の上を歩く楽しみも味わえたので、 俗化した山ということを感じることは全くなく、この時期に登ったのは大正解であった。


霧 ヶ 峰 登 山 デ ー タ

上記登山のデータ登山日:1991.3.18 天候:快晴単独行日帰り
登山路:強清水−料金所−車山肩−車山− コロボックルヒュッテ−旧御射山−八島湿原−鷲ヶ峰−八島湿原−旧御射山−料金所−強清水
交通往路:瀬谷−(相鉄線)−海老名− (相模線)−橋本−(横浜線)−八王子−(中央本線)−上諏訪−(バス)−強清水
交通復路:強清水−(バス)−上諏訪− (中央本線)−八王子−(横浜線)−橋本−(相模線)−海老名−(相鉄線)−瀬谷
その他の霧ヶ峰登山強清水−道の駅−車山肩−車山−蝶々深山−物見岩−奥霧小屋(八島ヶ原湿原)−鷲ヶ峰− 八島ヶ原湿原−旧御射山−霧ヶ峰ホテル−強清水 (2002年11月02日 : 曇り時々晴れ)
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(2) 和田峠 農の駅 駐車場−鷲ヶ峰−八島ヶ原湿原−男女倉山(ゼブラ山)−北の耳−南の耳−車山−蝶々深山−物見岩−八島ヶ原湿原−大元尊石碑−鷲ヶ峰−和田峠 農の駅 駐車場
 (2019.7.10:曇り時々晴れ、のち雨のち曇り)    ここをクリック


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