This is a Japanese translation of "A Turn of Luck" by Anna Kingsford.

以下は "A Turn of Luck" by Anna Kingsford の全訳です。


IV. 幸運のターン

著: アンナ・キングスフォード
訳: The Creative CAT

「Messieurs, faites votre jeu! . . . Le jeu est fait! . . . Rien ne va plus! . . . Rouge gagne et la couleur! . . . Rouge gagne, la couleur perd! . . . Rouge perd et la couleur! . . . (ムシュー、始まりますよ!……お楽しみはこれから!……賭けるのはここまで!……赤の勝ち、同色も!……赤の勝ち、反対色も!……)」

相も変わらぬ冷静な声でこんな決まり文句がひたすら繰り返されていた。私はモンテカルロの賭博場でテーブルの脇に立ってそれを聞いていた。偶然という名の浮気な女神に貢ぐ者たちがこんな言葉を何時間も何時間も耳にする間、朝焼けに始まったこの美しくも残酷な地上の楽園での一日は魅惑のうちに夕暮れていくのだ。どこよりも青い海に洗われる岸辺、金色の果実に彩られた庭園、ふわふわした棕櫚の葉に飾られて。香りの良い木陰から木陰へとさまよう貴方の耳に絶え間無く飛び込むのは銃声であり、時として、繊細な白い胸をした生き物が、翼を折られ、力なく血を流しながら、崖の下の黒い水へと落ちていくのを見るかもしれない。邪な土地! 冷酷な土地! 心も慈悲もなく、厳しく、非人間的な! だが、かくも美しい!

それはまさに今日の午後のことだった。ルージュ・エ・ノワールのテーブルの一つを挟んだ向かいに一人の若い男が着いていた。プレイヤーたちの顔を見るともなくチラチラと眺めていた時、その男の顔に視線を羽交い締めにされた——ひどく青ざめた、痩せた、熱望する顔。こんな場所のこんな人々の中にあってすら目を惹く熱望だ。二十五歳くらいだったが、病人のように項垂れ、縮み、度々激しく咳き込んでいた。これは肺の半分を結核に冒された患者に見られる凶兆だった。賭け事を楽しんでいる者の雰囲気ではなかった。私は思った。この雰囲気は浪費家のそれでもなければ「ne'er-do-weel放蕩者」のそれでもない。頬を窶れさせ手を震えさせているのは道楽ではなく疾病であり、異様な目の光は貪欲ではなく発熱のためだ。プレイ中の彼はワクワクするのではなくビクビクしていた。大きな賭けに打って出ることは滅多になく、何があっても気を抜くことはなかった。ふと、若い娘が人波をかき分けて彼に近づいていくのが見えた。地味な身なりの娘で、可愛らしい顔には悲しみがあり、目は慈しみで一杯だった。男の方に触れると屈み込み、できるだけさりげなく額にキスして囁いた「Viens(行きましょう)、je m'etouffe ici, il fait si frais dehors; sortons(ここは息が詰まるの、ちょっと寒くて。出ましょうよ。)」 彼は答えなかった。両目をカードに据えていた。堅苦しい事務的な声がした「Rouge perd, et la couleur。」

ため息をつき、立ち上がると彼は咳き込んだ。両目を片手で覆い妻の腕をとった——(彼女が妻であることは間違いないと私は感じた。) 二人はゆっくりと部屋を出ていき、姿が見えなくなった。男の顔も——娘のそれも。半時間後、私は賭場の外にある噴水のところに座って、奇妙な夫婦のことで静かに思いを巡らせた。娘はあまりに若い——まだほんの子供みたいなものだし、男はひどく病んで窶れている! 男がプレイしている様子は古くからの habitué常連 のようで、娘はそんな彼をテーブルから引き剥がすのに慣れているようだった。私はちょっとしたロマンスに遭遇したに違いない、だったらそれを追求してやろうと心に決めた。その夜、ホテルの table d'hôteコース定食 ディナーの席でニースからきた友人と出会った。好奇心を曝しても大丈夫な人物だ。彼は言った「君のいう若者たちなら知っている。モナコのS先生の患者だよ。S先生とはとても親しくてね、二人の話をしてくれた。」「二人って——」私は口を挟んだ「——奥さんの方も病気なのか?」「正確には違うな。多分。」友人は少し笑顔になって答えた。「でも君も見たろう——彼女はもうすぐ母親になるはず。あんなに若くて華奢な身で。」「じゃあ話を聞かせてくれ。知っているんだよな。きっとロマンチックな話に違いない」と私。「悲しい話だぞ」と彼。「とても悲しいだけに、ロマンスとしての資格は十分だ。若い男の名前はジョルジュ・サン=シールといって、ある華族の一家の『斜陽』組だった。いま僕は過去形で話したろ、それは彼の家族がみな世を去っているからだ——父親、母親、三人の姉妹。

父親は結核で死んだ。姉妹もそうだ。彼自身が同じ病気を受け継いでいて、もう長いことはないだろう。生まれてこのかた、彼を取りたてようとする者は一人としていなかった。寡婦となった母が死んだのは、彼がまだほんの小さな子供の頃だったし、その時ですらひどく健康を損ねていて到底働けるような体ではなかった。彼はベストを尽くしたよ。だが、年がら年中病欠し、就業時間中も頭痛で仕事に手がつかず、あるいは床に転がっているような青二才を雇えるほどかねを余らせているボスなんているか? とてもじゃないが生活資金を稼ぐどころではなく、わずかな所持金ではまともな暮らしはできなかった。その上、体の弱い彼には他の青年なら贅沢だと思うようなものが本当に必要だったんだよ。それでも五年間というもの、必死に筆写業かなんかの内職を探して暮らしを立てていたんだが、二十二歳になった時、なんとか小金を貯めてやろうと目論んだ。医学の門を敲き、科学雑誌に原稿を書いて生活しようという計画だ。頭はよく回ったし、文才がないわけじゃなかったからね。そこで彼はパリ医学院から遠くない貧乏宿に住んだ。

ああ、貧しい青年はバカロレアに合格して医学部の一年生になったよ。成績は実に良かったんだが、病院実習が始まるとね、そこで再度やられてしまったわけだ。底冷えのする日に六時起床、凍てつく早朝の街へと出て、そんな時には雪や霙が厚く積もっていたりもする。来る日も来る日も長時間不健康な病棟で回診に当たり、午後になったら悪臭の充満する解剖室で病理解剖に立会い——といったどれもがカタストロフを齎す元となった。彼は発病して倒れてしまったのだ。指導教官は親切な人物で、天涯孤独の身の上を見兼ねて、彼が寝付いている間じゅう看病に当たった。医師としてまた友人として。何週間かしてジョルジュがまた起きられるようになると、教授は日曜日には自宅うちに来て、家族と一緒に夜を過ごさないかと聞いた。教授の家はクリューニー街の au cinquième五階 にある小さな貸し間だった。

というのも、無論、教授も貧乏だったからだ。週に五フランの個人授業で食い扶持を稼いでいて、ジョルジュが出席しているクラスの講義ではもっと僅かな額しか得ていなかった。だが、ジョルジュにとってはそんなのはどうでも良かったんだな。次の日曜日にはいそいそとルノワール博士の家に足を運び、そこで教授の娘と出会ったのだ——君が見かけた女性だよ。その時ほんの十七歳、今よりもっと可愛かったのは間違いない。今みたいに心配そうな顔も悲しそうな顔もしていなかったんだし、心配だの悲哀だのはあの娘に似合わないからね。そうなると若い学生が恋に落ちないわけがない。自分の仕事で頭が一杯な父親はどんな事態が進行しているか気づいていなかったし、ポリーヌの心は小言を食らっても止められないところまでお熱になっていた。ある晩、若い二人は手に手を取って父親のところに行き、あらいざらい打ち明けた。ルノワール夫人は疾うの昔に鬼籍に入り、二人の息子は医学を学んでいた。多分娘のことは持て余し気味だったのだろう。愛してはいても、あまりに早く女になってしまい、男鰥にはどうしたものか皆目わからなかったのさ。サン=シールは生まれがよく聡明だった。健康状態さえ改善に向かえば、全てがうまくいくだろう。だがそうならなかったら? 彼は若者の青ざめた顔を見て、聴診器が暴き出したものを思い出していた。まあ、こういう初期の病勢なら身体所見が悪くてもしばしば快癒するものだ。安静、新鮮な空気、そして幸福、こういったものがあれば若者は健康体になるかもしれない。そこで彼は二人の婚約についてはとりあえず賛成であるものの、まだ——今の所は——話が固まったと思わぬようにと釘を刺した。彼はジョルジュの病状の経過を観察したかったわけだ。それは早春の頃だった。六月には若者はだいぶ壮健になり、教室も病室もうまくこなせた。無事に fin d'anée期末 試験を終えると、学位取得までは一年間の小休止だ。ルノワールは若者が次の冬を南仏で過ごせば病状は一気に警戒するだろうと考え、即刻この考えをジョルジュに伝えた。しかしジョルジュにはそれだけの資金がなかった。このところ学業をこなすのに手一杯だったため、物書きの収入が絶えていたからね。ノワールは彼の顔をたっぷり一・二分のあいだ凝視して、こう言った:——「娘の持参金は一万フランになる。母親から譲られたものだ。大事に使えば、学位を取って自分で稼げるようになるまでなら二人で暮らせるだろう。この秋に娘と結婚して一緒に南に行ったらどうかね?」 なあ、ジョルジュがこれに喜んだかどうか、君にも想像がつくだろう。もちろん最初は断ったさ。ポリーヌのお金を使うわけにはいかない。それは彼女のものだ。自活できるようになるまで待とう。だが教授は口が上手くてね、この話をもちかけられた娘は、一人で父親の書斎に入った。そこにはジョルジュが座って、化学の勉強中のような振りをしていたのだが、娘は話をまとめてしまった。そんなわけで十月の末、ポリーヌはサン=シール夫人になり、夫同伴でリヴィエラに向かったんだよ。

「それは厳しい冬だったな。気まぐれな大寒波が欧州一帯を蹂躙していた。記憶にある限り、かつて雪が降ったことのない場所ですら雪が降った。誰もが吹きすさぶ風の牙から逃れられなかった。友人のS先生がいうには、リヴィエラは最高の場合でも労咳患者に向いているとは限らないのだそうだが、その冬は最悪だった。夫妻はお金を節約するため、海沿いの大きな町は諦めてサンラファエルの安宿に住み、そこである晩、ジョルジュ・サン=シールはひどい震えに襲われるとすぐに宿痾がぶり返した——発熱、咳嗽、衰弱——医師たちのいう瞬く間の paussée増悪 だ。ポリーヌの熱心な看病の甲斐あって、三月には少し軽快したのだが、回復には程遠かった。彼女は父親への手紙に希望をつないだ。ジョルジュもまた。確かに、この若夫婦は病が彼にいかなる枷を課したかを正しく把握していなかったのだ。日を経ても咳嗽は持続し、サンラファエルは彼に不向きだとして二人はニースに向かおうと決意した。五月もだいぶ遅くなり、ニースに行っても然程お金がかかることはなかろう。ということで二人は転地したのだが、ジョルジュの容態は快方に向かわなかった。それどころか、ますます衰弱の度を高めていったのだ。咳をすると体がバラバラになりそうだ、と彼は語り、外出する時は力なく妻の腕にもたれる始末だった。どう考えても、この春はパリに戻って勉強するどころではなかった。ポリーヌもまた長引く看病のせいで体調を崩し、その上、自分自身の問題も抱えていた。母親になるべきことがわかっていたからだ。彼女は父親にジョルジュはまだ具合が悪く、五月になるまで帰郷は無理だと手紙を書いた。しかし、四月の最初の十日間が過ぎないうちに、サン=シールは自らの病状の真相をある程度気づくようになった。『僕は二度とハードワークに堪えられるような身体になれないんだ』と独り言ち、『そのくせ学位の試験に合格したいと思うなら、猛勉強しなければならないし。そうこうしている内にポリーヌの持参金は費えてしまうだろう。休みなしに働けるようになるには何ヶ月かかかる。その場合も文筆業で身を立てるのは無理だな。僕はどんな勉強にも向いていないんだ。何かかねを——手っ取り早く——稼ぐ手はないものか。ポリーヌと子供のために。』

「その時、モンテカルロの賭場のことが頭に浮かんだ。ポリーヌの持参金の残高は八千フランで、そういつまでも使える額ではなかったが、ルージュ・エ・ノワールに投資する元手としては十分だった。運が良ければここから大金を作り出せる。このアイディアは彼を捕らえ、もう頭はこの考えで一杯、寝ても覚めても他のことが考えられなくなった。夜の夢の中では自分の傍の緑の布の上にきんがうず高く積みあがっている姿を見、日中はポリーヌの腕に縋って Promenade des Anglais天使の遊歩道 をうろつく時も病んだ心に新たな幻想をくべながら、口数は少なくなっていった。とある日、彼は妻に言った:——『今すぐモンテカルロに行ってプレイを見よう。面白いよ。とても美しい庭があるんだ。きっとそこが気に入るよ。誰もが言うんだ、あれはリヴィエラの中で一番綺麗な場所だって。』 かくして二人はそこに赴き、魅了された。だがその日ジョルジュはプレイせず、テーブルの横に立って見学した。一方、小心なポリーヌはサロンに入るのを怖がり、『le jeu勝負』を少しく恐れてもいたので、カジノの外の大噴水に腰掛けた。美しいモンテカルロのことを思い巡らせたのは、二人がニースに着いてお茶を飲んだまさにその当夜だったとジョルジュは宣言し、四月の間はここで過ごしニースに戻るつもりはないと言い張ったのだ。その場でポリーヌも賛同し、次の日二人は庭園に簡単に足を運べる範囲で最も安い家を見つけてそこに落ち着いた。さあここでだ、実に静々とサン=シールはポリーヌに向かって新たに生まれた希望のことを切り出した。初め彼女はひどく恐れ、さめざめと泣きだした。『賭事なんて不道徳よ、ジョルジュ』彼女は言った——『あなたの計画通りにしてしまったら、金輪際、神様のご加護がなくなってしまう。こんなこと、パパにはとても言えません。』『確かに不道徳ではあるだろうね、』とジョルジュ。『友達や隣組とプレイするならそうだ。クラブや個人的なサークルでやる場合さ。誰かが幸運を得れば、他の誰かが乞食になる。誰かのポケットに入るお金は、その分他のプレイヤーが貧しくなるから出てくるんだ。でもここでは丸っ切り違うんだよ。プレイする相手は大集団だ、組織なんだよ。僕ら一人一人が成功しようが意に介さず、全体を相手に商売しているんだ。そういう環境なら、賭事にも何ら恥じることはない。モンテカルロでプレイしても誰も傷つけない。傷つくならそれは自分自身だけ、株式市場で毎日行われている合法的な「ビジネス」とやらに比べて、別に非難されるべきものじゃないんだ。』『でも、』弱々しくポリーヌは返した。『賭けているのはこんなに嫌らしい人たちじゃない——男の人たちだって——女の人たちだって! 全然立派じゃないわ。』『まあ多くの連中は立派じゃないな、』と彼。『連中には他に稼ぐ方法があるからね。ここにはぐうたら者や放蕩児や能無しどもが来ているよ。わかってるさ。でも僕らは立場が違う。僕らには他に生活費を稼ぐ手段がない。僕はこのテーブルでね、ポリーヌ、君のために真摯に働くつもりだ。株を買い込んだり外国の鉄道に投資したりするのと同じように。君が怖がっているのは名前と習慣のことに過ぎない。自分の目でしっかり見れば君にもわかるはずさ、そんなのただの……憶測なんだって。』『ジョルジュ、』とポリーヌ。『あなたの方がよく知ってるんだから、思うようにしていいわ。私には何もわからない。それにいつだってあなたはお利口さんだもの。』

「これで好きにできるようになったサン=シールは、時を置かずに仕事に出かけた。まずは少しだけ静々と、あまり大きな賭けに出ずに。で、ルーレットのテーブルに一週間留まった。ルージュ・エ・ノワールはきんじゃないと賭けられないからね。その週が終わる時、勝負はトントンだった。そこで彼は大胆になり、深みにはまっていったんだ。ルージュ・エ・ノワールをプレイしだすと、最初の一日二日はツキがあったが、その後は完全に運命の女神に見放されてしまった。ポリーヌには何も言わなかった。彼女は毎日何度か賭場に入って彼を探し、少し声を掛けて、疲れていそうな時は外に連れ出していた。あるいは一緒にいて欲しいとか散歩に行こうとかいう口実で誘い出した。哀れな娘が苦しんでいたのは疑いない。憂慮が、孤独が、いつまでも抑え込めない恥辱がその頬を青ざめさせ、痩せおとろえさせた。一体どうなっているの、とはとても聞けなかったが、押し黙ったままの夫の顔が病的になっていくのを見ると、彼女の心臓は恐怖に動悸を打つのだった。部屋に一人残された彼女は悲しくて日がな泣いていたに違いない。友人のS先生によると、初めて診察室に来たとき顔に涙の跡があったという。この事実を無理やり突きつけたら、『私はよく泣いているんです』と答えたそうだ。

「親切で心の広いS先生は徐々に彼女から話を引き出した。いま君に話したのがそれだ。ジョルジュもS先生の患者になったんだが、『le jeu勝負』についてはあまり話しがらなかった。広間の空気が体に悪く、場合によっては命に関わるという点を根拠に、S先生は彼に賭場には行かないほうがいいと指導したのだが、彼はこれに敬意を払って幾分『着席』時間を短くし、ポリーヌと一緒に木陰に座る時間を長くしたものの、賭博から足を洗おうとはしなかった。でも彼の『思惑』など、負け犬の常として、ツキを掴んで運命の女神に復讐しようというだけに過ぎないのさ。」

「それで、サン=シールには結局ツキが回ってこなかったと、違うかい?」と私。

「ああ。」友人は答えた。「彼と、かわいそうなポリーヌの持参金にとって、状況はひどく悪化しているんじゃないかな。」

こう言うと彼は夕食の座から立ち、私たち二人はぶらぶらと月光に照らされたホテルのテラスに出た。私は言った「あと十分で列車が出る。今夜中にニースに帰るよ。いくら美しくてもモンテカルロは嫌いだし、その影の下に寝る気にもなれない。だが出発前に頼みたいことがあるんだが。君が話してくれたこの物語の続きを教えてくれないか。結末を知りたいんでね——勝利にせよ悲劇にせよ。君がここに残るにせよ去るにせよ、いつでもS先生からの情報は得られるんだよね。何かあったらすぐに手紙をくれ、そうしてくれるなら本当に恩に着るよ。こんなに興味を掻き立てるなんて、君はなんとも話し上手だな。こんなことを頼まれるのも才能ゆえだと思って諦めてくれ!」

彼は声を立てて笑ったが、笑いはため息に転じた。私たちは握手して別れた。

・・・・・・・・・

二ヶ月ばかり経った後、英国に戻った私の許に友人からのこんな手紙が届いた:——

「間違いなく君は今でも、この四月にカジノで君の目を惹きつけた例の若い人たちへの関心を持ち続けているものだと思う。うん、僕はリヨンで友人のS先生と会ってきたところだ。ジョルジュとポリーヌに関して、最も悲しい想像をしてみたまえ。先生が話してくれたのはそんな物語だよ。いまからそれを書こう。聞いたとおりに、記憶が鮮明なうちに。四月から五月にかけて、サン=シールは不運に叩きのめされた。連日カネを擦り、賭けの元手にできる妻の持参金もごくわずかにやせ細ってしまった。一週ごとに彼は元気を失い、衰弱していった。幸運が失せたように彼自身も失せていったのだ。ポリーヌについて言えば、本人は自分のことで何も不平を口にしなかったけれども、S先生には彼女の身が案じられてならなかった。悲嘆、病んだ希望、自分とジョルジュが陥っていくところのゾッとするような生活、これらが一体になって彼女の力を奪ったのだ。これには肺結核も与った。こういった消耗性疾患というものは、一般的な語義からいくと伝染性の死病というわけではないのだが、犠牲者と日常的に接触する人物が弱ろうものなら、極めて有害な影響を与えうるのだよ。そしてポリーヌは日夜この危険に暴露され続けていたのだ。彼女は熱発するようになり、ただならぬ倦怠感を覚えるようになった。にも拘わらず睡眠をとることはほぼ不可能だった。ジョルジュはといえば、賭博に夢中で妻の健康が著しく損なわれていることにほとんど気づかなかった。あるいはもしかすると、試練を間近に控えた妊婦が神経質になっているだけだと思っていたのかもしれない(*1)。五月が終わろうとするその日、ジョルジュがルージュ・エ・ノワールの定席についた時も事態はそんな具合だった。急に気温が上がり、『salles de jeu娯楽室』の群衆は随分減っていた。あとに残ったのは入れ込んでいるベテラン連中のみで、経験から身についた冷静で断固とした態度で金を賭け続けていた。ポリーヌは部屋にとどまった。具合が悪すぎて起きられず、しかし気分が悪いのを暑さのせいにしていた。ジョルジュは激しく煩悶しつつ一人で賭場に入り、最後の所持金を緑の布の上に置いた。そこで摩訶不思議で適格なツキの反転が発生した。ごくわずかな人の上にのみ訪れる幸運のターンだ。ジョルジュはひたすら勝ち続けた、切れ目なく、朝から晩まで。一時間か二時間ツキまくった後、彼は有頂天になり、大金を賭け始めた——あまりの大胆さに、肝を潰さないのは隣に座る老俳優たちだけだったろう。だが、この無鉄砲なやり方が、大金となって返ってきた。賭けの一つ一つが大いなる実りをもたらし、肘元にルイドール金貨が山をなしていった。閉店時には彼は大金持ちだった。ポリーヌの持参金を取り戻し四十倍以上に殖やしたのだ。人々は振り返ってテーブルから立つ彼を見た。疲れ切った顔は蒼白、燃える双眸は生ける石炭、飲んだくれのような千鳥足。

屋外に出ると全てが夢のようだった。頭はぐるぐる回り、どうやっても考えがまとまらない。今日は一日何も口に入れていなかった。なんだか河岸を変えるとツキが去ってしまい、大当たりを逃してしまう気がしたからだ。今、激しい疲れが彼を圧倒した。カジノの前の大きな噴水盤にかがみ、両手で顔を洗い、地中海の冷たい夕風を求めて足を踏み出した。モンテカルロの焼けた岩の上を吹く風は優しく、全身が蘇るようだった。そこで彼は家路を辿った。狭くて高い階段を骨を折って登り、ポリーヌと二人で暮らす小さなアパルトマンに入った。リヴィングルームにしばし足を止め、男らしく彼女に良い知らせを伝えようとワインをコップに一杯注ぎ、ぐいと飲み干した。寝室の鍵を開けた、高鳴る心臓の鼓動のせいで他の音が聞こえなかった、自分が叫ぶ声がもう聞こえなかった:『ポリーヌ——愛しい人!——いま僕たちは金持ちだ——幸運が巡ってターンきたんだ!』……だが彼はそれ以上言えなかった。死の発作より悪い一撃を食らったのだ。前にはS先生と、誰かわからぬ一人の女が立っていた。ベッドの上にかがみこんでいる。ポリーヌは青ざめ不動のまま横たわっていた。両手を胸の上で組んだ姿で。ジョルジュは札で膨らんだ porte-monnaie財布 をベッドの下に取り落とすと、両目を幼妻の顔に釘付けにしながらその横に跪いた。その肩にS先生が手を下ろした。

Du courage気を落とさないで、サン=シールさん』彼は囁いた。『奥さんは他界されました……先に。』と、親切にも別離の時間はそれほど長くないだろうと加えながら。看護婦は死んだ少女のベッドの脇で大泣きだった。だがジョルジュの目には涙は浮かんでいなかった。『子供は?』事態をぼんやりと理解し始めた彼は漸くこう聞いた。二人はシーツを静かに持ち上げ、母親の傍に横たわる白い死体を見せた。『良かったよ、子供も死んでいて』とジョルジュ・サン=シールは言った。

「彼は彼女を地中海に葬ろうとはしないだろうし——そう——自宅に連れ帰って埋葬するつもりもないだろう。彼の頭にあったのは逃避への願望で、自分が死ぬ日までこの死体を運んで歩かねばならないと言っていた。彼はその夜モンテカルロを発ってローマに向かった。妻子の愛しい遺残物を抱えて。先生は人が良いものだから、彼の絶望を見てとことん哀れに思い、ついて行ったんだよ。『おそらく、』と先生は言っていた。『私が同行しなければ、ジョルジュは生きてローマにたどり着くことができなかっただろう。』 彼らは昼夜を分かたず旅した。若者が一瞬たりとも休もうとしなかったからね。妻の死体をかの永遠の都の斎場で火葬にしようというのが彼の計画で、運良くS先生はその願いを叶えることができたんだ。恋人の死灰を小さな銀の箱に詰め、首から吊るして友人に別れを告げた。彼がどこに行ったのか、先生にきいてみたんだが、『北に』というのが答えだった。『でも私はどんな計画なのか聞かなかった。住所は教えてもらえなかった。かねなら唸るほど持っていたし、どこに向かおうとほとんど問題ではなかったのだ。というのも別れ際に私の手を固く握った彼の顔には死相があったからね。生きたまま次の夏が過ぎるのを見ることはあるまい。』」

手紙の文章はこう閉じられていた。私としては、ジョルジュ・サン=シール以外にモンテカルロの賭博で金持ちになった人物の話など聞いたことがない。


翻訳について

底本は Project Gutenberg の Dreams and Dream Stories By Anna Kingsford の第二部 Dream Stories の第四話 A Turn of Luck です。加えて Anna Kingsford Site (her Life and Works)/Site Anna Kingsford (sua Vida e Obras) を参照し、パラグラフ等はこちらに従いました。この翻訳は独自に行ったもので、先行する訳と類似する部分があっても偶然によるものです。

冒頭のフランス語はカジノで行われる Trente et Quarante ないし Rouge et Noir というカードゲームでディーラーが使う掛け声らしいのですが、はじめ読んだ時はここでいきなり躓き「タイトルが A Turn of Luck だし、赤がどうの勝った負けたがどうのって言ってるから、多分ルーレットか何だろうな」と思う始末。という具合にギャンブルに疎く、日本語では具体的にどういうのかわかりませんので、当初これを訳すつもりはありませんでした。おまけにタイトルは多分ダブルミーニングになっていて訳しづらいし。

ところが、なんかあれよあれよという間にカジノが日本の基幹産業になっちゃいました。そこでこれは良い機会だと話題にあてこんでざっと訳してみました。冒頭部分に限らずフランス語の訳には変な部分があるかもしれません。ご指摘ください。貧乏医学生の描写、医学部に入り科学記事を書いて生活する計画、というのはキングスフォード自身の経験を反映しているのかも。今では医学部は受験戦争の最高峰で、成績が上位2σだか3σだかでないと入れず、入ったら成功が約束されている感じですし、医学部の教授といえば大変な権威なのですから、この話にあるような貧乏先生とはこれまた大いに違います。

この訳文は他の拙訳同様 Creative Commons CC-BY 3.0 の下で公開します。TPP(というか日米FTA)に伴う著作権保護期間の延長が事実上決定した現状で、ほとんど自由に使える訳文を投げることには多少の意味があるでしょう。にしても、どうせクールジャパンなカジノをやるなら久保菜穂子姐や梶芽衣子姐が「よござんすか」と(以下略

固有名詞:Georges Saint-Cyr、Dr. Le Noir

第一部 Dreams の中から、短い詩集 Dream Verses を除いた部分を「夢日記」として訳出してあります(誰か Dream Verses を訳してくれませんか……)。第二部 Dream Stories「夢の物語」には、以下の八編が収められています。いくつか邦訳を試みておりますので。興味をおもちでしたらどうぞ。

  1. A Village of Seers:「千里眼の村」
  2. Steepside; A Ghost Story:「崖端館」
  3. Beyond the Sunset:「夕映えのむこうの国」
  4. A Turn of Luck : 「幸運のターン」(本作)
  5. Noémi:「ノエミ」
  6. The Little Old Man's Story:「小さな老人の話」
  7. The Nightshade:「犬酸漿」
  8. St. George the Chevalier:「騎士・聖ジョージ」

4, Mar, 2017 : とりあえずあげます
5, Mar, 2017 : 最低限の修正
18, Apr., 2020 : 第八話へのリンク
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