ごんずい歴史館別館
Mr.gonzui Diving Museum
写真で巡るダイビングの歴史
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若き日のMr.ごんずい〜今日に至るまでの足跡を写真で巡るページ
1才頃のMr.ごんずい
1986年ダイビングを始めた当時(器材もレンタル)〜生まれて初めての沖縄(西表島)、海外(モルディブ:88年)。
全てが新鮮だったなぁ・・・ カメ(タイマイ)に乗って浦島太郎の気分なんて、今になって考えれば随分と環境に悪い
事をしていたものだ。初めてパスポートを申請し、インド洋の宝石と言われたモルディブへのツアーもドキドキの連続。
ダイビング本数も100本を越え、とにかく一番楽しい時期だったかも知れない頃。今は亡き友人の信さんは強烈な
個性の人だった。強烈と言えばやはりパラオ。もう日本には帰りたくない気分だった。やがて第二の故郷と呼ぶ事に
なった。独自の水中アイテムに目覚めたのも、楽しいダイビング環境が揃っていたから。夏冬関係なく潜りに狂ったな。
ベテランの域から少し進んで、リーダーシップを発揮し始めた90年代前半頃。日本も景気が良い頃で、大人数のツアーも
たくさんあった。パラオでは念願のペリリューに上陸したが、未だに戦闘機の残骸が残る場所。今、自分らが楽しめるのも
多くの犠牲の上で、海外でチャラチャラするのは恥かしいとも思った。大瀬のナイトがメチャ好きでナイト100本を目指したな。
週末スタッフという形でショップに関わり、ツアーや新年会の企画なんかも始めたのは1991年から。ダイブマスターから
インストラクターへの階段を上っていた。友人の澤田君が超・お魚好きのマニア派だったので、生物話で互いに刺激し合い、
徐々にマクロ派にもなった頃。経験を積む事で、海洋講習なんかも上達して、いっちょ前の『先生』にも慣れてきた頃。
結婚して、子供が出来るまでの1994〜1996年頃。自らツアーを企画する事も珍しくなくなった。念願の一眼レフの
ハウジングを持ったオレは南へ北へ潜った。西表島ではMr.サカナさんとの記念撮影。知床に通い始めたのもこの頃。
ショップ近くのやきとり:そうまのモツ煮込みが好きだった。1998年に川崎から三重に転勤、新たなステージが始った。