東海道TOP>草津宿〜大津宿

 東海道旅目次(歩行区間単位) :

36日目
草津宿〜大津宿
2003年3月15日(土)
雨のち曇
江戸から数えて53宿目。最期の宿場「大津宿」を目指して歩くのが、今回の行程です。雨の降る草津宿を後にして、滋賀県の県庁がある大津へ向かいます。

街道交流館〜草津政所跡
草津追分、本陣の前を通り、前回の終了地点「街道交流館」まできました(写真左)。ここから、本日の行程スタートです。アーケードの続く商店街を進むと、左側に「草津政所跡」の案内板がかかっていました(写真右)。

立木神社〜新草津川
アーケード街を抜けると、交差点があり、右側角に立木神社の赤い鳥居が見えました(写真左)。境内には栗の木の化石と伝えられる「活人石」や、樹齢約400年といわれる、ウラジロカシの木などがあります。
立木神社を過ぎ、旧道を進むと、やがてやや広い川が流れていました(写真右)。橋を見てもまだ新しいようです。実は、この川が新草津川です。天井川となっていた草津川の流れは、こちらに変更されていたようです。

矢橋の道標〜複雑な分岐
光伝寺を過ぎた先に矢橋道標(写真左)がありました。道標は、旧姥ヶ餅屋の軒下にあり、矢橋の渡しへ導くものです。ここから右に入り、約3kmほどいくと、琵琶湖畔に出ます。

東海道は、やがて国道1号線と交差します(写真右)。ところが、この交差点がよくわかりません。写真中央やや右側のビル(信号機の右側)が建つ辺りが東海道なのですが、完全に分断されています。

野路一里塚跡〜野路の玉川
分断されてしまった先には、小さな公園があり、野路一里塚跡の碑が建っていました。

東海道の旅を続けます。旧道をしばらく進むと地下道の付いた交差点に出ます。この交差点を越えると、「野路の玉川」がありました。野路の玉川は、萩の名勝として浮世絵や近江名所図会などで紹介された場所で、今でも水が湧き出ています。

月輪寺〜一里塚跡(一里山)
しばらく歩くと、街道左奥に月輪寺がありました。横には「新田開発発祥の地」などの石碑が並んでいます(写真左)。近くには、月輪池という大きな池もありました。

先を急ぎます。雨の中、傘をさしながら旧道を進むと、やがて広い通りと交差します。信号待ちをしながら、何気なく振り向くと、一里塚跡の碑が建っていました(写真右。

道筋に注意!
一里塚跡からしばらく行くと、東海道は直角に左折し、さらに右折する箇所があります。ここが間違えやすいので注意が必要です。

写真左は、最初に左へ曲がる地点です。左側の標識と角のたばこ屋が目印です。写真右は、左折後にしばらく進むと出てくる右折ポイントです。目印はミラーです。ここで東海道は右折します。

瀬田の商店街
東海道は、やがて突き当たります(写真左)。ここを左折し、建部神社を左手に見ながら、広い通りを瀬田の商店街へ向けて進みます。周囲の景色も少しずつ変わっていき、瀬田の唐橋が近いことを物語っています。この辺り、古いたたずまいの店も多く、近代的な建物と江戸期の建物が入り交じっています。やがて、左からきた道と合流すると、いよいよ瀬田の唐橋です。

瀬田の唐橋
目の前に広い川と橋が見えてきました。瀬田の唐橋です。瀬田の唐橋は、琵琶湖から流れる瀬田川に架かる橋で、橋の入り口には常夜灯と瀬田橋竜宮社務所が建っています。
唐橋の歴史は古く、平安時代から書物に見えます。中でも、俵藤太秀郷が、唐橋を渡ろうとすると、大きな蛇が寝ていた。藤太は恐れなく平然と跨ぐと、大蛇に化けていた龍神は、その勇気に感心し三上山に住む大ムカデの退治を依頼し、見事に退治した。という伝説は有名です。

石山商店街〜明治天皇聖蹟
唐橋を渡ると、東海道は京阪電車の踏切を渡り、唐橋駅前の先で右折します。

唐橋を渡った先で、おもしろい建物を発見しました。旧家の並ぶ一画に、まるで竜宮城のような家がありました(写真左)。お寺なのか民家なのか、判断に迷うところです。
また、右折してすぐの左側には、黒塗りの立派な門があり、その横には明治天皇の聖蹟がありました。



東海道のトップに戻る