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17日目
丸子宿〜岡部宿
2002年3月10日(日)
晴れ
東海道の旅も17日目。今日は、丸子のとろろ汁、そして宇津ノ谷峠と、盛りだくさんの行程です。外に出ると晴天。気持ちのいいほど晴れわたっています。スタート地点の静鉄バス丸子営業所までは、新静岡、もしくは静岡駅からバス。ただ、駿府城を見ていないことと、逃した一里塚跡があることから、駿府公園からスタートです。

[09時20分] 駿府城
駿府城 巽櫓 駿府城 東御門 本丸跡の碑 家康公銅像
静岡市の中心部、オフィス街の中に駿府城はあります。慶長10年(1605年)、徳川家康は将軍職を秀忠に譲ると、大御所となった残りの人生を、気候のいい府中、駿府城で過ごしました。今川家の人質として過ごした少年の頃、武田信玄から命からがら逃れた戦国の世。そして、豊臣政権下での日々。それらを乗り越えた家康は、1603年に将軍となり、江戸に幕府を開くという大偉業を成し遂げました。駿府城に移ってかは、豊臣潰しを徹底して行い、ようやく本当の天下を握りました。その時、どんな気持ちでこの城にいたのでしょう。現在は、巽櫓が復元されているのみで、城内は駿府公園になっています。しかし、その敷地は広く、まさに「大御所」の城といった感じです。家康は元和2年(1616年)、この城で75年の人生に幕を閉じ、永眠につきました。波乱の人生だった家康が最後の場所として選んだ駿府城。城内には本丸跡の碑などと共に、家康の銅像がありました。

[10時08分] 逃した一里塚(本通りの一里塚)
府中宿にも一里塚があるはず。そう思いながら昨日は歩いていました。が、しかし、一里塚は発見できずに安倍川を越えてしまいました。それもそのはず、この一里塚跡の碑。旧道沿いにはなかったのです。旧道と平行して広い通りがあります。安倍川の手前で旧道が合流するバス通りですが、目的の一里塚跡はこの通り沿いにありました。しかも、車道側に向いているのです。これでは、旧道を歩いていても見つかるわけありませんね。

それにしても、なぜここにあるのでしょう。通常なら街道沿いなわけですが・・・。もっとも、城下町の場合、街道に平行して何筋もの道があるため、どれが本当の街道なのかわかりませんが・・・。

ようやく東海道
一通り散策が終わったところで、ようやく丸子へ向かいます。といいつつも、昨日買えなかった安倍川餅を買うために、安倍川の手前にある「石部屋」まで歩いてしまいました。ここからバスに乗り、一路丸子へ。丸子のバスターミナルに着いたのは10時46分。ちょうどいい。というのも、やっぱり丸子宿といえば、名物とろろ汁。これを食さずに丸子宿は語れない。と思い、時間を合わせていたのです。とろろ汁の丁子屋は丸子宿の外れなので、宿内を散策すればちょうどいい時間になるでしょう。とろろ汁の味を想像しながら、ようやくスタート。

[10時53分] 一里塚跡
バスターミナルを出てしばらくは商店の並ぶ中を歩きます。歩き始めて10分少々で一里塚の碑を見つけました。写真を撮り、石碑を後に先へ進みます。丸子の町の中心は、バスターミナルのあるところのようで、しばらく進むと道幅が狭くなりました。この道幅が、逆に宿場の雰囲気を醸し出しています。

[11時06分] 本陣跡
しばらくすると、明治天皇御小休所の碑があり、その近くに、本陣跡の碑が建っていました。暖かな日差しが降り注ぐ中、実に気持ちのいい東海道歩きを続けていると、あっという間に宿場の外れ、京側の入口近くに着いてしまいました。そこには丁子屋があり、とろろ汁を食することができます。東海道は、ちょうど丁子屋の前で左に曲がり、丸子橋(写真右)を渡って、宇都ノ谷峠へ向かいます。

[11時13分] 咲き始めた桜を見ながら、はやくも昼食タイム
昼食タイム。丁子屋(写真左)でとろろ汁を!そう思った瞬間。なんと観光バスで来た団体が丁子屋に吸い込まれていく。おめーら、楽して来て俺より先に食うな!とろろ汁は歩行者のためのものだ!俺は歩いてここまで到達したんだぞ!と勝手に怒りつつ、丁子屋をあきらめました。すると、隣の「一松園」(写真右)でも食べられるではないか。すぐにこの店に入って、桜を眺めながら、おいしいとろろ汁を食べました。とっても満足で、めでたしめでたし。「一松園」さん、ありがとう!

[12時6分] 午後の部スタート
とろろ汁も食べたし、いざ出陣。いよいよ宇都ノ谷峠を越えるぞ。気合いを入れて東海道を歩きます。丸子橋を渡り、旧家の残る中を旧道は進みます。やがて国道1号線と合流、と思いきや、その先にも旧道があり、紅茶発祥の地の看板があるとか。ところが、いっこうにその看板が現れず。しかも、国道1号に沿っているはずなのに車の音が全然しなくなった。まさか、もうすぐ峠。でもおかしい。あっ、間違えた!そう、道を間違えていたのです。急いでもとり、どこが旧道なのかわからないまま、国道1号線の歩道を歩きました。やがて左側に旧道らしい道が合流してきましたが、時間がなくなるので先に進むことにしました。やがて前方に陸橋とトンネルが見えてきました。ここが宇都ノ谷峠。国道1号線はトンネルで越えますが、東海道はトンネルの手前を右に曲がります。それにしても、間違えたというのに元気。とろろ汁の威力はすごい。

[13時30分] 旧道分岐、そして「お羽織屋」
右へ入ってからしばらくは広い通りを歩きます。やがて、宇都ノ谷峠周辺の案内板が現れますので、ここを左に行くのが東海道です。この先は宇津ノ谷の集落で、時が止まったような静けさがあります。この集落の中に、豊臣秀吉から拝領した羽織のかざってある、お羽織屋があります。旧家で見事なたたずまいですが、有料だったので中は見ずに先へ進みました。

いよいよ宇津ノ谷峠
お羽織屋の少し先には階段があり、ここを上るといよいよ宇都ノ谷峠の入口になります。

写真左は、階段付近で振り返り、江戸側を撮影したものです。これが宇津ノ谷の集落で、左側の建物がお羽織屋です。右の写真は、東海道の宇都ノ谷峠入口です。左方向に行くと、明治トンネルなるものがあるとのことなので、ここでちょっと寄り道を。

ちょっと寄り道 明治トンネル
階段を上がると、宇津ノ谷の集落が一望できました。山里の小さな集落であることがわかります。
宇津ノ谷峠に入らず左に行くと、ちょっとした広場があり、その先に明治トンネルはありました。煉瓦造りの重厚なトンネルは、どこか懐かしさがありました。しかし、結構長そうな上に、この日は東海道を歩くことがメインなので、トンネルをくぐることはしませんでした。ちなみに、このトンネルは歩行者専用です。

宇津ノ谷峠のトンネル
宇津ノ谷峠には、4本のトンネルがあります。歩行者専用となっている明治トンネル、県道の大正トンネル、国道1号線上りの昭和トンネル、国道1号線下りの平成トンネル。なんと、4本が各時代のトンネルなのです。ちなみに、明治トンネルは日本発の有料トンネルで、明治9年に開通しました。現在のトンネルは二代目で明治34年のものだそうです。

宇津ノ谷峠
明治トンネルを見た後は、再び東海道宇都ノ谷峠の入口まで戻ります。そして、いよいよ宇都ノ谷峠を越えます。階段になっている入口を入るとすぐに山道となりました。鬱蒼とした森の中を進むと、やがて、ビニールシートに覆われた石垣が見えてきました。近くには「地蔵堂跡」の案内板があります。ここに地蔵堂が建っていたようです。石垣はその名残でしょう。
宇津ノ谷峠は、それほど標高のある峠ではありません。ハイキング気分で歩いていると、どうやら峠の頂上らしきところ着きます。ここから道は下り坂となり、やがて舗装路(国道1号線のトンネル保守用の道だそうです)に合流します。ここから道なりに進むことになりますが、茶色に塗装してあるものの、やっぱり舗装路は味気ない。しばらくすると、舗装路は右へカーブし、明治トンネルの道と合流します。東海道は真っ直ぐ山道を進みます。

・写真左上:旧東海道
・写真右上:地蔵堂跡
・写真左下:峠の頂上付近
・写真右下:舗装路との合流点

宇都ノ谷峠を越えて
直進し再び森の中の道となった東海道は、急坂を下り、やがて蔦の細道から来る道と合流します。続きは次ページへ。

<蔦の細道>
宇津ノ谷トンネル(国道1号)の手前、宇津ノ谷入口バス停の平橋に東の入口があり、ここから、トンネル西側の鼻取地蔵に至る、約1.8Kmの山路です。週末になると多くのハイカーで賑わいます。実はこの道、単なるハイキングコースではなく、近世東海道が開かれるまでは、峠越えの主要ルートでした。しかし、近世東海道が開通すると、次第に忘れられ、道は荒廃していきました。そんな歴史を持つ道が、この蔦の細道です。

2003年12月28日、晴天の中、再度この地を訪れました。その時の記録を載せましたので、あわせてご覧ください。→東海道番外編



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