ちんちん電車(都電)の歴史

1882年(明治15年) 6月 新橋〜日本橋間に、鉄道馬車(東京馬車鉄道会社)が開通。
1895年(明治28年) 2月 京都に京都電気鉄道により、日本初の路面電車が誕生。
1903年(明治36年) 8月 新橋〜品川八ツ山間に、路面電車開通(東京電車鉄道会社)。
       〃    9月 数寄屋橋〜神田橋間に、路面電車開通(東京市街鉄道会社)。
1904年(明治37年)12月 東京電気鉄道会社の路線(外濠線)が開通。三社競合の時代到来。
1905年(明治38年)末 三社の路線は合計63キロにも達した。料金は三社とも三銭。
1906年(明治39年) 料金などの問題で三社合併。東京鉄道株式会社の誕生。
1911年(明治44年) 8月 8月1日、東京鉄道株式会社を東京市が買収し、東京市電気局が発足。路面電車もそれまでの「市内線」から東京市電となる。
1919年(大正8年) 営業キロは 138キロにもなり、営業規模・営業所毎に運転系統番号がつけられる。この時の営業キロ、1日の乗車数、車庫(営業所)は以下の通り。
 営業キロ : 138km
 1日の乗客数 : 108万人
 車庫 : 三田(1)、青山(2)、新宿(3)、本所(4)、大塚(5)、巣鴨(6)、三ノ輪(7)、
       有楽橋(9)、早稲田(10)、広尾(11)
 
  ※()内の数字は系統番号
1923年(大正12年) 9月 1日、関東大震災発生。市電は大被害を受ける。被害内容は以下の通り。
 本局庁舎(有楽町)全焼、車庫5ヶ所全焼、車両777両消失、軌道・軌道橋・架線も大損害
しかし、震災から9ヶ月半ばでほぼ復旧。
なお、壊滅した市電の代替輸送として、大正13年に路線バスが登場。後の都営バスで、当時は市営バスであった。
1940年(昭和15年) 昭和前期になると、市電の規模も拡大し、それまで営業所毎の系統番号が路線毎の番号になった。昭和15年の事業希望は以下の通り。
 営業キロ : 178km
 1日の乗客数 : 139万人
 系統数 : 35系統
 営業所と担当系統数 : 三田(4)、目黒(2)、広尾(5)、青山(3)、新宿(2)、大久保(2)、
                 早稲田(2)、大塚(2)、巣鴨(1)、駒込(1)、新明町(2)、
                 三ノ輪(2)、南千住(1)、柳島(2)、錦糸町(4)

  ※()内の数字は系統数
1942年(昭和17年) 陸上交通調整法により、市内路面交通事業(市内電車、路線バス)が東京市に統合された。この時、市電となった市内電車は以下の通り。

 (1)王子電気軌道
    三ノ輪〜早稲田 (12.3km) → 現在の都電荒川線
    王子駅〜赤羽駅 (4.1km)
      計16.4km  車両:53両

 (2)東京地下鉄道軌道城東線
    錦糸町〜西荒川 (3.6km)
    水神森〜州崎 (4.5km)
    東荒川〜今井 (3.2km)
      計11.3km  車両:28両

 (3)西武新宿線
    新宿〜荻窪 (7.5km) 車両:20両

また、この結果「荒川」「城東」「杉並」の 3営業所が増え、全18営業所となった。しかし、戦災で城東営業所が焼失したため、17営業所となる。
1943年(昭和18年) 都制が施行され、東京市は東京都に。路面電車も市電から都電に。
1945年(昭和20年) 戦災により壊滅的被害を受ける。18営業所中12営業所が焼失。 602両もの車両が焼失。
その後、懸命な復旧作業により、昭和30年代半ばまで、都電最盛期を向かえる。
1955年(昭和30年) 都電の1日の利用者数が174万人を越え、東京の交通の中心を担う。
1962年(昭和37年) 系統数も40に達し、最盛期を向かえる。
 営業キロ : 213km
 1日の乗客数 : 150万人
 系統数 : 40系統
 営業所数 : 17ヶ所

また、電車の近代化も進み、集電機もそれまでのポールからビューゲルになった(昭和24年からビューゲル化が始まった)。
ちなみに、都電の系統は最も多い時で41系統存在していた。
1963年(昭和38年) 高度経済成長期の日本。昭和30年頃から車が増え、都電の状況は厳しくなってきた。そしてこの年、営団地下鉄丸の内線の開通により、11月、都電杉並線(新宿〜荻窪)が廃止された。
1966年(昭和41年) 5月 都営地下鉄三田線の開通により、41系統(巣鴨車庫〜志村橋)が廃止された。
1972年(昭和47年)11月 路上には車が増え、乗客はバスや車に流れるようになり、都電の経営状態は悪化。交通渋滞により身動きできない都電は、次第にじゃま扱いされ、路線網も縮小していった。そしてこの年11月、27系統(三ノ輪橋〜赤羽)と 32系統(荒川電車前〜早稲田)を残し、全て廃止された。東京の街から都電が消えた日である。
1972年12月〜現在 都電の路線は都バスが引き継ぎ、さらに細分化して今日に至っている。また、唯一残った都電27系統と32系統は、昭和49年10月1日に、早稲田〜三ノ輪橋(王子駅〜赤羽駅は、昭和47年11月に廃止されている)を「荒川線」と改称し、現在も1日6万人の人を乗せ、元気に走っている。

コラム 「1372mmゲージの鉄道」

都電のゲージは1372mm。東京にはこのゲージの鉄道が存在します。ほとんどの鉄道は、1435mm(標準軌)、あるいは1067mmのゲージを使用しています。しかしながら、新宿駅西口から調布・府中・八王子方面に路線をもつ京王電鉄では、渋谷を起点とした井の頭線を除き、全て1372mmゲージを使用しています。これは、京王線がまだ新宿追分(現在の新宿三丁目付近)から発着していたころ、都電との直通運転を考えていたからです。しかし、昭和20年 7月に、現在の新宿駅西口のほぼ同地点(地上)に駅が移動したため、都電との直通運転は行われませんでした。その後、都営新宿線の開通により、東京都交通局と京王電鉄との間で直通運転が実現しました。もちろん、都営新宿線のゲージは都電と同じ1372mmです。新宿から都電は消えましたが、都電の遺産は地下鉄へと受け継がれ、再び新宿に戻ってきました。

<参考>
京成電鉄・京浜急行と直通運転を行っている都営浅草線は1435mm。東急目黒線と直通運転をする都営三田線は1067mm。都営地下鉄には3種類のゲージが存在しています。ちなみに、JR線は、新幹線が1435mm。在来線は1067mmです。


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