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よもやま話

なんと!1年以上も更新せず。 日常をまわすのでいっぱいいっぱいだったか?仕事も4か所になってますし。 我ながら、このワーカーホリックぶりはなんとかならないものかと思います。

なんだか仕事に縁を感じるし、おもしろそうと思ってしまうんです。 今までいくら求人に応募しても採用にならなかったのに、資格も含めやっと今までの経歴が役に立つようになりました。

4月から働いている人間情報研究部門 には気仙沼復興屋台村というプロジェクトがあります。入ってから知ったのですけど、3Dのモデリングなどの技術を持っています。 私自身はこのプロジェクトにかかわっていませんが、いつか何かできるかも知れないですよね。 震災ドンピシャの時に防災研にいたにもかかわらず、何もできなかった頃より希望が持てます。

現在の私の担当はこれ→。 身体障害者向け衣服作製事例検索

トップページで「GPS写真の公開に挑戦中です。」と言ってる割には何も進んでいませんでしたが、 今回、google地図のマッシュアップを勉強する機会が持てました。 以前やった、気象のGPSデータから県別の平均値を出す仕事が役に立ちました。 数年のうちに大分状況も変わったように思います。地図に関するライブラリも増えましたし。 「身体障害者向け衣服」というところも興味深く、事例集めにも力が入ります。 サイエンスウェブ時代には、使おうと思ってもどうも???だった bootstrap も使えるようになりました。プログラミングがすいすいできる勤務先とそうでない所があるのはどういう加減なのでしょう。

(2015.9.6)

5月。駆け足で福島に行きました。 久しぶりに調べたら、駅前に新しく図書館が2つもできていました。 震災の保障でしょうかね。いくつも新しい箱物ができました。 無料レンタサイクルも何か所か。 桜はすっかり終わっていましたが、レンタサイクルで土手を走ったり、県立美術館の絵本の原画展をに行ったり。 整然と並んで咲いていたピンクの花は、桃でしょうか。

この美術館は県立図書館とくっついた建物でした。外観は茨城県近代美術館とそっくり。 つくば市も美術館と図書館をくっつけるなら、これぐらいの広さがなくっちゃ。

福島は暑いです。股関節の痛みもなくなった今、極楽湯よりも風を切ってレンタサイクルが楽しみです。 ぶどう狩りに行けるでしょうか?

(2014.6.22)


寝台特急「あけぼの」に乗ってきました。予約した時は、まだ運行中止が発表に なる前でした。 50歳から入れる「大人の休日クラブパス」だと、ゴロントシートに追加料金なし で乗れます。 年取って良かったなと思う、数少ない瞬間です。

もう息子を連れていく必要もないので、レディースゴロントシートを予約しました。 19:15までの夜の仕事を終えてからの乗車で、間に合うかどうかけっこうハラハ ラしました。 間に合わなければ、高崎まで新幹線で追いかけて乗車。始点から終点まで乗りた いので、楽しみは半分になってしまいます。

ここで計画したように、今回は本八戸あたりでうろうろしました。結構地理がわ かりました。 主に市場回りをしましたが、朝でなくてもけっこう市場は開いていました。

「大人の休日クラブパス」は新幹線自由席乗り放題なので、小岩井や釜石へ行く ことも考えました。 しかし、東北新幹線はやはり本数が少ない・・・。そして、ホテルを取った本八 戸から新幹線八戸駅までも意外と不便。 旅行後はすぐに仕事ですから、体調を考えて我慢しました。

そして、気仙沼に行くことを優先しました。やっと行けました。 電車で行くとなると、すごく不便になっていました。一関 気仙沼 間の便が悪 すぎます。 震災の半年前は仙台から「ふかひれ号」に乗って、楽々行ったよなぁと思い出し たりして、またウルウルしてました。

震災半年前には見つけられなかった中学校時代の通学路を見つけました。 正規の通学路ではない、山道を通る近道はあまり変わっていないように見えました。 お墓用地がすごく広くなっていたように思いますが、中学校時代はあまりお墓に 関心がなかっただけかもしれません。 港祭りで行っていた港付近は、もう以前のことが思い出せません。高台の風景を 見て見覚えのある建物を探しました。

(2014.1.30)


また、多賀城に行ってきました。前回は寒くて思った範囲を回れなかったので。今度はレンタサイクルで菖蒲田浜まで行きました。子供のころ毎年海水浴に行ったところです。バスに乗って、うんと遠くに行っていたつもりでしたが、自転車で片道30分もかかりませんでした。行くまで山越えがあったのは記憶の外でしたけれど。

釣り人はいましたが、もう、海水浴場にはなっていないようでした。不思議だったのは、海の色が気仙沼のようなエメラルドグリーンになっていたこと。前は砂や藻芥で黒く見えた波だったのに。津波が砂も何もかも陸地に流してしまったのでしょうか。海にもぐって底を見たら、砂がなくなって岩(や瓦礫?)がむき出しになっているのかも。

多賀城の図書館もツタヤが運営することになるとか。学生時代実習をさせてもらいました(気になる図書館)。先進的な図書館でした。また近々、今度は図書館に行ってみるかもしれません。

(2013.5.26)


新年度、例によって働く場所が増えました。数えてみたら5箇所になっていました。ワーカーホリックなのかもしれません。なかなか仕事が決まらなかった記憶が拭えず、隙間時間で働けそうだと次々応募してしまいます。そして、そんな時に限って全て採用通知が来ます。

どの仕事も捨てがたいので、来年度までは頑張ります。来年度は、また秘密の計画です!

(2013.4.21)


ちょっと前に進んだこと

多賀城に行って来ました。小学校時代住んでいた所で、学生時代一度再訪してから、約30年ぶりです。遊び場にしていた所は、ほとんどどこがどこだかわからなくなっていました。空き地や林は「家が建っていると思えば間違いない」ぐらいの感じです。昭和40年台からバブルを経ての変化です。こんなものでしょうか。 当時髪を切りに行っていた理髪店は健在でした。椅子や、待合室の配置もそのままで感慨深かったです。

まだ気仙沼には行けません。ここには中学時代の3年間しかいなかったのですが、その後同窓会やら観光やらで何度も行っていたので、より身近な場所です。行けないけど、いつも想っています。

3月には田野畑に行く予定です。心情的には、ちょっと気仙沼に近づくように感じます。

(2013.1.6)


私は前に進むことにしました。10月一杯で図書室を辞めました。

「来年度に賭ける」つもりだったイベントは再来年度以降に伸びることになったし、「常連さんとの再会」は果たせたし、「現行システムの情報収集」も十分と思います。 『生きる悪知恵』に背中を押された感じです。類友な職場を抜け出せるならさっさと抜けだした方がいいと思いました。ブラック企業に就職しちゃったら、辞めるのが最良の対処法だという話しもありますし。

震災の経験も影響しているかもしれません。イヤイヤ働いていて、明日地震が来たら後悔しないでしょうか?やはり今回も利用者と離れるのは辛いことですが、状況が変わってまた図書室で働けることになったら、すんなりまた入っていけるものだと自信が持てました。

60歳まであと10年。新しい技術を学ぶとしたら、もう嫌なことを我慢して時期を待っているいる余裕は無いと思います。11月からは週1日だけ環境研で働くことになりました。このときのように(2011.2.20)「話が違う」とならないことを祈っています。ちょっとハラハラします。

週末だけの図書館の仕事も探し中、丸善や図書館流通センターの「作業員登録会」へ出かけています。「交通費は全額出せないかもしれませんが、週1日でも2日でも働いていただければ嬉しいです」と言って貰うと、それだけで報われた気がします。たとえ仕事が回ってくるかどうかわからないにしても。

単発で北千住の図書館の仕事が入りました。楽しみでワクワクします。仕事ってこうじゃなくちゃ。特に最近北千住が気になっているんです。昔ながらの商店街が好きです。仕事後は疲れて寄り道どころじゃないでしょうか。

(2012.11.3)


夫に八つ当たりしながらも3年分(!)の確定申告を終えました。

そして新年度。図書室の仕事に復帰しました。(2010.5.5) 「週1〜2日の仕事が近場であればいいなと思います」の条件に合ったというだけで、立場としては全く納得がいかないでいます。大学図書館が良かったなぁ。

今年度は常連さんとの再会を喜び、現行システムの情報収集に集中するとしましょう。来年度に賭けます。何を?というのは内緒です。

(2012.5.5)


確定申告の季節です。が、めんどくさくて気が重いので逃避してカーリルの設定してみたりして。図書館スタンプラリーがおもしろそうです。

こんなアプリをいろいろ組み合わせて楽しく使えればいいですよね。MANDARAとカシミール、google map の使い方を練習して、GPS付き写真の楽しみ方を考えています。 ふつ〜の主婦が楽しめる何かを、ふつ〜の言葉で説明できますように。

はい。とことん確定申告から逃避しています。

(2012.2.25)


たかぎなおこの『浮き草デイズ2』に出てきた3交代制のデータ入力バイトは地図情報を入力するもののようでした。うらやましい・・・。週に何日かこんなバイトがないものか。

GISの勉強しなきゃと思いつつ、すぐ必要というわけではないのでついつい後回し。 使えそうと思ったらしっかり勉強しとかなきゃ。 GISはこんな風に使えます。すばらしい。
http://standardization.at.webry.info/201103/article_7.html

谷謙二氏のことをいままで存じ上げず失礼しました、という感じです。 震災当日深夜には「東北地方の人口分布図」を作成(被災人数を予想できる)、 翌日には「Google 3/12の衛星画像 これでかなり津波の被害状況が分かります」と掲載しています。震災の影響が少なかった埼玉とはいえ、報道以外でなんと早く状況の把握ができたことか。

『地震情報関連サイト』も必要な情報がまとまっています。被災地に行けないなら、こういう情報をまとめるのが災害情報を扱っていた者のつとめではなかったでしょうか。自分の力の無さが本当にくやしいです。

氏はフリーソフトの地理情報分析支援システム「MANDARA」を公開しています。 大変興味深いです。
http://ktgis.net/lab/software/index.html

(2012.1.15)


ギックリ腰やら片頭痛やら、体調の悪い時が多い暮らしをしていると 調子の良い時に、悪い時に備えてさまざま準備をするようになる。

家庭での備えとしては、まず、どうしても譲れない線を決めておくことだ。 例えば私は「子供が食べるものを三食用意する」だった。 洗濯物がたまろうが、ほこりだらけの部屋で暮らそうが命にかかわることはない。 「三食作る」ではないことがポイントである。 買って食べさせても良し、買ってきてもらってもよし、出前でもよしである。 体調が戻ったら、手間をかけずにできるものから作るようにすればよい。 「作る」にはメニューを決め、材料を購入し、洗ったり切ったり、実はずいぶんとハードルが高い。 そこで、体調不良な時のお助けメニューを決めておくとずいぶん楽である。 ついでにその材料は缶詰やら冷凍ものやら、ストックできるものにしておけば「買う」部分まで省略できる。

水が使えない、火が使えない、包丁が使えない、腕が動かない状況も考えてみる。 まな板を使わない(つまり包丁も使わない)週間、煮炊きをしない日などを作ってみたこともあった。 パート仕事だけで暇にまかせてできたことではあるけれど、これが、3.11の時にずいぶん役立った。 腰が痛くても、10分だけ我慢すれば食事の支度が終わる、と思えば我慢もできようというものだ。

そして究極のリスク管理は、子供や夫に自分で食事を整える手段を身につけさせておくこと。 1食分の食事を用意させることから始める。これも「作る」ではなく、どんな方法でも良い。 帰宅途中で交通事故にあい、帰宅が遅くなったことがあった。 息子に「お母さんが夜帰って来なかったらどうするか?」と聞いたところ、「○マウチ(近くのスーパー)に行く」との回答だった。 母を心配するより食料の確保というのは、寂しくもあり教育の成果と喜ばしくもあり、ちょっと複雑である。

仕事のリスク管理も大体同じだが、もうちょっと気を使う。 途中で不測の事態が起きても困らないよう、作業時間は2〜3割増しで見積もる。 自分の作業速度や全体の作業量を常に意識するということだ。 SE時代の「納期絶対」が染みついているせいなのか。 インフルエンザにかかろうと、自宅が半壊しようと遅延の理由にはならない。 …ものだったが、昨年「担当者がインフルエンザのため、納品が遅れます」との連絡があり、 納品される側も「しかたないですね」という反応だったのには驚いた。 時代が変わったのか?

作業効率をあげるため、体に負担をかけないための努力を惜しまない。 コピペを100回やるより、なにかのソフトが使えないか考える。 ストロークを1回でも減らすために、ショートカットを使うようにする。 目の前に具体的な仕事がなければ、将来を予測して使える技術を身に付けるべく、 調べたり、練習したりするようにしている。

勤務先が決まっても求人情報をチェックしているのは、必要とされている技術の動向を知るためだ。 数年前からWebGISに関わりたいと思っているのだが、なかなか近づけないでいる。 防災科研の地すべりチームで、やっと近づけるかと思ったが、図書の仕事に回されて残念だったし。 とにかくGISも即戦力が求められていて、経験者や学生時代に使ってきた人をと言われてしまう。 かくして、htmlの時のように自学自習だ。このやり方でいいのかといつも不安である。

図書は図書で学ぶことはあるものの「なにかのソフトが使えないか考える」より、地道に「コピペを100回やる」方が尊ばれるのが図書館界のようだ。 ここらへんが図書館員の専門性と関係があるのではないか。 「コピペを100回やる」には特に専門的な技術を必要としない→図書館員は専門職じゃない という図式が世間にある気がする。 本当は図書館員の専門性が具体的に目に見えるものではなく、わかりにくいというだけなのだが。

専門性にはお金を払うけれど、スマイル0円、サービスにはお金を出さないということなのか、図書館の求人時給はどんどん下がっている。 図書館司書を希望している人は多くて、低い賃金でもいいから図書館で働きたいという状況にオンブしている気配もあったりする。 実際のところ、私の今の時給は公民館図書室の時の2倍、防災研の時の1.5倍だ。 それでも図書館の仕事に憧れはあるが、図書館界の体質と私の仕事に対する姿勢との折り合いがつかなければ、またグチだらけの毎日になってしまうだろう。 すっきり無料で図書館ボランティアをしている方がいいということだろうか。

(2011.12.12)


S.ジョブズ氏の「愚か者であれ」はクラーク博士の「Boys, be ambitious.」と同じことだと思います。(2008.12.31

このところ心と体の調子が今ひとつなので、自分にちょっとしたエールを。 私が合格した情報処理試験の情報を確認してみました。

昭和63年度1種合格者数は http://www.jitec.jp/1_07toukei/suii_44_6h.pdf 7,158(うち女606)合格率 (14.9%)

合格者は受験者の15%、そのうち女性はさらに10%だったわけです。受験の時点で女性が極端に少ないとは思っていましたが(受験場は東京ではなく水戸でしたし)。平成23年度データベーススペシャリスト試験の合格率は18.2%。時間はかかるだろうけれど、不可能じゃないはず。

さてその後の男女比の推移はどうなのか?と思ったら、さすが均等法世代。ここから数年後には男女の統計はなくなっていました。

(2011.12.03)


「先生」と呼ばれる人たち:教師、医師。これはきっと聖職であって、給料以上の無言の責務を問われる人々。ほんとは「先生」と呼ぶのは変な人たち:政治家、代議士。給料以上の無言の責務を問われるのに「先生」とは呼ばれない人たち:親、警察官。親は職業じゃないから、警察官は戦うイメージがあるから?研究者については、大学等で教壇にも立つ人は先生と呼ぶけれど、研究だけしている人を先生と呼ぶのは抵抗があります。弁護士はどちらでしょう?

朝日新聞のコラムを読んで考えたことでした。

(2011.10.06)


震災から半年。節目の番組や新聞記事が目につきます。そんなものを見てポロポロ涙が出てきたりします。でも、もう「見るとどんどん辛くなる」ことはありません。災害資料を集める職場を離れていて本当に良かったです。なかなか次の仕事が見つからなかったとしても。

それでも、図書館の仕事は相変わらず憧れです。週1〜2日の仕事が近場であればいいなと思います。

以前母が亡くなったときでさえこんな反応は無かったと書きましたが、そういえば父が亡くなったときはこんな感じでした。心の準備が無かったということかもしれません。

(2011.9.16)


今年は結婚25周年。北海道旅行に行ってきました。新婚旅行も10周年も、25周年も我ながら飽きませんねぇ。1週間ほとんど車に乗りっぱなしでした。

遊び疲れた〜。そろそろ仕事した〜い、と思っていたら、やっと次が決まりました。しかも「作る」仕事です。 防災科研を退職して約2ヶ月。失業給付金説明会に参加して、履歴書書いて、面接行って、履歴書書いて、面接行って、就職セミナーに参加して、履歴書書いて、面接行って、履歴書書いて、面接行って・・・。永遠に続くかと思ってしまいました。

その間、圧迫面接に苦しみ、表面の愛想の良さにフェイントをかけられながらの就活で、ほんと今の就活生はつらいですよねぇ。 未だに「若者は選り好みしている」という大人がテレビに出ていて、現実をわかっていますか?とつっこみたくなりました。 スキルがあろうが資格があろうが、とにかく安く使おうとします。アシスタントといえば、単純作業を言われた通りこなす人が求められるようです。いくら育てても3年で契約更新期限であれば、育てるだけ無駄ということでしょう。

就活にかまけてたら、試したいことをやってみる時間がなくなっていました。いや、読書量は断然上がったのですけれど(→読書メーター)。 とにかくトップページのリフォームをしてみました。画像ソフトと地図情報の使い方の練習と、ツイッターの活用を1ヶ月ぐらいの間に見通しつけたいです。ちょうど(?)図書館が1ヶ月休みで、時間を持て余すでしょうし。

(2011.8.22)


5月3日〜8日 常磐線がいわきまで、水郡線が全線復旧したので自力で実家へ。実家に帰る時のお楽しみ、福島の極楽湯も営業中。露天風呂付近の壁の亀裂が痛々しいが。 阿武隈急行が復旧していないので、福島からは東北本線で船岡からタクシー。

実家は前回より傾き具合が緩くなった気がする。余震で揺れ戻ったか?しかし、風が吹いても揺れるようになってしまった。車が通って揺れ、風でも余震でも揺れていた。1週間寝泊りしてもあまり怖いとは感じなかったけれど。

弟はこれを機会に、自力でどこまでエネルギーを確保できるか実験中。上水の代わりに雨水浄水、電気は太陽電池パネル。冷蔵庫も電子レンジも使っていないので、電気は太陽光でほとんど自給できるのだそうだ。でも、工業高校卒で電気工事主任の知識があるから実用できるのであって、「普通の人が使えるようにするのは難しいかな」だそうだ。確かに、コンバーターだの電気抵抗だの説明されたがよくわからなかった。「高校で習ったはずだけど」と言われればそうだけれど、授業と実生活がかけ離れているという好例ですな。

5月13日 なかなか進まずにいた 検索機能の追加 ができた。集中力がやっと回復してきたなぁと実感する。そして、やはり私は「何かを作る仕事が好きだ」と再認識した。

5月下旬 防災科研の退職を決意。「心のケア」に震災で混乱しているときには退職などの重大なことを決定すべきでないとあったが、思えば以前から考えていたことではあった。(2011.2.20) 何人かに仕事内容について希望を話してみたが、どうしてもWEBの仕事には戻れそうもない。他の職場でも震災による予算削減で人員を増やす見通しが薄いとなれば、仕事を減らして扶養の範囲内で働くのもありと考えた。

給料、環境、仕事内容のどれかが良ければ我慢できるが、今の職場はどれも厳しい。震災が表紙になっている週刊誌を多数目にするだけで胸が痛むし、1日に何度も地震速報の「地震です」のアナウンスを聞くだけで消耗する。(防災科研の中でも自然災害情報室のある棟には、全国の地震を感知してそれを知らせるしくみがあるらしい)あのアナウンスを止めてくださいと訴えたところで、一人の意見など聞いてくれないだろうという空しさがある。 口を開くと職場の愚痴ばかりというのでは、給料が貰えるというのがメリットなだけで心理的にはずいぶんとマイナスな状況だろう。

小学校の時から社会人となった今まで、振り返ると私は師に恵まれてきた。特に社会人となってからは、親でも配偶者でもないのだから教える義理などないだろうに「将来他でも役立つように」配慮して仕事を振ってくれた方々には本当に感謝している。このようにしてせっかく身につけたスキルを落とさないよう、同級生達に恥じないように生活しよう。

今はフリーで手に入る材料がたくさんある。仕事で実現できないなら、プライベートで試してみようと思う。そして、このページでひっそり公開しよう。

(2011.6.26)


3月23日 仕事再開。弟の無事もわかったし、家族の理解でニュースも必要最低限しか見ないようにしているのに、集中力が続かない。メールを読んでも内容を理解するのに時間がかかり、単純作業ではミスが多発。文章を考えることはほとんど不可能。昨年母が亡くなった時でさえこのような動揺はなかったのに。自分の反応に意外な感じがする。偏頭痛の発作が毎日で、ロキソニンかアマージンをほとんど毎日服用。

3月25日 産総研の仕事、初日。文章も考えられないではプログラミングは無理とふんで、当面は主にデータ整備をしょうと思う。防災研の仕事でもそうだが、あまり頭を使わずに手先を使う仕事(いわゆる作業)が回復に役立つ気がする。

4月9日10日 実家まで車で行き着けそうなことを確認し、那須で1泊して実家に。上下水道の回復具合がわからないので、途中で1泊することにした。1ヶ月前の情報では倒壊ゼロ死者ゼロ怪我ゼロだそうだが、場所によっては倒壊した家数軒。「半壊」では「倒壊」に入らないのか?実家裏の道路が地崩れして自宅を押し出し、家が南側に傾いている。余震で倒れても不思議ではない。弟には避難して欲しいが田植えの時期では難しいか? 田んぼの水設備が壊れたか、クレーンを使って修理している模様。実家の田んぼも水漏れしているとか。親戚にお見舞いの品を持参したが、店の品揃えは復旧しているようだ。トイレットペーパー・ペット水などはつくばより恵まれているかも。

帰りに津波に襲われた亘理に寄ってみる。常磐線亘理駅までも瓦礫があり、「本当に冠水したのだ」と胸に落ちる。多数の自衛隊車両とすれ違う。人が住んでいる家周りの瓦礫は大分片付いているが、田んぼの中に車が点々と残っている。水が引く前に見る、あるいは窓を開けてにおいを嗅いでいだら「胸に落ちる」では済まなかったかもしれない。

声を聞いて無事がわかっていても、姿を見るまで心から安心はしていなかったのだと実感。状況は厳しいけれど、自分が今後どう力になったらいいか考えられるようになった。

4月某日 産総研イントラで「震災時のこころのケアについて」という文章を見る。被災地だけではなく、全国の「産総研で働く皆さんへ」発信されたことが意義深いと思う。日付を見ると3月18日。すばやい対応だった。私が見たのは再掲されたもの。3月23日に感じたような反応は当然のことであり、回復していくものだと理解できて心が軽くなった。通院中の整形外科・内科で偏頭痛薬を処方してもらい一安心。気がついたら偏頭痛の発作も減って日常が戻りつつある。

私のように自分は被災地にいなくても、親戚や友人が被災している人は大勢いるだろうに、そういう人たちの心情に対する一部の人の理解の無さはどういうことだろう。 反対に身近な人が被災していなくても、被災者に共感して調子を崩す人が特に女性に多いということを救いに思おう。

怖くて見られなかった中学同窓会掲示板にアクセスしてみた。『連絡が取れている人』情報が載っていた。ご家族のことまではわからないが、本人の無事を確認できて本当にほっとした。亡くなった人情報でないのが良い。大変な中でこのような情報を発信してくれたことにありがとうと思うのと同時に、さすが同級生と誇りに思う。私はこの同級生達に恥じないような生活をしているだろうか?

見舞い品を届けた叔母からお礼の宅急便が届いた。乾物など食料品がつまっていた。叔母にとってはまだまだ私は「かばうべき小さい子」のようだ(茨城も立派な被災地なので)。見舞いにうかがった親戚宅では「自分たちのことで精一杯で、よそのことまで考えられなくてすまない」ということを言われた。かえって気を使わせてしまったのだろうか。

(2011.6.23)


宮城の実家が被災しました。つくばももちろん被災しました。壁にひび割れ多数の中で暮らしています。ま、最初の地震よりひどいことはそうありますまいから、あまり気にせず暮らしています。

物理的なことは気にしないですみますけれども、精神的な影響は記録しておかなければ・・・。情報収集と発信にツイッターは使っていましたが、このページを更新する気になるまでには2ヶ月近くかかりました。

3.11 産総研にて勤務中。1階建ての堅牢な建物内だったので、それほどひどい被害とは思わなかった。1人が携帯ラジオを持っており、東北の惨状にびっくり。 停電したので、早退が許されて帰宅してからは懐中電灯のチェックと最低限の通路の片付け。2階には行かず、見ないことにする。直後は情報も行動も最低限がいいと思う。息子は不安のためか終始落ち着かない。母はエネルギーは節約のため、早々に寝る。が、緊急地震速報のアラームで1時間ごとに目が覚めた。緊急地震速報はちっとも役に立たないと腹がたつ。
この日、京都の娘と電話が通じたのは午後7:00頃。宮城の弟とメールが通じたのは午後10:00過ぎ。

3.12 ツイッター投稿(http://twitter.com/#!/yt8msgmt)。主に情報はツイッターから得ていた。

断続的に断水。断水の状況がつかめず困る。飲料・料理には買い置きのスポーツドリンク、汲み置き浄水2L、他の生活水は風呂の水を使う。給水の案内があった。水を入れる容器が不足してることに気がついた。
近くのスーパーには買い物客の行列。米、水、ラーメン、缶詰などが品切れだそうだ 。我が家は米の備蓄があり、食品庫もいっぱいにしたばかりだったので当分買い物せずとも生活できそう。

3.13 11日に東京出張中の夫はこの日まで帰宅できず。余震が気になるが、弟とも親戚とも連絡が取れない。マスコミ以外の情報がなくとても心配。辛いのにどうしてもニュース映像を見てしまう。特に気仙沼の惨状を見ると涙が出てくる。昨年同窓会に行ったときに歩いた感覚を思い出した。 30分で津波が到達したのであれば、低地にいた人は助からなかったと思う。大人の足で高台まで30分、小学生は犠牲が多かっただろう。 私の通った小学校は多賀城でそろばん塾は塩釜だった。松島には毎年潮干狩りに行った。海水浴に行ったあの浜も津波に流されてしまったんだ・・・。

3.14 震災後初出勤。防災科研の資料室は「揺れる構造」で、重い資料がさらに降ってくる可能性があると感じた。漏水しているため、落下した資料を濡らさないような対処は必要だろうが、その後は自宅待機しようと思う。「誰かいる必要がある」と思うのは雇用主の考えだろうが、利用者もいないのに「誰かいる必要がある」とはどうしても思えない。残念ながら命をかけてまでする仕事とは感じられない。

3.15 シンガポールから来日している親子を自宅に泊めることにする。日本食ならゲストをがいても1週間ぐらい面倒を見られそうだが、食パンなどは店頭に無いようだ。明日には2人を連れて京都へ移動することに決めた。言葉がわからない外国で余震に合うのは心細いことだろうと思う。この状況で日本に来てくれたことに感謝する。

3.16 つくばエクスプレスの運行がめちゃくちゃ。計画停電の影響かもしれないが、運行予定がアナウンスされないのであてにできない。携帯を使った情報収集は息子が一番得意のようだ。
成田空港経由のバスで東京へ出て、京都行きの新幹線に乗ることにする。バスターミナルには日本脱出の外国人が大勢。キャンセル待ちのバスに乗れるかどうかハラハラした。ここでもバス会社の関係者は英語が話せず、外国人は不安なことだろうと思う。国際都市つくばなのに・・・。新幹線には、小さい子を連れたママ達多数。放射線を恐れての避難と思われる。good lack.

3.17 やっと弟からメール。1週間かかった。電話は相変わらず不通だそうだ。それにしても京都は揺れない。茨城でいかに余震が多かったか。娘の所にはテレビが無いので、津波映像を見ないですむことも心の休養だ。惜しくも桜には早かったが、前回は入れなかった鞍馬温泉に入浴。北山杉のスギ花粉には、花粉症ではない私も恐れをなした。
関西でもトイレットペーパーがなくなりつつあった。 まずはここまで。22日まで京都滞在。京都の中でも、娘宅、義兄宅、京都市内ホテルと転々。これだけの移動でもしんどい。仕事の再開は23日だった。高校は春休み。息子は終業式を終えてから、夫と共に来京した。

(2011.5.7)


ちょっと自慢。2月27日現在、「アイヌ文化」でgoogle検索すると当ホームページが4位に表示されます。 上位3位はウイキペディアです。特にCEO対策をしたわけではないのにどうしたことか。 (以前の順位変化の記述はこちら) もしかしてツイッターの効果? ページの更新頻度が検索結果に関係が深いとは聞いていたけれど、だとしたら最近の更新はアイヌ文化とも児童文学とも 関係ないのに「なんだかなぁ」ですな。いや、この仕組み(ツイッターの自動投稿)を使えば仕事のHPアクセス数アップにつながるか。

このようにプライベートでも仕事のネタを考えているのに、実際の仕事で使える立場にないというのは本当に悔しいものです。 私は負けず嫌いなので、できないことがあるとその仕事が向いていないと思ってもすごく頑張ってしまいます。 Webプログラミングやサーバーの構築、もっと遡れば赤ちゃんかかえてアメリカに住んだのも、元々は自分で望んだわけではありませんでした。 それをいうなら図書館ではなく、企業の情報部門に就職したのも希望と違うといえば違います。 仕事とするなら全力を尽くすべく、情報処理の国家資格も働きながら取りました。 どれもその後の仕事に不可欠のものとなっていて、きっかけを与えてくれた方々に感謝することしきりです。 20代、30代は仕事を選ばず、何でも全力でやってみるのが良いと思います。

このところ、今まで苦労して身につけた能力を使えずにいることや、学びたいと思っていることが学べないことが辛く 「このままではスキルが落ちてしまう」とあせる気持ちでいっぱいです。 「苦労して身につけた」というのが曲者ですな。「苦労して身につけた」者は、「易々と身につけた」者「元々持っている」者にかないません。 かなわないのに、それでも仕事にするか?さて、どうしたものか。

悩みながらも、仕事を休んで「再就職応援 楽しいビジネスマナー」なる講座に参加している私。偉いよねぇ。

(2011.2.27)


ツイッターで何度か更新しただけで、こちらの更新はご無沙汰でした。 ツイッターはお気軽に更新できるけど、お気軽な内容しか書く気になれないないなと思いました。元々そういうものか。

『読書メーター』というのを始めてみました。(読書メーターとは

読書のためのモチベーションをこれ以上上げる必要はないのですが、 記録になるのは良いかと思いまして。ここに登録した本は自動的にツイッターでつぶやいてくれます。 私は「ついでに」とか「一石二鳥」とかが好きなので、当分ツイッターはこれだけになるかも。 特に大切な感想を書きたい本は従来のようにノートに書くでしょう。

中2の頃から司書を目指してはおりましたが、実は私「分類・目録」なる科目がと〜っても苦手でした。 いくら実習を繰り返しても分類結果が先生と同じにならず、あまりに苦手なので、分類をコンピュータに任せられないものか? というのを卒論のテーマにしました。結果、さらに分類の仕組みを勉強するはめになり、墓穴を掘ったのでした。

目録については、目録規則に沿って自分の読書記録をつけることにしました。 途中で大分省略するようになったし、当時の目録規則とは変わってしまったものの、今まで30年近く続いています。 30年!我ながらよく続いたものです。そして苦手を克服するべく、なんとまじめな学生だったことか。 司書は一通りの外国語を読めなければいけないというので、仏、独、露の授業も受け、古文献購読なる講義を受けもしました。 結果・・・。人間とは忘れる動物だということがわかりました。

2月から週4日資料室での仕事となりました。 「分類・目録」の苦手感は相変わらずで、学生時代を思い出すことしきりです。 この状況にどうしても納得がいかないでいます。50を目前に苦手を克服している場合でしょうか? 図書館にかかわるWebの仕事がしたかったのですから、そこにいたる過程というなら精進しましょう。 しかし、目録データを入力させるだけで、他のWebの仕事は別の人に任せるなどということなら河岸を変えるしかないと思っています。

(2011.2.20)


ツイッター設置しました。ブログをしようとはどうしても思えませんでしたが、ツイッターも仕事となれば、使ってみなければ。便利に使えればいいのですが、まだピンときません。

フォローしてくれる人が増えればおもしろいのかな・・・?おばさんは、なかなかついていけないです。

(2010.6.20)


新年度です。新しい生活を始めた方も多いことと思います。 フリーターの私、また新しい職場が増えました(仕事履歴)。 つくば市の研究所を出勤簿でスタンプラリーしているような様相を呈してきました。

望んでこのような働き方をしているわけではありません。フルタイム勤務を希望しても、勤務時間は週30時間未満にとか、雇用の更新期限はは3年間だとか指定され、どうしてもこうなってしまうのです。正規職員を雇わないで済むような方便と思います。これだけ顧い渋りがあるのですから、フリーターに「努力不足」というのは筋違いでしょう。ご覧の通り、専門の資格があってもこんなもんです。

やっとかなった図書館司書ですが(2008.4.4)3月で辞めることになりました。週末の勤務が難しくなった、自分の意見が仕事に反映されずやりがいが感じられない、社会保険をもらえるような勤務をしたい、などなど・・・諸般の事情がありました。

中央図書館の図書館専門職に応募してみましたが、これは不採用。自分で変わったなと思うのは、不採用だからといって落ち込まなくなったことです。「この私を採用しないとは、何と見識のない図書館か」ってなもんです。いや、本当のところ。面接のときに長所は?と聞かれて「リスクをとって結果を出せることです」という答えはまずかった。これは企業の面接で答えることです。図書館は基本的にお役所だし、正規の職員ではなく臨時職員の採用なのですから、「職員の方々の指示にしたがい、自分の能力を最大限に発揮して職務を遂行できることです」などど答えるべきでした。 言ってから「しまった」とは思いましたが、やはりそこはテンパッていたのでしょう。でも、あきらめたわけではありません。私のような人材が必要とされるような状況を待ちます。

言霊はすごいなと思ったことがまた一つ。私は「図書館はもっと情報発信をすべきと思っており、自分はそれができる位置にいたいと思っている」と同僚に話したことがあります。図書館関連のイベントを企画することも情報発信の一つです。現在のつくば市の図書館のしくみの中で職員としてそのように動くのは難しく、このままつくば市の図書館員を目指していていいのかという葛藤もありました。

研究所の情報室でそれに近い仕事ができそうな気配になってきました。公共図書館のように利用者と接する機会は減りますが、今は「図書室からの情報発信」の経験を積む時期なのだと思ったのでした。どんな情報をどのように発信したら利用者の役にたつのか、少なくとも今年度の私のテーマです。

言葉にすると目標が定まり、進む道が見えてきます。

(2010.5.5)


↓と言っているうちに図書館関連のイベント開催です。イベントページに掲載しました。お近くのかたはどうぞおいでくださいませ。

仕事ももう一つ決まりました。また、週6日勤務になりそうです。週6日働くことになっても週2日x3箇所なので、社会保険にも雇用保険にも入れません。どうして「1箇所でフルタイムで働かないのか」と不思議でしょうか?これを「仕事を探す側の問題(自己責任)」ということが世間では多いようですね。そろそろ「雇う側の問題では」と思って欲しいところです。私の場合今の段階では、やりたい仕事が3箇所に分散しているからですけれども。ほんとは、一番新しい1箇所に集中したいのです。

(2009.9.23)


3月末、国立環境研究所で顧止めにあいました。私は派遣社員ではなく直接雇用だったので、派遣切りではなく「顧止め」です。世間で騒がれている問題の渦中に自分が入るとは・・・。更新期限があと2年あると思って計画していた、さまざまなことを変更しなければいけなくなりました。

「今が転機と思って、新しい道を探した方がいい」と何人かが助言してくださいましたが、失業手当もなく次の仕事の紹介もないまま放り出された動揺から、なかなか抜け出せないまま2月3月を過しました。ワーカーホリックぎみの私にとっては、仕事がなくなるということはとても辛いことです。「よもやま」を読み返すと、しょっちゅう履歴書送ったり、不採用で落ち込んだりしています。正社員じゃないということは、こんなに仕事以外のことでエネルギーが奪われるのです。

例によって履歴書が返ってくるたび思うのは、この年では「勉強してできるようになります」は通用せず、経験が買われるのだということです。とにかく仕事を探さなければということで、ブログ的なページをお仕事の履歴と切り離しました。お仕事履歴を職探しに役立てるためです。

図書室の仕事を辞めてフルタイムの仕事を探すのか、独立開業する予定を2、3年早めて今にするのか、ずいぶん迷いました。結局図書室の仕事は続けることにしましたが、サービスを売る仕事ではなく、「作る」仕事もしたいようです(2002.10.14)。どんな仕事でもいいからと応募したものは、やはりいけませんな。必ず「これ」と思える仕事があります。仕事内容で選ぶと、私の場合なぜかワーキングプアになってしまうのですけれど。そこはまたチャンスを待つということにしましょう。

現在の仕事が最上部の2つです。こうしてみるとデータ入力から始まってwebページの管理、サーバー構築などスキルアップしてきたなぁと感慨深いものがあります。仕事=人生の棚卸しとは良く言ったものです。今度のことで、やっと自分のやりたいことや向いていることが見えて来たような気がします。最近人気の勝間和代さんも言っており、我が家では「言霊」と呼んでいますが、夢は口にだすと実現します。このページに書き付けておくのもありでしょう。

縁がないものは無理に追わなくてもいいです。でも、どうしてもと思ったときは視点をずらしてみると他に道が見えることもあります。顧止めになって真っ先に、締め切りが迫っていた図書館ボランティアに申し込んだ自分の前向きさにも希望を持っています。これから面白いことがご報告できますよ〜。

(2009.7.7)


さくらんぼ

もう6月が近いです。更新が止っているのには訳があるのですが、それはまた近いうちに。 まだページが生きてますよのお知らせに我が家のさくらんぼ写真を1枚。数粒さくらんぼが実ったのですが、案の定人間が見つける前に鳥に食べられました。なので、証拠写真だけです(ピンボケですが・・・)。

他、いちごが最盛期です。二鍋ぐらいジャムを作りました。冷凍庫に満杯のクリに代わり、いちごで満杯になりそうです。

(2009.5.27)


オバマ氏が大統領になりましたね。講演集が出版されるとか。誰が訳すのか気になるところです。 "Yes, we can." を「やればできる」としてあるのを読みました。う〜ん…。違うと思うなぁ。 日本人の勤勉性からすると、「できないのは、やらないせい」になっちゃいませんか? 「きっとできる」の方が近いと思います。

最近私が励みにしている "Boys, be ambitious." も「少年よ、大志を抱け。」「少年よ、野心家たれ。」とはちょっと違う気がしています。もっと"You can do it.""Never give up."に近いものではないかと想像しているのです。軽いところで "Let's try" とか。クラーク先生と直接話したわけではないので、実際はどうなのかはわかりません。人の言葉は、自分の励みになるように解釈すればいいのだと思います。

以前、ストレスマネジメントについて書きました(2007.11.12)。関連して。

物事をうまく進めるためには、うまくいったときの何か(高得点が取れたテストとか)を、見える所に置いておくと良いそうです。過去の栄光にこだわってはいけないとは言いますが、それはその場所で止まってはいけないということです。うまくいった自分を反芻することは、「きっとできる」と実感できて前進する力になります。私は、自分のHPを時々眺めて、目標を確認したり「しんどかったけど、がんばったよなぁ」と思い返したりしています。

そこで、遅くなりましたがご報告です。「化学物質データベース」に機能の追加をしました。技術的に、というより環境的に問題があり、随分と難産でした。

自分が作ったプログラムを人さまに使ってもらうのは、独身時代以来20何年かぶりです。 (perlを使って生態学会のお手伝いはしましたが、あくまでもお手伝いで、無我夢中のまま終わったのでカウントしません。)個人的には久しぶりに達成感を味わえたのですが、職場では「できて当たり前」ということなのか淡々と経過してしまったので、家族や友人に「見て見て」と言ってまわりました。 今話題の「メラミン」や「ジクロルボス」などを入れてみてくださいませ。

(2008.12.31)


函館まで、いつもはガラガラの特急白鳥が満席でした。前回とは大違いです。紅葉のせいでしょうか?私の目的は本田優子さんの講演を聴くことだったし思わぬ収穫もありましたが、函館の朝市はもうあまり楽しみにしていないことに気づきました。街の雰囲気は好きだけれど、あちこち観光する気にはなれません。

函館朝市の代わりに今は八戸です。このところ毎年買い出しに行っている「八食市場」。お寿司おいしいです。果物も関東では出回っていない品種が出ていました。次の予定地があるのに、洋梨一山買ってしまいました。本当はリンゴも欲しかったのですが、さすがに重いです。残念なのは、今回いつもの八食市場ツアーではなかったので、路線バスが早々と無くなってしまったこと。17:00が終バスです。おかげで、旧市街地(本八戸駅 あたり)回りで帰り、今度は八戸を別なルートでまわる楽しみができました。

小岩井では久しぶりに園内案内バスに乗りました。ルートやガイドさんが変わっていて、それなりに勉強になりました。やはり、昨年のNHK「どんとはれ」の影響は大きいようです。悲しかったのは、小岩井小学校が影も形も無くなっていたこと。廃校になってから23年にもなるのでしかたないのでしょうが、どこにあったのか、跡さえみつかりませんでした。おととしぐらいまで校舎は残っていたのに、また今度を期待してはだめですね。いつもこれが見納めと思わなくては。小学校と羊の放牧風景が最初の小岩井体験でした。もう、どちらもありません。

私が「あ〜あ」と思うのはまきば園の中です。外の牛舎や牧草地は変わらないのですから、これからは脚力をつけてここを歩くことにしてみましょう。「小岩井駅から農場まで歩く」も実現していません。今回は珍しく岩手山も1日中見えていて、ベンチに座って本を読んだり景色を見たりしていました。

車なしで東北を観光するのはたいへんです。今回も1分違いでバスに乗れず、待つこと30分、1時間が何度もありました。休日は特に本数が減ります。「くやし〜」と思いつつ、待つこと30分、1時間って、宮城に住んでいたころは普通だったことを思い出しました。つくばでさえ、TX開業以来待つことが少なくなっていたんだなぁと思ったのでした。

前泊も含め3泊4日、お気楽だけれど1人で安宿ばかり泊まっていると気が滅入ってきます。それでも、 行こうと思ったところには全部行けたし、読もうと持って行った文庫本は4冊は全部読めたし贅沢な旅行でした。あ、小岩井卵プリンが食べれなかったんだ。盛岡の珈琲館も行けなかった(疲れて)。…こうしてまた次の計画が…。

(2008.11.4)


函館に行ってきました。ちょうど3連休に函館で講演があったので、三連休パスを使って旅行できるじゃんということで、函館、青森、八戸、小岩井に行きました。

泊りがけ1人旅は何年かぶり、いや、ひょっとして15年ぶりぐらいで本当〜にお気楽でした。旅行はいつも私が計画するといっても、子どもをどうするかずいぶん気を使っていたのだなぁと思ったことでした。1人でなければ、4時間も講演を聴くなんていう計画はまずしません。そのあとは図書館でアイヌ関係の調べ物してホクホクでした。

アイヌが登場する児童書気になる図書館にも載せますのでご覧くださいませ。

(2008.10.25)


前回「アイヌ民族が先住民族と認められた」ということを載せました。この時期、ネットでアイヌ関連のことが随分検索されたらしく、googleの検索順位に変動がありました。少なくとも2週間ほど、「アイヌ文化」で検索されるリストでこのサイトが掲載されるのは7ページ、17ページと、ドンドン後ろに移動していました。ネット上ではこのサイトは消えていたも同然ということです。今はおよそ前の順位に戻りました。
う〜ん。googleロボットくんの気持ちはよくわかりませんです。

(2008.8.10)


アイヌ民族が先住民族と認められた由。ここ数年の動きは早く、隔世の感があります。世の中の流れというのはありますね。やはり。いつ潮目が変わるかわからないから、信じて日々精進してチャンスを待つのが大切と思いました。

図書室の仕事もだいぶ慣れて、やっと楽しめるようになってきました。基本的なことができるようになるまでは、夢中で何がなんだか判らない状態でした。

研究所と図書室とどちらがメインの仕事になるのでしょう?給料は研究所の方が多いし、年末調整の書類も研究所の方に提出するので、こちらがメインとも言えます。でも、元々Web のことを勉強したりデータベースの仕事にこだわっているのは、図書館で使えるスキルと思ってのことです。コンピュータに興味を持ったきっかけからしてそうでした(自己紹介)。

だったら図書室の仕事1本にしたらいいかというと、それも厳しいです。この仕事を辞めればコンピュータまわりの情報からは一気に離れてしまうでしょう。自分だけで勉強していくには私はぐ〜たら過ぎます。必要に迫られないと動けません。そして、収入も大切です。今、私が週6日間2つのパートをかけもちして貰っている金額は、娘が県外で下宿して大学に通うのにかかる費用とほぼ同額です。夫の給料は自分たちの生活費、住宅のローン、各種税金で精一杯です。今のところ娘は奨学金なしで暮らしていますが、息子が高校に通い出したら厳しい状況になるでしょう。高校でかかる学費は中学までとは比べ物になりません。

ちなみに夫は某国立大学の教授です。その給料が、子どもを国立大学に行かせるのに厳しい状況というのはどういうものでしょう。「国立大学の授業料を私立並に」「いや、私立大学の授業料を国立並に」と議論されていますけれども・・・。

世間の皆様は大学教授というと「お金持ち」と思うらしいです。「家を買うにもローンを組む必要が無かったんじゃない?」と、真顔で言われた時には何の冗談かと思いましたよ。確かにその昔は、実家も妻の実家も由緒正しい裕福な方々が多かったかもしれませんが、夫の実家は自営業だし、私の家は地方の平公務員だったし裕福な環境はどこにもないです。裕福な国家公務員ってどこに固まっているのでしょうね。

すみません。「違うよ」と言ってもなかなか理解してもらえないことが多くてグチになってしまいました。雑音は右から左に流して精進精進。

(2008.6.9)


中2の時「図書館のおばさんになる」と宣言して以来30ウン年、やっと図書室で働けることになりました。この変化の波がやっと身近にやってきたといったところです。5年かかったことになります。

紆余曲折いろいろありました。まず、(2007.8.8)に書いた勤務時間の延長があっさり却下されました。自分では「スキルの割には低賃金で仕事が早い。仕事好きで、放っておいても何か見つけて仕事をする」と自負していたので、相当落ち込みました。

でも、それならば、週2〜3日の図書室の仕事ができます。人員に空きができる予定は耳に入っていましたし...。あまりにタイミングが良くて天の采配かと思いました。

思い返せばこのときあっさり図書館の仕事についていたら、今の情報専門職は経験できなかったでしょう。人生無駄なことは一つも無いなぁと感動したことでした。

天の采配といっても、人事面接時の「勉強することが多く、アウトプットが少なかった」という評価は今考えても納得できないし、週6日出勤に不安を感じてもいますが、とにかく石の上にも3年です。最強の「図書館のおばさん」目指してがんばります。

(2008.4.10)


このところ、お小遣いにおける医療費の割合が高く頭が痛いです。

シャレを言うつもりはないのですが、主な原因は頭痛です。漢方薬を飲み始めて半年以上、1ヶ月おきの血液検査費もばかになりません。それでも、毎週末苦しんでいた偏頭痛は無くなりました。倦怠感も軽くなった気がします。

血液検査の結果によると軽い自己免疫疾患があるそうで(補体数が少ない)、風邪をひきやすかったり、炎症が起きやすかったりするそうです。そういえば、太極拳を始めるまで風邪をよくひいていました。漢方といい太極拳といい、中国3000年の歴史さまさまです。

今困っているのは、ストレスがかかると頭に血が上ったようになり、激しい頭痛がおこることです。ストレスは精神的なものから、映画を見た、眩しい光を見た、人ごみに出かけた、気圧が下がった、株が下がったなどいろいろです。寝不足だったりすると、ちょっとした刺激でも偏頭痛がおきます。そうなると、偏頭痛薬を飲まなければおさまりません。出かけた先で偏頭痛が起こり、吐き気をこらえながら帰りの乗り物に乗ることもあります。経験された方はおわかりだと思いますが、とてもつらいものです。

仕事で窮地にたつと、抜け出すまで1週間も頭痛続きになることがあります。そこで、心配しても仕方ないことは心配しないことにして、できるだけストレスを減らすことにしました。仕事帰りには「今日進んだこと」を思い浮かべ「偉い!さすが!」と自分をほめまくります。進んだことがなければ、休まないで仕事に行っただけで「偉い!」です。もし、具合が悪くて休んでしまっても、ひどくなる前に休んで「偉い!」のです。反省ばかりして、自分をいじめても何も良いことはありません。

そういえば、ストレスマネジメントという言葉があるとか。どこで学べるかな?

(2007.11.12)


ならないから切ってしまおうかと言っていたがなりました。偉い! う〜ん。立派なはっぱでしょ〜?

調べたところ、この筆柿は自家受粉可だけれど、甘いか渋いかは運次第のようです。 で、この1っこはどうだったのか・・・。収穫する前に落ちてしまいました。 鳥が食べた跡が無いので渋柿だったか?

もう1本の柿も今年は豊作。成り年のようです。

(2007.10.25)


前回の更新から半年。仕事上でもプライベートでもいろいろありました。

娘は県外の大学に決まって下宿生活。人数が1人減ったのに、まだ食事の分量が減らせず。4月からの体重増はこのためか?でも、軽い空きの巣症候群は治まりつつあります。

息子は中学生になり、意外なことにお姉ちゃんと同じ剣道部に入ることになりました。部活はもちろんのこと、習い事もしたことがなかったのですから、参加することに意義あり!

愚痴っていた↓の設定は紆余曲折の末なんとか、かろうじて動いています。本当によく勉強させてもらいました。時給1000円をのアシスタントから、専門職に変わりました。取得から20年でやっと「情報処理1種」が役にたったというところです。(遅っ) 来年度からは夫の扶養からはずれることになるでしょう。税金や保険がどうなるのか調べて、また別ページで紹介します。

本当にいろいろあってバタバタと日にちが過ぎ、ちょっと疲れぎみです。とある講座を受講しているのですが、私の場合、思っていることの30%達成で「よし」とするのが健康にいいそうです。80%で「よし」と思って、あとはまあいいやと思っていたのですが、それでも多すぎたようです。そして「断り方も勉強せよ」と。

一つ判ったことがあります。PTAでは「ええ〜!パソコンですかぁ〜?エクセルわかりません〜。」と宣言しておくと、気の毒そうな表情を浮かべて他の人に仕事を振ってくれます。たいへん寛大です。元々ボランティアですし。私はどうもできる人間に見られたいところがあるようなのですが、背伸びしても疲れるだけです。

30%だとすると今の15時間勤務はちょうどよいのかも。来年からは増やしてもらおうと思っていたのですが・・・。迷います〜。

(2007.8.8)


最近孤独な戦いが続いています。Apach + PHP + Oracl の環境を作ろうとしているのですが、 どうも設定がうまくいきません。試行錯誤を始めて2週間、さすがにしんどくなってきました。 他の人に聞いても、結局その人が試行錯誤することになるので、自分で解決するしかありません。 Apach+PHPを好みに合わせてコンパイルしなおすのがいいのかもしれないと予感しつつ、それは最後の手段にしたいです。

いきづまったときに気分を変えることができるように、仕事はできるだけ2箇所にしようと 決めているのですが、このところ、どちらも同じような内容で、しかもほとんど同時にいきづまります。

・・・ということをぐちったら「3つ別なことをするとよい」と言われました。そうなんだろうか?

とにかく迷路の攻略のように、やってみた設定と結果を順に記録してみたら、ちょっと頭が整理された感じ。 このホームページの「勉強中」のページに追加しておくのもいいかも。

(2007.1.21)


夏の始まりから、あらたにスクリプト(PHP)を勉強しています。 「うぇぶぷろぐらみんぐ」というやつですな。

昨年まで勉強していたperlに似ているし、それよりも単純なので「もうダメかも」という 感覚はありません。が、やはり新しいことは疲れます。 そして、若いころは気がつきませんでしたが、プログラミングをしていると本が全然読めなくなります。 どうも、プログラミングの時に使う脳と、本を読むときに使う脳は同じようなのです。文章も書けなくなります。

このページも更新が滞りがちです。今までgoogleで「アイヌ文化」と検索すれば、「最初のページに 表示されるよ」と周り言っていましたが、先日見たら最初のページでも最後の1件になっていました。 イベントの報道もされるようになったし、萱野さんが亡くなったニュースも大きく扱われたし、Wikipediaが ドーンと上位に入りました。私のページの目標の半分は「アイヌ文化」を紹介するですから、 この関心の持たれようは喜ぶべきことでしょう。

偏った疲れ方をした時は、頭の別な部分を使うことをすると良いのですが、それは何かと いうのをまだ見つけていません。もしかして、芸術かもしれないと思っています。例えば絵を鑑賞するとか、 字の無い絵本を見るとか、めだかを見るとか・・・。あとは、歌のない音楽でしょうか。 アイヌの踊りとか?

(2006.930)


娘は大学受験、息子は今までの遅れをとりもどすため、いやいやながらもそれぞれ勉強中です。 私もデータベース構築のための勉強をしなければ。

アルバイトでやるような仕事じゃない気がするけれど、必要に迫られないと勉強しないのだから、 ここは覚悟を決めて仕事を選ぶしかないか。

思えば株取引を始めたのは「新聞を読むようになるかも」ということからでした。 確かに以前より読むようにはなったものの、円ーユーロのレートは知っていても、今年ヨーロッパが 猛暑だったか水害だったかは知らないし、ライトオンの本社ビル移転の話は知っていても、ダメージジーンズを「穴あきジーンズ」と言ってしまうあたりは相変わらずです。

勉強しても興味が持てないことは身につかないってことですかね。

しばらく写真をのせていませんでした。
ウッドデッキが殺風景だったので、かぼちゃを誘引してみました。 「つた」ならぬ、「かぼちゃのからまる」デッキもおもしろいかも。

(2006.8.5)


今日試験結果が発表されました。なんと1次(午前の試験)で足切。不合格は予想していたものの、午前の試験がこんなに取れていないとは思わなかったです。合格率10%の壁は厚かった。いや、午前の試験で6割未満はちょっと恥ずかしいかも。ちゃんと復習しないと。

しょうがないなぁ。合格祝いはやめて、日帰りの残念旅行でがまんするか・・・。

(2006.6.13)


もう2ヶ月もたちましたが、試験を無事受けて来ました。 聞いていた受験者の平均年齢より、大分上という感じがしました。 もし畑違いの分野から転職してきた方々だったとすれば、大変な努力が必要でしょう。 私などは恵まれたほうだと思います。

結果は明らかに勉強不足。恵まれた環境といっても、実務をしているわけではないのですから、 午後の問題はもっと時間をかける必要がありました。来年は受けるかどうかわかりません。 が、今度は実際に使えるような技術を勉強します。

畑が近いと、時間が空いてても空いてなくてもついつい畑仕事をしてしまう。 池のメダカをながめてしまう。ただいま緋メダカ8匹。今年生まれた子も1匹確認。 水温が上がった証拠です。

(2006.6.5)


試験までいよいよ2週間を切りました。受験票も受け取り、受験気分が高まります。

合格の願掛けに読書断ちをしています。読書を断ったところで、その時間を勉強にふりわけるかといったら そうじゃないのですけれど、とにかく気分が大切。 そして、試験の参加賞は○ーゲルのケーキ、合格祝いは1泊2日一人旅。 小岩井に行こうか、思い切って北海道まで行くか、はたまたバス旅行に挑戦するか。

などと考えているまに勉強せいですよね。

(2006.4.5)


初めて「株主懇談会」なるものに行って来ました。株主歴は長いのに、総会や懇談会には行ったことがありませんでした。そういうものは平日に開催されるので、なかなか行く機会がなかったのです。

株式の配当が少なくなってからは、株主優待とか懇談会なんかがある会社を選んでいます。 ミニストップなどは(アイスクリームの)人気があって、毎年抽選です。

私が行ったのはカゴメの懇談会です。カゴメは今、植物性乳酸菌を売りだし中です。 動物性ならヤクルトなど、植物性はつけものなんかに含まれてるやつですね。 実は、ベンチャー企業の調査の仕事をしている時、調べた記憶があります。

う〜んそうなのか、独占販売権を持っているのか。 これは、アミノ酸の味の素などと言っている場合ではなかったか? ごめんなさい、カゴメさん。株主優待もあるし投資金額もお手ごろなのに、 権利落の後さっさと売っちゃって。 適当な時期にまた、買い戻すからね。

という感じで投資銘柄を決めます。とてもいい加減なので、皆様、投資判断はご自分で。

ここではあまり株の話題は出さないけれど、たかがライブドアごときで相場が乱高下するので、 「しっかりしようよ。個人投資家」と思ってしまうのでした。

本日メダカを全て確認。小さくて、まだ透き通ったメダカもちゃんと生きていた。 なんとなく春の気分になる。

(2006.2.22)


先月降った雪がまだ融けないと思っていたら、昨日は大雨。寒さも緩んで今朝は春みたいでした。

久しぶりに前庭の畑を見てみると(雪で奥まで行けなかった)、2か月前にまいたキヌサヤとエンドウの芽が出ていました。桃の木にもネコヤナギのような綿帽子が…。 植えっぱなしでほとんど手をかけないのに、ほんとに皆けなげだなぁ。

このところ氷結して底が見えない池でも、メダカを1匹確認しました。他の子も藻の中で無事だといいけれど。一番心配なのは、お茶の苗木とピンクのネムの木です。

移植して初めての冬が越せるのか?手はかけないけど、心配はしてるからね。

(2006.2.2)


あけましておめでとうございます。年末年始はいかがお過ごしでしょうか?

昨年末、一念発起して4月の情報処理試験の受験を決意しました。 受験は情報処理技術者1種の受験以来、17年ぶりです。

とりあえず過去問を見てみました。午前の問題はともかく、午後の問題は根気が続きませんなぁ。 だいたい試験時間、計5時間30分って、17年来、そんなに長い時間机にむかってません。

でも、なんだか古巣に戻ったような気分。商品コードや顧客マスターなどといった言葉がいちいち懐かしいです。だいいち、パート採用の面接で『お子さんが病気のときはどうしますか?』と質問されるより、『このシステムにおいて、デッドロック防ぐにはどういった手段が考えられるか?』と聞かれる方が気分がいいです。 ああ、思い出しても腹がたつ。これだから、出生率が低下するんです。

今、私が持っている資格が何の役にもたっていないのと同じく、今回の試験に合格しても何のメリットもないでしょう。でも、少なくとも自分がどの分野に興味を持っているのか、表現することにはなるはずです。

(2006.1.2)


なんと前回の更新から3ヶ月もたってしまっていました。毎日出勤し、週末は、太極拳だボランティアだ旅行だといっていたらあっという間でした。やっと、いくつかページを更新しました。

10月の某日、小岩井農場に行きました。行く度に建物(みやげものとか、体験コーナーのある)が増え、有料の遊び道具が増え、がっかりです。何にもないがいいんだけれどなぁ・・・。SLホテルも予約がなかなか取れず。う〜ん。

今回は鮭の遡上を見て、材木町・珈琲館のコーヒーが飲めたからよしとするか。 アイヌ文化祭にも行ったので、いつか報告・・・できるのか?

(2005.11.13)


突然トワイライトエクスプレス(札幌->大阪)が予約できてしまったので、乗ってきました。特に株が上がったわけではないのですが(株が上がったら)、娘をオーストラリアにホームステイさせたので、私たちにも何かイベントがなければ不公平というものです。

どうせ札幌から乗るのですからルスツに2泊しました。冬も好きですけれど、夏は遊園地で遊べて楽しかったです。絶叫マシンばかり多くておばさんには辛いものもありましたが、並ばずに遊べるのがなによりです。

電車はたいへん寝心地が良く、22時間30分、ウトウトしたり本を読んだり、例によって「なにも寝台車じゃなくても」というすごし方をしました。外から見るほど内部は豪華ではありませんでしたが、今度は北海道行き方向に乗り、日本海に沈む夕日を見なければ。 ホームステイから帰って来た娘に「海外旅行に行こうよ」と言われて「え〜。アメリカでも10時間ぐらいかかるじゃん。瞬間移動できるならいいけどさぁ」などと答え、今回の22時間30分はどうなると矛盾をさらしてしまったのでした。

(2005.8.17)


携帯サイトに旅行計画をアップしました。我ながらとんでもないルートだと思います。乗りたい電車を並べたらこんなことになってしまいました。腰痛防止の筋トレをせねば。

新しい勤務先もプロフィールに入れておきました。これまでかかわったことがない世界なので、とまどいもあり落ち込むこともあります。でも、そういうものなのでしょう。

一時期「仕事が楽しくないのは、その仕事にむいていないせいだ」と思った時期がありました。が、仕事とは基本的に苦しいものなのだと考えを変えました。 「仕事は楽しくなくちゃ」というのは、誰が言い出したことなのでしょうか?実際、楽しいことや達成感も無ければ続けられません。でも、そこに至るまで辛い ことのほうが何十倍も多いはずです。

NHKの朝ドラ「ファイト」、注目してます。

(2005.6.5)


行きつけの整骨院がホームページを開設しましたのでご紹介します。とっても効果がありますので、お近くの方は是非一度お試しあれ。→かんだ整骨院のページ

仕事をもう一つ増やし、平日は毎日通勤ということになりました。新しいところは片道1時間かかり、毎回ちょっとした旅行気分になります。通勤ラッシュとは無縁なので、いくつか通勤ルートを試して楽しんでいます。まだ試してないのが、自転車。たぶん自転車でも1時間前後と思うのですが、腰に衝撃がきそうでまだ踏み切れません。

これで、やっと仕事したい病がおさまりました。時間的には忙しくなったはずなのに、精神的に余裕ができたせいか旅行の計画も浮かび、他のページの更新も頑張るぞと思うのでした。

(2005.5.20)


引っ越しました。ついでに、ホームページの一部(アイヌ文化とイベント関係)も引越しました。

しばらくリンクが切れており、失礼しました。ホームもホームページもまだまだ混乱状態です。看板ページを引っ越したけれど、何の影響も無かったりして(寂)・・・。リンクをはっていただける方は、トップページにお願いします。

(2005.4.4)


携帯サイトを作ってみました。(携帯版)いや、特に携帯サイトにしなくてもいい内容なんですけどね。PCからも見れますし。本家はどちらかといえば堅苦しい内容になってしまったので、お遊び関係を携帯用にしました。googleで「アイヌ文化」を検索すると10件以内に表示されるって、責任感じてしまいましてこのごろ遊べないのです。

携帯サイトでもクイーンさまのお世話になっておりますが、この言葉に感動しました。

       +++++++++++++++++
        ご利用は各機種で異なりますので、お手持ちのマニュアルをご参考下さい。
        何しろ女王は携帯持ってません(^^;)
       +++++++++++++++++

私は長距離の旅行の時など、とっても時間があるときしか携帯サイトを使いません。外出先で自分が使えるサイトにできればいいなぁ。 娘に「携帯サイトにあると便利なのは何か」と聞いたところ、「地図」だそうです。無料の地図サイトもありました。住所を入力すると付近の地図を表示してくれます。(EZwebのサイトなので、他の会社の携帯からはアクセスできないのかな?)

便利な携帯サイト、ボチボチ調べてみるとしましょう。

(2005.2.1)


あけましておめでとうございます。

11月末、アイヌ関連のイベントが終わってすぐに、またぎっくり腰をしました。(2002.1.21)横になっても座っても痛いで、とにかく「痛い」ということしか考えられず、週末になるたびに、今週もなんとか終わったとほっとする日々でした。

というわけで、やっと余裕が戻ってきたところで遅ればせながら2004年のうちに書いておきたかったことを。

ミステリーボニータにて、市東亮子「やじきた学園道中記」12年ぶりに再開。主人公達は高校生ですが、「昭和の高校生」ということで設定は変わらず。絵になんか違和感があると思ったら、登場人物のスカートが長いのでした。娘が高校生でなかったら気がつかなかったかもしれません。もちろん、スカートが長かろうが短かろうが、嬉しさのあまりコミックスを握りしめました。同誌では、あしべゆうほ「クリスタルドラゴン」も再開しています。

那須正幹「ズッコケ」シリーズ終了。27年続きました。再開あり、終了あり。

(2005.1.1)


就職も結婚も「縁」だなぁと思ったことです。いくらがんばっても、年齢制限があったり求人情報に出合わなかったりで思うような仕事ができない時期もあります。

何度か面接してもらったなかで「うちの仕事にはもったいないので、履歴書を預からせてください」と言われたことがありました。最初のうちこれはほめられたと思ってと〜っても喜んでいましたが、結局履歴書は一時預かりで送り返されてくることが2度、3度と続くうち、「これはお断りの常套句なのだろうか?」という気がしてきました。ほんとのところどうだったのか、今となってはわかりませんけれど。

お見合いでは「私にはもったいないお話しで」という断りかたをするとか。う〜む。仕事を断る時に「私にはもったいないお仕事で」と言っても・・・ダメでしょうね。

(2004.11.14)


新しく始めた仕事のご案内をしていませんでした。回数は少ないものの、何度かお給料をもらったので紹介をしないのは不公平でしょう。プロフィールに追加しておきました。 インターネットを使って、ベンチャー企業を調査する仕事です。いや〜おもしろいです。製薬関係では、こんな技術が実用化されているのかと感心するし、環境産業では、「ほんとに効果があるのかな」と試してみたくなるし。数をこなしていると、何物か見えてくるような気がします。株式投資にも役立つかも?

(2004.8.24)


前回更新から2ヶ月以上経ってしまいました。昨年末から「仕事したい」病が始まり、履歴書書きと面接に力を使い果たしていたのでした。本も読めない状況でした。なかなか条件が合わず、年の数とは言わないもでもその半分ほどの履歴書は送ったでしょう。最後は悪循環に入り込んだ感がありました。

「仕事したい」病なので、実際仕事が始まっても直るわけではありません。「仕事がしたい」のか、「認められたい」のか、「お金が欲しい」のか、「変化がほしい」のか、ほんとの病根をを見つけなければ治りません。

なかなか考えることの多い半年でした。一番の収穫は、状況が最悪になってからが強いということがわかったことでしょうか。なりふりかまわず行動すると道が開けます。ただし、身なりもかまわくなるのが難点です。

(2004.6.28)


結局カシオペアには乗れず(2003.12.13)北斗星も取れなかったので、飛行機でトマムに行って来ました。トマム。今年で連続3年です。3月末から4泊5日でしたが、着いたらほとんど春という陽気で、娘に言わせれば「下のほう(いわゆる初級者コース)はぜんぜんダメ」だそうです。3日目には雨、4日目には吹雪というとんでもない天気でした。凍った雪面に新雪が積もり、その上を歩いていた私は何年ぶりかで滑って転びました。なんかなつかしい感覚でした。

実は今年はルスツに行こうとおもっていたのに、さすがツアーはいっぱいだったのです。ルスツもトマムも同じ系列の経営なのですが、トマムは去年と比べても元気がないように見受けました。シーズンの終わりということもあるでしょうが、ホテル群の半分はクローズしていてさびしい風景でしたし・・・。

ところで、冬から春の北海道はスキーツアーで行くのでリフト券が参加者にもれなく付いてきます。スキーするひとが片道乗って行って、帰りは滑ってくるっていうあれですね。私はスキーをしないのでいつもは使わないでしまうのに、今年は思い切って(恥をしのんで)往復リフトに乗ってみました。雪景色は好きなので、なかなか楽しめます。ゴンドラタイプに乗れば寒くもありません。そして新雪の積もった日、なんと、きつねが何物かくわえてゲレンデを横切って行くのを見てしまったのでした。くわえていたのは灰色の毛皮の小動物でした。そのときは「ウサギ」かと思ったのですが、この季節ウサギは白いものではないのでしょうか?もしかしてモモンガかなんか?

なんにしろ、きつねは急ぐでもなく周りを気にするでもなく、当たり前のようにトコトコ歩き去ったのでした。知床の「車の近くで餌をねだるキツネ」を見た時にはない感動がありました。写真は撮るのも撮られるのも苦手な私ですが、このときばかりはカメラが欲しかった〜。

(2004.4.17)


ページのレイアウトをリニューアルしました。思い立ってから約1年、ページが増えるとメンテナンスもおざなりになりがちです。今回、リニューアルにあたって、リンク切れなどもチェックしましたが、閉鎖されたページの多かったことが悲しいです。「長いあいだありがとうございました」というセリフを読むたびどんよりでした。どうしてかなぁ。個人のページより、グループで作っているページの閉鎖がめだちました。アワペースよりマイペースが長続きの秘訣ということでしょうか。

昨年は「図書館」の部分にリキが入った反面、「アイヌ文化」関係はほとんど更新せず、休眠状態でした。人生浮き沈みはつきもの。それもよしでしょう。

(2004.3.12)


同じJR好きでも私と息子とではこだわるところが違うようです。私は「○○線に乗りたい」と思って出かけるのですが、息子は「のぞみ500系に乗りたい」とか「E2系マックスとつばさがつながっていた」とかいうことが重要らしいのです。数字を出されても全然覚えられませんが、しかたないので「はやてに乗りに行こう」とか「1両編成のめずらしい車両があるよ」とか言って釣ります。

さて、今朝のニュースで秋田のハタハタが豊漁とありました。バンザイ!平成4年から3年間全面禁猟、その後も漁獲量を制限してきた成果でしょう。今年で約10年。やはり根本から変えたければ、このぐらいの期間が必要なんですねぇ。言うのは簡単だけれど、ここまで「信じて待つ」のは並大抵のことではなかったと思います。 (参考:鰰の声) そういえば、私が中学時代を過ごした気仙沼でも牡蠣収量減の原因が山の樹木であると考え、海を再生するのにまず山の植林から始めたということがありました ( 気仙沼湾・牡蠣の森を慕う会 )。

対策を考えてそれがうまくいくのって、本当に嬉しいでしょうねぇ。結果が出るまでの何年間かのことを考えると、胃が痛くなる気がしますけれど・・・。年をとって得したということはあまりありませんが、物事を5年とか10年のスパンで考えられるようになったのは年の功かなと思います。太極拳もあと20年は続けられるかなと思いましたもん。1年たっても始めたばかりという感じです。かくれ肥満が疑われる私。太極拳で内臓脂肪は燃焼するか?気功にも挑戦中。気を巡らせることができるようになったらいいなぁと思います。

しかし味覚とはおそろしい。ハタハタも年配の方はこの時期になると腹いっぱい食べたくなるそうです。私も今はあまり魚を食べませんが、どうも小さいころ食べた魚の味と違うからのようです。スーパーで魚を買って食べてみても「う〜ん。なんか違う」と思ってしまうのでした。しかし釧路のたらこは「こどもの頃食べた味」でしたし、先週青森で買ったなめたがれいも「なつかしい」味でした。しゃけは頭が痛くなるぐらいの塩引きでなくっちゃ。なるほど、北の魚を買えばいいんです。ちなみに夫は、やはり魚なら西(?)の魚が好きなようです。

(2003.12.22)


やっと「はやて」に乗れました。去年の予定は息子がかぜをひいてキャンセルしたのでした。「はやて一周年記念パス」を使った今回の経路は

1日目 はやて→つがる 青森泊
2日目 白鳥→(函館朝市)ドラエモン海底列車→白鳥 青森泊
3日目 (青森駅前市場)かもしか→秋田内陸縦貫鉄道→こまち

青森駅も函館駅も駅舎が変わってしまい、駅前の市場も移転したりして方向がわからなくなってしまいました。函館の朝市ラーメンは今回の目的の一つだったのでがっかりです。ほとんど丼物に変わってました。最後の訪問から何年も経っているのですからしょうがないといえばしょうがないのですが、何で今年なのという感じです。新幹線の延長を見込んでのことなのでしょうか。 どうも今回は「いつまでも変わらない」を期待して旅行したようです。よっぽど変化に疲れているのでしょう。

ローカル線に乗るのに、旅行雑誌では「のんびり、気が向いたら途中下車してもいいし」などと表現してありますが、とんでもない。下手をすると次の電車まで3時間、当日中に目的地まで行けないおそれもあります。一人旅ならなんとかなるかとも思いますけれど、子連れでは冒険する気になれません。いつもは座席も指定を取っていくのですが、今回は指定は4列車までなので、自由席をずいぶん使いました。連休じゃないせいか座れました。やはり北東北は活気が無くなっているのかもしれません。

2日目の夜、乗っていた「白鳥」の隣に「トワイライトエクスプレス」が停まりました。豪華〜。う〜ん、やはり乗りたい。とりあえず春のスキーに「カシオペア」で行くことを計画中。席が取れるか?取れなくても、最近のスキーツアーは空いているのでどっかにもぐりこめるでしょう。スキーはお金がかかるスポーツです。ブームの頃は独身かDINKSばかりだったのに、最近は家族連れと外国(アジア)のお客さんがほとんどです。ゲレンデも芋を洗うごとくだったのに、今は余裕です。ああ、プールじゃないんだから芋を洗うとは言わないか。

(2003.12.13)


何年かぶりに総合病院に行きました。新患受付で待ち、検査受付で待ち、診察のために待ち、会計でも待ち午前中でへとへとになってしまいました。私は検査のためだったので体はしんどくありませんでしたが、つくづく病人やるのも体力が要ると思ってしまったことでした。病気だったら、このあと薬局へ行くのでさらに疲れます。

おとといは読むべき本もなく仕事もなく、子どもはよその家に遊びに行ってしまい心底ヒマな一日でした。普段はついついツンドク雑誌などを読んだりしていたら、頭が普段と違う方向に回ったのか、行き詰まっていたことに別な道が見えてきました。ずっと更新できないでいた「児童書紹介(ジェンダーについて)」のページも更新できそうです。忘れないうちに決意宣言でもしておこう。

今までアイディアを実現するのに、小さなものでもネタを仕込んでから3年かかっています。へたをすると10年です。変化を望むにも、タネを蒔いてから3年待つことにしてみます。

(2003.11.3)


私にとって、畑仕事向きの季節は終わりました。これからは雑草がはびこらないのをいいことに、寒さに負けて足が遠のきます。なんだか、ついつい畑行きを次の日送りにしてしまうんですよねぇ。仕事の無い平日は株価が気になり、週末に予定が入るとその週はパスになってしまいます。 今年は、遅くまいた西瓜もなったし、品種を変えたのが良かったのか(桃太郎はどうもいけません)トマトは豊作だったし、とうもろこしはダンボール何個分もとれちゃったし、楽しませていただきました。

株価と言えば、どうして儲からないのかわかりました。

買う→ 価格が下がる→ ハラハラする→ 価格が戻る→ ホッとして「今のうちに売ってしまえ」と思う→ 結局手数料分ぐらい上がったところで売ってしまう→ 価格が上がる→ 悔しいのでまた買い戻す→ 買う(最初に戻る)

を繰り返しているのでした。結果的には上っているのですから、もうちょっと自信をもって待つようにしてみましょう。人からは時々言われていたけれど、結構短気な性格だったか?

(2003.10.17)


以前くやしまぎれに埋めたクリの木に実がついていました。ももクリ3年というけれどほんとうだぁ。ちょうど8年前(息子が生まれた年)に種を植えたカキもあるのですが、こちらは実がなる気配がありません。一度植え替えをしているので、来年で8年ということでしょうか?来年もならないときは、一本では実のならないカキなのかもしれません。ちょんぎってしまおうか。

と、言っておくとキウイのように突然実をつけだすかもしれません。このキウイもタネから苗を育てたものです。ほとんど手入れをしないのに、けなげな果物たちだ。

今年は暇があるし気候はいいしで畑仕事はまだ続いています。オクラやモロヘイヤ、ツルムラサキがなかなか育たないのは悲しいけれど、雑草はまだ勢いが弱いのでらくちんです。ユリやグラジオラスも無くなったと思っていたのに、私が暑さに負けている間にも毎年咲いていたらしいです。知らぬは親ばかりなり。

(2003.7.23)


このところ「表現する」ということについて考えています。最近の若者は、自分を表現することが下手だとか、うまく自分が表現できない葛藤で犯罪を犯すなどと言われています。 確かに最近の「ビミョー」や、ちょっとまえの「べつに」「かわいい」を聞いていると、細かいことを説明するのが面倒なんだろうなと感じます。

でも、確かに自分を表現する手段を持っている人ってそんなにいるんでしょうか?言葉で説明しにくいことの方が多いと思うのだけど。私にしても「やっと表現の手段を手に入れた」と思ったのはホームページを開いたことと、いくつかイベントを企画するようになってからです。自分の子供を表現の手段にしてはいけないことになっています。自分自身の人生を作品にするのはかまいません。

「表現する」には良い悪いや勝ち負けがありません。うまく表現できたか、そうでないかがあるだけです。うまくできなかったら、どこがうまくなかったのか反省してまた表現すればいいことです。他人の評価は必要ありません。確かに伝わったのか受け手の反応を見るのは有意義なことですが、それは評価とは違います。

「表現する」手段は写真や絵や歌や文章や、ひとそれぞれです。太極拳の先生は「決まった型の中でどう表現するか」というふうにおっしゃいます。プログラムを作ることで表現すると書いてあるのも読みました。私もプログラムを作りますが、私にとってはプログラムを作ることは「表現する」ことではありません。そのプログラムを含むシステム全体だとか、どんなプログラムを作るのか設計するまでは「表現する」ものでも、プログラムを作ること自体は作業です。代わりに人にやってもらっても気になりません。図書館の仕事でいうと、選書すること、レファレンスをすること、館内のレイアウトをすることは「表現する」ことだと思います。実際図書館で仕事をしている人はどう感じるのでしょうか。

(2003.6.30)


本の山はやっと無くなりましたが、今度は畑が呼ぶようになりました。種まきにはちょっと遅かったような気がしますが、しかたありません。 毎年「今年は畑仕事がんばるぞ」と思うのですが、夏の雑草に負けてしまいます。さあ、今年はどうか? ミニ池をつくろうと目論んでいるのですが、穴を掘るのが億劫で手をつけていません。

なんだか次はミシンに呼ばれる気がします。

(2003.5.31)


4月から仕事が半分に減り、プチリタイアの気分を味わいました。 定年とはこんな気持ちでしょうか。2週間ほど時間をもてあましてぼ〜っとした日々を過ごしました。嫌いなこと(たとえば掃除なんか)は時間があってもやらないんだなぁ、などと変な発見をしたりします。定年後は庭の手入れや家の手入れをしてくらせばいいと思うのは間違いです。いくら時間があっても、やりたくないことはやらないのですから。寿命は延びるし、ほんとなにして暮らしましょう。しかもお金をかけないですむことでないと。

さて、ぼ〜っとした2週間の後、今度は図書館や公民館の本たちが「読んで読んで」と迫ってくるようになり、手元に本の山ができてしまいました。今日も「予約していただいた本が用意できました」と図書館から電話がありました。もう、私のカードは制限いっぱいなのに・・・。

(2003.4.25)


今年もトマムに行ってきました。トマム

雪はもう溶けかかり、いかにも雪解けという感じの小川がのぞいていて、夏に来てもいいかもという風情がありました。エゾサンショウウオがいたりするそうです。昨年は気付きませんでした。

滞在中、毎日雪が降って凍ったゲレンデに薄い粉雪の層ができ、転ぶと痛そうでした。 北国育ちではあるけれど、スキーは怖い痛い冷たいで、いい思い出がありません。雪の上は歩くもんであって滑るもんじゃな〜い。 ということで、私はスキーをしないので、部屋の中から「雪が降っているのに、みんなよく滑るよなぁ」などと感心しながら、本を読んだり筋トレ(腰痛予防の)をしたり昼寝をしたり、別に北海道に行かなくてもいいじゃんというような生活をしていました。

雪で滑るのは嫌いでも、雪景色と雪の上の散歩は好きなので、来年はスノーシュー(実はしゃれたかんじき)のツアーに参加しようか。でも、悪天候はなんにしろ勘弁して欲しい。

(2003.4.2)


自己紹介にある通り、私は2箇所から給料をいただいているので、確定申告をする必要があります。 (”義務”ではなく、”必要”なのだと思います)申告すると、余分に源泉徴収された分は償還されます。 今年は、夫の分の確定申告もしました。なんせ、法的ないろいろを勉強するのですから、税金の勉強もしなければいけません。
自分の申告はもう、3回目ですが、夫のは初めてなので調べるのにたっぷり1ヶ月はかかりました。正直、疲れました。国民の義務とはいっても、こんなにわかりにくいのはいかがなものでしょう。
もう、申告の期間は過ぎてしまいますが、来年のために調べたことをまとめておきます。あくまでも自分のケースで、他の方の参考にはならないかもしれませんが、夫がサラリーマン、妻がパートというのはよくあるパターンですので、興味がある方はこちらをどうぞ。

(2003.3.13)


年末の紅白以来、中島みゆきの歌う「地上の星」が大人気だそうですね。私もご多分にもれずプロジェクトXは好きです。 この歌はサラリーマンの応援歌みたいで元気がでるそうなのです。

応援歌といえば、落ち込むとついつい口に出てしまう歌があります。

もし自信を無くしてくじけそうになったら、いいことだけ、いいことだけ思い出せ。
・・・

何の歌だかおわかりでしょうか?

中学、高校、大学とアニメソングで育ちましたが、このごろはいまいち、ついていけません。アニメソングも人気アーティストのおしゃれな曲やきれいな曲はたくさんあるけれど、元気が出る曲はなかなかないようです。今のお気にいりは、「あたしンち」のエンディングと「こち亀」のエンディングだったりします。

(2003.1.27)


いろいろ思うことの多い年末でした。

本当に久しぶりに領収書類の整理をしていて、私の「基礎年金番号」というのがわからないことに気が付いたのが発端です。結局のところいわゆる「第3号被保険者」届出書を出していないということがわかり、老後のことは自分で考えねばという心境に達しました。(詳しくは、ただいま勉強中「年金について」)株式の税も変わるし、他にもずっと後回しにしている課題もあるし、今年は法的ないろいろを勉強することにしました。

秋口からずっと体調が思わしくないのは、体の変わり目でいろいろなバランスが崩れているのだろうと感じます。きっと、生活を変える時期がきているのでしょう。しばらく仕事を控えて、主婦らしく節約術などみがいてみますか。

毎年の決まりごとはおろそかにしてはいけません。年賀状も大掃除も、ひな祭りも端午の節句もあなどるなかれ。奥の方からいいものが出てくるかもしれないし。悪いものはさっさと見つけて処分すればいいし。

とかなんとかいいながら、次の連休は「はやて」に乗りに行きます。グリーン車に席を取りました。大雪にあいませんように・・・。

(2003.1.6)


太極拳を始めました。いやー、これが効くんです。
何に効くって、とにかくおなかがすきます。先生は「思った以上に運動量があるから」と おっしゃいましたが、運動量よりも、消化器系が活性化される気がします。
例えば、1時間バトミントンをするほうが、1時間太極拳を練習するより汗をかきますが、 胃が縮んでしばらくは食欲がわきません。

小学校の蔵書データの入力の手伝いも始めました。これもはまります。
「手先を動かす」「あまり頭は使わないが、雑念が入らない程度に集中が必要」で、 写経でもしている気分です。(不謹慎か?) どうしてこう、お金にならない仕事が楽しいんでしょう。 「ミスしてもとりかえしがつく」「都合のいいとき、都合のいい時間だけやればよい」 「進んだ量が目にみえる」というようなことでしょうか。

(2002.12.31)


JALの機関誌”Agora”10月号で、おもしろいエッセイ(林えり子)を見つけました。 室町時代以来、武士は武芸十八般の他に、書道、茶道、和歌、謡、舞、鼓、包丁(料理)、経師の 八法のたしなみを問われたそうです。いい男は料理もできなきゃというのも愉快ですが、経師、 つまり障子張りふすま張りも男のたしなみというのはちっとも知りませんでした。
時代劇好きの私、浪人者がどうして「内職で傘張り」なのかと常づね不思議に思っていましたが、 たしなみを生かした内職だったのですねぇ。

ところで、こんなちょっとしたことHPに載せて何の役に立つんだ?しょうもないよなぁと思っていましたが、 メモ代わりに書いてサーバーに置いておけば、なにかの時に検索も簡単だし、この前みたいに ハードディスクが死んでしまっても安心です。

(2002.11.4)


隣の市では図書館の仕事をNPO法人に請け負わせることになりました。 そのためのNPO法人は新しくつくるもので、NPOの職員も募集するそうです。 ということはどういうことかというと、公務員試験に落ちまくり、公共図書館の 採用の問い合わせには「女性の採用は予定していません」という返事ばかりだった 私にも採用のチャンスができるということです。
夫と娘には「応募してみれば?」と言われましたが、でもやはり応募はしないでしょう。 以前、友人から「 あなたは物を作るのが好きだよね」と言われたことがありました。 その時は「私は料理も手芸も好きじゃないし、そんなことはない」と思っていましたが、 その後、人にサービスをして喜んでもらうより、サービスがしやすい便利な道具や、システムを 考えるほうが好きなのだということに気がつきました。 自分のことは自分が一番わかっていると言いますが、第3者のほうがよく見ていると いうこともあるものだと、感心したことでした。

ということで、変化の時が近づいているのかなという予感がするこの頃です。

(2002.10.14)


夏が暑かったせいか、働かせすぎたせいか、PCのハードディスクが読み込み不能になってしまい、修理に出しました。 インターネットができなくてさぞや不便かと思いきや、意外とほっとしていたりしました。
自分にも他人にも「故障を」理由にぐーたらできます。

案外早く修理は終わりましたが、その間たまっていたメールはほとんどダイレクトメールばっかり。 なんだかがっかりです。故障したのが、仕事がたてこんでいた8月中でなくてラッキーだったものの、 今はよっぽど仕事がないんだなぁとちょっと複雑です。

(2002.9.25)


早生まれの私は、役所の扱いでは、実年齢より先に大台にのってしまいました。
心の準備ができていない分、複雑な気分です。

大台の私も、中学の同窓会では盛り上がりました。
無口だった男の子が、すっかりおしゃべりになっていたり、職場が変わっていたり、いくつになっても、転機はあるものだと思ったことでした。
当時、男の子とはほとんどしゃべったことがなかったので、昔の話をしていても「えー、そうだったの」と新鮮です。
この土地には3年も住んでいなくて、卒業後つきあいのある友人もほとんどいないのですが、今回は掲示板にちょくちょく顔を出していたので、話題に困りませんでした。
インターネットさまさまです。

(2002.9.4)


なんだか、あっという間に夏になってしまいました。
大人になると、どうしてこんなに1日が早いのでしょう。

来月は8年ぶりに中学の同窓会です。前回から8年なんて、とても信じられないのだけれど・・・。
娘が中学生だということもあり、このところ、自分の中学生時代を思い出しています。
遊ぶ場所なんてなかったけれど、なーんか時間だけはたくさんあったよなぁと思います。

中学生の頃は試験前を除けば「家では勉強しない」主義だったので、教科書は学校に置いたまま、
宿題は休み時間や放課後、部活の始まる前に終わらせていました。
短時間で宿題をするには、それなりに集中力が必要で、はたから見るとすごい形相だったようです。
先生に「3年生で受験なのは分かるが、あんまり根を詰めるな」と言われたことがあります。
後にも先にも、先生に「勉強するな」と言われたのはこの時だけです。
のんびりした土地柄でした。

(2002.7.26)


昨日、知人からウイルス感染を知らせるメールが届きました。
実はこれ、デマメールで、そんなこととは知らずに「ウイルスに感染した」と落ち込み、 あちこちにお知らせメールを出した後、それがデマだったというので、 自分の不甲斐なさにさらに落ち込んでしまいました。

昨日といえば、息子の両頬が腫れ、両手両足にブツブツができました。 娘がかかった症状を総動員して、あれこれ予想した結果、 「おたふくかぜ」と思い、病院に連れていったのですが、実はほっぺは虫刺されの過敏反応でした。 手足は「手足口病」です。口に発疹出ていないと思っていたのですが、 のどの奥に水泡が・・・。
私も娘も「おたふくかぜ」にかかっていないので、「移ったら大変だぁ」とオタオタし、 息子に1週間も学校を休まれたら、「仕事の調整が大変だ」とビクつきました。

まったく、ウイルスに躍らされた一日でした。

(2002.6.9)


春がとっても早い話し、第2弾。
4/13に畑に行ったら、もう赤くなったイチゴがありました。例年なら、 ゴールデンウイークあたりにならないと食べられないのに。
ついでに、アルプス乙女(りんご)の花も咲いちゃってまいした。 うーん。どうなっているんだ。

(2002.4.22)


今年はあちこちで言われているように、春がとっても早いです。
我が家はスキーは春しかしないのですが、今年は北海道でさえ、もうシャーベット状でした。
もしこれが地球温暖化の影響であり、来年もこんな調子なら春スキーをするのにどこまで行けばいいのでしょう?
せっかくですから、今回行ったところのアイヌ語地名の意味を載せようと思いましたが、
諸説いろいろで、もうしばらくかかりそうです。
できたら、
アイヌ文化を学ぶ会(アイヌ語)に載せるのでチェックしてみてください。

息子の通っている歯医者さんで、ストレスに関する記事を読みました。「余裕は作るもの」だそうです。
それはわかるのだけれど、どうやって作ったらいいのかがわかりません。
私の場合、「仕事をいくつかあきらめる」かなぁ。

現代の疲労は昔と違って、体を休めれば取れるものではないそうです。
肉体疲労でも、特定部分だけ疲労するなど疲れ方が変わってきているとか。
精神的な疲労も含め、体を休めるより適度に運動した方がいいそうです。
私としては、勝ち負けのあるものや、筋肉を激しく使もの、相手が必要な運動は避けたいのですが、何がいいでしょう?(そんなの無いか)
サイクリングは好きです。ウォーキングは切れ切れながら続けています。
呼吸法を勉強したいと思いますが、指導してくれる人が必要と思います。

(2002.4.6)


年末年始ビッシリ寝こんでしまいました。
2種類の風邪に次々襲われ、体力が落ちていたところに海鮮物でジンマシンが出て、仕上げは腰痛で起きあがれず。20代からの病気を、1週間で一気に再体験したようなありさまでした。

今年は「余裕を持つ」べく、惰性で続けていた華道に通うのをやめることにしました。
状況が変わったら、また、再開するかもしれません。

一番の金食い虫の趣味が旅行だと書きましたが、ほんとの一番は<株>でした。
株の売買を「お仕事」と言いたいところですが、理屈も仕組みも勉強せず
「宝くじ買うより当たるじゃん」などと言っているようでは、ほとんどギャンブルです。
昨年は含み損が膨らみ、海外旅行が2回できたかなぐらいになってしまいました。
先日、夫に「賭け事したいんだけど、○万円捨ててもいい?」と聞いたらあきれられ、「来年、トワイライトエクスプレスに乗ろうね」と言ったら、「株が上がったらね」とかわされてしまいました。
クスン、一生乗れないかも。

なんだかんだ言ってもホントの勝負には出られず、主婦根性がにじみ出てしまう私。株取引って、性格出るんですねぇ。一応、証券会社との取引は15年経つのに、もうかりませんなぁ。
やっぱり、宝くじと同じだ。
(2002.1.21)


自己紹介を模様替えしました。
このごろ忙しくなって、そろそろ自分の行動を整理しなければと思うようになりました。出不精の私が、ほとんど毎日出かけているなんて、異常なことです。
以下は、自分が今何に興味を持っていて、どこに力をかけているのか、見失わないように文章化したものです。

お金をもらっているお仕事:
コンピュータの進歩に遅れないよう、PCを使った仕事をするようにしています。嫌でもやらなきゃいけないので、タメになります。

<理化学研究所( Gene Bank)> 「タンパク質の特性データ」のデータベース作成。主にデータ入力。他、それに付随するいろいろなこと。一番難しいのは、インド人の研究者とのコミュニケーション。始めて1週間ほど、「しゃべりたいのに声が出ない」という悪夢を毎晩見ました。最近は、ハラがたったら、とりあえず日本語でまくしたてればいいのじゃと思います。

<国立環境研究所(生物多様性・群集動態研究チーム)>ホームページの更新や実験データの入力など。新しいことを勉強し始めたので、知恵熱が出そうです。

お金をもらっていないけれど、お仕事と思っていること:
学生時代から変わらないテーマは、図書館でどんなふうにコンピュータを使えば、利用者の役にたつかということ、最近のテーマは、「分館を作ろう」です。一緒にやってくれる人がいると、やる気が出ます。ボランティアとはちょっと違う気がします。喜んでくれる人がいても、自分が楽しめなければ手を出しません。

<図書館にまつわること>自分が利用する図書館は、使いやすく、楽しいところであって欲しいです。そのために、市に対して要望書を出したり、図書館をPRするような企画をたてたりしています。国に補助金を出してもらって大学を卒業したのですから、私の持つ知識が役に立つなら、たとえお金にならないことでも続けるべきだと思っています。
「会議で自分の意見を通すには」って、ビジネス本にあったような気がしますが、ここらへんの能力をもうちょっと強化しなければ・・・。

<点字のお勉強 >今日、10回の講習が終了しました。点字ソフトに興味があります。今後、どんな形で続けるかは思案中です。

子どもの学校のPTAの仕事なども、この部類にはいります。どうせなら、興味のある委員を選びたいものです。

趣味でしていること:
何のみかえりも無いどころか、お金を払ってもいいと思うことです。

<華道>15年前は草月流、今は池坊と節操がありません。ほとんど、惰性で続けています。
<読書>児童書とマンガしか読みません。息をするのと同じくらいあたりまえのことなので、読めない状況になると苦しくなってしまいます。
<アイヌ文化のお勉強>物心ついた時から社会科は苦手の私。「アイヌ民族の歴史など調べるのは、なかなか興味深いもんだ」なんて、想像もつかなかったです。
<イベントの企 画・実行 >子育ても仕事も「うまくできてあたりまえ」の世界だけれど、仕事でないのなら、思いきり突飛な計画も自由にできます。力試しができて一番楽しいのですが、せいぜい、1年に1つか2つしかできません。
<旅行 >何度行っても良いくらい好きなのは、北海道と小岩井農場。宮沢賢治ゆかりの場所。夜行列車。ローカル線の鈍行列車を乗り継ぐこと。これもやっぱり好きだけれど、1年に何回もできません。一番の金食い虫。
(2001.11.25)


某サイトからリンクの依頼があったのだけれど、 見てみたら、ページのタイトルが「毎度ありがとうございます」になっていた。
そういえば、私のホームページにはちゃんとしたタイトルがない。確かに、わけがわからないページである。 ただのいち主婦の個人名をつけるのもナンだし、内容でつけようと思えば脈絡のないことになってしまうし、 どうしようかなぁ。
いっそのこと、「もうかりまっか?」にでもしようか。
(2001.11.10)


このところ余裕がなくて、HPの更新をおろそかにしている。 季節はずれのひまわりアニメが悲しかった。
この夏は遊びまくって、本当に矢のように過ぎた。 お金に換算すると、私の年収(といっても、たかが知れているけれど)の 2年分を一夏で使ってしまったことになる。 さすがに遊び疲れて、さあこれから、まじめに仕事しようと思ったものだ。 この気分がいつまで続くやら。 ついつい考えてしまうのは、遊びの予定と、お金にならない仕事(いわゆるボランティア)の 予定ばかりだ。
小岩井農場にもしばらく行っていないし、秋はどこへ行っても食べ物がおいしいしねぇ。 猛暑の後の冷え込みで、今年は紅葉がきれいだろうなぁ。
(2001.10.6)


家の畑はおもしろい。アセロラの苗を植えたはずなのにミカンみたいなものが成った。 どうも、アセロラは枯れて台木だけ残ってしまったようだ。 「食べられるミカンか?」とワクワクしていたら、からたちの実で食べられないということがわかってしまった。
チッ。
栗の木が4、5メートルにもなって、昨年初めて栗がなった。 それなのに、忙しくて畑をほったらかしにしているうちに、みな落ちて虫の餌食になってしまっていた。 今年もたくさん花が咲いてホクホクしていたら、根本で二股に分かれたうちの太い方がポッキリ折れてしまった。 どうも、虫のせいらしい。
チッ。
でも、去年悔し紛れに土に埋めておいた栗から、新しい芽がでていた。
本当に人生あざなえる縄の如しである。
(2001.6.24)


「それだけはするまい」と思っていたのに、PCをかついで帰省するはめになりました。 親は仕事のために、子供は雑誌の付録でついてきたゲームがしたいために。
私の田舎には歩いて行ける範囲に、遊ぶところがありません。車を運転しない私にとっても、 日用品さえ入手困難なところです。田舎の子ほど、テレビゲームをしている時間が長いという 統計がありました。まったくのところ、遊ぶ相手がいないのでは、さもありなんです。
自然と遊ぶにも、本当に小さい頃から先輩(親なり、近所の年上の子なり)から、教えを受ける 必要があります。我が家の子供のように、草の上はチクチクして嫌だの言うようではお話になりません。 25年前のガキ大将としては、悲しいことです。
(2001.3.28)


このごろやることなすことうまくいかず、何をしても楽しくありません。
いくら誰かのようになりたくても、私は私のペースで、私のやりかたで進むしかないのでしょう。
あなたの「売り」は何ですか?
私のセールスポイントは素人の発想と、目標を定めたら行きつくまで滅多なことではあきらめないこと...かな。
今は目標を定められないでいます。力の無さを感じるばかりです。
(2000.12)


さるHP管理の仕事をお払い箱になった。
他に適当な人が見つかったから、ということである。
自分なりに頑張ったつもりだったが、残念だ。
本心を言えばとてもくやしい。
思えば、女だから、小さい子がいるからといった、自分の能力とは関係の無い、いろいろな理由で就職を断られたことは何度もあった。
しかし、仕事はあるのにお払い箱というのは初体験である。
自分の能力を全て否定された気がして、とても辛い。
リストラにあったお父さん達は、家族と生活を背負ってもっと辛いのだろうか。

(2000.7)


しれとこ
100平方メートル運動の森・トラスト
我が家、そろいもそろっては北海道好き。
新婚旅行も北海道。10周年にも北海道。
で、知床の「100平方メートル運動」に寄付をした。
どこかに名前入りの看板があるはず。
(1999.6)

サボテンが4つも花をつけた。
このサボテンもう15年以上のつきあい。夫よりも古いつきあいだ。
(1999.6)

引っ越してしまった娘の友達が遊びに来た。
背が高くなっていてビックリ。
(1999.4)

おすすめスポット
小岩井農場から見る岩手山は美しい。
雪が降った後の小岩井農場が一番好き。
農場内のSLホテルに泊まって、月明かりの雪景色を見てみて欲しいなぁ。
(1999.2)

またまた行ってしまいました。小岩井農場。
一日3回か4回の、農場内案内バスはおすすめです。
普段は入れない林の中なんかを通ってくれます。
(1999.8)

デジカメ買った。
きれいに撮るのは難しい。
(1998.5)
畑のいちごが赤くなった。
人間が見付けるまえにありんこが食べてしまう。
(1998.5)