1998年3月29日(2日目)
(バンコク→シェムリアップ→アンコール・トム→アンコール・ワット→ホテル)


 今日は、いよいよアンコール・ワット遺跡へ出発である。朝8:00のシェムリアップ(カンボジア、アンコール・ワット近くの町)行きの飛行機に乗るために、起床は5:00であった(前日、TVを見るくらいしかやることもなかったので、早く寝たので問題はなかった)。5:30に朝食をとりにホテル1Fのコーヒーショップ(? そう書いてあった)に向かう、急いで食べて出てくるとすでにガイドさんは来ていて(素直に仕事とはいえガイドさんも大変だなと思った)、軽く挨拶をして部屋に戻り身支度をしチェックアウト、結局ホテルから出たのが5:50頃であった(ホント慌ただしかった)。実は前日の打ち合わせの時、最初5:30に出発をすると言われたのだが、この日は日曜日なので6:00出発でも大丈夫ということになり、この時間設定になったのである。この時、頭をよぎったのは「こんな朝早くからレストランは開いているのか」ということの一点であった(朝食は大事である)。「大丈夫、大丈夫、ホテルのレストランは早いから」というガイドさんの言葉を信じていて、後でなにげなくオープンの時間を見てみると「AM5:30」と あった。今日が日曜日でなかったら「私の朝食はどうなっていたのだろう」と、ほんのちょっとだけ考えてしまった。

 少しの渋滞はあったものの無事空港に着き、チケットを受け取り、空港税250バーツ(1バーツは約3.3円)を払い、出国手続きを済ませると6:40ぐらいになっていた。搭乗アナウンスが7:30となっていたので、免税店など見ながら(見ただけ)ぶらぶらして7:10ぐらいに搭乗ゲートの待合室の方へ移動することにした。この時間帯の空港はとっても空いていたのだが、それでも搭乗待合室(6〜7カ所のゲートを共有した待合室)に着いてみるとこれがビックリ、電気は半分消えているし、待っている人は2人しかいなかった。かろうじて、「Siem Reap 行きPB930 8:00」と表示されていたので、とりあえず安心して待つことができたのだが(ここは日本じゃないしと思ったりして自分を納得させていた)。

 ほどなくお客さんも増えてきて7:30になった(搭乗手続き開始の時間である)が、ゲートは閉じられたままで係りの人が来る気配すらない(そのうち始まるだろうと「ボー」として座っていた)。7:40になり、数人が落ち着かない様子でうろうろし始め(さすがに、みんな心配になるよなと思ったりした)、ちょっとして7:45分ぐらいになって、ようやく係員が登場、手続きが始まった(ホッと一息)。ゲートを出てみるとそこに待っていたのは、バスではなくてちょっと大きめの普通のワゴン車であった(?)。乗り込むと、しばらくして係員が人数をチェックしにきて8人であった。ワゴン車が動き始め飛行機へと向かった。その時悟ったのである、待っていた人の大部分は同じ待合室にあったホンコン行き(8:35)の飛行機を待っていた人たちであったことを...結局シェムリアップ行きに乗ったのは8人で、日本人らしき人は自分以外に2人であった(飛行機は4人×17列だったので、ゆっくり乗ることができて良かった、もちろんプロペラ機である)。

 飛行機は、時間帯から考えられる通り朝食(しっかり食べた)がでて、カンボジアへの出入国カード、ビザ申請カード、税関申告書を記入すると程なく着いた(バンコクから1時間ぐらい)。日本とタイの時差は2時間で、タイとカンボジアの時差はなく、従ってカンボジアの時間は日本の時間の2時間遅れということになる。シェムリアップ空港は畑の真ん中にあり、ホント周囲には畑以外何もなかった。あっという間に手続きを済ませ(ビザは日本で取っていたし、なにしろ8人しかいないのだから当然早い)、外に出ると日本人のガイドさん(加藤さん)と地元のガイドさんが待っていた(運転手を含めると3人)。「早いですね、出国にもう少し時間が掛かると思った」と言われたので、8人しか乗っていなかったことを話すと、さすがに驚いていて「普通は満席に近い、今日から午前と午後の1日2便に増発されたのが原因かな」と言っていた(とにかく空いていて良かった、この段階ではバンコクエアラインは良かった)。

 車(とっても大きなワゴン車)に乗り今日の予定を聞くと「ホテルのチェックインを先にするか、このまま遺跡観光に向かうか」聞かれたので、別に疲れてもいないので「遺跡を見に行きましょう(これが目的だから当然)」と答えた。そして、午前中はアンコール・トムに行き、午後からアンコール・ワットを見学することになった。これは、アンコール遺跡群の中でアンコール・ワットだけ西向き(後の遺跡は東向き)につくられており、午前中に行くと陰になるので午後からの方が観光には適しているとのことであった。車は今日泊まるホテル(ノコール・コック・トロック・ホテル)の前を通り過ぎ、シェムリアップの町へと向かう。ホテルからシェムリアップの町の中心地まで約4kmほどで、そこで車は左に曲がりしばし走るとアンコール遺跡群の料金所が右手に見えてきた。入場料はガイドブックによる(自分で買ったわけではないので)と1日20ドルである。これはカンボジアの一般的な公務員の1月分の給料が20〜30ドルであることを考えるとかなり高額であるので、おそらく外国人観光客専用ではないかと思える(個人的な考えなので事実かどうかわ からないけど)。もうひとつの理由として、この料金所にはゲートはないのである、つまり一般道路の右側に簡単に車線が区切ってあってそこに料金所があるのである(一般道路はそのまま通れるので、外国人観光客を乗せた車やバイクタクシーなどが寄っているだけだと思うし、実際そうであろう)。

 この旅行中に感じたことであるが、道路は基本的にまっすぐで、くねくねとしたカーブなどはほとんどないのである。これはいかにも遺跡のための道路であると感じた。また空港からシェムリアップへ向かう道路の両側にある民家は、ちょっと奥に引っ込んだ状態で建てられている。これはフランスの植民地時代の名残で、いつでも必要になったら道路を広げることができるようにとの配慮からだそうである(ガイドさんが言っていた)。道路と民家の間にはお堀のような窪地があり、そこには雨期には水が溜まり、どこからともなく魚が集まって家の前で投網がうてるそうである(何とも不思議な話である)。ちなみに雨期といっても、1日に1回スコールがあるだけだそうで日本の梅雨とは違うらしい(ただこのスコールは半端な雨ではなく、ものすごいと言っていた)。

 料金所を過ぎしばらく車が走ると、正面にアンコール・ワット(南側)が見えてきた。近づくと、アンコール・ワットを囲むお堀の広さに圧倒され、思わず車の中から見入ってしまった。お堀ぞいに時計回りに車が走りアンコール・ワットの正面(西側)の門の前を通り過ぎ、アンコール・トムへと向かう(確かに、正面から見ると陰で暗かった)。このとき、水浴びをしている3匹のゾウの姿が目に入ってきて、意味もなく感動してしまった(ガイドさんの話だと珍しい光景だとのことで、何か得した気分になった)。

 アンコール・ワットのお堀から離れ、森の中の道をまっすぐ進むと正面にアンコール・トムへの入り口南大門が見えてきた。南大門への参道の入り口で車から降り、そこでしばし南大門を見ながら説明を受ける。ガイドブックなどの写真では見たことがあったが、実際に目のあたりにするとその大きさ・見事さ・そして何と言っても初めて目のあたりにする観世音菩薩の四面仏には驚きを感じた。また、欄干に飾られた神々の像が何とも言えない雰囲気を醸し出していた。中には修復されたものも多くあるが、これだけ残っているのはこの南門だけで、他の門に飾られている神々の像は首から上の部分が落とされているなど、とても可哀想な状態である。また、この南大門に限らず、すべてのアンコール遺跡に共通している点で、屋根の部分がせり出し工法(石を少しずつずらして形作っている)で造られているのである。南大門をゆっくり歩いて通り(大型バスが通れるほど広い)反対側から見てみると、これがまた立派な彫刻がされていた(かなり痛んでいるものの3匹のゾウの彫刻は見事 なものである)。ここで、再び車に乗りバイヨンへと向かう。

 再び森を抜けバイヨンにたどり着く、バイヨン寺院は何とも不思議な仏教寺院である。このバイヨンを建造したジャヤヴァルマン七世は熱心な仏教徒(大乗仏教)であり、本来であれば本格的な仏教寺院を建造しそうなものであるが、当時はアンコールワット(ヒンドゥー教寺院)をはじめヒンドゥー教徒が多かったらしく、バイヨン寺院の至る所にヒンドゥー教の神々のレリーフが彫られている。まるで仏教とヒンドゥー教の融合を計るかのように造られているのが、何とも不思議な感じを受けた。実際は、後世に再びヒンドゥー教の時代になったときに、仏教の仏様のレリーフが破壊されてしまったらしく、そのほとんどが現存していない。ただ、崩れたときに自然に隠れた部分にあった仏様のレリーフが発見され(写真は撮ってきたが今回は載せていない)、仏教寺院であることが確認されたらしい(ガイドさんの話)。バイヨンには特殊な王の宇宙観があるのだが、ここらへんはガイドブックを見てもらいたい(書くと長くなるし、ガイドブックを写すしかないので...)。

 このバイヨンの第一回廊(一辺が約150m)にあるレリーフは、言葉では表すことのできないくらい素晴らしいものであった。カンボジア軍がチャンパ軍との戦いのための行軍の様子(耳の長いクメール人耳は短く髭を生やした中国系の人々、それに続く一般庶民)や海戦の様子などそれはそれは見応えのあるものであり、なにより当時の生活の様子(出産シーン闘鶏シーン、他にもいっぱい面白いレリーフがあった)が描かれているのには驚きとともにホントに感動してしまった。このレリーフを見ながらガイドさんからの説明を受けると、ただ見ているより感慨深いものになったのは言うまでもない(なにしろ1対1で説明を受けているのだから)。第二回廊には、後世持ち込まれた仏様の仏像が置いて祭られていたが、かなり多くの仏像が破壊さ れていた(悲しい過去というより歴史の1ページである)。最後に最上部にたどり着き、そこで記念撮影(数少ない自分の入った写真を撮ってもらった)。近くに添乗員付きの日本のツアーの団体(10数人)も見学していたが、こちらが隠れていた仏様のレリーフの説明を受けていたとき、なにげに一緒に聞いている人がいた(まっ、いいかと思ったけど...何か変)。竹の子(というより筑紫かな)が生えているかのように数多くある観世音菩薩の四面仏をもった塔には驚くと言うより、何とも言えない不思議な感じを受けた。とにかく、この迷路のような回廊を持ったバイヨン寺院、ただただ凄いとしかいいようがなかった。

 バイヨン寺院を出ると、おみやげ用の民芸品や絵はがき、シルクや綿でできたクロマー(スカーフみたいなもの)、そしてクーラーボックスを抱えた子供たちが寄ってきた。先のこともあるので、ここでは飲み物だけ買うことにした(とにかく暑いので、水分の補給はこまめにしないといけない)。値段的には日本人の感覚ではあまり高くはない(安い)のだが、現地の物価から考えると、ちょっと高いかな(多少のボランティア精神を持っていたほうが気持ち的には和む)。この先、遺跡のあるところには、必ず子供たちの姿を見かけることになる。ガイドさんの話だと、ここ数年このようなおみやげ物を売る子供たちの姿が、急に多くなってきたということである(ちょっと考えると、一人あたりのひと月の売り上げが軽く100ドルは越えていそうなので、公務員の給与から考えて、とってもいい商売ではないかと思える)。ただ以前は半日は学校に行っていたらしいのだが、最近はぜんぜん学校に行かない子供たちが増えてきているそうである。ちなみにカンボジアの学校(小学校)は、午前と午後の2部制(施設と教員の数の問題らしい、最近学校のハード面はどんどん建っているらしいが )で、午前中は朝の7時から始まるそうである(カンボジアの朝は早い、昼間は40゜C近くなるので暑くて仕事や勉強にならないのであろう)。

 王宮前広場を横目で見ながら、象のテラスへと向かった。象のテラスには、その名の通り象やガルーダのレリーフが刻まれていて、とても見事であった。象のテラスを歩いていると左手に修復中のバプーオン(11世紀中頃、ウダヤディティヤヴァルマン一世によって建造された)が見えてきた。ここは入り口の前で「隠し子伝説」の話を聞くだけで、ライ王のテラスへと向かった(ちなみに、バブーオンとは隠し子という意味らしい)。ライ王のテラスは王宮からの正面にあり、きっと当時戦いに勝って勝利の門から凱旋してきた戦士たちを、王がここで出迎えたのであろう(テラスに立って、当時のことを想像すると、なんか感慨深いものがある)。テラスの上にはライ王の像(本物は博物館で、レプリカがある)があり、テラスの壁面にある数多くの女神像やナーガのレリーフも見事なものであった。そして王宮の方へと向かった。

 王宮自体は木造建築だったらしく、今では影も形も残っていない。プールのような大小の2つの池は男池・女池と呼ばれていて、当時王宮に使えていた者たちの沐浴場ではないかと考えられている。池を横目で見ながら歩いていくとピミアナカス寺院が見えてくる。ここは、王族が参加する特別な儀式(ピミアナカスの伝説「王と蛇の精の伝説」)のための寺院で、一般庶民は簡単には近づくことは出来なかったらしい。

 ピミアナカス寺院を見た後、再びライ王のテラス・象のテラスに戻り、王宮前広場を見ると王宮と向かい合う形で12個の塔(下の部分はつながっている)が見える。それがプラサット・スゥル・プラットである。またの名を「綱渡りの塔」とも言われていて、王や王宮前広場に集まった民衆たちの前で、綱渡りを見せたのではないかとも言われている(ホントかな?)。

 午前中の見学はこれで終了である。11時半を過ぎ、かなり気温も上がってきた(はっきり言って暑い)。冷房のきいている車内へと戻り、ホテルへ向かう。12時少し前にチェックインを済ませ、午後の予定の確認をすると、3時出発とのこと(12時〜3時ごろまでは暑くて見学には適さない)でそれまでゆっくりとすることにした(普通であれば外に遊びに出るのだが、何しろ暑いのと朝が早かったので少し疲れ気味だったので無理をせずゆっくりすることにした)。部屋に荷物を運んだ後、昼食を取りにレストランに向かう。またまたバイキングであった(この後、このレストランでの食事はすべてバイキングであったことを付け加えておく)。ボーイさんが飲み物の注文を受けに来たので、素直にビールにした(ビールはもちろん現地のアンコール・ビール)。部屋に戻り、ちょっとだけフィルムや荷物の片づけをしてから、ベットに寝ころびながらTVを見ていたら、そのまま寝ていた。気がつくとすでに2時半になっていて(1時間ちょっと寝ていた)、ボーとしながら「疲れているのかなそれともビールが効いたのかな」とも思ったりしていたが、顔を洗ったらシャキッとして きた。約束の時間の5分ぐらい前にロビーに行くと、すでにガイドさんは来ていた。午後の観光・アンコールワットへ出発である。

 朝と同じ道を通り(料金所には寄らなかったけど)、アンコールワットへと向かう、西門のやや手前で車から降り、少しお堀沿いを歩きながらアンコールワットを見る(正面でも降りられたのだが、少し歩いた方が風情があってよい)。堀で囲まれた南北1300m・東西1500mの敷地にあるアンコールワットは12世紀前半にスールヤヴァルマン二世によって建造されたヒンドゥー教寺院である。西門への参道は半分だけ修復されているが、欄干は壊れたままである。西門にたどり着くと、この西門自体にもデバダーなどのレリーフが施されていて、なかなか見事なものである。内部には後世になって持ち込まれた(?)仏像(記憶が定かでないけど)がある。

 西門から入り、アンコールワット寺院への参道を歩いていると、左右に経堂らしき建物が見えてくる。また参道には、内戦や地雷で負傷した人たち数人がカンパを集めていて、何か悲しい現実を目のあたりにした。参道を途中から左手に降りるとそこには聖池があり、そこからアンコールワット寺院を見ると、聖池に写った逆さ寺院も同時に見えてなかなか良かった。そして、池を回り込むように西側の第一回廊の左端に向かう(第一回廊のレリーフは、半時計回りに見て回るのが基本)。ここのレリーフは、カンボジアの人々にもっとも愛されている古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ物語」と「マハーバーラタ物語」が描かれている。実はこのラーマーヤナ物語の一場面を描いたレリーフは、とても多くの場所で見ることができ、昔からとてもカンボジアの人々に親しみを持たれていたことがわかる。次に南側の第一回廊に移動すると、そこには柵が設けられていて直接手を触れてはいけないようになっていた(なんでも2〜3 週間前に設けられたそうである)。確かに、レリーフの写真を見てもらえばわかるとおり、数え切れないくらい多くの人が触っているので、部分的にテカテカ光っている(写真は天国と地獄のレリーフ)ところがいっぱいある(しっかりしてそうで、実はかなり脆くなっているらしい)。アンコールワットのレリーフもバイヨンのレリーフと共に素晴らしいものであるので、何とか後世までしっかりと残したいものである(もっと知識を身に付けてから、もう一度見てみたい)。ここでは紹介できないくらい、多くの物語を表現したレリーフ(乳海攪拌)があるので、機会があれば実際に行って見てみるといいと思う。

 東南の角でしばし休憩(写真タイム)となった。西側に対して、すっかり裏側のこの東側は、何となく静かでひっそりした印象を受ける。東門への参道は、狭くホントに裏道と感じるくらい、西門からの参道とは大違いである。また、裏側といえば未だ未完成のレリーフや、下書きだけで終わっているレリーフも多い(人的資源にも限りがあるし、目立つところから取りかかるのも人間の心理かなと思ったりしながら見ていた)。

 そして東側から第二回廊を横切り中央塔の方に向かう。ここでいったん自由行動(といっても一人だけだけど)、階段を上るとそこが中央祠堂である(この階段がけっこう急で、上るときより降りるときが大変だった)。当然のごとく階段の下にも上にもおみやげ物を売る子供たちがいて、今回はそのうちの一人から頼まれていた絵はがきを買うことにした。いろいろ見ていて気に入ったのを2つ買ったら、ニコニコしながら突然手を引きながら祠堂の中を案内してくれた。そして、数あるデバダーのレリーフの中で、唯一ベロを出しているデバダー(写真ではわかりずらいけど)を教えてくれた(歯を見せているデバダーは、西門にある)。デバダーにはそれぞれモデルとなる女官がいたと言われていて、どれをとっても同じポーズ・同じ表情のものはないのである。

 中央祠堂の見学も終わり、西門の参道へと向かう途中、第一回廊と第二回廊の間に十字回廊があり、そこにある柱に有名な落書き(17世紀、森本右近太夫が書いた)がある(肉眼でなんとかわかる程度であった、何百年も前のものだから仕方ないけど)。そして参道に出ると、人だかりが出来ていた。よく見ると、綺麗なカンボジアの民族衣装を着ている人たちがいて、ガイドさんの話だと「フランスの団体観光客が申し込んだアプサラの踊りの準備をしているそうで、踊りまでにはもう少し時間がかかりそう」ということであった。参道の真ん中で行うので、当然ただ見は出来るのだが次の予定もあったので、写真だけ撮って行くことにした(少し残念)。ガイドさんは、踊り子の普段の態度(高慢らしい)に不満らしく、歩きながらけっこう批判的なことを言っていた。時間も5時をまわり、本日最後の目的地プノン・バケンへと向かう。

 ここは、アンコールワットとアンコールトムとの間にある小高い山の上にあるヒンドゥー教寺院(900年にヤシューバルマン一世が建てた)である。よくこんな所に作ったものだとちょっと思ったが、日本の戦国時代の山の上にある城のことを思い出して、日本でもあるなと思い直した。参道は当然のように、急な階段状の上り坂である(坂の緩い回り道もあるが、当然正面から登ることにした)。階段状といってもほとんど崩れていて、滑らないように気を付けながら登った。山の上に出ると、さらに階段がありプノン・バケン寺院の上へと出る。正直言って、きつかった。距離は短いのだが一気に登ったので、一番上に着いたときには息も絶え々々で、ガイドさんの説明もほとんど聞ける状態ではなかったので、しばらくしゃがみ込んで休憩していた(ちなみに、ガイドさんもけっこう息が上がっていたことを付け加えておこう)。

 ここの目玉は、景色が素晴らしいことである。ほとんど平地のこのアンコールワットの地において、この山の上にあるプノン・バケンからの見晴らしは素晴らしくいい。ということで、夕日を見にこの地に来たのである。雲はほとんどなかったので、太陽が地平線近くまで沈む様子がよく見え、とても素晴らしい夕日を見ることが出来た(朝日も素晴らしいとのことである)。ここは観光客も多く、同じ場所にしばらく動かずにいるので、おみやげ売りの子供たちにとっては格好の場所らしく、けっこう多くの子供たちが仕事をしていた。それにしても、あの重そうなクーラーを持って上まで登ってくるのは、さすがに辛そうである(1本買ってあげたが...飲みたかったのが本音だけど)。

 日が沈むと、すぐに降りることになる。居てもしょうがないこともあるが、ここには街灯というものがないので、油断しているとすぐに真っ暗になるのである。車に戻り、まっすぐにホテルへと向かう。ホテルに着いたのが7時少し前であった。翌日の予定(8時半出発)を確認して、本日の観光は終了した。

 アンコール・ビールを飲みながら夕食を食べていると、近くのテーブルで日本人の団体(18人)が添乗員から翌日の説明を受けていた。何気なく見ていると、アンコールトムやアンコールワットで一緒になった人たちであった。なんでもアプサラの踊りを見たい人の募集をしているようであった(人数が少なくなると一人あたりが高くなるようなことが、聞くともなく耳に入ってきた)。そんなことはどうでも良くて、とにかくアンコール・ビールは特に癖もなく、とても飲みやすくて美味しかった。

 部屋に戻って今日の行動を思い出していたら、いつのまにか寝ていた。見学で歩いた距離は、別にたいしたことはないのだが、やはり暑さからだろうか、けっこう疲れていたようであった。11時前くらいに変な電話によって目が覚めたので、風呂に入ってアンコール・ビールを飲みながらTVを見て寝た。


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