vol.2


第5話
第6話




第5話「ストックホルム 0506〜0508」


tue.0506

今日から ゲルトとエリザベスは出勤で,朝6時 物音に目が覚めるとエリザベスは,朝食をすまし出かける所だった。
欧米風のさようなら(つまり ほっぺをくっつけあう)をして(相手がおばあちゃんとはいえ すごく照れた)エリザベスは ゲルトの車で図書館に行った。ゲルトが戻ってくるまでの1時間 1人残された自分は,鍵をかけて そばの湖まで散歩にでた。 まだ 春になって間もないクングスロー(王様の土地という意味らしい)の空は 鉛色で今にも雪が降りそうな感じだ。その 鉛色を映した静かな湖面を ストックホルムに行く船が静かにゆっくりとすべっていく。ほんと しずかだ。 ああ またここに何年かしたらまた来たいなあと湖をぼんやり見ながら想いに浸って 座っていたら,すぐ横から巨大な蛙が 何匹も土から出てきて 自分の方に跳ねてきた。 あまりの巨大さに驚いて逃げてかえってきたら(なにも 逃げることはないのだが)ゲルトが 戻ってきていた。
最後まで朝食は ライ麦パンとネスカフェだった。
10時 コッパートーンのゲルトの家に別れをつげ,集合場所のウルビー高校まで ギャランをとばした。ウルビー高校では 中学生たちが ホームステイ先の家族との別れに涙を流していた。なあんだ 彼女たちもかわいい所があるじゃないか。なんかもらい泣きしそうだなあなんておもっていたらゲルトとカロラがそばにきて握手したもんだから目頭が熱くなってしまい「タクソ ミューケ」(THANK YOUの意味)を連発しそれをごまかした。
VOLVOにのった ストックホルムの卓球チームの監督が迎えに来て,我々は一路 ストックホルムに向かった。 2時間ほどハイウェイを走り 13時 我々は”北欧のヴェニス”ストックホルムに突入した。ストックホルムのジムにあるファーストフード店で巨大なハンバーガーを平らげたあと(彼女たちの食欲は さすがの私でもお手上げ・・・) 中学生たちに別れを告げ 自分はブロマプランにある ホテルスカンディックに,彼女たちは ストックホルムの卓球チームの寄宿舎へ向かった。
ホテルは ストックホルム郊外ではあるが 地下鉄のブロマプランの駅のとなりにあり,市内までのアクセスは20分の距離,さあさあ 独りだしはねをのばすぞーーって まずしたことは・・・寝た。ふかふかのベットで 寝てしまった 3時間・・・・。
おかげで 行動開始は17:00 夕方だあ。でも 大丈夫、夜は長い国だから、っと 行動開始した。 早速地下鉄で 市内に向かおうとMETROと書いてある建物に入ると,いけどもいけどもショッピングセンター ,おかしいなあと,外に出てみて 通りがかりの人に聞いてみると駅は隣の小さな小屋,METROというのはスウェーデンでチェーンを持つショッピングセンターなのだそうだ。 やれやれ 最初からこれじゃあ 先がおもいやられるよ!!地下鉄に乗り アスプルンドの図書館があるオデンプランに向かう。
ストックホルムは 先もかいたとおり”北欧のヴェニス”と呼ばれることもあって,たくさんの島から成り立っている街で地下鉄に乗っていると風景が変化に富んでて面白いし 街の建物が水に映ってすごくきれいだ。
オデンプランの駅でおり(プランとは スウェーデン語でPLACEのこと) 階段を上がると あの建築史の授業で習った あこがれのアスプルンドの 図書館が・・・・・・・・みえてきた。中央に 開架の書棚がある巨大なシリンダーと,それをかこむ 四角い閲覧室のマッス これだよ これだよ,巨大な扉をあけ 中に入り 階段を上って シリンダーの中に入ると まわりじゅうが,開架書庫 これだよ これだよ。感動に浸り 写真を取りまくり 気がつくと夜の7時だった。ああ おなかがすいたよ。なにかいい所ないかなあって 歩いていると,くたびれて 小さなレストランにふらふらっと入った。何か食べようと思っても スウェーデン料理ってないんだよねえ。馬鹿の一つ覚えで ギャトの家で教えてもらった サンドイッチケーキを頼んだら それは特別な日にしか出さないのでないといわれ 無難な所でステーキを食べた。っと こりゃまたびっくり えらいでかいステーキだった。もっと街を廻ろうとしたんだけれど疲れてしまって今日はおしまい。

wed.0507

ホームステイ先の健全な生活のおかげで すっかり 朝寝坊になってしまい 起きたのは10時,こりゃまずいよ。今日は 今出張の一番のメイン,アスプルンドの森の火葬場を見に行かなきゃならないんだ。
さっそく 支度をし 地下鉄に乗り ストックホルムの南端に向かう。
ストックホルムの街の中を通り抜け 住宅街の中へ,スコギングルム(森という意味らしい)で降りて 墓地へと向かう。相変わらずの鉛色の曇った空 市民墓地とはいえこの季節当然人は まばら,ちょっと恐いなあというおもいは有名な芝生の丘に建つ十字架を見た瞬間たちまち消え感動で鳥肌がたった。いやあ すごいんだよ。言葉で表現できないくらい・・。コンクリートのフレームの火葬場とその横の十字架が絶妙のバランスでその間をうめる池や小道、森 全てが一つの芸術品みたいだ。フイルム6本分も写真とってしまった。(最近 この火葬場の真似をして槙文彦が風の火葬場なるものをつくったけどやっぱ 本家にゃかなわないわ)ブロマプランのメトロで買ったサンドイッチを食べながら丘の上で座ってずっと眺めていたら さすがに寒くなって ストックホルム市街地に向かった。 途中 マルクス教会等の 若手の建築家の作品を見学し市の中心部に向かった。
ストックホルムの地下鉄は驚くことに コンクリートなんかつかっていなく岩盤をくり貫いただけでその岩盤のうえに アーティストが駅ごとに 絵や彫刻でインスタレーションをおこなってとてもおもしろい。
セントラルでおり ギャトから教わったデザインセンターに行く。彼はここで 月に一度デザイングッズを買いに来るお気に入りの場所で是非行くようにすすめられた所だ。デザインセンター自体は改修工事中だったがデザインショップは営業していていやあ たのしい たのしい 買いたいものばっかり。 物欲と 出張だということの自覚とが 自分のからだの中でたたかって 気が狂いそうだったというのはおおげさだけど本当に 北欧のデザインされたものが山のようにあり 今度自分のお金で来たとき、たんまり買っていくことにした。
海沿いに行き(水だらけでどこが 湖か どこが 川か どこが 海かわからないのだが・・・・)ストックホルム市庁舎へ。ここは、必ず ストックホルムの観光パンフレットの表紙を飾る有名な建物だ。 海側には数艇のヨットが停泊し 回廊を挟んで中庭が有りここからアプローチすることもできる。ここの 黄金の間では 毎年 ノーベル賞の授与式が行われるのだ。
しばらく 街を歩きまわって VASA博物館へ。昔のバイキングの船をそのままドックに横付けし その上に 建物を作ってしまった面白い博物館だ。
また 街を歩いて 今度は 現代美術館むかったがなんと工事中だった。新築中だそうでラファエルモネオによる設計でプロジェクトが進められているのだそうだ。となりの 建築美術館では 彼の特別展が催されていた。
晩御飯は 海沿いの 食堂で魚料理を食べた。やっぱ 独りだとたくさん歩いてしまってつかれたよ。きょうは もうダウン。

thu.0508

ストックホルム最後の日、今日は 予定が盛りだくさん、チョッピングの人達の紹介で 夕方にとある設計事務所を訪れ、夜はストックホルムで働いている日本人と会うことになっているため そのまえに ガムラスタン(古い街という意味)を 見て歩かなければならない。
そういえば 昨夜は大変だった。話はつけといたから 自分でアポイントは取ってねということで それぞれの家に(あったこともない家に)電話して片方は事務所の見学 もう1人は夕食と アポイントをとったのだ。まあ 片方は日本人だったから 少しは楽だったけど・・・。
ガムラスタンは その名のとおり 2mくらいの 迷路のような入り組んだ道と道の間に中世の古い建物がびっしりと固まってて しかも 起伏もあったりするもんだからすごく エキゾチック 。歩いてても楽しい。ガムラスタン島という 小さな島なんだけれども歩けど歩けど 海に出れない 不思議な街だ。
島の真ん中には ヨーロッパの街によく見られるように 広い広場と教会がありそこの カフェで昼食を食べた。(なんとかっていう マリネをクッキーで挟んだこりゃ又この国の名物料理だそうだ)
ガムラスタン島から 島へ渡り(橋が多すぎて島という感じがしないのだが)緩い坂道を登り 住宅街(といってもアパルトメント街)の一角の電話で教えてもらった 古いアパルトメントに行く。
設計事務所は その古いアパルトメントのペントハウスにあり、古い映画に出てくるような鳥かごのようなエレベーターを5階まで行き、さらに階段で1階あがった所に事務所の玄関があった。事務所は 休日で所長と数人の所員しかいなく 彼らは熱心にドラフターに向かって 詳細図をつめていた。所長が いろいろこの事務所の説明を始めた。
ラーソン アンド パートナーズは主に病院や福祉関係の設計をしている。君は どこの事務所だ? 大林っていって日本有数のゼネラルコントラクターの設計部門だ。ゼネラルコントラクターなんだそりゃ。工事をする会社か?色々説明したところで そうかこの国にはゼネコンというシステムがないからわかんないんだよね。めんどうだから 事務所のようなもの(A KIND OF ARCHITECT OFFICE) ということにして しばらく スウェーデンの建築の話をしていた。
図書館を見たというと どちらのだ?ときかれ もちろん アスプルンドのだって、答えたら君はまだ若いんだから ラルフアースキンのもみたらいいよ。アースキンは知ってるか?知ってるよ。ロンドンに泊まったとき 向かいに彼がやったビルがたっていたんだ。ていった。けっして スウェーデンにきたら アースキンにあいたかったんだなんていわなかった。アースキンが友達だというんで 紹介してもらおうと電話してもらったらなんと彼は 地中海に行ってるとのことだった。残念!
倉庫にいってみると 徹夜したらしい所員が二人ほど寝ていた。(こういうところは我々と同じだ。きっと万国共通なのだろう)3時間ほど お互いの建築事情を語り合ったあと(本人はそのつもりだ) 自分が この事務所のことをえらくマイナーな事務所だと思っているのを察したのか 所長は帰り際に北欧の建築家という本をくれた。これにここの事務所が載っているという。ありゃ ほんとだ。しかも日本で発行している 病院関係の建築関係の資料集にも載っているらしい。胡散臭いおっちゃんだとおもったら 実はすごい人だったのね。
事務所をあとにして 約束の交差点に立ってると、日本からここストックホルムに移り住んで30年という原さんという福祉関係のコーディネータをされているかたが SAABで迎えに来た。 丸坊主でえらく元気のよい なんか一瞬見ると芸術家のようなおっさんは 一見40歳ぐらいに思えたが 実は60歳と聞いて驚いた。
彼のお勧めの中華料理屋でディナーを過ごした。今までの10日間 英語づけの生活で日本語に飢えていた私は狂ったように日本語をしゃべっていた。あまりの 機関銃のようなしゃべりに原さんはたいそう驚いていた。原さんが 言うには 近頃 海外生活にあこがれている人が多いけど、20歳を越えたらもう日本人が形成されているので(味覚・言語・風土もろもろ)その国の人間になることは不可能だそうだ。彼も30年近くたつが あらゆる面でやはり「日本人」が抜けないらしい。
さっきから料理は中華とは言うものの棒々鳥や春巻きにまじって巻寿司とかてんぷらとかがでてきている。どうやら日本料理と中華料理はこの国ではごっちゃになっているらしい。でも けっこう いける!
SAABでホテルまで送ってもらいスウェーデンでの最後の夜は終わった。



第6話「エピローグ 帰国」

fri.0509

朝9時半 スカンディックホテルのチェックアウトをすまし(ななんとホテル代はもう支払われていた。どうやら チョッピング市の人々の好意らしい。感謝・感謝(結局 ほとんど金を使わなかった。)
前夜 ホテルに引率の先生から電話があり 9日の11時にアーランダ空港SASのカウンター前待ち合わせしましょう。自分が 「アーランダ空港のどこのターミナルに行けばよいのか」たずねると 「大丈夫 ターミナルは一つしかないから。」とのことであった。
駅から空港行きのバスに乗り 約1時間 アーランダ空港にバスは到着したが しかし、ターミナルは10もある。いやな予感的中!バスの運ちゃんにコペンハーゲン行きのSASのカウンターが、何番ターミナルにあるか聞いたところでわかるはずもなくしょうがなく真ん中かだとどちらの時でも影響が少ないだろうと5番ターミナルで降りると ななんとそこがまさに SASのコペンハーゲン行きのカウンターという超ラッキーさ!!
ところが 引率の先生もほぼ同じころ着いてターミナルの失言に気づいたらしく全館放送で呼び出しが・・・・。スウェーデン語なので何を言っているかは わからないが ただ 「たかはた」の連呼が人も少ない巨大なアーランダ空港全館に響きわたる。廻りにいるスウェーデン人に気づかれまいと 空港カウンターの上の時刻表を見つめて知らんぷりでいると後ろから 「高畑さーーん」の中学生の叫び声。一斉にこちらを見るスウェーデン人・・・はずかしかった。
SASのコペンハーゲン行きに乗りそこでトランジットし 成田行きに乗り換えようと・・。
だが 飛行機の出発は遅れているらしい。中学生は 買い物を楽しんでいる。いっちょう前にシャネルは何番の香りがいいんだとか言っている。おい おまえら もっと子どもらしくなれよ!!
結局 2時間遅れた飛行機に乗って席に着こうとすると、なぜか いつもより・・・ひろい。席に 余裕が・・・ある。これは ひょっとして いわゆる ビジネスクラス?でも 航空券を取ったときはエコノミーになっていたはずだし 行きはエコノミーだった。もう一度席を確かめてみたが・・・あってる。これはひょっとして航空会社の手違いで・・とおもって 引率の先生の方を見ると 彼女も同様に思ったらしく 目で「黙っていましょう」という合図を送ってきた。生まれて初めての ビジネスクラスである。いやあ 快適、快適。これは 12時間だろうが 何のその。
飛び立つと 機長の挨拶の放送があり それに続き日本人のスチュワーデスの機長の挨拶の日本語訳が・・・「当機は 2時間遅れでコペンハーゲン国際空港を出発しました。皆さんにはご迷惑をおかけしております。我々は 全力を尽くしこの遅れを取り戻して見せます。」とのこと。おいおい 本当に取り戻せるんかい。いつもは 手を抜いてたんかい。でも 到着は本当に1時間の遅れになっていた。いつもの 飛行時間って何だったのだろう。
せっかくの ビジネスクラスも 廻りのシノラー中学生の為くつろぐことはできず 寝たふりをしたところで ばれてしまって 引率の先生が本当に寝てしまうと話責め 質問責めの標的は自分一人になりビジネスクラスの恩恵を受けずに成田に着いてしまった。
成田から仙台までの新幹線はさすがに 中学生も疲れたみたいで やっとぐっすり寝てくれて じぶんもやっと ゆっくり寝ることができた。引率の先生に 「たいへんですねえ」というと「慣れてます。」と あっさり。

以上が たかちょふの10日間の珍紀行です。
あとで ビジネスクラスの謎を旅行会社に勤める友達に聞いたところ、航空会社によってはビジネスクラスに極端に人が少なくて エコノミーが満員の時、大きい旅行会社から ビジネスクラスに移すことがあるそうです。今回は JTBだったので その恩恵にあずかれたそうです。


             完






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