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vol.1
第1話 プロローグ 1997年の1月から とある学校の仕事をするようになった。 ある日 たまたま校長先生と飲む機会があり そのとき ひょんな成り行きで そこの中学女子卓球部と一緒に スウェーデンに行くことになってしまった。
第2話 「旅立ち」 tue.0429 待ち合わせ場所は成田空港近くのホテル,なんと その日はJR線の架線事故で 成田エクスプレス他 成田に向かうJR線はすべて運休、去年のニューヨーク旅行といい行く前に一波乱あるのが自分の海外行き・・・またか と思っていたら 京成は大丈夫しかもスカイライナーは増便とまあ一安心。 さて その成田ウィングホテルの一室で待っていると 夜遅く現れたのは中学生5人組と引率の先生一人,そして卓球部OBでスウェーデン留学していたという女子大生の7人。 中学生たちは挨拶をしたかと思っているやいなや 私の部屋でグローブとパフィーの歌まねと篠原なんぞやのものまねを頼みもしないのに披露し さすがに疲れたのか自分の部屋に帰って行ったのだった。 私はこれから始まる彼女たちとのスウェーデン出張に 大いなる不安を抱きつつ ベットにはいった。 wed.0430 11:45 私たちはスカンジナビア航空で一路 トランジット先であるコペンハーゲン空港にむかって旅たった。 航空機の中では皆様の想像のつくとおり,最初,隣に座っていた引率の先生は 寝ている間にいつのまにか 女子中学生その1に変わっているではないか。私が 目を開けると機関銃のような質め・・・, ただ 彼女たちの代わりに機内食を頼む英語に偉く感動し すこし 尊敬したらしい。(考えてみると 彼女たちは 中学1年OR2年英語はほとんどしゃべれないのだから あたりまえだ) 彼女たちのしゃべり方は シノラーそのもの 女子高生言葉連発にしだいに現れ始めた頭痛をこらえる・・ その 頭痛がピークに達した頃 コペンハーゲン国際空港にSASのSK983便はランディングした。 そこで 2時間ほどトランジットして 1時間またもSASに乗った後 目的地ストックホルムはアーランド国際空港に,我々は無事ついた。 ストックホルムで私たちを待っていたのは 寒さ!! JTBの人のジャケット程度で十分ですよの言葉を信じて本当にジャケットしか持ってこなかった自分がばかだった。 空港のスウェーデン人は皆 ダウンジャケットを着込んでいた。空港からは ホームステイ先の人が車でつれていってくれた。 ハイウェイに乗ると なんと ストックホルムとは逆方向に走り出した。あれえ ストックホルムじゃないの? 聞いてみると ストックホルムから200KM北に行った街だそうだ。 話が違うんじゃないか? きいていた話じゃストックホルムの隣町てことだったのに・・ 200KMじゃ隣じゃないじゃないか。でもハイウェイぶっ飛ばしているVOLVOの窓からみる景色は,すごーーくきれいだ。 さすが森と湖の国というだけあって 周りの景色は湖,森,そしてたまに木造のコッパートーンに塗られた住宅。 また 夜9:00だというのに 日本で言う6:00頃のような明るさだ。 今日 4月30日は SWEDENでは冬が終わる日で 家の庭で火を燃やす(薪のでかいような奴)風習があり 車窓から見えるその景色が高畑君を妙にメランコリックにさせた。
第3話 「チョッピング 0501〜0503」 チョッピング市についたのは夜9:30,(といっても まだ明るいのだが)やっと 中学生軍団と別れを告げることができ今度はSAABでホームステイの家へと向かった。家はチョッピング市から更に30分奥に行ったヴィズラーボという集落の昔,駅舎だった建物を改造した家だった。 カロラ・ジョンソンとピーター・エリクソンが家主、カロラは女性だけれど チョッピング市のウルビー高校の校長先生。もうかなりの年だと思うのだけど モデルみたいにきれいでスタイル抜群の人だった。 ピーターは歴史の研究家 髭もじゃで 彼らは姉弟なのだけれどGIVEN NAMEがちがうというのは ・・・・? ヒロノブというのは言い辛いので ”HIRO”と呼ばれた。これからずっとスウェーデンでは「ひろ」と呼ばれ続けた。 つくやいなや 近所の(といっても車で10分離れているのだけれど)パーソン夫妻が遊びにきた(夜10:00だというのに)彼らの祖先は 戦前日本のスウェーデン大使だったらしく,えらい親日家で 日本の話題で夜中2時までもりあがったのだった。 thu.0501 目覚まし時計のない朝。 朝 鳥の鳴き声で目覚める。なんてすてきなことだろう。それが 今現実なのだ。 朝食は 実に質素、まず ディッシュいっぱいのヨーグルトを食べ,その次にライ麦パンとネスカフェ(そう彼らスウェーデン人はネスカフェが大好きなのだ。) それから チョッピング市観光いや調査、まるで 童話からでてきたみたいな町にカメラのシャッターはおりっぱなし,あっと言う間に一日が過ぎてしまう。 夜 昨日来たパーソン夫妻邸を訪ねる。流石 日本びいきらしく 家の中は日本?グッズばかり。スウェーデンの童話の話題となり ピッピは知っているがニールの話は知らないと答えるとニールの絵本をくれた。 スウェーデンの音楽は日本で有名かと聞かれ,最近カーデガンズやエイスオブベイスが日本でメジャーだ。と答えると アバは知らないのかと聞かれた。どうやらこの国ではアバは国民的英雄らしい。 ごちそう食べたら眠くなってその日は終わった。 fri.0502 朝起きると あたりは銀世界。なななななんと雪が・・・・。 昨日と同じネスカフェつきの朝食を食べ 学校見学へ出発!! 小学校2件とカロラの高校(ウルビー高校)をみる。ウルビー高校には,ななんと熱帯植物が育っているアトリウムが中心にあり,それを教室が囲むといったかなり斬新なプランであった。ただ このアトリウムに面した図書館(かなり大きい)に 他の場所からの騒音がはいってくること,熱帯植物が出す湿気が本をかびらすことが悩みなのだとカロラは言っていた。 彼女は,はっきりと 学校としてはミステークなプランと言っていた。 昼は 自由時間にCDを買いに行こうと思っていたら カロラが音楽の先生を紹介してくれて 彼女と一緒にチョピング一大きいCDショップに行ってスウェーデンらしい音楽を探した。彼女のお勧めということでラップランド地方の民族音楽のCDを買った。 その後 この地方の古都 ARBOGA(アルボーガ)にむかった。 水を中心に発達したこの町はほとんど木造,しかも カラフルに色塗られ 作りもののよう。 動物(白鳥やリス)も町中にたくさんいるのだ。かえって 食事をするとねむくなった。 うとうとすると カロラが外に来いと叫んでいる。 いってみると そこにトナカイがいた。 明日は 別の家にホームステイする。カロラが自分の家が 駅舎を改造した家で,これがスウェーデンの典型的な家だと思われたら困ると 彼女が気を利かしてくれ スウェーデンの典型的なコパートーンの家にすむゲルト・ラーソンの家に滞在する。歴史の先生だそうで カロラみたいにいい人だといいなと希望と不安に胸を膨らませ眠りについた。
第4話「ラーソン邸 0503〜0506」 sat.0503 昨夜 ピーターとワインを飲みながら遅くまで いろいろはなしていた結果,今朝は 寝坊・・・ 部屋からでると 下の階で話し声が聞こえる。もう ラーソン夫妻が もう迎えにきているのだ。 急いで シャワーあびて いつものネスカフェの朝食を食べ居間,(ここは 駅時代待合い室だったらしく 巨大なキリストの肖像画がある)にいくと そこには ピーターとカロラ そして人の良さそうなラーソン老夫妻が座って談話していた。 家の前で記念写真を撮り 二人に別れを告げラーソン夫妻の車に乗り込んだ。 彼らの車は 三菱ギャランでそれもかなりの中古車で そんな車で,ハイウェイを160キロでぶっ飛ばす・・。しかも ゲルトは,運転しながらも 話すときはこちらを向く・・いくら 外人が目を見ながら話すとはいえ こりゃ まったくクレージーな 老夫妻だよ。 なんやかんやしてる間に ヴェストマンランド県の県庁所在地で古い都であるヴェストラーズに着いた。ここは 若しころ彼らが過ごした思い出の地だそうだ。昼御飯は 彼らの若き時デートスポットの一つだった、レストランにつれていってくれた。そのレストランは 川沿いの洞穴のなかにありすごーーく 雰囲気のあるところだった。 古い町並を歩きながら話していると ひょんなことで家具の話題になり,スウェーデンの家具の会社をどこか知っているかと聞かれ,日本では イノベーターが有名だと答えると そんなはずはない,スウェーデンの家具はイケアだという。そんな名前は聞いたことがない,と答えると そんなはずはない 世界的にも有名なはずだ。と向こうもむきになってきた。結局 イケアにいくことになってしまった。そこは 一見すると日本の郊外によくみられるホームセンターのでかくなったものっぽい感じがするんだけれど さすが彼が自慢するだけあって中は 北欧デザインの家具や小物,ステーショナリー等生活に関するものすべて扱う総合デザインショップという感じで(オリジナルの商品ももちろんある) 自分は 危うく出張できていることを忘れ、買い物に興じるところだった。(もう すっかり出張だということを忘れているが・・) 2時間後(それだけ大きい)誘惑に何とか打ち勝ち なにも買わずに手ぶらで店をでた。 ところが かれらは手にいっぱいのデザイン用品・・・・ゲルトは 私のおかれている状況をくみ取ってくれ 帰ったら申し込んで買うとよいと カタログをもらってきてくれた。 次に向かったのは ちょうど自分と同じ年の彼らの息子のいえである。2カ月前に家を買ったばかりで 家具のたぐいのものが全然ないのでイケアで買った照明をとどけるのだ。 息子はチョッピングで医者(勤務医)をして 奥さんはそこの看護婦・・どこの国でも 職場結婚ってあるんだなあなんて思いながらお茶とお菓子を食べながら 日本のいろいろなところの話をした。そのとき その息子が持ってきた地図をみると ななんと 東京が江戸となっている。ぼくは ここで生まれたんだよって北海道を指すと そこは蝦夷エリアとなっている。もっとよくみると 外様エリアとか旗本エリアとかある。おいおい まじかよ!!こんな地図がでまわっているから日本人が今もチョンマゲしているって思われたりするんだよ。まったく!! 彼らの8歳になる娘とその友達が日本のお客様に披露したいとスパイスガールのワナビーを歌い踊ってくれた。こっちの女の子は妙に色気があって ロリコンの多い国というのもうなずけた。(自分はその気はない。念のため)。 ここでも 2時間ぐらいおしゃべりして やっと コパートーンに塗られた典型的なスウェーデンの郊外住宅である彼らの家についた。さすが アートやインテリア好きの彼らの家のなかは,私の興味をそそるものがいっぱい。ポール ヘニングセンのPHランプ,ヤコブセンのアリンコチェアー,オーディオとテレビは,バングアンドオルフセン,などなど。 晩御飯は こっちの気をつかってか 米の飯にクリームシチューをかけたものがでた。ひょっとしてと 思っていたら やはり 箸がよこにおいてあった。しかも 菜箸のように30センチはある異常に長い。「こういう 汁をご飯にかけたものは 箸では食べない。」というと,彼らは非常にがっかりしてしまったので しょうがないので「でも めでたいときはつかうことがある」と 嘘をつき無理に箸で食べた。彼らも 自分のまねをして一生懸命食べていた。このあと 誰か日本人がきて同じように スープをのせたライスを出すことがあったとき その日本人がめでたいからといって無理矢理 箸で食べさせられる姿を想像するとちょっと気がとがめた。彼らが 自分の箸使いに偉く感動している姿に だんだん調子に乗り「ひょっとして デザートのアイスクリームも箸で食べることができるか」と 言われて「もちろん」と答え 食べてみせると またまた感動してそれを写真に撮っていた。 その夜は 彼らとデザイン談義に花が咲き 夜中までワインを飲みながら話続けた。 sun.0504 今日は 日曜日。キリスト教の国では 必ずミサが行われる。 ここでも例に漏れず教会のミサ。ななんと ゲルトはチョッピングの教会のパイプオルガンひきもしてるという。それで今日が出番なのだという。せっかくだから一緒に行こうと 教会のミサに出席させられた。初体験!!すっごく感動した。洗礼っていうんだったっけ 牧師が赤ちゃんに名前つけること それも はじめてみた。といっても どうっていうことなく家族の前で 牧師が赤ちゃんを抱え何々と名付けるというだけなんだけど・・・・。何か一緒に賛美歌 歌ったらキリスト教徒になった気がした。そういえば 自分の幼稚園はミッション系だったから 日曜日はこんなだったかなあなんて思いながら ミサを終えた教会を出、家に戻った。 戻ってきたから 朝御飯を食べた。やはり ネスカフェとヨーグルトと黒パンだった。 たしか ネスカフェのコマーシャルでストックホルムの朝は ネスカフェで始まる。っていうのがあったけれど本当なのだなあって変に納得した。 昼は サンドイッチケーキと呼ばれる スモークサーモンやサラダ等が幾重にも挟まっているスウェーデンでは特別な日に食べる食事が出た。日本で言うと赤飯みたいなものだ。 14:00の昼飯後(ちなみに ここスウェーデンでは一日が長いため食事は4食 食べるのが普通らしい)ドライブに行こうと誘われ目的地を聞くと ノールベルグ、そこには 昔の鉄道の駅舎を改造してアートセンターにしているところがありそこに行こうという。地図でみると ここから200キロもある。こんな時間に出てと思ったが ここはスウェーデン 日没は夜9時 まだまだ1日はある。 最初 車もあまりない道路だからって自分が運転手になった。国際免許もってないよ。って言ったら エリザベスが 日本の免許みせてアジア地区発行の国際免許だよって言えばばれないよ。それに 一日に警官一人にあう確率なんてほとんど0だからOK。っていう。本当にクレージーだよ、この夫婦は。(ちなみに ゲルトの職業は、歴史の教師、エリザベスは、図書館の職員) 道は いつまでたっても森、森、森 たまあに湖をわたる。森、森、森、道路は一般道なのに制限速度は80キロ、そんな道を1時間走ると アイアンタウンのゴーストタウンについた。そこに 彼らが行きつけとしている 納屋を改造したアンティークショップがある。 本当に ここの人は古い建物の改造が上手だとおもう。ゲルトは 何か店の人に値切っている。 なにかなあ見てみると リートフェルトのジグザグチェアー。おいおい買っちゃったよ。いくらで買ったかきくと 「600クローナ」,1クローナが18円だから10800円。たぶん 偽物なんだろうけれど,ぼくの友達で 十何万で買ったよって言ったら(竜野、君のことだよ)日本人は本当に金持ちなんだ。って感動していた。彼らは この椅子が名作であることを知らないらしい。 ここで ちょっとお茶して また 森、森、森の中をひたはしる。やっと 右側走行になれてきた。 そうして 家を出て3時間後 小さなノールベルクの町に車は入っていた。古く 小さく 内陸で ノルウェイ国境近くのこのさびれた田舎町には 外人は珍しいらしく 町民にじろじろ見られた。この町のはずれの駅を改造したアートセンターにいくと どこからわいてきたのか人であふれていた。ここは コンサートホール(っていっても20人ぐらいでいっぱいになる)(ここからFMの放送もやっているらしい)と 常設と企画ギャラリーと屋外彫刻広場で構成されていて しかもそこに飾っている絵は買うことができ(日本の類似した場所のように 店員がマニュアルどうりの知識を知ったかぶりして しつこくつきまとうこともない)のんびり過ごすことができる。とってもいい空間だなあ。 またここでお茶して 19時 今度はゲルトの運転で帰路に着いた。家に着いたのは 夜9時。今日の晩御飯はパスタと肉料理どうやら スウェーデン料理というのは存在しないらしい。 食事が終わったのが夜中の12時。この国にいると時間の感覚が麻痺するよ。一日が非常に長い。 mon.0505 今日は もらったスケジュール表によると例の中学生達とカロラの高校に体験入学となっている。 まさか 自分も加わるのか・・・。ゲルトに 聞いても 日本人はこちらから見ると子どもに見えるから 君でも高校生で通用するよと冗談ばかりで取り合わない。 彼にも どうなっているかわからないらしい。 例の朝食を食べ、ゲルトと高校に向かった。彼も今日は授業があるらしい。 高校に着くと 中学ギャル達が緊張のあまりこちこちになって珍しく静かにベンチに座っている。なかなか彼女達も可愛いところがあるじゃないか。 職員室に通され ゲルトが色々な先生を紹介してくれた。どうやら 自分は別行動らしい。カロラが現れ 中学生達が授業の間 本当に行われている様々な授業を参観させてくれると言う。ということで 一安心。 この ウルビー高校は 選択教科が非常に多く かつ 受験等の勉強は自分でやればよいという思想から実技に重点が置かれ,自動車修理を実際の車でやっていたり,建築も実際にログハウスをつくったり,映像のクラスは実際映画をつくったり,歴史の授業(ゲルトの授業)は,生徒それぞれががその時代の人について調べてきて それを話し合いながら進めている。 どの授業も 先生はあくまでもナビゲーターで,生徒が主役という構図が完成されていて,生徒は みんな いきいきして 日本の教育について深く考えさせられた。 授業態度は 日本ではちょっと考えられないもので,ガムをかんだり 途中ででていったり(おもしろくないと言う意志表示だと言う) 不思議なのは 寝ている子はいなかった。カロラに聞くと それは当たり前だ 眠たくなると教室からでていくからと 笑っていた。日本の授業風景を言うと 逆に 授業中寝ていたり 眠たいのを無理に起きていても 先生 生徒 お互い 無意味な時間が過ぎるだけじゃない。と不思議がってた。 そうなんだよね。日本の教育のシステムを変えなきゃだめなんだよねえ。 ふと 思ったんだけど日本人って あらゆることに対して受け身だよねえ。この教育然り、家に帰ると つけっぱなしのテレビ、休みというとレジャーを金で買い、なんて考えると なんか悲しくなってきた。 お昼は 調理及び接客の授業をかねてやっているレストランで食事をした。ちゃんと コースになっていて 味はかなりいける。代金は そのレストランの運営費に使われる程度なので 非常に安い。 午後からは 体育や、コンピューターを使った数学の授業などなど 様々な授業を見せてもらった。なかには 性教育なんてのもあってちょっとどきどきものだった。 この国の公共施設には必ず核シェルターが設けられていて,この高校にも勿論あり 2000人収容という巨大なもので,しかもいつでも逃げれるように常に扉は開けっ放し,核に対するこの国の姿勢がひしひしと感じた。 夕方5時 無事 参観からもどってきて,カフェテリアに行くと 中学ギャルは疲れ切っていた。 なんかさむいなあと思っていたら,外の雨はいつのまにか雪に変わり つもったら困るから早くかえろうと,ゲルトが迎えにきて 5月とは思えなく真っ白に雪景色となった草原をゲルトは 普通道路なのに80キロの猛スピードでとばしながら家路についた。 明日はストックホルムへ旅立つということで 今夜は最後の夕食 ということで,特別に まあ今日は雪も降ったことだしということで ゲルトは暖炉に火をいれてくれた。エリザベスは 最後の夕食に腕を振るってくれた。暖炉を囲みながら 再会を誓いながら「スコラ!!」(スウェーデン語で乾杯)。 異常にでかく分厚いステーキをたべ満腹満腹。その後は ワインとクッキーでお互いの今までの旅行談でまた今夜も遅くまで盛り上がった。 明日からは やっとストックホルムでのホテル暮らし,1日中自由時間の日々,不安と希望をこころに ワインの酔いもあっていつのまにか深い眠りについた。
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