今まで、藤沢には戦争はなかったかのようでした。
実際には、藤沢にも海軍の基地や通信隊があり、軍需工場があり(下の地図を見てください)、アメリカ軍機による機銃掃射も受けましたが、沖縄でのようなアメリカ軍との地上での戦いや、広島・長崎へのような原爆投下はありませんでした。
しかし、さらに戦争が続いて、コロネット作戦が行われていれば、藤沢の街も沖縄と同じように破壊され、たくさんの人が死んだことでしょう。
そうなるかわりに広島・長崎に原爆が落とされたのです。
皆さんのような子どもたちもおおぜい死にました。
私たちのかわりに沖縄や広島・長崎の人々が死んだ・・・。
戦争だったから?
では、なぜ戦争をしていたのでしょうか?
実は、日本はアメリカとだけ戦争をしていたのではありません。その前に中国や東南アジアに攻め込んでたくさんの人を殺したり、奴隷のように働かせたり、苦しめたりしていました。
それよりもっと前から台湾や朝鮮を植民地にして、同じようなことをしていました。
日本は明治以来「脱亜入欧」といってアジアから抜け出し、ヨーロッパのように強い国になろうとしてきました。
そうした戦争を進めた結果、アメリカやイギリスなどともぶつかり、最後には食べるものも武器もなくなって負けたのです。
藤沢の人たちも戦争に行きました。
また、故郷を遠くはなれて働かなければならなかった朝鮮の人たちが藤沢にも来ていたことがわかっています。
藤沢は戦場にならなかった、ラッキーだったというだけですませることはできません。
今回の【あと】めぐりをきっかけにして、戦争のこと、平和のことをもっと考えてみてください。
1945年当時の藤沢にあった、主な軍隊関係の施設