城南と長後


1945年春
大庭の山中(現・西部団地あたり)で
地下壕補強用の松丸太の皮をむく
高等科1年生(現・中学1年)。
道具はカマや芋掘りノミを各自が用意した。
(佐川伸一画文図録より)

北部では、「タコツボ迎撃作戦」の演習が行われました。
タコツボとは、一人用にたてに掘った塹壕
(ざんごう)のこと。
 上陸してきた敵を北部の谷へ迎え入れ、
自爆してでも迎撃しようと考えました。

これらの戦争跡の多くは、わかりにくい場所にあります。
また、必ずしも見学できる状態だとは限らないので、
じゅうぶん気をつけて出かけましょう。



城南の台地の際に掘られた本土決戦用の壕




長後地区の丘陵に掘られた本土決戦用の壕
コロネット作戦

 連合軍の主力であったアメリカ軍は、沖縄を占領した後、日本を降伏させるために、「コロネット作戦」を計画していました。

 それは、陸上だけで100万人のアメリカ兵を相模湾から上陸させるという大規模な計画でした。
 日本本土を海から攻めて、長い戦争の決着をつけようとしたのです。

 しかし、原子爆弾を広島・長崎に投下することによって、この作戦は実行されませんでした。

クイズ4 日本があやうくのがれたのは?

イ.Wカップ決戦
ロ.金曜決戦
ハ.本土決戦


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