作品名 イブ−覚醒儀式−
著者名: 藤下真潮

内容: 21世紀中盤、フレイヤ・フォールと呼ばれる大災害が発生した。それは総生産性を50%まで落ち込ませ、累積で10億人の餓死者をだした。その災害から50年後の21世紀後半。プランツ”と呼ばれる合成人間の少女が製作者である老科学者の元に不良品として戻ってきた。単なる機械仕掛けに過ぎなかった少女に自我が芽生えた時、老科学者の胸に大災害の引き金となった禍々しい記憶が去来する。

本文:イブ−覚醒儀式−」 HTML版(99kバイト)
     TTZ版 (ポシブル堂書店へリンク)

1999年11月08日 源さんから戴いた表紙絵を掲載。

あとがき、もしくは作者の言い訳
 Web上の小説としてはやたらと長いこの小説を読んでいただき(これから読もうという方も)ありがとうごさいました。これは作者の処女小説となります。
 今をさること15年ほど前に大阪の片田舎の某私立大学でSF研究会なんて物を発足させ、偉そうに編集長などという肩書きを付けていた頃、”アズ”という小説を書いていました。偉そうな肩書きの割に、未完に終わらせてしまったという前科持ちです。
 15年も経過してなぜまた小説を書き出したのかは自分でも良く分かりません。15年のエンジニア生活の間にグツグツと自分の中で何かが醗酵して、Webという場所を得て、その何かが噴出したのかもしれません。
 この20年の間エンジニアリングというものが経済的な後ろ盾を得て莫大な成長を遂げました。コンピュータという一ジャンルに限定しても規模は莫大になり一人のエンジニアが総体としてそのシステムを把握するのは不可能に成りました。細分化と分業化は肥大したシステムを支えるのには必要な技術です。しかしその結果としてシステムの発展方向と結果が引き起こすものについて誰も責任が取れない状態となります。また成長する目的も本来のものを離れ自己の存在を維持するだけの自己目的化を辿ります。一部見直しの気運も有りますが、経済の枠組みに囚われたエンジニアリングというものはそう簡単には方向修正できないような気がします。
 このイブシリーズ(3部作)は、そういった自分なりのテクノロジー観を表現できればと思います。

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 最後に、この小説中の”プランツ”の設定は川原由美子作「観用少女」(朝日ソノラマ刊)から借用させていただいております。ご興味のある方は是非ご一読を。