Go-21

このページは、これまで当会のMLにて紹介していました「Go-21湘南便り」をリニューアルして
当地湘南の様子をビジュアルにお送りします。
私のみならず湘南に想い出がある方やこよなく愛でて下さる方の寄稿を歓迎いたします。
                                             世話人敬白
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2003年01月12日

          湘南便りその57:鎌倉散歩第30回

    
     創作和料理 近藤 

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久し振りの更新となってしまいましたが、皆さん本年も「湘南便り」をご贔屓に
お願いいたします。

さて、今回は新年にふさわしく?鎌倉のとびきりグルメ所を紹介しましょう。

JR鎌倉駅東口から若宮大路へ出て鶴ヶ丘八幡宮へ歩くと八幡宮手前に津多屋ビル
があります。ここはいろんなお店が入っている雑居ビルのようですが、その1階
の一番奥まったところに「創作和料理 近藤」のお店があります。

実は、このお店は同じビルの地下にある「ボデゴン」というスペイン料理店に行
こうと思って偶然見つけたお店でした。

お店に入ると、中はこじんまりとしたオープンキッチン形式のレイアウトがカジ
ュアルな感じででここが和食屋さん?という印象を受けました。

しかし、そんな印象とは裏腹に出てくる料理は繊細でとても美味しいものでした。

実はこのお店の板長は近藤元人氏といい、1998年にフジテレビ「料理の鉄人」で
あのフランス料理のアイアンシェフ坂井宏行氏と対戦した方でありました。

献立は、コースがメインですが、一品料理もあり、酒も数は多く無いが基本は押
さえている感じで、私はリーズナブルなコースメニューの“北山”を注文してみ
ました(3,800円)。

料理の詳細は以下に紹介しますが、今回初めて利用したここ「近藤」は、久しぶ
りに満足の行く店に出会えた感じがしました。

板長は同じ鎌倉にある名店「日文」の出身で、店のパンフレットの中で「作り手
と食べ手の関係は格闘技」と言い放っています。実は、最初の料理が供された時
点で、「食べ方」「美味しい笑顔」を確認すべくチラチラと食べ手の反応を覗う
板長の細やかな目配り(心配り)に気が付きました。作り手として「作って出し
てそれで終わり」では割り切れない(喜んで食べてもらうことで安心する)とい
うスタンスを感じたものでした。

本当に出てくる料理に全く手抜きが感じられず、私としては鎌倉では一押しの和
料理のお店としてお勧めします。

創作和料理 近藤
〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下1-8-36津多屋ビル1階3号 
代表 近藤元人 
TEL:0467-25-0301



近藤正面入り口

「北 山」これだけのメニューで3,800円です。

 

左:「先付」秋ナスと鰻のズンダ和え 右:「八寸」@壬生菜と黄菊のお浸しA鱧の玉子とじBサンマの焼物

 

左:「お造り」平目と鮪 右:「焼物」 鰆の結庵焼き+かぶのごま油漬

 

「煮物」揚げだし豆腐+蓬麩

 

「お好み」左:ローストビーフと生野菜 右:ホタテときのこのバター焼き
いずれか一品を選択


 

左:松茸ごはんと味噌汁 右:わらび餅ときなこのパンナコッタ抹茶ソース+バラのティー




2002年11月10日

          湘南便りその56:鎌倉散歩第29回

    
     荏柄天神社 

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源頼朝の墓から鎌倉宮方面に向かって住宅街の道を少し歩きますと荏柄天神社が
あります。

天神という名前ですから当然学問の神様として有名な菅原道真が祀られていまし
て、九州の太宰府天満宮、京都の北野天満宮とならぶ、日本三大天神のひとつに
数えられているそうです。

大阪出身の方からは、天神祭りの大阪天満の天神さんをさしおいて、とクレーム
がつくかもしれませんね。

荏柄天神は鎌倉最古の神社とも目されます。社伝によりますと、長治元(1104)年八月
二十二日、雲中に束帯姿で憤怒相の道真画像が風雨雷電と共に天から神域内の銀杏
の木に下りたって光を発したので、当社を創建したといわれます。

源頼朝はここを、鎌倉幕府の初期の御所として頼朝が政務を執った、大倉御所の鬼門
として定めました。

境内には梅の木が多くて、3月頃には薄紅や白い花が社殿を包みます。 桜とはまた違
った美しさがあります。

また、拝殿に向かって左手には漫画家横山隆一が建てた絵筆塚と 清水崑が建てたか
っぱ塚があります。
筆の形をした絵筆塚には、154人の漫画家が描いた「かっぱ」をモチーフとしたレリー
フが並んでいます。

鶴岡八幡宮に比べれば、こじんまりとしたお社ですが、静かでとても雰囲気のあ
る佇まいが私は好きです。鎌倉の八幡宮へ初詣におでかけの際は荏柄天神まで足
を伸ばしてみられることをお勧めします。



荏柄天神正面への石段です。かなり急なのですが手摺がついています。
一応のバリアフリーでしょうか?



荏柄天神の社殿です。私が訪れた時もお子さんを連れたお母さんが
参拝していました。





樹齢900年余りの銀杏も立派なものです。



2002年10月27日

          湘南便りその55:鎌倉散歩第28回

    
     源頼朝の墓

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鶴岡八幡宮の境内を右手に抜けて横浜国大付属小学校の先、現在の清泉小学校の
辺りが頼朝屋敷、大倉(蔵)幕府跡と云われています。

治承4年(1180)9月には頼朝はこの地に入り、侍所、公文所などを設置して東国
支配に乗りだし、建久3年(1192)には征夷大将軍になり鎌倉幕府を開きました。


源頼朝は誰もが知る鎌倉幕府初代将軍ですが父の義朝が平清盛と争って(平治の乱)
敗れた時伊豆に流され、以後二十余年の間流人生活をおくっていました。

後白河天皇第二皇子である以仁王は平家の為に親王にもなれず知行領も大幅に没収
されていたため平家討伐の令旨を発しました。

頼朝はそれを受け挙兵しましたが戦いに敗れ、房総に逃れそこで兵を集め鎌倉へ入り
次いだ戦いで、常陸の佐竹氏を破り朝廷に働きかけ関東の支配権を獲得し、勅命を受
け日本各地における源平合戦の末、平家を滅亡させました。

次いで謀反人源義経をかくまったとし、奥州藤原氏を滅ぼし全国統一を成しました。
その結果、1192年念願の征夷大将軍(武士の総大将)に朝廷から任命され、鎌倉幕府
を開いたのです。
 
大倉山の南側に小さな鳥居のある石段が続き、登り切った中腹辺りに源頼朝の墓があ
ります。

高さ2メートルほどの層塔で、安永8年(1779)頼朝の子孫という薩摩藩主島津重豪に
よって再建されました。現在の塔は平成2年春に補修。周囲には木々が生い茂り、頼朝
が築いた大蔵幕府跡がここから一望できます。

武家政治を確立した頼朝は正治元年(1199)に没しましたが、
前年の12月27日、御家
人稲毛重成が亡妻の追善供養のため相模川に架橋し、頼朝はその落成式出席の帰路
に落馬したことが原因とされていますが・・・

鎌倉時代の公式の歴史書「吾妻鏡」で建久7〜9年、及び頼朝が死去した建久10年1月
までが欠落していることから、死因については脳溢血による落馬、糖尿病、北条家の謀
略説など幾多の説が生まれるもととなってしまいました。

頼朝の墓は当初、大倉幕府の東南に頼朝が父義朝の菩提を弔うために建立した勝長寿
院(大御堂)に祀られていましたが、その後、現在の墓の石段下の西側にあった法華堂
に遷されたと思わます。法華堂は頼朝の持仏堂であり、後、三浦氏滅亡のドラマの現場
となった所でもあります。
 



頼朝の墓への階段です。結構j勾配がキツイです。



これがお墓です。江戸時代の資料によると、昔は1メートルほどの五輪塔であった
ようですが、安永年間(1779)に薩摩藩主島津重豪によってこのように建て替えられ
ました。当初は、旧い五輪塔の火輪(笠石)を重ねたものでしたが、数年前にイタズ
ラで壊され二層より上を造り直したのだそうです。意外と質素なお墓でしょ。




2002年10月06日

          湘南便りその54:鎌倉散歩第27回

    
    来迎寺(西御門)

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猛暑の夏が過ぎ季節は秋になりました。大分過ごし易くなりましたので、しばらく
お休みしていましたが鎌倉取材を始めることにしました。

今回から鎌倉の秋と味覚の紹介をしますのでみなさんお楽しみに。

さて、鎌倉には来迎寺(らいごうじ)という名前の寺は二つあります。

材木座にある真言宗能蔵寺跡と西御門にあるの時宗の寺ですが、今回ご紹介する寺
は、西御門にある来迎寺です。

鶴岡八幡宮を過ぎ横浜国大付属小中学校を左手に見ながら山に向かって谷戸に分け
入ると、路地の曲がり角に来迎寺を記す案内板があります。

この辺りは、鎌倉時代初期、鎌倉幕府の重臣が邸を構えた大蔵幕府があったところ
で、頼朝が葬られた法華堂の西にあるため、西御門(にしみかど)と名付けられま
した。

来迎寺の開山は一遍とも一向ともいわれ、その時期とともに定かではありません。
本尊は阿弥陀如来像。また、南北朝時代の傑作といわれる如意輪観音像が有名です。

これは、14世紀頃の仏像でもとは頼朝の持仏堂だった法華堂に安置されていました
が、明治元年(1868年)の神仏分離により地蔵菩薩とともに来迎寺に移されたとされ
ます。

かって、本堂は、草葺き屋根の素朴きわまりないもので、仏の入る厨子は畳の部屋
に置かれていて、長火鉢にかかった鉄釜から、女主人がお茶を入れてもてなしてく
れるという雰囲気だったそうです。

現在は、最近新築されたばかりの大きな本堂の中にあるが、庫裏に申し出れば拝観
させていただけます。(但し雨の日はNGです。)

この像は、木造の半跏像で片膝をたてて怪しげな笑みを浮かべています。光線の向
きや見る角度、そしてその日の気分によっても微妙に表情をかえるという不思議な
観音像なので、心静かにじっくりと拝観したいものです。

この像には、衣に鎌倉特有の装飾である大柄の土紋が施されているので要注目です。




来迎寺前の石段です。



来迎寺本堂です。



如意輪観音半跏像です。

 

この季節来迎寺の境内には赤・白・黄色、三色の彼岸花が咲きます。
とても珍しくて綺麗でしょ。